人権 作文。 【簡単】人権作文の書き方(おすすめテーマも紹介!)

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人権 作文

毎年12月4日から10日は、 人権週間です。 1948年、国際連合が「世界人権宣言」を採択し、12月10日を「国際人権デー」としたことを受けたものです。 人権とは、 ヒューマンライツの訳語です。 どんな人も、生まれながらに個人の平等と尊厳を守られなければならない、ということを基本にしています。 日本では、憲法第13条に「生命、自由及び幸福追求に対する権利」が、明記されています。 命を脅かされることなく、自由に、そして個人の考えによる幸福を求める権利は、どんな人にも平等にあり、それを阻むのは人権侵害にあたる、ということです。 この人権週間に、国は中学生を対象に「 人権作文」募集を行います。 「人権尊重」は、人間にとって、実は歴史の浅いものです。 例えば、アメリカ合衆国で、黒人が「公民権」を与えられたのは1968年。 日本でも女性に「参政権」「社会権」が認められたのは、1946年。 いずれも、まだ100年たっていません。 子は親の言うことに従うべき、使用人はご主人の言う通りに働くべき、女性は男性の陰にいるべき、などの「べき」論は、いまだに根強いものがあります。 中学生の「人権作文」を広く読んでもらうことを契機に、人権とは何かを理解し、旧い考えを改めてもらうことが、この作文の目的です。 女性、子ども、高齢者、障害のある人、同和、アイヌ、外国人、HIV,ハンセン病、刑を終え出所した人、犯罪被害者、ネットによる人権侵害、LGBT これらは生まれや過去によって差別されている人や、理解されないまま偏見に苦しむ人がいる、という現代の社会的状況を表しています。 「差別や偏見、一方的な圧力により、人が苦しむ社会を変えたい」。 これがテーマにふさわしいといえます。 ただ、書く人がそれについての体験や知識がなければ、薄っぺらなものにしかなりません。 ちょっと興味がある程度では、展開が行き詰まります。 「 日ごろから見聞きしていること、考えていること」をテーマにしましょう。 人権作文には、どんなことを書く? 上記以外にも、人権問題はあるでしょう。 しかし作文で大事なことは「 たくさんの人に共鳴してもらう」ことです。 つまり、みんが共通の問題として考えられる、あまり特殊でない、身近で日常的なことがいいですね。 自分の見聞きしたことで、人にも「 あ、わかる」と思ってもらえる事がいいでしょう。 身近な事といっても、昨今はさまざまな情報機器もあり、世界も狭くなっています。 他者とのかかわりを通して見えたこと、社会や個人の問題点、そして自分の思いを、大げさでなく素直に書くことを心がけましょう。 Sponsored Links 人権作文のコツは!? テーマの明確化 「人権」と言っても、とても広いものです。 気をつけないと漠然としてしまいます。 「自分はこの作文で何を訴えたいのか」、 テーマを一つに絞りましょう。 あれもこれも、はいけません。 欲ばらないことです。 正確な体験表現 自分の言いたいことを理解してもらうためには、読み手の共感を得ることが、何より大切。 そのためには、具体的に「どんなことがあったか」をしっかり書くことです。 つまり 体験です。 「そうか、この人はこんなことがあったのか」、と思わせるための正確な表現がポイントになります。 これによって、読み手は、書き手の体験を自分のこととして考えられるのです。 5W1H 自分の体験を、読み手が自分の体験のように感じる。 そのためのコツは、 5W1Hです。 「いつ、どこで、誰が、何を、どうした、なぜ」という、作文の基本。 これによって読み手は、書き手と同じ場所で同じものを見ることができます。 とても重要です。 書き出しはどうする? まず、自分がこれから作文で展開する世界を見せましょう。 「私には、外国人の友人がいる。 」 「私の母は障害手帳を持っている。 」 「ある日、ネットに私の写真がアップされた。 」 「クラスに仲間外れの子がいた。 」 「アメリカで、夏休みにホームステイした。 」 など、これから展開する 主要な人や場の紹介をします。 ズバリと切り込むことが、読み手の興味をひきます。 また、この作文で 言いたいこと、主張を、冒頭に出すことも効果的です。 「いじめはみんなの問題だ。 」 「人種差別は、アメリカだけではない。 」 「相手の気持ちになることは、やれば難しいことじゃない。 」 この場合、作文の最後に同じ事を書く恐れがあります。 テクニックが必要になりますので、書きなれている人におすすめします。 人権作文の構成と書き方! 文字数をほぼ2000文字、と仮定します。 その範囲で「 どこに、何をどのくらい」配置するか決める。 これが構成です。 まず「何を」書くかを決めましょう。 必要なのは、次の3点です。 気づき• 社会への提言 これらの3要素を、それぞれどのくらいの分量にして、どの順番で並べるのか、が構成設計になります。 また、この3要素は 意味段落でもあります。 大きな意味のまとまりです。 この3要素を並べるとき、どんな接続詞が適切か、と考えると並びは決まってくるでしょう。 「また」「だから」「そこで」は、必ず隣りあわせでなくてはいけません。 「だから」「そこで」は、前文をふまえた新しい展開を示します。 このように話の流れがスムーズである方が、読み手が自然についてきます。 凝った構成は、書き手の 自己満足に過ぎません。 大切なことは、事実を伝え、思いを共有してもらうことです。 また、時系列でいうと1の体験は「過去」です。 2の気づきは「現在」、そして3の提言は「未来」です。 そういう意味では、1.2.3の順が、いちばんスムーズに読み手に理解されるでしょう。 どこに何を書くか、初めから終わりでが、しっかりイメージできたら、それに従って書きましょう。 次は、1.2.3の 分量の配分です。 