いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事。 夏目漱石 こころ

筋肉のしくみ

いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事

然し、一度壊れた バランスを立て直すのは容易ではなく、年齢的余裕のある中であればまだしも、それが加齢によるものであれば、生活の 質を落としたままの不本意な人生に終始する事になりかねません。 人体は良くも悪くも互いの相乗効果によって成り立っており、意識の不都合が肉体と生命に危険を及ぼし、肉体の損傷 がそのまま生命と意識の危機に直結し、旺盛な生命力が肉体と意識を救うなど、互いが足を引っ張り合ったり助け合いな がら一連托生の関係を築き上げていますが、他方で「精神力堅固」・「生命力旺盛」・「身体丈夫」など意識・生命体・ 肉体の何れかが強烈なリーダーシップを発揮する事によってもバランスを保つ事ができます。 然し、残念ながら中国の秦始皇帝が「不老不死」の妙薬を求めてこの方、「生命体」を単一で鍛え上げる方法は未だに 発見されておらす、人間が意図的に旺盛な生命力だけを養って生きる事は現時点では不可能です。 「意識」においても、 精神面を鍛えると云う類の宗教や書籍が氾濫していますが、一過的に鍛えるのならまだしも一生涯に亘って精神面を鍛え る事は、人間が人間としての生活をしている限り非常に難しいもので、お金と地位と人間関係に恵まれた人が精神修行を して悟った気持ちになっても、その根底が覆れば精神も自ずと荒廃してしまいますし、そもそも人間の精神力が鍛えられ ると云うのは単なる錯覚でしかありません。 お寺の本堂で如何にも精神面を鍛えて悟りましたと云う風貌で鎮座する仏様 の顔も、生活の苦労が無いからこそ出来るのであり、人間界で普通の生活をしていればあんな顔が出来るものではありま せん。 我々が精神を鍛える唯一の方法は、執着を一つ一つ捨てていく事で、それによって生活の不安や病気の恐れも確実 に克服する事ができますし、最終的には死ぬと云う恐怖をも克服する事が出来ますが、結果的に生きる意義を見失うのは 見え透いており、そんな状態の人間が社会で行き抜く事など檻の中で飼育されない限り不可能です。 人間が唯一継続して鍛える事が出来るのは「肉体」だけですが、残念ながら科学を駆使する事によって筋肉の仕組みは 徹底解明しながらも、その筋肉を鍛える領域に於いては全くの手探り状態であり、筋肉トレーニングに活路を求めて切磋 琢磨しているスポーツ関係者や医療関係者でさえも、人類に貢献するほどの筋肉トレーニングには程遠いレベルで模索し ているのが現状です。 当、筋肉レバレッジ・トレーニング研究所が開発した筋肉トレーニングは、現在行なわれている一般的筋肉トレーニン グの根底を覆すものであり、このトレーニング方法が市民権を得る事によって、スポーツ関係や医療関係に及ぼす影響に 止まらず、老人の生活の質改善から精神の育成や病気の予防など、その影響力は計り知れません。 現在一般的に行なわれている筋肉トレーニングには思いの外危険が潜んでおり、専門家の指導の下で適正に行なわなけ れば、鍛えていた積もりが怪我に泣くと云う事にもなりますし、病人や老人が良かれと想って始めたトレーニングが逆効 果と云う結果を招く事も多々あります。 また、スポーツ選手が専門家の指導の下で適正に鍛えたはずの筋肉が故障の原因 となって引退に追い込まれる事も珍しくはなく、専門家の間でもトータル的な見地に立ったトレーニング方法が確立され ているわけではありません。 この筋肉レバレッジ・トレーニングは、これまで行なわれてきたものとは全く異質のものであり、マシーンやダンベル などの器具を一切使用する事もなく、腕立て伏せや腹筋を強化させる運動なども行ないませんから病人や老人にも無理な く出来ますし、日常生活で使う筋肉を鍛える事をモットーとしている為に、新聞を読みながら、テレビを観ながら、歩き ながら、立ちながら、座りながら、寝転びながら、車を運転しながら、その時その状況による日常生活の活動範囲の中で 十分に鍛えられるので、青年期をすぎて筋肉が萎縮し始める年代になれば、この筋肉トレーニングを日常的に行なう事が 不可欠です。 本稿では、筋肉レバレッジ・トレーニングの仕組みを説明するに当たり、寿命、重力、脳、成長ホルモンなど筋肉トレ ーニングとは無縁と想われる事柄にも言及していますが、筋肉トレーニングに限らず、総ての事象は必ず何某かの脈略や 連帯の上に成り立っており、直面する問題だけに解決策を求めてしまうと、意に反して本質から遠ざかる傾向が多々見受 けられます。 現在行なわれている一般的トレーニングは、そう云った意味に於いて筋肉を肥大させると云う局面に囚われ る余りに、それがシステムとして機能するものであると云う根本的な発想に欠けています。 人体に不可欠である筋肉に限らず、心臓が如何に重要で脳が全能であろうと、人体を構成する総てのものは歯車の一つ に過ぎませんが、筋肉と云う基本的な歯車が萎縮してしまう事によって総ての歯車が狂い出します。 逆に言えば、筋肉と 云う中心的歯車が力強く機能する事によって、人体の健康バロメーターとも云うべき新陳代謝が正常に機能し、免疫力も 自然治癒力も高まり、全体的歯車が正常に機能し出すと云う事でもあります。 尚、筋肉には種類や役割など様々ですが、レバレッジ・トレーニングで云うところの筋肉とは骨格筋の事であり、脳が 操る事の出来る骨格筋を積極的に鍛える事が、その支配の及ばない不随筋にも想わぬ相乗効果をもたらす事は大いに期待 の持てるところです。 ・・「人体と骨格筋」・・ 人体は、脳・脊髄・心臓・肝臓・肺・腎臓・脾臓・すい臓・胃・十二指腸・小腸・大腸・直腸など様々な役割を担う臓器 と骨、その骨を動かす骨格筋と全身に張り巡らされた血管、そして無数の酵素や脳の重さに匹敵する大腸菌の働きによって 動く、言わば自家発電型総合循環器であり、その主導権を握っている骨格筋は人体のエンジン機能そのものである。 骨格筋 が萎縮し、その働きが衰退した人体はエンジン機能の低下した車と同じであり、折角備わった性能を活かす事はおろか自在 に動く事もままならないのである。 一般的に老化とは加齢によって必然的に起こる現象と考えられ、死と共にどうする事も出来ない現象と云う観念があるが、 死ぬ事と老化には根本的な相違がある。 元気と病気に関わらず、老若男女を問わず、死は生まれてきた時からの約束事であ り、寿命の長短はあるとしても避けることの出来ない決定事項であるが、老化に関する個人差は歴然として存在する。 七十 歳そこらでヨボヨボになり、歩く事もままならない老人が介護施設の世話になっているかと思えば、方や現役として日夜農 作業に励み、豚カツを肴に晩酌を楽しむ百歳の老人がテレビで紹介されている現実は、年齢の差によるものでも性別に由来 するものでもなく、ただ単に骨格筋が萎縮しているか健全に稼動しているかの違いでしかない。 人間は年老いたからヨボヨ ボになるのではなく、骨格筋が萎縮するからヨボヨボになると云う現実を直視した上で加齢に対応していかなければ、人類 が老いる事に喜びを感じる日は永遠にやって来ない。 健康被害が懸念されるメタボリックは、今や社会的関心事であるが、これも骨格筋が衰える事によって引き起こされる弊 害であり、適正な骨格筋が維持されていれば無闇に太ったりはしない。 人体は、活動に必要なエネルギーを食事によって摂 取し、余ったエネルギーは脂肪などの形で貯蓄しており、「体は銀行、脂肪は貯金」「皮下脂肪は定期貯金、内臓脂肪は普 通貯金」「筋肉は、貯金の浪費家」と云う構図になっているが、骨格筋が萎縮し始める中年ごろから、徐々に需要と供給の バランスが崩れてくる。 若い間は殊更筋肉トレーニングなどしなくても、それなりの骨格筋が維持されている為に新陳代謝 も旺盛であり、余ったエネルギーが脂肪として貯蓄される事も少ないが、中年頃になると骨格筋の萎縮が始まり、肉体は徐 々に省エネ型体質へと移行して行くのであり、若い頃と同じ食生活を続けていけば需要よりも供給の比重が高くなって貯蓄 高が上がるのは必然的である。 飢餓との戦いに明け暮れた歴史を持つ人体が、これ幸いに余ったエネルギーを脂肪として蓄 え始める事によって、メタボリック・シンドロームへの幕は切って落とされるのであり、それはまた確実に忍び寄る人体の 滅びへの序章でもある。 食糧事情の整った社会の中で人体が陥る先は肥満であり、それは如何にして痩せるかを競うダイエット関係の書籍が、入 れ替わり立ち代り書店の棚を賑わしている事が物語っている。 然し、ただ単に痩せるだけを目的とするならば手段を選ぶ必 要はないが、健全な肉体を保つと云う前提であれば、安易なダイエットはすべきではない。 人体に於ける体重の増減に関わ る要因は、「筋肉に因る摂取エネルギーの需要と供給のバランス」「脳に因るストレスなど精神のバランス」「姿勢の歪み に因る肉体のバランス」に大別する事が出来るが、取り分け脳にとってエネルギーの貯金である脂肪は非常に重要なもので、 過剰な食事制限によるダイエットは、苦痛であるばかりか生命の危機に直面する問題であり、バナナやキャベツだけを食べ て人生を送るなど、脳に科せられた拷問以外の何ものでもなく、一時的に痩せても必ず脳は元に戻る努力を怠らないのであ る。 ダイエットの本来は、「骨格筋の維持」「精神の安定」「姿勢の矯正」「食事の節度」を護ることであるが、これはま た人体が健全さを保つための必須条件でもある。 現代人が常に懸念するところである、健康、老化、病、肥満、のキーワードは筋肉であり、骨格筋を重点的に鍛えるので れば、人体は老化する事さえ容易ではなく、安易に太る事も易々と病の虜になる事も無いのである。 人間が生まれ以て与え られた最大の武器は骨格筋であり、その筋肉の恩恵を享ける事も忘れて、老いて後に人体の不都合を嘆くのは何としても避 けたいものであるが、如何に骨格筋が重要とは云え、闇雲に筋肉を鍛えても功を奏すると云うものではない。 手当たり次第 に筋肉トレーニングを行なえば、筋肉が身に付く前に故障し、更に故障する前に挫折するのが現在行なわれている筋肉トレ ーニングのレベルなのである。 筋肉には、「負荷を逃がす仕組みを持つ」「日常生活に適応する筋肉は容易に肥大しないが、適応しない筋肉は肥大し易 い」「連動する事によって力を発揮する」、と云う基本的な資質があり、日常生活はそれが機能する事によって支障なくお くれるのである。 仮に骨格筋に負荷を逃がす仕組みが無ければ、人間が歩き続ける事は不可能になるだろうし、日常生活で 使う筋肉が日常的負荷によって簡単に肥大していくのであれば、いずれ筋肉仕事で生計を立てる事は困難になる。 また、骨 格筋が連動する事がなければ人体は効率よく筋力を発揮する事は難しく、スポーツがこれほど発展する事も人類が万物の霊 長を標榜するに違わない筋肉運動を手にする事も適わなかったのである。 本来骨格筋は、正しい姿勢を維持しながら負荷を掛け、使う事と休む事を適正に続けるのであれば殊更に鍛える必要はな いが、文明の恩恵に浸りきって肉体労働から遠ざかった現代人は、スポーツか筋肉トレーニングにでも頼らない限り、使わ ない事によって起こる不活性萎縮から筋肉を護る事は難しいのが実情である。 然し、腹筋などは殊更に鍛える必要はなく、 に乗じる生活に馴染んだ人体は、不活性萎縮と云う筋肉の原理によって、どんどん弱体化しています。 殊に腹筋などは正し 正しい姿勢さえ保っていれば易々と衰える事はないし、むしろ背筋などは必要だからと重点的に鍛えれば、筋肉間のバラン スを欠いて返って不都合が生じることになる。 筋肉トレーニングによって筋肉を鍛えるに於いて忘れてはならない事は、日 常生活に使わない筋肉は維持できない事と、パーツ単位で鍛えた筋肉は連動しにくいと云う筋肉の仕組みであり、これを留 意して行なわない限り折角肥大した筋肉も、トレーニングの中止と共に無残にも脂肪へと置き換わり始めるのである。 ・・「筋肉の仕組み」・・ 人体は二百六個の骨によって形成され、その骨を動かす筋肉は五百とも六百ともいわれているが、それらの筋肉は大きく 分けて二種類に分類する事が出来る。 一つは大脳の指令によって動くことを特徴とする骨格筋で、その形状から黄紋筋と呼 ばれており、仕事、スポーツ、日常生活等などの総ての動作はこの筋肉に支配されており、この筋肉が動かなければ人体は 指一本動かす事も眉一つ動かす事も出来ない。 もう一つは平滑筋と呼ばれるもので、この筋肉は内臓全般を形成し、大脳の 支配を全く受ける事はないが、唯一心臓を形成する心筋だけは、骨格筋でありながら大脳の支配を受ける事は無い。 筋肉の仕組みを探る上において留意しなければならないのは、脊髄反射や内臓の活動のように筋肉が脳の支配だけを受け て動いているわけではないと云う事情であり、筋肉の活動には脳以外の第三の意思も秘められていると云う実態である。 人 間を単体として捉えた場合、脳の存在は絶対的なものであり、人体の総ては脳によって支配されていると言っても過言では 無く、現実問題として我々もそう認識して生きているが、医療現場では脳が死んでも内蔵は元気に働いている事例は何等珍 しい事ではない。 我々は、一個の人間としての存在の前に人類の種としての役割を担っており、如何にして優良な種を次世 代に残すかの仕事は我々の存在以前のところから無意識にインプットされている使命であるが、生命体とも呼ぶべき種の支 配は、それだけに止まらず人体の中核である脳でさえも、その支配下にある事を避けられないのである。 人体は、「肉体を司る筋肉」と「意識を司る脳」、そして「種の存続を司る生命体」からなる化合物であり、どれ一つ失 っても人間として存在する事は適わないが、これらが共存共栄を図れるか共倒れをするかの命運は脳と筋肉の働き次第であ る。 然し、心筋が骨格筋でありながら直接的に大脳の指令を受けず、脳が創りだす苦悩によって治外法権である胃袋が病み、 意識力が衰える事によって生命力が脅かされるように、其々の間に明確な間仕切りがあるわけではなく、筋力が支配する肉 体と脳が支配する意識が共存共鳴し、生命力はそれらの状況に応じて随行すると云う運命共同体なのである。 脳の中には、種を存続させる為の様々なデーターが組み込まれているが、それは如何にして強靭で優秀な種を連綿と存続 させるかの一点に絞られており、思考力や筋力の衰退した人体には、その状態を不要と看做す生命体レベルの作用が働き、 自滅とも云える廃用スイッチのようなものが作動すると考えられる。 筋肉の不活性萎縮も、引き篭もりも、うつ病も、自殺 も、ある意味で生命体に見放された人体に起こる廃用の一環とすれば、筋肉を鍛える事によって、そう云った状況を回避す る事は我々に出来る唯一の手段である。 人体は、様々な筋肉によって形成されているが、自分の意思によって自在に動かす事の出来る筋肉は主要な骨を動かす随 意筋だけであり、筋肉トレーニングとはこの筋肉を鍛える事を目的としたものである。 この筋肉を鍛える事によって筋力が 高まり、それに応じて代謝が正常に働き、免疫や治癒力と云った人体の防衛機能が正しく作動し、結果として体力と気力を 手中にして病気の予防にも役立つのである。 脳で考える人間である前に、筋力を発揮する哺乳類である事が、ひ弱な現代人 に与えられた生命体の啓示なのである。 ・・「筋肉レバレッジ・トレーニング」・・ 筋肉レバレッジ・トレーニングとは、梃子の原理によって筋肉を鍛えるもので、現在行なわれている筋肉トレーニング とは、グローバルな意味に於いて全く一線を画したもので、いわば人類史上初めて登場した画期的な夢のトレーニングで あり、このトレーニングは、幹線筋肉を強化して生活の質を向上させる事によって老後に希望を与え、スポーツ界に新風 を起こし、医学に風穴を開ける可能性を秘めたものである。 現在、マシーンやダンベルなどの器具を使うものから、腕立て伏せなどに至るまで様々な筋肉トレーニングが考案され ており、中には腕の付け根を縛って血流を遮る事によって筋肉トレーニングの効率を図る加圧式などもあるが、何れのト レーニングにも決定的な欠点が潜んでおり、その欠点をクリアーしない限り本当の意味の筋肉トレーニングは出来ない。 その欠点とは、それらの筋肉トレーニングによって筋肉肥大を図り続ける限り、その先には筋肉の故障と云う現実が待ち 構えている点であり、負荷を掛け続けられる筋肉は何時の日か必ず臨界点に達し、それを境として破壊への方向へと進ん で行くのである。 スポーツに於ける選手寿命は、年齢的な限界によって訪れるのではなく、これ以上筋肉を鍛える事が出 来ない事情によって決定されるのである。 多くの筋肉トレーニングは、力点と作用点によって筋肉肥大を図る直線的な鍛え方であるが、それが効率の悪い筋肉を 造り上げる元凶となっている。 例えば、ダンベルトレーニングで大胸筋を鍛える場合などは、ダンベルを握る手を力点と し大胸筋を意識する事によって、そこに作用点を作り出して筋肥大を図り、上腕二頭筋を鍛える場合は、上腕二頭筋を意 識して作用点とし、ダンベルを持つ手を力点とするのである。 然し、これらのトレーニングで鍛えられた筋肉は押し並べ て硬くて融通性の無い筋肉に仕上がってしまい、何れトレーニングと筋肥大の臨界点を迎えるが、その筋肉をスポーツな どに使う事によって一層寿命が縮むのである。 力点と作用点によって行なわれる筋肉トレーニングは、力点に掛かる負荷を徐々に上げ続けていかなければ筋肥大を起 こす事は出来ないが、筋肉には負荷を掛け続ければ壊れる方向に向かうと云う筋肉負荷の原理があり、何れ筋肉に負荷を 掛け続ける事の限界を迎えるのである。 一般的筋肉トレーニングの行き着く先は、挫折して事なきを得るか、とことんや って故障するかの何れかであり、加圧式と呼ばれる方法も単にそれを早めるだけの事に過ぎない。 こう云ったトレーニン グは、筋肉に鞭を打って鍛え続けるようなもので、それによってスポーツのレベルが飛躍する事も、筋肉トレーニングを アンチエージングの武器とする事も叶わないのである。 筋肉には、「筋肥大のメカニズム」・「筋肉の連動システム」と云った基本的な仕組みがあるが、一般的筋肉トレーニ ングの多くは、それらに対する誤解あるいは無理解によって行なわれており、こう云ったトレーニングと決別しない限り、 本当の筋肉を造り上げる事は出来ない。 筋肉は連動する事によって効力を発揮するメカニズムの中で稼動しており、当然 トレーニングはそれを視野に於いて行なわれなければならないが、力点と作用点からなる直線的運動によって鍛えられた 幹線筋肉の未熟な筋肉は、鍛えるほどに使えなくなると云う皮肉な筋肉として肥大してしまう。 本来筋肉は、力点と支点と作用点からなる梃子の原理によって鍛えられるべきであり、それによって僅かな負荷を大き な負荷として作用点に伝える事が出来、しかもマシーンやバーベルなどの器具による負荷を必要としない為に、病人でも 年寄りでも簡単に行なえる。 更に、このトレーニングは、自分の体を組み合わせる事によって、あらゆる場所に力点と支 点と作用点を創り出す為に、ベッドの上でも散歩中でもテレビや新聞を観ている時でも行なえ、寿命の尽きるまで一生続 けられると云う利点がある。 筋肉レバレッジ・トレーニングと一般的トレーニングの相違は、重たい負荷を使わない為に、誰でも・何処でも・何時 でも筋肉を鍛えられる点と、一般的筋肉トレーニングに希薄な概念である幹線筋肉の強化を最重要視している点などがあ るが、中でも筋肥大が破壊に至らない事に於いて、このトレーニングを一生涯に亘って鍛え続けられる点が、老人やスポ ーツ選手に与える恩恵は計り知れないものがある。 ・・「幹線筋肉」・・ 腕相撲をする場合、指先で感じた相手の力が手掌腱膜を通して、屈筋支帯・伸筋・屈筋・上腕二頭筋・上腕三頭筋・三 角筋・大胸筋へと伝わり、其々の筋肉が一斉に縮む事によって応戦し、それを僧帽筋や広頚筋が手助けをする。 これが腕 相撲をした時に出来る筋肉の連動であり、その連動によって指先から大胸筋に繋がる一本の筋肉の流れが出来上がるが、 個々の筋肉が連動し協力し合って作り出させるマッスルパワーの流れる一本の線を幹線筋肉と称する。 医学書にもスポーツ関係書にも幹線筋肉と云う名称は明らかにされていないが、この幹線筋肉に着目しない事によって、 様々な筋肉トレーニングの間違いが引き起こされてしまうのである。 筋肉トレーニングをする場合、筋肉を肥大させる手 段としてダンベルやバーベル及びマシーンを用いるのが一般的であるが、こう云った器具を用いた運動では、力点と作用 点だけの直線的運動によって筋肉が鍛えられる為に、一つ一つの筋肉がパーツ単位で肥大してしまう。 これは、筋肉肥大 のメリハリを競うボディビルダーなどには適しているが、個々の筋肉が自己主張してしまう為に連動による幹線筋肉が不 完全になりがちで、マッスルパワーを必要とするスポーツには不向きな筋肉である。 こう云った筋肉は押し並べて見掛け 倒しである事が多く、持久力にも乏しいのが普通であると共に、こう云った筋肉を酷使すると怪我に発展するのが自然で あり、怪我に泣かされる選手の殆どは間違った筋肉トレーニングに因って筋肉を肥大させた事が原因である。 一般的にマッスルパワーと肥大した筋肉を同一視する傾向があるが、一つ一つの筋肉が如何に肥大していても、関係す る其々の筋肉が連動してより大きな幹線筋肉を造りだせない限り、その筋肉に見合ったパワーを引き出す事は出来ない。 筋肉運動に於いて幹線筋肉が重要となるのは、スポーツや日常生活に限らず人間の筋肉運動が直線的運動ではなく捻りの 加わった曲線運動によって成り立っている事に由来し、力点と作用点だけの直線運動によってパーツ単位で肥大させた上 腕二頭筋や大胸筋は、如何に見かけが立派であっても捻りの加わった筋肉運動には力を発揮出来ない。 現在行なわれている筋肉トレーニングは、縮むと云う筋肉の特質を衝いたものであるが、その鍛えられた筋肉が捻りの 加わった運動に使われると云う核心部分には全く言及していない事が、筋肉トレーニングに夜明けが訪れない原因である。 筋肉トレーニングの殆どは、縮む働きをする筋肉に抵抗を与えることによって成立させており、筋肉をパーツ単位で肥大 させる事に於いても全く問題を提起する様子は無いが、鍛えるには何の問題も無いとしても、その筋肉を使うには由々し き問題が生じるのである。 人間のしなやかな所作や重たい荷物を持ち運びするパワーは、ただ単に縮むだけの筋肉に捻りと云う動作が加わって初 めて成立する事実を認識していながら、その事実が筋肉トレーニングに於いて全く考慮されていない現実には、インスト ラクターなどに筋肉を幹線筋肉レベルで鍛える知識と技術が無い以前に、その発想さえも無いと云う如何ともし難い事情 がある。 実際問題として格闘技に限らず、およその一流スポーツ選手でボディビルダーのようなメリハリの利いた筋肉を 身に付けている選手を見受ける事はないが、これはそういった筋肉が殆どのスポーツに不向きであると共に、其々の運動 に適した幹線筋肉を開発しない限り一流選手には成れない事を物語るものでもある。 ・・「寿命と筋肉」・・ 五千年を生きるジャイアント・セコイアの樹から産卵後数時間で死ぬ蜉蝣まで、総ての生命には寿命と呼ばれる地球環 境での限られた存在期間があり、個々の生命はその限定された時間を消費して死を迎える。 人間の寿命は約百二十歳代で あると云われるが、それに四十歳前後及ばない平均寿命八十歳代の我々に何が立ちはだかっているのか・・・。 個々の生 命体が持つ寿命が、それぞれの種の存続を意図して設定されている事は想像に難くないが、人間のその寿命を支えるべき エネルギーは代謝によって生まれ、その代謝を作り出すのは筋肉であり、その筋肉を十分に支配できない事が約百二十歳 の寿命に四十歳ばかり届かない原因である。 人間の死は代謝の終わりと共に訪れるが、その代謝を作り出す筋肉の衰えは即ち代謝の衰えとなって人体に現れ、それ がその人間の状態を如実に物語るのである。 仮に、人間の筋肉が全く衰えることを知らず、老若男女が寿命を全うするま で画一的な筋肉を維持し続ける事が出来るのであれば寿命は限りなく百二十歳に近づき、死は電池切れを髣髴とさせるも のとなる。 我々は何年生きたかと云う寿命よりも、生活の質を維持した年数を重要視するのであり、ヨボヨボ・寝たきり込みの八 十年の生涯よりも、筋力を維持した七十年の生涯を願うのであり、筋力を維持した九十年の生涯であるならば無条件にそ れを望むのが人間の本来である。 老人の老人たる所以は筋肉の萎縮であり、これを宿命として甘受するか、改善の余地が あると見るかによって我々の老後は激変する。 老人・高齢者・年寄り、に共通するのは単に「筋力の低下した人」でしか ないのであり、老いて尚、若者と遜色のない筋力を有す老人が当たり前のように存在する社会が来るのであれば、老人は 社会のお荷物どころか貴重な存在として社会に貢献できるのである。 ・・「筋肉トレーニング」・・ 人体には、使わない筋肉は萎縮すると云う「不活性萎縮」の原理があり、その原理を証明するかのように老人の筋肉は 一様に萎縮するのであるが、この原理の裏を返せば使う筋肉は萎縮しないと云う事でもある。 然し、使い続ける限り萎縮 しないと云う筋肉の性質は、筋力の恩恵によって生活を維持する者にとって何ものにも代えがたい利益であるが、その利 益の前に立ちはだかるのは、同レベルで使い続ければ磨耗し、加減して使えば加減した分だけ萎縮すると云う筋肉の性質 である。 筋肉は鍛えれば鍛えるほど強固になるが、更に鍛え続ければ壊れると云う性質があり、スポーツマンの引退時期はそれ によって訪れるのである。 鍛え続ける事の限界に至った筋肉は様々な箇所に故障と云う形で現れ、一生懸命筋肉トレーニ ングに励む選手ほど故障に泣かされるのはその為である。 筋肉トレーニングは、鍛え続ければ壊れ、鍛えなければ萎縮す ると云うジレンマの中で行われるが、それを継続させる事は並大抵ではない。 然し、それ以上に時間と金銭の消費も相当 なものがあり、本格的になれば筋肉を肥大させる為にプロテインなどのサプリメントの摂取や食事制限もかなりの負担と なる。 筋肉トレーニングの難しさは、その内容の問題よりも其れを継続出来るかどうかの問題が重要であり、スポーツ選手は 引退が契機となって本格的トレーニングから退き、一般人は暇と金と根気の何れか一つの切れ目によって遠のくのが普通 である。 この事から導き出されるのは、結局のところ普通の人間が生涯に亘って筋肉トレーニングを続けることは無理で あると云う現実であり、それを物語るように普通の老人が日常生活の一環として筋肉トレーニングに励んでいる姿にお目 にかかる事はない。 それによって老人は成るべくしてヨボヨボになり、楽しいはずの老後は病院通いに費やされ、国家は その経費削減に躍起となる。 然し、これらの事は総て筋肉に対する誤解によって生じているものであり、筋肉に対する無理解とそれに纏わる筋肉ト レーニング方法の間違いによって引き起こされているのである。 筋肉は的確に鍛えるのであれば年齢を問題にする事はな く、八十歳になっても筋肉トレーニングは可能であり、それによって筋力を維持する事にも何の問題も生じては来ない。 筋肉は人体のエンジンであり、その性能が消費期限ギリギリまで維持できるのであれば、人間の寿命に対する考え方にも 積極性が出る筈である。 ・・「重力と筋力」・・ 宇宙区間では秒単位で決められたスケジュールの中で、毎日二時間の筋肉トレーニングをこなしても筋肉の減少を止め る事は不可能だったという報告がある。 確かに筋肉が宇宙空間に於いて、地球上よりも早い速度で萎縮するのは周知の事 実であるが、これは宇宙空間と云う重力の存在しない環境の中で、筋肉がその必要性を改める事が原因である。 然し、そ れは無重力状態の宇宙空間の中でより顕著に現れるだけの事であり、常に一Gの重力に支配されている環境の地球上に於 いても同様の事態は起こっているのである。 筋肉の基本原理となっている不活性萎縮とは、「使わない筋肉は萎縮する」 という原理であるが、正しくは「圧力の掛からない筋肉は萎縮する」と定義すべきである。 無重力空間での筋肉萎縮は圧 力から解放される事が原因であり、筋肉に圧力を掛け続ける事が出来るのであれば、それが宇宙空間であっても筋肉の萎 縮を避ける事は当然可能である。 人体の構造に於いて特筆すべきは、地球上を支配する重力を逃す仕組みをもっていると云う事であり、この仕組みを手 に入れた事によって人類の二足歩行は可能になったのである。 千四百グラムにも上る脳と其れを取り巻く器官、そしてそ れを護る頭蓋骨、重量しめて四キログラムを細い頚椎と僅かな筋肉で支える事が出来るのも、重力を逃す仕組みがあれば こそ、その仕組み無くして支え続けられるものではない。 然し、人体は骨格構造によって重力を逃す一方で、挙動によっ ても重力を逃す仕組みを作っており、「直立不動」の姿勢が重力も諸に受けるのに対して、「休め」の姿勢が重力を逃す 挙動である。 重力を逃す構造が骨格の領域に対して、挙動によって重力を逃すのは筋肉の領域であるが、いずれの場合も、先ず重力 を受けて後に逃すと云う経過を辿らなければ、その仕組みによって形成された形状を維持する事は出来ない。 いわば人体 の構成は先ず重力ありきで、その重力を如何に利用し、かつ、逃すかと云う事が筋肉に於ける最大のテーマであるが、こ れらの事は筋肉トレーニングに於いても非常に大きな意味を持って居り、この仕組みを理解しない限り一生涯に亘る筋肉 トレーニングを実施する事は出来ない。 一般に行われている筋肉トレーニングとは、負荷に対する抵抗によって筋肥大を促すものが殆どであるが、この場合の 負荷とは飽くまでも重力に沿ったものなのである。 重力を負荷としないマシーンも研究されているが、人体が重力を受け ながら逃すという根本的なシステムを内蔵している限り、如何なる負荷を作り出す仕組みを持ったマシーンであっても結 局のところ大した違いを生じさせることは出来ない。 筋肉トレーニングに於いて様々な発想と見解によって、マシーンやトレーニング方法が考案されているが、これらの総 ては筋肉が受ける負荷を前提にしているもので、その負荷を逃すと云うもう一方の仕組みについて全く関知してはいない。 