サモア ハカ。 ハカとは?ラグビーの試合前に踊るのはなぜ|歌詞の意味と和訳も掲載

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サモア ハカ

php on line 524 サモア独立国って どこにある国か知っていますか? 知れば知るほど面白いサモアの 場所と国民性についてまとめました。 観光地や 旅行として、すごくきれいな海があるサモア 日本との時差など考えなければならない注意点も多々あるんです。 サモア独立国 出展: おすすめ記事: サモア独立国は、オセアニアの島国です。 イギリス連邦の加盟国なのです。 しかし、 西経171度線で、 東側がアメリカ領東サモア、 西側がサモア独立国に分割されています。 さあ問題です! サモア独立国の首都の場所はどこでしょう? サモアは、ウポル島、サバイイ島などの7つの小さい島で成り立っています。 首都は・・・ アピア(ウポル島) そんなサモアは、イギリス連邦の加盟国という事もあり、ラグビーが盛んで、 ラグビーが国技になっているんです。 そんなサモアですが、 観光するとしたらどんなところがおすすめなんでしょうか? 観光地や旅行 Sponsored Link サモア独立国の観光といえば、すごく有名なスポットがあるというわけではないので、やはり海等のリゾート観光がメインになってくると思います。 オセアニア諸島の島国なので、海の透明度は高く、透き通るような海が遠くまで広がっています。 スキューバダイビングやスパなどが好きな方は是非サモアを旅行先に選んで見られたらみたらいかがでしょうか? 日本との時差 そんなサモアの時差は、日本と何時間あるかというと。 日本がサモアの 5時間遅れです。 そう聞くと単純なんですが・・・ サモアって国は本当に面白いんです。 サモアが日本と5時間差になったのは、2011年の4年前なんです!! その標準時を変更したのはいいのですが。。。 日付変更線をまたいでの変更だったんです! どういうことかというと、2011年12月29日に日付変更するのが遅くて、 日本の9時間早かった。 今は5時間遅くなったんです。 つまり、 日付が変わるのが遅い場所にあった国が、 世界でもっとも早く日付が変わる国になったんです! しかも、サモアは面白い点がいっぱいあるんです! 面白い注意点 箇条書きで行きます。 サモアの人は80. 4%は肥満です! 太りやすい体質なポリネシア人が太りやすい体質なんです。 背景には、 サモア独立国では太っている人のほうが評価されてきたんですが、教育の普及が進むにつれて、健康的な体型が分かってきたということもあって、ダイエットブームが始まっているんです! おおーーーー!!!すばらしい!・・・と思うのですが こんな話もあるんです。 かみかけのガムを顔のどこにでも貼り付ける! 理由は、甘さを残っているものを捨てるのがもったいないからなんですって。 だから、食事の前に噛んでいるガムを顔につけておいて、食事終わりにまた、顔からとってまたガムを噛みだすということです。 まとめ 出展: 関連記事: サモアという国は調べれば調べるほど面白いし、行ってみたい国です。 ラグビーが国技なサモア独立国ですが、意外と知られていませんし、かなり魅力的な国だということが、調べてみて分かりました。 5年以内にはサモア独立国にいってみたいです。 スポーツ応援団は日本代表を応援しています! Sponsored Link いつもシェアありがとうございます。 FBなどで イイネやシェアして頂くと、日本スポーツの裏話や最新情報をいち早くお届けできます!.

