今日好きいせひめ別れた。 気になる歌人/歌

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今日好きいせひめ別れた

大伴狭手彦と佐用姫 NO441・・・・ 松浦佐用姫物語 (まつらさよひめものがたり) 佐賀県唐津市 (唐津・呼子・厳木) 沖行く船に領布(ひれ)振る佐用姫(唐津市鏡山頂上) 松浦佐用姫は、肥前の国に伝わる伝説の主人公です。 鏡山のことを別名「ヒレフリ山」とも呼びます。 海に向かって領布振る女 「時は、飛鳥時代を更に飛び越えて「古墳時代」にまで遡る。 肥前国の松浦潟を眼下に見る山(鏡山)に登った女が、海に向かって、身につけていた 領布 ひれを大きく振った。 この時代、領巾を振れば、いかなる願いも叶うと信じられていたからである。 写真は、鏡山から望む唐津湾。 手前の海岸線は虹の松原 女の名前は 佐用姫 さよひめといい、そこから南方へ20キロほど離れた篠原村(旧厳木町)に住む豪族(長者)の娘であった。 姫が見つめる先には、港を出て行く船団を統率する 大伴狭手彦 おおとものさでひこがいた。 「あなた、私を残して、どこにも行かないで!」 届くわけもない声を振り絞りながら、姫は領布を振り続けた。 船団が沖の高島を回り、水平線の島陰に消えようとする時、「爺い、旦那さまを 新羅 しらぎ(朝鮮半島)に渡らせてはなりませぬ。 追いかけて引き止めましょうぞ」と供の末造を促した。 「無理でがすよ、姫さま」 止める末造を振り切って、佐用姫は山を駆け下りた。 愛する人は大伴大連の御曹司 山を下りて砂浜に出るとすぐ、大きな河口が姫の行く手を遮った。 栗川 くりがわ(現在の松浦川)である。 昨日まで愛しい 狭手彦 さでひこと、 三月 みつきにわたって暮らした陣営跡であった。 思い起こせば、あれは弥生半ばの頃だった。 篠原村の長者屋敷で夕飯の支度中に父に呼ばれた。 「明日から 大王 おおきみの命により、新羅に渡られる狭手彦 君 きみのお世話をしなければならぬ。 そなたもついてくるように」ということであった。 狭手彦の父は、ヤマト政権の中枢にあって、越前の 男大迹王( おおどのおう)を天皇(継体)に即位させた 大連 (おおむらじ) ・大伴金村( おおとものかなむら)である。 狭手彦の任務は、政権が朝鮮半島で手を結ぶ 百済 くだらと 伽耶 かや諸国を脅かす 新羅 しらぎを叩くための派兵であった。 」 佐用姫生誕の地と伝わる厳木の山里 当時の北部九州では、新羅に通じる 筑紫国造 つくしのくにみやつこ・ 磐井 いわいが勢力を拡大中であった。 狭手彦の身に思わぬ災いが降ってこないとも限らない。 篠原の長者は、この度の狭手彦の警護が命がけであることを覚悟していた。 緊張が高まる中で、佐用姫は狭手彦の身の回りの一切の世話を言いつけられた。 例え短い間であっても、2人は夫婦も同然である。 凛々しい若武者姿に惹かれた姫は、狭手彦を心から夫として慕うようになった。 船を追って、北へ北へ いよいよ別れのときがきた。 「嫌でございます。 一時なりとも、貴方と別れて暮らすことなどできませぬ。 行かないでください」 一晩中泣き崩れる姫を抱いて、狭手彦もともに泣いた。 翌朝、鎧姿の夫を見送った後、佐用姫は家人の末造を伴って鏡山に登ったのだった。 鏡山全景 山頂で領布を振ったあと、急ぎ山を下りた佐用姫が河口に着いたとき、狭手彦の軍船の姿は既に見えず、末造に櫓を漕がせて向こう岸へ。 「急ごうぞ、爺い」 恋焦がれて石になる 佐用姫は、裸足のままで北に向かって走った。 息も絶え絶えながら、佐用姫と末造が呼子の浜にたどり着いた時、前方を大きな島が 塞 ふさいだ。 「あれなるは加部島(かべしま)と申します」 漁師が、櫓を漕ぎながら教えてくれた。 写真は、田島神社境内に建つ佐與姫神社 「早く、早く」、佐用姫は、加部島の中でも一番高い天童岳(112㍍)によじ登っていった。 「私の念力で、愛しきお方の軍船を引き戻させましょうぞ」 天童島頂上で 領布を振る佐用姫 狂女と化した姫は、黒髪を逆立てながら、沖に向かって叫び続けた。 「かくなるうえは、神のご加護を」 山を下りると、岬に建つ田島の 杜 もりへ。 