菊の門。 菊門のステッカーを貼ること

菊花紋 : 古代史探訪

菊の門

菊紋の由来とは 日本には、古くから「野菊」という菊の花がありました。 これは小さくて可憐な花ではありましたが、人目を惹くような圧倒的な華やかさを持つ花ではなく、それゆえに注目されることもありませんでした。 ところが、仁徳天皇(16代天皇)の時代に、中国から「これまでとは全く違う形の菊」が入ってきます。 大きくて華やかな花を咲かせる菊は、その美しさからたちまち当時の人々を虜にしました。 この菊が貴族たちの間で愛でられるようになり、そこから菊紋が生まれたと言われています。 天皇家でも行事の中に菊の花を使ったものを取り入れるなど、菊との関りは深くなっていきました。 天皇家の御紋として菊の花が正式に採用されたのは、平安時代に入って後鳥羽上皇の代になってからです。 とりわけ菊の花を愛した後鳥羽上皇は、天皇家の調度品などに菊の紋を使用するようになり、そこから天皇家の御紋として使用されるようになりました。 ちなみに、天皇家にはもうひとつ「日月紋」と呼ばれる紋があり、こちらは幕末に使用された「錦の御旗」で有名な紋です。 武将に下賜されることで広まった菊紋 天皇家が使用していた菊紋ですが、戦国時代になると「戦果を挙げた武将への褒賞として下賜される」ということが行われるようになりました。 例えば、将軍となった足利尊氏は当時の後醍醐天皇から菊紋を下賜されています。 また、豊臣秀吉も後陽成天皇から菊紋を下賜されており、大層喜んで調度品などに使用していたと言われています。 当時、天皇は神様と同等ともいえる存在。 その天皇から家紋を下賜されるということは、武将たちにとって何にも代えがたい誉でした。 それだけに、勝手に真似をして菊紋を使用した人物がいる一方で、「恐れ多い」と辞退した人もいたほどです。 菊紋の存在は、それほど大きなものだったのです。 「菊紋」の種類!どんなものがあるのかを解説 菊花紋章 菊紋にはたくさんの種類がありますが、天皇家が使用している家紋は「菊花紋章」と呼ばれるものです。 「菊花紋」と呼ばれることもあります。 1869年より、正式にこの紋が天皇の家紋として使用されることになりました。 ここで注意したいのは、たとえ天皇家の血族であっても「宮家」は別に家紋があり、菊花紋章を使うことはできない、ということです。 この「菊花紋章」は、以下の旗にも使用されています ・天皇旗 ・摂政旗 ・皇太子旗 ・皇后旗、皇太后旗 ・皇太子旗、皇太孫旗 ・皇太子妃旗、皇太子孫妃旗 これを見る限り、次期天皇となる皇太子(東宮)も、菊花紋章を使用することができるようですね。 秋篠宮紋(菊栂) 今上(現在の天皇陛下)の次男であり、現時点で皇位継承権二位の秋篠宮文仁親王が使用している家紋です。 「秋篠宮紋」「菊栂紋」と呼ばれています。 秋篠宮家は、文仁親王が紀子さまと結婚されてからできた宮家です。 この家紋の成り立ちについては解りませんが、「栂」は松科の植物で、成長すると30メートル以上にもなるとか。 