めがね 映画。 映画『めがね』のネタバレあらすじ結末と感想。動画フルを無料視聴できる配信は?

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映画 めがね のネタバレあらすじ2 たどり着いた旅館は探しにくい場所にあり、しかも看板も目立たない所でした。 しかし、インテリアも綺麗でここでならゆっくり休めるとタエコは安心します。 しかし、それから少しずつタエコの期待は間違いだったと気づきます。 おいしそうな弁当を、旅館の主人ユージ(光石研)が「今日は特別なお客さんが来たから外で食べる」と言います。 その特別なお客とはタエコのことでしたが、まだ慣れてないこともあってタエコは「やっぱり一緒に出かけるのは辞める」と断ります。 するとタエコだけ残して、みんなは弁当を持って出かけてしまいます。 もちろん自分の食べる分は別であると思っていたタエコでしたが、弁当は全部持って出かけられてしまったため、タエコは何も食べずにそのまま寝るしかなくなります。 映画 めがね のネタバレあらすじ3 次の日の朝、タエコが目覚めると目の前にサクラ(かき氷おばさん)が座っています。 それにびっくりするタエコでしたがその後二度寝します。 目覚めたタエコが部屋から出てくると誰もおらず、外に出ると、みんなが海辺で変な体操をやっていました。 それはメルシー体操というもので、毎日やっている体操だと言います。 タエコにも一緒にやろうと誘われますが断ります。 その後、初めての朝ごはんをおいしく食べていると、旅館の主人ユージとサクラ(かき氷おばさん)がおいしそうに梅干を食べながら「一日の悪いことを避けるために食べるものだ」と言い、タエコも食べてみるが、タエコの口には合わず食べるのをやめます。 自分が予想していた旅行生活とは違っている周りの環境が気に入らないタエコ。 観光できそうなところを聞くものの、観光するところなんか無いと言われて黄昏ることに。 「夜はおいしい肉があるからバーベキューパーティをする」と町のみんなが旅館に集まります。 静かに旅行を楽しみたかったタエコは「このままでは自分が計画した旅行とは違う」と思い、別の旅館に行こうと決めます。 映画 めがね のネタバレあらすじ4 朝ごはんも食べずに旅館を出て、マリーンパレスという旅館に向かったタエコだが、着いてみるとマリーンパレスでは毎日共同労働をして畑で育った野菜でご飯を作って食べるところで、着いたばかりのタエコにも仕事をさせます。 ここは前の旅館よりもっと変なところだと思ったタエコは、すぐにそこから逃げるように出て行きます。 前の旅館に戻ろうとするが、荷物は重いし歩いて行くと遠い距離だったため、疲れてしまいそのまま道で泊ってしまいます。 しかしその時、サクラが自転車に乗ってきます。 自転車では大きな荷物を運べないため、タエコと小さなカバンだけを自転車に乗せて、残りは道に置いたまま旅館に戻ります。 映画 めがね の結末 その日からタエコは少しずつ変わっていきます。 一緒に食べる食事も、もう嫌だと思わなくなったし、口に合わなかった梅も食べれらるようになります。 そして見よう見真似でメルシー体操も自然にするようになり、何もせず海を眺めて黄昏る余裕も出てきます。 そうやってタエコは自然に町のみんなのように何も焦らずにゆっくり生活することに慣れていき、町の人とも仲良くできるようになります。 いつまでも続きそうだった穏やかな時間は、春が終わり夏が来るのを知らせる雨とともに終わってしまいます。 サクラは夏が来ると町を去り、長い旅を終えて元いたところに戻ります。 そして一年が経ち、また春が来ると、みんな約束でもしたかのように自然にあの町に集まります。 その再会シーンを最後にこの映画は終わります。 以上、映画「めがね」のあらすじと結末でした。