「何とぞ、狭手彦 君 きみを我れの手に戻したまえ」と祈り続けた。 「姫さまは、何処に・・・」、祈り続けて七日七晩。 祈祷所に姫の姿が見えない。 主人を捜しまわる末造。 「爺い、私はここにいますよ」、振り向くと、そこに人がうずくまったような大きな石が転がっていた。 この石、現在も田島神社境内の 佐與姫神社 さよひめじんじゃに安置されている。 艤棹(ふなよそひ)して言(ここ)に帰(ゆ)き、稍蒼波(ややにさうは)に赴く。 妾(をみなめ)松浦〔佐用比売〕、この別るるの易きを嗟(なげ)き、彼(そ)の会ふの難きを嘆く。 即ち高山の嶺(みね)に登りて、遙かに離れ去(ゆ)く船を望み、悵然(うら)みて肝(きも)を断ち、黯然(いた)みて魂(たま)を銷(け)す。 遂に領布(ひれ)を脱ぎて麾(ふ)る。 傍(かたはら)の者涕(ひとなみだ)を流さずといふこと莫(な)し。 これに因(よ)りてこの山を号(なづ)けて領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)と曰(い)ふ。 及(すなは)ち、歌を作りて曰はく この「前文」に続いて以下の5首が続きます。 遠つ人松浦佐用姫夫恋(まつらさよひめつまごひ)に領巾(ひれ)振りしより負(お)へる山の名(巻5-871) 八七一、得保都必等 麻通良佐用比米 都麻胡非尓 比例布利之用利 於返流夜麻能奈 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名 とほつひと まつらさよひめ つまごひに ひれふりしより おへるやまのな 後(のち)の人の追ひて和(こた)へたる: 山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領布(ひれ)を振りけむ(巻5 872) 八七二、後人追和 夜麻能奈等 伊賓都夏等可母 佐用比賣何 許能野麻能閇仁 必例遠布利家牟 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ やまのなと いひつげとかも さよひめが このやまのへに ひれをふりけむ 八七三、 余呂豆余尓 可多利都夏等之 許能多氣仁 比例布利家良之 麻通羅佐用嬪面 万世に語り継げとしこの丘に領巾振りけらし松浦佐用姫 よろづよに かたりつげとし このたけに ひれふりけらし まつらさよひめ 八七四、 宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比賣 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫 うなはらの おきゆくふねを かへれとか ひれふらしけむ まつらさよひめ 最後(いとのち)の人の追ひて和へたる: 万代(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領布(ひれ)振りけらし松浦佐用姫(巻5 873) 最最後(いといとのち)の人の追ひて和(こた)へたる二首: 海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領布(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫(巻5 874) 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫() 八七五、 由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯苦阿利家武 麻都良佐欲比賣 行く船を振り留みかねいかばかり恋しくありけむ松浦佐用姫 ゆくふねを ふりとどみかね いかばかり こほしくありけむ まつらさよひめ 「作者不詳」の形をとりながら、実は大伴旅人の作品だとみられています。 大伴旅人は大伴狭手彦の祖先なのです。 日本書紀での大伴連狭手彦は 磐井の君の弟 《宣化天皇二年》冬十月の壬辰の朔にあるように、筑紫君磐井とは大伴金村 かなむら 大連の長男、大伴磐 いは となり、そして弟が大伴狭手彦(さてひこ)になります。 