新 田 恵美 写真 集。 1999年に初めてヌードを披露したアイドル一覧

20世紀アイドル写真館 : 冨田靖子

新 田 恵美 写真 集

01 ケイ(ピンク・レディー) 1994年1月1日 幻となったヌード写真集 【初脱ぎ媒体】 「週刊プレイボーイ」1994年1月1・7日合併号 集英社 ご存知ピンク・レディーのケイちゃんこと増田恵子。 相方のミーちゃんこと根本美鶴代は10年以上前にさっさと脱いでおり、ミーのヌードは主演映画「コールガール」(1982年)と写真集「どうしても、おまえだ。 」(1983年)において鑑賞できる。 そして今度はケイちゃんの出番。 こちらは週刊プレイボーイの1994年新年号(発売は1993年12月末)からのカットで話題性は十分だった。 誌面でヌード写真集の発売が間近に迫っていることを伝えていたが発売は延期に...。 たった1度きりの幻の裸身披露となってしまった。 03 麻田華子 1994年2月15日 芸名を何度も変えて90年代を切り抜けた 【初脱ぎ媒体】 村上理央「体温」1994年2月15日発行 ワニマガジン社 1987年東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト優勝者の麻田華子。 その時の準グランプリは河田純子(89年組)とだった。 1988年、彼女たちより先に弱冠13歳という若さで歌手デビュー。 飛び抜けた歌唱力でナベプロ所属ということもありプッシュされるが不発に終わった。 その後は樹本彩華に改名。 の主演映画「もうひとつの原宿物語」(1990年)に友人役として出演するなど新人アイドルの引き立て役にまわっていた。 再注目されるのは村上理央と改名してのぞんだ、こちらの初ヘアヌード写真集でのこと。 幼かった歌手時代からは想像できない美味しそうな肉体、幼さと大人っぽさが入り交じった表情もたまらなかった。 1996年には麻田華子名義で2冊目のヘアヌード写真集をリリースするが仕事は続かず一般人に。 ところが彼女の芸能界への未練はそこで終わらず、1999年にエイベックスからデビューした3人組ユニット、のMOCAの正体がこの麻田華子だと判明。 冬の時代、氷河期と例えられる80年代後半から90年代を彼女ほど身をもって体験したアイドルはいないと断言できる。 と結成したセクシーユニットのDee Deeのほか、Chu-Dogのメンバーとしても知られている。 こちらは彼女にとって初脱ぎとなるヘアヌード写真集からのカットで白人を思わせる釣り鐘の乳房と色素の薄い乳輪が特徴的だった。 現在は引退しレースクイーン時代に知り合った元F1レーサー、ミカ・サロの奥さんとして旦那の故郷であるフィンランドに在住。 玉の輿に乗った元芸能人として度々マスコミに取り上げられる。 07 三田はるな(ENDOLL) 1994年4月25日 CDデビューは叶わなかった... 【初脱ぎ媒体】 「LEPOLLEN」1994年4月25日発行 英知出版 らとのヌードルユニット、(アンドール)のメンバーとして活躍。 ヌードルとは裸になれるアイドルに使われた造語。 アイドルとして十分やっていけそうなキュートさだったが脱ぐとさらにその魅力を増した。 揉んだ時にプニュプニュと音を立てそうなおっぱいにバーンと張り出したヒップ、縦長の愛らしいおへそ、細いウエストなど見どころたっぷり。 こちらの初ヘアヌード写真集発売の半年後にENDOLLとしてCDデビューを控えていたがグループを脱退。 残念なことにそのまま引退してしまった。 メンバーが麻井美緒(芸映)、生田依子(ホリプロ)、杉本夕子(サンミュージック)とそれぞれ異なる芸能プロダクションに所属し、ファーストシングル発売直後にこちらのヘアヌード写真集をリリースをするという異色のグループだった。 プレイメイトジャパン自体が脱ぐことを前提をしたコンテストなので当然の結果と言える。 ほどなくグループは自然消滅。 その後、麻井美緒(写真中)は太田プロに移籍し、かねさだ雪緒と改名。 かねさだは2001年からは漫画家としても活動を開始し、コミック版「下妻物語」をヒットさせた。 11 千葉千恵巳(オーロラ5人組) 1994年5月25日 声優としてブレイクするのは5年後 【初脱ぎ媒体】 「未然」1994年5月25日発行 ぶんか社 1999年から放映が始まったアニメ「おジャ魔女どれみ」の主人公・春風どれみ役としておなじみの千葉千恵巳。 声優の仕事を得る前はアイドルグループのメンバーとして活動。 