負荷は筋肉にとって栄養と同じであり、どんな負荷であっても掛けた負荷に相応して筋線維は肥大するが、その肥大した 筋繊維を維持する事の難しさは、負荷を受ける事と逃すことの狭間に生じてくる。 負荷を受ける事によって肥大する筋線 維は、許容量を超えれば破壊によってそれから逃れ、トレーニングの中止と共に負荷を逃す作用によって萎縮が始まるの である。 仕事の合間を縫ってトレーニングジムに通い、首尾よく筋肉隆々の肉体を手にしても、度を超えれば故障し、其 れを止めてしまえば何ヶ月も経たない内に、遅筋は萎縮し速筋は僅かな筋肉を残して脂肪に取り換わるのである。 老衰状態の爺ちゃんの筋肉が隆々としている事は有り得ないし、筋肉トレーニングを止めても尚、当時の筋肉を維持し ている人もいない。 頑張らないと筋肉は付かないし、頑張りすぎれば故障すると、これは誰もが認める筋肉の実態である が、これは筋肉の持つ基本的特徴に過ぎず、筋肉の肥大と萎縮を担っているのは飽くまでも負荷の掛け方なのである。 筋 肉に掛かる負荷は大きいほど筋肥大を起こすと考えられているが、そこに筋肉トレーニングの最大の危険性が潜んでいる のである。 宇宙に存在する総ての固体には重力があり、その重力は常に重心に向かって働いているが、人体は地球の核に向かう重 力を逃しながらも、その重力を利用する事によって、人体が持つ独自の重心と重力をより強固なものにしているのである。 その事によって筋肉は、地球の重力に対応する役割を持つ筋肉と、体内を重心とする重力に対応する筋肉の二つの役割を 担うのであるが、地球の重力に対応する筋肉は飽くまでも骨格がバランスを得る事を主としたものであり、この筋肉は正 しい姿勢を保つ事さえ心がけていれば、殊更筋肉トレーニングなどする必要も無い。 筋肉トレーニングを行う上で忘れてならない事は、人体に重心を持つもう一つの重力に対応する筋肉の存在であり、そ のもう一つの重力を無視して筋肉トレーニングを行う事が、折角造り上げた筋肉を不活性萎縮の犠牲にさせる要因なので ある。 総ての物質には重力があり、人間もまた地球の重力に支えられながらも独自の重力を有し、人体を覆う筋肉はその 星の大気圏の役割を成しおり、それによって体内は独自の重力を働かせて体内を護っているのである。 卵の殻がその役割 を果たせなくなったとき、中の卵黄は地球の重力の影響によって、その形状を護ることが出来ないように、筋肉が萎縮し て大気圏の役割が脆弱になった時から、人体は徐々に地球の重力の影響に蝕まれていく事になる。 人体にとって本当に必要な筋肉は、腕立て伏せやダンベル・バーベル及びマシーントレーニングと云った、第三者的な 力を負荷にしたトレーニングによって育てるのではなく、自分の筋力を組み合わせる事によって本来自分の中にあるべき 重力の核に対して負荷を作り出し、その負荷によって筋肉を肥大させるのである。 それによって肥大した筋肉はマシーン やダンベル等で肥大した筋肉と違い、日常生活で使う筋肉であり、易々と不活性萎縮の対象になる事は無い。 しかも非常 に小さな負荷で、器具を使うことも場所を選ぶことも無く、効率よく究極の筋肉を作り出す事が出来る。 ・・「遅筋と速筋」・・ 骨を動かす骨格筋線維は神経を通して収縮運動をしており、発揮される筋力、収縮する速度、収縮の持続力によって遅 筋、速筋、中間筋線維の三つのタイプに分類される。 白筋線維からなる速筋は、発揮する筋力が大きく速く収縮するが、 疲労しやすく持続力が無いと云う特徴があり、陸上の百メートル走、野球やテニスのスイング、バレーボールやバスケッ トのジャンプなど持久力を必要としないバージョンに向いている。 ボディビルダーなどマッチョマンと呼ばれる筋肉隆々 タイプは、この筋肉をパーツ単位に鍛えて肥大させたものであるが、持久力がない事と個々の筋肉が連動しないことに於 いて、見た目の逞しさとは裏腹に実用性に乏しいと云う欠点を持つ。 この筋線維の収縮エネルギーは主としてアデノシン 三リン酸やグリコーゲンの分解によって得られ、無酸素機構と呼ばれる。 遅筋と呼ばれる赤筋線維は発揮する筋力が小さく、収縮速度が遅いが持久力に優れており、マラソン選手などには不可 欠の筋線維であり、筋収縮エネルギーは直接的にはアデノシン三リン酸であるが、酸素を補給しながら運動を持続させる 有酸素機構である。 この筋線維は職人などの継続的作業には欠かせないもので、職人技と呼ばれるものは凡そこの筋肉に よって支えられているが、素人が一朝一夕に付けられるようなものではなく、その職業に応じた弛まぬ持続力によって培 われるものである。 一方、遅筋と速筋の両方の性質を持ち合わせている中間筋線維は、筋収縮速度も速く、速筋よりも持 久力にも優れているが、筋線維の特徴と筋収縮エネルギー機構により速筋タイプに分類され、スピードスケートや水泳の 短距離や四百メートルくらいまでのランニング競技に向いている。 古来より農耕民族として生活し、春夏秋冬の季節ごとに決められた職務を規則正しく遂行しなければならない農作業の 性質上、速筋の持つ瞬発力よりも遅筋の持つ持続力によって生活を支えてきた歴史を持つ日本人は、遺伝的に遅筋の発達 をみるのが一般的である。 本来、日本人は速筋と呼ばれる白筋線維の発達による瞬発力やウエート・パワーによって生活 を支えてきた開拓民や狩猟民族のような筋肉隆々型の容姿とは異なり、一見華奢ではあってもマラソン選手のような粘り 強い筋力を備えているはずであるが、何代にも亘る農耕とは無縁の生活は遺伝の力を希薄にしてしまい、速筋は元より遅 筋さえも育っていない非力な若者の老後の悲惨さは察して余りある。 筋肉の構成は基本的に遺伝がベースになっており、それによって速筋が発達し易い人や遅筋の発達し易い人に自ずと別 れている。 しかし、人体に様々な遺伝の関与がある中でも、筋肉への遺伝的関与は常に暫定的なものであり、それを軽減 する事や変更する事はさほど難しい事ではない。 農耕民族の末裔であっても開拓民や狩猟民族と同じように速筋線維を意 図的に鍛えれば当然、そのような筋肉と骨格になっていくのであり、それはボディビルダーの容姿が国民性を表さないの と同じである。 身体には、古い細胞が新しい細胞に交代する、「ターンオーバー」と云う新陳代謝の原理があって、筋肉に限らず内臓 や血管から血液や骨に至るまで、常に古い細胞が壊れて新しい細胞に生まれ変わっており、それぞれの筋肉に継続的に相 応の負荷を掛け続けることによって、遺伝とは関係なく希望通りの筋肉を創り出すことが出来る。 典型的な日本人体型の 者でも身長はともかく肉体を意図的に西洋人体型に変更する事は可能なのであり、その筋肉が生み出す筋力も亦西洋人の の持つ筋力と何等変わりは無い。 速筋と遅筋は、その性質上発揮する筋力も用途も様々であり、トータル的に見てそれに優劣を付ける事は出来ないが、 不活性萎縮の観点から見ればその格差は歴然である。 速筋が不活性の対象となった場合、その筋線維は脂肪に変換されて 肉体に止まるので、筋肉ほどでは無いにしても骨格を支えることに於いて大した支障は無く、筋力的にもあまり不自由を 感じないが、遅筋の場合は脂肪に替わる間も無く萎縮してしまうので筋力的には相当な衰えを感じてしまう。 ・・「日常生活と筋力」・・ 筋肉トレーニングで真っ先に思い浮かぶのはダンベルやバーベルを使った運動やマシーンによる運動であり、手ごろな ところでは腕立て伏せなどがあるが、こう云った運動によって鍛えられる筋肉は直線的筋肉であり、およそ日常生活で使 うものとは異なる。 人体は二百六の骨とそれを動かす五百とも六百とも数えられる筋肉によって形成されているが、どの 筋肉一つとっても単一で動いているものはなく、常に幾つかの筋肉が連動する事によって稼動しているのであり、単一の 筋肉を意識してパーツ単位で鍛えるような筋トレで培われた筋肉は、見た目には立派であっても日常生活の動作では使わ ない状態で肥大しており、そのトレーニングから遠ざかれば、その筋肉が維持される事は無い。 相撲・柔道・空手・ボクシング・卓球・テニスなど、およそスポーツと呼ばれるものは筋肉のひねりと連動によって成 立しており、直線的筋肉運動によってパーツ単位で肥大させたものはスポーツには向かないが、これは日常生活に於いて も同様である、日常生活で使う筋力を如何にアップするかと云う事が、一般人が行う筋肉トレーニングの最大のテーマで あるが、実は其れが一番難しいところであり、スポーツ選手のように特定の筋肉を目的に応じて重点的に肥大させる方が 遥かに簡単な事である。 仕事や趣味で特定の筋肉を超負荷の状態で長時間使用する場合を除いて、日常生活で使う筋肉が肥大する事は殆ど無い が、これは幾つかの筋肉が効率よく連動することによって負荷を分散させると云う人体の仕組みによるもので、ツルハシ やスコップを使う肉体労働者も達人ほど筋肉隆々にはならず、その分疲れも少ない。 肉体労働者をイメージする場合筋肉 隆々の容姿を想像する事が多いが、生活の一環として長年そう云った仕事に従事している人の筋肉は、想像に反して無駄 な筋肉は殆ど無く必要な筋肉が必要な場所についているだけで、むしろ華奢な印象さえ受ける。 これは農作業に長年従事 している人も同じであり、筋肉隆々の肉体労働者が居るとすれば、それは食べ過ぎによって摂取カロリーが消費カロリー を上回っている事と、効率の悪い無駄な動作によって余分な負担を筋肉に掛けている事が原因であり、こう云った人は体 がガタガタになるのも早く定年までその仕事に従事するのは殆ど無理。 日常生活に使う筋肉を鍛える上で留意しなければならない事は、飽くまでも日常生活の運動に使われる範囲で筋肉を鍛 えるべきであり、腕立て伏せやバーベルやダンベルを上げ下げするような運動やマシーンを使ったトレーニングでは到底 日常生活で使われないような筋肉を肥大させない事である。 蓄えられた筋力の維持は日常的にその筋肉を使う事が前提で あり、日常的に使われない筋肉を肥大させる事は簡単でも、その筋肉を維持する事は容易ではなく、生涯に亘ってそれを 維持する事は不可能に近い。 一見して筋肉の運動稼動域は広くその動きは複雑であると見られやすいが、これは飽くまでも筋肉間の連動によっても たらされたのであり、個々の筋肉はただ単に「縮む」と云う仕組み以外は持ち合わせていない。 人体は骨と関節と筋肉の の関係によって成り立つが、それぞれの各部分は、非常に単純な動きをしているだけであり、「単調な骨格」「連動する 筋肉」「応用する脳」、この三大要素によって我々の日常生活は支えられているのである。 骸骨踊りを想像すれば分かる ように本来単調な動きしかしない骨格は、それを支える筋肉が連動し、更に脳が一つ一つの動きを応用する事によって複 雑な動きを表現しているのである。 手先の器用な人と不器用な人は、筋肉の違いと考えられ易いが、実際はその人の脳の 応用力の違いであり、筋肉により器用な働きを求めるのならば、筋肉の動きを訓練するよりもその動作に対するよりもそ の動作に対する脳の応用力の訓練から入った方が望ましい。 日常生活に於いて最も重要な筋力は、「脚力」と「握力」と「腹筋力」であり、この三つの筋力が備わっていれば日常 生活は磐石である。 この三つの筋力は人体に於ける総ての筋力を統合していると云っても過言ではなく、これらの筋力の 弱体化は即ち人体の弱体化そのもので、脚力と握力の弱体化は自活への最大の妨げとなり、殊に人体の要である腹筋力の 弱体化は、腰痛の原因となって背骨の歪みを促進するだけに止まらず、脚力や握力へと波及して人体のあらゆるバランス を損なう。 ・・「脚力」・・ 脚力は、その人間の生活の状況に相応しく備わるものであり、険しい山間部を上り下りする生活を日常とする人間には、 当然の如くそれに相応しい脚力が備わり、平地を生活の拠点とする者には、それに適した脚力が備わるのでり、その日常 生活条件を満たさない者が、トレーニングによって脚力だけそれに適応する仕様に改良するのは全く意味を持たない。 平 地での生活に適した脚力を持つ人間が、筋肉トレーニングに依って山間部を上り下りに適した脚力に改造したところで、 平地での生活の中でその脚力を維持する事は出来ないし、その脚力が平地での生活に役立つ事もない。 その殆どを脚力に依存するスポーツの代表は競輪であり、競輪選手の脚力は当然ながら大腿四頭筋から外側広筋や内側 広筋、ヒラメ筋や前ケイ骨筋から長ヒ骨筋や長指伸筋まで、その肥大の仕方は芸術品と云ってもよい程の見事さであるが、 如何せん平地での二足歩行には適さない。 競輪選手にとって、その総ては競技での勝利であり、現役選手は万難を排して 脚力トレーニングに励む事によって、筋力の維持と向上に勤める事が出来るが、引退して相応の期間が過ぎれば、その生 活環境に相応しい脚力に生まれ変わるのである。 脚力は歩いたり走ったりする事によって鍛えられると云う誤解が少なからずあるが、ウォーキングやジョギングによっ て脚力が鍛えられると云う事は本来無い。 日常生活に於いて歩く事が少なくなった人間は当然の如く、それに相応しい脚 力になっていくのであり、その状態が長期化すれば歩行に適した脚力は萎縮していくが、活発に歩行を開始した場合、萎 縮した筋力にとっては歩行自体が負荷となって脚力は復活する。 然し、脚力とは正常範囲に復活した脚力が、歩行する事 によってそれ以上に鍛えられるという性質のものではなく、一般の人間が脚力を鍛えるべくそれ以上に懸命にウォーキン グやジョギングに励めば、次に訪れるのは磨耗による関節や筋肉の故障である。 脚力をただ単に歩く力と解釈するのであれば、通常の場合鍛える云々の問題ではなく、歩く事が減った人は通常の範囲 で歩く事を習慣にし、通常の範囲を超えて歩き続けている人は筋肉を休ませる習慣を身に付けるだけで事は足りるのであ る。 我々の二足歩行に於いて骨格と筋肉の重要性を如何に力説しても、それらは飽くまでも基本的要素に過ぎず、その歩 行運動を支えているのはバランスと惰力であり、骨格と筋肉が相応に備わっていてもバランスと惰力を欠いた状態ではス ムーズな歩行は行えない。 平衡感覚を司る内耳に障害が起こればスムーズに歩くことが困難になるし、長期間臥せってい た病み上がりの人が急に歩けないのは、筋肉の衰えよりも平衡感覚の衰えであり、平衡感覚が戻ってくれば普通に歩ける ようになる。 然し、脳卒中の後遺症や関節部の損傷による歩行困難を、歩行によって改善しようとする行為は全く無駄や危険な事で 慎まなければならない。 脳卒中の後遺症である半身筋肉の萎縮によってバランスと惰力を欠いた状態で脚力を得ようと しても、それは決して得られるものではない。 骨や骨の関節部や筋肉の損傷及び、その後遺症は先ず歩く以外の方法を用 いて、正しく歩ける状態に筋肉を矯正した上で歩くべきであり、殊に高齢者のように筋力の衰えた状態でウォーキングな どを始めた場合、脚力が戻る前に骨や関節に負担がダイレクトに掛かって故障をするのである。 理想的な脚力トレーニングは、仰向けに寝て片方の足を浮かして親指同士を重ねて、浮かした方の足を引いて親指をこ すり合わせる方法を左右相互に回数を増やしていく。 これは寝る前や起きる前に布団の上でやる事で相当な効果がある。 ・・「握力」・・ 握力は、人間にとって不可欠の力ではあるが、通常の社会生活の中で必要以上にそれを求められる事もなく、スポーツ に於いても重要な力でありながら潜在的な力と云う思い込みが強く、その力に対する関心を持たれる事も、積極的にそれ を高めるトレーニングが行われる事も、他の筋肉トレーニングに比較して極端に少ない。 然し、握力は実質的な筋肉運動 を優位にするだけに止まらず高齢者の場合などは精神面に作用する働きも強く、極端な握力の衰えは消極的思考や否定的 な発想の元にもなり易いが、これは握力が他の筋肉と違い遺伝子の中に組み込まれた人類としての本能的な力である事に 由来する。 人間は、握力に依存して生活をする習慣から遠ざかって久しく、握力の低下も相当なものがあるが、日常生活を樹の上 で暮らすオランウータンや生活に必要な総てのものを握力に頼って処理するゴリラなどの霊長類は四百ー五百の握力を有 するのも珍しくはなく、これらにとって握力の衰えは即生活レベルに及ぶ重大事なのである。 然し、如何に器物が現代人 の握力を補うとは云え、嘗て他の霊長類と同様に生活手段の多くは握力に依存した記憶は人間の脳に残されており、握力 の低下がもたらす心身への影響は計り知れない。 効果的なトレーニングにはロッククライミングなどがあるが場所を選ぶ欠点があり、壁の桟など手近な出っ張りに指を 引っ掛けて懸垂をするのも効果があるが、これは握力が付く前に故障の危険がある。 左右の指を交差して互いに負荷を掛 け合うのが、簡単でありながら即効性と場所を必要としない理想的なトレーニングであり、この方法を越える有効且つ手 軽な握力トレーニングは存在しない。 握力トレーニングの代表は、バネを利用したグリップハンドであるが、その器具の 仕組みと握力の育成される関係に於いて、「遣らないよりは良い」程度のものでしかなく、テニスの軟式ボールを握った り、拳を握ったり開いたりする運動を繰り返すのも同様で、このようなトレーニングで握力の向上を目指すのは全くのナ ンセンス以外の何ものでもない。 ・・「腹筋力」・・ 腹筋力は、人体に於ける根幹的なもので、総ての筋肉の要である事は云うに及ばず、骨格の歪みに関わるなど、これが 衰える事によって人体には様々な不都合が引き起こされるが、中でも腰の痛みに関わる大部分はこれであり、農作業など 前屈姿勢での作業は腹筋力なくして出来るものではない。 一見して前屈姿勢と腹筋の間に相互作用は見受けられないが、 腰椎は腹筋力に支えられることによって自然に前屈姿勢をとれるのであり、腹筋が衰えた状態で農作業などをすれば腰椎 に直接負担が掛かってしまい腰痛は必至である。 二足歩行をする肉体にとって背骨と呼ばれる数々の脊柱は最も重要な部分であると共に、人間の生命線である脊髄を護 る絶対不可欠の存在であるが、人体を形成する総ての骨がそうであるように脊柱もその例外ではなく、其々の筋肉の働き を無くして動く事も支えることも出来ないのである。 中でも腹筋は内臓を護って筋肉連動の中核となるだけでなく、人間 の生活運動の要である前倒姿勢と前屈姿勢を支えるメインの筋肉であり、この筋肉が衰える事は即ち人間としての健全な 容姿と運動を保てないと云う事なのである。 我々は二足歩行が人間の原点であると考えられるが、人類の種にとってそれは単に生き抜く手段に過ぎない。 人類の総 ては脳と脊髄に凝縮され、脊柱はその脳と脳髄を繋ぐ幹線道路であるが、骨格としては非常に脆弱で、その支えは圧倒的 に腹筋に依存されており、腹筋が柱とは名ばかりの脊柱を支える堅固な壁の役割を果たさなくなったとき、人体と云う構 造建築物は崩壊の一途を辿り始めるのである。 然し、腹筋の重要性は誰もが認めながらも、それを鍛えるトレーニングは総じて強引であり、それによって腰痛を招く 事も少なくないが、本来、普通の日常生活の範囲であれば、スポーツ選手でもない限り一般人が腹筋を鍛える必要は全く 無く、正しい姿勢と下腹を常に意識して腹筋の緊張を保っていれば腹筋が衰えて生活に支障が出るような事態は起こらな い。 加齢による腹筋の衰えは偏に姿勢の悪さであり、人体の重力を逃す仕組みに依存しすぎる事によって腹筋が本来の形 状を保てなくなる事がその原因である。 腹筋は人体の矯正機能を司っており、その腹筋を正常に保っている限り骨格の歪 みやそれに纏わる支障は起こらないのが普通である。 腹筋は直立時には極力緊張させておくべきであるが、他の姿勢の時でも意識的に緊張状態にしておく事が望ましく、そ の緊張によって正常な容姿は保たれるのである。 緩んだ状態が日常化しだすと内臓や皮下に脂肪が蓄積し中年太りの容姿 になるのであり、既に中年太りの体型で、其れをスリムに矯正したいのであれば、先ず根気良く下腹を引っ込める練習か から始め、其れを習慣的にして容易に引っ込める事が出来だしたら、腹を引っ込めた状態で笑うのである。 笑いすぎて腹 筋が痛くなった経験は誰にでも一度はあると思うが、この場合本当に笑う必要は無く、息を吐き出して下腹を思いっ切り 凹ませた状態で、更に残った息を小刻みに吐き出しながら腹筋を揺さぶるのである。 腹筋は息を吸い込むときに緩み、吐 き出すときに緊張する仕組みになっているので、それを利用して腹筋を鍛えるのが理想的である。 因みに咳のし過ぎや笑 笑いすぎて腹が痛いのは、緊張した腹筋に息を吐き出す事によって追い討ちを掛けるからで、シャックリを何度しても痛 くならないのはシャックリが息を吐く行為によって起こっているからである。 ・・「筋肉と脳」・・ 動物の中で筋肉トレーニングと称して筋肉の肥大を目論むのは人間だけであり、普通の人間の十倍前後の握力を誇るオ ランウータンでさえ握力の筋肉トレーニングをする事も無ければ、比類の腕力を誇るマウンテンゴリラが腕立て伏せによ って筋力アップを図る事も、哺乳類最速のチーターが脚力を鍛える事も無い。 総ては遺伝による筋肉形成のたまものであ るが、これは亦筋肉を形成するのが脳である事の証明でもある。 総ての筋肉トレーニングは、筋肉線維は負荷運動によって肥大すると云う事実に則って行われ、如何に筋肉に合理的な 負荷を掛けて筋力を高めるかが筋肉トレーニングのテーマであるが、現実には筋肉に対する負荷の問題よりも、負荷に対 する脳の認識の問題の方がより重大である。 脳は人体の中で唯一意識を持った臓器であり、その意識は人体の随所に働き かけられているが、総ての意識は脳の嗜好を優先する事を前提として仕組まれており、筋肉トレーニングに伴う「苦痛」 「我慢」と云った事態は脳にとって最も嫌悪するところで、こう云った負荷を肉体に掛け続ければ、脳はその負荷に対す る苦痛から逃れようとして故障や挫折の方向に動き出してしまう。 そう云った意味に於いて、楽しく心地良いと云う認識 を如何にして脳に持たせるかと云う事が筋肉トレーニングには優先されるのである。 本来、人体に於ける筋力のアップは人体を支配する脳にとって大きな利益であり、それを目的とした筋肉トレーニング は歓迎すべき事ではあるが、如何せん目先の状況に左右され易い脳にとっては、筋肉トレーニングによって得られる筋力 よりも、それによって被る苦痛や我慢の回避を優先させるのである。 苦痛は嫌い、快楽は好きと云う脳の本質的な意識を 如何に諌めて改善し、筋力アップと云う人体の最大利益を得るかが筋肉トレーニングに於ける本当のテーマなのである。 人体に於ける総ての退化と進化は脳に委ねられており、脳が率先して進化に関与していくのであれば、意図的に一定の 箇所を進化させる事は難しい事ではなく、筋肉の進化もその例外ではない。 結局のところ筋肉トレーニングとは云いなが ら、如何にして脳を騙し、思い込ませて筋肥大を起こさせるかと云う事であるが、脳は非常に自分本位の臓器であると共 に相当な気紛れであり、メンタル面の教育を抜きにして筋肉トレーニングを語るわけにはいかない。 筋肉トレーニングは、 その方法や手段よりも寧ろ、それに取り組む姿勢と継続させる意識を如何にして脳に植え付ける事が出来るかに掛かって いるのである。 脳にとって最大の敵である苦痛を与えず、飽きっぽいと云う性質を継続に向かわせる事が出来れば筋肉トレーニングは 半ば成功したのも同然であり、それを好ましいと脳が感知すれば率先してそれに取り組み、延々とそれを継続させるので ある。 脳が納得し、喜んで取り組み、率先して継続するように仕向ける為には、そのトレーニングに掛かる筋肉への負荷 が軽微で尚且つ際立った成果を現す事が重要である。 我々は筋肉の肥大に於いて、如何にして大きな負荷を筋肉に掛けるかを問題にするが、脳と筋肉の関係に於いて筋肥大 を求めるのであれば、筋線維を肥大させる為にその筋肉に過剰な負荷を掛ける必要は何処にも無い。 軽微な負荷であって も脳が其れを過剰な負荷と認識すれば、その筋肉は肥大を起こすのであり、「重負荷による筋線維の断裂と超回復が筋肥 大のメカニズム」であると考えるのは、脳と筋肉の関係に於いて全く理不尽な見解である。 脳と筋肉の関係に於いて最も重大なことは、「結果的」に重たいものを持つ事によって筋肉が肥大するのであって、重 たいものを持つから筋肉が肥大するわけではないと云う仕組みの存在である。 筋肉に負荷が掛かった場合、一過性であれ ば筋肉痛や故障によってその負荷は消費されて筋肥大を起こす事はないが、その負荷が継続的に掛かった場合、脳はその 箇所の筋肉を増強させることによって強度を増す体制に入る。 その場合に脳は実際に筋肉に働いた負荷の重量ではなく、 飽くまでも脳が感知した負荷の重量に見合った補強をするのであり、其れが実際には軽微な負荷であっても脳がそれを大 きな負荷と認知すれば、その箇所は実際の負荷が掛かったと同じように肥大するのである。 筋肥大は脳が重たいものを継続的に持ったと認識する事を前提にして起こるのであり、如何にして重たいものを持って いると脳に認識させるかが、本来の筋肉トレーニングのポイントである。 然し、十キロの石を脳が五十キロの重量と認識 すれば五十キロの負荷運動に相当する筋肥大が起こるのが脳と筋肉の仕組みであるが、一方で脳には慣れると云う基本的 な性質があり、五十キロの負荷にも慣れてしまえば更なる負荷を必要としなければ筋肥大は起こらない。 軽微な負荷を大 きな負荷と脳に認識させて、その負荷を掛け続けるかが鍵となる。 ・・「成長ホルモンと筋肉」・・ 脳と筋肉の関係を取り持つのは成長ホルモンであり、詰まるところ筋肉トレーニングとは筋肥大の媒体となる成長ホル モンを如何にして誘導するかと云う処であり、汗水たらして重たいものを持たなくても、脳に重たいものを持ったと認識 させることさえ出来れば筋肉トレーニングは成立するのである。 一キロの鉄を十キロの重さであると脳に認知させて、毎 日百回上げ下ろしして肥大した筋肉と、実際に十キロの鉄を毎日百回上げ下ろしして肥大した筋肉の力は同じであるが、 現実には右手に左手を被せただけの負荷であっても筋肥大は起こり、それによって造られた筋肉の力も実際の鉄の塊を上 げ下ろしして出来た筋肥大と全く同じものなのである。 一般的に筋肉トレーニングに励む人達は、目的を持って種目に応じた筋肉を鍛えるスポーツ選手と違い、多くの場合速 筋を手っ取り早く鍛えたがる傾向がある。 速筋は無酸素機構と呼ばれ、グリコーゲンなどを分解して収縮エネルギーとす る白筋線維は瞬間的に強い力を発揮する筋線維であり、腕力とはこの筋肉の代名詞であるが、筋肉トレーニングに於いて 常に物議を醸し出すのはこの筋肉の育成方法である。 この筋線維を肥大させるためには、七割から八割以上の重い負荷を 掛ける必要があると云うのが一般論であり、その為にはより大きな負荷を如何にして継続的に筋線維に掛けることが出来 るかがポイントとなっている。 確かに、それによって筋線維が肥大する事は疑う余地も無いが、それが総てであるという 錯覚を未だに拭い去れない事が怪我の誘発や効率の悪い筋肉トレーニングに終始する要因となっている。 成長ホルモンと筋肉の関係に於いて重要な事は、脳が認知したどの時点の負荷に対して成長ホルモンが誘導されるのか と云うところである。 ホルモンは「刺激」と云う言葉に要約できるが、脳が筋肉トレーニングによる負荷に対して刺激を 受けるのは掛かった負荷が解放される瞬間であり、解放される瞬間にマックスの負荷が掛かったと脳に認知するように仕 向けておけば、脳はその認知した時点の負荷に相応しい量の成長ホルモンを下垂体から送り出して来るのである。 筋肉の 肥大が掛かった負荷を解放することによって起こるのであれば、八割以上もの重い負荷を掛ける事に意味は無い。 筋肉ト レーニングに於いて負荷を掛ける意味合いは、脳にその重量を認知させて成長ホルモンを促す事にあるのであれば、掛け る負荷に対する固定観念も大きく揺らぎ、端的に言えば人間の筋肉はマシーンやダンベルと云った器具での負荷を全く掛 けることも無く、筋線維の肥大を起こす事が出来ると云う事なのである。 筋肉トレーニングとは如何に重たいものを持つかではなく、如何に脳に負荷が掛かっている事を認識させるかと云うこ とであり、脳が負荷を認識すれば、必ずその負荷に見合った成長ホルモンが筋肉に導入されて筋肥大が起こるのである。 人体が秘める偉大な仕組みは随所に隠されているが、筋肉とその肥大の鍵が成長ホルモンと云う刺激である事実は、日常 生活の支えを筋肉に委ねている人類にとって膨大な利益をもたらすものであり、この説に則って筋肉トレーニングが行わ れるのであれば、スーパーマンのような老人も当たり前に存在する事になる。 ・・「筋肉とダイエット」・・ 人体に於いては、「体は銀行、脂肪は貯金」であり、見た目の悪さや動きにくさを問題にしなければ、体に脂肪が蓄積 している状態は決して悪いことではないが、問題は蓄積された脂肪の量と、それが体内に蓄積される原因である。 体内に脂肪が蓄積される原因は、「需要と供給のバランス」に於いて供給が需要に勝る事にあり、需要に供給が追いつ かなければ脂肪が蓄積する事はない。 それ故にダイエットのターゲットにされるのは常に供給の側であり、何をどうやっ て摂取するかがダイエットの大筋を占めているが、こう云った観点に立ったダイエットは人生に於いて非常に無味なもの で、脳にとっても痩せる為に「生きる醍醐味」である食を我慢するのは耐えられない事態であり、必ずリバウンドと云う 形で脳は自分の要求を突きつけてくる。 様々な観点から多種多様なダイエット方法が紹介されているが、これらの多くの問題点は、意識の支配する領域である 食べると云う問題に言及する余りに、肉体の支配にある需要の問題を疎かにしている点である。 そもそも人間の多くが至 る中年太りとは、食べる側の問題によって起こるのではなく、食べる事によって得たエネルギーの消費側の問題が大きく 関与しており、省エネ年代の中年に差し掛かっても尚、若い頃と替わらない食生活によって余ったカロリーが繰越に因っ て体内に蓄積されて起こるのである。 中年が省エネ型になるのは、過去の長きに亘って食糧危機と向かい合ってきた生命体の知恵ではあろうが、グルメ情報 真っ盛りの現代社会に於いて病人でもない人間が食に対してストイックに生きるのは、脳の一番の欲求を無視する事であ り、これは脳にとってプチ拷問である。 中年に差し掛かって消費エネルギーが少なくなるのは、筋肉量の減少による代謝 力の低下であり、新陳代謝の低下をダイエットのレベルで軽々しく扱う現代社会の傾向には恐れ入るばかりであるが、こ れは最早人体の根幹レベルの低下を意味するもので、食事の摂取量を制限して済む問題ではない。 加齢による生活の質の低下を防ぎ、病気を予防する方法が食事制限によって根本的に解決する事は有得ない。 総ては筋 肉量の低下によって起こる連鎖であり、適正な筋肉量を維持することが新陳代謝を適正にし、それによって病気は予防さ れて生活の質が維持され、結果的にダイエットとは関係なく適正な体型を維持できるのである。 懸命に食事制限をして理 想の体型を造り上げても、骨はカスカス、筋肉は萎縮では到底人間力を発揮して人生を謳歌することは叶わない。 筋肉が 骨を造り、その骨が体を支え、その体が生活の質を向上させるシステムは、決してダイエットで創り出す事は出来ない。 ・・付け加え・・ 文体及び説明に於ける力不足故、理解に於いて意に沿えない部分が多々あるとは想いますが、其処のところは読み手の 努力を以て補って頂きたい。 然しながら、筋肉トレーニングに於いて梃子入れ効果を用いる発想を何故、これまで人類が 見出して来る事が出来なかったのか不思議でもあるが、この筋肉トレーニングが市民権を得た時に、現在行なわれている 筋肉トレーニングが否定される事を考えれば、この筋肉トレーニング方法を開発した事は、筋肉トレーニング界のパンド ラの箱を開けたのかもしれない。