『日本書紀』宣化天皇 「二年(537年)の冬十月の壬辰の朔に天皇、新羅の任那に寇ふを以て、大伴金村大連を詔して、その子磐と狭手彦(さてひこ)を遣して、任那を助けしむ。 是の時に、 磐、筑紫に留まりて、その国の政を執りて、三韓に備ふ。 狭手彦、往きて任那を鎮め、加えて百済を救う。 」天皇、新羅のが任那を荒らしまわり略奪するので、大伴金村大連に命じて、その子磐(いは)と狭手彦(さてひこ)を派遣して任那を助けしむ。 このとき 磐は筑紫にとどまって筑紫の国の政治を執り行い、韓国に対して防衛する備えをした。 狭手彦は、韓に渡って任那を平和にし、また百済を救った。 重要なことは大伴磐の弟は狭手彦であることで、二人は大伴金村の子供であり、兄は筑紫に留まって統治を行い、弟が朝鮮に出兵したということである。 宣化天皇2年 537 新羅に攻められた任那 みまなをたすけるため,朝鮮半島にわたり,任那をしずめ百済 くだら)をすくった。 欽明 きんめい 天皇23年 562 狭手彦は高句麗を討ち、多くの財宝をうばって天皇と蘇我稲目 そがの-いなめ に財宝を献じたといわれる。 名は佐提比古とも書く。 大伴狭手彦(おおとものさてひこ)は朝廷の命を受け、任那・百済を救援するため、軍を率いてこの松浦の地にやってきました。 狭手彦は名門大伴氏の凛々(りり)しい青年武将でした。 物資の補給や兵の休養のため、しばらく松浦の地に軍をとどめている間に狭手彦は土地の長者の娘の「佐用姫」と知り合い夫婦の契り(ちぎり)を結びました。 やがて狭手彦出船の日、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山(かがみやま)へ駆け登り、身にまとっていた領巾(ひれ)を必死になって打ち振りました。 軍船は、次第に遠ざかり小さくなっていきました。 (以上松浦と佐用姫伝説)この松浦に伝わる伝承、佐用比売がひれを振り、別れを惜しんだ相手が狭手彦であり、その兄が筑紫の君磐井となると私は踏んでいます。 弟の狭手彦は松浦を後に韓土に渡り、百済軍と共に高句麗と戦い戦果をあげたことが記されています。 姓は高、諱は平成。 陽崗上好王(『三国史記』高句麗本紀・陽原王紀の分注)、陽崗王(『三国遺事』王暦)ともいう。 先代の安原王の長子であり、『魏書』には「成」の名で現れる。 533年に太子に立てられ、545年3月に先王が亡くなると王位に就いた。 《欽明天皇》 6年9月にも男大迹天皇(継体)六年の条が引用される。 ここでは 大伴大連金村、住吉の宅に居りて、疾(やまい)を称して朝(つかえまつ)らず。 《継体天皇》6年冬12月条「大伴の大連金村、四県割譲を百済の使いに勅告する役目を物部大連麁鹿火(あらかひ)にさせようと謀ります。 麁鹿火(あらかひ)が難波の館を出て向かおうとすると、妻が諫めます。 「もし四県をさいて他国に渡してしまえば長き世に渡って謗りをうけましょう。 」麁鹿火(あらかひ)は答えて「お前の言うことはよくわかるが、天皇の勅命に背くことになってしまう。 」、妻は、続けて「それでは、あなた様は病気だといつわり、勅宜の使いをしてはなりません」、麁鹿火(あらかひ)は妻のいさめに従いました。 しばらくして、やはりうわさが流れました。 「大伴大連金村と穂積臣押山(大伴氏分一族)は百済から賄賂を受け取っていたのだろう」、と。 これは今でいえば売国奴という批難でしょうか。 金村は四県割譲が失策の責任を恐れました。 やがて、物部大連尾輿(おこし)と蘇我稲目によって辞任させられ、半島経営から消えていきます。 さて、大伴氏の先祖神は甲斐にいましたが、欽明天皇の時代には大伴大連金村は紀伊国名草郡、現在の和歌山市周辺に移動しています。 紀伊水軍の本拠地であり、みずからは住吉に屋敷を持っていと伝えます。 物部麁鹿火(あらかひ)は難波に館を持っていたこと、また、大伴大連金村は紀の川下流そばの紀伊国国分寺跡あたりにも館をもっていたと推測します。 半島への対外出兵には数百隻の船が必要です。 物部氏が大和川、淀川水系の海賊を従え、大伴氏は紀の川水系の海賊を統括していたのではないかと推定します。 