グリム 兄弟 オセロニア。 グリム兄弟

グリム童話とは?有名すぎる怖い童話集の真実

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\ U-NEXTなら、31日間は見放題作品140,000本が無料で視聴可能です/ グリム兄弟の一家 グリム兄弟は、 ドイツのハーナウ出身。 裁判官の父、 フィリップ・ヴィルヘルム・グリムと、母、 ドロテーアの間に生まれた。 兄と弟の2人だと思われがちだが、実はグリム兄弟は2人だけではない。 9人兄弟である。 9人のうち3人が生後すぐに亡くなってしまったため、6人兄弟とも言われる。 もともとはハーナウに住んでいたが、1791年に シュタイナウに引っ越している。 その5年後に父フィリップが亡くなってしまったため、一家の経済状況は厳しくなる。 兄弟も多く、貧しい家庭となってしまったのである。 1798年には、グリム兄弟だけで カッセルに住居を移した。 ここから、2人のめざましい活躍が始まっていくのである。 では、グリム兄弟について、それぞれ詳しく見てみよう。 グリム兄弟の兄、ヤーコプ・グリム まず、グリム兄弟の兄のほう、 ヤーコプの生い立ちを見ていこう。 名前:ヤーコプ・グリム• 誕生日:1785年1月4日• 没:1863年9月20日(78歳) グリム一家の次男にあたるのがこのヤーコプ。 長男が幼いころに亡くなったため、実質ヤーコプが長男である。 外見は、 小柄でやせたタイプ。 だが、身体は健康だったらしい。 父親がなくなったのは、ヤーコプが11歳のとき。 責任感の強いヤーコプは、積極的に弟や妹たちの面倒を見ていた。 弟がけっこう病弱だったため、健康的なヤーコプが家計を支えていたのだ。 典型的なお兄さんである。 あまり人前に出ることは好きじゃなく、一度も結婚することなくその生涯を終えている。 理論的に考えることの好きな、頭のいい人物だった。 知的で頭脳明晰だ。 活動に関してもかなり精力的に行っていた。 大学の教授となり、文学者としてだけでなく、 言語学者、そして 法学者としても優秀な成果を残している。 また、ドイツの政治的な活動にもたくさん関わっていて、 1814年のウィーン会議にも参加している。 政治の面でも、かなり活発に動いていたというわけだ。 1848年に教授をやめ、その15年後の1863年に亡くなった。 グリム兄弟の弟、ヴィルヘルム・グリム では次に、弟 ヴィルヘルムの生い立ちを見てみよう。 名前:ヴィルヘルム・グリム• フルネーム:ヴィルヘルム・カール・グリム(Wilhelm Carl Grimm)• 誕生日:1786年2月24日• 没:1859年12月16日(73歳) ヴィルヘルムは、グリム家の三男。 長男が生後すぐに亡くなったので、ヤーコプにつづいて次男となる。 見た目は、ヴィルヘルムのほうが、兄ヤーコプよりも 身長が高く、大柄な感じ。 元気でハンサムな男だったらしい。 だが、あるときから病気がちになってしまって、ヤーコプほど社会で活躍することはなくなってしまった。 身体つきだけ見れば、ヴィルヘルムのほうが元気そうに思えるが、どちらかというとヴィルヘルムのほうが大人しい感じ。 いろいろな活動に突っ走る兄ヤーコプに対して、ヴィルヘルムは 詩的で繊細な感じだったようだ。 音楽や絵の才能もあったらしく、 グリム童話でも話によく手を加えたり、口出ししたりしている。 アートなテイストを担っていたのは弟ヴィルヘルムのほうなのだろう。 また、兄とは違って 社交的だった。 兄が生涯独身を貫いたのに対し、ヴィルヘルムのほうは1825年に、 ドルトヒェン・ヴィルトという女性と結婚している。 昔からの知り合いで、実際グリム兄弟にいくつかのお話を提供していたらしい。 ヴィルヘルムの奥さんであったが、ヤーコプも含めグリム兄弟を支えた重要人物の一人である。 ヴィルヘルムも、ヤーコプと同じく言語学者であり、大学でも教えている。 やめたのは1852年だ。 その生涯は、1859年に幕を閉じている。 グリム兄弟の恩師サヴィニー先生 グリム兄弟はともに、 マールブルク大学に通っていた。 互いに成績が良く、高校を卒業する前に大学へ入学することができた。 兄ヤーコプが1802年、弟ヴィルヘルムが1803年に入学。 弟は1年遅れての入学である。 