どうしても体験が多くなりがちですが、読み手が見たいのは「で、何を考えたの?何に気づいたの?どうしてほしいの?」という部分です。 ここにしっかり重点をおきましょう。 つまり2の「気づき」です。 ここが一番の見せどころ、と思ってください。 なぜなら同じ体験をしても、全く別のことを考えるのが人間だからです。 「そんなこと、どうだっていいじゃないか、よくあることじゃないか」あるいは「それじゃあダメだよ」という人を、どう説得するか。 ここが考えどころであり、書きどころです。 人を説得するためには、だれかの借りものではなく、 自分の考えであることが大切。 そのためには、結論だけでなく、「現在にいきつくまでの過程」を見せることです。 はじめは気にもしなかった、悩んだ、迷ったなど、結論に至るまでの道を書いてください。 ただ、自分の世界だけの勝手な考えではいけません。 母の一言に気づかされた、先輩の行動で考えた、友人に意見を聴いた、など、 人との関わりが重要なことになります。 そうすると、それなりの分量が必要になるでしょう。 これを踏まえると、3の提言、つまり結論へは自然に流れていくはずです。 大きなことを言う必要はありません。 これから人権について自分のできることの精一杯を書き、「みんな一緒にやろうよ」と、呼びかければいいのです。 作文で大切なのは、「 気づき」です。 書く前と、書いた後、「人権」への考えがどう変化したか。 そして自分がどうしたいか、を見せましょう。 体験ばかりが多くて、考えと結論は数行、では意見文になりません。 体験と気づきの変化が同じ分量になるくらいの構成にしてください。 結論は、未来社会への提言です。 世界に自分は一人だけ。 でも「人権」についての自分の考えを、わかってくれる人はたくさんいる。 そして、将来、すべての人の人権が守られる社会をみんなで作りたい。 そういう思いを展開してください。 どんなテーマでも、書く作業をすることで、これまで見過ごしていた大切なものが見えてきます。 言葉は考える道具です。 ぜひ、それを生かしてください。

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人権作文の書き方!中学生・小学生・高校生が構成とテーマで他と差をつけるコツは?

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中学生の夏休みの宿題としてよく出されるのが人権作文です。 法務省が毎年秋に実施している「全国中学生人権作文コンテスト」に向けての取り組みなので、地域を問わず全国的に夏休みの宿題として出されることでしょう。 でも実は、日常の学校生活や社会生活、ニュースなどで経験したり見聞きしていることの中に、人権に関係している出来事はたくさんあります。 思っているよりも、結構身近なテーマなのです。 とはいえ、人権って何? 何を書けばいいの? どうやって? と、頭の中は???だらけかもしれません。 人権作文の書き方を、基本的なところから少しずつひも解いていきましょう。 人権とは? そもそも、人権って何でしょう。 文字通り、人の権利(human rights)ですが、もう少し具体的に説明すると、 人間が人間らしく生きていく権利で、すべての人が生まれた時から平等に持っている権利です。 言い換えると 「すべての人が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」 とも言えます。 世界のどこに生まれても、肌の色や目の色が何色でも、性別が何であれ、どんな人でも、誰にも命を驚かされることなく、自由に、そして幸せを求める権利があるのです。 小さい子どもに説明するならば「命を大切にすること」「みんなと仲良くすること」と言えるでしょう。 この権利は、「世界人権宣言」として1948年に国連(国際連合)によって採択されました。 人権が広く認知されている今の社会に生きていると人権は当たり前にあるもののようにも思えますが、実は、人権宣言が採択されてからまだ70年も経っていないんですね。 私たちは、自分以外の人を差別し、その人の権利や自由を奪うことはでません。 その権利や自由を奪ってしまうことが「人権侵害」であり、私たちの身近なところでも、日本国内のいろいろな場所でも、世界のあちこちでも、この人権侵害が起きているのです。 人権作文とは? 人権作文とはつまり、人権をテーマに自分が経験したことや、感じたこと、考えていることを自由に書いた作文です。 中学生は、これからの社会を担っていく世代。 その中学生に、人権作文を書くという作業を通して、人権の大切さを理解してもらうことが大きな目的の一つです。 そして、年に1回入賞作品をメディアを通して発表することで、多くの人にもあらためて人権に目を向けてもらい、人権意識を根付かせていこうという、社会的啓発の意味合いもあります。 法務省の募集要項には、作文の内容について 「日常の家庭生活、学校生活、グループ活動あるいは地域社会との関わりなどの中で得た体験を通じて、基本的人権の重要性、必要性について考えたことなどを題材としたものとする」 と書いてあります。 つまり、「いつもの生活中で、人権って大切だよね、人権って必要だね、など、人権について考えた体験や経験を題材にして書きましょう」ということです。 では、どんな問題やテーマが人権にかかわってくるのかを次で具体的に見ていきましょう。 人権作文にはどんなテーマ(ネタ)や問題がある? いまの社会では、どんな人権問題があるでしょうか。 法務省の人権擁護局のWebサイトを参考に、中学生に身近なところから具体的に見ていきます。 それぞれの説明を参考に、ピン!とくるテーマ(ネタ)を見つけてみてください。 ピン!とこなくても、なんか気になるな、というものもチェックしておくといいですよ。 親から子への人権侵害• HIV感染者、ハンセン病患者などの感染症のある人への差別• 犯罪被害者に対する人権侵害• 刑を終えて出所した人への差別• 性同一性障害、性的嗜好のある人への差別• <いじめ> 今年に入ってからも、いじめを理由に自殺した中学生のニュースを目にしたことが少なからずあると思います。 