紀の川は奈良県内では水源地である「吉野」に因み「吉野川(よしのがわ)」と呼ばれます。 奈良県と和歌山県が仲が悪いのはひょっとするとこんなところに原因がありそうですね。 大伴の屋敷が住吉に屋敷と呼ばれたのですが、どこにあったのでしょうか?古代縄文末期の大阪のようすからは上町台地(うえのまちだいち)にあったのです。 「大伴の三津」万葉集1151、2737番ほかとあるように、大伴の津が大阪湾岸に3つあったことが連想され、大伴が大阪のもっとも古い地名だといいます。 3つのうち、住吉大社の境内に池がありますが、すみのえのつであったと考えられます。 さて、この妻の切なる訴えが実は重要なのです。 《継体天皇六年夏四月》「夫住吉大神、初以海表金銀之國高麗・百濟・新羅・任那等、授記胎中譽田天皇。 故、大后息長足姬尊與大臣武內宿禰、毎國初置官家爲海表之蕃屏、其來尚矣。 抑有由焉、縱削賜他、違本區域。 綿世之刺、詎離於口。 」大連、報曰「教示合理、恐背天勅。 」 「それ、住吉の大神、はじめて海の向こうの金銀の国、高麗、百済、新羅、任那の国々を胎中誉田天皇にお授けになりました。 ゆえに大后息長足姫尊、大臣武内宿禰と、国ごとにはじめて屯倉(みやけ)をおいて、海の向こうの蕃屏(ばんき)として今日に至っています。 やはり、もし他国に譲り渡してしてしまえば、もとの境がなくなってしまい、どうやって取り戻すことができましょうか。 」・・・この物部麁鹿火(あらかひ)の妻(夫人)の言う言葉を借りれば、おおよそ任那は住吉の大神が応神に国を譲った(授けた)ことになるのです。 応神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、結婚した相手は住吉の大神の三人の娘のうち、真ん中の姫です。 名を木花佐久夜比賣とも、多岐都比売命(タギツヒメノミコト)、とも豊玉姫とも言われ、この女神ですが、異なる実家の氏(うじ)をもっていましたから、それぞれ宗族を率いていました。 こうして、宗像大社では沖津宮・沖ノ島、中津宮と祖神ごと祭宮が分かれるのです。 『日本書紀』本文・第一の一書・第三の一書では、2番目に化生した多岐都比売命(タギツヒメノミコト)、中津宮に祀られ、宇佐神宮では本殿二之御殿(中央)に比売大神として祀られています。 住吉の大神とは辰国の大王で、馬韓の月支氏国、いまの牙山(あさん)に宮処をもち、日本書紀では胸形の宮とします。 これが古事記の芦原中津國平定、「大国主の国譲り」の段の真相です。 別に胸形の大神という名前をお持ちです。 伊勢神宮・外宮の御祭神 豊受大御神は、古事記では下照姫の別名です。 天照大神の長男、少名毘古那神(解沸流)と結ばれています。 豊受大御神は天照大神とは嫁と姑の関係になるわけです。 応神天皇のことで別称は誉田別尊(ほむたわけのみこと)。 しかし、住吉とは摂津国一之宮住吉大社があった所とは違うと考えられます。 そして誉田(ほむた)天皇とは応神天皇の別称であることが判明します。 「病気だといって、宣(みことのり)を伝えないようにしなさい。 」と知恵を吹き込んだのは麁鹿火(あらかひ)の妻だったということが書かれています。 (妻の名不詳) 萬葉集から見る大伴氏と上野台地 巻第一六三【63】、山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌 去子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武 いざ子ども早日本辺【やまとへ】に 大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ 六六【66】、太上天皇幸于難波宮時歌 大伴乃高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由 大伴の高師の浜の松が根を枕【ま】きて寝【ぬ】る夜は家し偲はゆ 六八【68】、太上天皇幸于難波宮時歌、 大伴乃美津能濱尓有 忘貝 家尓有妹乎 忘而念哉 