そのグループとは江口寿史がキャラクターデザインをつとめたファミコンソフト「おたくの星座」絡みの企画物でをリーダーとする。 1993年にデビューしたオーロラ5人娘は企画物ゆえ、シングルを2枚リリースしただけで解散。 そして彼女はこちらの初裸身を披露することになるのだが、大胆にもヘアヌードに挑戦している。 おそらく世間の人は西尾悦子って誰? と思ったに違いない。 彼女は1989年に「じゃじゃ馬にさせないで」で歌手デビューした西尾えつ子。 同アニメのエンディング曲に使われたセカンドシングルもヒットには至らずセクシー路線へ方向転換。 幼い顔立ちにきわどいポーズが話題となった3冊のヘアヌード写真集のほかに「新百合族3」(1995年)「でべそ」(1996年)「AnotherXX 赤い殺人者」(1996年)など映画でも脱ぎまくっていた。 14 広田玲央名 1994年6月25日 不作の83年組のひとりでもある個性派女優 【初脱ぎ媒体】 「SELF」1994年6月25日発行 スコラ 現在の芸名は広田レオナ。 かつては広田玲央名としてバレリーナを目指しベルギー留学まで果たすも身体を壊して帰国。 その後、作家・村上龍による初監督映画「だいじょうぶマイ・フレンド」(1983年)のヒロインに抜擢され芸能界デビュー。 ヌードを披露するなど話題性もあったが映画は大コケ。 また、映画と同名タイトルの主題歌で歌手デビューを果たしたものの失笑を買うほどの音痴ぶりだった。 こちらは個性派女優として再び脚光浴び出した頃にリリースされた初写真集。 セルフシャッターを使って自ら撮影したという意欲作でスクリーンでは見せたことのないヘアをさらしていた。 15 三原順子 1994年7月3日 ツッパリに人気があったアイドルが自民党議員に 【初脱ぎ媒体】 三原じゅん子 「Junco」 1994年7月3日発行 KKベストセラーズ 小学生の頃から東京宝映に所属した三原順子(現・三原じゅん子)は1979年に放映されたドラマ「3年B組金八先生」のツッパリ生徒役で人気を得る。 1980年に発売したファーストシングル「セクシー・ナイト」もヒット。 アイドルとしても成功を収めたが「GOGO! チアガール」(1980年)で共演した宮脇康之(ケンちゃん)との恋人宣言以降は人気が急下降。 その後ヘビーメタルを歌ったりレーサーとして活動したが話題にならなかった。 この初ヘアヌードは長いトンネル期に撮影された荒木経惟氏による異色作。 荒木氏の作風と三原のキャラクターとの相性は悪く、場末感だけが漂う。 結婚したコアラとのアツアツぶりが唯一の話題だった彼女はそのコアラとも離婚。 そんな彼女が2010年の参院選に自民党から出馬し当選を果たすのだから世の中何が起こるかわからない。 16 久野真紀子 1994年7月20日 忘れがたい美人女優 【初脱ぎ媒体】 「蜜」 1994年7月20日発行 スコラ 1987年のNHK朝ドラ「チョッちゃん」でヒロイン古村比呂の同級生役としてデビューした久野真紀子(現・クノ真紀子)。 当時は久野翔子という芸名のアイドル女優であった。 1990年頃に本名の久野真紀子に戻して多くのサスペンスドラマ、刑事ドラマに出演。 特にテレビ朝日の「はぐれ刑事純情派」「はぐれ刑事純情系」には事件のカギを握る人物として幾度となく登場している。 また、阿部寛とコミカルな演技をみせた「ビップエレキバン」をはじめ「花王・健康エコナ」「三共・ビトン-ハイ」と印象的なCM作品も多い。 親しみやすさとクールさ両面を持ったところが彼女の魅力だが、そのクールな面が遺憾なく発揮されたのが1994年の主演映画「XX 美しき狩人」。 こちらの初ヘアヌード写真集は映画公開を記念する形で発売されたもので映画同様、一糸まとわぬ姿を堪能できた。 19 SHIHO 1994年9月11日 モデルの矢野志保とは別人 【初脱ぎ媒体】 「SHIHO 写真集」1994年9月11日発行 竹書房 もともとは1988年に和製ユーロビート「GYPSY QUEEN」をヒットさせたシンガーで、90年代に入るとお色気路線を更に強調。 グラビアモデルのAYUMIとセクシーユニットを組んだりしたが人気を保てるはずもなくヘアヌードを披露した。 また、翌1995年には宇宙企画から「ハードコアな夜」をリリース。 宇宙企画はアダルトビデオレーベルだがファックシーンが長いといったことを除いて作りはVシネマそのものという中途半端な内容だった。 現在活躍するモデルのSHIHOはこの当時、矢野志保と名乗っていたのでSHIHOのオリジネーターは彼女に違いないのだが末期はストリップ劇場にまで出ていた。 