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『ハカ』の全貌はこうなっている! ハカ/ラグビー初心者応援 そもそも 『ハカ』とはニュージーランドの先住民マオリ族の伝統文化として受け継がれてきた舞いで、 戦いに挑む選手たちが士気を高めるための儀式として、試合前にメンバー全員で行うようになった。 隊列の中心に立って ハカを先導するリーダーはマオリの血を引く選手が務めるのが慣例で、元日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチも、かつてテストマッチでハカをリードしたことがある。 ハカ/ラグビー初心者応援 オールブラックスの中にはタトゥーを入れている選手も多い/ラグビー初心者応援 またマオリ族にとってハカと同じように大切な伝統文化が『タ・モコ』と呼ばれるタトゥーで、自身のアイデンティティを表現する神聖なものとして、マオリ系の選手の多くが様々な場所にタトゥーを入れている。 ハカには力強く体を叩いたり、勇ましく足を踏み鳴らしたり、目をむいて舌を突き出したりと様々な動きがあるが、これらは相手を威嚇するだけでなく、感情や意志を示すものもある。 現代のマオリの生活にもハカは深く根づいており、戦いの前の儀式だけでなく、歓迎や祝福、追悼の意を表す時など、様々な場面で披露される。 学校やクラブが独自のハカを持っているケースも多く、子どもたちがハカを舞ったり、結婚式などのセレモニーでハカが行われることもある。 元ニュージーランド代表のジョナ・ロムー氏の葬儀ではチームメイトたちが追悼の意を込めてハカを踊った/ラグビー初心者応援 オールブラックスのハカは2種類ある ラグビーの試合前にハカを行うようになったのは、マオリ代表チーム『ニュージーランド・ネイティブズ』が1888年から1889年にかけて敢行した長期遠征が起源とされており、国代表であるオールブラックスも、1905年の英国遠征からハカを取り入れた。 その後 長い間、ハカはアウェーゲームの時だけ行っていたが、自国で開催した1987年の第1回ラグビーワールドカップで毎試合行ったことから、それ以降はホーム、アウェーに関わらず毎試合行われるようになった。 オールブラックスのハカといえば、なんといってもカマテ、カマテ…で始まる『カ・マテ/Ka Mate』が有名だ。 一度聞けば耳に残る印象的なその歌詞には、こんな意味がある。 【カ・マテ/Ka Mate】 Ka mate, ka mate! ka ora! ka ora! (私は死ぬ!私は死ぬ!私は生きる!私は生きる!) Ka mate! ka mate! ka ora! ka ora! (私は死ぬ!私は死ぬ!私は生きる!私は生きる!) Tenei te tangata puhuruhuru (見よ、この勇気ある者を) Nana nei i tiki mai whakawhiti te ra (ここにいる毛深い男が再び太陽を輝かせる!) A, upane! ka upane! (一歩はしごを上へ!さらに一歩上へ!) A, upane, ka upane, (そして最後の一歩、そして外へ一歩!) whiti te ra! (太陽の光の中へ!昇れ! ) 『カ・マテ』はマオリのナティ・トア族の首長テ・ラウパラハによって1820年に作られたハカで、ニュージーランド・ネイティブズとオールブラックスが最初に舞った当初から、長く代表チームに引き継がれてきた。 オールブラックスのハカといえば、ほとんどの人はこれを思い浮かべるだろう。 しかし現在、 オールブラックスにはもうひとつのハカ、『カパ・オ・パンゴ/Kapa O Pango』もある。 これは、近年のニュージーランドではマオリだけでなくトンガやサモア、フィジーなど多様な民族や文化的背景を持つ選手が増えたことから 新しく製作されたハカで、2005年8月の南アフリカ戦において初めて披露された。 その歌詞は、ニュージーランドの大地と国の象徴であるシルバーファーン(シダ科の植物)、オールブラックスを讃える内容となっており、 マオリ文化の中で伝統的に受け継がれてきた『カ・マテ』に対し、『カパ・オ・パンゴ』はオールブラックスのために作られたハカといえる。 