政治家の小泉進次郎さん。 父・小泉純一郎さんは元内閣総理大臣、兄・小泉孝太郎さんは有名俳優、2019年8月に結婚した妻・滝川クリステルさんは人気アナウンサー、と家族は有名人だらけですが、 母親に関しては複雑な事情があるようです。 きっかけは1977年のお見合い。 当時小泉純一郎さんは30代半ばで衆議院議員、宮本佳代子さんは青山学院大学4年生でした。 小泉純一郎さんはお見合い当日にプロポーズをするほど好感触だったようですが、 宮本佳代子さんの 祖父でエスエス製薬元会長泰道照山氏は二人の結婚に反対。 「出ていくならその身一つで出ていけ」と両者は絶縁寸前になったといいます。 他方で、小泉純一郎さんは 「何の心配もいらない。 僕たちの結婚には関係ない。 白紙のままで来てほしい。 」と宮本佳代子さんを説得。 さらに、国会議員の妻になることに関しても 「政治の世界は何も知らないでいい」とも話していたといいます。 結局泰道家の反対を押し切り、小泉純一郎さんと宮本佳代子さんは 1978年に結婚。 結婚と同じ 1978年7月(! )に長男の小泉孝太郎さん(俳優)、 3年後の 1981年4月に次男の小泉進次郎さん(政治家)が誕生しました。 しかし、家庭生活は長くは続かず、二人は 1982年9月に離婚。 長男小泉孝太郎さん、次男小泉進次郎さんは小泉家が、 離婚当時宮本佳代子さんのお腹の中にいた三男宮本佳長さんは宮本佳代子さんが引き取ることとなりました。 離婚の原因は、 小泉純一郎さんの姉たちと宮本佳代子さんの関係がうまくいっていなかったことにあるようです。 プロポーズの時小泉純一郎さんは宮本佳代子さんに「政治の世界のことを知らなくてもいい」と話していたことは先の通りですが、 結婚当時の小泉家は小泉純一郎さんの二人の姉が実権を握っており、宮本佳代子さんは長男の嫁であるにもかかわらず何もさせてもらえなかったそう。 次第に宮本佳代子さんは孤独感を感じるようになり、半ば追い出されるようにして家を出たといいます。 小泉純一郎さんも 「君子去る者は追わず、来るものは拒まずだな」と淡々と言い放ったそうですが、 以後宮本佳代子さんおよび三男と小泉家とは20年以上絶縁状態にあったようです。 もっとも、当時国会議員だった小泉純一郎さんは、地元と永田町を往復する多忙な生活で、自宅にいることがほとんどなかったそう。 代わって幼い子供達の世話の中心となったのは、小泉純一郎さんの姉(子供達の伯母)・ 小泉道子さんでした。 当時小泉道子さんは49歳。 小泉純一郎さんもそんな関係に感謝していましたが、他方ではその良好な関係が二人に道子さんが生みの親ではないことを切り出すことを難しくしていました。 小泉純一郎さんが子供達に 「ママ 道子さん は本当の母親ではない」と明かしたのは、孝太郎さんが高校2年生、進次郎さんが中学2年生の時のこと。 離婚当時4歳だった兄の小泉孝太郎さんは、記憶があったのか既にそれに気づいていましたが、 離婚当時まだ1歳だった 小泉進次郎さんは、告白を受けるまで道子さんが本当の母親だと信じていたようです。 しかし、真実を知った小泉進次郎さんは 『(道子さんは)僕にとっては本当の母親だよ』ときっぱりと言い切ったそう。 これは小泉孝太郎さんも同じ思いでしょう。 その後も二人と道子さんの関係が揺らぐことはなく、 晩年道子さんが体調を崩した際には、多忙な合間を縫って幼少期の思い出の味である近所の総菜パンを差し入れにお見舞いに行くなど、親孝行をしていたそう。 道子さんも、俳優や政治家として活躍する二人の様子をテレビや新聞で見るのを楽しみにしていたといいます。 ところで、先に述べた通り小泉純一郎さんが離婚した際、妻宮本佳代子さんは第三子を妊娠中でした。 次の記事では、二人の生みの親である宮本佳代子さんが引き取った三男、小泉進次郎さんの 生き別れの弟について紹介します。 長らく絶縁関係にあった両家ですが、とある出来事をきっかけに徐々に関係を修復し始めたようで… 小泉家の記事を読む.
