ヘイ スタック カルホーン。 第5回ワールドリーグ戦の解説

【スリーパーズ】実話かフィクションか?

ヘイ スタック カルホーン

来歴 [編集 ] 少年時代から地元の農場で働いていたが、その巨体をに見込まれてにプロレス入り。 を着用し、家畜のを鎖で首にぶら下げた農夫の超巨漢として売り出され、12月13日にはにてのに挑戦。 初頭はでの体重300kgのハッピー・ハンフリーとの巨漢対決 で勝利を収めて注目を浴びた。 10月にはのにて、エイブ・ジェイコブズ(アベ・ヤコブ)と組んでWWAインターナショナルTVタッグ王座を獲得している。 3月、の『第5回』に初来日。 から都心のホテルまで小型トラックの荷台で運ばれるなどの演出で話題を呼び 、4月17日にはでのに挑戦。 若手時代のやを相手にした5人掛けの変則試合なども行われた。 6月にもジョナサンとのコンビでジ・アサシンズを破り、再び同王座を獲得した。 この間、1966年12月には地元のアーカンソーをサーキット・エリアとするミッドサウスのトライステート地区にて、と組んでNWA USタッグ王座にも戴冠。 1968年8月にはマンマウンテン・カノンとの巨漢コンビで日本プロレスに再来日している。 に入るとニューヨークのに定着。 やともタッグを組み、6月6日にはのにも挑戦した。 6月、WWWFとの提携ルートでの『サマー・ファイト・シリーズ』に参戦。 10年ぶりの来日を果たしたが、日本プロレス参戦時と比べ体重は大幅に落ちていた。 なお、このシリーズには後にWWWFでメイビアのを務めるも来日しており、本国ではベビーフェイスのカルホーンも仇敵ブラッシーをマネージャー役にしてを演じた。 翌6月には新日本のブッキングでと共にに特別参加している。 その後、健康状態が悪化して初頭に引退。 にのため左足を失い、に死去。 55歳没。 晩年の体重は150kgほどまで減少していた。 3月31日、WWWFでの実績を称え、のレガシー部門に迎えられた。 エピソード [編集 ]• 初来日時は当時としては桁外れの体のサイズゆえ大きな話題を集め、子供向けの印刷媒体には「朝食には茹でたジャガイモをバケツ1杯、ベーコン900グラム、卵10個を食べ、ミルク半ガロン(約2リットル)を飲む」などと紹介された。 プロレスラーになったきっかけも、巨体を武器にして手っ取り早く大金を稼ぎ、その食欲を満たすためだったなどとされている。 のが彼の食いっぷりを確かめるべくレストランに誘ったところ、800グラムのステーキを3枚、エビフライを4人前、フルーツを4皿たいらげたという。 公開の映画 "" (監督:、脚本:、主演:)に本人役で出演している。 得意技 [編集 ]• 獲得タイトル [編集 ]• 『日本プロレス事件史 ハンディ版 強豪外国人、襲来! 』P156(2016年、、ISBN 4583109253)• Wrestlingdata. com. 2017年5月18日閲覧。 Online World of Wrestling. 2010年6月7日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2010年6月7日閲覧。 Puroresu. com. 2016年5月16日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2016年5月16日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2010年6月7日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2010年6月7日閲覧。 Puroresu. com. 2016年5月16日閲覧。 WWE. com. 2010年6月7日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2010年6月7日閲覧。 Puroresu. com. 2016年5月16日閲覧。 Puroresu. com. 2016年5月16日閲覧。 Find a Grave. 2010年6月7日閲覧。 Wrestling Museum. 2010年6月7日閲覧。 WWE. com. 2017年4月1日閲覧。 『』昭和38年14号「プロレス悪役物語 ヘイスタック=カルホーン」(文:)(1963年、)• 『THE WRESTLER BEST 100』P166-167(1981年、日本スポーツ出版社) 外部リンク [編集 ]•