20 ルビー・モレノ 1994年10月5日 正体は出稼ぎフィリピーナだった 【初脱ぎ媒体】 「RUBY」 1994年10月5日発行 勁分社 前年に公開された映画「月はどっちに出ている」で女優として高い評価を受けたフィリピン出身のルビー・モレノ。 その後も女優として活躍を続けると思われたが、フィリピンパブの元ホステスだったことをすっぱ抜かれ経歴詐称していたことが判明した。 続いて仕事放棄、借金地獄などのトラブルが続出。 自ら重い障害を持つ子の母親である事も告白した。 これはそんなドロドロの時代に披露したヘアヌードで知名度もあってヒットしたが「借金精算のため」という側面は大きかった。 1995年には所属の稲川素子事務所を解雇されフィリピンに戻ることになった。 25 キャティ 1994年11月10日 ポスト・アグネス・ラムとして期待されたトースト娘 【初脱ぎ媒体】 「Toast Girl」1994年11月10日発行 音楽専科社 70年代後半からアグネス・ラム人気を受け多くのハーフモデルが出現したがキャティもそのひとり。 沖縄基地勤務のアメリカ人の父と日本人の母親との間に生まれ同地でスカウトされた彼女。 1979年JAL沖縄キャンペーンガール、同じくハーフモデルのセーラと共演したコーセーCMで見せたビキニショットが鮮烈だった。 あれから15年近くの年月を経てリリースされたのがこちらのヘアヌード写真集。 あのトーストボディが健在だったばかりか当時は水着で隠されていた箇所が拝めることに。 26 八木さおり 1994年11月20日 中国当局に拘束されアイドル生命を断たれた!? 【初脱ぎ媒体】 八木小織「春花秋冬」1994年11月20日発行 1985年の第4回ミスマガジンに選ばれ、1986年のNHK連続ドラマ「ジニーがやって来た」でデビューした八木さおり。 同ドラマの挿入歌をB面にして歌手デビューも果たすが、当時は水着グラビアで見せる大きなバストが評判になっていた。 致命的だったのは悪名高き映画「パンダ物語」(1988年)にヒロインに抜擢されたこと。 中国ロケの際に当局に拘束され長期に渡って日本を不在という事態に...。 新曲リリースが1年近くないなど映画が公開される頃には完全にアイドル戦線から脱落してしまっていた。 同映画の主題歌を最後に歌手を廃業、ちなみにタイトルが「SAYONARA」だから笑えない。 再び注目されたのが八木小織と改名してのぞんだこちらのヘアヌード写真集だった。 週刊プレイボーイ全面バックアップのもと元アイドルが肩書きで大ヒットしたが、少年のような髪型、エグすぎるおっぱい、剛毛ぶりが賛否両論を呼んだ。 27 鈴木砂羽 1994年11月22日 ヌードモデルをしながら 成功を夢見た文学座卒業生 【初脱ぎ媒体】 「Sawa・愛の新世界」 1994年11月22日発行 KKベストセラーズ 文学座を卒業した鈴木砂羽が女優としてはまったく芽が出ずヌードモデルなどをして糊口を凌いでいたのは割と有名な話。 そんな頃に舞い込んできたのが1994年公開の映画「愛の新世界」でヒロインを決めるオーディション。 主役の条件が「脱げる」ことだったのでオールヌードでの審査もあり見事合格。 SM嬢という難しい役柄をつとめ上げ、この年の映画祭新人賞を総なめにした。 同時に発売されたのがこちらのヘアヌード写真集で映画と連動した企画。 スクリーンに挿入された全裸スチールも収録した見応え十分な内容で、撮影した荒木経惟氏の世界に引き込まれること受け合いである。 彼女の顔、体型、雰囲気は良い意味で古臭く、アラーキー氏のモノクロ写真と相性は抜群だった。 厳密に言えばエロ本での活動歴がある鈴木。 そちらは非公認なので本作が紙媒体での初脱ぎということにする。 28 橋本美加子 1994年11月30日 サンミュージックが売り出した80年代アイドルの末路 【初脱ぎ媒体】 「Magical」1994年11月30日発行 スコラ サンミュージックに所属し大々的に売り出されたものの、まったく売れなかった橋本美加子。 デビューは15歳の誕生日に当たる1985年3月22日。 その日前後には大量のCMや多くのテレビ出演が組まれ大手芸能事務所の力を見せつけてくれたが、次第に売り上げが落ち、2年目を迎える頃にはマスコミにも取り上げられなくなった。 もともと所属レコード会社ワーナー・パイオニア主催のオーディション「ザ・スカウト'83」大阪大会に出場。 そこでスカウトされていて本名の杉本亜由美でアイドル雑誌に登場。 