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千田琢哉の頭脳

いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事

然し、一度壊れた バランスを立て直すのは容易ではなく、年齢的余裕のある中であればまだしも、それが加齢によるものであれば、生活の 質を落としたままの不本意な人生に終始する事になりかねません。 人体は良くも悪くも互いの相乗効果によって成り立っており、意識の不都合が肉体と生命に危険を及ぼし、肉体の損傷 がそのまま生命と意識の危機に直結し、旺盛な生命力が肉体と意識を救うなど、互いが足を引っ張り合ったり助け合いな がら一連托生の関係を築き上げていますが、他方で「精神力堅固」・「生命力旺盛」・「身体丈夫」など意識・生命体・ 肉体の何れかが強烈なリーダーシップを発揮する事によってもバランスを保つ事ができます。 然し、残念ながら中国の秦始皇帝が「不老不死」の妙薬を求めてこの方、「生命体」を単一で鍛え上げる方法は未だに 発見されておらす、人間が意図的に旺盛な生命力だけを養って生きる事は現時点では不可能です。 「意識」においても、 精神面を鍛えると云う類の宗教や書籍が氾濫していますが、一過的に鍛えるのならまだしも一生涯に亘って精神面を鍛え る事は、人間が人間としての生活をしている限り非常に難しいもので、お金と地位と人間関係に恵まれた人が精神修行を して悟った気持ちになっても、その根底が覆れば精神も自ずと荒廃してしまいますし、そもそも人間の精神力が鍛えられ ると云うのは単なる錯覚でしかありません。 お寺の本堂で如何にも精神面を鍛えて悟りましたと云う風貌で鎮座する仏様 の顔も、生活の苦労が無いからこそ出来るのであり、人間界で普通の生活をしていればあんな顔が出来るものではありま せん。 我々が精神を鍛える唯一の方法は、執着を一つ一つ捨てていく事で、それによって生活の不安や病気の恐れも確実 に克服する事ができますし、最終的には死ぬと云う恐怖をも克服する事が出来ますが、結果的に生きる意義を見失うのは 見え透いており、そんな状態の人間が社会で行き抜く事など檻の中で飼育されない限り不可能です。 人間が唯一継続して鍛える事が出来るのは「肉体」だけですが、残念ながら科学を駆使する事によって筋肉の仕組みは 徹底解明しながらも、その筋肉を鍛える領域に於いては全くの手探り状態であり、筋肉トレーニングに活路を求めて切磋 琢磨しているスポーツ関係者や医療関係者でさえも、人類に貢献するほどの筋肉トレーニングには程遠いレベルで模索し ているのが現状です。 当、筋肉レバレッジ・トレーニング研究所が開発した筋肉トレーニングは、現在行なわれている一般的筋肉トレーニン グの根底を覆すものであり、このトレーニング方法が市民権を得る事によって、スポーツ関係や医療関係に及ぼす影響に 止まらず、老人の生活の質改善から精神の育成や病気の予防など、その影響力は計り知れません。 現在一般的に行なわれている筋肉トレーニングには思いの外危険が潜んでおり、専門家の指導の下で適正に行なわなけ れば、鍛えていた積もりが怪我に泣くと云う事にもなりますし、病人や老人が良かれと想って始めたトレーニングが逆効 果と云う結果を招く事も多々あります。 また、スポーツ選手が専門家の指導の下で適正に鍛えたはずの筋肉が故障の原因 となって引退に追い込まれる事も珍しくはなく、専門家の間でもトータル的な見地に立ったトレーニング方法が確立され ているわけではありません。 この筋肉レバレッジ・トレーニングは、これまで行なわれてきたものとは全く異質のものであり、マシーンやダンベル などの器具を一切使用する事もなく、腕立て伏せや腹筋を強化させる運動なども行ないませんから病人や老人にも無理な く出来ますし、日常生活で使う筋肉を鍛える事をモットーとしている為に、新聞を読みながら、テレビを観ながら、歩き ながら、立ちながら、座りながら、寝転びながら、車を運転しながら、その時その状況による日常生活の活動範囲の中で 十分に鍛えられるので、青年期をすぎて筋肉が萎縮し始める年代になれば、この筋肉トレーニングを日常的に行なう事が 不可欠です。 本稿では、筋肉レバレッジ・トレーニングの仕組みを説明するに当たり、寿命、重力、脳、成長ホルモンなど筋肉トレ ーニングとは無縁と想われる事柄にも言及していますが、筋肉トレーニングに限らず、総ての事象は必ず何某かの脈略や 連帯の上に成り立っており、直面する問題だけに解決策を求めてしまうと、意に反して本質から遠ざかる傾向が多々見受 けられます。 現在行なわれている一般的トレーニングは、そう云った意味に於いて筋肉を肥大させると云う局面に囚われ る余りに、それがシステムとして機能するものであると云う根本的な発想に欠けています。 人体に不可欠である筋肉に限らず、心臓が如何に重要で脳が全能であろうと、人体を構成する総てのものは歯車の一つ に過ぎませんが、筋肉と云う基本的な歯車が萎縮してしまう事によって総ての歯車が狂い出します。 逆に言えば、筋肉と 云う中心的歯車が力強く機能する事によって、人体の健康バロメーターとも云うべき新陳代謝が正常に機能し、免疫力も 自然治癒力も高まり、全体的歯車が正常に機能し出すと云う事でもあります。 尚、筋肉には種類や役割など様々ですが、レバレッジ・トレーニングで云うところの筋肉とは骨格筋の事であり、脳が 操る事の出来る骨格筋を積極的に鍛える事が、その支配の及ばない不随筋にも想わぬ相乗効果をもたらす事は大いに期待 の持てるところです。 ・・「人体と骨格筋」・・ 人体は、脳・脊髄・心臓・肝臓・肺・腎臓・脾臓・すい臓・胃・十二指腸・小腸・大腸・直腸など様々な役割を担う臓器 と骨、その骨を動かす骨格筋と全身に張り巡らされた血管、そして無数の酵素や脳の重さに匹敵する大腸菌の働きによって 動く、言わば自家発電型総合循環器であり、その主導権を握っている骨格筋は人体のエンジン機能そのものである。 骨格筋 が萎縮し、その働きが衰退した人体はエンジン機能の低下した車と同じであり、折角備わった性能を活かす事はおろか自在 に動く事もままならないのである。 一般的に老化とは加齢によって必然的に起こる現象と考えられ、死と共にどうする事も出来ない現象と云う観念があるが、 死ぬ事と老化には根本的な相違がある。 元気と病気に関わらず、老若男女を問わず、死は生まれてきた時からの約束事であ り、寿命の長短はあるとしても避けることの出来ない決定事項であるが、老化に関する個人差は歴然として存在する。 七十 歳そこらでヨボヨボになり、歩く事もままならない老人が介護施設の世話になっているかと思えば、方や現役として日夜農 作業に励み、豚カツを肴に晩酌を楽しむ百歳の老人がテレビで紹介されている現実は、年齢の差によるものでも性別に由来 するものでもなく、ただ単に骨格筋が萎縮しているか健全に稼動しているかの違いでしかない。 人間は年老いたからヨボヨ ボになるのではなく、骨格筋が萎縮するからヨボヨボになると云う現実を直視した上で加齢に対応していかなければ、人類 が老いる事に喜びを感じる日は永遠にやって来ない。 健康被害が懸念されるメタボリックは、今や社会的関心事であるが、これも骨格筋が衰える事によって引き起こされる弊 害であり、適正な骨格筋が維持されていれば無闇に太ったりはしない。 人体は、活動に必要なエネルギーを食事によって摂 取し、余ったエネルギーは脂肪などの形で貯蓄しており、「体は銀行、脂肪は貯金」「皮下脂肪は定期貯金、内臓脂肪は普 通貯金」「筋肉は、貯金の浪費家」と云う構図になっているが、骨格筋が萎縮し始める中年ごろから、徐々に需要と供給の バランスが崩れてくる。 若い間は殊更筋肉トレーニングなどしなくても、それなりの骨格筋が維持されている為に新陳代謝 も旺盛であり、余ったエネルギーが脂肪として貯蓄される事も少ないが、中年頃になると骨格筋の萎縮が始まり、肉体は徐 々に省エネ型体質へと移行して行くのであり、若い頃と同じ食生活を続けていけば需要よりも供給の比重が高くなって貯蓄 高が上がるのは必然的である。 飢餓との戦いに明け暮れた歴史を持つ人体が、これ幸いに余ったエネルギーを脂肪として蓄 え始める事によって、メタボリック・シンドロームへの幕は切って落とされるのであり、それはまた確実に忍び寄る人体の 滅びへの序章でもある。 食糧事情の整った社会の中で人体が陥る先は肥満であり、それは如何にして痩せるかを競うダイエット関係の書籍が、入 れ替わり立ち代り書店の棚を賑わしている事が物語っている。 然し、ただ単に痩せるだけを目的とするならば手段を選ぶ必 要はないが、健全な肉体を保つと云う前提であれば、安易なダイエットはすべきではない。 人体に於ける体重の増減に関わ る要因は、「筋肉に因る摂取エネルギーの需要と供給のバランス」「脳に因るストレスなど精神のバランス」「姿勢の歪み に因る肉体のバランス」に大別する事が出来るが、取り分け脳にとってエネルギーの貯金である脂肪は非常に重要なもので、 過剰な食事制限によるダイエットは、苦痛であるばかりか生命の危機に直面する問題であり、バナナやキャベツだけを食べ て人生を送るなど、脳に科せられた拷問以外の何ものでもなく、一時的に痩せても必ず脳は元に戻る努力を怠らないのであ る。 ダイエットの本来は、「骨格筋の維持」「精神の安定」「姿勢の矯正」「食事の節度」を護ることであるが、これはま た人体が健全さを保つための必須条件でもある。 現代人が常に懸念するところである、健康、老化、病、肥満、のキーワードは筋肉であり、骨格筋を重点的に鍛えるので れば、人体は老化する事さえ容易ではなく、安易に太る事も易々と病の虜になる事も無いのである。 人間が生まれ以て与え られた最大の武器は骨格筋であり、その筋肉の恩恵を享ける事も忘れて、老いて後に人体の不都合を嘆くのは何としても避 けたいものであるが、如何に骨格筋が重要とは云え、闇雲に筋肉を鍛えても功を奏すると云うものではない。 手当たり次第 に筋肉トレーニングを行なえば、筋肉が身に付く前に故障し、更に故障する前に挫折するのが現在行なわれている筋肉トレ ーニングのレベルなのである。 筋肉には、「負荷を逃がす仕組みを持つ」「日常生活に適応する筋肉は容易に肥大しないが、適応しない筋肉は肥大し易 い」「連動する事によって力を発揮する」、と云う基本的な資質があり、日常生活はそれが機能する事によって支障なくお くれるのである。 仮に骨格筋に負荷を逃がす仕組みが無ければ、人間が歩き続ける事は不可能になるだろうし、日常生活で 使う筋肉が日常的負荷によって簡単に肥大していくのであれば、いずれ筋肉仕事で生計を立てる事は困難になる。 また、骨 格筋が連動する事がなければ人体は効率よく筋力を発揮する事は難しく、スポーツがこれほど発展する事も人類が万物の霊 長を標榜するに違わない筋肉運動を手にする事も適わなかったのである。 本来骨格筋は、正しい姿勢を維持しながら負荷を掛け、使う事と休む事を適正に続けるのであれば殊更に鍛える必要はな いが、文明の恩恵に浸りきって肉体労働から遠ざかった現代人は、スポーツか筋肉トレーニングにでも頼らない限り、使わ ない事によって起こる不活性萎縮から筋肉を護る事は難しいのが実情である。 然し、腹筋などは殊更に鍛える必要はなく、 に乗じる生活に馴染んだ人体は、不活性萎縮と云う筋肉の原理によって、どんどん弱体化しています。 殊に腹筋などは正し 正しい姿勢さえ保っていれば易々と衰える事はないし、むしろ背筋などは必要だからと重点的に鍛えれば、筋肉間のバラン スを欠いて返って不都合が生じることになる。 筋肉トレーニングによって筋肉を鍛えるに於いて忘れてはならない事は、日 常生活に使わない筋肉は維持できない事と、パーツ単位で鍛えた筋肉は連動しにくいと云う筋肉の仕組みであり、これを留 意して行なわない限り折角肥大した筋肉も、トレーニングの中止と共に無残にも脂肪へと置き換わり始めるのである。 ・・「筋肉の仕組み」・・ 人体は二百六個の骨によって形成され、その骨を動かす筋肉は五百とも六百ともいわれているが、それらの筋肉は大きく 分けて二種類に分類する事が出来る。 一つは大脳の指令によって動くことを特徴とする骨格筋で、その形状から黄紋筋と呼 ばれており、仕事、スポーツ、日常生活等などの総ての動作はこの筋肉に支配されており、この筋肉が動かなければ人体は 指一本動かす事も眉一つ動かす事も出来ない。 もう一つは平滑筋と呼ばれるもので、この筋肉は内臓全般を形成し、大脳の 支配を全く受ける事はないが、唯一心臓を形成する心筋だけは、骨格筋でありながら大脳の支配を受ける事は無い。 筋肉の仕組みを探る上において留意しなければならないのは、脊髄反射や内臓の活動のように筋肉が脳の支配だけを受け て動いているわけではないと云う事情であり、筋肉の活動には脳以外の第三の意思も秘められていると云う実態である。 人 間を単体として捉えた場合、脳の存在は絶対的なものであり、人体の総ては脳によって支配されていると言っても過言では 無く、現実問題として我々もそう認識して生きているが、医療現場では脳が死んでも内蔵は元気に働いている事例は何等珍 しい事ではない。 我々は、一個の人間としての存在の前に人類の種としての役割を担っており、如何にして優良な種を次世 代に残すかの仕事は我々の存在以前のところから無意識にインプットされている使命であるが、生命体とも呼ぶべき種の支 配は、それだけに止まらず人体の中核である脳でさえも、その支配下にある事を避けられないのである。 人体は、「肉体を司る筋肉」と「意識を司る脳」、そして「種の存続を司る生命体」からなる化合物であり、どれ一つ失 っても人間として存在する事は適わないが、これらが共存共栄を図れるか共倒れをするかの命運は脳と筋肉の働き次第であ る。 然し、心筋が骨格筋でありながら直接的に大脳の指令を受けず、脳が創りだす苦悩によって治外法権である胃袋が病み、 意識力が衰える事によって生命力が脅かされるように、其々の間に明確な間仕切りがあるわけではなく、筋力が支配する肉 体と脳が支配する意識が共存共鳴し、生命力はそれらの状況に応じて随行すると云う運命共同体なのである。 脳の中には、種を存続させる為の様々なデーターが組み込まれているが、それは如何にして強靭で優秀な種を連綿と存続 させるかの一点に絞られており、思考力や筋力の衰退した人体には、その状態を不要と看做す生命体レベルの作用が働き、 自滅とも云える廃用スイッチのようなものが作動すると考えられる。 筋肉の不活性萎縮も、引き篭もりも、うつ病も、自殺 も、ある意味で生命体に見放された人体に起こる廃用の一環とすれば、筋肉を鍛える事によって、そう云った状況を回避す る事は我々に出来る唯一の手段である。 人体は、様々な筋肉によって形成されているが、自分の意思によって自在に動かす事の出来る筋肉は主要な骨を動かす随 意筋だけであり、筋肉トレーニングとはこの筋肉を鍛える事を目的としたものである。 この筋肉を鍛える事によって筋力が 高まり、それに応じて代謝が正常に働き、免疫や治癒力と云った人体の防衛機能が正しく作動し、結果として体力と気力を 手中にして病気の予防にも役立つのである。 脳で考える人間である前に、筋力を発揮する哺乳類である事が、ひ弱な現代人 に与えられた生命体の啓示なのである。 ・・「筋肉レバレッジ・トレーニング」・・ 筋肉レバレッジ・トレーニングとは、梃子の原理によって筋肉を鍛えるもので、現在行なわれている筋肉トレーニング とは、グローバルな意味に於いて全く一線を画したもので、いわば人類史上初めて登場した画期的な夢のトレーニングで あり、このトレーニングは、幹線筋肉を強化して生活の質を向上させる事によって老後に希望を与え、スポーツ界に新風 を起こし、医学に風穴を開ける可能性を秘めたものである。 現在、マシーンやダンベルなどの器具を使うものから、腕立て伏せなどに至るまで様々な筋肉トレーニングが考案され ており、中には腕の付け根を縛って血流を遮る事によって筋肉トレーニングの効率を図る加圧式などもあるが、何れのト レーニングにも決定的な欠点が潜んでおり、その欠点をクリアーしない限り本当の意味の筋肉トレーニングは出来ない。 その欠点とは、それらの筋肉トレーニングによって筋肉肥大を図り続ける限り、その先には筋肉の故障と云う現実が待ち 構えている点であり、負荷を掛け続けられる筋肉は何時の日か必ず臨界点に達し、それを境として破壊への方向へと進ん で行くのである。 スポーツに於ける選手寿命は、年齢的な限界によって訪れるのではなく、これ以上筋肉を鍛える事が出 来ない事情によって決定されるのである。 多くの筋肉トレーニングは、力点と作用点によって筋肉肥大を図る直線的な鍛え方であるが、それが効率の悪い筋肉を 造り上げる元凶となっている。 例えば、ダンベルトレーニングで大胸筋を鍛える場合などは、ダンベルを握る手を力点と し大胸筋を意識する事によって、そこに作用点を作り出して筋肥大を図り、上腕二頭筋を鍛える場合は、上腕二頭筋を意 識して作用点とし、ダンベルを持つ手を力点とするのである。 然し、これらのトレーニングで鍛えられた筋肉は押し並べ て硬くて融通性の無い筋肉に仕上がってしまい、何れトレーニングと筋肥大の臨界点を迎えるが、その筋肉をスポーツな どに使う事によって一層寿命が縮むのである。 力点と作用点によって行なわれる筋肉トレーニングは、力点に掛かる負荷を徐々に上げ続けていかなければ筋肥大を起 こす事は出来ないが、筋肉には負荷を掛け続ければ壊れる方向に向かうと云う筋肉負荷の原理があり、何れ筋肉に負荷を 掛け続ける事の限界を迎えるのである。 一般的筋肉トレーニングの行き着く先は、挫折して事なきを得るか、とことんや って故障するかの何れかであり、加圧式と呼ばれる方法も単にそれを早めるだけの事に過ぎない。 こう云ったトレーニン グは、筋肉に鞭を打って鍛え続けるようなもので、それによってスポーツのレベルが飛躍する事も、筋肉トレーニングを アンチエージングの武器とする事も叶わないのである。 筋肉には、「筋肥大のメカニズム」・「筋肉の連動システム」と云った基本的な仕組みがあるが、一般的筋肉トレーニ ングの多くは、それらに対する誤解あるいは無理解によって行なわれており、こう云ったトレーニングと決別しない限り、 本当の筋肉を造り上げる事は出来ない。 筋肉は連動する事によって効力を発揮するメカニズムの中で稼動しており、当然 トレーニングはそれを視野に於いて行なわれなければならないが、力点と作用点からなる直線的運動によって鍛えられた 幹線筋肉の未熟な筋肉は、鍛えるほどに使えなくなると云う皮肉な筋肉として肥大してしまう。 本来筋肉は、力点と支点と作用点からなる梃子の原理によって鍛えられるべきであり、それによって僅かな負荷を大き な負荷として作用点に伝える事が出来、しかもマシーンやバーベルなどの器具による負荷を必要としない為に、病人でも 年寄りでも簡単に行なえる。 更に、このトレーニングは、自分の体を組み合わせる事によって、あらゆる場所に力点と支 点と作用点を創り出す為に、ベッドの上でも散歩中でもテレビや新聞を観ている時でも行なえ、寿命の尽きるまで一生続 けられると云う利点がある。 筋肉レバレッジ・トレーニングと一般的トレーニングの相違は、重たい負荷を使わない為に、誰でも・何処でも・何時 でも筋肉を鍛えられる点と、一般的筋肉トレーニングに希薄な概念である幹線筋肉の強化を最重要視している点などがあ るが、中でも筋肥大が破壊に至らない事に於いて、このトレーニングを一生涯に亘って鍛え続けられる点が、老人やスポ ーツ選手に与える恩恵は計り知れないものがある。 ・・「幹線筋肉」・・ 腕相撲をする場合、指先で感じた相手の力が手掌腱膜を通して、屈筋支帯・伸筋・屈筋・上腕二頭筋・上腕三頭筋・三 角筋・大胸筋へと伝わり、其々の筋肉が一斉に縮む事によって応戦し、それを僧帽筋や広頚筋が手助けをする。 これが腕 相撲をした時に出来る筋肉の連動であり、その連動によって指先から大胸筋に繋がる一本の筋肉の流れが出来上がるが、 個々の筋肉が連動し協力し合って作り出させるマッスルパワーの流れる一本の線を幹線筋肉と称する。 医学書にもスポーツ関係書にも幹線筋肉と云う名称は明らかにされていないが、この幹線筋肉に着目しない事によって、 様々な筋肉トレーニングの間違いが引き起こされてしまうのである。 筋肉トレーニングをする場合、筋肉を肥大させる手 段としてダンベルやバーベル及びマシーンを用いるのが一般的であるが、こう云った器具を用いた運動では、力点と作用 点だけの直線的運動によって筋肉が鍛えられる為に、一つ一つの筋肉がパーツ単位で肥大してしまう。 これは、筋肉肥大 のメリハリを競うボディビルダーなどには適しているが、個々の筋肉が自己主張してしまう為に連動による幹線筋肉が不 完全になりがちで、マッスルパワーを必要とするスポーツには不向きな筋肉である。 こう云った筋肉は押し並べて見掛け 倒しである事が多く、持久力にも乏しいのが普通であると共に、こう云った筋肉を酷使すると怪我に発展するのが自然で あり、怪我に泣かされる選手の殆どは間違った筋肉トレーニングに因って筋肉を肥大させた事が原因である。 一般的にマッスルパワーと肥大した筋肉を同一視する傾向があるが、一つ一つの筋肉が如何に肥大していても、関係す る其々の筋肉が連動してより大きな幹線筋肉を造りだせない限り、その筋肉に見合ったパワーを引き出す事は出来ない。 筋肉運動に於いて幹線筋肉が重要となるのは、スポーツや日常生活に限らず人間の筋肉運動が直線的運動ではなく捻りの 加わった曲線運動によって成り立っている事に由来し、力点と作用点だけの直線運動によってパーツ単位で肥大させた上 腕二頭筋や大胸筋は、如何に見かけが立派であっても捻りの加わった筋肉運動には力を発揮出来ない。 現在行なわれている筋肉トレーニングは、縮むと云う筋肉の特質を衝いたものであるが、その鍛えられた筋肉が捻りの 加わった運動に使われると云う核心部分には全く言及していない事が、筋肉トレーニングに夜明けが訪れない原因である。 筋肉トレーニングの殆どは、縮む働きをする筋肉に抵抗を与えることによって成立させており、筋肉をパーツ単位で肥大 させる事に於いても全く問題を提起する様子は無いが、鍛えるには何の問題も無いとしても、その筋肉を使うには由々し き問題が生じるのである。 人間のしなやかな所作や重たい荷物を持ち運びするパワーは、ただ単に縮むだけの筋肉に捻りと云う動作が加わって初 めて成立する事実を認識していながら、その事実が筋肉トレーニングに於いて全く考慮されていない現実には、インスト ラクターなどに筋肉を幹線筋肉レベルで鍛える知識と技術が無い以前に、その発想さえも無いと云う如何ともし難い事情 がある。 実際問題として格闘技に限らず、およその一流スポーツ選手でボディビルダーのようなメリハリの利いた筋肉を 身に付けている選手を見受ける事はないが、これはそういった筋肉が殆どのスポーツに不向きであると共に、其々の運動 に適した幹線筋肉を開発しない限り一流選手には成れない事を物語るものでもある。 ・・「寿命と筋肉」・・ 五千年を生きるジャイアント・セコイアの樹から産卵後数時間で死ぬ蜉蝣まで、総ての生命には寿命と呼ばれる地球環 境での限られた存在期間があり、個々の生命はその限定された時間を消費して死を迎える。 人間の寿命は約百二十歳代で あると云われるが、それに四十歳前後及ばない平均寿命八十歳代の我々に何が立ちはだかっているのか・・・。 個々の生 命体が持つ寿命が、それぞれの種の存続を意図して設定されている事は想像に難くないが、人間のその寿命を支えるべき エネルギーは代謝によって生まれ、その代謝を作り出すのは筋肉であり、その筋肉を十分に支配できない事が約百二十歳 の寿命に四十歳ばかり届かない原因である。 人間の死は代謝の終わりと共に訪れるが、その代謝を作り出す筋肉の衰えは即ち代謝の衰えとなって人体に現れ、それ がその人間の状態を如実に物語るのである。 仮に、人間の筋肉が全く衰えることを知らず、老若男女が寿命を全うするま で画一的な筋肉を維持し続ける事が出来るのであれば寿命は限りなく百二十歳に近づき、死は電池切れを髣髴とさせるも のとなる。 我々は何年生きたかと云う寿命よりも、生活の質を維持した年数を重要視するのであり、ヨボヨボ・寝たきり込みの八 十年の生涯よりも、筋力を維持した七十年の生涯を願うのであり、筋力を維持した九十年の生涯であるならば無条件にそ れを望むのが人間の本来である。 老人の老人たる所以は筋肉の萎縮であり、これを宿命として甘受するか、改善の余地が あると見るかによって我々の老後は激変する。 老人・高齢者・年寄り、に共通するのは単に「筋力の低下した人」でしか ないのであり、老いて尚、若者と遜色のない筋力を有す老人が当たり前のように存在する社会が来るのであれば、老人は 社会のお荷物どころか貴重な存在として社会に貢献できるのである。 ・・「筋肉トレーニング」・・ 人体には、使わない筋肉は萎縮すると云う「不活性萎縮」の原理があり、その原理を証明するかのように老人の筋肉は 一様に萎縮するのであるが、この原理の裏を返せば使う筋肉は萎縮しないと云う事でもある。 然し、使い続ける限り萎縮 しないと云う筋肉の性質は、筋力の恩恵によって生活を維持する者にとって何ものにも代えがたい利益であるが、その利 益の前に立ちはだかるのは、同レベルで使い続ければ磨耗し、加減して使えば加減した分だけ萎縮すると云う筋肉の性質 である。 筋肉は鍛えれば鍛えるほど強固になるが、更に鍛え続ければ壊れると云う性質があり、スポーツマンの引退時期はそれ によって訪れるのである。 鍛え続ける事の限界に至った筋肉は様々な箇所に故障と云う形で現れ、一生懸命筋肉トレーニ ングに励む選手ほど故障に泣かされるのはその為である。 筋肉トレーニングは、鍛え続ければ壊れ、鍛えなければ萎縮す ると云うジレンマの中で行われるが、それを継続させる事は並大抵ではない。 然し、それ以上に時間と金銭の消費も相当 なものがあり、本格的になれば筋肉を肥大させる為にプロテインなどのサプリメントの摂取や食事制限もかなりの負担と なる。 筋肉トレーニングの難しさは、その内容の問題よりも其れを継続出来るかどうかの問題が重要であり、スポーツ選手は 引退が契機となって本格的トレーニングから退き、一般人は暇と金と根気の何れか一つの切れ目によって遠のくのが普通 である。 この事から導き出されるのは、結局のところ普通の人間が生涯に亘って筋肉トレーニングを続けることは無理で あると云う現実であり、それを物語るように普通の老人が日常生活の一環として筋肉トレーニングに励んでいる姿にお目 にかかる事はない。 それによって老人は成るべくしてヨボヨボになり、楽しいはずの老後は病院通いに費やされ、国家は その経費削減に躍起となる。 然し、これらの事は総て筋肉に対する誤解によって生じているものであり、筋肉に対する無理解とそれに纏わる筋肉ト レーニング方法の間違いによって引き起こされているのである。 筋肉は的確に鍛えるのであれば年齢を問題にする事はな く、八十歳になっても筋肉トレーニングは可能であり、それによって筋力を維持する事にも何の問題も生じては来ない。 筋肉は人体のエンジンであり、その性能が消費期限ギリギリまで維持できるのであれば、人間の寿命に対する考え方にも 積極性が出る筈である。 ・・「重力と筋力」・・ 宇宙区間では秒単位で決められたスケジュールの中で、毎日二時間の筋肉トレーニングをこなしても筋肉の減少を止め る事は不可能だったという報告がある。 確かに筋肉が宇宙空間に於いて、地球上よりも早い速度で萎縮するのは周知の事 実であるが、これは宇宙空間と云う重力の存在しない環境の中で、筋肉がその必要性を改める事が原因である。 然し、そ れは無重力状態の宇宙空間の中でより顕著に現れるだけの事であり、常に一Gの重力に支配されている環境の地球上に於 いても同様の事態は起こっているのである。 筋肉の基本原理となっている不活性萎縮とは、「使わない筋肉は萎縮する」 という原理であるが、正しくは「圧力の掛からない筋肉は萎縮する」と定義すべきである。 無重力空間での筋肉萎縮は圧 力から解放される事が原因であり、筋肉に圧力を掛け続ける事が出来るのであれば、それが宇宙空間であっても筋肉の萎 縮を避ける事は当然可能である。 人体の構造に於いて特筆すべきは、地球上を支配する重力を逃す仕組みをもっていると云う事であり、この仕組みを手 に入れた事によって人類の二足歩行は可能になったのである。 千四百グラムにも上る脳と其れを取り巻く器官、そしてそ れを護る頭蓋骨、重量しめて四キログラムを細い頚椎と僅かな筋肉で支える事が出来るのも、重力を逃す仕組みがあれば こそ、その仕組み無くして支え続けられるものではない。 然し、人体は骨格構造によって重力を逃す一方で、挙動によっ ても重力を逃す仕組みを作っており、「直立不動」の姿勢が重力も諸に受けるのに対して、「休め」の姿勢が重力を逃す 挙動である。 