【カパ・オ・パンゴ/Kapa O Pango】 Kia whakawhenua au i ahau! (この世に生を受けた時に戻してくれ) Hi, aue! (今がその瞬間だ!) Ko Aotearoa, e ngunguru nei! (鳴動する我らの大地よ!) Hi, au! Aue, ha! (今がその時、その瞬間だ) Ko kapa o pango, e ngunguru nei! (情熱が燃え上がる! それがオールブラックスである証だ) Hi, au! Aue, ha! (今がその時、その瞬間だ) I ahaha! (予感が爆発する!) Ka tu te ihi-ihi (力を感じよ) Ka tu te wanawana (圧倒的な力がわき上がる) Ki runga i te rangi, e tu iho nei, tu iho nei, hi! (高みに立つために我々の力を見せつける) Ponga ra! (シルバーファーン!) Kapa o pango! Aue, hi! (我々はオールブラックス!) Ponga ra! (シルバーファーン!) Kapa o pango! Aue, hi! (我々はオールブラックス!) Ha! なお、『カパ・オ・パンゴ』は特別な試合の前に行われるものと思われているが、作者であるマオリ文化研究の権威、デレク・ラーデリー氏によれば、『カ・マテ』と差をつけているわけではないとのこと。 どちらのハカを選ぶかは、選手が会場を訪れた時の雰囲気で決めるそうだ。 NZ以外にもハカを舞うチームがある ハカは英語で『ウォークライ』と呼ばれるが、試合前にウォークライを行うチームは、オールブラックスの他にもある。 たとえばマオリ系の選手だけで編成される代表チーム 『マオリ・オールブラックス』のハカは、『ティマタンガ』。 国代表では南太平洋の国々もウォークライを行い、 トンガが『シピタウ』、サモアが『シヴァタウ』、フィジーが『ジンビ』と呼ばれる舞いを踊る。 ちなみに日本代表も、1967年に行われたニュージーランド学生代表(NZU)戦の前に、「エイエイオー!」と叫び舞ったことがあるそうだ。 ウォークライを行うチーム同士が対戦する際は、どちらかが先に舞い、続いてもう一方と順番に舞うのが原則。 またウォークライを行う際、相手チームは自分たちの陣地で向き合うのがルールだが、時には肩を組みながらハーフウェーラインを越えてにじり寄ったり、顔を突き合わせんばかりの距離でにらみ合ったりすることもある。 ハカの時、相手チームは自分たちの陣地で向き合うのがルール/ラグビー初心者応援 試合前にウォークライを行うチームは少数派であり、国際ラグビー界では「一部のチームだけに特例を認めるのは不公平」という不満の声も、長年にわたりくすぶってきた。 また近年は、かつてオールブラックスで活躍したOBが自らの著書で 「すべての試合でハカをやるのは多すぎる。 いまやただのショータイムになってしまった」と批判したことも話題となった。 一方で観戦者にとっては、ハカを見ることが大きな魅力のひとつであるのは揺るぎない事実。 今回のラグビーワールドカップ日本大会でも、『生ハカ』を楽しみにしている人はきっと多いはずだ。 数々の名場面を生み出し、時には物議を醸しながらも、多くのラグビーファンを魅了してきた『ハカ(ウォークライ)』。 力強い雄叫びがスタジアムに鳴り響く独特の雰囲気を、ぜひ体感してほしい。 文:直江光信 1975年熊本市生まれ。 県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。 熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。 現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。 著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)• 写真:アフロ.