いじめは、子供の間だけでなく、大人の間でもあったりします。 いじめそのものをテーマにすることはもちろん、自分はいじめに加わっていなかったとしても、「いじめを知っているのに、黙って見ていて何もしないことはどうなのか」という切り口もいいでしょう。 人権作文に必要なのは具体的な体験 テーマ(ネタ)が決まったら、次はそのテーマ(ネタ)にもとづいた 「具体的な体験、経験」 を見つけます。 具体的な体験や経験がない作文は、とても薄っぺらな印象を与えてしまいます。 体験が入ることによって 「こういう経験をしたから、こう思っているのか」 「この経験が、この人をこうさせたんだね」 と、読んでいる人に理解してもらいやすくなるだけでなく、読んでいる人も、自分が体験したことのように感じることができるため、共感も得やすくなるのです。 「でもそんな経験なんて、ないし…」 と思っている人も、安心してください。 体験はなにも、特別なものでなくていいのです。 誰もが日常で経験するような小さなこと。 これで十分なのです。 例えば・・・• 電車の中で杖をついたおじいさんが立っているのに、優先席に座っている人たちが誰も席を譲らない場面に遭遇した• 駐車場の車椅子の方専用駐車場に、車椅子じゃない人が駐車していた• 何か意見を言ったら「女のくせに」と言われた• 顔に火傷の跡が残っている人を見て、思わず顔を背けてしまった 等々、振り返ってみると思い出すことがあるかもしれません。 それでももし、「ない!」というのであれば、• 気になったテーマをインターネットで検索する• 誰かに話しを聞きにいく ——の2つにトライしてみましょう。 気になったテーマをインターネットで検索する 例えば、「虐待 子ども 死亡 ニュース」で検索すると、検索結果の上位に、いろいろなニュースが上がってきます。 「外国人 差別 ニュース」「戦争 子ども ニュース」 など、検索する時に「ニュース」というキーワードを加えると、比較的新しい出来事を見つけることができます。 自分に経験がなければ、検索で見つけたニュースを見て、自分が人権について感じたことをテーマにしていけばいいでしょう。 誰かに話しを聞きに行く 家の近くに、障害者や高齢者が通う施設などがあれば、そこに話しを聞きに行くのも一つの手です。 直接本人に話しを聞けなくても、施設の職員の方に「どんな差別や人権侵害があるのですか?」と聞いてみると、いろいろ教えてくれるはずです。 施設がなくても、自分の生活の範囲にいる外国人の方や、近所の高齢者など聞くのもいいですね。 意外と、じぶんのお母さんや、おじいちゃんおばあちゃんなども、いろいろな経験を持っているものです。 積極的に質問してみましょう。 誰かの経験を聞いて、じぶんが感じたこと。 <カギかっこで始める> 作文を誰かの言葉、カギかっこで書き始めると、読む人をグッと引きつけます。 書こうとしている体験談に、誰かの言葉が関係しているのであれば、その言葉をカギかっこで引用して書き始めるといいでしょう。 <場面の描写で始める> —冷たい雨が降っている朝だった。 みんなが駅の中へと急ぐ中、車椅子の人が段差を登れずに立ち往生していた —ある日、ネットに友達の写真がアップされていた。 よく見ると…… <短い文で始める> —私の祖父は、右手の指が1本少ない。 —アメリカから、転校生が来た。 書き出しが決まれば、その後はスムーズに体験したできごとを書いていけるはずです。 書き出しをちょっと、工夫してみましょう。 2.1を通して、どんなことに気づき、何を思ったのか 体験を書いたら、その経験を通して「自分」がどう思ったのか、何を感じたのか、そこをしっかりと書いていきます。 なぜなら、同じように体験したとしても、どう受け止めるかは人それぞれ違うからです。 大切なのは「自分が」どう思ったか。 「もし自分だったら…」と、体験したことを自分に引き寄せて考えてみるのも一つのやり方です。 人にどう思われるか、などと気にせずに、思ったことを堂々と、そして素直に書きましょう。 変に気取ったり、いい子ぶらないほうが読み手に伝わります。 3.どんな社会、未来にしていきたいか、という提言 そして結論には、社会への提言を書くといいでしょう。 これまでに書いてきた体験談も、自分が思ったことも、いずれも個人的な、もしくは限られた範囲の話です。 でもそこには、必ず普遍性があるはずです。 個人的な体験でも、それは障害者全体に通じる話だったり、立場さえ少し違えば、私たち誰もが経験し得ることだったりするはずです。 最後のまとめとなる部分なので、自分の言葉で、気持ちを込めて書き上げましょう。 人権作文の書き方のヒントにご利用ください。

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法務省:全国中学生人権作文コンテスト

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2013年9月11日更新 岐阜市では、第2次岐阜市人権教育・啓発行動計画を策定し、学校教育や社会教育を通じて、人権を尊重するまちづくりに努めています。 例年11月11日~12月10日までの1か月を、「人権尊重推進強調月間」と定め、「人権の広場」をはじめとするいくつかのイベントを開催し、人権尊重の精神の普及活動を進めています。 その一環として、 「人 権尊重の精神を養い、偏見や差別の解消をめざして積極的に取り組む児童・生徒を育てる」という趣旨のもと、市内の全小・中学校に呼びかけ、人権作文を募集したところ、 小学生(4年生以上)から1,372点、 中学生から2,881点(法務省全国中学生人権作文コンクール岐阜県大会、岐阜地方法務局と共同募集)、 総計で4,253点の応募がありました。 