歌手デビューするまでの2年間の間に新鮮さを失ってしまったと言えよう。 レコードリリースは1988年まで続けていたが、存在自体忘れ去られた頃に発売されたのがこちらのヘアヌード写真集だった。 29 網浜直子 1994年12月10日 ボーイッシュなイメージを覆した 【初脱ぎ媒体】 「ラブレター」 1994年12月10日発行 風雅書房 松本典子とのダブル受賞が話題となった1984年ミス・セブンティーンのグランプリ受賞者。 優勝特典だった歌手デビューと映画出演(共に1985年)で芸能界入りを果たした。 ショートカットでボーイッシュな網浜直子は女性ファンをターゲットにするような路線で、TBSドラマ「夏・体験物語」シリーズでの暴れっぷりなど強烈な印象を残した。 1992年には飯島直子とデュオユニットを結成。 あまりグラビアのイメージはなかっただけにヌードになったのは意外。 とはいえ天晴れな脱ぎっぷりだった。

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1999年に初めてヌードを披露したアイドル一覧

新 田 恵美 写真 集

2013年4月のアーティストデビュー以来、ディープなカルチャーへの偏愛を落とし込んだ独自の作品を作り続けてきた彼女。 今作では掟ポルシェ(ロマンポルシェ。 、ド・ロドロシテル)、ザ・プーチンズ(現ザ・ぷー)、松永天馬(アーバンギャルド)ら個性の強い作家陣を迎えながらも、ポップかつキャッチーな楽曲を作り上げている。 上坂の作品において、ジャケット写真などのビジュアルもその個性を担う重要な要素の1つ。 彼女の衣装をセレクトするスタイリングは、デビューシングル「七つの海よりキミの海」から最新アルバム「ノーフューチャーバカンス」まで一貫して、スタイリストの佐野夏水が担当している。 佐野はライブ衣装から取材時のスタイリングまで広く上坂の仕事をサポートしており、最近はメイキング映像の撮影を務めることも。 今回の特集では、誰よりも近くで上坂を見つめ続けてきた佐野との対談形式でインタビューを行った。 初回限定盤は、「世界中が恋をする夜」(Music Video)を収録したDVD付き。 【初回封入特典】10月27日開催 petit milady初のオーケストラ・コンサート チケット最速先行抽選申込券 収録曲 【CD】 1. 世界中が恋をする夜 TVアニメ「百錬の覇王の聖約の戦乙女」エンディングテーマ 2. Lost my melody 3. 世界中が恋をする夜 Instrumental 4.

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1993年に初めてヌードを披露したアイドル一覧

新 田 恵美 写真 集

01 さとう珠緒 1993年1月1日 篠山紀信のヌードモデル センセーショナルに登場 【初脱ぎ媒体】 珠緒「週刊ポスト」 1993年1月1・8日合併号 小学館 週刊ポスト1993年最初の号に登場(正月合併号なので発売は1992年末)。 当時19歳だった珠緒の登場はセンセーショナルで大きな反響を巻き起こした。 「新・激写」は篠山紀信氏による撮り下ろしグラビア。 5ヶ月前には()が起用されていたように新人ヌードモデルがデビューするには最も輝かしい場所と言えた。 彼女は読者の圧倒的な支持を集め、1ヶ月後の2月5日号、2月12日号と2号連続で登場。 次に彼女の姿が目撃されたのは1994年8月に行なわれた「95チャイニーズ・モンゴルスター・コンテスト」でのこと。 この時は佐藤珠緒の芸名でエントリー。 日中合作映画に主演できるという触れ込みの同参考会は、の鈴木美苗、88年組のが参加するなど歌手廃業を余儀なくされたアイドルの再出発の場と化していた。 佐藤珠緒は惜しくもグランプリを逃すものの演技賞を受賞。 そして翌1995年「超力戦隊オーレンジャー」のオーピンク役に抜擢された彼女、さとう珠緒として多くの人々に知られるようになる。 02 藍田美豊(少女隊) 1993年3月31日 2年前にソロシンガーとしデビューしたもの... 【初脱ぎ媒体】 「DOPE 媚薬」1993年3月31日発行 KKベストセラーズ 少女隊の中ではショートカットのボーイッシュな雰囲気で活躍したミホこと藍田美豊。 1989年のグループ解散後、名義でソロシンガーとして活動を続けたがヌード披露以上の話題とはならなかった。 カメラマンとのフォトセッションといったアート寄りの内容は単純に裸が見たい人にとっては少しガッカリするような内容だった。 