当時は経済状況も厳しく、また ナポレオン率いるフランス軍がドイツを制圧していた、まさに激動の時代だった。 そんな中、マールブルク大学で出会ったのが、助教授の 「サヴィニー先生」である。 サヴィニーは、グリム兄弟にとってまさに恩師。 歴史のおもしろさを学び、古い文書を読むことの大切さを教えてくれたのがサヴィニーだ。 サヴィニーなしでは、グリム童話は生まれなかったかもしれない。 そしてこのサヴィニーが結婚した相手は、ブレンターノ家の娘。 ブレンターノといえば、このころ超有名だったドイツ・ロマン派詩人の クレメンス・ブレンターノだ。 サヴィニー結婚のおかげで、グリム兄弟もブレンターノと縁ができたのである。 あわせて、ブレンターノと仲がよかったロマン派詩人の アヒム・フォン・アルニムとも縁ができた。 (アルニムの妻ベッティーナは、ブレンターノの妹) そして、アルニムのおかげで、 弟ヴィルヘルムはあの有名な「ゲーテ」にも会っている。 作家たちとの縁を作ってくれたのも、サヴィニー先生というわけである。 『少年と魔法の角笛』からのグリム童話 ブレンターノとアルニムがともに出版した 『少年と魔法の角笛』という民謡集がある。 この第二弾を出版するにあたって、グリム兄弟はブレンターノとアルニムに協力をした。 このことが、のちのグリム童話集の誕生に大きな影響を与えている。 民話を集めて本にするとはどういうことなのかを学んだわけだ。 『少年と魔法の角笛』がきっかけとなり、1806年からは自分たちでも民話を集めるようになる。 そして、 1812年にグリム童話初版が誕生するのである。 グリム兄弟が始めたドイツ語文法 その後、1814年に兄ヤーコプはヘッセン侯国の秘書として 「ウィーン会議」に参加するなど、外交の仕事が忙しくなった。 弟ヴィルヘルムは、一人カッセルで図書館秘書となっていたが、1816年から、グリム兄弟はともに カッセルの図書館で司書として働くことになる。 その頃から、 グリム兄弟はドイツ語の文法研究にも力を入れ始めた。 童話から文法?と思われるかもしれないが、グリム兄弟は 「ドイツ語文法をまとめた第一人者」とも言われるくらいのレベルだ。 兄ヤーコプは 『ドイツ文法』という本も書きあげている。 グリム童話のおかげで 「作家」のイメージがついているかもしれないが、普通に 「言語学者」なのである。 1830年代には、 『ドイツ文法』のつづきを出版しつつ、兄弟ともに ゲッティンゲン大学で教授として働いていた。 だが、 「ゲッティンゲン七教授追放事件」という事件に見まわれ、大学から追い出されてしまう。 グリム兄弟の晩年はドイツ語辞典作り その後1841年からは、2人そろって ベルリン大学で教え始めている。 この頃はもう、グリム兄弟の頭にあるのは 「ドイツ語辞典」である。 グリム兄弟の有名な仕事といえば、グリム童話だけではない。 ヤーコプもヴィルヘルムも、大学で教えながら「ドイツ語辞典」の制作を始めたのだ。 辞書を作るなんて一大事業。 なかなか簡単に終わるものではない。 残念ながら、2人が生きている間には辞書は完成しなかった……。 その後、ドイツ語辞典が完成したのは1961年になってから。 長年の研究が後世に受け継がれ、100年以上かけてようやく完成したのだ。 ドイツ語辞典の編集をやり始めた、グリム兄弟の貢献度は極めて大きいのである。 まとめ 「グリム兄弟」について、その生涯をざっくりと紹介した。 グリム兄弟ってどんな人たちなのか、なんとなくわかっていただけただろうか? グリム童話という、世界で最も読まれている童話集を作った2人の兄弟。 グリム家の兄弟が実は9人だったというのは、意外と知らなかった人も多かったのではないだろうか。 他にも活躍しているグリム家の人たちはもちろんいるが、やはりヤーコプとヴィルヘルムの功績は大きい。 グリム童話はもちろんのこと、ドイツ語文法やドイツ語辞典など、言語学の世界でも大活躍していたのだ。 グリム兄弟が生まれ育ったハーナウにあるマルクト広場には、ヤーコプとヴィルヘルムの銅像も建てられている。 まさに街を代表する2人である。 これをきっかけに、あなたもグリム兄弟に親しみをもって、グリム童話を読んでみてほしい。

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グリム兄弟の経歴や生い立ちは?童話作者のエピソードが面白い!

