アンナ カリーナ 名言。 【追悼コラム】アンナ・カリーナ、自分の人生を生きる Anna Karina,Vivre sa vie │ キネマ旬報WEB/創刊100周年映画専門誌「キネマ旬報」

ゴダール「気狂いピエロ」の素晴らしさ

アンナ カリーナ 名言

あらすじ [ ] 「ピエロ」と呼ばれるフェルディナン(ベルモンド)は、不幸なをしていた。 退屈なから逃げ出したい衝動に駆られていたフェルディナンは、ふと出会った昔の愛人であるマリアンヌ(カリーナ)と一夜を過ごすが、翌朝見知らぬ男性の死体を見つけ、彼女と共に逃避行を始める。 のに追われながらもフェルディナンは充実した生活を過ごすが、そんな彼に嫌気がさしたマリアンヌは、ギャングと通じてフェルディナンを裏切る。 マリアンヌを銃殺したフェルディナンは顔にペンキを塗り、さらにはまで顔に巻きつけ、死ぬつもりで火を点ける。 我に返ったフェルディナンは火を消そうとするが間に合わずに爆死する。 カメラはを映し、の詩「永遠」が朗読される。 キャスト [ ]• (フェルディナン・グリフォン)• (マリアンヌ・ルノワール)• (フェルディナンの妻)• (ギャング)• (ギャング)• (本人役)• (映画館の若い観客)• (ラズロ・コヴァックス、政治亡命者)• (港の男) 備考 [ ]• ライオネル・ホワイトの小説『 Obsession』(1962年)を原作とする。 しかし他の多くのゴダールの作品と同じく脚本と呼べるものはなく、ほとんどのシーンは即興で撮影された。 また近年のテレビ放送では、原題のを書きして「ピエロ・ル・フ」とされることもある(例:1989年深夜フジテレビでの放送)。 当初ゴダールはマリアンヌ役にを考えていたが、ヴァルタンのエージェントに断られている。 俳優のが、スタッフとして助監督を務めた。 海のシーンは、監督の「」へのオマージュである。 脚注 [ ]• Quoi? David Wills, Cambridge University Press, 2000 first 20 pages 外部リンク [ ]• (フランス語)• - (英語)• - (英語).

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アンナ・カリーナ的 “シンプル服”でフレンチ・シックをつくる10の方法

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シャネルが名付け、ゴダールが崇め、ゲンズブールが囁いた革命のミューズとして、ヌーヴェル・ヴァーグのアイコンになった女優アンナ・カリーナの伝説的な人生と映画たちを描いた。 この度、予告編が解禁となった。 アンナ・カリーナは、1940年9月22日デンマークのコペンハーゲンで、遠洋航路船長の父と19歳の母との間に誕生。 17歳の時、パリでココ・シャネルに出会い、アンナ・カリーナと命名される。 音楽界の寵児ゲンズブールもミュージカル映画『アンナ』のために14曲を提供した。 1972年、彼女は完全な男社会のフランス映画界を飛び出し、自ら製作・脚本・監督・出演した映画をN. で撮影。 さらに歌手としての活動を開始、フランスやヨーロッパだけでなく日本でもツアーを行う。 女優アンナ・カリーナの伝説的な人生と映画たちを描いた本作は、パートナーであるデニス・ベリー監督が万感の思いを込めて作り上げた、彼女へのラブレター(本人談)である。 今回解禁された予告編は、まるでアンナが隣にいて、あの大きな瞳でこちらを見つめるようなシーンから始まる。 パリの町なかの映画館カルチエラタンに来たアンナ。 永遠のフランスのファッションアイコンらしく、茶のコートとハット、黒のトップスという、すっきりした出で立ちで現れた彼女は、何に心を動かし、どんな風に変わってきたか、映画史そのものである自分の人生をふり返る。 また、ゴダールから手渡されたメモには「愛しています。 真夜中。 カフェ・ド・ラぺ」という告白があったことを語る。 セルジュ・ゲンズブールは、アンナの声と歌い方は強烈な個性があると称え、その後に続く映像では、アンナはその独特な歌声を披露している。 数々の名作の中に、アンナの人生が映る。 しかし実際の彼女の人生の方が、映画よりもっとドラマチックで運命的だったかもしれない、そんな思いに駆られる予告編に仕上がっている。 《text:cinemacafe. net》.