どのような由来があるのか、聞いてみたいですね。 十六菊(十六一重表菊) 日本のパスポートの表紙に描かれていることで有名なのが、「十六菊」。 天皇陛下が使用している「菊花紋章」とは少しデザインが異なります。 やはり、日本を象徴する紋として菊紋が採用されているようですね。 菊水 菊の花が、まるで川の流れに身を任せながらゆっくりと流れている様な、そんな美しい家紋が「菊水」です。 この「菊水」は、後醍醐天皇が楠木正成という武将に下賜した家紋です。 「菊水」は、天皇から家紋を下賜された楠木正成が、あまりに恐れ多いからと半分を水にしたことで生まれたと言われています。 当時、政治は鎌倉幕府を中心に行われており、都にいる天皇や武将たちはよく思われていませんでした。 その状況を見た後醍醐天皇は、自分たちが政治を取り仕切りたいと考え、倒幕を考えます。 これに楠木正成も賛同するのですが、計画はバレて後醍醐天皇は島流しになってしまいました。 それでも正成は後醍醐天皇の意思を全うしようと、足利尊氏らと協力してとうとう倒幕を果たします。 ところが、島流しから戻った後醍醐天皇は、天皇や公家たちに有利な政治をしようとしたために、尊氏たちは反発。 もちろん正成も後醍醐天皇に「武士たちのことも考えてほしい」と言いますが、聞いてもらえませんでした。 それでも正成は後醍醐天皇を支える道を選び、800人の軍で20万の尊氏の軍と激突、。 自害でこの世を去ります。 この直前に、正成は息子に菊水の家紋が入った短刀を渡したと言われています。 この「菊水」という家紋は、正成の後醍醐天皇に対する忠誠の証なのです。 南州菊 菊の花を、二つの葉が抱きしめている様な家紋「南洲菊」。 これは、西郷隆盛が明治天皇から下賜された家紋です。 この時代には、すでに菊紋は天皇家の紋とされ他での使用は制限されていましたが、西郷隆盛の働きを認めた明治天皇は、この家紋を西郷に下賜しています。 ですが、あまりに恐れ多いものであるためか、隆盛が亡くなったあとの西郷家では「南洲菊は隆盛のみのもの」とし、もとの「三つ葉菊」という家紋を使用しているそうです。 菊紋を使用した武将・著名人 武将 足利尊氏 室町幕府を開いたことで知られる足利尊氏ですが、後醍醐天皇に菊紋を下賜されています。 豊臣秀吉 豊臣秀吉と言えば「五七の桐」の家紋が非常に有名なのですが、天皇より菊紋も下賜されたと言われています。 秀吉はそれをとても喜び、調度品などに菊紋を入れていたとか。 その他 西郷隆盛 西郷隆盛は、明治天皇より「南洲菊」という家紋を下賜されました。 しかし、この家紋を使用する前には「三つ葉菊」という西郷家に伝わる家紋を使っています。 木戸孝允 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と呼ばれている木戸孝允は「丸に三つ星紋」を使用。 夏目漱石 「吾輩は猫である」「こころ」「ぼっちゃん」などを執筆した文豪・夏目漱石も菊紋を使用していました。 漱石が使用していたのは「菊菱紋」という家紋です。

