エレノア パウエル。 エリノア・パーカー

タップ・ダンスとは

エレノア パウエル

ダンサー、女優。 (1912. 21~1982. 11 米マサチューセッツ州生) わかりやすく言うと、「女アステア」みたいな人。 踊れるばかりか、美人でスタイル抜群。 デビューはブロードウエイだが、後にハリウッドに招かれた。 エレノアの魅力 エレノアの魅力は、美形の容姿で、笑顔で繰り出すド迫力級のステップである。 「ロザリー」のダンスなどは、ほとんどアクロバットの領域であり、ほかの有名ミュージカル女優で、エレノアほど踊れる人は、ちょっと思いつかない。 エレノアは、多分、非常に身体能力が高い人なのだと思われる。 しかも、どんなパワフル系のダンスを踊っても、あくまでも「淑女」である。 タキシードにシルクハットで踊られると、もうたまらんのである。 (筆者は女ですが、それでもたまらん!) これほどの技術と容姿を持っていたにしては、エレノアがミュージカル映画で活躍した時期は短い。 1935年くらいから、1945年くらいが、彼女の全盛期である。 1944年に結婚していることが、それに関係しているとすれば、ファンは亭主に文句を言いたいところだ。 フレッド・アステアとエレノア アステアとの共演は、の一作のみ。 「踊るニューヨーク」では、設定上「二流ダンサー(アステア)が、人気ダンサー(エレノア)に憧れる」という組み合わせになっている。 役の上とはいえ、アステアが、「憧れの踊り手!」と言ってファンが納得できる女性ダンサーは、実際にエレノアくらいであろう。 エレノアのタップの正確さには、アステアも一目置いており、女相手に勝負に出るアステアなど、エレノアとの「ビギン・ザ・ビギン」以外では、お目にかかれないシロモノだ。 アステアは、ダンサー人生で、「本気出して踊れる女性パートナー」はほんの僅かだったといわれる。 しかし、エレノアをはじめ、「ほんの僅か」であれ、数人は存在したのである。 では、エレノアはどうだろうか? エレノアが本気で踊れる男性のダンサーは、フレッド以外に、はたして存在したのだろうか。 エレノア・パウエルの代表作 「ロザリー」Rosalie 「踊るアメリカ艦隊」Born to Dance.

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タップ・ダンスとは

エレノア パウエル

来歴・人物 [編集 ] エレノア・パウエルは、1912年11月21日、に生まれた。 子供のときからダンスが得意だったパウエルは、11歳の時にの興行主に発見されたのがきっかけで演劇界に入る。 17歳になる頃にはすでにで数々のやに出演、長身を生かした、優雅で、しかも運動的なダンスのスタイルを完成していった。 特にマシンガンのように繰り出すタップダンスのフットワークは一躍有名になり、「世界で最も偉大なタップダンサー」と呼ばれた。 1935年にに活動の拠点を移したパウエルはと契約、『踊るブロードウェイ Broadway Melody of 1936 』で初の主役を演じた。 パウエルのどこまでもダイナミックなステップと、いつまでも涸れることのないスタミナに、の余波が未だ収まらぬアメリカの庶民は勇気づけられ、この映画を見るために何度も映画館に足を運ぶ者も多かったという。 映画は記録的な大ヒットとなり、これ一本で当時悪化していたMGMの経営が一挙に立ち直るまでに至った。 なかでもと共演した『 Broadway Melody of 1940 』は当代きってのダンサーの競演作となり、二人が見せる洗練されたダンスのスタイルは古き良きハリウッドを代表する「」として、アメリカでは今日でもカルチャーアイコン的存在の映画となっている。 しかしこの頃がパウエルの絶頂期だった。 とともに時代は変化していた。 目に鮮やかなレビュー形式のミュージカルだけでは価値観が多様化した観客を満足させるには不十分になっていたのである。 『Ship Ahoy』 1942、日本劇場未公開 ではタップでを打って秘密諜報員にメッセージを伝えるという時代を反映した役どころもこなしたが、1940年代に出演した映画はおおむね準主役か脇役で、主役の座は次第に唄えて演技ができる女優に代わられていった。 1943年に俳優のと結婚、翌年には一人息子のピーター(ロックシンガーで俳優のピーター・フォード)が生まれる。 『ニューヨークの饗宴 Sensations of 1945 』 1944 が興行的な失敗に終わると、これを機にパウエルは映画界を事実上引退して育児に専念するようになる。 MGMに乞われて1950年に『アイダホの公爵夫人』に本人役で、ほんの数分間の登場だったが、足にできた豆から血が出るほど入念にリハーサルを重ね、今や伝説的となったダンスを披露した。 これがカラーで撮影されたパウエル初の作品であり、そしてパウエルの銀幕での見納めともなった。 その後パウエルはユニティ教会 から宣教師に任命され、1953年から55年まで、日曜朝の系番組『The Faith of Our Children』の司会者をつとめた。 番組では息子ピーターがレギュラー出演、またパウエル自身はを受賞、充実したものとなった。 1959年にグレン・フォードと離婚すると、息子の勧めもあって、パウエルはでのライブパフォーマンスという新しい領域での活動を始める。 この頃『』にも幾度か出演している。 1960年代後半にはライブパフォーマンスからも引退して公の場からは姿を消したが、『』 1974 とその続編『ザッツ・エンターテインメント PART 2』 1976 でパウエルの華麗なダンスが重ねて取り上げられたことから、思わぬカムバックを果たす。 その後も往年の大スタアとしての輝きは失せず、『ザッツ・エンターテインメント PART 3』 1994 でも取り上げられている。 1982年2月11日、のためハリウッドで死去。 69歳だった。 主な出演作品 [編集 ] 舞台 [編集 ]• (ブロードウェイ)The Optimists 1928• (ブロードウェイ)Follow Thru 1929• (ブロードウェイ)Hot-Cha! 1932• (日本劇場未公開)Queen High 1930• 『踊るブロードウェイ』Broadway Melody of 1936 1935• 『踊るアメリカ艦隊』Born to Dance 1936• 『踊る不夜城』Broadway Melody of 1938 1937• 『ロザリー』Rosalie 1937• 『踊るホノルル』Honolulu 1939• 『』Broadway Melody of 1940 1940• (日本劇場未公開)Lady Be Good 1941• (日本劇場未公開)Ship Ahoy 1942• (日本劇場未公開)Thousands Cheer 1943• (日本劇場未公開)I Dood It 1943• 『ニューヨークの饗宴』Sensations of 1945 1944• (日本劇場未公開)The Great Morgan 1946• 『アイダホの公爵夫人』Duchess of Idaho 1950 テレビ [編集 ]• パウエルの華麗なステップを動画で見ることができる。 - (英語).