次の宮本佳代子さんの経歴と小泉純一郎との結婚生活 2018年現在、小泉純一郎さんは原発の即時停止を求める活動を積極的に展開しています。 しかし、かつては自由民主党の中枢にいて、厚生大臣や郵政大臣、自由民主党総裁や農林水産大臣等を歴任してきた人物で、郵政民営化を実現したことでも広く知られています。 そんな小泉純一郎氏と宮本佳代子さんは 1977年にお見合いで知り合い、翌年結婚しました。 当時、東証一部上場企業だったエスエス製薬の創始者・泰道照山氏の孫が宮本佳代子さん。 ところが、祖父である泰道照山氏はこの結婚に反対の立場を取っていました。 そして「出ていくなら、その身体一つでいけ」という態度だったとも伝わっています。 エスエス製薬は市販向けの医薬品を製造販売する医薬品メーカーで、2015年に創業250周年を迎えた老舗企業でエスカップやエスタック、ハイチオールC等の人気商品を展開しているので、知ってる方も多いでしょう。 ただし、 エスエス製薬は2010年7月に上場廃止となっています。 宮本佳代子さんは小泉純一郎氏との間に3人の男の子を授かりますが、結婚生活は長くは続きませんでした。 3人目を妊娠中の 1981年に小泉純一郎さんと離婚します。 翌年の1982年に三男・佳長さんを出産しています。 その後、すぐに宮本佳代子さんは宅地建物取引士の資格を取得し、 三井住友不動産系の会社に就職しています。 その後は再婚することなく、女手一つで宮本佳長さんを育て上げ、 現在も同社に勤務して富裕層ビジネス担当として活躍しています。 なんとも活動的で仕事の出来る女性ですね。 スポンサーリンク 宮本佳代子と小泉純一郎の実姉との関係 宮本佳代子さんの経歴を語る上で、忘れてはならないのが小泉純一郎さんの姉たちについてです。 小泉純一郎さんは5人兄弟の4番目にあたる長男で、上に 3人の姉がいます。 長女・道子 特に長女の道子さんは、宮本佳代子さんが家を出てから孝太郎・進次郎両氏の母親代わりとなって二人を育ててきました。 自分を「ママ」と呼ばせていたという逸話は有名です。 孝太郎さんは道子さんが実の母ではないことに気づいていたようですが、進次郎さんは中学生まで実の母親だと思っていたようです。 道子さんは2016年8月に84歳で亡くなっています。 三女・信子 三女の信子さんは 政治に精通する人物で、純一郎氏の身の回りのお世話も担当していました。 進次郎さんに永田町のイロハを叩き込んだ人物としても知られています。 小泉家の内部が血族親族で固められていたため、宮本佳代子さんにとっては家の中に身の置きどころがなく、不仲だったのではないかと噂されています。 SNSなどでは、宮本佳長さんと他の兄弟との仲の良い様子を目にする機会も増えていますが、これについて、宮本佳代子さんは子どもたちと「毎日会っているようだ」と語っています。 これまで、宮本佳代子さんが小泉家の内情について外部に公にすることはありませんでした。 しかし、雑誌のインタビューに応じるなどの変化も見られ、今後はその心情を知るチャンスも出てきそうです。 一体今後はどんな風にメディアに登場してくるのでしょうか。 楽しみです。 スポンサーリンク まとめ いかがでしたでしょうか。 今回は「宮本佳代子は現在何してる?経歴やエスエス製薬との関係を調査!」についてしょうかいしました。 宮本佳代子さんは小泉純一郎氏の元妻で、孝太郎・進次郎両氏の実の母親でもあります。 そして、エスエス製薬の創始者・泰道照山氏の孫に当たります。 小泉純一郎氏と離婚したときに、佳代子さんは三男・佳長さんを身ごもっていました。 2018年現在、3兄弟の交流は復活したものの、小泉家と宮本佳代子さんとの関係は途絶えたまま。 しかし、SNSやメディアへの露出が増えていることもあり、今後の動向から目が話せません。 本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。 小泉純一郎さんについてはこちら• をご覧くださいね。 小泉家長男である小泉孝太郎さんについてはこちら• をご覧ください。 小泉家次男の小泉進次郎さんについては• もご覧下さいね。