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ヘイスタック・カルホーンとは

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また馬場は翌日の試合で、やはりコワルスキーと3本勝負で激突し、45分間ノーフォールで引き分けました。 両者は4月17日の那覇大会で力道山の保持するインターナショナルヘビー級王座を賭けて激突しますが、これらを含めて4回のシングルマッチを行っています。 那覇でのタイトルマッチはテレビでは放映されませんでしたが、フィルムには収録されて映画で放映されました。 力道山の保持するJWA認定オールアジアヘビー級 王座は賭けられていない。 3月24日の蔵前大会2日目から元NWA世界王者のオコーナーの公式戦が始まりました。 この日は大木金太郎に快勝しています。 オコーナーのこのシリーズにおけるシングルマッチを列挙してみましょう。 4月23日には若き日のアントニオ猪木がセミファイナルでの相手に抜擢されています。 力道山にこそ敗れましたが、豊登に1勝1分、吉村、ゴリラ鈴木、グレート東郷、ボブ・エリス、フレッド・アトキンス、サンダー・ザボーに1勝、馬場、大木、猪木に2勝、遠藤に3勝というすばらしい戦績を残しています。 マレラはのちにゴリラ・モンスーンとして日本マットで外人組のエース格で活躍しますが、この初来日でも強豪相手にシングルマッチでそこそこの戦績を残しています。 その後の公式戦では誰をも寄せ付けず、11連勝の快進撃。 5月14日の前橋大会では1敗しかしていないカルホーンと決勝戦進出を賭けて戦い、みごと力道山に挑戦する資格を得ました。 実力はピカイチ。 力道山には3敗1分、コワルスキーと豊登には1敗、アトキンスとは1分ですが、馬場には2勝1敗、遠藤と猪木と鈴木には2勝、吉村と大木とマレラとエリスとザボーとタウンゼント(キラー・X)にはそれぞれ1勝しています。 そして4月20日の北九州・小倉大会の長沢秀幸戦で復帰。 翌21日の広島大会ではゴリラ鈴木を一蹴。 22日の姫路大会からメインエベントに登場します。 5月3日には青森から全国にテレビ生中継が行われ、台風の目であったキラー・Xと力道山がノンタイトル戦で激突。 1本目はキラー・Xが眼つぶし攻撃から、ボディスラムの連発で力道山をマットに叩きつけ、ジャイアントスイングで回した後、フライングボディプレスで1本を先取。 2本目も力道山の空手攻撃に耐えたキラー・Xはふたたびジャイアントスイングを出し、渾身のドロップキック2連発。 しかし3発目を避けられて後頭部からマットに落ち、カウントアウトとなってしまいます。 3本目の試合開始のゴングが鳴ってもキラー・Xは起き上がれません。 レフェリーがファイトを促すと、ふらふらの状態からリング下に滑り落ちてしまいます。 レフェリーはその時点で試合を止めました。 試合後、キラー・Xは敗北を認めて、自らマスクを脱ぎ、その素顔をさらしたのでした。 5月6日の札幌大会では空位のアジアタッグ王座の争奪戦が行われました。 1月〜3月に開催されたプロレス国際試合中に、病気を理由に豊登が返上した同王座の決定戦が力道山、吉村組とジェス・オルテガ、トニー・マリノ組の間で2度行われましたが、いずれの試合でも決着がつかず、空位のままでこのシリーズに持ちこされていました。 力道山はパートナーとしてふたたび豊登を指名し、見事に同王座に返り咲いています。 1本目は「12分28秒」と記載されている資料もある。 5月10日の盛岡大会は収録されて当日の深夜に放映されています。 この日のセミファイナルは馬場対カルホーンの3本勝負で、第1メインエベントが東郷対コワルスキーの3本勝負、そして第2メインエベントが力道山対アトキンスのノンタイトルの3本勝負でした。 シングルマッチの3本勝負が3試合続くのはこのシリーズでは盛岡大会だけです。 計16名で争われていたワールドリーグ公式戦(決勝戦進出者決定リーグ戦)ですが、力道山と戦う権利を争うレベルにあったのは、豊登、馬場、吉村、コワルスキー、カルホーン、マレラの6強でした。 オコーナーも全勝街道を歩んでいましたが、途中で帰国してしまったため、決勝戦には出られません。 決勝戦の行われる3日前に全勝のコワルスキーと1敗のカルホーンが決勝戦進出を賭けて激突し、これに勝ったコワルスキーが力道山と優勝を争いました。 5月17日の決勝戦の開始前、次期シリーズに参加するザ・デストロイヤー(ディック・ベイヤー)がリングに上がりました。 デストロイヤーは当日の午後5時羽田着のパンアメリカン機で来日。 予定では吉村とエキシビションマッチを行うことになっていましたが、これは取りやめています。 力道山がデストロイヤーに握手を求めますが、デストロイヤーはあっさりとそれを拒否し、逆コーナーにいるコワルスキーに右手を差し出します。 しかしコワルスキーがその握手を拒否。 その瞬間、デストロイヤーはコワルスキーの頬を平手で張り飛ばします。 ワールドリーグ決勝戦の行われるリング上で、WWA世界選手権シリーズにファンの目を向かせる見事な演出が行われたのでした。