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マオリ族とは?ハカやタトゥー、挨拶等の文化、歴史など解説

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マオリ族の基礎的な情報 マオリ族はどこに住んでいるのか? マオリ族は ニュージーランドの先住民グループの一つであり、その総人口はおよそ79万人 ニュージーランドで60万人、その他国外にもいます です。 純粋なマオリ族はほとんど存在しておらず、イギリス系などの白人との混血である人物やその子孫たちが大半となっています。 マオリ族を定義するための法律は幾度かの修正がありましたが、マオリ族の文化を継承しつつマオリ族の血筋にあたる人たちが、現在のマオリ族です。 ニュージーランドにおけるマオリ族の人口比率はおよそ15%となり、少数民族と言える立場にあります。 マオリ族はニュージーランド以外にも隣国であるオーストラリアや、かつての宗主国であるイギリス ニュージーランドはかつてイギリスの植民地でした や移民の多いアメリカなどにも暮らして、それぞれの国や地域にコミュニティーを築いているのです。 マオリ族の民族的な由来 マオリ族は 「ポリネシア人」に属しています。 ポリネシア人とはハワイなどを含めて、「太平洋の島国の民族」というような属性をもった人々のことです。 ポリネシア人グループは高度な航海技術を持ち、古代から赤道を南にも北にも越える移動能力を発揮していました。 マオリ族もそんなポリネシア人であり、祖先はクック諸島やタヒチ人であると考えられています。 マオリ族の体形はポリネシア人に特有の骨太で頑丈な体をして、ポリネシア人が共通してもつ文化や神話などを継承しているのです。 彼らがニュージーランドに渡ってきたのは約1100年前のことで、9世紀~10世紀頃になります。 また伝統的には男性は腰回りに布を巻き、女性は胴体に布を巻いていましたが、現在では祭りやイベントなどの特別な機会を除いては「一般的な洋服を着て過ごすことが日常の服装」です。 マオリ族の言葉であるマオリ語 マオリ族が伝統的に使っているのは マオリ語になります。 マオリ語は 「東ポリネシア諸語」に属する言葉であり、このグループにはハワイやタヒチ語、トンガ語やサモア語があり、これらには共通した言葉や似たものが多くあるのです。 それらは古来からの交流の結果であり、マオリ語はとくにタヒチの先住民の言葉とかなり近いものがあり、マオリ族がタヒチから来た集団であると考えさせる根拠の一つなっています。 どれぐらい似ているかということは、 18世紀にニュージーランドを訪れたジェームズ・クック船長の「タヒチ人の部下が、マオリ族と会話が成立した」という逸話が分かりやすく現しているかもしません。 マオリ語には伝統的に文字がありませんでしたが、イギリスなどとの接触や学術的な援助の結果の果てに、文字でマオリ語の言葉を記述できるようになっているのです。 マオリ語の話者は149,000人ほどとされていますが、その中で 流ちょうなマオリ語を話せるのは約5万人に過ぎないと考えられています。 ニュージーランドに住む現在のマオリ族は英語などが日常で使う言葉なのです。 マオリ語は20世紀中ごろまでは衰退が著しい言葉でしたが、近年はマオリ族の文化への再評価が高まり、大学などで教育される機会も増えており、減少には歯止めがかかっています。 現在のニュージーランドではマオリ語の人気がかつてよりも高くなっているのです。 マオリ族の歴史 マオリ族の神話的な歴史 ポリネシア人たちの共通の理想郷である「ハワイキ」から、クペと呼ばれる船乗りがアオテアロア ニュージーランド にたどり着き、そしてハワイキに戻りその土地があることを皆に教えたとされます。 クペからアオテアロアのことを聞いた マオリ族の祖先たちは、七つのカヌーに乘ってニュージーランドに渡ってきたのです。 ハワイキはあくまでも神話上の理想郷なのですが、1987年にはタヒチとニュージーランドのあいだを伝統的なカヌーを使って冒険家が移動することを達成しています。 かつてのマオリ族には遠洋航海を行える航海技術があったのです。 マオリ族の歴史:中世から近代まで 9~10世紀のころに、おそらくタヒチ周辺からニュージーランドに移住したマオリ族たちは暮らし方を変えることになります。 