次の宮本佳代子の現在は三井不動産で働いている。 講演もしている。 宮本佳代子さんは、 現在『三井不動産リアルティ』で働いています。 いつ頃から働ているのかと言いますと、三男を出産して半年ほど経ってから。 そんな時期から働くとは本当に大変だったでしょうが、生活の為ですからね。 宮本佳代子さんは三男を育てながら【 宅建】の国家資格を取得していますから、まさに努力の人ですね。 三井不動産リアルティの『 コンサルティング営業グループ』でバリバリ働いていましたね。 不動産の仲介、相続、投資、資産運用のコンサルティングなど幅広い分野で活躍するキャリアウーマンなのでした。 講演では、テンポも良く評判も良いようです。 流石、2度の選挙出馬経験を持っているだけあります。 そして何故、この業界を選んだのかと言いますと、 好きだったから。 幼少期に新聞のチラシを見ては、はさみで切り抜いてまとめていたそうですから、この業界に興味があったのですね。 「 仕事では嫌な事、理不尽な事があるけど、いつか良い事がある。 財産になる。 」講演ではこのような励ましの言葉を述べられているようです。 聞き終わったら、「 よし、頑張るか」と背中を押されている気持ちになるのではないでしょうか。 さて、そんな宮本佳代子さんの経歴を紹介していきましょう。 宮本佳代子の経歴。 実家は金持ち?エスエス製薬創始者の孫だった? 宮本佳代子さんは【 青山学院大学経済学部】を卒業しています。 エスエス製薬創業者である『泰道照山』の孫で、超セレブだった事が分かります。 元旦那の小泉純一郎さんとは、お見合いで結婚をしたそうで、時代を感じますね。 そして その時、長男がお腹にいたようです。 若い頃はゴルフもしていたそうですし、料理の腕もありますから、何でもできるタイプの女性なのでしょう。 結婚したのは、1978年で、結婚式にはやはり政治家が沢山いらっしゃったようです。 その数なんと2000人以上。 何かの記事で読みましたが、ウェディングケーキが国会議事堂だったようですから、相当お金を掛けている事は間違いなさそうです。 一般人の私からしたら、一生かかって稼ぐぐらいの金額を使ってそうです...w 当時の写真がありました。 おキレイですね。 小泉純一郎さんもカッコいいです。 結婚するときが一番幸せなのでしょうが、 まさか僅か5年で離婚してしまうことになるとは誰も思わなかったでしょうね。。。 宮本佳代子と息子【孝太郎&新次郎&佳長】の話。 小泉純一郎との離婚理由。 小泉純一郎さんには【嫁の条件】があったそうです。 ・ 語学が堪能 ・ 社交的 ・ 政治を知らない ・ おだやかな性格 ・ 礼儀作法がしっかりしている 上記の他にも色々あるようですから、なかなか理想が高かったのですね。 まあ、小泉純一郎さんの家系は凄いですから、嫁の条件はあって当然と言える気もします。 政治家の妻と言う事で、旦那の選挙応援をし、講演会にも頻繁に顔を出していたそうです。 しかし、その行動が悪かったという情報があります。 どうやら、小泉家のルールの中に『 妻は選挙運動をするべからず』といった感じのものがあったようで、それを守れなかったからとも言われています。 小泉純一郎さんの姉である『 信子』さんと、関係が上手くいかなかったことも離婚の原因と言われています。 