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下記クリックで好きな項目に移動• グリム兄弟の経歴や生い立ちは?童話作者のエピソードが面白い! 『シンデレラ』、『白雪姫』、『赤ずきん』、など、『 グリム童話』にある話をひとつも知らないなんて人はおそらくいないでしょう! ディズニーのアニメもその多くが『グリム童話』を原作に作られています! とはいえ、その編者である グリム兄弟のことはあまり知られていないのではないでしょうか? 例えば、 ドイツで最大のドイツ語辞書を作ったのがグリム兄弟だった、なんてことを知っている人はどれだけいるでしょうか? グリム兄弟の偉業は、単なる童話作者にとどまるものではないです! というわけで、今回はグリム兄弟の経歴やエピソードを中心に、知られざる童話作者の素顔をご紹介したいと思います! グリム童話作者。 兄ヤーコプ・グリムは1785年、 弟ヴィルヘルムは1786年と、二人は年子として生まれましたが、なんと彼らには ほかに6人の弟妹がいました。 ヤーコプ11歳、ヴィルヘルム10歳のときに父が亡くなり、彼らは幼い弟妹たちに対し父の代わりをつとめなければなりませんでした。 さらに、母もまた、彼らが独り立ちする前に亡くなってしまったため、兄弟二人は自分たちの学業や研究と並行しながら、家庭を支え、弟妹たちを成人させていきました。 さらに、グリム兄弟の幼少期は全ヨーロッパにおける激動の時代でした。 1789年には フランス革命がおこり、間もなくしてナポレオンがドイツに侵攻してきます。 ヨーロッパは戦乱の地へと姿を変え、兄弟が20歳の年には 神聖ローマ帝国が滅亡します。 グリム兄弟は、自身の家庭でも苦労をしながら、こうした激動の時代のなかでその青春期を過ごしたのでした。 『グリム童話』成立の裏には、こうした歴史の暗い影があったのです。 兄ヤーコプは、身体も丈夫で、資料集めや現地調査など自らの研究だけでなく、対外的な社会活動にも非常に精力的な性格でした。 童話作成のための収集活動は、もっぱら兄の役目でした。 活動的で大胆な性格の反面、頑固な一面もあり、実はあまり社交的な性格ではありませんでした。 弟ヴィルヘルムは、持病に喘息と心臓の病気を抱え、あまり丈夫な身体ではありませんでした。 仕事の上でも控えめで慎重な性格でした。 詩や、音楽、絵の才能も有り、 童話集をまとめる際に文章や体裁を仕上げたのは、弟の仕事でした。 兄とは対照的に、非常に社交的な性格をしていました。 正反対なタイプの二人でしたが、兄弟は互いを尊敬しあい固い兄弟愛で結ばれていました。 弟ヴィルヘルムが兄を「明察さと博学さ」にかけて自分よりも優っていると称えたのに対し、兄ヤーコプは弟の素晴らしい話術と文才を誉めたというエピソードがあります。 二人は、互いの長所を高く認め合っていました。 グリム童話作者。 グリム兄弟の経歴は? 天才兄弟!? 田舎育ちのグリム兄弟は13歳で、ヘッセン国の首都カッセルにある高等中学に途中入学します。 彼らは持ち前の勤勉さでたちまちクラスのトップになりました。 当時、兄弟は6時間の授業に加え、4~5時間をラテン語やフランス語の自習に使い、毎日10時間も勉強にあてていました。 その能力と努力が認められ、二人は 学校の卒業を待たずして大学入学の資格が認められました。 今でいう、飛び級というやつです。 そして、大学で彼らは古い文献や伝承の研究を始めます。 