とはいえ、見事に引き締まったウエストと若干修正が施されたヘアを楽しめる。 1994年に結婚引退。 再結成されたには子育て中ということで不参加だった。 04 大原麻琴( フロリダオレンジ娘) 1993年4月10日 ダンスで揺れていたバストが明らかに!! 【初脱ぎ媒体】 「BODY LANGUAGE」1993年4月10日発行 英知出版 1990年の映画「櫻の園」に出演していた演劇部員役の一人。 その名を知られるようになるのは1989年に放映されていたテレビ朝日「パオパオチャンネル」の火曜日レギュラーで、、咲浜小百合(89年組)と共にアシスタントを務めていた。 彼女たちは番組内で組まれたアイドル3人組「フロリダオレンジ娘」としてソコソコ体操を披露(CDのリリースはない)。 レオタード姿、水着姿で踊る彼女たちは特に大原の巨乳っぷりが評判を呼んでいた。 衣装の下で揺れていたおっぱいが明らかになった時の感動は忘れられない。 05 大貫かおり(おニャン子クラブ) 1993年4月21日 ほとんど活動歴のないおニャン子メンバー 【初脱ぎ媒体】 「MISTRESS」1993年4月21日発行 スコラ (写真は「ベッピン」1993年7月号のパブグラビアから) 「夕やけニャンニャン」合格後、1日だけ番組に登場した大貫かおり。 幻の会員番号37番だが、当時の面影がなかったことから一時は「替え玉説」も流れたほど。 番組からフェードアウト後の1987年、まだおニャン子クラブが存在している時期にホリエージェンシーに所属しバラエティ番組のアシスタントやCMモデルとして活動しているのも不可解だった。 なお、前述したも同様だが、おニャン子のメンバーの場合は写真集からのカットよりもバブグラビアを紹介した。 06 相楽ハル子 1993年5月1日 横チチしか見せなかったビー玉のお京 【初脱ぎ媒体】 相楽晴子「MOTHERS」1993年5月1日発行 スコラ アイドル時代の表記は相楽ハル子。 また、新人アイドルじゃないのに1987年ミスマガジングランプリに選ばれていた。 印象的なのは「オールナイトフジ」の司会をはじめとするのバラエティでの話術の巧さである。 グラビア展開の少なかった彼女が現在の芸名でリリースした初ヌード写真集がこちら。 乳首公開を公開したにもかかわらずサイドからのカットが中心。 正面のカットではおっぱいに墨汁(オイル? )が塗りたくられていたことを考えると微乳を隠した秘策だったと思われる。 07 吉見美津子(おニャン子クラブ) 1993年5月15日 B組1番のカワイコちゃん 【初脱ぎ媒体】 「feminine」1993年5月15日発行 英知出版 (写真は「ベッピン」1993年3月号のパブグラビアから) 1986年ミスセブンティーンとの合同企画でおニャン子クラブに加入し、中学生で構成されたB組の中で吉見美津子は栄えある1番をゲット。 高校入学とともに会員番号49番に昇格した。 初ヌード披露は番組終了から6年経ってのことだったが、まだ十分おニャン子のご威光が残っていた。 その後、今見美津子と改名し女優活動を続けたが、1994年のTBSドラマ「スチュワーデスの恋人」以外目立った活躍をすることはなかった。 08 杉本彩 1993年5月25日 キリン生ビール初代キャンペーンガール 【初脱ぎ媒体】 「ENFIN」1993年5月25日発行 風雅書房 もともとは関西の地方モデルだったが1987年東レ水着キャンペーンガールでデビュー。 翌1988年には歌手としてデビューを飾り同年のキリン生ビール初代キャンペーンガールにも選ばれている。 おっぱいの大きさは当時から評判でユサユサ揺らしながら登場した歌番組でのインパクトは大きかった。 ライブ活動では学園祭の女王とも呼ばれ「オールナイトフジ」「11PM」などの司会も務めた。 現在の変態痴女系タレントといえるような芸風になる契機となったのがこちらの初ヌード写真集。 やはりキャンギャルとして2冠に選ばれるなど素材は抜群でバストもヒップも張りまくり。 撮影当時24歳で脱いだ時期も良かった。 10 麻生真美子 (麻生久美子&キャプテン) 1993年6月25日 現在は田島みわという 自民党所属の政治家に 【初脱ぎ媒体】 麻生真宮子「FAKE」 1993年6月25日発行 スコラ (写真は「スコラ」 1993年5月27日号の パブグラビアから) 2013年参議院議員選挙の比例代表として立候補した田島みわという自民党の政治家が、暴力団組長の愛人だった過去を週刊文春にすっぱ抜かれ自民党が公認を取り消した一件があった。 