大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや 二四九【249】、 三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓 御津の崎波を畏み隠江の舟公宣奴嶋尓 みつのさき なみをかしこみ こもりえの 舟公宣奴嶋尓 八九四【894】、好去好来歌一首 反歌二首 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 [反云 大命]戴持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 [反云 布奈能閇尓]道引麻遠志 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手打掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢 かむよより いひつてくらく そらみつ やまとのくには すめかみの いつくしきくに ことだまの さきはふくにと かたりつぎ いひつがひけり いまのよの ひともことごと めのまへに みたりしりたり ひとさはに みちてはあれども たかてらす ひのみかど かむながら めでのさかりに あめのした まをしたまひし いへのこと えらひたまひて おほみこと [おほみこと]いただきもちて からくにの とほきさかひに つかはされ まかりいませ うなはらの へにもおきにも かむづまり うしはきいます もろもろの おほみかみたち ふなのへに [ふなのへに]みちびきまをし あめつちの おほみかみたち やまとの おほくにみたま ひさかたの あまのみそらゆ あまがけり みわたしたまひ ことをはり かへらむひには またさらに おほみかみたち ふなのへに みてうちかけて すみなはを はへたるごとく あぢかをし ちかのさきより おほともの みつのはまびに ただはてに みふねははてむ つつみなく さきくいまして はやかへりませ 神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと]戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに]導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ 八九五【895】、好去好来歌一首 反歌二首、反歌 大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢 大伴の御津の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早帰りませ おほともの みつのまつばら かきはきて われたちまたむ はやかへりませ 巻第七【1151】、攝津作、 大伴之 三津之濱邊乎 打曝 因来浪之 逝方不知毛 大伴の御津の浜辺を打ちさらし寄せ来る波のゆくへ知らずも 巻第十一【2737】 大伴の御津の白波あひだ無く吾【あ】が恋ふらくを人の知らなく 巻第十五【3591】 妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにそありける 【3592】 海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに 【3593】 大伴の御津に船【ふな】乗り榜ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我 右の三首【みうた】は、発たむとする時よめる歌。 紀の水門が岸壁港で、大型外航船の入港する波止場だった。 大和川からは飛鳥への物量運搬はほとんどなく、大和への物流の拠点だったと推測できます。 現在の紀ノ川の流れ。 おそらく河川工事によってストレートに水流を海に流れるように堤防を築いたのだろう。 もちろん洪水の被害を免れるためだった。 明治期に17回の洪水があり、おもに台風による被害で江戸時代から記録がのこされている。 