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ハリウッド黄金期のおすすめタップダンス・ベスト3|『ララランド』ファン必見

エレノア パウエル

1929年に公開されてトーキー映画初のアカデミー作品賞を受賞した「 ブロードウェイ・メロディ」に続けと1935年に製作されて翌年公開されたミュージカル映画。 この後、1937年製作の第三弾、1940年製作の第四弾に続いていく。 監督は ロイ・デル・ルース。 主演は映画初主演 エレノア・パウエルとMGMの若きスターだった ロバート・テイラー。 共演は ジャック・ベティ、ユナ・マーケルら。 あらすじ プロデューサーのゴードンはスポンサーになったリリアンに、二週間以内に主演女優が見つからなければリリアンを主演に起用すると約束してしまう。 そこへ高校卒業以来GFのアイリーンがスターを夢見て現れる。 ゴードンは彼女のような女性がブロードウェイにいるべきではないと、故郷に帰らせる。 だがアレットという渡米した人気フランス人歌手が新聞記者キーラーがゴードンを担ぐためのでっち上げと知った秘書キティは、アイリーンをアレットに扮装させて主演にしようと考えた。 ゴードンはアレットに会ってもそれがアイリーンと気付かず、偽のアレットが見事主演に抜擢された。 ところが本物のフランス人歌手アレットが新聞社に抗議を入れてきた。 キーラーは偽のアレットであるアイリーンにその手紙を見せ諦めさせようとするが、アイリーンはキーラーまでも仲間に引き入れる。 明日を舞台初日に控え、ゴードンはアレットのお披露目パーティーを開く。 ところがアレットが突然帰国したと新聞記事で知る。 彼が呆然としているところにアイリーンが宿敵キーラーと一緒に現れる。 そして前夜祭のショーが始まると、アレットが踊るところでアイリーンが出て来てダンスを披露する。 それがアレットそのものだったので、ゴードンもやっと気が付く。 これで明日からの「ブロードウェイ・リズム」の舞台もアイリーン主演で安心だ。 キーラーは新聞社に記事の差し替えを依頼する。 例えば ジャック・ベニーとともに「いびき男」 ロバート・ワイルドバックのネタ を何度も登場させたが、その甲斐あってラスト・シーンはしつこすぎて笑ってしまった。 また ロバート・テイラーがジャック・ベニー、 シド・シルヴァースを何度も殴りに行くシーンも楽しい。 何回も繰り返すうちに面白くなる好例だ。 ブロードウェイの現役スターである エレノア・パウエルのマシンガン・タップに驚いた人も数知れず、この作品は人々の思い出の映画となった。 おかげで「ブロードウェイ・メロディ」第一弾は忘れ去られた。 シリーズ第一弾の評判は今日あまり芳しくない。 誕生まもなかったトーキー映画の可能性を見せたとは言え、ブロードウェイの第一線で歌い踊っていた歌手やダンサーが出たわけでないからだ。 1930年代のミュージカル映画は、RKOがフレッド&ジンジャー・シリーズを展開し、また振付師バスビー・バークレーは大胆なカメラ・アングルで大衆の度肝を抜き大いに沸かせた。 それに対してMGMは1935年にブロードウェイからエレノア・パウエルをハリウッドに招聘し「ブロードウェイ・メロディ」シリーズの第二弾以降を製作し大成功する。 この映画はクレジット順が ジャック・ベニーがトップ左に立っているが、年功序列だから仕方がない。 実質的にブロードウェイからハリウッドに移ったばかりの エレノア・パウエルが女性タップダンサーとして一番目立っている。 次が二枚目の ロバート・テイラーと、気の利く秘書役 ユマ・マーケル。 コメディ・リリーフのジャック・ベニー、シド・シルヴァースのコンビは四番手ぐらい。 ただし エレノア・パウエルは女性ダンサーで敵がなかったが、男性タップダンサーと組まなかったので、デュオダンスが見られなかった点で非常に物足りない。 女性がリードするデュオダンスを作ってくれたら、ダンスもさらに広まっただろう。 それから将来のことを考えて、フレッド・アステアのように歌を磨くべきだった。 この作品でエレノアの歌声は マージョリー・レインの吹替だ。 ロバート・テイラーはジューン・ナイトとデュエットしているが、歌は下手だった。 ロイ・デル・ルース監督はワーナー所属だったため、撮影期間が伸びてしまいルース監督が契約切れになった後はベテランの W. ヴァン・ダイク監督 「影なき男」 がリテイクを演出している。 スタッフ 監督 ロイ・デル・ルース、W. 1,803• 775• 689• 121• 311• 214• 103• 121• 275• 129• 212• 47 Category• 1,803• 775• 689• 121• 311• 214• 103• 121• 275• 129• 212•

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