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古今亭圓菊

菊の門

at 2020-07-15 08:21 at 2020-07-07 09:06 at 2020-06-30 00:11 at 2020-06-22 00:27 at 2020-06-14 15:29 at 2020-06-08 09:40 at 2020-06-02 09:37 at 2020-05-27 00:34 at 2020-05-19 09:56 at 2020-05-12 18:38 at 2020-05-06 09:29 at 2020-04-30 09:48 at 2020-04-24 14:27 at 2020-04-23 09:34 at 2020-04-18 00:25 at 2020-04-12 14:14 at 2020-04-08 11:32 at 2020-04-02 21:43 at 2020-03-27 11:31 at 2020-03-19 11:44 皇室の16弁菊花紋は、後鳥羽上皇が執権北条義時追討の院宣を下した承久の乱(1221年)の時に用いて定着したとされている。 後鳥羽上皇は菊の紋を自らの紋として、紋を入れた刀を出陣する武士に下賜して勝利を鼓舞した。 しかし朝廷軍は幕府軍に敗れ、多くの皇族が配流(はいる)された。 後鳥羽上皇は隠岐に流され1239年に当地で崩御、皇室の権威は大きく低下して鎌倉幕府の武家政治が確立することになる。 菊花紋は後の天皇も採用し定着していったが、菊花紋の起源は後鳥羽上皇より遥かに古い。 菊の紋の名前からすると日本独自の紋に感じるが、メソポタミアで世界最古の都市文明を築いたシュメールの王の紋で、古代オリエントの多くの王家で使用された。 そして「菊の紋」ではなく「太陽の紋」だと考えられる。 神武天皇の東征の途中で兄の五瀬命が戦死した。 神武天皇は 「自分は日神(ひのかみ)の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは天道に逆らっている。 太陽を負い、日神の威光をかりて敵に襲いかかるのがよいだろう。 」と言った。 オリエントの菊花紋の由来も太陽である。 日本の神話には太陽(日)を名前に使っている例は多い。 彦 火明命( 天照御魂神)、饒速 日、天忍 日、 天照大神、天穂 日、天 日鷲、対馬の天 日神、天 日方奇 日方、天 日矛などがあり、名前の最後に「 日子」「 日女」は多くのマレビトに使われている。 後に国名自体も 日本になった。 イスラエルの首都エルサレムに神殿を築いたのは3,000年前のソロモン王だが、神殿は何度も侵略を受けては再建された。 現在残されたヘロデ門に16菊花紋がくっきりと彫られている。 神社とユダヤ教の幕屋の構造は共通性がよく云われている。 アッシリアのアッシュールバニパル2世(BC7世紀)の彫刻には手首のバンドに菊花紋が彫られている。 (大英博物館蔵) アッシリアを滅ぼした新バビロニアの都バビロンの遺跡(メソポタミア、イラク)には、2,600年前にネブカドネザル2世が建設したイシュタル門があり、王族の菊花紋がきれいに描かれている。 復元されたイシュタル門の像、ライオンの下に菊花紋が描かれている。 エジプトにも菊花紋がある。 3,300年前のツタンカーメン王墓から青銅器製菊花紋が出土。 3,000年前のプセンネス1世の墓に納められていた金の皿はきれいなロータス(ハスの花)の形。 ハスは太陽の出ている時間にだけ花が開くので太陽の象徴、創造と再生の象徴。 ロータスの皿 菊の紋は人の往来と共に交易品の中にも紋に関わる商品があったと考えられる。 オリエントから倭国にまで渡来したマレビトがいたのか・・・ 素戔嗚の先祖がオリエント(ペルシャのスーサ)から来たという説もありますがねぇ・・・ 菊花紋は後鳥羽上皇独自の紋でオリエンタルの紋とは偶然の一致という説まである。 現在菊花紋を使用しているのは日本の皇室と一部の神社などである。 菊花紋を基にして変形された菊水などの家紋は今も存在する。 ユダヤ教のシナゴーグ(教会)の祭壇にも菊花紋とダビデの星が飾られている。 伊勢神宮内宮に向かう道路両側に燈篭がたくさん並んでいるが、燈篭の上部には菊花紋、少し下にはカゴメ紋(ダビデの星)が彫られている。 私も20年前に伊勢まで確認に行きました。 神社のお神輿の形はユダヤの「契約の箱」とよく似ている。 神社とユダヤ教の神官の正装もよく似ている。 ***** 9月23日(火)は秋分の日です。 2013年9月12日投稿の「春分と秋分の太陽信仰」をご参照ください。