重力を逃す構造が骨格の領域に対して、挙動によって重力を逃すのは筋肉の領域であるが、いずれの場合も、先ず重力 を受けて後に逃すと云う経過を辿らなければ、その仕組みによって形成された形状を維持する事は出来ない。 いわば人体 の構成は先ず重力ありきで、その重力を如何に利用し、かつ、逃すかと云う事が筋肉に於ける最大のテーマであるが、こ れらの事は筋肉トレーニングに於いても非常に大きな意味を持って居り、この仕組みを理解しない限り一生涯に亘る筋肉 トレーニングを実施する事は出来ない。 一般に行われている筋肉トレーニングとは、負荷に対する抵抗によって筋肥大を促すものが殆どであるが、この場合の 負荷とは飽くまでも重力に沿ったものなのである。 重力を負荷としないマシーンも研究されているが、人体が重力を受け ながら逃すという根本的なシステムを内蔵している限り、如何なる負荷を作り出す仕組みを持ったマシーンであっても結 局のところ大した違いを生じさせることは出来ない。 筋肉トレーニングに於いて様々な発想と見解によって、マシーンやトレーニング方法が考案されているが、これらの総 ては筋肉が受ける負荷を前提にしているもので、その負荷を逃すと云うもう一方の仕組みについて全く関知してはいない。 負荷は筋肉にとって栄養と同じであり、どんな負荷であっても掛けた負荷に相応して筋線維は肥大するが、その肥大した 筋繊維を維持する事の難しさは、負荷を受ける事と逃すことの狭間に生じてくる。 負荷を受ける事によって肥大する筋線 維は、許容量を超えれば破壊によってそれから逃れ、トレーニングの中止と共に負荷を逃す作用によって萎縮が始まるの である。 仕事の合間を縫ってトレーニングジムに通い、首尾よく筋肉隆々の肉体を手にしても、度を超えれば故障し、其 れを止めてしまえば何ヶ月も経たない内に、遅筋は萎縮し速筋は僅かな筋肉を残して脂肪に取り換わるのである。 老衰状態の爺ちゃんの筋肉が隆々としている事は有り得ないし、筋肉トレーニングを止めても尚、当時の筋肉を維持し ている人もいない。 頑張らないと筋肉は付かないし、頑張りすぎれば故障すると、これは誰もが認める筋肉の実態である が、これは筋肉の持つ基本的特徴に過ぎず、筋肉の肥大と萎縮を担っているのは飽くまでも負荷の掛け方なのである。 筋 肉に掛かる負荷は大きいほど筋肥大を起こすと考えられているが、そこに筋肉トレーニングの最大の危険性が潜んでいる のである。 宇宙に存在する総ての固体には重力があり、その重力は常に重心に向かって働いているが、人体は地球の核に向かう重 力を逃しながらも、その重力を利用する事によって、人体が持つ独自の重心と重力をより強固なものにしているのである。 その事によって筋肉は、地球の重力に対応する役割を持つ筋肉と、体内を重心とする重力に対応する筋肉の二つの役割を 担うのであるが、地球の重力に対応する筋肉は飽くまでも骨格がバランスを得る事を主としたものであり、この筋肉は正 しい姿勢を保つ事さえ心がけていれば、殊更筋肉トレーニングなどする必要も無い。 筋肉トレーニングを行う上で忘れてならない事は、人体に重心を持つもう一つの重力に対応する筋肉の存在であり、そ のもう一つの重力を無視して筋肉トレーニングを行う事が、折角造り上げた筋肉を不活性萎縮の犠牲にさせる要因なので ある。 総ての物質には重力があり、人間もまた地球の重力に支えられながらも独自の重力を有し、人体を覆う筋肉はその 星の大気圏の役割を成しおり、それによって体内は独自の重力を働かせて体内を護っているのである。 卵の殻がその役割 を果たせなくなったとき、中の卵黄は地球の重力の影響によって、その形状を護ることが出来ないように、筋肉が萎縮し て大気圏の役割が脆弱になった時から、人体は徐々に地球の重力の影響に蝕まれていく事になる。 人体にとって本当に必要な筋肉は、腕立て伏せやダンベル・バーベル及びマシーントレーニングと云った、第三者的な 力を負荷にしたトレーニングによって育てるのではなく、自分の筋力を組み合わせる事によって本来自分の中にあるべき 重力の核に対して負荷を作り出し、その負荷によって筋肉を肥大させるのである。 それによって肥大した筋肉はマシーン やダンベル等で肥大した筋肉と違い、日常生活で使う筋肉であり、易々と不活性萎縮の対象になる事は無い。 しかも非常 に小さな負荷で、器具を使うことも場所を選ぶことも無く、効率よく究極の筋肉を作り出す事が出来る。 ・・「遅筋と速筋」・・ 骨を動かす骨格筋線維は神経を通して収縮運動をしており、発揮される筋力、収縮する速度、収縮の持続力によって遅 筋、速筋、中間筋線維の三つのタイプに分類される。 白筋線維からなる速筋は、発揮する筋力が大きく速く収縮するが、 疲労しやすく持続力が無いと云う特徴があり、陸上の百メートル走、野球やテニスのスイング、バレーボールやバスケッ トのジャンプなど持久力を必要としないバージョンに向いている。 ボディビルダーなどマッチョマンと呼ばれる筋肉隆々 タイプは、この筋肉をパーツ単位に鍛えて肥大させたものであるが、持久力がない事と個々の筋肉が連動しないことに於 いて、見た目の逞しさとは裏腹に実用性に乏しいと云う欠点を持つ。 この筋線維の収縮エネルギーは主としてアデノシン 三リン酸やグリコーゲンの分解によって得られ、無酸素機構と呼ばれる。 遅筋と呼ばれる赤筋線維は発揮する筋力が小さく、収縮速度が遅いが持久力に優れており、マラソン選手などには不可 欠の筋線維であり、筋収縮エネルギーは直接的にはアデノシン三リン酸であるが、酸素を補給しながら運動を持続させる 有酸素機構である。 この筋線維は職人などの継続的作業には欠かせないもので、職人技と呼ばれるものは凡そこの筋肉に よって支えられているが、素人が一朝一夕に付けられるようなものではなく、その職業に応じた弛まぬ持続力によって培 われるものである。 一方、遅筋と速筋の両方の性質を持ち合わせている中間筋線維は、筋収縮速度も速く、速筋よりも持 久力にも優れているが、筋線維の特徴と筋収縮エネルギー機構により速筋タイプに分類され、スピードスケートや水泳の 短距離や四百メートルくらいまでのランニング競技に向いている。 古来より農耕民族として生活し、春夏秋冬の季節ごとに決められた職務を規則正しく遂行しなければならない農作業の 性質上、速筋の持つ瞬発力よりも遅筋の持つ持続力によって生活を支えてきた歴史を持つ日本人は、遺伝的に遅筋の発達 をみるのが一般的である。 本来、日本人は速筋と呼ばれる白筋線維の発達による瞬発力やウエート・パワーによって生活 を支えてきた開拓民や狩猟民族のような筋肉隆々型の容姿とは異なり、一見華奢ではあってもマラソン選手のような粘り 強い筋力を備えているはずであるが、何代にも亘る農耕とは無縁の生活は遺伝の力を希薄にしてしまい、速筋は元より遅 筋さえも育っていない非力な若者の老後の悲惨さは察して余りある。 筋肉の構成は基本的に遺伝がベースになっており、それによって速筋が発達し易い人や遅筋の発達し易い人に自ずと別 れている。 しかし、人体に様々な遺伝の関与がある中でも、筋肉への遺伝的関与は常に暫定的なものであり、それを軽減 する事や変更する事はさほど難しい事ではない。 農耕民族の末裔であっても開拓民や狩猟民族と同じように速筋線維を意 図的に鍛えれば当然、そのような筋肉と骨格になっていくのであり、それはボディビルダーの容姿が国民性を表さないの と同じである。 身体には、古い細胞が新しい細胞に交代する、「ターンオーバー」と云う新陳代謝の原理があって、筋肉に限らず内臓 や血管から血液や骨に至るまで、常に古い細胞が壊れて新しい細胞に生まれ変わっており、それぞれの筋肉に継続的に相 応の負荷を掛け続けることによって、遺伝とは関係なく希望通りの筋肉を創り出すことが出来る。 典型的な日本人体型の 者でも身長はともかく肉体を意図的に西洋人体型に変更する事は可能なのであり、その筋肉が生み出す筋力も亦西洋人の の持つ筋力と何等変わりは無い。 速筋と遅筋は、その性質上発揮する筋力も用途も様々であり、トータル的に見てそれに優劣を付ける事は出来ないが、 不活性萎縮の観点から見ればその格差は歴然である。 速筋が不活性の対象となった場合、その筋線維は脂肪に変換されて 肉体に止まるので、筋肉ほどでは無いにしても骨格を支えることに於いて大した支障は無く、筋力的にもあまり不自由を 感じないが、遅筋の場合は脂肪に替わる間も無く萎縮してしまうので筋力的には相当な衰えを感じてしまう。 ・・「日常生活と筋力」・・ 筋肉トレーニングで真っ先に思い浮かぶのはダンベルやバーベルを使った運動やマシーンによる運動であり、手ごろな ところでは腕立て伏せなどがあるが、こう云った運動によって鍛えられる筋肉は直線的筋肉であり、およそ日常生活で使 うものとは異なる。 人体は二百六の骨とそれを動かす五百とも六百とも数えられる筋肉によって形成されているが、どの 筋肉一つとっても単一で動いているものはなく、常に幾つかの筋肉が連動する事によって稼動しているのであり、単一の 筋肉を意識してパーツ単位で鍛えるような筋トレで培われた筋肉は、見た目には立派であっても日常生活の動作では使わ ない状態で肥大しており、そのトレーニングから遠ざかれば、その筋肉が維持される事は無い。 相撲・柔道・空手・ボクシング・卓球・テニスなど、およそスポーツと呼ばれるものは筋肉のひねりと連動によって成 立しており、直線的筋肉運動によってパーツ単位で肥大させたものはスポーツには向かないが、これは日常生活に於いて も同様である、日常生活で使う筋力を如何にアップするかと云う事が、一般人が行う筋肉トレーニングの最大のテーマで あるが、実は其れが一番難しいところであり、スポーツ選手のように特定の筋肉を目的に応じて重点的に肥大させる方が 遥かに簡単な事である。 仕事や趣味で特定の筋肉を超負荷の状態で長時間使用する場合を除いて、日常生活で使う筋肉が肥大する事は殆ど無い が、これは幾つかの筋肉が効率よく連動することによって負荷を分散させると云う人体の仕組みによるもので、ツルハシ やスコップを使う肉体労働者も達人ほど筋肉隆々にはならず、その分疲れも少ない。 肉体労働者をイメージする場合筋肉 隆々の容姿を想像する事が多いが、生活の一環として長年そう云った仕事に従事している人の筋肉は、想像に反して無駄 な筋肉は殆ど無く必要な筋肉が必要な場所についているだけで、むしろ華奢な印象さえ受ける。 これは農作業に長年従事 している人も同じであり、筋肉隆々の肉体労働者が居るとすれば、それは食べ過ぎによって摂取カロリーが消費カロリー を上回っている事と、効率の悪い無駄な動作によって余分な負担を筋肉に掛けている事が原因であり、こう云った人は体 がガタガタになるのも早く定年までその仕事に従事するのは殆ど無理。 日常生活に使う筋肉を鍛える上で留意しなければならない事は、飽くまでも日常生活の運動に使われる範囲で筋肉を鍛 えるべきであり、腕立て伏せやバーベルやダンベルを上げ下げするような運動やマシーンを使ったトレーニングでは到底 日常生活で使われないような筋肉を肥大させない事である。 蓄えられた筋力の維持は日常的にその筋肉を使う事が前提で あり、日常的に使われない筋肉を肥大させる事は簡単でも、その筋肉を維持する事は容易ではなく、生涯に亘ってそれを 維持する事は不可能に近い。 一見して筋肉の運動稼動域は広くその動きは複雑であると見られやすいが、これは飽くまでも筋肉間の連動によっても たらされたのであり、個々の筋肉はただ単に「縮む」と云う仕組み以外は持ち合わせていない。 人体は骨と関節と筋肉の の関係によって成り立つが、それぞれの各部分は、非常に単純な動きをしているだけであり、「単調な骨格」「連動する 筋肉」「応用する脳」、この三大要素によって我々の日常生活は支えられているのである。 骸骨踊りを想像すれば分かる ように本来単調な動きしかしない骨格は、それを支える筋肉が連動し、更に脳が一つ一つの動きを応用する事によって複 雑な動きを表現しているのである。 手先の器用な人と不器用な人は、筋肉の違いと考えられ易いが、実際はその人の脳の 応用力の違いであり、筋肉により器用な働きを求めるのならば、筋肉の動きを訓練するよりもその動作に対するよりもそ の動作に対する脳の応用力の訓練から入った方が望ましい。 日常生活に於いて最も重要な筋力は、「脚力」と「握力」と「腹筋力」であり、この三つの筋力が備わっていれば日常 生活は磐石である。 この三つの筋力は人体に於ける総ての筋力を統合していると云っても過言ではなく、これらの筋力の 弱体化は即ち人体の弱体化そのもので、脚力と握力の弱体化は自活への最大の妨げとなり、殊に人体の要である腹筋力の 弱体化は、腰痛の原因となって背骨の歪みを促進するだけに止まらず、脚力や握力へと波及して人体のあらゆるバランス を損なう。 ・・「脚力」・・ 脚力は、その人間の生活の状況に相応しく備わるものであり、険しい山間部を上り下りする生活を日常とする人間には、 当然の如くそれに相応しい脚力が備わり、平地を生活の拠点とする者には、それに適した脚力が備わるのでり、その日常 生活条件を満たさない者が、トレーニングによって脚力だけそれに適応する仕様に改良するのは全く意味を持たない。 平 地での生活に適した脚力を持つ人間が、筋肉トレーニングに依って山間部を上り下りに適した脚力に改造したところで、 平地での生活の中でその脚力を維持する事は出来ないし、その脚力が平地での生活に役立つ事もない。 その殆どを脚力に依存するスポーツの代表は競輪であり、競輪選手の脚力は当然ながら大腿四頭筋から外側広筋や内側 広筋、ヒラメ筋や前ケイ骨筋から長ヒ骨筋や長指伸筋まで、その肥大の仕方は芸術品と云ってもよい程の見事さであるが、 如何せん平地での二足歩行には適さない。 競輪選手にとって、その総ては競技での勝利であり、現役選手は万難を排して 脚力トレーニングに励む事によって、筋力の維持と向上に勤める事が出来るが、引退して相応の期間が過ぎれば、その生 活環境に相応しい脚力に生まれ変わるのである。 脚力は歩いたり走ったりする事によって鍛えられると云う誤解が少なからずあるが、ウォーキングやジョギングによっ て脚力が鍛えられると云う事は本来無い。 日常生活に於いて歩く事が少なくなった人間は当然の如く、それに相応しい脚 力になっていくのであり、その状態が長期化すれば歩行に適した脚力は萎縮していくが、活発に歩行を開始した場合、萎 縮した筋力にとっては歩行自体が負荷となって脚力は復活する。 然し、脚力とは正常範囲に復活した脚力が、歩行する事 によってそれ以上に鍛えられるという性質のものではなく、一般の人間が脚力を鍛えるべくそれ以上に懸命にウォーキン グやジョギングに励めば、次に訪れるのは磨耗による関節や筋肉の故障である。 脚力をただ単に歩く力と解釈するのであれば、通常の場合鍛える云々の問題ではなく、歩く事が減った人は通常の範囲 で歩く事を習慣にし、通常の範囲を超えて歩き続けている人は筋肉を休ませる習慣を身に付けるだけで事は足りるのであ る。 我々の二足歩行に於いて骨格と筋肉の重要性を如何に力説しても、それらは飽くまでも基本的要素に過ぎず、その歩 行運動を支えているのはバランスと惰力であり、骨格と筋肉が相応に備わっていてもバランスと惰力を欠いた状態ではス ムーズな歩行は行えない。 平衡感覚を司る内耳に障害が起こればスムーズに歩くことが困難になるし、長期間臥せってい た病み上がりの人が急に歩けないのは、筋肉の衰えよりも平衡感覚の衰えであり、平衡感覚が戻ってくれば普通に歩ける ようになる。 然し、脳卒中の後遺症や関節部の損傷による歩行困難を、歩行によって改善しようとする行為は全く無駄や危険な事で 慎まなければならない。 脳卒中の後遺症である半身筋肉の萎縮によってバランスと惰力を欠いた状態で脚力を得ようと しても、それは決して得られるものではない。 骨や骨の関節部や筋肉の損傷及び、その後遺症は先ず歩く以外の方法を用 いて、正しく歩ける状態に筋肉を矯正した上で歩くべきであり、殊に高齢者のように筋力の衰えた状態でウォーキングな どを始めた場合、脚力が戻る前に骨や関節に負担がダイレクトに掛かって故障をするのである。 理想的な脚力トレーニングは、仰向けに寝て片方の足を浮かして親指同士を重ねて、浮かした方の足を引いて親指をこ すり合わせる方法を左右相互に回数を増やしていく。 これは寝る前や起きる前に布団の上でやる事で相当な効果がある。 ・・「握力」・・ 握力は、人間にとって不可欠の力ではあるが、通常の社会生活の中で必要以上にそれを求められる事もなく、スポーツ に於いても重要な力でありながら潜在的な力と云う思い込みが強く、その力に対する関心を持たれる事も、積極的にそれ を高めるトレーニングが行われる事も、他の筋肉トレーニングに比較して極端に少ない。 然し、握力は実質的な筋肉運動 を優位にするだけに止まらず高齢者の場合などは精神面に作用する働きも強く、極端な握力の衰えは消極的思考や否定的 な発想の元にもなり易いが、これは握力が他の筋肉と違い遺伝子の中に組み込まれた人類としての本能的な力である事に 由来する。 人間は、握力に依存して生活をする習慣から遠ざかって久しく、握力の低下も相当なものがあるが、日常生活を樹の上 で暮らすオランウータンや生活に必要な総てのものを握力に頼って処理するゴリラなどの霊長類は四百ー五百の握力を有 するのも珍しくはなく、これらにとって握力の衰えは即生活レベルに及ぶ重大事なのである。 然し、如何に器物が現代人 の握力を補うとは云え、嘗て他の霊長類と同様に生活手段の多くは握力に依存した記憶は人間の脳に残されており、握力 の低下がもたらす心身への影響は計り知れない。 効果的なトレーニングにはロッククライミングなどがあるが場所を選ぶ欠点があり、壁の桟など手近な出っ張りに指を 引っ掛けて懸垂をするのも効果があるが、これは握力が付く前に故障の危険がある。 左右の指を交差して互いに負荷を掛 け合うのが、簡単でありながら即効性と場所を必要としない理想的なトレーニングであり、この方法を越える有効且つ手 軽な握力トレーニングは存在しない。 握力トレーニングの代表は、バネを利用したグリップハンドであるが、その器具の 仕組みと握力の育成される関係に於いて、「遣らないよりは良い」程度のものでしかなく、テニスの軟式ボールを握った り、拳を握ったり開いたりする運動を繰り返すのも同様で、このようなトレーニングで握力の向上を目指すのは全くのナ ンセンス以外の何ものでもない。 ・・「腹筋力」・・ 腹筋力は、人体に於ける根幹的なもので、総ての筋肉の要である事は云うに及ばず、骨格の歪みに関わるなど、これが 衰える事によって人体には様々な不都合が引き起こされるが、中でも腰の痛みに関わる大部分はこれであり、農作業など 前屈姿勢での作業は腹筋力なくして出来るものではない。 一見して前屈姿勢と腹筋の間に相互作用は見受けられないが、 腰椎は腹筋力に支えられることによって自然に前屈姿勢をとれるのであり、腹筋が衰えた状態で農作業などをすれば腰椎 に直接負担が掛かってしまい腰痛は必至である。 二足歩行をする肉体にとって背骨と呼ばれる数々の脊柱は最も重要な部分であると共に、人間の生命線である脊髄を護 る絶対不可欠の存在であるが、人体を形成する総ての骨がそうであるように脊柱もその例外ではなく、其々の筋肉の働き を無くして動く事も支えることも出来ないのである。 中でも腹筋は内臓を護って筋肉連動の中核となるだけでなく、人間 の生活運動の要である前倒姿勢と前屈姿勢を支えるメインの筋肉であり、この筋肉が衰える事は即ち人間としての健全な 容姿と運動を保てないと云う事なのである。 我々は二足歩行が人間の原点であると考えられるが、人類の種にとってそれは単に生き抜く手段に過ぎない。 人類の総 ては脳と脊髄に凝縮され、脊柱はその脳と脳髄を繋ぐ幹線道路であるが、骨格としては非常に脆弱で、その支えは圧倒的 に腹筋に依存されており、腹筋が柱とは名ばかりの脊柱を支える堅固な壁の役割を果たさなくなったとき、人体と云う構 造建築物は崩壊の一途を辿り始めるのである。 然し、腹筋の重要性は誰もが認めながらも、それを鍛えるトレーニングは総じて強引であり、それによって腰痛を招く 事も少なくないが、本来、普通の日常生活の範囲であれば、スポーツ選手でもない限り一般人が腹筋を鍛える必要は全く 無く、正しい姿勢と下腹を常に意識して腹筋の緊張を保っていれば腹筋が衰えて生活に支障が出るような事態は起こらな い。 加齢による腹筋の衰えは偏に姿勢の悪さであり、人体の重力を逃す仕組みに依存しすぎる事によって腹筋が本来の形 状を保てなくなる事がその原因である。 腹筋は人体の矯正機能を司っており、その腹筋を正常に保っている限り骨格の歪 みやそれに纏わる支障は起こらないのが普通である。 腹筋は直立時には極力緊張させておくべきであるが、他の姿勢の時でも意識的に緊張状態にしておく事が望ましく、そ の緊張によって正常な容姿は保たれるのである。 緩んだ状態が日常化しだすと内臓や皮下に脂肪が蓄積し中年太りの容姿 になるのであり、既に中年太りの体型で、其れをスリムに矯正したいのであれば、先ず根気良く下腹を引っ込める練習か から始め、其れを習慣的にして容易に引っ込める事が出来だしたら、腹を引っ込めた状態で笑うのである。 笑いすぎて腹 筋が痛くなった経験は誰にでも一度はあると思うが、この場合本当に笑う必要は無く、息を吐き出して下腹を思いっ切り 凹ませた状態で、更に残った息を小刻みに吐き出しながら腹筋を揺さぶるのである。 腹筋は息を吸い込むときに緩み、吐 き出すときに緊張する仕組みになっているので、それを利用して腹筋を鍛えるのが理想的である。 因みに咳のし過ぎや笑 笑いすぎて腹が痛いのは、緊張した腹筋に息を吐き出す事によって追い討ちを掛けるからで、シャックリを何度しても痛 くならないのはシャックリが息を吐く行為によって起こっているからである。 ・・「筋肉と脳」・・ 動物の中で筋肉トレーニングと称して筋肉の肥大を目論むのは人間だけであり、普通の人間の十倍前後の握力を誇るオ ランウータンでさえ握力の筋肉トレーニングをする事も無ければ、比類の腕力を誇るマウンテンゴリラが腕立て伏せによ って筋力アップを図る事も、哺乳類最速のチーターが脚力を鍛える事も無い。 総ては遺伝による筋肉形成のたまものであ るが、これは亦筋肉を形成するのが脳である事の証明でもある。 総ての筋肉トレーニングは、筋肉線維は負荷運動によって肥大すると云う事実に則って行われ、如何に筋肉に合理的な 負荷を掛けて筋力を高めるかが筋肉トレーニングのテーマであるが、現実には筋肉に対する負荷の問題よりも、負荷に対 する脳の認識の問題の方がより重大である。 脳は人体の中で唯一意識を持った臓器であり、その意識は人体の随所に働き かけられているが、総ての意識は脳の嗜好を優先する事を前提として仕組まれており、筋肉トレーニングに伴う「苦痛」 「我慢」と云った事態は脳にとって最も嫌悪するところで、こう云った負荷を肉体に掛け続ければ、脳はその負荷に対す る苦痛から逃れようとして故障や挫折の方向に動き出してしまう。 そう云った意味に於いて、楽しく心地良いと云う認識 を如何にして脳に持たせるかと云う事が筋肉トレーニングには優先されるのである。 本来、人体に於ける筋力のアップは人体を支配する脳にとって大きな利益であり、それを目的とした筋肉トレーニング は歓迎すべき事ではあるが、如何せん目先の状況に左右され易い脳にとっては、筋肉トレーニングによって得られる筋力 よりも、それによって被る苦痛や我慢の回避を優先させるのである。 苦痛は嫌い、快楽は好きと云う脳の本質的な意識を 如何に諌めて改善し、筋力アップと云う人体の最大利益を得るかが筋肉トレーニングに於ける本当のテーマなのである。 人体に於ける総ての退化と進化は脳に委ねられており、脳が率先して進化に関与していくのであれば、意図的に一定の 箇所を進化させる事は難しい事ではなく、筋肉の進化もその例外ではない。 結局のところ筋肉トレーニングとは云いなが ら、如何にして脳を騙し、思い込ませて筋肥大を起こさせるかと云う事であるが、脳は非常に自分本位の臓器であると共 に相当な気紛れであり、メンタル面の教育を抜きにして筋肉トレーニングを語るわけにはいかない。 筋肉トレーニングは、 その方法や手段よりも寧ろ、それに取り組む姿勢と継続させる意識を如何にして脳に植え付ける事が出来るかに掛かって いるのである。 脳にとって最大の敵である苦痛を与えず、飽きっぽいと云う性質を継続に向かわせる事が出来れば筋肉トレーニングは 半ば成功したのも同然であり、それを好ましいと脳が感知すれば率先してそれに取り組み、延々とそれを継続させるので ある。 脳が納得し、喜んで取り組み、率先して継続するように仕向ける為には、そのトレーニングに掛かる筋肉への負荷 が軽微で尚且つ際立った成果を現す事が重要である。 我々は筋肉の肥大に於いて、如何にして大きな負荷を筋肉に掛けるかを問題にするが、脳と筋肉の関係に於いて筋肥大 を求めるのであれば、筋線維を肥大させる為にその筋肉に過剰な負荷を掛ける必要は何処にも無い。 軽微な負荷であって も脳が其れを過剰な負荷と認識すれば、その筋肉は肥大を起こすのであり、「重負荷による筋線維の断裂と超回復が筋肥 大のメカニズム」であると考えるのは、脳と筋肉の関係に於いて全く理不尽な見解である。 脳と筋肉の関係に於いて最も重大なことは、「結果的」に重たいものを持つ事によって筋肉が肥大するのであって、重 たいものを持つから筋肉が肥大するわけではないと云う仕組みの存在である。 筋肉に負荷が掛かった場合、一過性であれ ば筋肉痛や故障によってその負荷は消費されて筋肥大を起こす事はないが、その負荷が継続的に掛かった場合、脳はその 箇所の筋肉を増強させることによって強度を増す体制に入る。 その場合に脳は実際に筋肉に働いた負荷の重量ではなく、 飽くまでも脳が感知した負荷の重量に見合った補強をするのであり、其れが実際には軽微な負荷であっても脳がそれを大 きな負荷と認知すれば、その箇所は実際の負荷が掛かったと同じように肥大するのである。 筋肥大は脳が重たいものを継続的に持ったと認識する事を前提にして起こるのであり、如何にして重たいものを持って いると脳に認識させるかが、本来の筋肉トレーニングのポイントである。 然し、十キロの石を脳が五十キロの重量と認識 すれば五十キロの負荷運動に相当する筋肥大が起こるのが脳と筋肉の仕組みであるが、一方で脳には慣れると云う基本的 な性質があり、五十キロの負荷にも慣れてしまえば更なる負荷を必要としなければ筋肥大は起こらない。 軽微な負荷を大 きな負荷と脳に認識させて、その負荷を掛け続けるかが鍵となる。 ・・「成長ホルモンと筋肉」・・ 脳と筋肉の関係を取り持つのは成長ホルモンであり、詰まるところ筋肉トレーニングとは筋肥大の媒体となる成長ホル モンを如何にして誘導するかと云う処であり、汗水たらして重たいものを持たなくても、脳に重たいものを持ったと認識 させることさえ出来れば筋肉トレーニングは成立するのである。 一キロの鉄を十キロの重さであると脳に認知させて、毎 日百回上げ下ろしして肥大した筋肉と、実際に十キロの鉄を毎日百回上げ下ろしして肥大した筋肉の力は同じであるが、 現実には右手に左手を被せただけの負荷であっても筋肥大は起こり、それによって造られた筋肉の力も実際の鉄の塊を上 げ下ろしして出来た筋肥大と全く同じものなのである。 一般的に筋肉トレーニングに励む人達は、目的を持って種目に応じた筋肉を鍛えるスポーツ選手と違い、多くの場合速 筋を手っ取り早く鍛えたがる傾向がある。 速筋は無酸素機構と呼ばれ、グリコーゲンなどを分解して収縮エネルギーとす る白筋線維は瞬間的に強い力を発揮する筋線維であり、腕力とはこの筋肉の代名詞であるが、筋肉トレーニングに於いて 常に物議を醸し出すのはこの筋肉の育成方法である。 この筋線維を肥大させるためには、七割から八割以上の重い負荷を 掛ける必要があると云うのが一般論であり、その為にはより大きな負荷を如何にして継続的に筋線維に掛けることが出来 るかがポイントとなっている。 確かに、それによって筋線維が肥大する事は疑う余地も無いが、それが総てであるという 錯覚を未だに拭い去れない事が怪我の誘発や効率の悪い筋肉トレーニングに終始する要因となっている。 成長ホルモンと筋肉の関係に於いて重要な事は、脳が認知したどの時点の負荷に対して成長ホルモンが誘導されるのか と云うところである。 ホルモンは「刺激」と云う言葉に要約できるが、脳が筋肉トレーニングによる負荷に対して刺激を 受けるのは掛かった負荷が解放される瞬間であり、解放される瞬間にマックスの負荷が掛かったと脳に認知するように仕 向けておけば、脳はその認知した時点の負荷に相応しい量の成長ホルモンを下垂体から送り出して来るのである。 筋肉の 肥大が掛かった負荷を解放することによって起こるのであれば、八割以上もの重い負荷を掛ける事に意味は無い。 筋肉ト レーニングに於いて負荷を掛ける意味合いは、脳にその重量を認知させて成長ホルモンを促す事にあるのであれば、掛け る負荷に対する固定観念も大きく揺らぎ、端的に言えば人間の筋肉はマシーンやダンベルと云った器具での負荷を全く掛 けることも無く、筋線維の肥大を起こす事が出来ると云う事なのである。 筋肉トレーニングとは如何に重たいものを持つかではなく、如何に脳に負荷が掛かっている事を認識させるかと云うこ とであり、脳が負荷を認識すれば、必ずその負荷に見合った成長ホルモンが筋肉に導入されて筋肥大が起こるのである。 人体が秘める偉大な仕組みは随所に隠されているが、筋肉とその肥大の鍵が成長ホルモンと云う刺激である事実は、日常 生活の支えを筋肉に委ねている人類にとって膨大な利益をもたらすものであり、この説に則って筋肉トレーニングが行わ れるのであれば、スーパーマンのような老人も当たり前に存在する事になる。 ・・「筋肉とダイエット」・・ 人体に於いては、「体は銀行、脂肪は貯金」であり、見た目の悪さや動きにくさを問題にしなければ、体に脂肪が蓄積 している状態は決して悪いことではないが、問題は蓄積された脂肪の量と、それが体内に蓄積される原因である。 体内に脂肪が蓄積される原因は、「需要と供給のバランス」に於いて供給が需要に勝る事にあり、需要に供給が追いつ かなければ脂肪が蓄積する事はない。 それ故にダイエットのターゲットにされるのは常に供給の側であり、何をどうやっ て摂取するかがダイエットの大筋を占めているが、こう云った観点に立ったダイエットは人生に於いて非常に無味なもの で、脳にとっても痩せる為に「生きる醍醐味」である食を我慢するのは耐えられない事態であり、必ずリバウンドと云う 形で脳は自分の要求を突きつけてくる。 様々な観点から多種多様なダイエット方法が紹介されているが、これらの多くの問題点は、意識の支配する領域である 食べると云う問題に言及する余りに、肉体の支配にある需要の問題を疎かにしている点である。 そもそも人間の多くが至 る中年太りとは、食べる側の問題によって起こるのではなく、食べる事によって得たエネルギーの消費側の問題が大きく 関与しており、省エネ年代の中年に差し掛かっても尚、若い頃と替わらない食生活によって余ったカロリーが繰越に因っ て体内に蓄積されて起こるのである。 中年が省エネ型になるのは、過去の長きに亘って食糧危機と向かい合ってきた生命体の知恵ではあろうが、グルメ情報 真っ盛りの現代社会に於いて病人でもない人間が食に対してストイックに生きるのは、脳の一番の欲求を無視する事であ り、これは脳にとってプチ拷問である。 中年に差し掛かって消費エネルギーが少なくなるのは、筋肉量の減少による代謝 力の低下であり、新陳代謝の低下をダイエットのレベルで軽々しく扱う現代社会の傾向には恐れ入るばかりであるが、こ れは最早人体の根幹レベルの低下を意味するもので、食事の摂取量を制限して済む問題ではない。 加齢による生活の質の低下を防ぎ、病気を予防する方法が食事制限によって根本的に解決する事は有得ない。 総ては筋 肉量の低下によって起こる連鎖であり、適正な筋肉量を維持することが新陳代謝を適正にし、それによって病気は予防さ れて生活の質が維持され、結果的にダイエットとは関係なく適正な体型を維持できるのである。 懸命に食事制限をして理 想の体型を造り上げても、骨はカスカス、筋肉は萎縮では到底人間力を発揮して人生を謳歌することは叶わない。 筋肉が 骨を造り、その骨が体を支え、その体が生活の質を向上させるシステムは、決してダイエットで創り出す事は出来ない。 ・・付け加え・・ 文体及び説明に於ける力不足故、理解に於いて意に沿えない部分が多々あるとは想いますが、其処のところは読み手の 努力を以て補って頂きたい。 然しながら、筋肉トレーニングに於いて梃子入れ効果を用いる発想を何故、これまで人類が 見出して来る事が出来なかったのか不思議でもあるが、この筋肉トレーニングが市民権を得た時に、現在行なわれている 筋肉トレーニングが否定される事を考えれば、この筋肉トレーニング方法を開発した事は、筋肉トレーニング界のパンド ラの箱を開けたのかもしれない。