大学卒業後~兄ヤーコプの知られざる顔とは? しかし、大学卒業後の生活は、ヤーコプとヴィルヘルムともにとても安定したものとは言えませんでした。 まず、カッセルがフランス軍に占領されるなど、 当時の政治情勢は混乱した状態にありました。 そんななか、ヴィルヘルムは持病の悪化によって、療養生活を余儀なくされます。 一時回復の兆しも見せましたが、再び病気がぶり返すなど安定した健康状態ではありませんでした。 ヤーコプの方は、いろいろと職を転々としたのち、 ヘッセン国の外交官に任命されます。 フランス語に堪能だったこともあり、戦後の処理などの際の交渉に帯同しました。 世界史を勉強したことがある方なら知っているかと思いますが、1814年にナポレオン失脚後のヨーロッパの戦後処理のために「 ウィーン会議」が開かれます。 なんと兄ヤーコプは、その会議にヘッセン国の特別秘書として参加していました! グリム童話の作者がこんな世界史の出来事に関わっていたなんて驚きですね! ただし、彼はこの仕事になんの興味ももっていなかったようです。 この時期、彼は時間を見つけては方々で図書館を訪れ資料を収集し、さらにスラヴ語の勉強まで始めています。 彼にとって第一は自分の研究でした。 その間、ヴィルヘルムはカッセルにある図書館に働き始めていました。 ヤーコプもまた、図書館での仕事を希望し、二人は同じ職場で働くようになりました。 後に大学に教職を得るまでの13年間、この図書館での勤務を続け、彼らは自身の研究をつづけました。 はじめて『グリム童話』が出れたのは、1812年。 フランス軍からの侵略によって国が大きく変化していく時代のなかで、グリム兄弟は、 自らの民族のアイデンティティを探求するために、各地に残る民間伝承を収集しそれをまとめて一つの童話集として出版したのです。 『グリム・ドイツ語辞典』 童話の収集以外に、二人はドイツ語の研究にも多くの時間を捧げました。 そんな彼らが五十代のはじめから死ぬまで、二十年にわたって携わり続けたのが 『ドイツ語辞典』の編纂でした。 実は、兄弟は生前のあいだにこの辞典を完成させることができませんでした。 1838年に兄弟の手ではじめられてから、様々な言語学者に引き継がれながら、ついに完成したのはなんと1961年でした! なんとこの編集作業は、東西ドイツという国の分裂状態の中でも、両方の学者が協力しあいながら行われたそうです。 この辞書には、語源に関する詳細な説明や様々な時代の文章から引用された例文が収録されており、まさに 包括的なドイツ語の辞典とよぶことができます。 リルケやトーマス・マンなど、多くの作家たちがこの辞書を愛読していました。 大人が読むグリム童話? さて、ここでは『 グリム童話』についてご紹介しましょう! 『赤ずきんちゃん』、『シンデレラ』、『白雪姫』『ヘンゼルとグレーテル』、『オオカミと七匹の子ヤギ』…… 挙げればきりがないほど、『グリム童話』には私たちが良く知る話が収録されています。 とはいえ、大人になっていまさら童話…?と思う方もいるかもしれません笑 しかし、みなさんがよく知っているこの『グリム童話』が 実はオリジナルではない、というのはご存知でしょうか? 実は、グリム兄弟は何度も改変を重ねながら、いまの『グリム童話』をつくりあげていったのです。 そのひとつの理由は、童話集の初版に対して「内容が子ども向きではない」という批判が多くきたからです。 兄弟が各地で集めたオリジナルの話は、 性にまつわる事柄や残酷な描写が含まれるものが多くありました。 そこで兄弟はだんだんと内容や表現をマイルドにせざるを得ませんでした。 