田島みわの正体が麻生真美子だったのには心底驚いた。 麻生は1984年に「麻生真美子&キャプテン」としてデビューしたアイドル歌手。 キャプテンは松本伊代の後ろで踊っていたコーラス兼ダンサーの2人でメインはあくまで彼女。 まったく売れず「麻生久美子&キャプテン」名義では6枚のシングルを残した。 1987年以降は麻生がソロシンガーとして、キャプテンはBe-2と名前を変えて別々にレコードを発売。 90年代に入ると麻生の名を聞かなくなっていたが麻生真宮子に改名して初ヘアヌード写真集を発売。 こちらは写真集制作中を報じた貴重な初ヌードグラビア。 このカット自体は写真集で使われていないのでおそらくスコラの誌面用に撮り下ろされたものだろう。 Eカップの美巨乳を惜しげもなく披露した作品だが現在廃盤で今後DVD化されることはないはず。 11 中村通代 1993年7月1日 第8回ミスマガジン 準グランプリ 【初脱ぎ媒体】 「戯 Virgin Game」 1993年7月1日発行 ワニマガジン社 がグランプリだった1989年の第8回ミスマガジンで準グランプリを獲得。 モモコクラブ桃組出席番号3448番で、1988年「ロッテCMアイドルは君だ! 」では最終選考まで残った経験もあるがCDデビューすることもなく終わった中村通代。 1992年にはコスプレVシネマ「聖少女仮面マルガリータ」のヒロイン役に抜擢、翌年にはこちらのヌード写真集の発売となった。 12 真弓倫子 1993年7月31日 アイドルファンには 宮沢りえ以来の衝撃 【初脱ぎ媒体】 「RE-BIRTH」1993年7月31日発行 スコラ 1987年「毎度おさわがせします3」に出演、同年に15歳でアイドル歌手としてデビューした真弓倫子。 1989年までに5枚のシングルと1枚のアルバムをリリース、シンガーとしては地味ながら評価する人も多い。 これからの活躍が期待されたが1990年頃に引退。 再び姿を現すのはこちらヘアヌードでのことだった。 特にVシネマでの活躍は顕著で90年代までに膨大な数の作品に出演していた。 余計な肉一つないスリムな体に薄目のヘアがいやらしく、撮影当時まだ21歳の若さだったことにも驚きだ。 元アイドルの落ちぶれた感じは一切なく芸能界に落とし前を付けに来たという感じのカムバックであった。 13 川島なお美 1993年8月10日 80年代を代表する女子大生アイドル 【初脱ぎ媒体】 「WOMAN」1993年8月10日発行 ワニブックス 高校時代スクールメイツに所属し、1979年「シャンペンNo. 5」でアイドル歌手としてデビューした川島なお美。 80年代初期の女子大生ブームを盛り上げた文化放送のミスDJをはじめ、「アイアイ・ゲーム」アシスタント、「お笑いマンガ道場」レギュラーなどで人気を得た。 その後、女優としても活躍を続けた彼女だったが1989年「水戸黄門第・18部」ロケ中のバス転落事件で休業することになる。 忘れかけられようとしていた彼女を再び第一線に復帰させたのがこのヘアヌードだった。 その後の活躍は周知の通り。 14 内海和子(おニャン子クラブ) 1993年8月15日 オールナイターズ出身の女子大生おニャン子 【初脱ぎ媒体】 「PHOENIX」初版 1993年8月15日発行 スコラ (写真は「スコラ」1993年1月28日のパブグラビアから) ドラマ「レインボーマン」に子役として出演するなど70年代初頭から芸能活動を開始した内海和子。 大学生となった彼女は「オールナイトフジ」の第2期オールナイターズとして番組に登場、同時に「夕やけニャンニャン」では「アイドルを探せ」の第1回合格者としておニャン子クラブに加入。 奥田美香(月刊プレイボーイ1988年11月号で脱いだ会員番号1番)、、大貫かおり、吉見美津子、そして内海和子と裸になった元おニャン子はこれまで合計5人だが大物といえるのは彼女だけと言える。 当時は女優としても活動していたが趣味の自動車レースで知り合ったレーサーと結婚。 翌1994年に引退した。 15 夏目奈美(桜っ子クラブさくら組) 1993年8月15日 最初に脱いださくら組のメンバー 【初脱ぎ媒体】 「あいらんど」 1993年8月15日発行 英知出版 (写真は「すッぴん」1993年8月号のパブグラビアから) 夏目奈美はテレビ朝日「桜っ子クラブ」が生んだアイドルグループ、の元メンバー。 「桜っ子クラブ」の前身番組「アイドル共和国」で行なわれた第1回HOP! STEP! とびだせアイドル決戦大会の出場を契機にさくら組に加入。 