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インターネット短歌「前月までの歌」(短歌会雑紙「槻の木」の「今月の歌」の前月分までをまとめて紹介)

いとも た やすく 行 われる 十 三 歳 が 生きる 為 の お 仕事

秀吉 ( ひでよし )の 赴 ( おもむ )いている中国陣。 光秀 ( みつひで )の活躍している 丹波 ( たんば )方面の戦線。 また、包囲長攻のまま年を越した 伊丹 ( いたみ )の陣。 信長の事業はいま、こう三方面に展開されている。 中国も伊丹も依然、 膠着 ( こうちゃく )状態と化している。 やや活溌にうごいているのは、丹波方面だけだった。 そう三方面から日々ここへ 蒐 ( あつ )まって来る文書、報告なども 夥 ( おびただ )しい。 もちろん 参謀 ( さんぼう )、 祐筆 ( ゆうひつ )などの部屋を通って一応は整理され、緊要なものだけが信長の眼に供された。 その中から、佐久間 信盛 ( のぶもり )の一通が見出された。 非常に気に入らない顔色でそれを読み捨てた。 読み 反古 ( ほご )の始末は 蘭丸 ( らんまる )がする。 (……なにが、 御意 ( ぎょい )に召さなかったのか) と、怪しんでいたので、その 反古 ( ほご )をあとでそっと 披 ( ひら )いてみた。 べつに信長の気色に触れるようなことも書いてはない。 ただそれには、伊丹へ帰陣の途中、竹中半兵衛を訪うて、かねてのお申し附けを催促しておいたという報告だけしか読まれなかった。 もっとも、微細に、その辞句の裏を読めば、信盛がいおうとしているところは、べつに深く 酌 ( く )めないこともない。 意外にも半兵衛儀は、まだ 御申 ( おんもう )し 附 ( つ )けの事を、実行しておりません。 使者たるそれがし落度とも相成る事、 厳 ( きび )しく 督促 ( とくそく )いたしおきました。 大事の御命、仕損じてはと、小心にも自身手をくだすつもりと見えました。 近日に御命を果しましょう。 それがしにとっても重々、迷惑、伏して御寛仁を仰ぎます。 こういったようなものである。 この辞句の裏には何よりも信盛が自己の罪のみを 汲々 ( きゅうきゅう )と怖れて弁解している気もちが出ている。 いやそれ以外には何もないといってもいい。 (それが御機嫌に 逆 ( さか )らったものであろう) 蘭丸にもその程度にしか考えられなかった。 ただ、その一端として、 窺 ( うかが )われ得ないこともなかったといえる一事は、信盛から右のような通告に接しても、信長はその時、半兵衛重治の違命と怠慢に向っては、べつに激怒する 容子 ( ようす )もないし、その後も不問のまま 敢 ( あ )えて自分からは督促していないことだった。 しかしまた、信長のそういう複雑な気の変り方を、竹中半兵衛とても、知ろうはずはなかった。 半兵衛はともかく、 侍 ( かしず )いて 看護 ( みとり )しているおゆうや家臣たちは、 「何とかなされずばなるまいが……」 と、案じ合い、なお 何日 ( いつ )になっても、その問題を処決する 容子 ( ようす )もない半兵衛の心を読みかねて、 「どう遊ばすおつもりか」 と、無言のうちに胸をいためていたことは 一通 ( ひととお )りでなかった。 そのうちに一月も過ぎた。 二月も半ばとなった。 梅が咲く。 日ましに陽ざしも暖かになって来たが、半兵衛の 病 ( やまい )は、やはり軽くなかった。 気丈 ( きじょう )ではあり、むさくるしいのが嫌いなので、どんな朝でも、病室は清掃させ、そして 浄 ( きよ )らかな朝の間の陽ざしを 浴 ( あ )みに、縁近い南の端に黙然と疲れるまで坐っているのが、朝々の習慣のようだった。 彼女はそこへ、茶を汲んでゆく。 病中の一楽はその茶碗からたちのぼる 湯気 ( ゆげ )の虹を朝陽のなかに 眩 ( まばゆ )く見ることだった。 「けさほどは、お顔色も大変良いようにお見うけいたしますが」 「そうだろう」 茶碗を抱いていた細い手のひとつを、わが頬へやって撫でまわしながら、半兵衛は、 「わしにも春が来たらしいよ。 たいへんいい。 この二、三日は、わけて気分がいい」 と、笑ってみせた。 顔いろもよし、気分もこの二、三日は、わけて 快 ( い )いという。 そういう今朝の兄をながめて、おゆうは無上に 欣 ( うれ )しかった。 しかし、またふと、淋しくもあった。 なぜならば、 ( 所詮 ( しょせん )、根治するとまでは、おうけあいいたしかねる) と、これはいつか、そっと医者から 戒告 ( かいこく )されていたことばである。 何かにつけて、それがすぐ胸をかすめるからであった。 けれど彼女は、ひとりこうきめている。 自分の真心と、不断の 看護 ( みとり )をもって、きっとこの兄を、もういちど健康にしてみせる。 いまは、そもじの御つとめ、それ唯ひとつと、 丹精 ( たんせい )くれぐれたのみ 入候 ( いりそろ ) とは、ついきのうも、 播磨 ( はりま )の陣から彼女の許へ来た消息に見える秀吉のことばだった。 「お兄上さま。 このぶんで御快方にむかえば、さくらの咲く頃には、きっとお床上げができましょう」 「ゆう……」 「はい」 「心労をかけたな。 おまえにも」 「なんの……。 またにわかに改まって、お兄上さまが、何を仰っしゃるかと思えば」 「は、は、は」 病者の笑いには力がない。 半兵衛は 愛 ( いと )しげな眼を 凝 ( こ )らして、 「 兄妹 ( きょうだい )であるがために、却って日ごろは、ありがたいということばすらいったためしはないが、何か、改まって、今朝は礼を云いたくなった。 ……これも気分がよいせいであろう」 「それなら 欣 ( うれ )しゅうございますが」 「 顧 ( かえり )みれば、もう十年の余になるな、 菩提山 ( ぼだいさん )の城を去って、故郷栗原山の山中にかくれた時から」 「月日のはやさ。 ふり 顧 ( かえ )ってみると、何もかも夢のようでございます」 「すでにその頃から、山中人のわしの側にあって、朝夕の 炊 ( かし )ぎ、身のまわりから薬の世話まで、みなそなたがしてくれていた。 思えば長いあいだの苦労を」 「いいえ、それもわずかの間でした。 お兄上さまは、あの頃からよく、わしの病は 癒 ( なお )るまいと仰っしゃっていましたが、それがたちまち御快方に向うと、秀吉さまの 帷幕 ( いばく )に参じて、姉川の 戦 ( いくさ )、 長篠 ( ながしの )の戦い、さては越前へ、大坂へ、また伊勢路へと、御合戦のやむ間もない年々を、あんなお元気にお過し遊ばしたではございませんか」 「そうだったなあ。 生きてこの激しい世のなかの落着くさまを見とどけたい。 また、かりそめならぬ主従の縁にむすばれた秀吉様の将来をも……ああ、からださえ丈夫ならば微力のかぎりお 扶 ( たす )けして参りたい」 「どうぞ、そうして下さいませ」 「……だが」 と、半兵衛はふと声を落して、 「どうにもならないものが人間の 天寿 ( てんじゅ )だ。 いかにせん、こればかりは」 無念そうに 呟 ( つぶや )いた。 その眸を見て、おゆうは、はっと胸をつかれた。 なにか、兄はひそかに独り期しているのではあるまいかと。 南禅寺の鐘はのどかに 午 ( ひる )をつげている。 戦国とはいえ、梅が咲けば、梅に杖をひく人影も見え、梅が散れば、梅に 啼 ( な )くうぐいすの声もする。 快 ( よ )いほうとはいいながら、夜に入ると、春もまだ二月、 草庵 ( そうあん )の 燈 ( ともし )は、半兵衛の 咳 ( せ )き 入 ( い )る声に、寒々と揺れた。 ためにおゆうは幾たびか、夜半にも起きて、兄の背をさすり明かした。 病骨の背なかなどさすらせては 勿体 ( もったい )ない」 と気がねして、どうしても、家来の手にはそういうことをさせないのである。 「……お、 燈火 ( ともしび )がもれています。 お待ちなさい。 誰か起きておりましょう」 外の人声は、やがて軒下に寄って来た。 そして軽く、雨戸をたたく。 「誰じゃ?」 「おゆう様ですか。 熊太郎でございます。 伊丹 ( いたみ )へ参った 栗原熊太郎 ( くりはらくまたろう )、いま戻って参りました」 「おお。 帰って来ましたか。 ひとりと思いのほか、三名の人影が星明りを 塞 ( ふさ )いでいた。 熊太郎は手を出して、おゆうから桶を借りうけ、ほかの二名を誘って、井戸のそばへ行った。 「…… 誰方 ( どなた )であろう?」 彼女はそこに 佇 ( た )っていた。 熊太郎というのは、半兵衛が栗原山に閑居していた頃から召使の 童子 ( どうじ )として年来側近く育てて来た家来である。 その頃は小熊と称していたが、いまはもう三十がらみの見事なさむらいとなっている。 その熊太郎が、 釣瓶 ( つるべ )を汲みあげては桶へ水をそそぎ落すと、他の二名は、手足の泥や 袂 ( たもと )の血など洗い落している 容子 ( ようす )であった。 兄の半兵衛に命じられて、深夜ながら取り急いで、おゆうは小書院に明りを 燈 ( とも )したり、 火桶 ( ひおけ )へ火を入れたり、客の 褥 ( しとね )をそろえたりし始めた。 兄のことばによると、 「熊太郎の 伴 ( つ )れて来た客のひとりは、きっと黒田官兵衛どのだろう」 とのことに、彼女もすくなからず驚いた。 去年から伊丹城の中に 囚 ( とら )われて 監禁 ( かんきん )されているとか、荒木の同類になって立て 籠 ( こも )ったとか、いろいろ沙汰されている問題の人だからである。 「ゆう。 わしの 胴服 ( どうふく )を」 病間では、半兵衛が起き出て、衣服をかえていた。 病髪を撫で、口を 嗽 ( すす )ぎ終えて、半兵衛が小書院へ姿を運んで行くと、家来の熊太郎と他の客ふたりは、すでに席について、物静かに 主 ( あるじ )を待っていた。 「おうッ」 ひとりの客がすぐいえば、半兵衛も情感のこもった声で、 「やあ、御無事で」 と、答えながら、ひたと坐って、互いに手を取り合わんばかりだった。 その段、申しわけない」 「ともあれ、再会を得たのは、まことに 天佑 ( てんゆう )、めでたい。 半兵衛にとっても、近頃のよろこび」 「いや、御主君や、尊公のお力によるものだ。 忘れはおかぬ」 ふたりの歓び合っている様は、 傍 ( はた )で見ている眼も熱くなって来るほどだった。 ところで、最初から沈黙を守っているもう一名の年 かさな武士は、ふたりの感激を 妨 ( さまた )げまいとさし控えているふうだったが、やがて官兵衛孝高にひきあわされて、こう名乗り出た。 「初めてお目にかかる気はいたしませぬ。 てまえも羽柴家の一士で、いつも陣中ではおすがたを遠く見ておりました。 蜂須賀彦右衛門 ( はちすかひこえもん )の 甥 ( おい )にあたる者で、 渡辺天蔵 ( わたなべてんぞう )と申します。 以後はお見知りおきのほどを」 半兵衛は、膝を打って、 「やあ、渡辺天蔵どのとは、あなただったか。 かねがねよくおうわさは聞いていた。 ……そういわれれば、どこかで一、二度は、お見かけしたこともあるような」 その間へ、家来の熊太郎が、末席からこう話をつないだ。 「実はゆくりなくも、伊丹の城中で、同じ目的の下に入り込んでいた天蔵どのと、城内 櫓下 ( やぐらした )の 獄舎 ( ひとや )の前で出会うたのでございました」 すると、天蔵も、 「いやまったく、偶然といおうか、神の御加護と云いましょうか、 図 ( はか )らずも、こちらの熊太郎どのと出会ったため、あの重囲の中から、 辛 ( から )くも官兵衛どのの身を救出することができました。 もし、拙者ひとりか、熊太郎どのお一人だったら、或いは途中で、斬り死にしていたかも知れませんな」 相顧 ( あいかえり )みて、 莞爾 ( かんじ )とした。 ここにおいて、事情はあらかた明らかになっているが、なお云い足すならば、黒田官兵衛の救出については、秀吉のほうでも、今日までさまざまな苦心を重ねていたものであった。 或る時は、人を派して、荒木村重に彼の身の引き渡しを乞い、或る時は、村重の信ずる僧侶を入れてそれとなく説かせてみたり、手段をつくしたが、 頑 ( がん )として、官兵衛の身は返されない。 天蔵は城内に忍びこんで、その機会を待っていた。 折ふしその晩は、月もなく風もない暗い夜なので、 (こよいこそ) と決行を計って、かねて目をつけておいた 櫓下 ( やぐらした )の 大牢 ( おおろう )の外へ這いよってゆくと、そこに番人とも見えぬ男が、やはり自分のように忍びよって、しきりに牢内を 窺 ( うかが )っている。 怪しんで、初めは、もちろん油断せずに、 測 ( はか )り合っていたが、どうやら城方の者でないらしいので、名をあかし合ってみると、 (自分は、竹中半兵衛の家来、栗原熊太郎) と、先もいい、彼も、 (羽柴筑前守様のしのびの者) と名乗ったばかりか、ここへ来た目的もまったく一つだと知れたので、互いに協力し始め、 牢窓 ( ろうまど )を破壊して、中なる官兵衛 孝高 ( よしたか )を助け出すと、闇にまぎれて、城壁をこえ、石垣を 辷 ( すべ )り降り、水門口の小舟をひろって、 濠 ( ほり )を渡って逃げて来たものであった。 ……して、その以後の数日は、どうして過し、どうしてこれまで 辿 ( たど )りついたか」 と、なおも熊太郎に向ってたずねた。 諸所の木戸や 柵 ( さく )に荒木勢が野営しているのです。 ために、幾度か取り囲まれて、時には敵の刀槍の中で、ちりぢりに分れかけたりしましたが、ようやく斬り破り斬り破り逃げおわせはしたものの、その間に、官兵衛様には、左の足の膝がしらへ、一太刀うけておいでになり、 跛行 ( びっこ )をひいて駈けるため、遠走りはできません。 やむなく、農家を叩いて、納屋に寝たり、夜は這い出て、道ばたの堂にやすんだりして、やっと京都まで参りました」 と語り終るとすぐ、後から官兵衛自身が云い足した。 ……で、わざと寄手のお味方へ救いを乞うことを避けて、この京都までやって来た。 何はともあれ、貴公のお顔も見たいと思って」 彼はさびし気に微笑した。 半兵衛も、黙然、うなずいた。 問いたいこと、語りたいこと、互いに相尽すと、夜は白みかけていた。 おゆうはもう朝の 雑炊 ( ぞうすい )を台所で 炊 ( た )いていた。 語り明かした 面 ( おもて )はみな疲れていた。 朝餉 ( あさげ )をすますと人々は少し眠りをとった。 そしてふたたび 覚 ( さ )めてからの話である。 「時に」 と、竹中半兵衛は、 孝高 ( よしたか )へこう計った。 「ちと 遽 ( にわ )かだが、それがしは今日ここを立って、 美濃 ( みの )の 国許 ( くにもと )へまかり越え、その足ですぐ 安土 ( あづち )へ伺い、信長公の御処分をうけようと思う。 しかし」 と、官兵衛孝高は怪しむように、半兵衛の 面 ( おもて )を見まもった。 「まだ病中のお体で、急に旅へ立たれなどして、どうあろうな。 お国許へとあれば、行く先に心配はないが」 「いや、きょう限り、 病褥 ( とこ )をあげて起きるつもりです。 いかなる急用がおありか知らぬが、もう少し 怺 ( こら )えてここに療養しておられてはどうかな」 「心のうちでは、この春と共に、もっと早く病間を出たいと念じていたのですが、実は、貴公の安否が分るまでと、心待ちに、 旁 ( かたがた )、身の養生をもきょうまで長引かせていたところです。 かく御無事を見とどけたうえは、それに懸る気残りもなし、同時に、安土城へ伺って、御処分を待たねばならぬ 科 ( とが )もござれば、きょうこそ 病褥 ( とこ )あげの吉日、ここでお別れ申すことにする」 「安土の御処分をうけねばならぬ 科 ( とが )とは? ……それは一体何事かな」 「まだ、おはなし申してないが、実は……」 と、半兵衛は初めて、去年から信長の命を拒み、今日まで 敢 ( あ )えて「違背の罪を冒して来た事情」を彼にはなした。 官兵衛孝高は 愕 ( おどろ )いた。 何もかも初耳であった。 自分の行動がそれほどまで信長に疑われていたことも。 「……そうだったか」 と、 唸 ( うめ )きのなかに、孝高はふと信長に対して、 冷 ( ひや )やかな感情の 空虚 ( うつろ )を覚えた。 そう思うことをどうしようもない。 また、その反動には秀吉の深情や、半兵衛の友情に、 瞼 ( まぶた )の 中 ( なか )を 焦 ( や )かれるような涙をもたずにいられなかった。 かねてから 期 ( ご )していたこと。 その儀なれば、黒田官兵衛自身、安土へ参上して、一切を申しひらく。 あなたは、ここにおいで下さい」 「いや、君命を 拒 ( こば )んで今日に至った罪はそれがしにある。 御身の知ったことではない。 ……ただ貴公に 委嘱 ( いしょく )しておきたいことは、 播磨 ( はりま )の御陣にある秀吉様の 傍 ( そば )にあって、この上とも、良い 輔佐 ( ほさ )となっていただきたいことしかない。 一刻も早く、播磨へ下っていただきたい」 頼むように、半兵衛は友へ向って、両手をつかえた。 病人とはいうが、その病人の決心である。 まして熟慮に欠けることのない半兵衛 重治 ( しげはる )でもあった。 云い出しては、断じてひかない。 その日。 友は東西に 袂 ( たもと )を別った。 官兵衛孝高は、すなわち渡辺天蔵をつれて、播磨の陣へ。 また、竹中半兵衛は病躯をおして、国 許 ( もと )の 美濃不破郡 ( みのふわごおり )へ。 その兄の立つのを、おゆうは南禅寺の門前で泣きながら見送った。 もうふたたび帰って来ない兄と思うて泣くのであった。 共に見送っていた僧侶たちが、 「 果敢 ( はか )なきおなげき」 と、しまいには倒れかかる彼女を抱きかかえるようにして山門のうちへかくれた。 急に 調 ( ととの )えた 黒鹿毛 ( くろかげ )の鞍も古びて 佗 ( わび )しげな背にゆられながら、 蹴上 ( けあげ )までかかると、思い出したように、彼は 手綱 ( たづな )をとめて、 「熊太郎」 と、馬の口輪をのぞき下ろした。 一筆ここで 認 ( したた )めるゆえ、ちょっと走り戻って、ゆうに手渡してくれい」 と、いった。 懐紙を出して、馬上のまま彼は何か走り書した。 それを 文結 ( ふみむす )びにして、 「わしは、ぼつぼつ先へ行っているぞ。 あとから来い」 と、熊太郎に 促 ( うなが )した。 熊太郎は、それを預かると、 畏 ( かしこ )まってすぐあとへ駈けて行った。 自分の踏んで来た道には、 毛頭 ( もうとう )悔いはないが、妹には、女の道を」 と、 愁然 ( しゅうぜん )、口のうちでつぶやきながら、駒の歩むにまかせて行った。 さむらいの道は一筋だ。 かつて栗原山を下りて以来、目ざして来たこの道にくるいはない、悔恨はない。 たとえ今日、人生を終るまでも。 それは自然といえば極めて自然なうちにそうなって来た運命ともいえるが、彼の潔白がゆるさないのである。 また、兄としての責任感にもたえず責められてならないのだった。 しかしそれもはや十年のむかしに 遡 ( さかのぼ )る悔いである。 罪は自分にあって妹にはない。 けれど自分のないのちはと、ひそかに妹のあとの半生をなお案じるのだった。 所詮 ( しょせん )は終生の 栄華 ( えいが )でもなし、女の不幸にきまっている。 ことに心ぐるしいのは死を 賭 ( と )している士道の純白にも何か一点の 汚染 ( しみ )がのこるような気がするのだった。 幾たびかこのことについては、主君におわびをして暇をもらおうか、妹に 苦衷 ( くちゅう )を打ち明けてどこかへ姿でもかくしてもらおうか、愚痴に迷ったこともあるかしれないが、つい適当な機会もなく過して来たものだった。 「……が、今は」 と、彼もきょうの出立を、帰らない旅としているので、それが妹にいえる気がした。 あのいじらしい姿を見ては、やはり云いかねていたが、一筆歌に寄せていうことなら。 おそらく妹は歌の 意 ( こころ )をすぐ 酌 ( く )んでくれるだろう。 そして自分のないのちは、兄のあとを 弔 ( とむら )うことを口実にして、 蔓草 ( つるぐさ )の垣にも似ている 閨門 ( けいもん )の花々の群れから 脱 ( のが )れてくれるだろう。 「いまは何の心のこりもない」 この日の偽りない半兵衛の心境はそうであった。 遅々 ( ちち )、春の日は、まだ 山科 ( やましな )あたり、陽は 舂 ( うすず )きもしていなかった。 所領地の不破へ帰り着くと、半兵衛重治は、その一日を祖先の 展墓 ( てんぼ )にすごし、また一 刻 ( とき )を、 菩提山 ( ぼだいさん )に 佇 ( たたず )んで、 「あの山も、この河も」 と、なつかしげに故郷の天地と語っていた。 久しぶりの帰郷ではあったが、長居は気もちが許さない。 菩提山の裾野にも、城中の樹々の間にも、 鶯 ( うぐいす )の音がしげく聞える。 また、どこかで 小鼓 ( こつづみ )も聞える。 「半右衛門にござりまするが」 白いふすまを背に、やがて 豪骨 ( ごうこつ )な老武士が手をつかえていた。 質子 ( ちし )の 目附兼傅役 ( めつけけんもりやく )として松寿丸に附けてある者だった。 「半右衛門か、寄れ」 眼でさし招いて、 「かねてそちだけには、詳しく告げてあるが、いよいよ 質子 ( ちし )の 於松 ( おまつ ) (松寿丸のこと)どのを、安土へ 伴 ( つ )れねばならぬ日が参った。 今日にも打ち立つ 所存 ( しょぞん )。 急ではあるが、その方より 附添 ( つきそい )の衆にも申し告げ、すぐお支度あるように伝えよ」 主人の 苦衷 ( くちゅう )も事情も、よく 弁 ( わきま )えている半右衛門ではあったが、さすがに顔色をかえて、 「えッ。 ……では、どうしても於松様のお 生命 ( いのち )は」 と、 鬢 ( びん )にふるえを見せた。 半兵衛は、笑って見せた。 安心を与えるように、至極平静に、 「否。 お首にはせぬ」 そしてなお云いたした。 「半兵衛の身にかえても、信長公のお怒りは解いてみせる。 於松どのの父官兵衛には、はや伊丹を脱出して、播磨の御陣へ参加しておる。 無言の潔白は示されたというものじゃ。 近づくとそこでは 鼓 ( つづみ )の音だの 々 ( きき )として騒ぐ少年の声が賑やかにしていた。 松寿丸を中心に、舞の上手な 幸徳 ( こうとく )という小坊主やら、家中の少年たちが、鼓を打って戯れているのだった。 竹中家では、数年来預かって来た松寿丸の身を、人質とも思われないほど優遇して来た。 日常の教育、健康その他、わが子以上な愛育へ、より大きな責任感をも抱いて守り育てて来たものであった。 黒田家の方からは、井口兵助、大野九郎左衛門の二名が、附添って来たが、なお竹中家からも家臣伊東半右衛門を 侍 ( かしず )け、協力的にこの一子を 珠 ( たま )の如く 磨 ( みが )いていた。 そうした竹中半兵衛の好意の下に、きょうまでは、深い仔細も知らずに来た 傅役 ( もりやく )たちも、いま半右衛門の口から、 「すぐお旅立ちの御用意を」 と、促されると、 愕然 ( がくぜん )、顔いろを失った。 「では、安土へ?」 と、傅役の井口兵助と大野九郎左衛門が、絶望的な顔を見あわせて嘆息するのを、半右衛門は、 「御心配には及ばぬ。 たとえ安土へおつれ申そうと、主人重治様の義心を固くお信じあって、何事もおまかせあるがよろしゅうござる」 と、しきりに慰めていた。 何も知らぬ松寿丸は、小坊主の幸徳や大勢の少年たちと、 鼓 ( つづみ )を打ったり舞ったり、 々 ( きき )として遊びくるっていた。 松寿丸は、ことし十三歳。 松千代とも、於松どのとも呼ばれている。 のちの黒田長政は、この少年だった。 「兵助、何だ。 半右衛門が、何をいったのか」 鼓をおいて、於松は、井口兵助のそばへ駈けて来た。 もうひとりの 傅役 ( もりやく )、大野九郎左衛門と彼とが、顔見合わせたまま、何か、嘆息しているのを見て、子ども心にも、 (何か起ったか?) と、心配を抱いてのことらしかった。 「いや、さして、ご心配なことではありません」 と、二家臣は、問わず語りにまず 宥 ( なだ )めて、 「すぐ旅立ちのお支度を遊ばして半兵衛重治様とともに、安土へおいでになるのです」 「たれが」 「 和子様 ( わこさま )が」 「わしも行くのだって。 ……あの安土へ」 「はい」 ぽろぽろと泣いて顔をそむける 傅役 ( もりやく )の二人を、 於松 ( おまつ )は見てもいなかった。 聞くと共に、おどり上がらぬばかり手を打って、 「うれしい。 ほんとか」 座敷の方へ駈けもどっていた。 そしてお相手の少年や、小坊主の幸徳などへ向って、 「安土へゆくのだ。 ここの殿とご一しょに、旅へ立つのじゃそうな。 仕舞え仕舞え」 それから大声してまた、 「兵助、九郎左。 衣裳はこれでよいのか」 と、身支度を 促 ( うなが )した。 二臣は、於松の君を、湯殿へ 誘 ( いざな )った。 そして風呂に入れ、髪もきれいに結い直して、門出の晴着にと、竹中家から贈られた衣裳を着せてみると、肌着も小袖もすべて純白な死に 装束 ( しょうぞく )であった。 白い小袖の上に重ねた赤地錦が、いとど美しく見えた。 また、その紅顔の 粧 ( よそお )いが、さらに二臣の涙をそそった。 身ぎれいにすると、二臣に連れられて、於松は、竹中半兵衛の部屋へ行った。 半兵衛はすでに立つばかりに支度して、彼を待っていた。 「御飯をたくさんに食べて行かれよ。 馬でも、旅は腹のすくもの」 と、半兵衛にいわれて、 「はい。 ではもう一膳」 と、於松は元気に食事をすまし、飽くまで機嫌よく、家臣の泣き顔などは、まったく眼もくれずに、 「さ。 参りましょう」 と、二度も半兵衛を促した。 「行って来るぞ」 半兵衛は、ようやく立った。 姉川の戦いにも、またその以後も、 殊勲 ( しゅくん )のあるたびに竹中半兵衛は信長から幾度となく、恩賞も授かっているし、目通りも得ている。 (秀吉から聞けば、そちは秀吉の臣たるのみでなく師とも仰がれておるそうだが、信長もおろそかには思わぬぞ) とは、かつて、姉川の役に、半兵衛の殊勲が聞えたとき、直接、信長から彼にもたらしたことばだった。 前夜、届けがあったので、信長は待っていた。 半兵衛を見るとすぐ、 「めずらしや」 と、いい、機嫌うるわしく、 「よく見えた。 もそっと、間近う寄れ。 ゆるす、 褥 ( しとね )をとれ。 たれか半兵衛に敷物を与えい」 などと 破格 ( はかく )な 宥 ( いた )わり方で、なお遠く平伏したまま 恐懼 ( きょうく )している半兵衛の背へ、 「 病 ( やまい )は、もう 快 ( よ )いのか。 播磨 ( はりま )の長陣では、心身ともに疲れたことであろう。 信長から 診 ( み )せに 遣 ( つか )わした医者のことばには、当分、戦場は無理、少なくもなお、一、二年は静養を要すると申していたが……」 かくばかり臣下に対してやさしい言葉をかけた例は、ここ二、三年来、珍しいことであった。 半兵衛重治は、何か、 欣 ( うれ )しいとも悲しいともつかない 戸惑 ( とまど )いを心におぼえた。 「勿体ないお 宥 ( いた )わりです。 戦いに参っては病躯、陣後に帰っては、 碌々 ( ろくろく )御恩に浴すのみで、何ひとつ、御奉公らしいこともならぬこの病骨へ」 「いやいや、大事にしてもらわねば困る。 第一には、筑前の力落しが思いやらるる」 「そう仰せ下されては、半兵衛、身の置きどころもございませぬ。 