宝永2年(1705)6月16日の岩出横渡しによる上新出一本松から根来寺に向かう40名余の渡し舟が転覆し15名は助かり残りの人は水死し、その巡禮墓が満屋にあった、という記録がある。 《》 《継体天皇》元年九月乙亥朔己卯、幸難波祝津宮、大伴大連金村・許勢臣稻持(いなもち)・物部大連尾輿(おこし)等從焉。 天皇問諸臣曰「幾許軍卒、伐得新羅。 」物部大連尾輿等奏曰「少許軍卒、不可易征。 三公という概念からすると蘇我稲目(そがのいなめ)が消され、許勢臣稻持(いなもち)に替えられた可能性が高いと思われます。 男大迹天皇(継体)六年、百濟遣使表請任那上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁四縣、大伴大連金村輙依表請許賜所求。 由是、新羅怨曠積年、不可輕爾而伐。 尾輿(おこし)の子に物部守屋。 於是、 大伴大連金村、居住吉宅、稱疾不朝。 天皇、遣靑海夫人勾子、慰問慇懃。 大連怖謝曰「臣所疾者、非餘事也。 今諸臣等謂臣滅任那。 故恐怖不朝耳。 」乃以鞍馬贈使、厚相資敬。 」 『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)と記される。 さて、大伴の金村は欽明天皇が新羅を撃つことを提案したとき、物部大連尾輿から、「任那四県を百済の要求に大伴金村がたやすく返事をしてしまい、任那四県を譲渡してしまった。 これによって新羅が怒ってしまった。 今となっては新羅を攻撃するのは難しいことになった。 金村の策は間違いだったと非難した。 「諸臣みなが私を任那を滅ぼしたと言っているので畏まって朝廷に参上できません。 」、こうして住吉の居宅に閉じこもって朝廷に出向かなかった。 天皇は病気かと思われ靑海夫人勾子を慰問に向かわせた。 青海夫人は天皇に真情をそのままお伝えした。 天皇は「あなたは長い間忠誠を尽くしてきました。 ゆえに衆人の言うことなどで憂いてはなりませんよ。 」と、天皇は罪を問いませんでした。 そればかりかますます恵みを賜い弥栄を深めました。 ここでは、金村が朝廷で窮地にあり、ある意味実権が失われたことを意味するでしょう。 物部大連尾輿は任那(加羅)の権益が主な関心で百済と新羅の抗争に巻き込まれたくないという姿勢が見て取れます。 物部連毛野臣(けなのおみ)が安羅で任那を助けて、新羅からも百済からも防衛していたのですが、他方、金村は百済に任那四県を与えるみかえりに、任那の独立を百済を保証させようとしたのです。 これは、しかし任那の王(干岐)から見れば金村にかすめ取られたように見えたのでしょうか。 磐井は筑紫に攻め来った毛野臣のにたいして、「いまこそ使者であろうと、昔はわたしの戦友であった。 肩を擦り寄せ、肘を擦り合わせながら、一つの器を共にして同じものを食べていたじゃないか。 どうしてそんなにたやすく使いとなって、わたしをお前の前に従わせようとするのか? 」かつては同じ軍営で互いに訓練を受け、同じ食事を食べたではないか。 お前と私は一緒に敵と戦った仲ではないか!磐井の気迫に毛野臣は立ち往生してしまった。 そこで天皇は大伴大連金村・物部大連麁鹿火(あらかひ)・許勢大臣男人の三人にあらたな将に誰を送ったらよいかと尋ねた。 ここに、大村金村がいう。 兵事において正直・仁勇によく通じている麁鹿火(あらかひ)意外にないでしょう。 」という。 天皇はそれを許した。 金村にとっては嫡男である磐を討伐する事態に父の心境はいくばかりか推し量ることこともできない。 《継体天皇 廿一年夏六月》天皇、詔大伴大連金村・物部大連麁鹿火(あらかひ)・許勢大臣男人等曰「筑紫磐井、反掩、有西戎之地。 今誰可將者。 」大伴大連等僉曰「正直・仁勇・通於兵事、今無出於麁鹿火(あらかひ)右。 」天皇曰、可。 天皇は大伴大連金村・物部大連麁鹿火(あらかひ)・許勢大臣男人の三人に命じて曰く、筑紫の磐井が西戎之地にあってそむいていることを隠している。 いま、誰が率いて将軍とすべきだろうか。 大伴大連等はみなことごく、麁鹿火(あらかひ)のほかに出るものはないでしょう、と。 天皇は、よしとなされた。 1)任那四県割譲の地域: 任那の西部、赤い太線ラインです。 