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めがね : 映画評論・批評

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さてこの映画、やりたいことは理解できますが、押しつけがましさと説明過多で厭らしさ爆裂、恥ずかしさで身もだえする雰囲気ちゃん映画となっております。 冒頭からいきなり「黄昏れ」「黄昏れ」の連発、こいつら全員狂人かと思わないではおれない言葉の暴力にさらされ居心地の悪さが開始10分でピークを迎えます。 「黄昏れ」は夕方のことではなく、多分「ぼーっとする」「ぼんやり寛ぐ」みたいな状態を指している言葉の誤用と思われますが、それがわざとであるにしても、ぼーっと心地よい状態への自然な誘導は皆無、すべて説明的に押しつけられます。 ぼんやり心地よい世界へ主人公が足を踏み入れ、だんだん同化する話がメインでして、しかしそもそも心地よい部分が過剰な押し売り状態なので不愉快さしか残りません。 ぼんやりすることを押しつけられてはたまったものではないです。 より親切に見てあげればそうなります。 惜しいかな、間合いはただだらだらすればいいってものではありませんで、表面的には似ているかもしれない北欧映画や日本映画の良作における間延びした演出には、その前後の抑揚やシナリオ上の必然性があるものです。 それは映画の説得力に直結する大事なところでして、絶妙な間延びのシークエンスがたとえどんなに好きでも、全編それだけではまったく何の効果も生み出さないのであります。 さて、もたいまさこ演じる謎のおばちゃんの妖精性がもうひとつのメインの物語として絡んできます。 こちらもやりたい気持ちだけはよく伝わりますが、妖精性を際だたせるための丹念な描写を放棄して最初から最後まで同じ調子で説明過多に押しつけてくるものだから効果も糞もありません。 絵に描いたようなおばちゃん像はあまりにも類型的で自然さがなく異化効果も0。 そういう演出を過剰に押しつけられ、苦痛しか感じません。 妖精性のアイデアは決して悪くないです。 でも生かされているとは思えません。 マジックリアリズムの技法は、片方でリアリティを重視することによって初めて成り立ちます。 「この映画にリアリティなんかいらないの。 雰囲気さえあれば」とおっしゃるならば、その雰囲気を生み出すための説得力をどこから持ってくるというのですか。 どこからも持ってこれないと、雰囲気自体がただのポストカートのごとき薄っぺらな一枚絵にしかなりません。 短編映画でなら効果を生み出せると思いますがストーリーのある物語としてちょっと辛いです。 画面の調子は技術的にも美術的にもこだわった作りになっています。 ここはさすがというべきところです。 のっぺりした色調やHDRを過剰に処理したような独自の画面は個性的と言えば個性的です。 のっぺりした画面の調子は、浮世絵などの単純化した美術と同一であり、嘘くさい世界を構築するための重要な要素と言えます。 でもなんかのっぺりしてるだけというふうにも感じます。 そしてそもそもこの「めがね」というタイトルはどういうこった。 「特に意味はなく、タイトル決定後に登場人物全員めがねを掛けることにした」とのこと。 おいおい、長編映画作ってそのタイトルに「特に意味はない」とは何事か。 めがねをかけたからめがねなのか、タイトルがめがねだからめがねをかけさせいたのか、どっちなんだい。 ・・・ちょっと貶しすぎなので反省してみます。 この作品がなぜこれほど不愉快かというと、目指していることや作ろうとしてることが理解できるからです。 しかもその方向、決して嫌いじゃありません。 いや寧ろ好きです。 つまり好きだからこそ過剰さが鼻につき、脚本と演出の稚拙さが羞恥心を呼び起こすんですね。 この映画を好きでも嫌いでもない人、どうでもいい人にとっては私のこの悪態は意味が分からない醜態あるいは近親憎悪にしか見えないはずです。 少々気に入らなくても「惜しかった」程度の感想文に留めておけばよいはずなのですよねえ。 やはり貶すのはあまりよろしくありません。 反省(反省だけ) では褒めるところ。 ありますよ、褒めるところ。 かき氷のシーンはキモいだけですが、小豆を炊くところは自然でよかったですね。 エビを食うところとか。 食事シーンは悪くないです。 梅干しのところのセリフは勘弁してくれだけど。 「マリンパレス」ネタも面白いし、薬師丸にもびっくりでした。 自転車の後ろに乗って羨ましい、っていう嫉妬のシークエンスも良いですね。 もし前後がちゃんとしていれば大変よいシーンになっていたでしょう。 残念でしたね。 以上、褒めるところも沢山ありました。 総論としましてはこの映画は「超恥ずかしいベタベタな青春ドラマ」と同等の「ベタベタ雰囲気ちゃんのアンニュイサブカル映画」であると言えましょう。 それはそれで、ある種の人々やある世代の人々にとっては必要な映画であるとも言えるし、通過儀礼的な必要悪の一種かもしれません。 評判の「かもめ食堂」を見る前にこっちを見てしまいましたが、どうでしょうか「かもめ食堂」は鑑賞しても平気でしょうか。

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2007年9月18日更新 2007年9月22日よりテアトルタイムズスクエア、銀座テアトルシネマ、シネセゾン渋谷ほかにてロードショー 余白だらけの時間と空間に、捨てがたい不思議な魅力がある C めがね商会 これって「かもめ食堂 Part2」?という視線で見られても致し方ない。 前作の好評を受け、同じ編成の主要スタッフ&キャストに、都会人のスローライフ願望に応えようとする意図がなかったと言えば嘘になるだろう。 現実から逃れてきた訳ありの主人公は、ケータイの繋がらない南の島で、うまい食べ物と、希薄な人間関係の中、ただ時を過ごす。 前作以上に劇的要素は消え失せ、時も感情も凪のように止まっている瞬間すらある。 物語ることをやめるなら、せめて人物にふくよかな奥行きをもたせるべきだった。 しかしこの余白だらけの時間と空間には、捨てがたい不思議な魅力がある。 ふと、「豊かな自然=癒し」という図式に疑念を抱き始めた。 ロケ地は与論島。 奄美諸島やさらに南の沖縄の時空をさかのぼり、本土の都合で征服され放棄された歴史に思いを馳せてしまう。 繰り返す白い波は、悲惨な過去を洗い流しているけれど、本作が寡黙すぎるゆえ、自ずと想いをめぐらしてしまうのだ。 僕は、島に秘められた情念や空気に気づかされた。 土地に宿る悲しみが都会人の虚ろな心に憑依しているように思えた。 傷つき疲れた者が南を目指すのは、土地に抱かれ、悲しみを共有するためなのかもしれない。 (清水節)•

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