ヌードを披露したのはメンバーで一番早かったが、ヘアヌードが一般的になっていたのにもかかわらずソフト路線だった。 こんがりトーストボディと日焼け跡が素晴らしく、長い脚に意外に大きめのお尻が見どころだ。 なお、同様のカットは写真集では目をつぶっており、ここでは目をつぶっていないバブグラビアからのカットを紹介した。 16 南粧子 1993年8月20日 1987年ゼネラル石油マスコットガール 【初脱ぎ媒体】 池田しょう子「ILLUSIONNER」1993年8月20日発行 ぶんか社 もともとは南粧子というモデルで1987年ゼネラル石油マスコットガールとしてデビュー。 その後は池田晶子と改名し女優に転身。 1991年に香港映画「プロジェクトイーグル」でジャッキー・チェンと共演し、翌1992年には映画「ありふれた愛に関する調査」で初ヌードを披露。 探偵役の奥田瑛二が憧れるお天気キャスターを演じ奥田との大胆な濡れ場を臆することなく挑んでいた。 それを追うかたちで発売されたのがこちらの初ヌード写真集。 白人を思わせるような釣り鐘型の乳房がたまらない。 池田晶子時代は将来を期待された若手女優だったが、写真集発売時は池田しょう子と改名。 同姓同名の有名作家がいるためなのだろう。 その後も何度も芸名を変更して現在の芸名は池田昌子に落ち着いている模様だ。 17 小沢なつき 1993年9月1日 帰ってきた失踪アイドル 【初脱ぎ媒体】 「早熟」1993年9月1日発行 ワニマガジン社 小沢なつきといえば本名の山下純子で出演していたテレビ東京「おはようスタジオ」のおはスタマヌカンのひとり。 1987年に歌手デビュー。 1988年には小高恵美、石田ひかりと共演したドラマ「花のあすか組! 」で一躍人気アイドルとなった。 ところが1989年、自らがヒロインを務めるドラマ「魔法少女ちゅうかなぱいぱい! 」の撮影中にマネージャーと失踪事件を起こし芸能界から永久追放となる。 その名前を再び耳にすることになったのがこちら。 この衝撃作はヘアヌードの代表作となるほどの大ヒットを記録した。 続いてVシネマで活躍するがいつしかフェードアウト。 2004年にはAV女優に転身して仰天させた。 18 板谷祐三子 (セイントフォー) 1993年10月1日 メガネを外して セクシーになった 【初脱ぎ媒体】 「Y」 1993年10月1日発行 ぶんか社 1984年にデビューしたセイントフォーの元メンバー。 グループの中では一番若く他のメンバーとは3歳ほどの年齢差があった。 在団期間は約2年間、グループの雲行きが悪くなると一足先に退団、「オールナイトフジ延長戦」などに出演していた。 再び彼女の名前がクローズアップされるのがセクシーアイドルとして。 セイントフォー時代はメガネをかけ目立たない存在だっただけに想像もしてなかった巨乳ぶりが衝撃的だった。 セミヌードの生殺し状態が数年続いた後に公開したのがこの初裸身。 期待通りのナイスバディでおまけにヘアヌード。 柔らかそうなおっぱいに大きめの乳輪がエロかった。 19 岡坂あすか 1993年10月20日 脚光を浴びたバイプレイヤー 【初脱ぎ媒体】 黒沢あすか「BIRTH」1993年10月20日発行 スコラ 小沢なつき、小高恵美、石田ひかりを輩出したドラマ「花のあすか組! 」(1988年)で脇を固めていたアイドル女優の岡坂あすか。 こちらをその勢いに乗って リリースされた初ヘアヌード写真集。 黒沢あすかと改名した直後のことだった。 主役を張るような美人というタイプではないが、バイプレイヤーとして渋い演技を披露。 通好みな人気を得ていた。 20 菅野ジュン 1993年10月25日 1987年旭化成水着 キャンペーンガール 【初脱ぎ媒体】 JUN「FASHION」 1993年10月25日発行 英知出版 菅野ジュンは1987年旭化成水着キャンペーンガールをはじめ80年代に活躍したモデル。 一世を風靡したハウスマヌカンのような刈り上げへアがトレードマークで歴代のキャンギャルの中でも異色の存在だった。 1988年にはJUNと名乗り、長谷川恒之、亀山尚平らと男女3人組のグループ「J・トリップス」を結成。 数枚のレコードを残したがまったくの不発に終わった。 旭化成CMのバックには本人の歌が流れていたのでもともと歌手志望だったのかも。 こちらの初ヌード写真集もJUN名義。 DJとは担当していたJ-WAVEのディスクジョッキーのことだが水着キャンペーンガールの経歴を推して煽ったほうが売れた気がする。 21 石原真理子 1993年10月31日 お騒がせの顛末 【初脱ぎ媒体】 石原真理絵「Marie! 