熱帯であるタヒチなどに比べて、ニュージーランドは温帯気候だからです。 狩猟と採集だけでは食料を確保することは困難であったため、マオリ族は農業も行うようになります。 そして海主体であった暮らしから、徐々に陸地での暮らしにも比重を増やしてもいったのです。 高度な遠洋航海技術は失われていき、ニュージーランドに住みつくことになります。 マオリ族は人口が増えていくと、 「イウイ」と呼ばれる小規模の集団に分かれていき、丘などの防衛しやすい場所に村を作りました。 そして村を木の柵で守るようになり、この 要塞化した村のことを 「パ」と言います。 マオリ族はイウイ同士で戦争をしたり、マウイ族以外のニュージーランド先住民族とも争いを繰り広げていったのです。 マオリ族の近代史 18世紀に入るとマオリ族は西欧文明と接触するようになります。 植民地を求める西欧列強諸国や、クック船長たちのように商業用航路を開発すための船乗りや冒険家たち、あるいはキリスト教を布教しようとする宣教師の集団もマオリ族と接触し始めたのです。 この当時、マオリ族が西欧諸国の勢力から積極的に得ていたものが マスケット銃になります。 18世紀から19世紀にかけて、マオリ族はこのマスケット銃の威力をつかい他民族を殺戮したり、主要なマオリ族同士の戦闘に用いたのです。 しかし西洋列強の干渉は強まり続けていきました。 1840年、フランスの干渉に警戒を強めていたマオリ族たちはイギリスの保護下に入る選択を行います。 「ワイタンギ条約」と呼ばれるものであり、 この条約によりマオリ族とニュージーランドはイギリスに組み込まれることになったのです。 ですがワイタンギ条約において、マオリ族とイギリス側の解釈が異なっています。 マオリ族は自分たちの主権や土地がイギリスに奪われるとは理解していませんでしたが、 イギリス側の理解によれば植民地化政策そのものでしかなかったのです。 「保護してもらうだけで主権はある」と考えるマオリ族と、「植民地にして支配しよう」というイギリス側の解釈の違いは、現在においても抗議デモを起こす対立の火種になっています。 イギリス側はマオリ族の抗議を受けて、条約を幾度か「改善」しました。 しかし、いずれにおいてもイギリス側の有利に働くものであったため、マオリ族は反発してイギリスと戦争を起こしたのです。 もちろんマオリ族の勝利は訪れませんでした。 マオリ族の20世紀から現在 イギリスとの戦争に敗れたマオリ族は衰退すると考えられてもいました。 しかし現実はそうではなく、イギリス系の白人などと 積極的に同化政策が行われたことや、白人もマオリ族の学校に通っていたりすることも珍しくはなかったりと 融和が進みます。 マオリ族は西洋化されていき、ニュージーランドは白人とマオリ族が共存する土地となっていくのです。 また第一次世界大戦や第二次世界大戦において、マオリ族の兵士たちが大いに活躍したこともあり、社会的な地位は高まり、さらに第二次世界大戦後の先住民族保護の流れもマオリ族には追い風となります。 マオリ族たちは国家への軍事的な貢献や融和的な態度の結果、ニュージーランドでそれなりの地位を確保することには成功したのです。 マオリ族は世界の先住民族たちの中でも、「最も成功した民族」とも評価されています。 現在はニュージーランドで人気のスポーツであるラグビーの強豪チーム「オールブラックス」の活躍や、マオリ文化の観光資源化が進んだことにより、マオリ族の知名度は世界的にも高くなっています。 とはいえニュージーランドにおけるマオリ族の 社会的な地位はやや低いものです。 就学率は低く、自殺率は高めであり、高給が稼げる専門職や安定した公務員などに就職する率も白人に比べてかなり低くなっています。 貧困層のマオリ族も少なくないため、ニュージーランドにおける人口の割合に比べれば、刑務所にいるマオリ族の比率は高くなっているのです。 基本的に貧困がマオリ族の犯罪を招く原因となっていますが、マオリ族は戦闘的な遺伝子を持っているという発言をニュージーランドの議員がして問題となったりもしています。 マオリ族も貧困に苦しむことになるという、世界各地の少数民族に多く見られる傾向に囚われてもいるのです。 マオリ族には王様がいる じつは マオリ族には1858年から2020年の現在までで7代の王様がいます。 