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アンナ・カリーナ : 略歴、出演作品の紹介、恋愛エピソードなど

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アンナ・カリーナ アンナ・カリーナ(Anna Karina)は1940年9月22日にデンマークのコペンハーゲンに生まれた女優です。 幼い頃から女優を志望しダンスと絵画を学びました。 フランス語、デンマーク語、英語、スウェーデン語、イタリア語の5カ国語に堪能です。 パリへ 18歳の時にコペンハーゲンの撮影所で短編映画に出演。 バスティーユ地区で小さな部屋を借り、貧しかったために演劇学校コンセルヴァトワールに通えまえず断念。 しかし、コペンハーゲンでの作品がカンヌ映画祭で受賞し、自信をもってパリに出ました。 さっそくパリの街を歩いている時に写真家の目に留まり、雑誌のカヴァー・ガールを務めるようになりました。 石鹸のコマーシャルにも出演しています。 ゴダール作品へ:ヌーヴェル・ヴァーグのトップ女優へ その頃、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として脚光を浴びていたジャンリュック・ゴダール監督の目にとまりました。 映画出演を勧められ1960年に同監督の「小さな兵隊」で映画デビューし、1961年3月1日になんとゴダールと結婚しました。 その前後に女優名アンナ・カリーナをに付けてらいます。 以後、彼の作品を中心に多くの映画に出演し、自由奔放で本能に従って行動する新タイプのヒロイン像を確立しました。 ゴダール風にいえば《女性心理の不条理を体現した女優》です。 「ヌーベル・バーグの女王」と言われる所以です。 1961年の「女は女である」でベルリン映画祭女優賞を受賞。 カラフルな映像にカラフルな衣装が重ねられています。 テーマ・カラーは赤色と青色かと。 この映画のデザイナーはジャクリーヌ・モロー(Jacqueline Moreau)。 ややマニアックな観点からこの映画を分析した記事「」もご覧ください。 ジャクリーヌ・モローはと姉が共演した映画「ロシュフォールの恋人たち」で衣装デザインをマリー・クロード・フーケと共同で担当したデザイナーです。 このポスターを飾るカフェがあります。 姉妹サイトに「」という日記内の「たくさんの本と大きな映画ポスター」に書いています。 ヌーヴェル・ヴァーグのトップ女優へ アンナがヌーヴェル・ヴァーグのトップ女優へ登りつめたのはゴダールとの結婚もさることながら、彼女自身の特徴にも理由があります。 彼女はフランス映画史上、全く新しいタイプの女優でした。 彼女は衝動的で分裂的です。 さらに自己破壊的な個性をもっていました。 1960年前後の世界は文化や文明の価値を疑っていた時代ですから、彼女の破壊的で破滅的な演技力や役柄はピッタリだったのです。 また彼女の不安定さは同時代の不安定さや不条理と重なりました。 ジャック・ペランとの恋 俳優ジャック・ペランと恋に落ちて1965年1月にゴダールと離婚しました。 その後、ゴダールは出演を継続してくれるよう依頼し、アンナも受諾しました。 つまり監督と女優としてのコンビは続きました。 ゴダール作品の出演リスト 結局アンナはゴダール監督の作品のうち、1960年「小さな兵隊」、1961年「女は女である」、1962年「女と男のいる舗道」、1964年「はなればなれに」、1965年「未来展望、または紀元2000年」・「アルファヴィル」・「気狂いピエロ」、1966年~1967年「メイド・イン・USA」に出演しました。 監督業へ 1973年の「ヴィヴル・アンサンブル」で監督業に進出しました。 この作品はカリーナのオリジナル・シナリオによる作品で、カンヌ映画祭の批評家週間に選ばれました。 故フォー監督からも褒められたそうです。 その後、ピエール・アーブルやダニエル・ジョルジュ・デュヴァルと結婚・離婚を繰り返し、1982年にデニス・ベリーと4回目の結婚をしました。 この頃、しばらくロサンゼルスに住んでいました。 2005年のモントリオール国際映画祭で審査員を務めました。 関連リンク• — フランスのシャンソンやその代表的歌手ペトゥラ・クラーク (Petula Clark)を愛する著名人たちをまとめた記事。 アンナ・カリーナもその一人でフランスのヌーヴェル・バーグ運動のアイコンとして紹介されています。 — 英文でおそらく最も詳しい伝記。 映画出演リストも充実しています。

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