審査の結果、 岐阜市長賞2点、 教育長賞2点、 岐阜市 人権教育・啓発推進協議会長賞2点、 岐阜市 人権教育・啓発推進専門委員会長賞2点、 入選8点、 佳作20点、 努力賞50点を選び、これらの作品を「人権に関する作文作品集『ほんとうの幸せを求めて』」にまとめました。 お互いの人権を尊重し合うためには、身近な日常生活の中にある差別や不合理を見つめ、その解決のために自分はどうするべきであるかを考え、そしてはたらきかけることが大切です。 これらの人権に関する作品が、人間としての生き方を問う学習資料として活用されることを願っています。 岐阜市長賞 小学生の部 人権について家族で話し合って 網代小学校四年 野々村 健 ぼくは、人権って何だろうと思いました。 それで、夏休みに家族で人権について話し合いました。 お父さんやお母さんは、「いじめや差別も人権問題だよ。 」と言いました。 ぼくたちの網代小学校の三年生と四年生は、毎年、近くの岐阜本巣特別支えん学校の子たちと交流をしています。 ぼくが最初に出会った、特別支えん学校の子は、目の見えない車いすの子でした。 だから、ぼくはその時は、 「目も見えないし、自分の足で歩けないなんて、かわいそうだな。 」 と思いました。 でも、そのことを話したら、お母さんは、 「そう思うことが差別じゃないかな。 」 と言いました。 ぼくは最初、お母さんの言った言葉の意味が分かりませんでした。 でも、もしもぼくが、その目や足の不自由なお友だちだったら、と考えてみました。 特別支えん学校との交流会で、そのお友だちは、ぼくに笑顔を見せてくれました。 楽しそうに話しかけてくれました。 ぼくが車いすを押したり、ボールをわたしたりすると、みんなと同じように遊ぶことができていました。 ぼくは、体が不自由なことは不幸なことだと、勝手に決めつけていたことに気がつきました。 お母さんの「差別じゃないかな」という言葉の意味が分かったように思います。 そのお友だちにとっては、みんなからかわいそうと思われることは、傷つけられることになるのだと分かりました。 体が不自由なことは関係なく、そのお友だちは、自分らしく生きていて、それをみんなに認めてほしいのだと思うのです。 ぼくがそのお友だちだったら、「かわいそう」や「たいへんだね」と言われるよりも、「一緒に遊ぼう」と声をかけてほしいと思います。 この夏休みに、人権について家族で話し合っていなかったら、またそのお友だちと会った時にも、きっと前と同じように、「かわいそう」とか「この子は、ぼくとちがうんだ」と思っている気がします。 だから、この次の交流会では、ぼくもそのお友だちも、心から楽しく遊べるといいなと思います。 人間が一人一人ちがうのは当たり前のことなので、みんなが楽しく生きられるよう、相手のことを知り認めて、その人が望むように誰もが助け合うことができれば、もっと笑顔が増えると思います。 これまでぼくは、人権ってむずかしいと思っていたけれど、家族で話し合ったり、特別支えん学校と交流したりして、ぼくのすぐ近くにも考えられることがあるのだと知りました。 これからも、もっと家族で話し合って、人権についていろいろと考えていきたいです。 中学生の部 余命三ヶ月の祖母に私ができること 東長良中学校 三年 武藤 遼 私の祖母のすい臓ガンが見つかったのは今年の六月。 だるさや微熱、背中の痛みが続き、病院の検査で「三ヶ月の余命」と共にガンの宣告を受けました。 そのすい臓ガンは十万人に一人と言われる進行性で、すでに腫瘍は肩や足にも転移していました。 一緒に告知を受けた父は動揺を隠しきれない様子で家族に話を始めましたが、私も母もあまりにも突然の知らせにショックが大きく、その日は何も身が入りませんでした。 「なぜ十万人に一人の病気が私の祖母なのだろう」そんな思いが頭の中を走馬灯のように駆け巡りました。 すぐに病院に入院した祖母は、みるみる症状が悪化し、生きる気力さえもなくしていきました。 唯一、私の学校の話を聞く時だけは笑顔を見せてくれましたが、その他は自分の殻に閉じこもって、人との接触を避けているように感じました。 今まで、何ヶ国も外国を旅行し、人生を謳歌してきた祖母は、いきなり突きつけられた死の宣告に、相当重いダメージを受けたようです。 一日に何度ももどし、生きるのが辛いと話すこともありました。 症例のない病院で死を待つだけの祖母に、何か対処はないものかと看護師の叔母は、二八の症例がある名古屋のがんセンターを見つけてきました。 祖母も最後の望みを持って、がんセンターへの転院を決断しました。 家族は延命措置にしか過ぎないと分かっていながら、新しい病院で常に「ここに来たから治るよ」と、声をかけていました。 すると不思議なことに病状は悪化しているのにもかかわらず、祖母から生きる気力がみなぎるようになっていったのです。 吐き気があっても食事を取ろうとしたり、体力を回復させようと自分で動こうとしたり、目に希望の光があふれ出てくるのが家族にも分かるようでした。 しかし、その一ヶ月後。 息をするのが苦しいという一言をきっかけに肺の検査をすると、ガンが肺にも転移していたのです。 また、ガンの進行を知る手がかりとなる腫瘍マーカーの値も、通常の人に比べ六千倍と想定をはるかに超える値で増えていました。 吐き気があり体力が落ちている身体には、手術も抗ガン治療もできません。 ついに医者からは、本人と家族が死を安らかに迎えるため、ホスピスへの転院を勧められました。 この頃、祖母も一向に回復しない自分の体に疑問を持ち始め、今後自分はどうなるのかを知りたがりました。 ここで再び、「死」の宣告をするのか、しないのか 私たち家族はそんな難題を突きつけられました。 家族みんなが困惑する日々。 父は「告知する」という意見でした。 本人が知りたがっているのだから、その思いを尊重すべきだ。 そのほうが「死」を受け入れ、残された日々を有意義に使える、と。 しかし、私と母はそれに対して反対でした。 最初の検査でガンの宣告を受けた後、無気力になっていった祖母を見てきたからこそ、最後まで生きる望みを失わせたくない、という思いが強くあったのです。 