その初版は、例えば『初版グリム童話集』(白水社)などで、読むことができます。 ここではそのいくつかをご紹介しましょう! グリム童話のシンデレラの内容 まずは『 シンデレラ』です。 クライマックスで、シンデレラが落としたガラスの靴を王子が持ってきます。 ほかの姉たちは懸命に履こうと試みましたが、サイズが合いません。 そこでシンデレラが試してみるとガラスの靴に足がぴったり合って、王子と結ばれることになりました。 ここまではみなさんがご存知の『シンデレラ』です。 すると、花嫁の白い靴下が赤く染まって、血が上のほうまで上がってきていました。 しかし、お姉さんたちもすさまじい執念ですね…笑 グリム童話の白雪姫の内容 続いて『 白雪姫』 初版では、実は白雪姫を追い出すのは継母ではなく実母の妃という設定です。 そしてこの話にも恐ろしいシーンがクライマックスに登場します。 無事王子と結ばれた白雪姫。 二人は結婚式を行います。 嫉妬にかられた母の妃は、その様子を見にこの結婚式にやってきます。 しかし、そこにはその妃にあるものが用意されていました。 足はひどい火傷になりました。 けれども死んでしまうまで踊りをやめさせてはもらえませんでした。 ・グリム兄弟は、幼いころに父母を亡くし、二人で家庭を支えていた。 ・グリム兄弟の若いころは、大きな革命の時代でもあり、彼らもまたそれに大きく翻弄された。 ・二人は正反対な性格。 お互いの長所でそれぞれの短所を補いながら、協力して研究を行った。 ・童話集と並んで、『ドイツ語辞典』の作成にも力を注いだ。 ・童話集はいろいろな版で読み比べると面白い発見あり。 グリム兄弟は、童話集や辞典の作成によって、ドイツ文化やドイツ語の発展に大きく貢献する仕事をしました。 その裏には、大変な家庭環境や大きな時代の変化が大きく影響していたということができるでしょう。 以上、「グリム兄弟の経歴や生い立ちは?童話作者のエピソードが面白い」でした 高等遊民の有料noteの紹介 noteにて、哲学の勉強法を公開しています。 現在は1つのノートと1つのマガジン。 1. 2. 1は 「哲学に興味があって勉強したい。 でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。 5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。 3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。 3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。 1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。 ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。 かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。 音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。 2は プラトンの主著『国家』の要約です。 原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。 岩波文庫で900ページ近くの浩瀚な『国家』の議論を、10分の1の分量でしっかり追うことができます \無料試し読み部分たっぷり/.