1850年代はイギリスと結んだワイタンギ条約に対する不満が募っていた時代であり、マオリ族は当時のイギリスの国家元首であるヴィクトリア女王に政治的に対抗することを目指したのです。 マオリ族の中からも、それまではいなかった「王」を選出してヴィクトリア女王とマオリ王によるニュージーランドの「共同統治」を目指そうとします。 1857年に諸部族の長たちが集まった会議で、二つの部族の長の血を引く指導者であったポタタウ・テ・フェロフェロが王に選ばれ、翌年の1858年から死亡する1860年まで王を務めました。 ポタタウの死後の2年後には、上記したとおりマオリ族とイギリスは戦争状態に突入することになるのです。 なおマオリ王の地位はテ・フェロフェロ家に引き継がれて、今もって代々の王が選出されています。 マオリ王には法的な権限はありませんが、マオリ族の中では大きな権威として存在しているのです。 初代王のポタタウはイギリスに対抗するために選ばれはしましたが、じつは自分の娘は白人の商人に嫁がせているなど、寛容な考えの人物でもあります。 衝突しながらも共存を模索していった結果として、ニュージーランドは白人や西欧文化とマオリ族などの先住民族が融和する、世界的にもユニークな土地となったのです。 ハカを披露するオールブラックス マオリ族のダンス「ハカ」 マオリ族には ハカと呼ばれる有名なダンスがあります。 オールブラックスの試合において開始前のセレモニーとしてハカは披露されるものです。 オールブラックスのハカは 「戦いの前に行い勇気を高める」という意味合いと、 「対戦相手への敬意の表明」という意味もあります。 またハカはマオリ族のそれぞれの部族によっても違いがあり、戦闘や試合だけでなく結婚式や宴会などのイベントで披露される伝統的なダンスなのです。 オールブラックスのハカは「死ぬ!死ぬ!生きる!生きる!」という歌詞から始まるもので、迫力のある戦闘的な歌でもあります。 オールブラックスが用いているハカである 「カマテ」の起源は、 1810年に敵に追い詰められていたある部族の長が救助された喜びと謝意を現すために踊ったものなのです。 ハカがオールブラックスにより初演されたのは1905年のイギリス遠征時になり、それ以後、ニュージーランドのラグビー代表チーム オールブラックス の伝統となっています。 ハカのようなウォークライ 戦いを鼓舞する叫びや歌や踊りのこと は、マオリ族以外のポリネシア人民族にも多く伝わり、 トンガの「シピタウ」や サモアの「シヴァタウ」、 フィジーの「シビ」などがあるのです。 それらの地域のチームとのラグビーの試合では、ハカ合戦のようなウォークライの送り合いが試合前のセレモニーで行われています。 ラグビーとハカの歴史は100年をはるかに超えるものであり、ニュージーランドだけでなくポリネシア全域にまたがるような広大な文化を現すものであるため、大きなリスペクトを集めているのです。 マオリ族のタトゥー 刺青/入れ墨 顔にタトゥーを入れたマオリ族の男性(出典:Ancient Origins) マオリ族には 伝統的なタトゥー 刺青/入れ墨 文化があります。 腕や手足や胴体のみならず、顔にもタトゥーを入れることがあるのです。 マオリ族のタトゥーには所属している部族や立場や地位や性別、その人がどんな人生を送ったかなどを反映してデザインが選ばれていきます。 そのため 同じタトゥーを入れたマオリ族はいないわけです。 顔にタトゥーを入れたマオリ族は、かつては「美術的な商品」としても取引された時代があります。 タトゥーを顔に入れたマオリ族の頭部は、美術的なコレクターアイテムとして高値で取引されたのです。 貿易商と組んだマオリ族の一部の人が、自分たち以外のマオリ族を襲撃してその頭部を持ち帰り販売していました。 マオリ族のタトゥーが入った頭部は、アメリカのスミソニアン博物館などにも複数個保有されているのです。 現在では頭部が売り買いされることはありませんが、タトゥーのデザインそのものの評価はいまだに高いものであり、真似して入れる外国人もいれば、彫刻などに刻まれて商品化されています。 マオリ族のあいさつ「ホンギ」 ホンギというマオリ族の挨拶(出典:newzealand. com) マオリ族はあいさつするときに、 「ホンギ」と呼ばれる行動をします。 これは お互いの鼻と鼻をくっつけて、お互いの息を交換するという作法です。 