最近、告知を勧める医師が増えている、と聞きます。 私自身、祖母の病気に直面する前は、「もし難病にかかったら告知してほしい。 『死』は誰にでも訪れるものなのだから、余命を知った上で残された人生を楽しみたい。 」と思っていました。 しかし、祖母を見ていて告知について疑問を持ち始めました。 「死」が目前に迫る中、治療の苦しみや死への恐怖にさいなまれる日々など、どう楽しめばよいのでしょうか。 もうすぐ死ぬ、という現実を突きつけられて、生きる喜びを感じられるのでしょうか。 父と母は、告知するか否かについて深夜まで話し合う日々が続きました。 そして、私も祖母の病室で、ある経験をすることになりました。 その日祖母は、朝から気分が悪い状態が続き、青白い顔をして午後だけでも七回、あめ色の反吐を吐きました。 私はやせて一層小さくなった祖母の背中をさすり続けました。 夕方、少し落ち着いてニコッと笑った祖母は、「パワーをもらわないと」と震える手で私の手を握りました。 「私も治るように頑張るからね。 」 この一言に私は返す言葉が見つからず、ただ微笑むことしかできませんでした。 「治るよ」なんてウソはつけない。 でも「治らない」とも、絶対に言えない。 祖母に誠実に関わろうと思えば思うほど私たち家族は悩み、つらい矛盾に縛られるようになっていったのです。 その後、両親は遠まわしに宣告する選択をしました。 それが、祖母の知る権利を尊重し、なおかつ祖母を傷つけない最善の方法だと考えたからです。 それが本当に良かったのか悪かったのか、はっきりとは分かりません。 でも、祖母は今、生きようとする強さを失っていません。 そんな祖母の姿は、人間らしく生きているといえるのではないでしょうか。 今なら私は、祖母の手を強く握り返してこう伝えることができます。 「おばあちゃん、頑張って生きてね。 」 教育長賞 小学生の部 言葉は大切 梅林小学校 五年 加藤 千笑 私は、ある経験をして、言葉の大切さを知りました。 私は、「骨形成不全症」という病気です。 この病気は、骨密度が低く骨が弱いため、ふつうの人より骨折しやすい病気です。 そのせいで、まだ歩くことができず、車いすの生活をしています。 まわりの子が、外で元気に遊んでいるのを見ると、 「なんで私だけ歩けないの。 」 という気持ちになります。 でも、小学校へも校区のみんなと同じ小学校に行きたくて、校長先生にお母さんとお父さんがお願いしてくれたので、行きたかった小学校に入学できました。 先生や家族のおかげで、できることだけでもみんなといっしょにできて、とてもうれしいです。 だけど、私は少しいやな気持ちになる時があります。 例えば、校外学習のときなどは、みんな私のことを、 「歩かなくていいからいいな。 」 といいます。 私は、みんなといっしょに歩きたいのに、そういう事を言われてとても悲しい気持ちになりました。 それで、学校へ行きたくないと思うときもあって、お母さんにあたってしまうこともありました。 そうしたらお母さんに、 「学校で何かあったの。 」 と言われて話すことにしました。 話したら少し気持ちが楽になりました。 お母さんは、 「困ったときはがまんせずに、先生とかに相談すればいいよ。 」 と言ってくれました。 そして、次の日先生に相談したら、みんなに言ってくれたので、あまり言われないようになりました。 それからは、まわりの子のほとんどが、私が困っているときなどに、 「大じょうぶ。 やってあげようか。 」 と声をかけてくれたり、手伝ってくれたりするようになりました。 また、中で遊ぶときは、私もみんなの仲間に入れてくれるので、とてもうれしいです。 私は、みんながあたりまえにやっていることが出来ないことがたくさんあります。 歩いたり走ったりすることは、みんなはあたりまえでも私はできません。 これは私だけでなく、いろいろな障がいのある人だれでも言えることだと思います。 スポーツやドッジボールなどをすることも、みんなあたりまえだけど、私はそれが夢です。 私は、この経験をして、お母さんといろいろな話をしたり、自分でいろいろ考えたりしました。 人は、苦手なことと得意なこと、できることとできないことがあります。 私は、歩くことはできないけど、勉強などはみんなと同じようにできます。 例えば、音楽や算数などは得意でも、社会などが苦手な人もいます。 だれでもできることとできないことがあるのに、それを笑ったり、そのことで相手をきずつける言葉は、絶対に使ったりしてはいけないと思います。 だから、これからは一つ一つの言葉を大切にしていこうと思いました。 また、困っていたりなやんでいたりする人には、相談にのってあげたり助けてあげることがあれば、したいと思いました。 それと、人の悪口を言ったりしている人がいたら、 「だめだよ。 」 と教えてあげられる人にもなりたいです。 私が困っていたら、 「だいじょうぶ。 」 と言ってくれたとき、とてもうれしくなりました。 そのように、私の言葉で少しでも相手を元気にしたり、うれしくなってくれるようなことを言ってあげられたりする人になれたらいいと思いました。 中学生の部 笑顔がうまれる言葉 岐阜清流中学校 一年 廣瀬 彩乃 みなさんは、「言葉」について考えたことがありますか。 私たちは、小さいころから「言葉」を聞いたり話したり、書いたりしてきました。 「言葉」は、このように私たちの生活に深く関わりがあります。 その中で、私には「言葉」によって気持ちが変化した体験があります。 それは、あるお年寄りのおばあさんからの一言です。 私がバスに乗っているとき、次のバス停でお年寄りのおばあさんが待っているところを見ました。 その時、私が乗っていたバスは、席がもう空いていませんでした。 「たぶんあのおばあさんも、このバスに乗るのかなぁ。 でも、もう席は一つ空いていないから、おばあさんが座れない。 どうしよう。 」と考えているうちに、おばあさんが待っているバス停に着きました。 おばあさんは、つえを持ってゆっくりとバスに乗ろうとしていました。 