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「グリム兄弟」の生涯や性格とは?『グリム童話集』についても解説

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白雪姫の誕生 昔むかしの冬のこと。 雪の降る日、ある女王が、窓辺で縫い物をしていました。 窓枠は、真っ黒な黒檀(こくたん)製です。 雪に見とれていた女王は、うっかり指を針で刺し、血が3滴、雪の上に落ちました。 そのさまがとても美しかったので、女王は、「雪のように白く、血のように(ほっぺたが)赤く、黒檀のように(髪が)黒い子供がほしい」と願いました。 しばらくして、本当にそんな娘が生まれましたが、女王は、出産と同時に亡くなります。 娘のことを皆は白雪姫と呼びました。 嫉妬深いまま母 1年後、王は新しい妻をめとりました。 とてもきれいな人でしたが、高慢で、自分より美しい人の存在を認めない性格。 まま母は魔法の鏡を持っていて、毎朝鏡の前に立ち、この世で誰が一番美しいか確認します。 「壁の鏡よ、鏡。 この世で一番美しいのは誰?」 鏡が「あなたです。 女王さま」と答えると満足していました。 ところが白雪姫が7歳になると、鏡の答えが変わりました。 「女王さま、あなたは確かにおきれいです。 しかし、白雪姫のほうが1000倍きれいです」。 それを聞いてからと言うもの、新女王の白雪姫への憎しみが日に日につのりました。 白雪姫、刺殺命令 憎しみが頂点に達した新女王は、狩人を呼び、「白雪姫を森に連れ出して殺せ、そして、証拠に白雪姫の肺と肝臓を持ち帰れ」と命じました。 狩人が白雪姫を森につれていき、ナイフで殺そうとしたそのとき、「殺さないで。 私は荒野に行き、2度と戻りませんから」と白雪姫は泣いて命乞いをしました。 白雪姫があまりに美しいので、かわいそうになり、狩人は彼女を逃しました。 「どうせ、野生の動物に殺されるだろう」と思いもしました。 狩人は、若いイノシシをつかまえ、その肺と肝臓を白雪姫のものとして持ち帰りました。 料理人が塩で調理したその肉を、新女王は食べました。 白雪姫、小人の家にたどりつく 白雪姫は、森の中を走って、走って、夕方、1軒の小さな家にたどり着きました。 家の中のものは何もかも小さく、食事が7人分用意されていました。 おなかがすいていたシンデレラは、皿から少し食べ物をちょうだいし、ベッドに倒れ込んでそのまま寝ました。 暗くなってから、その家の住人である7人の小人が帰ってきました。 彼らは、美しい女の子が眠っているのを見てびっくりしました。 白雪姫が目をさまして、事情を話すと、小人たちは、家事をすべてひきうけることを条件に、白雪姫を家においてやることにしました。 かくして、白雪姫は、この家の家政婦となりました。 小人は毎日、山に鉱石と金を取りにいくため、昼間は白雪姫、1人です。 「まま母に気をつけて。 ここにいるのがじきにばれると思う。 昼間誰かが来てもぜったい扉をあけちゃいけない」。 小人たちは白雪姫にこう注意をしました。 自分で手を下すまま母 まま母が、いつものように、誰が一番美しいか鏡に聞くと、「 女王さま、あなたは確かにおきれいです。 でも、山の向こうに小人といる白雪姫のほうが1000倍きれいです」と答えるではありませんか。 なんですと?! 白雪姫が生きていることを知ったまま母は、怒り心頭に発しました。 そして、今度は自分で殺すことにしたのです。 1度目の未遂 まま母は行商人のふりをして小人の家へ行きました。 「素敵なお召し物はどうですか?」人を疑うことを知らない白雪姫は、まま母を家に入れました。 「このひもを結んであげましょうね」と言いながら、まま母は、白雪姫の首をひもでぎゅーっと締めました。 パタン、白雪姫が倒れたので、まま母は走って出ていきました。 戻ってきた小人たちが、白雪姫に巻きついてたひもをはさみで切ったら、白雪姫を息をふきかえしました。 「誰も家に入れちゃいけないよ」。 小人は白雪姫に注意しました。 2度めの未遂 今度こそ自分が1番だと思って鏡に聞いたまま母は、まだ白雪姫が生きていることを知り、また行商人のふりをして殺しに出かけました。 毒のついた櫛(くし)を持って。 櫛が美しいので、白雪姫はまたしても、まま母を家に入れ、髪に櫛をさしたとたん、パタンと倒れました。 