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お菊井戸

菊の門

概要 [ ] 観賞用のキクはにより伝えられた。 高潔な美しさがに似ているとされ、、、と共にとされた。 上は、『』には詠まれておらず、『』、『』などから登場する。 には、をと呼び、を「の」「菊の節句」とし、を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、を祈った。 菊文様もとして、好んでに用いられた。 には、がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。 その後、・・が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに32弁の八重菊紋である 十六葉八重表菊がの紋として定着した。 にはにより厳しく使用が制限されたとは対照的に、菊花紋の使用は自由とされたため一般庶民にも浸透し、菊花の図案を用いたやなどの飾り金具が作られるなど各地に広まった。 図案 [ ] 菊花紋は古くから、・の、店舗のなどとして豊富な種類が図案化され、変種も多い。 主に、花弁の数、花弁の重なり(一重または八重)、表と裏(蕊(ずい、しべ) があれば「表菊」、萼(がく) があれば「裏菊」)、その他の意匠(輪郭を浮かせた「陰菊」、円形でなく菱形にした「菱菊」、水流をあしらった「菊水」、が考案した「光琳菊」、半円形に割った「割菊」「半菊」、井筒・井桁・文字・菊葉等と組み合わせたものなど)により表記される。 ただし、文献により表現の仕方に違いがある。 とりわけ・関係の紋には、詳しく花弁の数に弁や葉(十六弁( )・十六葉())などの単位がつけられることがある。 例えば、10の花弁があるのなら「十菊」あるいは「十葉菊」、12なら「十二菊」あるいは「十二葉菊」である。 花弁が一重なら「一重菊」、複数重なっていれば「八重菊」「九重菊」となる。 中心に蘂が表現されるなど表を向いているものは「表菊」、萼を表現するなど裏を向いたものは「裏菊」である。 これらを合わせて、16の花弁で裏を向いた八重菊であるのなら「十六八重裏菊」(十六葉八重裏菊)となる。 皇族の家紋(十四葉一重裏菊) 菊紋のうち、八重菊を図案化した菊紋である 十六葉八重表菊は、およびを表す紋章である。 俗に 菊の御紋とも呼ばれる。 などの皇族は、この紋の使用が()のをもって制限され、(15年)の皇室儀制令(大正15年第7号)13条により「十四葉一重裏菊」が皇族の紋章とされた。 この「十四葉一重裏菊」や「十六葉一重裏菊」に独自の図案を加えたもの(家・家など)や、「十六葉八重表菊」を小さな図案に(家・家・家など)。 戦前(明治・大正・昭和初期~第二次世界大戦) [ ] ()、諸藩の宮門警衛に際して、旗・幕・提灯等に菊花紋章を使用するよう布達された。 その後、「十六葉八重表菊」が公式に皇室の紋とされたのは、2年()の太政官布告第802号である。 同布告は、親王家の菊花紋として十六葉の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替えることを定めた。 また、(明治4年)の太政官布告第285号で、皇族以外の菊花紋の使用が禁止され、同第286号で、皇族家紋の雛形として 十四葉一重裏菊が定められた。 その後、(15年)に制定された皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条 、第13条 によって正式に定められている。 (1868年4月20日)の「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年太政官布告第195号)で、・・貢物などに菊紋を描くことを禁止し、2年()の「社寺菊御紋濫用禁止ノ件」(明治2年太政官布告第803号)で、で使用されていた菊紋も、一部の社寺 を除き一切の使用が禁止された。 その後、徐々にの装飾や・提灯には菊紋の使用を許され、(明治12年)の「明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件」(明治12年太政官達第23号)で、一般の社寺でも・の装飾として使用することが許されている。 ただ、社寺以外の団体や個人による菊花紋章の使用は、引き続き厳しく制限された。 菊花紋章の取り締まりに関する主な法令・通達• 菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件(明治元年3月28日太政官布告第195号)• 社寺菊御紋濫用禁止ノ件(明治2年8月25日太政官布告第803号)• 皇族ノ外菊御紋禁止ノ件(明治4年6月17日太政官布告第285号)• 官幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治7年4月2日太政官達)• 国幣社社殿ノ装飾及社頭ノ幕提灯ニ限リ菊御紋ヲ用フルヲ許ス件(明治12年4月2十2日太政官達第20号)• 明治二年八月菊御紋禁止ノ布告前神殿仏堂ニ装飾セシ菊御紋ニ限リ存置ヲ許ス件(明治12年5月22日太政官達第23号)• 菊御紋章ヲ売品ニ画ク者禁止方(明治13年4月5日宮内省達乙第2号)• 菊御紋章取締ニ関スル件(明治33年8月18日訓第823号)• 菊御紋章取締ニ関スル件(明治37年8月9日訓第507号)• 菊御紋章類似品取締ニ関スル件(大正13年9月25日警発甲第96号)• 菊御紋章ニ関スル件(大正14年2月26日警発乙第296号)• 菊御紋章類似図形取締内規(昭和4年11月21日訓第1368号) 上記各法令のうち、「菊御紋並禁裏御用等ノ文字濫用禁止ノ件」(明治元年3月28日太政官布告第195号)と「皇族ノ外菊御紋禁止ノ件」(明治4年6月17日太政官布告)は、法律に匹敵する法令として、取り締まりの法的根拠とされた。 