私はこのおばあさんの姿を見て、私が席をゆずれば、おばあさんは安心して座れるのではないか。 私が、このおばあさんに席をゆずってあげよう、と思いました。 けれど、私は一度も席をゆずったことがないため、いざとなると、どのように声をかければよいか、などとあたふたしてしまいました。 この時、ふと私が小さかったときのことを思い出しました。 私が小さいころのことです。 電車が満員で、私は立って乗っていました。 その時、私の前にいた男の人が、 「代わりましょうか。 」 と言って、席をゆずってくださいました。 私は、うれしかったことを今でも覚えています。 この時のことを思い出すと、今度は私がゆずる番だ、と強く感じました。 すると、おばあさんがバスに乗り、席を探していました。 その時の私には、もう迷いなどありませんでした。 おばあさんに、 「席、どうぞ。 」 と声をかけると、おばあさんはにっこりと微笑みながら、 「ありがとうねぇ。 」 と言ってくれました。 私もおばあさんも自然と微笑んでいました。 私は、初めて席をゆずるという経験をしました。 何というか、清々しい気持ちというか、うれしさが後からにじみ出て来るような気持ちでした。 たった一言ですが、良い気持ちになるのだなと感じました。 私も以前、周りの人から「がんばれ」「大丈夫」や「前よりうまくなったね」などの言葉をかけてもらったときは、もっとがんばろうと思い、その一言ではげまされたこともあります。 このようなことから、私は、言葉だけで気持ちが変化することを知り、言葉には見えない力があると思いました。 それに気が付いたとき、私は普段、周りの人にどのような言葉をかけているのだろうか、私はだれかを笑顔にさせる言葉が使えているのだろうか、と少し不安になりました。 私たちが普段、何気なく使っている言葉でだれかを楽しませ、だれかを笑わせ、だれかをはげまし、だれかを安心させていると思います。 しかし、その一方で、もしかしたら、自分が知らないところでだれかを苦しめ、だれかを傷つけ、だれかを不安にさせているかもしれません。 私は、とげとげした言葉より、あたたかい言葉をかけられた方がうれしいです。 それに、あたたかい言葉を使うと、相手も自分も自然とあたたかい気持ちになり、笑顔がうまれます。 「言葉」について考えることで、私は普段、何気なく自由に使っていることが分かりました。 そして「言葉」は、一つ間違えると、だれかを傷つけてしまう。 それほど、「言葉」は自由だからこそ責任が重い、ということを知りました。 あなたがかけたその一言で、だれかが救われたかもしれません。 あなたが言ったその一言が、だれかを傷つけ、苦しめているかもしれません。 私はどうせ使うなら、「その一言」の言葉は、だれかを笑顔にさせる言葉を使いたいと思います。 その一言で気持ちが変わる。 その一言で乗り切れる。 その一言で笑顔がうまれる。 その一言が明るい未来への第一歩。 岐阜市人権教育・啓発推進協議会長賞 小学生の部 友達の心 岐大附属小学校 四年 岸上 真子 私には、たくさんの友達がいます。 その中に、AちゃんとBちゃんがいます。 しかし、二人は決して仲がいいとは言えません。 ある時、Aちゃんが私の家に遊びに来ることになりました。 その後、Bちゃんからも 「いっしょに遊ぼう。 」 と電話がありました。 同じ日だったので、二人の仲がよくないことを知っている私は、すごく困りました。 とりあえず、 「お母さんに聞いてみるから。 」 と言って電話を切りました。 私にとっては、二人とも大事な友達だけど、三人で何をして遊んだらいいか分からないし、二人がけんかをしたらいやだし…悪いことばかり考えてしまいました。 そして、お母さんに相談しました。 二人の仲がよくないことも話しました。 すると、お母さんは、 「じゃあ、真子が二人を仲良くさせてあげたら。 困ったらお母さんが助けてあげるから。 」 と言いました。 私は、まだちょっとこわかったけど、二人を呼ぶことにしました。 そして、私は、二人ともシール集めをやっていることを思い出して、シールを持ってくるように伝えました。 しかし、おたがいに来ることは知りません。 私は、こわかったので、二人に三人で遊ぶことを言えなかったのです。 その日が来ました。 最初にAちゃんが来ました。 私は、いつものように笑えませんでした。 私の部屋に入ると、シールを見せ合っていました。 お母さんがおやつを持って来てくれた時、玄関のチャイムが鳴りました。 私は「うわっ」と思い、にげるように部屋を出ました。 Bちゃんが玄関に立っていました。 いつものようにニコニコ笑っています。 私は、お腹が「キュウッ」と痛くなりました。 でも、勇気を出して、 「あのね。 今、Aちゃんが来ているけどいい。 」 とBちゃんに聞きました。 Bちゃんは、表情がちょっと悪くなったけど、すぐに、 「いいよ。 」 と言ってくれました。 あとはいよいよAちゃんです。 部屋までBちゃんの後ろをついて行きました。 部屋に入ると、Aちゃんはこっちを見て、 「あっ。 」 と言い、また私のシールを見始めました。 私は、Aちゃんはおこっていると思い、心配になりました。 するとAちゃんが、 「Bも持ってきたの。 」 と言いました。 「うん。 」 とBちゃんは応え、シールをAちゃんに見せました。 それを見たお母さんは、私の部屋を出て行きました。 でも、私はまだ少し心配でした。 BちゃんがAちゃんのシールを見て、 「かわいい。 」 と言うと、 「じゃあ、これと交かんして。 」 と言いました。 Bちゃんはすぐに、 「いいよ。 」 と言って、交かん会が始まりました。 二人は私にもたくさんシールをくれました。 シールの交かん会の後は、地図記号のあてっこをしたり、私の弟と一緒に走って遊んだりしました。 地図記号のあてっこの時に、Bちゃんが、 「この記号は『城跡』じゃない。 」 と言いました。 私とAちゃんは分からなかったので、社会の教科書で調べると、当たっていました。 Aちゃんは、 「B、すごい。 