そして宮本佳代子さんの祖父である 『 泰道照山』さんも、実はこの結婚に反対していたそうですから、そもそも籍を入れる事自体が間違っていたのかもしれません。。。 ですが、結婚した事により、3人の子供を授かっていますからね。 結婚が無ければ進次郎さんと滝川クリステルさんの結婚も無かったと言う事になりますから、良しとしましょう。 続いては、息子たちのお話です。 宮本佳代子の三男と小泉一家との関係。 まず、家系図を見てみましょう。 息子も政治家の道へ入りましたから、まさにサラブレッドという事になります。 小泉純一郎さんと宮本佳代子さんのお子さんは三人いる事が分かります。 ・長男『小泉孝太郎』 ・次男『小泉進次郎』 ・三男『宮本佳長』 です。 何故、三男の苗字が違うのか、それは先ほども説明した通り、離婚して小泉の籍を外れたからです。 離婚した当初、元旦那の小泉純一郎さんも親権を主張したようですが、家庭裁判所の調停で三男の親権を宮本佳代子さんが持つ事となったという事が分かりました。 そういった経緯があり、三男の苗字は母親の姓だったのですね。 三男の宮本佳長さんは、海外(アメリカの高校)へ留学し、日本に帰国してからは京都外国語大学中国学科に通いました。 現在では不動産に勤務しているという事で、母親からのアドバイスも貰っているでしょうね。 ...ずっと母親の佳代子さんに育てられ、小泉一家と交わる事が無かった三男。 「 親子関係は無い」と言っていたそうですからね。 … ...小泉純一郎さんが政界を引退するとき、次男の進次郎さんを後継者として指名しました。 その時、「3人は兄弟だから仲良くすればいい」と発言したそうです。 その発言を聞いて進次郎さんは、三男の佳長さんに連絡。 結果的に食事会を開催することとなりました。 産まれてからずっと小泉一家と関わる事が無かった三男。 喜んで涙を流したかもしれませんよね。 そしてその後、小泉純一郎さん、兄2人、そして佳長さんとレストランで食事をしたことを週刊誌に報道されます。 その時、佳長さんは「お父さん」と呼んでいて、純一郎さんは照れていたそうです。 なんとも微笑ましいエピソード。 2013年には佳長さんは結婚したのですが、この時勿論小泉一家は出席。 そして母親の宮本佳代子さんも出席していますから、元家族が30年ぶりに輪を取り戻しました。 宮本佳代子さんのプロフィールを紹介しておきましょう。 生年月日:1957年 血液型:B型 出身地:神奈川県 出身大学:青山学院大学 若い頃の宮本佳代子さんはとっても美人さんですね。 孝太郎さんのような顔立ちかもしれません。 純一郎さんに似ているなら、進次郎さん似という事になります。 そして現在は神奈川県の鎌倉に住んでいるようで、幼い頃からの夢だった白い家を建てる事が出来たようですね。 宮本佳代子は再婚した? 宮本佳代子さんは純一郎さんと離婚して以来、ずっと仕事ばかりしてきました。 離婚してからもずっと小泉一家の事を考えていただろうと思いますので、そのような情報はありませんね。 まとめ。 ・宮本佳代子は 現在、 『三井不動産リアルティ』で勤務するキャリアウーマンだった。 ・宮本佳代子は 小泉純一郎の元嫁。 5年間もの間、夫婦だった。 ・宮本佳代子の三男である【 宮本佳長】は、離婚してから小泉一家と合う事が無かったが、小泉純一郎が政界の引退を決めた時に「 おまえたちは兄弟だから3人仲良くすればいい」という言葉をきっかけに再会。 三男の結婚式にも小泉一家は出席し、家族は30年ぶりに同じ空間を共にした。 ・宮本佳代子の祖父は 『エスエス製薬』創業者の【泰道照山】。 お嬢様だった。
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