この2つの太政官布告は、いずれも(昭和22年)12月31日限りにおいて失効している。 なお、皇室儀制令についても、「」(昭和22年5月2日皇室令第12号)により廃止されている。 菊は「菊花紋章」から皇室の代名詞とされ、のにも「 (=皇室)は咲く咲く、(=)は枯れる」と歌われている。 においても、幕府や諸藩が明治政府へ環納した小銃に種々様々な紋所や刻印が刻まれていたのを、菊花紋章に改刻して統一したのを端緒に、以降のすべての国産軍用に刻印されていた。 これらの小銃を部外に払い下げる場合には、菊花紋章を削り取る、または丸印等の刻印を重ねて打って潰す措置が行われた。 またの(旗)の旗竿先端(竿頭)や、の の艦首に金色の菊花紋章 が付されていた。 戦後(第二次世界大戦後~昭和後期・平成) [ ] のセント・ジョージ・チャペルに掲げられたの。 右側にはの菊花紋章()が見える。 1947年(昭和22年)に皇室儀制令は廃止されたため、菊花紋章を天皇・皇室の紋章と定め、または日本の国章と定める現行法令はない。 しかし、慣例的に天皇・皇室の紋章として、またはに準じる紋章として、菊花紋章が用いられ続けている。 日本のの玄関には、戦前から引き続き、菊花紋章のが飾られている。 また、日本国発行のの表紙にも「十六一重表菊」をデザイン化したものが使われている。 のには「十一菊」の図案が使用されている。 そのほか、菊花紋はの意匠にも取り入れられるなど、菊はと並び、に準じた扱いを受ける。 日本の国章に準じた扱いを受け、法的にはに準じた扱いを受けるため、それに類似した商標等は登録できない(第4条第1項第1号)。 国際的にも、十六八重表菊は、第6条の3 に基づいて、1967年に同条約の同盟国に通知されており 、これらの国では商標登録をすることができない。 またが司法機関紋章であり使用できない(による規制)ため、業者が権威を表現するために自社の表号として使用する例がある。 のは、かつて絵の背景に菊の花をあしらった模様を頻繁に描いていたが、これが菊花紋章に酷似していることに気付きに問い合わせたところ「 できれば使わないでいただきたい」と言われ、以後は描画を差し控えている、と語っている。 宮家の紋章 [ ]• 他編 『古語辞典』• 「十六弁菊(十六葉一重表菊)はの紋で、三十二弁菊(十六葉八重表菊)は(および現・)の紋である」との説明も見かけるが根拠不明である。 アークシステム編 『自由に使える家紋大図鑑』 グラフィック社、• 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条「天皇太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃ノ紋章ハ十六葉八重表菊形トシ(後略)」• 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第13条「親王親王妃内親王王王妃女王ノ紋章ハ十四葉一重裏菊形トシ(後略)」• は・・など、は・など。 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和22年法律第72号)1条「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和22年12月31日まで、法律と同一の効力を有するものとする。 明治流行歌史。 他にも(4年)に誕生した誕生の際に製作された『伏見小唄』の歌詞で使用。 特に銃は雑な扱いをしようものなら懲罰や私刑が待っている事もあったほど丁寧にされた。 や、など。 やは狭義の軍艦ではないとされたので菊花紋章は付けられなかった。 当初は磨き上げられた製であったが、後に掲章する軍艦が大型化するとそれに伴って菊花紋章もデザイン上の都合から大型になり、重量上の問題が出たことから、木材(が用いられた)の上に金箔を貼って仕上げたものが使われるようになっている。 (出典::刊 :著『軍艦雑記帳 下巻』 p4 - 6、p18)• 粟生こずえ 2015年12月25日. 2016年5月27日閲覧。 皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗(後略)」。 関連項目 [ ]• (ロゼット紋) - 菊花紋章のように放射状に広がる紋章を学術的には「ロゼット紋」という。 ロゼット(rosette)は「バラ状の」という意味であり、バラ(rose)に由来する。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 河野圭司編『』文林堂、1892年• - (2019年1月1日アーカイブ分)(大正15年皇室令第 7号)、中野文庫.

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