」 と言っていました。 Bちゃんは、とてもうれしそうでした。 弟と一緒に走って遊んだ時には、Aちゃんの走りを見たBちゃんが、 「Aちゃんって足が速くていいね。 」 と言いました。 するとAちゃんは、うれしそうに、 「ひざを高く上げると速く走れるよ。 」 と言いました。 私とBちゃんはやってみましたが、ひざを高く上げるだけで前に進みませんでした。 みんなで大笑いしました。 楽しい時間はあっという間に過ぎ、二人は帰りました。 私はお母さんに、 「よかった。 みんなで仲良く遊べた。 」 よ言うと、 「よかったね。 本当は、仲が悪くなかったんだよ。 もともとね。 」 と言いました。 次の日、学校へ行くと、Aちゃんを中心にして何かを話していました。 その中にBちゃんもいました。 私もみんなの中に入って話を聞くと、私の家で遊んだ話をしていました。 私は、AちゃんとBちゃんが仲良くなって、これからも三人で遊べると思ったら、とてもうれしくなりました。 もしあの時、三人で遊んでいなかったら、今でも二人は話したり遊んだりしていなかったのかもしれません。 あの時、私はとてもこわかったけど、思い切って三人で遊んだ事が良かったのだと思いました。 そして、三人ともシールを集めるのが好きであったこと、AちゃんがBちゃんの勉強していることをすごいと思ったこと、BちゃんがAちゃんの足が速いことをほめていたことなどが、仲良くなれた要因だと思いました。 このことから、私は、仲良くなるには友達のいいところを見つけて、認め合い、分かり合うことが大事なのだと思いました。 友達には悪いところがあるかもしれないけど、悪い子ではないと思います。 これから私は、友達のいいところを「すごいね」と言ってあげたいと思います。 そして、たくさんの友達と仲良く楽しく生活していきたいです。 中学生の部 みんなちがって、みんないい 岩野田中学校 二年 三嶋 水響 「顔面ブス」 「ウザイ」 「気持ち悪い」 「死ねばいいのに」 「最悪」 「シンショウ」 これらは小学校の頃からずっと、私に向けて言われていた言葉の、ほんの一部です。 『シンショウ』は、何の事か分からず、友達に聞いたところ、身体障がい者の略語だと教えてくれました。 言われる度に、とても傷つき、とても悲しくなりました。 『何でそんな風に人を傷つける言葉を言うんだろう。 』 『言われて、私がどう思うか考えないのかな。 』 と、言われる度に思いました。 下校の時、階段で後ろからカバンをけられた事もありました。 もし落ちたら…と思うと、ものすごく怖かったです。 『私のどこが悪いんだろう。 』 『学校に行きたくないな。 』 『死んじゃったら、もう言われないかな。 』 『どうやったら死ねるかな。 』 と思った時もありました。 今でも言われた事、けられた事を思い出す度、辛くて悲しくて涙が出ます。 一生忘れる事ができません。 でも、私は、生きています。 それは、母が、祖母が、家族が、先生達が、友達がいてくれたからです。 私の話を聞いてくれて、味方になってくれたからです。 母が先生に、 「こんなにも娘がからかいの対象になるのは、娘に何か悪い所があるからじゃないですか?」 と聞いた時、先生がきっぱりと、 「いじめは、いじめる方が悪いんです!」 と言ってくれました。 この一言で、私は強くなろうと思いました。 それから私は、言われた事、やられた事を、学校ですぐに全て先生に話すようにしました。 先生はすぐに相手の子にも話を聞いて、対処してくれます。 家でも、これ以上心の傷にならないよう、全部話をします。 話した後は、心の中にあったもやもやが、とてもすっきりします。 明日もまた頑張ろうという気持ちになります。 こうして私は、毎日を笑って過ごす事が出来ています。 金子みすずさんの詩の一つに、『私と小鳥と鈴と』という詩があります。 私はこの詩が大好きです。 最後の『みんなちがって、みんないい』という一文が、私を認めて応援してくれているようで、大好きです。 トカゲやヤモリ、ナナフシが好きな私。 さっさと行動するのが苦手な私。 小さい子と遊ぶのが好きな私。 速く走るのが苦手な私。 みんなと違う?でも、これが『私』 人が、お互いに思いやりの心を持って、すべての人が等しく幸せな生活を営むために大事な事、それは、 『みんなちがって、みんないい』 という事を認めあう事だと、私は思います。 人は一人一人ちがうものだから。 みんな幸せに生きて欲しい。 幸せに、生きていきたい。 『みんなちがって、みんないい』のだから。 岐阜市人権教育・啓発推進専門委員会長賞 小学生の部 気づかいの心と思いやりの気持ち 早田小学校 五年 山下 倫未 私の祖父は、約二十年前に急性心筋こうそくになり、大手術を受けた。 手術では、死んで固くなった心ぞうの筋肉を切り取り、死んだ血管を取って新しい血管と付けかえるという作業が行われたため、普だんはげしい運動やつかれやすい仕事、寒だんの差が大きい場所などに行くことができなくなった。 人より小さい心ぞうで、日常生活にせいげんがあるので、祖父は退院後に身体しょうがい者に認定された。 今でも定期的な通院や、何年かに一度の検査が欠かせない。 しかし、私は小学一年生になるまで、祖父が身体しょうがい者だということを知らなかった。 心ぞうのしょうがいは、見た目では分からないし、手術のきずあとも何かのケガが治っただけだと思って、特に気にしていなかったからだ。 ただ、祖父といっしょに遊ぶ時、母が毎回、 「おじいちゃんとはあまりはげしい遊びはだめだよ。 やさしくしてあげてね。 」 と言うのをぎ問に思っていた。 そして、一年生の夏休み、祖父母といっしょに野外博物館へ行った時、入場券売り場で身体しょうがい者手帳を見せているのを見て、 「おじいちゃんは身体しょうがい者なの。 」 とたずね、 「そうだよ。 」 という答えで初めてその事実を知った。 私は、「身体しょうがい者」とは、車いすを使っていたり、目や耳が不自由だったりと、見た目で分かるしょうがいのある人だけを指すのだと思っていたが、祖父のしょうがいのことを知り、そうではない人もいるのだということを学んだ。 