幸い、すぐに小人が帰ってきて櫛を取ったら、白雪姫は息をふきかえしました。 「今度こそ、絶対誰も家に入れちゃいけないよ」。 小人は白雪姫に厳重に注意しました。 3度目の正直 鏡から白雪姫の生存を知ったまま母は、今度は毒入りのりんごで殺すことにしました。 また行商人に化けて、白雪姫のもとに行きます。 「おいしい、りんご、いかがですか?」 「誰も家に入れちゃいけないことになってるの。 小人さんたちに禁じられているの」。 窓から 白雪姫はこう答えました。 すると、まま母は、窓越しに、りんごを渡そうとしました。 「だめ。 何ももらってはだめと言われてるの」。 「まあ、毒でも入っているとでも? ほら、りんごを半分に切って、白いほうを私が食べましょうね。 赤い方をあなたがどうぞ」。 そう言うとまま母は白いほうを食べました。 実は、この毒りんごは赤い方にだけ、毒が入っていたのです。 おいしそうなりんごの誘惑に負けた白雪姫が、半分りんごを受け取ってかじるやいやな、毒がまわってパタっと倒れました。 今度こそ死んだ白雪姫だったが まま母が家に戻って鏡に聞くと、自分が一番美しいと答えたので、ようやく彼女は安心しました。 小人たちが家に戻ったとき白雪姫は息をしていませんでした。 死んでしまったのです。 蘇生させようといろいろやってみましたが、生き返りませんでした。 小人たちは、白雪姫を棺(ひつぎ)台の上にのせ、3日間泣いて暮らしました。 土に埋めようと思いましたが、白雪姫は、いまだに、生きているかのように、美しく、赤いほほをしていました。 あまりにその姿が美しいので、小人たちは白雪姫を埋めることができず、代わりにガラスの棺桶に入れました。 その上に、金色の文字で、白雪姫という名と彼女がプリンセスであることを書き添えました。 棺桶を山の上に置くと、小人たちは交代で番をしました。 ずいぶん長いこと、 白雪姫は、この棺桶の中にいましたが、くさることもなくずっと美しいままでした。 王子さまの登場 あるとき、王子が森にやってきて、小人たちの家に一夜の宿を求めました。 白雪姫の棺を見つけた王子はその美しさに呆然となりました。 王子は小人にこの棺を売ってくれるよう頼みましたが、「売り物じゃない」と断られました。 「じゃあ、ゆずってほしい。 私は、白雪姫を見ないで生きることなんてもうできない。 ずっと、ずっと大事にするから」。 心やさしい小人が王子を気の毒に思い、棺をゆずることにしました。 王子は家来に、棺を運ばせました。 このとき、1人の家来が、茂みに足を取られて、棺がかたむきました。 そのはずみで、白雪姫ののどにつまっていた、毒りんごのかけらが、ぽろっと取れました。 白雪姫は目をあけ、自分で棺のふたをあけ、座りました。 生き返ったのです。 「おや、まあ! ここはどこ?」 まま母の末路 王子は喜んで、「きみは僕と一緒さ」と言いました。 「僕はあなたを世界の何よりも愛している。 一緒に父の城へ来てほしい。 妻になってほしいのだ」。 白雪姫も彼を好きになり、城について行きました。 盛大な結婚式が計画されました。 まま母も結婚式に呼ばれました。 美しく着飾ったまま母は、鏡に誰が一番美しいか聞きます。 「女王さま、あなたは確かにおきれいです。 でも、若い女王さまのほうがあなたより1000倍きれいです」。 「なんですって?!」まま母は恐ろしさに震えました。 結婚式に行きたくないと思いましたが、気持ちが休まらないので、結局行きました。 白雪姫の姿を見たまま母は、ただ立ち尽くすのみでした。 ほどなく、真っ赤な石炭の上でずっと熱していた鉄の靴が、まま母の前に置かれました。 まま母は、無理やりこの靴をはかされ、倒れて死ぬまで踊らされたのです。 しかし、グリム童話の最終版では、棺がかたむいたすきに、のどにつまっていたりんごのかけらがはずれて、生き返ったとあります。 なんという違い。 まるでギャグですが、このほうがおとぎ話らしいです。 まま母が執念深く、3回も(狩人に頼んだのを入れると4回)白雪姫を殺そうとしていたのにも驚きますが、この繰り返しも伝承話らしいです。 なお、初回の殺害に使われるひもは、原作に具体的な記述はないのですが、コルセットなど、女性の下着や服に使われているひもだと思います。 昔の西洋の身分の高い女性は、からだをがちがちに締めつけていましたから。

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