」 1993年10月31日 発行 竹書房 1980年の映画「翔んだカップル」にヒロインに抜擢され芸能界入りした石原真理子。 彼女を有名にしたのは1983年に放映されたTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」で同年には歌手デビューを果たす。 80年代初頭の彼女は信じられないほどのオーラを放ち、太い眉毛にワンレングスという、若い女性たちがこぞって真似したファッションリーダー的な存在だった。 しかし、プッツン女優としての奇行、玉置浩二との不倫、失踪と騒がれたアメリカ生活の間に人気が急降下。 こちらは石原真理絵と改名し起死回生を狙った初ヘアヌード写真集からのカット。 モノクロという作風も相まってどこか物悲しさが漂い、全盛期の彼女を知る者としては落ちぶれた感が否めなかった。 現在は石原真理を名乗っている。 22 星野由妃 1993年11月25日 歴代アイドル歌手で屈指のナイスボディ 【初脱ぎ媒体】 上野正希子「figlia」1993年11月25日発行 スコラ アイドル歌手・星野由妃のデビューは1989年。 1992年までに8枚のシングルをリリースした。 ヒットは出なかったが数枚でクビといったアイドルが多かった中では恵まれていたほうだった。 歌手廃業後は芸名を本名の上野正希子に変更して裸稼業に転身。 潔い脱ぎっぷりと美巨乳が話題を呼んだ。 2冊のヘアヌード写真集をリリースし、Vシネマ数作品で裸身を披露した彼女、ソソりまくりのボディで新たなファンを獲得していた。 その後は上原正希子と改名。 近年までチョイ役中心ながらサスペンスや昼ドラマなどに出演していた。 23 坂上香織 1993年12月20日 19歳の若さで脱いだガミちゃん 【初脱ぎ媒体】 「FLOWERS」1993年12月20日発行 集英社 荻野目洋子のコンサート会場でスカウトされ芸能界入りした坂上香織は1988年にアイドル歌手としてデビュー。 ガミちゃんの愛称で親しまれ5枚のシングルをリリースしたが次第にフェードアウト、こちらの写真集でカムバックすることになった。 本作は週刊プレイボーイが全面的にバックアップした話題作。 残念ながらヘアは修正されていた。 すでに芸歴7年でまだ19歳だったことに驚きだ。 その後ヘアヌード写真集をリリースし、「藪の中」(1996年)「卍」(1998年)「Annother XX・マトリの女」(1998年)といった映画で脱ぎまくっていた。 再び彼女が表舞台に登場するのが2001年から放映された「ウルトラマンコスモス」のミズキ・シノブ役。 以後はサスペンスを中心に活動を続けた。 24 宮崎ますみ 1993年12月25日 1985年クラリオンガール 【初脱ぎ媒体】 「XX HOLY BODY」1993年12月25日発行 勁文社 1983年、映画「アイコ十六歳」のオーディションに合格してチョイ役出演。 1985年クラリオンガールとして公式デビューした宮崎ますみ。 当時、弱冠17歳。 同時に歌手デビュー。 また、女優として出演した映画「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズでのツッパリ順子はハマり役だった。 イメチェンを図ったの1993年公開の主演映画「XX 美しき凶器」。 鮮烈なヌードシーンが話題となり同時にリリースされたのがこちらの初ヘアヌード写真集だった。 25 相沢なほこ 1993年12月25日 1991年大磯ロングビーチキャンペーンガール 【初脱ぎ媒体】 「-wish-」1993年12月25日発行 ワニブックス 本名の和賀尚子で80年代末にデビュー。 相沢なほこに改名すると1991年大磯ロングビーキャンペーンガールをはじめ水着姿の似合うモデルとして活躍。 人気が出たのはセクシー写真集やギリギリ姿を披露したビデオを出し始めてからのことだった。 一見大柄に見える彼女だが身長は160センチほど。 スタイルの良さが大きく見える原因だろう。 一番の人気アイテムは最後の写真集となったこの初ヌード写真集。 見えそうで見えない焦らし感が最高だ。 この作品、発売当時より市場から消えてからの方が人気が高く、多くの人が探し求めたようだ。 もう少し早く人気が出ていれば、もう数冊写真集を出してくれていたのでは…と想像すると残念。 後世に語り継ぎたい極上ボディである。

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