本来の意味は生命の証でもある「息」を交換し合うことにより、よそ者という立場からマオリ族のグループや地位に所属するという意味になります。 そうすることでマオリ族から保護される半面で、同胞や仲間としての義務を負うことにもなったのです。 ポリネシアの文化には同じようなあいさつがあり、ハワイなどにも鼻と鼻を当てるあいさつがあります。 なお「ホンギ」は現在では一般的なあいさつとして「握手」や「ハグ」などと同じように使用されているであり、実際に握手とホンギが連続して行われたりしているのです。 マオリ族の伝統料理「ハンギ」 ポウナムと呼ばれるお守り マオリ族は翡翠(ひすい)のお守りを大切に受け継いでいます。 高価な装身具であるという以前に、翡翠にはマオリ族の「マナ」が宿るとされているからです。 マナとは生命力や正しさといったような力になります。 マオリ族の価値観では、マナは生まれたとき最高の状態として個人に備わっているのです。 これは悪事などを行うことで減少していき、善良な行いを他人に与えることで大きくすることができるものとされています。 マナは霊的な力であると同時に、一種の徳の高さを現すものであり、翡翠には先祖たちの偉大なマナがため込まれているのです。 家長は翡翠「ポウナム」のアクセサリーを身に着けることが許され、そうすることで一族に伝来するマナの加護を受けることができるとされています。 マオリ族の宗教 マオリ族の宗教はキリスト教が40%ほどで、それに次いで無神論者も同じぐらいいます。 他にはそれ以外のイスラム教などが少数ずつ含まれているのです。 基本的にマオリ族の宗教観はそれほど強固なものではなく、マナなどの伝統的な考え方も宗教的な神聖さそのものよりも、地位や立場やモラル形成などの重要さを示すものでもあります。 伝統的なマオリ族の考えには、そもそも尊さなどは生まれ持ったものであり、身分の高いものは偉くて、そうでない者はマナなどの霊的な権威を大して所有していません。 マナは自然界の全てにあるものですが、尊いものもあれば卑しいものもあるというように、どこか権威主義的な価値観でもあるのです。 たとえば神秘的な大木はマナが多くあり、普通の木は知れている量になります。 またマオリ族に伝わるポリネシア系の神話も、人格をもったユーモラスな神々も多くいて、全知全能な存在という一神教ほどの偉大さもないものです。 そのため日本人のように伝統的な宗教観は文化や生活に反映されてはいるものの、それほど重視したり熱心に拝んだりするようなものでもありません。 宗教よりも伝統や帰属している集団や一族へのプライド、つまり偉大な先祖を称えて力を得るという権威主義的な側面を強くもった宗教観です。 あまり強く拘束されることがないため、若い人は伝統宗教もキリスト教も捨てて無神論者の数が増えています。 まとめ• マオリ族はポリネシア系のニュージーランド先住民族• マオリ族は全世界で79万人、ニュージーランドに60万人いる• マオリ族の言語はマオリ語でタヒチ語に似ている• マオリ族は1000~1100年前にニュージーランドに移住した民族• マオリ族のハカには多くの種類があり、それぞれに意味がある• マオリ族には王様がいる• マオリ族のホンギは鼻と鼻を合わせるあいさつ• マオリ族の伝統的な蒸し焼き料理にハンギがある• 現在のマオリ族にはキリスト教と無神論者が多い• 現在のマオリ族は評価されつつも貧困率や犯罪率は高め• マオリ族は翡翠に先祖のマナという力が伝わると信じている• マオリ族のタトゥーには美術的な価値があり、かつて頭部が売買されたこともある マオリ族は文化を高く評価されて成功した先住民族ですが、それでもマイノリティー特有の問題を抱えてもいます。 歴史的に見れば長大な航海技術をもった海洋民から、農耕を行う定住型の民族に文化が変わったり、太平洋に広がるポリネシア文化の担い手の一つでもあるなど興味深い民族です。 なおマオリ族などのポリネシア人の遺伝子は日本人や台湾人などにも一部が引き継がれているのではないかとも考えられています。 縄文人として日本人を構成したグループには南の海から来たポリネシア人も含まれているようです。 もしかすると日本人にもマオリ族と共通の先祖がいたのかもしれません。

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