於松とは」 「……御意にございまする」 「ううむ、なるほどのう。 官兵衛孝高に似て、 童形 ( どうぎょう )ながら、どこか違ったところが見える。 たのもしい少年。 ……於松どのの首は」 半兵衛は、胸をあげて、信長を凝視した。 もし今なお、この少年を打首にせよと、信長が云い張った場合は、死を 賭 ( と )して、その愚を 諫 ( いさ )め、その非を 説破 ( せっぱ )するの覚悟でこれへ来た彼であったのである。 「そのことは、もう忘れてくれ。 実は信長自身、あとではすぐ後悔しておったのだ。 なんと、わしは邪推ぶかい 漢 ( おとこ )よ。 筑前に対しても、官兵衛孝高に対しても 間 ( ま )のわるいことではある。 よくこそと、実はそちの処置を聞いて、胸なでおろしておったのである。 罪は信長にある。 (忘れおけ。 水に流そう) 信長はいったが、半兵衛は、むしろ 歓 ( よろこ )ばない 容子 ( ようす )を示して、 「一たん仰せ出された儀を、このまま 有耶無耶 ( うやむや )に過しては、あとあとの 御威令 ( ごいれい )にもかかわりましょう。 父孝高の潔白と功に 鑑 ( かんが )み、松寿丸の打首は免じるが、然るべきよう子としても 証 ( あかし )を立てよ。 もとより信長の気もちも、そうありたかったことである。 半兵衛はあらためて、信長からその寛大を得ると、 「ようお礼を申しあげなさい」 と、傍らの於松へささやいて、臣礼を 訓 ( おし )え、そしてまた信長に向っては、 「両名とも、或いは、これが 今生 ( こんじょう )のおわかれとなるやもしれませぬ。 弥栄 ( いやさか )の御武運を祈りおります。 今日は先もいそぎますれば、これでお暇を」 と、いった。 信長は、 解 ( げ )し 難 ( がた )い顔をして、 「 今生 ( こんじょう )のわかれとは異なことをいう。 それでは重ねて予の意に 反 ( そむ )くというものではないか」 と仔細を追求した。 すぐここより父孝高のいる 播磨 ( はりま )の陣へ参って、父に劣らぬ 勲 ( いさお )を立てて、 華々 ( はなばな )と生死の 関頭 ( かんとう )に、将来の命数をまかせる覚悟にござりまする」 「なに、では戦場へ行く気か」 「 孝高 ( よしたか )も名ある武士、 於松 ( おまつ )もその人の子。 ただ 御寛仁 ( ごかんじん )にあまえているも本意ではございますまい。 ねがわくば、この少年の 初陣 ( ういじん )のために、ひと言、勇ましく働けと、お励ましを賜わるなれば、どんなにありがたいことかわかりません」 「ううむ。 ……してそちは」 「病躯、何ほどの力も、お味方の 足 ( た )しとなるまいかに存ぜられますが、ちょうどよい折、於松を 伴 ( つ )れて、ともども、帰陣の考えにございまする」 「よいのか。 体のほうは」 「武門に生れて、しかもこのような 秋 ( とき )、畳のうえで死ぬるのは、何とも口惜しゅうございます。 薬餌 ( やくじ )に親しんでいても死ぬときには死なねばなりません」 「そうとは気づかなんだ。 それまでの覚悟とあれば……。 そうだ、於松にも、初陣を祝ってやろう」 信長は、少年の眼をさしまねいて、手ずから 備前兼定 ( びぜんかねさだ )の 脇差 ( わきざし )を与えた。 また家臣に命じて、 勝栗土器 ( かちぐりかわらけ )をとりよせ、 酌 ( く )み 交 ( か )わして、 「めでたい。 曠々 ( はればれ )とゆけ」 と、 餞別 ( はなむ )けした。 少年十三、決して、早くはない初陣である。 於松は、きょうここへ登城する前夜、半兵衛からよく 嗜 ( たしな )みをうけていたので、敢えて驚きもしなければ、また特にはしゃぎもしなかった。 しずかに、礼儀をして、半兵衛とともに君前を退って行った。 信長は楼上の 欄 ( らん )へ出て、その小さいすがたと半兵衛の影が城門を出てゆくまで見送っていた。 あくる朝、播磨へ向うべく、安土を早く立った。 京都を通った。 南禅寺の屋根は 蹴上 ( けあげ )からその森を見下ろしただけで、遂に立ち寄らなかった。 半兵衛の心には、もう妹のことも 国許 ( くにもと )のこともなかった。 あるはただ戦陣のことだけだった。 有馬 ( ありま )の 温泉町 ( ゆまち )は暮れかけている。 池之坊 橘右衛門 ( きつえもん )の 湯宿 ( やど )へ、いま、ふたりの武士がそっと入った。 ひとりはただの旅すがた、ひとりはひどい 跛行 ( びっこ )である。 衣服も粗末、 垢 ( あか )じみているどころか、側に寄ると 臭 ( くさ )いほどだった。 「すぐ寝床をひとつ 展 ( の )べてくれい」 部屋にすわると、宿の者へ、ひとりがすぐいいつけた。 「いたみますかな」 「……どうやら、熱を持って来たらしく、膝ぶしの傷口が、火でもあてているように感じられる。 はて、残念な」 跛行 ( びっこ )の男は、数日前、南禅寺の一庵で、竹中半兵衛とわかれて来た 官兵衛孝高 ( かんべえよしたか )なのである。 伊丹城 ( いたみじょう )から脱出した晩、暗夜のなかで、何者とも知れぬ敵に一太刀 薙 ( な )ぎられた左の脚の関節部だった。 ……そっと、 襤褸 ( ぼろ )をめくってみると、 血膿 ( ちうみ )をふくんだ傷口は大きく口をあいていた。 柘榴 ( ざくろ )の 胚子 ( たね )のように白い骨が見えるほど深さもふかい。 「このまま、陣中へ行かれても、どうにも、お手当の仕方はありますまい。 むしろ、日は遅れようとも、有馬の湯につかって、しばし、御養生の上行かれては」 同行の渡辺天蔵が、しきりにすすめたのである。 こういう愚は決して勇気ともいえまい。 「そうしよう」 官兵衛は、 伴 ( つ )れのすすめをすぐ 容 ( い )れて、道をかえた。 何分にも、いたる処、荒木方の哨兵がいたり、木戸があったりするからだ。 着いた 翌 ( あく )る日である。 池之坊の門口へ、ひとりの町人が 佇 ( たたず )んで、宿の女をつかまえ、何か、世間ばなしをしている。 外から戻って来た渡辺天蔵の耳に、ちらと、いやな言葉が入った。 女へ、町人が訊いているのである。 「……いや、たしかに、いるだろう。 町の衆から聞いているよ。 きのう 黄昏 ( たそがれ )、 跛行 ( びっこ )をひいた汚い客が泊ったと」 すれちがいに、天蔵の姿を、女は見ぬふりをして見送っていた。 着くとすぐ宿の 主 ( あるじ )へ、天蔵から口止めしてあるので、女は、答えに困ったものらしい。 天蔵は、部屋にはいると、蒲団の中の顔をのぞいて、 「どうです、昨夜、今朝と、まだ二度ほどの入浴では、 効 ( き )き目もありますまいが、すこしは楽になりましたか」 「む、む」 と、枕の上から振り向いて、 「だいぶ楽だ。 温泉 ( ゆ )は 効 ( き )くものだな」 「せっかく、お楽になったところを、 酷 ( むご )い気がいたしますが、今夜はここを立たねばならぬかと存じますが」 「なに。 ……ああそうか。 嗅 ( か )ぎつけて来たのだな」 「どうも、そんな 気 ( け )ぶりが」 「ぜひがない、いつでも立つ。 決して、足手まといに考えてくれるな。 いざとなれば、片脚ぐらいはなくても駈けるよ。 ははははは」 障子の外に、人の気はいがした。 天蔵はすぐ向き直った。 官兵衛は手をのばして、刀を蒲団の下へ抱き入れた。 「ごめん下さいまし……。 さだめしご退屈でございましょう」 宿の召使である。 茶盆と共に膝を入れ、すぐ茶を汲みながら、世事ばなしを始めた。 「誰だ? ……。 まだ外に、誰かつぐなんでおるようではないか」 官兵衛は、ふいに、そう 咎 ( とが )めて宿の 手代 ( てだい )の顔いろを見た。 「はい、実は」 と、手代は、云い 難 ( にく )そうに、 「どうしても旦那さま方へ、会わせてくれというて、 肯 ( き )かないものでございますから」 そういってから、障子の外の中縁へ首をさし出し、 「新七さん、おはいりよ。 何をここへ来てから、もじもじしていなさるのじゃ」 と、いった。 さっき渡辺天蔵が門口で見かけた町人である。 図々 ( ずうずう )しく来たなと天蔵は眼をかがやかした。 しかし、案外な気がふとしなくもなかった。 というのは、 「はい。 ……ぶしつけに。 ……せっかくお休みのところへお邪魔しまして」 と、おずおず入って来たのをあらためて凝視すると、あながち荒木の部下が変装して来たというような するどさは見えない。 その道にかけては、多年、天蔵自身こそ本職であるから、いま一見すると、 (これは自分の勘ちがいであった) と感じ、すぐ疑心を訂正していた。 で、それを官兵衛にも気づかせるように至極気らくに、 「さあ、入るがいい。 その方もこの宿で入湯中のものか」 「いえ、 伊丹 ( いたみ )の御城下におりまする 銀屋 ( しろがねや )新七という者でございます」 「なに、伊丹の者?」 「はい。 釵 ( かんざし )や 小金具 ( こかなぐ )などの、金銀の 細工物 ( さいくもの )をしておりますので」 「ふム……。 して何ぞ、この方たちへ、細工物でも 誂 ( あつら )えてくれとでも申すのか」 「それもございますが」 と、軽く笑って、宿の召使へ、そっと包みらしいものを与えていた。 そして耳のそばへ口をよせながら、 「お頼みだよ。 いいかね」 とささやいた。 手代はうなずいて、すぐ立ち去った。 いよいよ 解 ( げ )せない町人と、官兵衛はにらまえていたが、銀屋新七というその男には、少しも暗さが見えなかった。 「さあ、これでいい。 どうぞお 両方 ( ふたかた )も御安心くださいまし。 ……場所が場所、人目もあるので、さきほどから不作法のみいたしておりますが、そちらにおいで遊ばすのは、 播磨 ( はりま )の 小寺政職 ( おでらまさもと )様の御家臣、官兵衛 孝高 ( よしたか )様でございましょう」 「なにッ」 天蔵が、刀をよせて、眼から くわっと殺意を放つと、新七は、初めて跳びあがるばかり驚いて、官兵衛の夜具のすその方へ逃げまわりながら、 「お、おゆるし下さい。 い、いけなかったら、もう、な、なにも申しません」 と平伏したまま、ふるえ抜いていた。 「いや、斬りはしない」 と天蔵は、無意識に出た自分の身構えを、自分で笑い消しながら、 「どうしてそれを知っているのか」 と、穏やかに訊ねた。 新七はしばらく口の 渇 ( かわ )きに口もきけない顔つきだったが、やがて横を向くと、 懐中 ( ふところ )をひらいて、肌の奥から一通の書面をやっと取り出した。 封をひらいて、読み下していた官兵衛の 面 ( おもて )には、驚きと、涙とが、 交錯 ( こうさく )していた。 黒田家の臣、 母里太兵衛 ( もりたへえ )、栗山善助、井上九郎の三名が 連署 ( れんしょ )の書面だったのである。 折も折、昨夕、お姿を変えて、有馬の湯へひそかに御潜伏と、新七よりの情報に、 狂喜雀躍 ( きょうきじゃくやく )、すぐにもお宿へうかがい、お目通りをとも思いましたが、なおそこらは敵地に遠からぬ所、人目の 憚 ( はばか )りもあり、かたがた、ふいにお 愕 ( おどろ )かせ奉るもいかがと 弁 ( わきま )え、わざと一応、かく書面 仕 ( つかまつ )りました。 つぶさなことはなお新七より 直々 ( じきじき )お聴取りを仰ぎます。 というような文意であった。 「新七とやら。 ……この書面によれば、 母里 ( もり )、栗山、井上の三人は、わしが伊丹の城中に 囚 ( とら )われとなったときから、そちの奥にかくれて、苦心をかさねていたようだが……今なお三名はそちの家に 潜 ( ひそ )んでおるのか」 「はい。 たしかに、お 城外 ( しろそと )へ無事にお逃げになったことは知れましたが、なお、はっきり御生死をつきとめぬうちはと」 「して、そちと、三人とは、どういう縁故から……?」 「母里太兵衛様には、てまえの妹が、御奉公中から嫁にゆくまで、並ならぬお世話になっておりましたので」 「……ああ、知らなかった。 家来三人が、よそながらわしの身を救い出しに来ていたとは」 「ここへお泊りと聞いて、お三人様とも、飛び立つように、すぐお目にかかりに行くと仰っしゃいましたが、どうして、この有馬も油断はなりません。 強 ( た )って、てまえがお止め申して、実は瀬 ぶみに参ったわけでございまする」 「そうか。 ……いや、よく注意してくれた。 ここもなかなか人目は多い。 わしが宿を立つまでは、近づいてくれるなと伝えてくれい。 脚の傷口も 癒 ( い )えきるまでには日数もかかろうが、まず一時の痛みさえ 歇 ( や )んだら播磨へ立つつもりじゃ。 ここ五、六日も湯に 浸 ( つか )って」 「では、帰りまして、そのようにお伝えいたしておきましょう。 しかし、よそながら御身辺は、きっと、お守りしておりますゆえ、まずまず、ここにおいでの間は、大事ないものと、御安心あそばして、ゆるりと 御療治 ( ごりょうじ )なされますように」 新七はそう告げると、長居を避けてすぐ帰った。 すると次の日、池之坊の 斜向 ( すじむか )いにある 温泉宿 ( ゆやど )へ、三人づれの旅商人が泊った。 表二階の障子をたてた部屋の内から、一人はかならず外を見張っていた。 七、八日目頃である。 黒田官兵衛は、渡辺天蔵を連れて、池之坊の門口を出た。 足の痛みもよほど 快 ( よ )くなったとみえ、歩行にもさほど 跛行 ( びっこ )をひいていない。 町端れまで来ると、馬を雇った。 そして官兵衛だけは馬の背にゆられ、六甲の 麓 ( ふもと )を右に望みながら兵庫路へさして行った。 赤松の 梢 ( こずえ )に、山藤の花が垂れていた。 道はひくい 山陰 ( やまかげ )をめぐってゆく。 ふと、官兵衛は馬をとめて、 「天蔵。 この辺で休もうか。 後の者が追って来たらしい」 と、云いながら、もう鞍を降りかけた。 おうーい、おうーいと遠く呼ぶ声がしている。 渡辺天蔵にも聞えていた。 またその声の 主 ( ぬし )が何者かもわかっていた。 柔らかい春の陽を 正面 ( まとも )に、 陽炎 ( かげろう )も立ちそうな崖の山芝を背に、官兵衛は、木の切株に腰かけていた。 わらわらと、そこへ 喘 ( あえ )ぎながら追いついて来た三名の旅人がある。 どれもこれも、名乗り合わなければ知れないほど、顔も姿も変っている。 「おお」 「殿!」 官兵衛は、腰をあげて、突っ立った。 しゅくしゅくと、三人はただ泣いていた。 欣 ( うれ )し 泣 ( な )きである。 男泣きである。 戦場に立っては、 鬼神 ( きじん )もひしぎ、家庭にあっては、平素でも、泣くことを知らないといわれている人々が、ほとんど、手放しで、 慟哭 ( どうこく )していた。 「…………」 茫然 ( ぼうぜん )、官兵衛 孝高 ( よしたか )も、いうべきことばを知らなかった。 欣 ( うれ )しくもありまたすまなくもある。 三名とも、各 、 旅商人 ( たびあきゅうど )に身を 窶 ( やつ )していたが、その容貌までを変えるため、母里太兵衛は、 片鬢 ( かたびん )の毛を、焼 ごてで焼いて、わざと大きな 禿 ( はげ )をつくっていたし、栗山善助は前歯を数本欠き、井上九郎は、元々、片眼を戦場でつぶしていた勇士だが、そのうえに、面に焼き あばたを作って、ふた眼と見られない顔をしていた。 滂沱 ( ぼうだ )と、ふたすじの、白いものが、官兵衛の頬にもながれたとき、少し離れて、街道を見まわしていた渡辺天蔵は、 「てまえは、お先に参ります。 はや御身辺も安心ですから、後よりごゆるりと」 と、告げて、先へ立ち去った。 官兵衛は、腰をおろして、さて三名にむかい、手をも取らないばかりにいった。 「よろこんでくれ、このとおり身はふたたび天日を仰ぐことができた。 天まだ官兵衛を見すてたまわず、この官兵衛にも、なお世にあって、なすべき事あれとのおいいつけあったものと深く思うておる。 それもこれも、後に思いあわせれば、陰にあって、そち達が、あらゆる策を講じてくれたおかげであった。 手をつかえて礼ものべたい。 どう謝してよいか、ことばも見出せぬ。 ただただこの至らぬ主人に対してそちたちの忠節は 辱 ( かたじけな )いと申すしかない。 ゆるせ、わしも泣かずにはおられん」 と、官兵衛は 肱 ( ひじ )を曲げて、その 面 ( おもて )にあてると、ややしばし肩をふるわせて、共々に泣いていた。 剛骨な中には、柔弱な内よりも 却 ( かえ )って、多くの涙をたたえているものとみえる。 有馬路 ( ありまじ )の真昼、往来の人もたえて、ただ山藤の 香 ( にお )いのみが高かった。 三木城は、今なお 頑 ( がん )として 陥 ( お )ちずにある。 この小さい一山城に、別所 長治 ( ながはる )、 長定 ( ながさだ )の兄弟とその一族がたて籠って、こう長期に頑張り得ようとは誰にも予測できないことであった。 包囲長攻 ( ほういちょうこう )をうけてから足かけ三年。 どうして喰っているのか。 どうやって生きているのか。 城兵のうごく影を見、元気な声を遠く聞くたび、秀吉方の寄手は、 「奇蹟?」 と、呆れるしかなかった。 いや時には、何か不気味な感じすらうけないこともない。 「自分から 焦躁 ( あせ )りをみせてはならん。 疲れてはならん」 全軍の上に立つ秀吉としては、ようやく 倦 ( う )み 疲 ( つか )れやすくなっている士気に対して、細心な注意をしながら、しかもその細心をおもてに現わすまいと 自戒 ( じかい )していた。 しかし、長陣の 窶 ( やつ )れと、苦慮の 憔悴 ( しょうすい )は、 唇 ( くち )のまわりの 髭 ( ひげ )にも、 落 ( お )ち 窪 ( くぼ )んでいる眼にも 蔽 ( おお )い得ないものがある。 「あきらかに誤算をした。 いくら持ち 支 ( ささ )えるとしても、こう長く 陥 ( お )ちまいとは思わなかった」 彼は正直にそれを自分でも認めている。 そして、戦争というものが、必ずしも兵数兵理だけでは割り切れないもののあることを、今、痛切に学んだ。 糧道も 断 ( た )たれ、水路も 塞 ( ふさ )がれ、外部ともまったく絶縁されている城兵約三千五百が、 餓死 ( がし )に瀕するのはまずこの一月中旬と見ていたのである。 それが月の末になっても陥ちない。 二月にかかっても 頑 ( がん )としている。 いや三月に入り、今や四月というのに、何たることだ。 城中の士気はいよいよ 旺 ( さか )んなるものこそあれ、降伏して来るような 気 ( け )ぶりもないではないか。 勿論、食はあるまい。 城兵は牛馬を喰い木の根も草も喰い尽しているにきまっている。 要するに、三木城の現在は、生命力のかたまりだ。 これに対して糧道を 塞 ( ふさ )ぎ水道を 断 ( た )っても、それが直ちに落城の 極 ( き )め 手 ( て )とはいわれない。 いや却って城兵の団結と情味とを外から強めさせてやるような観をすら 呈 ( てい )してくる。 過ぐる二月十一日の夜のごときは、そうした決死の城兵が約二千余り、死を決して 志染川 ( しそめがわ )を 徒渉 ( としょう )し、秀吉の各陣所へ夜襲をかけて来たほどである。 士気の壮烈なることは、以て、察しるに余りがある。 その晩の暗夜戦には、秀吉方もかなり手痛い損害をこうむった。 城兵は暁になって、将士三十五人、卒七百八十の戦死体を収めて、意気揚々と引きとったが、寄手はそれに倍する死傷を与えられた。 また、三月に入っては、こんなこともあった。 別所長治の家老、後藤 将監 ( しょうげん )の家来が約七十人ばかり、骨と皮のようになって、ひょろひょろ降伏して来た。 粥 ( かゆ )など喰わせて、ともあれ陣中に捕虜としておいたところ、この捕虜は、やがて夜半となると、 俄然 ( がぜん )、行動を起して、忽ち寄手の一 塞 ( さい )を占領し、武器を奪い、火を放ち、追々勢いを加えて、あやうく平井山の秀吉の本陣近くまで猛襲して来たものである。 もちろんこれは忽ち数倍する兵力で包囲 殲滅 ( せんめつ )してしまったが、その戦闘精神の 強靱 ( きょうじん )なことと、士節の高い心根には、寄手の将士も舌を巻いて 歎服 ( たんぷく )し、死体はみな一つ一つ手厚く葬って、そこらの野辺の花など 手向 ( たむ )けられていた。 死にもの狂いな城兵の抵抗はこの程度には止まらない。 中村五郎 忠滋 ( ただしげ )は、別所家の侍だったが、寄手方の一将、 谷大膳 ( たにだいぜん )とは以前から多少縁故があったので、対陣のあいだにも、時折、歌など書いて示して来た。 「ははあ、さては?」 と、大膳は、彼に二心あるものと読んだ。 果たして、中村は同心して来た。 けれど万々、念を入れて、谷大膳は、 人質 ( ひとじち )を要求した。 すると一夜、暗にまぎれて、 「これは、わが家の 惣領娘 ( そうりょうむすめ )、何とぞ、大事の終るまで、お手許に」 と、妙齢十六、七の 眉目 ( みめ )うるわしい 処女 ( おとめ )を、そっと城中から送って来た。 「よし」 と、谷大膳は、以後、時期攻口など、万端ぬかりなく 諜 ( しめ )しあわせて、或る夜、 尖兵 ( せんぺい )一千余人、中村五郎の手引のもとに、三木川の対岸の崖からよじのぼり、首尾よく城壁のうちへ送りこんだ。 「火の手や揚がる?」 と、谷大膳を始め、寄手は 固唾 ( かたず )をのんで合図を待っていた。 しかも。 中に入るやいな、 完封殲滅 ( かんぷうせんめつ )、文字どおり 血漿 ( けっしょう )の 巨墳 ( きょふん )をそこに作ってしまったのであった。 「憎さも憎し!」 谷大膳は地 だんだ踏んだ。 秀吉の前へ出て、 慚愧 ( ざんき )、詫びることばも知らず、 「大切なお味方を一千も 亡 ( な )くした罪、今さら申すことばもございません。 ねがわくば、大膳がこの首を 刎 ( は )ねて、以後の士気をお 奮 ( ふる )い遊ばしてください」 と、 哭 ( な )いて云った。 「ばかを申せ」 秀吉は叱った。 とはいえ、 苦 ( にが )りきるほかはなく、 「人質の娘はどうした?」 と、たずねた。 大膳は答えていう。 「きょう三木川に引き出し、父の中村忠滋や城兵の遠見しているまえで、 磔刑 ( はりつけ )にしてくるる 所存 ( しょぞん )です」 「磔刑に」 「……なお飽き足りはいたしませぬが」 「いや待て、まずい」 秀吉は、急にいいつけて、中村の惣領娘を、本陣へ呼びつけた。 父から旨をいい含められて、これに来ているほどな 処女 ( おとめ )である。 死ぬものと、 清々 ( すがすが )しく覚悟をしているらしい。 秀吉は殺すにしのびなかった。 侍たちは、平井山の裏谷の上へ引っ立てて行った。 秀吉はあとで、 「城兵にとっては 可憐 ( かれん )な女子。 そのいじらしき者を、三木川で磔刑にしては、一層、城兵の 結束 ( けっそく )と決死の気を強めさせるようなものになる。 人知れず処置したほうが 得策 ( とくさく )であろう」 と、大膳や味方の将に、意中をはなしていたが、実は、その間に、側臣の 堀尾茂助 ( ほりおもすけ )をあとから裏谷へ追いかけさせて、その惣領娘は、遠く戦場の外へ逃がしてやっていたのであった。 このことは、誰も知らなかったが、三木落城の後、 丹波 ( たんば )で捕われた中村五郎忠滋の前に、その惣領娘を呼んで、 「そちに与える」 秀吉からひき合わされたので人みな初めて彼の仁心を知ったのだった。 中村忠滋が、以後、秀吉に随身を誓ったことはいうまでもない。 城中の結束のいかに強固なものかを、秀吉は、前の中村の惣領娘のときにも、手きびしく示されたが、その後の 小競 ( こぜ )り合いにも、こんな一例があった。 まだ、十四、五の少年である。 いつも敵方から寄手の 柵 ( さく )へ奇襲して来るときは、その先頭に立って、小 つぶに似げない 敏捷 ( びんしょう )な働きをし、 「またあのチビ助にしてやられた」 と味方の首を持ってゆかれる度に舌打ちしていたものだが、いつかそれが陣中の聞え者になって、 「あれは、城将別所長治に仕えるもので、名は石井彦七、当年わずか十五歳だそうだ」 と、知れ渡っていた。 秀吉の小姓にも年少組がたくさんいる。 うわさを聞いて、彼らは 切歯扼腕 ( せっしやくわん )した。 石田佐吉、加藤孫六、同じく虎之助、片桐助作など、 「こんど出て来たら」 と、待ちかまえていた。 もちろん秀吉のゆるしによる。 そのうちに三木川の南口の 柵 ( さく )へ或る朝、敵の決死隊が朝討ちをしかけて来た。 そのむらがる中にチビ武者の奮戦ぶりが見えた。 助作、虎之助、佐吉など、 「きょうこそ」 と、争って駈けつけた。 秀吉は危ぶんで、 「子どもらを討たすな」 と、屈強な者にいいつけていたので、前後は 大人 ( おとな )の鉄甲が囲んでいた。 すると、敵味方のあいだに力戦していたチビ武者の石井彦七に向って、誰か、遠矢を射たものがある。 或いは、流れ矢であったかもしれない。 ところが、矢は、何と、可憐なる彦七の鼻の下に 中 ( あた )っていた。 もちろん、 どうと仰向けに倒れた。 そこへ、駈け寄った小姓組の面々が、 「ここな、小僧めが」 憎さも憎しとばかり、折り重なって、 生 ( い )け 捕 ( ど )りにして来た。 蹴ったり、引き 摺 ( ず )ったり、ようやく秀吉の前まで引っ立てて来たのを見ると、無残や、鼻の下に深く突き刺さった矢はまだ抜けずにある。 余りに、幼いのと、その痛々しさに、秀吉が、 「待て待て、鼻の下の矢から先に抜いてやれ」 と、いった。 「心得て候」 と、一、二名の者が、矢に手をかけたが、 鏃 ( やじり )は骨に引ッかかっているとみえて、彦七のからだに、足をふみかけて引っぱってみても、抜ければこそ。 彦七は、顔じゅう血になりながらも、黙って、それに任せていたが、さすがに苦痛にたえかねたとみえて、秀吉へ、 「お 仮屋 ( かりや )の柱をおかし下さい。 さもなくては抜けません」 と、訴えた。 どうする気と、彦七の意にまかせてやると、彼は立って、陣屋の柱に、自分の頭と胸いたを、縄でかたく縛ってもらった。 そしていうには、 「 鍛冶鋏 ( かじばさみ )がありませんか。 鍛冶鋏で矢をまっ直ぐに挟んで、一気にお抜き取りください」 といった。 これには、いわれた方が、やや顔の色を失ったが、彦七は、貧血も起さなかった。 この剛気を見ていた浅野長政は、秀吉に、 「ぜひ」 と、 懇願 ( こんがん )して、助命を乞い、後に自分の家臣とした。 秀吉は、 事々 ( ことごと )に驚異した。 なんで、ひとり三木勢にばかり気を吐かせておこう。 小姓組にある 脇坂隼人 ( わきざかはやと )は、当年十六。 ここの陣中で、或る折秀吉が、 「たれか、この 母衣 ( ほろ )に望み手はないか。 欲しくば与えるぞ」 と、一張の見事な赤い母衣を示して、諸士を見まわした。 金糸で山みち模様を縫い、赤地に白い 輪交 ( わちが )いが染め出されている。 「目ざましき 母衣 ( ほろ )」 とは思ったが、諸将もちょっと手が出なかった。 なぜならば、華やかな母衣を負うことは、同じに、母衣に恥かしくないほどな、華やかな武勲を公約することになるからである。 「わたくしに、それを、拝領させてください」 そういって出たのが、まだ十六の 脇坂隼人 ( わきざかはやと )である。 秀吉はふり向くと、 「欲しいか」 と、隼人の上へ、投げ与えてやった。 その後、城の西坂の戦いに、隼人は身に母衣をかけて、死闘奮戦した。 小さい体の腰帯に、敵方のさむらいの首二つをくくりつけて引揚げて来た。 「よしよし。 その紋も、そちにくれる」 輪交 ( わちが )いの家紋をも秀吉からもらったのである。 それに感奮して、また数日の後、城壁の下まで戦い迫って行ったが、こんどは敵方から 襲 ( う )った一弾に 中 ( あた )って、仰向けに倒れてしまった。 「やれ、無残」 と、すぐ味方の宇野伝十郎が、 掻 ( か )い 抱 ( いだ )いて、 退 ( ひ )こうとすると、 「嫌だ、 退 ( ひ )くのは嫌だ。 何でもないッ」 と、急に隼人は腕の中でもがいて、伝十郎の手から離れてしまった。 弾 ( たま )は 兜 ( かぶと )の鉢の真ッ 向 ( こう )に 中 ( あた )ったので、倒れたのは、一時眼が 昏 ( くら )んだだけに過ぎなかったのだ。 それにしても、脇坂隼人は伝十郎の手をもぎ離すと、傍らの岩に腰うちかけて、悠々、兜の 緒 ( お )をむすび直し、さて落した槍を拾いとると、ふたたび 真紅 ( しんく )の 母衣 ( ほろ )をひるがえして、敵の中へ駈け入ったという。 なかなか見るも 清々 ( すがすが )しいすがただった。 こういう者もあるし、また福島市松なども、この三木城攻めには、別所随一の剛勇と聞えた 末石 ( すえいし )弥太郎を討って、秀吉の感賞にあずかっている。 もっとも、市松もまだ弱冠、尋常では討てるわけの相手ではない。 この時、市松は、一度敵の末石弥太郎に 襟 ( えり )がみをつかまれて、すでに首を呈するところだったが、彼の郎党、星野なにがしという者が、そこをまた後ろから滅多斬りして、主従ふたりがかりでようやく弥太郎の 首級 ( しるし )を獲たのであった。 これよりも先に、秀吉は、渡辺天蔵の報告によって、黒田官兵衛が無事に 伊丹 ( いたみ )の獄中から救い出されたことは聞いていた。 しかも、官兵衛のほうは、まだ帰陣していないのである。 「おう……」 と、その意外な 面 ( おもて )をもって、彼のすがたを迎えた秀吉は、 「どうして、ここへは?」 と、むしろ 怪訝 ( いぶか )らずにはいられなかった。 長陣の仮屋はほとんど平常の住居のように住み古びていた。 久しぶりにこの主従が対面したのはその一劃の 幕 ( とばり )の中だった。 特に、半兵衛にも松寿丸にも 床几 ( しょうぎ )が与えられ、秀吉も床几に 倚 ( よ )っていた。 半兵衛は、 頭 ( ず )を垂れて、 「長陣の御労苦、いかばかりぞと、お案じしておりましたが、思いのほか、お元気にわたらせられ、まずは 欣 ( うれ )しく存じまする。 半兵衛も、御仁慈のおかげをもって、このところ御覧のごとく病も 癒 ( い )え、はやいかなる陣務にも耐え得べしと、自信もできましたれば、おゆるしも待たず、ふたたび帰陣仕りました。 ふいに姿を見た初めにはすぐ病体が案じられたが、こうして話しているうちに、 (まったく快方に向ったものとみえる) と、秀吉も心のうちでやや 安堵 ( あんど )を抱いて来た。 