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ヘイスタック・カルホーン&ハッピー・ハンフリーも目撃

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昭和プロレス的には、第3回ワールドリーグ戦に来日したグレート・アントニオがその最初として数えられることが多い。 神宮絵画館で、バスを引っ張ったというパフォーマンスは、当時衝撃的だったようだ。 ただ、筆者は、その前に、第1回ワールドリーグ戦に来日した、Mr. アトミックこそが、その先駆者ではないかと思っている。 やはり、素顔を隠した覆面レスラーというのは、それ自体ミステリアスである。 つまり、「普通じゃない」=怪奇派というわけだ。 ミスター・アトミックは、第4回ワールドリーグ戦にも参加している。 なぜなら、力道山のインターナショナル選手権に挑戦しているし、最終戦では、力道山対キラー・コワルスキーの優勝決定戦の前のセミファイナルで、ジャイアント馬場と対戦するなど、実力的にも高い評価を受けているからだ。 第6回には、ザ・マミーがやってきた。 怪奇派としては、グレート・アントニオ以来といっていいと思う。 ザ・マミーは、中が黒人だったので、包帯の白と目の部分の黒が対照的で、最初は大変怖い感じがした。 しかし、後に素顔や、別の覆面で国際プロレスの常連になって味噌をつけてしまった。 ザ・マミーと同じ時に、ブル・カリーも来日した。 ブル・カリーを怪奇派扱いする向きもあるが、ただの毛深いレスラーであろう。 むしろ、このときもザ・マミーのお目付役として来日しており、そうした凄みの方を感じた。 第9回には、グレート・アントニオを小型化したようなパンピロ・フィルポが来日した。 しかし、これといって印象は残っていない。 第12回には、ザ・コンビクトという、ジャイアント馬場より大きいという囚人服のレスラーが来日。 『タイガーマスク』の相手にもなった。 ワールドリーグ戦のような長丁場の巡業には、見世物的要素のより強いレスラーが必要である。 が、一方で、星取りを競うため、シングルマッチで主力レスラーと当たってしまうため、実力がわかってしまう問題もあった。 生き様が怪奇派だったスカル・マーフィー リーグ戦に招聘されたレスラー以外では、たとえばスカル・マーフィーなどは印象深い。 スカル・マーフィーは、全身無毛で怪奇派といわれた。 ただ、ジャイアント馬場の16文キックの生みの親ということになっているし、日本ではアジアタッグも取った実績もある。 そして、前職は弁護士というプロフィールといい、レスラーとして狂乱というより、ピストル自殺という最期を含めて、生き様そのものがミステリアスだった。 相棒のブルート・バーナードとの若い頃のモノクロ画像は、凄みを感じるシリアスなコンビという印象である。 ふたりとも、怪奇というより、レスラーとして凄みのあるいい表情をしている。 ザ・シークは、プロレスの「啓蒙書」などにイラスト付きで書かれている説明では十分怪奇派だったが、全日本の最強タッグで毎年フル出場してしまい、ただの老いた悪役になってしまった。 ワールドリーグ戦にも参加したが、グレート東郷も、筆者には怪奇派だった。 血を流した幅のある輪郭で、髭面の薄ら笑いを浮かべた流血試合ばかりしており、食事のときにグレート東郷のイラストを思い出すと、食欲が失せた。 思うに、悪役は、長くそのテリトリーにいてはだめである。 それと、イメージを大切にしてほしい。

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