目に見える形のしょうがいのある人なら、周りの人がすぐに認識でき、気づかってあげることができる。 しかし、祖父のように見た目では分からないしょうがいのある人に対しては、そのような行動を取るのがむずかしい。 つまり、自分でも知らないうちに、その人にとってはつらい行動を取ってしまう可能性があるということだ。 では、どうしたら見た目に分からないしょうがいのある人にもやさしく接することができるだろうか。 以前、学校のじゅ業で、近くにある特別支えん学校との交流に出かける前に、たん任の先生から、 「しょうがいのある人は、みんなとちがう所があり、同じようにできないこともあるけれど、みんなと同じ人間だから、差別しないでね。 」 と教わった。 私は祖父に、少しみんなとちがう所があっても、普通に接している。 ただ、できないことや、やってはいけないことを強せいしたりはしないし、少し体調が悪そうな時は、気づかいの声かけをしたり、休息できるかんきょうを整えたりする。 このように、普だんから相手を気づかったり、大切に思ったりすること、そして、そうした気持ちを行動に移すことが、大切なのではないだろうか。 そうすることで、祖父のような見た目で分かりにくいしょうがいのある人にも、自然とやさしく接することができるのだと思う。 さらに、私が祖父のしょうがいのことを知り、くわしく教えてもらうことで、祖父に対する気づかいの心を持つことができたように、しょう害のある人のことについて学んだり、実際に接する機会を持ったりして、正しい理解をし、普だんからどんな行動をしていけばいいか分かるようになることは、とても大切なことだと思う。 人に対する気づかいは、差別とは全くちがう。 差別に付いてくるのは冷たい心だが、気づかいには温かい思いやりの心が付いて来る。 私はこれからも、祖父にやさしい気づかいの心を持って接していきたいし、周囲の人達にも思いやりの気持ちを忘れずにいたいと思う。 中学生の部 障がいのある人と生きる 岐北中学校 三年 難波 拓登 僕の兄は発達障がいがあります。 僕の家族は兄とともに暮らし、兄の友達の家族と交流してきました。 特に最近では、体力作りも兼ねて月に一度、四~五家族と一緒に山登りをしています。 山登りでは、いろんな障がいのある人たちと一緒に登ります。 山道を登っていくとき、走っていってしまう子がいます。 」 と、大きな声で叫んで、走っていって止めます。 それでも、なかなか思ったようには登ってくれません。 早く走っていきたい子、ゆっくり歩いていきたい子、大人の人にいろんな話を聞いてもらいたい子など、いろんなタイプの子がいるので、頂上に着く時間はバラバラです。 昼ご飯では、もくもくと食べて早く下に降りたいとせがむ子、ゆっくり一時間以上かけて食べる子、しゃべるのに夢中になって食が進まない子などもいて、昼食だけをとっても時間に余裕を持って、最低一時間は必要です。 このように、月に一度の山登りは、いろんな個性をもった子が参加するので、とてもにぎやかなのですが、僕は正直に言うと、とても疲れます。 山登りの会では、登るメンバーがお互いの障がいのことをよく知って理解しているので、多少みんなと違った行動をしても、誰も何も言いません。 しかし、障がいについてよく知らない人は、それらのことを良く受け入れません。 本人が言われているだけではなく、僕にもそのような悪口が言われるようになってきました。 」 などと言われることも多く、たいへん嫌な気分でした。 自分や兄は、何も悪いことをしていないのに、「なぜそんなことを言われないといけないのか」と思うこともしばしばありました。 僕はとても悩みました。 悩んだ結果、それは、周りの人の障がいについての知識が少ないからだと思うようになりました。 発達障がいは、遺伝や育て方によってなるものではありません。 生まれてくるときに、たまたまある特性です。 例えば、学習障がいや自閉症などがありますが、あまり周りによく知られていないため、厳しい見方をされがちです。 「怠けている」「わがままだ」などととらえられているのです。 だから、兄のような人を見ると、「かわいそうな人」「変な人」「困った人」だと決めつけてしまうのでしょう。 だけど、そんなことを言われてきた兄には、とてもすごい才能がいくつかあります。 まず、兄は絵を書いたり工作をしたりするのがとても上手です。 自分ではできないような細かい作業をしています。 そのときには、とてもすごい集中力を発揮します。 そして、他に庭仕事をとても一生懸命やります。 ナスやピーマンなどの野菜を毎日見て、収穫をできる頃になったら収穫します。 他に、水やりや草抜きなどを一生懸命やってくれます。 手を抜くとかさぼるということをしないので、とても信頼できます。 兄の友達のAくんは、野球や水泳がとても得意です。 その子は、初めから得意だった訳ではなく、電車に乗って練習場に行き、何時間も練習したそうです。 その子は自分にとても厳しくて、記録を少しでも上げようと努力しています。 そして、全国規模の大きな大きな大会で、メダルを獲得しました。 このように、兄や兄の友達を見ていると、障がいのある人は、「かわいそうな人」ではなく、「がんばっている人」であり、「何もできない人」ではなく、「一生懸命に生きて努力している人」だと思います。 だから、周りの人も障がいのある人のことを、このような見方ができるようになってほしいです。 そして、社会全体が、互いに理解し合えるような、偏見のない世の中になるといいと思います。 兄は今、ヘルパー二級の免許を取るために、勉強しています。 彼は、今までみんなにお世話になってきたので、次は自分が社会に対してお世話ができる人になりたいと思っています。 僕は、そんな兄を誇りに思います。 障がいのある人もない人も、助け合って生きる社会が実現するといいと思います。

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