一方、黒田官兵衛が、ここへ戻って来たのは、それから三日目であった。 この 厚恩 ( こうおん )は、死ぬまで忘れません」 と、いった。 また、竹中半兵衛に対しては、 「御友情のほど、 骨髄 ( こつずい )に徹するほど、ありがたく思います。 お礼のことばもない。 ただこの上は、幸いに、なお生きることを得た生命を、あらん限りまで、よく生き用いて、おこたえ 仕 ( つかまつ )るしかありません」 と、再三、礼をかさねた。 松寿丸を呼んで、半兵衛が、 「長らく、 質子 ( ちし )として、それがしの手許におあずかりしていましたが、いまはその要もなしと、信長公より御帰家のおゆるしの出た御子息、久しぶりに、御父子、御対面なされたがよい」 と、つつがなく、父の手へ、松寿丸を返すと、官兵衛 孝高 ( よしたか )は、子の大きくなった身 なりへ、ひと目向けたのみで、 「来たか」 と云い、また、その 扮装 ( いでたち )を 見遣 ( みや )って、 「ここは、戦場、そちにとっては、一人前のさむらいに、成るか成らぬかの 初陣 ( ういじん )の場所、父のそばへ帰ったなどと思うなよ」 と、 諭 ( さと )した。 秀吉にとって、両の腕ともたのむ二人が帰って長らく 堅氷 ( けんぴょう )に閉じられていたような 帷幕 ( いばく )も、ここ 遽 ( にわ )かに、何となく 華 ( はな )やいで来た。 彼の周囲、彼の帷幕のそうした空気は、すぐ全軍の士気へ、微妙な作用をもって映る。 作戦、攻城は、急に活溌になった。 城南城西の一塁一塁へ向って、寄手の兵は 間隙 ( かんげき )を見ては攻めたてた。 五月になった。 雨季に入る。 ここは中国の山地なので、たださえ雨が多いため、道は 滝津瀬 ( たきつせ )と変じ、 空壕 ( からぼり )は濁水にあふれ、平井山の本陣の、その登り降りには、泥土に踏み 辷 ( すべ )るなど、ここいささか快速を加えて来たかに見えた攻城も、ふたたび自然の力に 阻 ( はば )まれて、まったく 膠着 ( こうちゃく )状態になってしまった。 平井山の 牙営 ( がえい )から戦線四里にわたる寄手の支営を、黒田官兵衛は、たえず 陣輿 ( じんごし )に乗って、見廻っていた。 片脚の傷口はついに有馬の湯でも 癒 ( い )えきれなかった。 終生の 跛行 ( びっこ )になりおわるらしいと彼自身も苦笑している。 「……あれを見ては」 と、竹中半兵衛も病苦を忘れて 激務 ( げきむ )を克服していた。 奇なるかなこの 帷幕 ( いばく )は。 秀吉の 双璧 ( そうへき )とたのむ謀将勇将のふたりが二人とも、満足な体でなかった。 一方は 宿痾 ( しゅくあ )の重い病軍師であり、一方は跛行の身を輿上に託して指揮奮戦にあたっている猛将官だった。 が、この二人が秀吉を 扶 ( たす )けたことの尠なくなかったことは、ただその智謀だけのものではない。 両者の悲壮なすがたを見るごとに、秀吉は崇高な感激と涙なきを得なかった。 ここに至って、彼の 帷幕 ( いばく )というものは、まったく一心一体になっていた。 ただこれあるがゆえに、攻城の士気は 弛 ( ゆる )まなかった。 そしてなお半歳もかかったが、よく三木城の 堅守 ( けんしゅ )を 陥 ( おと )し得たともいえると思う。 もし寄手の帷幕に、 不壊 ( ふえ )一 体 ( たい )の中心がなかったら、恐らく三木城はついに陥ちなかったかも知れない。 そして、毛利の水軍が、包囲の一角を突破して、ここへ 粮米 ( ろうまい )を入れるなり、或いは、 備中 ( びっちゅう )から山野を越えて、急援に迫り、城兵と協力して、寄手の 鉄環 ( てっかん )を粉砕し、羽柴筑前守秀吉なるものの名へ、ここで永遠の終止符を与えて事は終っていたかもしれないのである。 だから秀吉も、時には、余りに 俊敏 ( しゅんびん )な官兵衛の働きや、その機智に、出し抜かれなどすると、 (また、あの ちんばめが) と、戯れ半分に、その驚嘆を、悪口であらわしたりすることもあったが、内心はふかく尊敬し、信頼していたことは確かで、彼が 祐筆 ( ゆうひつ )に記録させておいたところを見ても、それを半兵衛重治と対照して、 我等、 播州 ( バンシウ )ヘ入国ノ初ヨリ、朝暮、官兵衛ヲ側ニ置テ、ソノ才智ヲ計リ見ルニ、我等モ及バヌ処アリ。 事ノ決断成リカネ、息ノツマル程、工夫ニ悩ム折ナドモ、官兵衛ニ語ラヒ、何トスルヤト問フニ、彼サシテ 分別 ( フンベツ )ニ 惑 ( マド )フ 態 ( サマ )モナク、ソレハ 箇様 ( カヤウ )ニナスガヨロシクコレハ左様ニ 仕 ( ツカマツ )ルガ然ルベシナド、立チ所ニ答ヘ、我等ガ両三日昼夜カカリテ分別ナリ難キ事モ、水ノ流ルル如ク決シテ少シモ 過 ( アヤマ )ツコトナシ、我等ガ及ビ難キ 臨機応変 ( リンキオウヘン )ノ 性 ( タチ )ヲ得タルモノト云フベキカ。 これを見ても秀吉がいかに官兵衛半兵衛のふたりに嘆服し、またその 扶 ( たす )けを徳としていたかが 窺 ( うかが )われる。 ところが。 その徳を大としていただけに、ここに秀吉の心へ、大きな 傷手 ( いたで )となることが起った。 「ああ、天もついに秀吉を見捨てたもうか。 まだ若い英才半兵衛に、余命をかし給わぬか」 と嘆いて、仮屋の一囲いに、秀吉も共に閉じ籠って、昼夜、看病に怠りなかったが、半兵衛の 容子 ( ようす )には、その夕べ、刻々と、危険が迫っているように見られた。 鷹之尾 ( たかのお )、八幡山などの、敵の 支塁 ( しるい )も、 夕靄 ( ゆうもや )につつまれていた。 秀吉は、平井山の一角に 佇 ( たたず )みながら、 「また、あの 跛行 ( びっこ )どのが、余りに深入りせねばよいが」 と、敵へ迫って行ったまま、まだ帰って来ない官兵衛 孝高 ( よしたか )を、案じていた。 あわただしい跫音が、その時、彼の横へ来て止まった。 見ると、ぺたと、大地へ両手をついて、泣いている者がある。 「於松ではないか」 「はいッ」 官兵衛孝高の子、 松寿丸 ( しょうじゅまる )は、半兵衛 重治 ( しげはる )に 伴 ( ともな )われて、この平井山の味方へ 初陣 ( ういじん )として加わって以来、もう幾たびか戦場も駈け、生れて初めて、鉄砲槍の中も歩き、わずかな間に、見ちがえるほど、 気丈 ( きじょう )となり、骨太になり、また 大人 ( おとな )びていた。 七日ほど前から、半兵衛の容態が急変したので、秀吉は 於松 ( おまつ )に向って、 (誰が 枕許 ( まくらもと )にいるよりは、そなたがいてやるのが病人にとっても 欣 ( うれ )しかろう。 わしが 看護 ( みとり )してやりたいが、気をつかっては、却って病気によくあるまい) と、自分に代る丹精を彼に命じておいたのである。 於松にとっても、半兵衛は、数年 薫育 ( くんいく )をうけた恩人、また 生命 ( いのち )の親でもある。 ここ昼夜その人の枕許に侍したまま具足も解かず、 薬餌 ( やくじ )の世話に精根を傾けていた。 直感に秀吉は、はっと、胸を衝かれた。 「泣いていては分らぬ。 於松何事か」 わざと、叱 すると、 「おゆるし下さい」 と、於松は、 籠手 ( こて )を曲げて、 瞼 ( まぶた )を 拭 ( ぬぐ )いながら、 「重治様には、もうものいうお力も弱られ、お 生命 ( いのち )は、こよいの夜半を持つまいとのこと。 ……どうぞ、戦いのお暇に、ちょっと、お越しねがいとうございます」 「……危篤とな」 「は、はい」 「医師のことばか」 「さようでございます。 今生 ( こんじょう )のお別れもはや間もないことなれば、ひと言、殿のお耳へ達しておいたほうがよかろうと医師、御家士方の仰せのままに、急いで、これまで、お知らせに伺いました」 「そうか」 と、答えた時には、秀吉もすでに観念の眼を心にとじていた。 「於松。 ……そちはわしに代って、しばしこれに立っておれ。 口にこそ出さね、半兵衛様も、父の 孝高 ( よしたか )に会いたいと思っているにちがいありません」 松寿丸は、 健気 ( けなげ )に、そういうと、身 なりに較べては、大き過ぎて見える槍の 柄 ( え )を横にかかえて、山すそへ、駈け下りて行った。 秀吉は、その 踵 ( くびす )を、反対のほうへ 回 ( めぐ )らして、途中から次第に歩速を大股に運んでいた。 営中、幾棟にもわかれている仮屋の一つに、 燈火 ( ともしび )の影が 漏 ( も )れていた。 そこが竹中半兵衛の寝ている病棟で、折ふし、そこの屋根越しに宵の月が淡くのぼりかけていた。 枕 許 ( もと )には秀吉から附けておいた医師もいる。 竹中家の臣もいる。 ほんの 板囲 ( いたがこ )いに過ぎない仮屋の 藺莚 ( いむしろ )のうえではあるが、白い 衾 ( ふすま )は厚くかさねられ、片隅には、職人図を描いた 屏風 ( びょうぶ )が 一張 ( ひとはり )立てられてあった。 「半兵衛……。 わかるか。 秀吉じゃ、筑前じゃ、どうだの、気分は」 そっと、側へ坐って、枕の上の顔をさしのぞいた。 夕闇のせいか、半兵衛の 面 ( おもて )は、 琅 ( ろうかん )のようにきれいである。 秀吉は、 辛 ( つら )くなった。 見ているのが、どうにも、 傷 ( いた )ましい。 「医師」 「はい」 「……どうだなあ」 「…………」 医者は何とも答えないのである。 昏々 ( こんこん )としていた病人は、そのとき微かに手をうごかした。 秀吉の声が耳へとおったらしく、うっすら 眸 ( ひとみ )をあけて、何か、近侍に意志を告げようとしていた。 「殿が、お見舞いに成らせられました。 ……殿が、お枕べに」 「…………」 うなずいて、なお、何かもどかしがる。 「いかがでしょう」 医師をかえりみて、近侍が 諮 ( はか )ると、さあ、と医師も答えきれない顔した。 秀吉は半兵衛の意を 覚 ( さと )って、 「なに、起きたいと。 まあ、そうしておれ、そうしておれ」 と、子をあやすように 宥 ( なだ )めた。 半兵衛は、微かに、顔を振って、さらに、近侍を叱った。 といっても、もとより大きな声も出ないが、とたんに、落ち窪んでいる眼にそれが見えたので、はっと一も二もなく、近侍は彼の命のまま、二人ほどして、板のような病人の半身をそっと抱え起した。 夜具で身のまわりを支えようとすると、半兵衛は、無用と、退けて、唇をかみしめながら、寝床のうえから徐々に身をずり降ろした。 それは、今、息もたえんとする病人にとっては、必死な努力にちがいなかった。 すさまじいばかりな懸命さである。 ようやく、寝床を離れること二尺ばかり、 藺莚 ( いむしろ )のうえに、半兵衛重治は、きちと坐った。 何たる肩の 尖 ( とが )り、膝の薄さ、また両手の細さ。 女にも見まほしい姿だった。 ひそかに、 唇 ( くち )をしめて、息を 調 ( ととの )えているらしい。 やがて、折れるように、ぺたと両手をつかえた。 そして、 「はや、おわかれも、 今夕 ( こんせき )にせまりました。 ……多年の 御鴻恩 ( ごこうおん )、あらためて、お礼申しあげまする」 と云い、またすこし間をおいて、 「散るも咲くも、死ぬも生まるるも、ふかく観じてみれば、宇宙一円の中の、春秋の 色相 ( しきそう )のみ。 ……おもしろの世かな。 さようにも思われます。 ……殿には、御縁あってかく御厚遇をうけましたが、 顧 ( かえり )みるに、何の御奉公も仕らず、ただそれのみが、 臨終 ( いまわ )の心のこりにござります」 糸のような声であるが、ふしぎにすらすらと唇からもれて来る。 或る厳粛なる奇蹟に対する心地で、一同は、 粛 ( しゅく )として 容 ( かたち )をあらためていた。 わけて秀吉は、 襟 ( えり )を正し、 項 ( うなじ )を垂れ、両手を膝にのせたまま、慎んでその一語一語も聞きもらすまいとしていた。 まさに、消えなんとする灯は、滅前、 鮮 ( あき )らかな一 閃 ( せん )の光りを放つ。 いま、半兵衛のすがたは、その 生命 ( いのち )は、あたかもそうした崇高な一瞬に似ていた。 「多事、これからの多事多端、世のうつり変りは、 寔 ( まこと )に、思いやらるるばかりです。 ……大きな 変革期 ( かわりめ )のさかいにある今の日本。 ……生きられるものなら、半兵衛ごときも、生きてそのゆくてを見とどけたい。 真実、左様に存じますれど……天寿、いかんともなし得ません」 次第に、ことばも 明晰 ( めいせき )になってくる。 生命力だけでものをいっているようだった。 肉体そのものはさすがに時々大きく 喘 ( あえ )ぎ、肩を抑えては、次のことばまでの呼吸をやめていた。 「……が、殿。 ……あなた様こそは、かかる時代に、生れあわせ、また選ばれたるものぞと、御自身、お思いにはなりませぬか。 ……つらつら半兵衛が、見上げ奉るところでは、あなた様は、ゆめ、 天下人 ( てんかびと )たらんなどとは、野望しておいででない」 ここで、また、間をおいて、 「それが、今日までは、あなた様の御長所で特徴でもありました。 秀吉はふかく垂れた頭をあげることも身ゆるぎも、まったく忘れ果てたもののごとくじっと聞いていた。 「しかし……です。 かかる時代を 収拾 ( しゅうしゅう )する大器量は、かならず天のお選びによって、どこかに用意されてあるものです。 群雄天下にみち、各 、この乱世の 黎明 ( れいめい )を 担 ( にな )うもの、万民の 塗炭 ( とたん )をすくうもの、われなり、われを 措 ( お )いて、人はあらじと、自負し自尊し、ここに 中原 ( ちゅうげん )の 覇業 ( はぎょう )を争っておりますが、すでに、偉材謙信は 逝 ( ゆ )き、甲山の信玄亡く、西国の雄 元就 ( もとなり )は、おのれを知って、子孫に守るを 訓 ( おし )えて世を終え、そのほか浅井朝倉は当然の自滅をとげ、何人かよくこの大くくりを成し遂げて、次代の国土に文化に万民をして心から 箪食壺漿 ( たんしこしょう )せしめるような大人物がおりましょうか、残っておりましょうや……指を折ってみるまでもないではございませぬか」 「…………」 秀吉は、そのとき、 むくと 面 ( おもて )をもたげた。 無言のうちに、射合ったのである。 「信長公。 ……そうです、そのお心もちはわかります。 ……けれど、信長公には信長公でなくては 能 ( あた )わぬ使命をもって、天意は充分に、 公 ( おおやけ )に振舞わせておられます。 現在の状態を打ち破るあの御威勢、今日までの百難をふみこえられて来たあの御信念、それは徳川どのでも、あなた様でも、よくなしうることではありません。 信長公を 措 ( お )いて誰か時代の混乱をここまで統率して来ることができましょう。 ……さはいえ、それをもって 宇内 ( うだい )のすべてが 革 ( あらた )まるとはいえないでしょう。 中国を征し、九州を略し、四国を治め、 陸奥 ( みちのく )を 伐 ( う )つとも、それのみで、 上 ( かみ )朝廷を安んじ奉り、四民を和楽せしめ、しかも次の文化の建設、世々の隆昌の 礎 ( いしずえ )がすえられるとはいえません。 ……いえませぬ」 時代が英雄を生み、英雄が時代を 創 ( つく )る。 また、破壊の英雄があり、建設の英雄もある。 天数人命、宇宙のふしぎな配置を、かりに天意とよぶならば、天意は、その時代に応じて英雄をつくり、その器量に応じて、任じる使命を、 局限 ( きょくげん )しているようである。 こうなる) と、かたく 胸奥 ( きょうおう )に秘めていたものの如くである。 彼は信じている。 (この殿が、かねて自分の信じているような役割をもち、また将来の大を成しとげてくれるなら、重治そのものの 形骸 ( けいがい )は、ここにおいて事の中道に死すとも、決して、 空 ( むな )しき生命を終ったものとはならない。 自分はこの 喬木 ( きょうぼく )を大ならしめる根もとの 肥料 ( こえ )であっていい。 ひとは 夭死 ( わかじに )というかも知れないが、以て半兵衛重治は充分に 瞑 ( めい )すことができるというものである) 「……以上、申しあげたことのほか、もう……もういうべきことばは、何もございませぬ。 どうぞ……殿。 御自身をお大切にして下さい。 それを支えるべく、細い手を、畳へ落したが、手にも、すでにその力さえなく、 がばと、 莚 ( むしろ )の上へ顔を 俯 ( う )つ伏せてしまった。 顔と莚のあいだから、とたんに ぱっと、 紅 ( くれない )の 牡丹 ( ぼたん )が咲いたように、血しおが拡がった。 もちろん吐いたのである。 なお、こんこんと流れるものが、自分の膝、胸へかかって汚れるのも意識せずに、 「重治ッ、重治ッ。 わしを置いて。 そちに別れて、この後の 軍 ( いくさ )に、秀吉は何としよう……重治ッ」 と、 掻 ( か )き 口説 ( くど )いて、秀吉は大声で泣いた。 醜態といえば醜態ともいえるくらい、 見栄 ( みえ )も外聞もなく、おいおいと泣くのであった。 これからのあなたには、もうそんな憂いはありません) と、 微笑 ( ほほえ )みながら、秀吉の 繰言 ( くりごと )を、否定しているようであった。 朝見た人も夕べはいず、夕べに見かけた人も 晨 ( あした )には死んでいる。 そうしたことが、べつに無常観を誘うでもなく、日ごとに梢から散ってゆく 紅葉 ( もみじ )を見るように見られている戦場にあって、どうして半兵衛重治の死だけが、こうもひどく秀吉を悲しませて 熄 ( や )まないのだろうか。 「ひとの二倍三倍、 長寿 ( ながいき )しても、やりきれない程な、大きな理想をもっていたのに、まだその望みの中道どころか、 緒 ( しょ )にもつかないうちに……。 死にたくなかったろう……。 わしにせよ、今迎えに来られても、山々、死にたくない……のう重治、いかばかり心残りの多かったことであろうぞ。 可惜 ( あたら )、おぬしほどな才をこの世にもって生れながら、その百分の一の思いも世に果さないでは、死にたくないが当りまえじゃ」 何たる恋々の多い人か。 またしても死骸に向って愚痴である。 掌 ( て )を合わせて、念仏ひとついってはやらないが、綿々と 喞 ( かこ )ちごとは尽きない彼であった。 「せっかく、 蜀 ( しょく )に立つや、 劉玄徳 ( りゅうげんとく )は、 遺孤 ( いこ )を 孔明 ( こうめい )に託して 逝 ( い )った。 孔明のかなしみは、食も忘れたほどだったという。 孔明に先立たれた 劉備 ( りゅうび )にひとしい。 考えてみても、 落莫 ( らくばく )たるものではないか。 わしの落胆、わしのさびしさ、 喩 ( たと )えるものもありはしない」 あわただしい物音が、そのときこの陣小屋の外に聞えた。 松寿丸の知らせを聞き、戦場から 輿 ( こし )に乗って、 えいえいと急がせて来た官兵衛である。 「なに、もうだめかッ。 ……間にあわなかったか」 さも、残念そうに、大声で辺りに 応 ( こた )えながら、官兵衛は 跛行 ( びっこ )をひいて、ここへ入って来た。 それなりである。 官兵衛も秀吉もただ 凝然 ( ぎょうぜん )と一つものに眼を向け合ったまま、ものもいわず坐っていた。 いつか室内は暮れて 洞 ( あな )のように暗くなっていたが、燭を 燈 ( とも )す者もなかった。 死者の白い 衾 ( ふすま )だけが谷底の雪みたいに見えていた。 「……官兵衛」 全身から嘆息をもらすように、秀吉の方からやがて 一語 ( ひとこと )いった。 「惜しいのう。 かねて、むずかしいとは、思っていたものの……」 官兵衛も、それに対して、多くをいえなかった。 共に茫然たる面持ちで、 「ああ、分らないものですな。 そして、重治どのの御遺骸を 浄 ( きよ )め、室を 掃 ( はら )って、安置せねばなるまい。 ゆらぐ 燭 ( しょく )の光の中で、人々は寒々と働きはじめた。 すると重治の枕の下から、一通の遺書があらわれた。 黒田官兵衛に宛てて死ぬ二日ほど前に 認 ( したた )めておいたものだった。 ひそとした陣幕の内を 訪 ( と )うて、黒田官兵衛は、一通の書を、秀吉に示していた。 「なに、半兵衛の遺書が、枕の下にあったと。 ……そちへ宛ててか」 秀吉は、 促 ( うなが )さるるまま、すぐ 拡 ( ひら )いて、読み下していたが、そのあいだ幾度となく、眼をあかくし、 瞼 ( まぶた )を指で 拭 ( ぬぐ )い、ついにはしばらく 面 ( おもて )をそらして、一気に読み終ることができなかった。 歿 ( ぼっ )する二日前に、心友の官兵衛 孝高 ( よしたか )へ宛てて認めたものではあるけれど、その書中のことばは、一行半句たりと、自分の望みや交友のことに触れているのではない。 冒頭からしまいまで、すべてみなこれ主君秀吉の身にかかわることか、将来の経営について、憂いを述べ、 善処 ( ぜんしょ )を託し、また日頃から脳裡にある 経策 ( けいさく )をつまびらかに書き遺しているのだった。 どう気を取り直しても、涙が出て仕方がなかった。 ……そういつまでも、お嘆きなすっている時ではありますまい。 どうか、書中のほかの所へ眼を転じて、 篤 ( とく )とお考えを願わしゅうございます。 従来、ずいぶん秀吉に打ち込んできた官兵衛ではあるが、こんどのことについては、すこし秀吉の 痴愚凡情 ( ちぐぼんじょう )な半面を あけすけに見せられて、少しあいその尽きた顔つきであった。 と、予言はしていた。 けれど、ただ 力攻 ( ちからぜめ )して兵を損じることの不可なることを説いて、最後の一策を、味方のために、書き 遺 ( のこ )して 逝 ( い )ったものである。 自分のみるところでは、彼は大局の 帰趨 ( きすう )も分らず 盲戦 ( もうせん )に強がっているような暗将ではない。 戦前、姫路の城で同坐して、幾たびか語りあったこともあれば、自分とは浅いながら友交もあった人といえよう。 別封に、彼へ宛てて、一書を 認 ( したた )めておいたから、これを携えて、一度城中に彼を 訪 ( と )い、彼、後藤基国をして、その主君別所長治によく利害を説かせ、大勢の帰するところを 諭 ( さと )したなら、長治とて、よも 鬼神 ( きじん )ではなし、かならず 開悟 ( かいご )一転、城を開いて、和睦を乞うて来ようかと考えられる。 ただし、これを行うには、潮時の 測 ( はか )りが肝要である。 晩秋、地には枯葉 捲 ( ま )いて、天には孤月寒く、そぞろ兵の胆心にも、父母や弟妹への思慕と郷愁の多感なる頃をもって、最もよしとする。 冬近きを思うにつけ、 飢餓 ( きが )に迫っている城兵はいよいよ悲壮な 哀腸 ( あいちょう )を抱いて死の近きを覚悟しているにちがいない。 これへ 徒 ( いたず )らに力攻を加えることは、むしろ彼らによい死場所と死出の道づれを与えるに過ぎないことになろう。 ここしばしは、戦いもやめ、彼に静思のいとまを与えて然る後、それがしの書簡を送って、 懇 ( ねんご )ろに、かつ真情をもって、敵の城主と家老をお説きあれば、おそくも年内には、落着を見ること疑いもない。 とも書き添えて、その実行を信念づけることまで忘れていなかった。 にも 関 ( かか )わらず、幾分、成否を疑っているらしい秀吉の 態 ( さま )を見て、官兵衛孝高は、遺書に見えない点を云い添えた。 「実は、その策について、半兵衛どの生前にも、一、二度語られたことはありましたが、時機でない、なお早いとて、見合わせていたものです。 殿のおゆるしさえあれば、いつなりと、それがしが使いして、城中の後藤将監と会って参りますが」 「いや、待て……」 秀吉は、首を振った。 ところが、いくら待っても、返辞がない。 後に探ってみると、その者が主人の別所長治へ降伏をすすめたのを、将士が怒って、即座に斬りころされたということだった。 下手 ( へた )をしたら、寄手の弱味を知られるばかりで、得るところは何もない」 「いや半兵衛どのが、行うに機を 測 ( はか )るが大事といっているのは、そのことでしょう。 今なればと存じますが」 「しお時かな?」 「 確 ( かた )く信じまする」 「…………」 その時、 陣幕 ( とばり )の外で人声がした。 聞き馴れている将士の声のほかに、どうも女らしい声もふと聞えた。 はからずも、この陣中へ秀吉をたずねて来た一女性は、亡き半兵衛の妹のおゆうであった。 と、ひたすら急いで来たのであったが、女の脚ではあり、 物騒 ( ぶっそう )な戦地に近づくほど、道も思うまま 捗 ( はかど )らず、とうとう兄の 臨終 ( いまわ )には間にあわなかったものであった。 「…………」 おゆうは、涙ばかり先立って、いつまでも秀吉を仰ぎみられなかった。 旅寝のあいだにも、長い長い戦陣の留守のまも、夢にすら見て恋い描いていた人であるのに、ここに来ては側へも寄れない心地に打たれた。 「……聞いたか。 半兵衛の死を」 「……聞きました」 「あきらめい。 ぜひもない」 それが秀吉としても、精いっぱいの 慰撫 ( いぶ )であった。 「よせ、よせ。 見っともない」 あわてて秀吉は床几を離れて、何とはなく、立ち上がってしまった。 ここに人目はないにせよ、すぐ 幕 ( とばり )の外に 近習 ( きんじゅ )たちがいるので、家来の耳を気がねするふうなのてある。 「ふたりして、半兵衛の墓へ詣ろう。 おゆう、 尾 ( つ )いて来い」 秀吉は先に立って、陣屋の裏から山道をたどって、なお小高い一丘の上に登った。 一幹の松がうそ寒い晩秋の風に 嘯 ( うそぶ )いていた。 その下に、土色もまだ新しい土 まんじゅうが盛られてあり、一個の石が、墓標のかわりにすえられてある。 かつては、長陣の 徒然 ( つれづれ )に、この松の根 がたへ 莚 ( むしろ )をしき、月を賞しながら、官兵衛、半兵衛、秀吉と 鼎坐 ( ていざ )して、古今を談じたこともある。 「…………」 おゆうは、草むらを見まわして 手向 ( たむ )ける花をさがしていた。 そして、秀吉の次に、土まんじゅうへ向って、 額 ( ぬか )ずいた。 涙はもうこぼれなかった。 人の命数を 哭 ( な )き悲しむには、余りに山上の自然は、宇宙の当然な理を、晩秋の草木をもって 訓 ( おし )えている。 「殿さま……」 「何か」 「おねがいがござりまする。 兄のお墓を前に折入って」 「そうか。 ……ウム、そうか」 「おわかりでございましょう……。 おそらく、殿さまのお胸には」 「わかっている」 「ゆうに、お暇をくださいまし。 ……おきき入れ下されば、兄もどんなに地下でほっとすることかと存じまする」 「身は地下に埋もれても、 魂魄 ( こんぱく )はなお奉公するといって死んだほどの重治じゃ。 その重治が生前から気に 痛 ( や )んでいたこととあるのに、どうしてこの秀吉とて 反 ( そむ )けよう。 心のままにしたがいい」 「ありがとう存じまする。 おゆるしを賜わるうえは、兄の遺命どおり、兄の 遺物 ( かたみ )を抱いて……」 「どこへ行くか」 「どこか、草深い里の 尼院 ( にいん )へでも」 またしても、涙にくれた。 秀吉もあらぬ方を向いて立っていた。 同じ自然の中には 棲息 ( せいそく )していても、やはり人はあくまで 煩悩 ( ぼんのう )の外のものではあり得ないとみえる。 秀吉からいとまも許された。 亡兄 ( あに )の 遺髪 ( かたみ )や小袖を持った。 陣中に女の長居は無用。 おゆうは次の日すぐ秀吉に、 「お別れ申しまする。 くれぐれもお身を御大切に」 と、旅支度までして、最後の 暇乞 ( いとまご )いに出たが、 「まあ待て、もう二、三日、陣中にとどまっておれ」 と、ひきとめられた。 かけ離れた仮屋の一棟に、おゆうは幾日もぽつねんと、兄の遺髪を 弔 ( とむら )っていた。 四日五日と過ぎるのに、秀吉からは何の沙汰もなかった。 山には霜がおりて来た。 時雨 ( しぐれ )るたびに四山の木の葉はふり落されてゆく。 ……ええ、すぐにです」 と伝えて、使いの小姓も、先へ行ってしまった。 身支度といっても、かねて旅包みとしてある物のほかは何もない。 亡兄 ( あに )の遺臣栗原熊太郎と、ほか二人ほど連れて、おゆうはやがて、墓山へ上って行った。 草も木も枯れて、山路のながめは、 落莫 ( らくばく )たるものだったが、その夜は、霜でもおりているように、月の光が白かった。 黒い人影が、六ツ七ツ、秀吉のまわりに 佇 ( たたず )んでいる。 近習とみえ、おゆうの来たことを告げていた。 中に、官兵衛 孝高 ( よしたか )らしい影も見えたが、おゆうがそこへ行き着いた時は、もう辺りに見えなかった。 「おう、ゆうか。 総じて誰にでも女にはやさしい秀吉であるが、この際、やさしくいわれることは、却って、情けでない気がした。 「これから先は、生涯独りで草深い里に住もうと、心に誓っておりますせいか、もうどこにいても、 寂 ( さび )しいなどという心地はおこりませぬ」 彼女の答えを聞きながら秀吉はうなずき、うなずき、 「たのむ。 半兵衛の後生をよう 弔 ( とむろ )うてやってくれい。 いずこに住もうと、生あるうちには、また会う折があろうが」 と云い、そして、その人の墓のある松の下を振り向いて、 「おゆう、あれに用意させておいた。 もうこれ 限 ( き )り、そなたの 妙 ( たえ )な 琴 ( こと )の音を聞く日もあるまい。 ……ずっと遠い以前、そなたは兄半兵衛に 伴 ( ともな )われて、当時、織田どのに抗して一族たてこもっていた美濃の 長亭軒 ( ちょうていけん )の城に臨み、琴を弾じて 籠城 ( ろうじょう )の鬼となっていた将士の心をやわらげ、ついに城をひらいて 降 ( くだ )したこともあった。 秀吉も名残に聞きたい。 ……もしまた、その琴の音が、風のまに、ここから近い敵の三木城にまで聞えて、彼らの あら 胆 ( ぎも )に、 有情 ( うじょう )を思わせ、意味なき死を 覚 ( さと )らせれば、これは大きなてがらだ。 地下の半兵衛もどんなによろこぶことかしれぬ」 と、彼女をそこへ 促 ( うなが )した。 それまでは、彼女も気がつかなかったが、見ると、松の下に、 莚 ( むしろ )をのべ、その上に、一面の琴がおいてある。 足かけ三年にわたる籠城に、さすが気節を以て、上方武者は 浮華軽薄 ( ふかけいはく )のものと、一概に 見下 ( みくだ )していた中国の将士も、いまは見るかげもない姿を持ち合って、 「討死は、きょうか、あすか。 せめて 餓 ( う )え死にだけはしたくない」 と、ただそれだけを希望するに過ぎない窮極にまで 墜 ( お )ちこんでいた。 と、人のすがたには見ながらも、自分も死馬の骨を 舐 ( しゃ )ぶり、 野鼠 ( やそ )を喰い、木の皮、草の根まで 漁 ( あさ )った。 「この冬はもう、畳を煮、壁土を喰うしか、食うものはない」 窪 ( くぼ )んだ眼と、窪んだ眼とが、おたがいを憐れみながら、なおこんなことをいっていた。 小競 ( こぜ )り合いでも、敵が寄せてくると、俄然、 飢 ( う )えもつかれも忘れはてて戦える。 ところがこの半月余りは、いっこう寄手が襲って来ない。 これはどんな死にもの狂いな目にあうより 却 ( かえ )って城兵には辛かった。 日が暮れると、城中一帯、どすんと、沼の底へ落ちたように真っ暗になる。 燈火 ( ともしび )などは、一点たりと 灯 ( つ )かない。 魚油も菜 たね油もみんな食糧として 舐 ( な )め尽してしまったのだ。 朝夕は城中の冬木立へ群れる 鵙 ( もず )だの雀だのという 小禽 ( ことり )が、何よりもよい食物と兵に狙われて捕られたため、近頃は鳥も知ってきたか、少しも城内の木には集まって来ない。 鴉 ( からす )を喰ったことはたいへんな数で、その鴉さえほとんど手に入るのが稀れになったほどである。 本能的に胃が胃液を 滲出 ( しんしゅつ )するため、その後では、きっと、 「腹が 絞 ( しぼ )られるように痛い」 と顔をしかめ合うのだった。 その晩は、月がよかった。 だが、城兵は、 「ああ。 見張っている 寨 ( とりで )や、城門の屋根に、わらわらと、落葉がこぼれてくる。 ひとりの兵は、むしゃむしゃと 紅葉 ( もみじ )を喰っていた。 「うまいか」 ひとりの哨兵が聞くと、 「 藁 ( わら )よりは ましだよ」 と、また一つかみ拾って喰う。 だが、忽ち、 こそばゆくなったとみえ、しきりに 咳 ( せき )をして、喰っただけの紅葉を吐き出していた。 「……あッ、御家老が」 誰か、突然、 呟 ( つぶや )くと、みな気を 緊 ( し )め 直 ( なお )して、槍の穂へ、 確 ( しか )と、意志を示し直していた。 別所家の家老、後藤 将監基国 ( しょうげんもとくに )であった。 「やあ、大儀だのう。 ご苦労だのう。 何も変ったことはないか」 「べっして異状はございません」 「そうか……」 と、将監は、片手に携えていた矢を示して、 「夕方、平井山の敵陣から、この矢を射こんで来た。 矢文を負わせて。 ……それによると、羽柴の客将、黒田官兵衛 孝高 ( よしたか )が、こよいわしに面談したいとかで、これへ訪れてくることになっている」 「なに、官兵衛が、来ますと。 ただはおけん」 「いやいや、秀吉の使者として、あらかじめ、矢文で通告して来るものを、斬ってはならん。 使者を殺すなかれ、これは 兵家 ( へいか )のあいだの約束だ」 「敵将でも、ほかの者ならともかく、官兵衛とあっては、肉を 啖 ( くら )っても飽きたらぬ気がします」 「敵に、肚の底を、見すかされまいぞ。 そのとき三木の城は、ふしぎな静寂に 囚 ( とら )われていた。 「あッ? ……。 琴だ」 ひとりの兵が、突然、眼を宙へあげて 呻 ( うめ )いた。 じっと、 立 ( た )ち 竦 ( すく )み合っていたほかの兵も、その声につられて、 「おお、琴の音がする! ……」 「琴の音だ! ……」 と、さもさもなつかしいものにでも 巡 ( めぐ )り 会 ( あ )ったように、眼をほそめ、耳をすまして、聞き 恍 ( と )れていた。 ここばかりでなく、恐らくは、 櫓 ( やぐら )の上でも、 武者溜 ( むしゃだま )りでも、支塁のここかしこでも、一瞬 悉 ( ことごと )く同じ思いに 囚 ( とら )われたのではなかろうか。 流離した老母を思い、絶えて消息のない子や弟妹のことを思い出した兵もあろう。 いや、何も 後顧 ( こうこ )はないこの身ひとつとしている兵にしても、石でない木でない 有情 ( うじょう )の心琴を揺すぶられて、何とはない涙が 眦 ( まなじり )からひとりでに垂れてくるのをみな、どうしようもなかった。 「…………」 家老の後藤将監も、まさにそうした中の一人だったが、あたりの兵の顔に気づいて、はっと、 醒 ( さ )めたように、まず自分の心をとり直し、次に、城門の将士たちへ向って、わざと快活に、 「なに、寄手の陣地で、琴の音がすると。 ばかなッ……。 琴の音がなんじゃ。 いずれ柔弱な上方勢のことだ、長陣に 倦 ( う )んで、里の 唄 ( うた )い 女 ( め )でもつかまえて来て戯れているものだろう。 そんなものに心を掻きみださるるなど、 言語道断 ( ごんごどうだん )、もののふの鉄石心とは、そんな 脆 ( もろ )いものじゃない。 のう、そんな脆いものじゃあるまい」 と、鼓舞しながら、すぐことばを続けて、各 、われに返った顔へ、 「それよりは、 持場 ( もちば )持場の守りを怠るな。 この 城寨 ( じょうさい )はちょうど、洪水の濁流を、じっと防いでいる堤と同じだ。 堤は 蜿蜒 ( えんえん )と長いが、寸土でも一尺でも、崩れたがさいご全部の破滅だ。 貴さまたちの子孫はこの国のあるかぎり笑いものの汚名を負うぞ。 いいか、たのむぞ」 さらに、将監が、こう励ましているときであった。 城下の坂下から、二、三の兵が駈けあがって来るのが見えた。 官兵衛孝高は、 輿 ( こし )の上で待っていた。 輿は木と 藁 ( わら )と竹でつくられた軽いものである。 屋根の 蓋 ( おおい )もなく、両側の腰も浅く、 革紐 ( かわひも )を十文字 綾 ( あや )に懸けて、わずかに身を支える程度にとどめ、 輿上 ( よじょう )に 坐 ( い )ながら、大剣を 揮 ( ふる )って敵と戦闘するに便ならしめてある。 こういう構造なので、 担 ( にな )い棒は 挿 ( さ )し渡しでなく、前後べつべつに附いている。 それを士卒四人が、あと先に別れて 担 ( かつ )ぎ、千軍万馬の中をも、駈けまわるのであった。 官兵衛は黄の 鎧下着 ( よろいしたぎ )に、 卯 ( う )の花おどしの具足を着、白地 銀襴 ( ぎんらん )の陣羽織をつけて、輿のうえにあぐらを組んでいた。 非常に都合のいいことには、彼は五尺一、二寸ぐらいな小男であり、体重も人より軽いので、士卒の肩も楽だったし、彼自身もそう窮屈を覚えなかった。 城寨 ( じょうさい )の門の内で、やがて、たたたっと足音が聞えた。 幾人かの城兵が坂の上から駈け戻って来たものらしい。 「お使い。 通んなさいッ」 いかつい声と一緒に、眼のまえの 柵門 ( さくもん )が大きく口を開けた。 暗闇の中にひしめく兵の影は、一団百人以上もいるかと見えた。 その波の揺れるたびに、 閃々 ( せんせん )と槍の穂が瞳を刺す。 「大儀でござった」 と挨拶して、官兵衛は、 「それがしは、 跛行 ( びっこ )でござれば、 輿 ( こし )のまま 罷 ( まか )り通る。 無礼をゆるされよ」 と、断って、ただひとり供として連れて来た子息の松千代 長政 ( ながまさ ) (松寿丸)のすがたを後ろにふり向き、 「松千代。 先に立て」 と、命じた。 輿は、四人の士卒に 担 ( にな )われて、その後から柵門へ入ってゆく。 十三歳の一少年と、 跛行 ( びっこ )の武者とが、悪びれた様子もなく、使いとして、自分たちの陣営に入って来たのを見ると、殺気立っていた 餓狼 ( がろう )のような城兵も、敵ながらこの父子を憎む気もちは起らなかった。 柵を通り、城門をくぐり、やがて中門へかかると、そこに家老の後藤将監と城士の精鋭級が、厳然と、白眼を揃えて、来る者を待っていた。 (なるほど、これでは、食糧がなくなったくらいでは、なかなか 陥落 ( おち )ないわけ、石にかじりついても、この城はこの人々で守られよう……) 官兵衛はここへ来るまでのあいだに、なお少しも衰えていない城兵の士気を見て、いよいよ自分の任の重きを感じた。 そして当の官兵衛は、将監のすがたを見かけると、いそいで 輿 ( こし )を地上に降ろさせ、不自由な 隻脚 ( せっきゃく )を立てて、 「やあ、別所どのの御家老、後藤基国どのとは、あなたでござったか。 黒田官兵衛です。 お使いに参りました。 筑前守 ( ちくぜんのかみ )秀吉の代人として。 敵中に使いした官兵衛の印象は、案外、敵に好感をもたれた。 燈火 ( ともしび )もない城中の一室で、後藤将監と会見、 半刻 ( はんとき )ほどの後、官兵衛から、 「では、お答えを待つ」 と、席を立つと、 「いずれ、主人長治や諸将とも評議のうえ、御返辞つかまつる」 と、将監も立った。 こうして、会見当夜のもようでは存外、この交渉は、成立を見るかと思われたが、以来、五日経ち七日経ち十日経っても、城方からの返辞は音沙汰もなく過ぎた。 冬は、十二月に入り、とうとう対陣のまま第三年の正月を迎えてしまった。 官兵衛の使いした十一月の末から十二月に通じて、三木の城は、実に、 寂莫 ( せきばく )としたものをひそめて、沈黙していた。 もう寄手に撃つべき鉄砲の 弾 ( たま )すらないことは読めていた。 けれど秀吉も今は、 「おそらく、城の余命も長くはあるまい」 とみて、 無下 ( むげ )な強襲も 抑 ( おさ )えていた。 従って、その主体たる信長の感情は、 (なにを、 無為無策 ( むいむさく )に) と、前線の長陣を、 焦々 ( じりじり )思っているかも知れないし、また日頃、秀吉にこころよからぬ周囲の者どもも、 (筑前どのには、始めから荷の勝つ大役) とか、 (このまま、彼一手に、お任せおきあっては) とか、さまざまな 誹謗 ( ひぼう )も行われていることは、疑いもないことだった。 彼も人間であり、ふつうの感情の持主である以上、眼中にないというわけではないが、 ( 些事 ( さじ )は、どこまでも些事、 糺 ( ただ )せばいつでも明白なこと) として気に病まないだけのことであった。 ただ、彼が憂いとしているのは、何といっても、西の強大、毛利というものが、かかるあいだに、着々と国内態勢をととのえ、また大坂本願寺の強固な勢力といよいよ緊密な作戦をこらし、東は遠く北条、武田に呼びかけ、北は丹波の 波多野 ( はたの )一族から裏日本の諸豪を誘導し、全日本にわたる鉄のごとき反信長陣の 聯合 ( れんごう )を一日ましに強めてゆくことであった。 その力の、いかに 隠然 ( いんぜん )と、大きなものかは、現在、中央軍の直面している荒木 村重 ( むらしげ )一族の一 伊丹 ( いたみ )城すら、いまもって、 陥 ( お )ちないことを見てもわかる。 村重一族が頼んでいるのも、ここの別所一族が頑張っているのも、すべて自力とその城壁ではなく、 (いまに毛利軍が大挙して、救いに来る! 信長を撃つ!) それなのである。 およそ始末のわるいものは、正面の敵でなく、 陰 ( かげ )の敵である。 石山本願寺、西国の毛利、こう両面の二つの旧大勢力こそ、まさしく信長の敵だったが、直接、死にもの狂いに信長の理想へ組みついて来ているものは、 伊丹 ( いたみ )の荒木村重であり、ここでは三木城の別所長治などだった。 「佐吉、松千代。 おまえたちはさっきから、一体、何を はしゃいでいるのだ」 羨 ( うらや )ましげに、秀吉が訊くと、近頃、小姓組の仲間に入った黒田松千代が、 「何でもありません」 と、あわてて肌を入れて、具足を着直した。 すると、石田佐吉が、 「殿さま。 松千代どのは、 穢 ( きたな )いことと、お耳に入れるのを 憚 ( はばか )って、お答えを避けましたが、申しあげないと、御不審かもしれませんから、私から申しまする」 「ムム。 何じゃ 穢 ( きたな )いこととは?」 「みんなして、 虱 ( しらみ )を捕り合っていたのでございます」 「虱を」 「ええ。 いちばん初めは、助作どのが、私の 襟 ( えり )に這っていたのを見つけ、それから虎之助どのが、 仙石 ( せんごく )どのの袖にも見つけ、みんなして、移るぞ移るぞといって、からかっているうち、こうして焚火にぬくもっていたものですから、誰の姿を見ても 鎧 ( よろい )の上に、虱がぞろぞろ這い出して来ました。 そうか。 こう長の陣では、虱も籠城につかれたろう」 「けれど、三木城とちがって、ここには兵糧が豊かですから、焼討ちでもしないと 陥 ( お )ちません」 「もうよせ。 そのはなしは。 わしも 痒 ( かゆ )くなった」 「殿さまも、もう幾十日、お風呂をお浴びなさらないかしれません。 きっと殿さまのお肌にも、 雲霞 ( うんか )のごとく、敵が立て籠っているかもしれませんよ」 「佐吉。 よせと申すに」 秀吉は、わざと、彼らに体をゆすぶってみせた。 小姓たちは、自分ばかりが虱 たかりでないことを証明されると、大よろこびに歓んで、 「ハハハハ」 と、 雀躍 ( こおど )りせんばかりくるくる廻った。 すると陣幕の外から陽気な笑い声と温かい煙にみちたここを 覗 ( のぞ )いて、 「お小姓組の黒田松千代どのはここにおいでか」 と、ひとりの兵がたずねていた。 「はいッ、おります」 立ってゆくと、それは父の部下だった。 「御用の折でなければ、ちょっとお越しあるようにと、あちらのお小屋で、お父上が召されておられますが」 松千代は、秀吉の前に行って、 「参ってもよろしいでしょうか」 と、ゆるしを仰いだ。 平常あまりないことだからである。 しかしすぐ 頷 ( うなず )いて、 「行って来い」 と、いった。 松千代は父の家来に 従 ( つ )いて駈けて行った。 陣屋陣屋ではどこも火を 焚 ( た )いていた。 またどこの部隊も陽気だった。 もう餅も酒もないけれど、正月気分は幾ぶんかまだ残っている。 父は陣屋の中にいなかった。 この寒いのに、 仮屋 ( かりや )からずっと離れた山鼻の一端に、 床几 ( しょうぎ )をおかせて、腰をかけていた。 吹き 曝 ( さら )しである。 見晴らすには何の邪魔物もないだけに、寒風は好き勝手に肌をめぐって血も 凍 ( こご )えるばかりである。 が、官兵衛 孝高 ( よしたか )は、まるで 木彫 ( きぼり )の武者像のように、ひろい闇へ向って、じっとしていた。 「父上、松千代にございますが」 そばへ来て、ひざまずいた子のすがたへ、彼は初めて、少し身を動かした。 「殿のおゆるしを得て来たか」 「はい。 お断りして来ました」 「しからば、しばしの間、父に代って、ここの床几に腰かけておれ」 「はい」 「 眸 ( ひとみ )は しかと、ここから真正面の三木城をにらんでおれ。 おそらく見えまいが、じいっと、眸をこらしているうちに、自然、 太虚 ( たいきょ )のうちにも、うッすらと見えて来る。 この父がみるところでは、何となく、城の内に、ものの動きが感じられる。 ここ半年以上もたえて見なかった煙なども立ち昇った……城をつつむ唯一の目かくしとなる木立なども、惜し気もなく 伐 ( き )り下ろして 焚物 ( たきもの )にしている形跡がある。 深夜、 心耳 ( しんじ )をすまして、ここから聞けば、 哭 ( な )くような、笑うような、名状し難い人の声もするように思われる……いずれにせよ、この正月の松の内をこえて、彼らのなかに、一つの変ったうごきが起りつつあるのは事実だ」 「……あ。 そうでしょうか」 「とはいえ、それは 象 ( かたち )で 現 ( で )ているものではない。 うかと放言して、味方に 徒 ( いたず )らな緊張を起させ、誤っては、父の失態、また敵に乗ぜられる虚を作る。 ……ただ父はそれを感じておるため、こうして、おとといの夜も、昨夜も、床几をすえて、城を 観 ( み )ていたのじゃ。 むずかしい、がまた、やさしいともいえる。 心さえ 澄明 ( ちょうめい )にしておればよいのだ、妄想なく。 しばしだが、そちに代らせておくわけじゃ」 「わかりました」 「居眠るなよ。 肌をさす寒風の中だが、馴れると、ふしぎに眠うなる」 「大丈夫でございます」 「そしてもし……ひとたび城方の方に、チラとでも、火の気を認めたら、すぐ諸将に 諮 ( はか )れ。 戦陣なので、当然ではあるが、彼の父は、彼に対して、いちどでも、辛いかとか、痛いかとか、慰めらしいことばをかけたためしがない。 そして 厳 ( おごそ )かな中にも、人知れぬ温かみを感じ得ている自分を、またなき仕合せ者と思っていた。 官兵衛は杖をついて、そこから仮屋の方へ歩み出していた。 あらかじめ、供に 従 ( つ )いてゆく者は、命じられてあったとみえて、 母里太兵衛 ( もりたへえ )、栗山善助のふたりが、それと見て、彼のあとから駈け下りて行った。 「殿、殿」 「お待ち下さいまし」 官兵衛は、杖をとめて、 「おう、両名か」 と、山の中腹で振り返った。 「お早いのには驚き入ります。 御不自由なお 脚下 ( あしもと )で、お 怪我 ( けが )をあそばすといけません」 「ははは。 跛行 ( びっこ )もだいぶ引き馴れて参った。 気をつこうて歩くと却って転ぶ。 ちか頃は、勘で跳ぶのじゃ、 こつで歩くのじゃよ。 見栄 ( みえ )はいらんからのう」 「合戦の中ではいかがですか」 「戦場は 輿 ( こし )にかぎる。 乱軍となれば、 双手 ( もろて )に剣もつかえるし、敵の槍を 奪 ( と )って、突き返すことも自在。 ただし、進退の駈引は、まことにままにならぬが」 「さこそと、お察しいたしております」 「けれどやはり輿にかぎるな。 輿の上から 雪崩 ( なだ )れ打つ敵軍を眺めやると、むらむらと満身から大気が発する。 叱 する自分の声に、敵も 退 ( ひ )くかと思われる」 「……あ。 危のうございます。 この辺の崖道、山陰に雪があるため、 雪解 ( ゆきげ )のしずくで 辷 ( すべ )りまする」 「下は渓流だな」 「お 負 ( お )いいたしましょう」 母里太兵衛が、背を向けた。 官兵衛は、負われて渓流を越えた。 さて、何処へ行くのか? それをまだ家来の二人とも聞いていない。 「殿……」 だいぶ歩いてから、ふと、そのことにふれてみた。 栗山善助の口からである。 「こよいは何ぞ麓の陣地にあるお味方の部将から、お招きでもあって 臨 ( のぞ )まれますので?」 すると官兵衛は、からからと笑って、 「なに馳走にでも、呼ばれて行くというのか。 いつまで、正月をしていられるものぞ。 筑前どののお茶会もすんだし……」 「では、どちらへ」 「行く先か」 「さればです」 「三木川の柵だ」 「えッ、河原の柵へ。 あの辺は危険です」 「もちろん危ない。 だが、敵にとっても、危ないところだ。 ちょうど、相互の陣地と陣地が、相接しているところだから」 「それでは、もっと御人数を……」 「いやいや、敵も大勢は引き連れて来ぬ。 従者一名に子どもひとりぐらいだろう」 「子どもを……」 「そうだ」 「 解 ( げ )しかねまするが」 「まあ、黙って来い。 知れても悪いことではないが、ひそかな 方 ( ほう )が、今のうちはよい。 筑前どのへも、落城のあとになって、御披露に及ぼうと思うている」 「城は陥ちましょうか」 「陥ちないでどうする」 「失言しました。 近いうちにと申し足すのを忘れました」 「まず、落城も、ここ両三日を出ることはあるまい。 まかりちがえば、 明日 ( あす )にも」 「えッ、明日にも?」 ふたりは、孝高の顔を見まもった。 その 面 ( おもて )に、はや 仄白 ( ほのじろ )く、水明りがうごいていた。 母里太兵衛と栗山善助のふたりは、そのときギクと足を 竦 ( すく )めた。 河原の 蘆 ( あし )の中に、敵らしい人影を見たからだった。 「やッ? ……何者か」 次の 愕 ( おどろ )きは、刹那のそれとは違っていた。 敵方の大将らしい者には相違ないが、ひとりの従者に 幼児 ( おさなご )を 担 ( にな )わせ、それ以外に、郎党もつれていないし、敵対して来る 容子 ( ようす )も見えない。 「その方たちは、ここでしばらく待っておれ」 官兵衛のことばである。 すべては主人の意中にあるものと察して、 「お気をつけて」 のみ答えながら、先へ歩いてゆく主人の影を見まもっていた。 官兵衛が近づいて行くと、蘆の中に 佇 ( たたず )んでいた敵も、すこし前へ歩み出して来た。 そして相見るやいかにも 昵懇 ( じっこん )そうに挨拶を 交 ( か )わしていた。 十年の 知己 ( ちき )でもあるかのように。 かかる場所で、かかる敵味方のあいだで、こういう密会をしているのを認められたら、直ちに、敵へ 気脈 ( きみゃく )を通じるものと疑われよう。 この戦陣の中、明日にも城とともに相果てる身をもちながら、なお 煩悩 ( ぼんのう )な親心とおわらい下さるまい。 ……余りにもまだ何も知らぬ 頑是 ( がんぜ )ない者にござりますれば」 こういっているのは、敵方の将だった。 それは、三木城の家老、後藤 将監基国 ( しょうげんもとくに )にちがいない。 「やあ、それへ、お連れ召されたか。 どれどれ、お会い申そう。 ……御家来、背から下ろして、その和子をこれへ」 やさしく 麾 ( さしまね )いているのは、官兵衛孝高である。 将監の従者は、主人のうしろからおそるおそる進んで、背に 紐 ( ひも )で十文字に負って来た幼い者を解いて下ろした。 「お 幾歳 ( いくつ )じゃ」 「お八ツにおなり遊ばします」 日頃から 傅役 ( もりやく )として 侍 ( かしず )いていた郎党であろう。 解いた紐で眼の涙を 拭 ( ふ )きながら、答えると、辞儀をして、うしろへ退った。 「お名は」 こんどは、父なる人の 将監 ( しょうげん )が答えて、 「 巌之助 ( いわのすけ )といいます。 母もすでに 亡 ( な )し……父もやがて。 それがしもまた子をもつ父。 あなたの父としてのお気持はよう分る。 かならずそれがしの手にお育て申して、成人の後は、後藤の家名を絶やさすまい」 「それ聞いて……あすの夜明けは……心おきなく討死ができまする……巌之助よ」 と、将監基国は、そこへ膝を折って具足のふところに幼いわが子を抱えて云い 諭 ( さと )した。 「いま申す父のことばを、よう聞けよ、そちもはや八歳。 さむらいの子というものは、いかなる時でも泣くではない。 父にわかるるも是非なし、また君と共に死ぬるも当然、すべて、そなた独りが不運というのではない。 よいか……。 ……わかったか。 わかったであろうな」 頭 ( つむり )を撫でて、こう云い聞かせると、巌之助は、黙って幾たびも 頷 ( うなず )いた。 ぽろぽろと涙はもとよりこぼしていたが。 三木城の運命も、いまは 旦夕 ( たんせき )に迫っていた。 城中数千のもの、もとより城主別所長治と、かたく死をちかい、 潔 ( いさぎよ )く死ぬべく、斬って出る覚悟をしていた。 家老後藤将監も、もちろん鉄石の心に、今とて寸分の揺るぎもない。 この 頑是 ( がんぜ )ないものまでを、死なすにはしのびない。 一見、敵ながら、頼みがいある人物とみていた官兵衛孝高に、彼は書を送って、 (父母なき一孤児を、養育して賜わるや) と、意中を明かしてみた。 (父と父、武士と武士、相見たがいのこと、おひきうけした。 明夜、三木川の 畔 ( ほとり )までお連れあれ) とは、将監がきょう手にした官兵衛からの返辞だった。 で、ここへ、わが子を従者に負わせて、連れて来たわけであったが、さすがに、あすは死を期している身だけに、 (これが最後) と思うと、つい、子を 諭 ( さと )しながらも、彼もまた、不覚の涙をどうしようもなかった。 突き放すように、 「巌之助。 そちからも、ようおねがいせい」 と、膝を立てて、その 可憐 ( いじら )しいものを、官兵衛の方へ、わざと力づよく、追いやった。 官兵衛は、 幼児 ( おさなご )の手をとって、 「かならず、お案じあるな」 と、くれぐれも約し、やがて 母里太兵衛 ( もりたへえ )を呼んで、 「陣地まで、負って行け」 と、いいつけた。 太兵衛、善助のふたりも、初めて主人の心と、こよいの用向きを解した。 心得て候と太兵衛が巌之助を負う。 善助がそばに 従 ( つ )いて行く。 「……では」 「では、これにて」 云いつつも、 別 ( わか )れ 難 ( にく )かった。 官兵衛も、心を鬼にして、早く去ることが、情けだと思いながら、つい 逡巡 ( しゅんじゅん )して、去りがてに、同じことばを繰り返していた。 おさらば。 貴公もまたおぬかりあるな」 と、笑って、さらに、 「さらば」 と、投げ捨てるようにいうやいな、足を早めて、すたすたと城の方へ駈けて行った。 官兵衛は、早速、平井山へもどると、秀吉の前に出て、敵将から託されたこの 幼児 ( おさなご )を見せた。 「育ててやれ。 よい 善根 ( ぜんこん )だ。 おそらく、まだ何もわかるまい、この正月でわずか八つになったばかりの巌之助である。 知らない 小父 ( おじ )さんばかりいるこの本陣の中では、ただ 団栗 ( どんぐり )のような丸い目をきょろきょろさせているだけだった。 黒田家の数ある武士の中でも、彼こそ 真 ( まこと )の黒田武士ぞ、と世にいわれた 後藤又兵衛基次 ( ごとうまたべえもとつぐ )とは、このときの木から落ちた山猿みたいなこの一孤児、巌之助であった。 ここに、三木城も遂に陥落を告げる日が来た。 天正八年正月十七日である。 城主別所長治は、弟の友行、一族の治忠とともに割腹して、城を開き、家臣 宇野卯右衛門 ( うのうえもん )を降使として、秀吉へ一書をもたらし、 (抗戦二年、武門の尽くすところは果した。 ただ忠勇な部下数千と、一族の 不愍 ( ふびん )なる者どもを、すべて殺すは情として忍びない。 ねがわくば足下に託し、足下の寛大に仰ぎたいが、尊意如何) と、あった。 もちろん秀吉は、 欣然 ( きんぜん )その 潔 ( いさぎよ )きねがいをいれ、併せて、三木の城を収めた。 降使、宇野卯右衛門が、 長治 ( ながはる )以下、三名の首を献じて、三木城内にある数千の助命を仰いだ日、秀吉側からは、浅野弥兵衛が応接に出た。 検分もすみ、開城の手続きも、 滞 ( とどこお )りなく、終った。 秀吉は、全軍に令して、 「城内から出て来る降人どもには、わけて 懇 ( ねんご )ろにしてつかわせ。 病人には薬を。 怪我人には手当を」 と注意した。 開城の日はほとんど、そうした 餓鬼振舞 ( がきぶるまい )と、 施薬 ( せやく )などに暮れてしまった。 宥 ( いた )わる方も、宥わられる者も、いまはおたがいに熱い眼をもち合っていた。 「三木の城は、この後、そちに守りを申しつける。 こうして 陥 ( おと )した大事な一城であるぞ。 心してよく守れよ」 「はい」 秀長は、 重責 ( じゅうせき )を感じたように、首をたれた。 いうまでもなく、彼は後の 大和大納言秀長 ( やまとだいなごんひでなが )である。 幼時は、父こそちがうが、秀吉と同じ尾張中村の 茅 ( あば )ら 屋 ( や )に生れ、同じ母のひざに甘え、同じ貧苦と 寒飢 ( かんき )の中に育てられてきた骨肉である。 秀吉としては、自身、三木城に入るつもりだったが、 ( 不得策 ( ふとくさく )です。 要害 ( ようがい )の堅城というのでは、三木の地形がすぐれている。 しかし、領政交通の利は、断じて姫路が 優 ( まさ )っている。 なお、中国の攻略、四国の征定など、将来の大計を考えれば、姫路城に 拠点 ( きょてん )をおくことの利は、議論の余地もない。 「しかし……」 と、遠慮ぶかそうに秀吉はいった。 「姫路の城は、前々よりお 許 ( もと )ら 父子 ( ふし )一族の 住居 ( すまい )ではないか。 秀吉が入城しては」 「なんの、それがしどもへは、べつに一城を取って下し賜わらば結構です」 「うむ。 黒田父子の主人筋で、一たん織田方へ味方しながら、中道で寝返りを打った 御著 ( ごちゃく )の小寺 政職 ( まさもと )は、三木陥落と聞くやいな、戦いもせず、居城御著をすてて、 備後 ( びんご )方面へ 潰走 ( かいそう )してしまった。 世間は、もの笑いにした。 しかし官兵衛孝高は、 「惜しむべし、惜しむべし」 と、痛嘆幾たび、このみじめな主家の末路に 哭 ( な )いた。 中国 探題 ( たんだい )の居城として、まさに姫路は絶好な拠点だった。 秀吉はそこに移るとすぐ、 「この 城郭 ( じょうかく )もよいが、様式のすべてが旧い。 この城の設けられたときは、一地方の 防塞 ( ぼうさい )として築かれたのだろうが、いまは時代がちがう、目的もちがう。 信長公の 図南西覇 ( となんせいは )の基点として、秀吉がその 前駆 ( ぜんく )をうけたまわるところのもの。 彼の建築好きは、いわゆる私生活中心のそれとはちがう。 建設好きなのである。 信長が旧態を 壊 ( こわ )してゆくそばから、彼は新しいものを建ててゆく。 信長の性格は、破壊によくあらわれ、秀吉の特性は、その建設好きによく出てくる。 「こんな大工事を起されて、信長公からお疑いをうけはしませんか」 官兵衛は心配した。 信長の一面を知っているし、 懲 ( こ )りていることもあるからである。 ……わしの母や妻は長浜に置いてあるじゃないか」 と、いった。 「いかにも」 官兵衛もうなずいた。 「ところで、 孝高 ( よしたか )。 幸いに、小寺政職が捨てて逃げたからそのあとへ」 「過分です」 「いや、お礼などは、却って、こちらが過分に存ずる。 あの御著に住むには、なおなかなか骨が折れよう。 何分たのむ。 秀吉、 但馬 ( たじま )、 播磨 ( はりま )のうちの諸般にわたり、一掃除すました上は、直ちに、第二段の策に乗り出して合体申せば」 その約束は、六月から七月にかけて果された。 この二ヵ国にあった地方の小群雄も、西の毛利と、東の織田を見くらべて、きょうまでは 叛服 ( はんぷく )常なく、あしたに和を乞い、夕べには裏切り、始末の悪い存在だったが、秀吉の 旗幟 ( きし )をいま眼前に見ると、ことごとく陣前に来て 降順 ( こうじゅん )を約した。 ここに、中国攻進の覇業は、いちじるしく 曙光 ( しょこう )を見た。

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