継体6年四県割譲は西暦516年と推定します。 すると継体の即位年が501年になります。 古事記では「天皇のご寿命は43歳」と書いています。 継体天皇は25年冬11月に葬るとありますが、これは百濟本紀をとっているので、ほんとうは28年に亡くなられたのだと日本書紀は注を入れています。 仮に紀28年没だとします。 在位年は(501年~528年)、生年は(485-528年)になります。 百済の第25代武寧王(在位501ー523年)とだいたい重なってきます。 こうして、。 四県割譲は、百済武寧王に対して行なわれたと考えなければなりません。 国宝「隅田八幡神社人物画像鏡」の銘文を「癸未年(503年)八月某日、大王10年、男大迹が意柴沙加宮(おしさかのみや=忍坂)にいたときの斯麻がこの鏡が作った、と解すべき」と、私が考えたことにもだいたい整合してまいります。 (西暦年を60で割って23が余る年が癸未の年となります。 )武寧王が継体天皇に贈ったものということは外れないのです。 それは、実在した(大王)ということで、史実上、継体天皇、天皇号は遡及して付けられた諡号であることはもちろんですが架空ではないということになります。 わたしは武寧王が日本で育った時の名が嶋君であることから、継体天皇とは軍君崑支であると信じます。 2)任那の最大領域:《欽明天皇 元年夏四月》聖明王曰「昔我先祖速古王・貴首王之世、安羅・加羅・卓淳旱岐等、初遣使相通厚結親好」 「聖王が言った。 「昔わが先祖である速古王・貴首王の世、安羅・加羅・卓淳國の旱岐(王)らと、初めて遣使をして相通じ、親好を厚く結んだ。 」 貴首王之世とは百濟の近九首王の代です。 374年-385年ごろ在位していました。 《継体天皇》廿一年夏六月壬辰朔甲午近江毛野臣率衆六萬、欲往任那爲復興建新羅所破南加羅・喙己呑而合任那。 於是、筑紫國造磐井、陰謨叛逆、猶預經年、恐事難成、恆伺間隙。 新羅知是、密行貨賂于磐井所而勸防遏毛野臣軍。 「継体天皇21年夏六月壬辰朔甲午の日、近江の毛野臣( ケナノオミ)は六万の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅(アリヒシノカラ)・喙己呑(トクコトン)を建てて、任那に復興することを願って筑紫に到着しました。 筑紫國みやつこの磐井は陰ではかりごとを企て反逆しました。 そうこうしているうちに越年して、毛野臣は遠征が成功することが難しくなることを恐れました。 これを知った新羅はすきを伺って財物をひそかに贈って毛野臣軍を筑紫にとどめておくように勧誘しました。 」>現代語訳 磐井は、征韓の意思はなく自らは筑紫に留まり密かに王のように振舞っていました。 毛野臣にとってたとえ幼いころからの友人であっても許せなかったに違いありません。 しかし、根底には大伴氏と物部氏の権力争いがあったのです。 《継体天皇》17年夏5月に「百済の王武寧薨せぬ」とあり、武寧王が薨去しました、この年は西暦では523年。 於是、磐井、掩據火豐二國、勿使修職、外邀海路、誘致高麗・百濟・新羅・任那等國年貢職船、內遮遣任那毛野臣軍、亂語揚言曰「今爲使者、昔爲吾伴、摩肩觸肘、共器同食。 安得率爾爲使、俾余自伏儞前。 」遂戰而不受、驕而自矜。 是以、毛野臣乃見防遏、中途淹滯。 天皇、詔大伴大連金村・物部大連麁鹿火(あらかひ)・許勢大臣男人等曰「筑紫磐井、反掩、有西戎之地。 今誰可將者。 」大伴大連等僉曰「正直・仁勇・通於兵事、今無出於麁鹿火(あらかひ)右。 」天皇曰、可。 継体天皇22年(528年)磐井は火国(のちの肥前国・肥後国)と豊国(のちの豊前国・豊後国)を抑えて海路を遮断し、また高句麗・百済・新羅・任那の朝貢船を誘致し、毛野臣の軍の渡海を遮りました。 前段は磐井が毛野臣と対立した原因が書かれます。 こうして、毛野臣を助けるために、朝廷から征討のため派遣されたのが、宗主の物部麁鹿火(あらかひ)のです。 磐井の軍と交戦し、激しい戦いの末に麁鹿火(あらかひ)に斬られたという。 古事記では「物部荒甲の大連、大伴の金村の連二人を遣わして磐井を殺したまいき」とし、筑紫に金村も同行したとします。 『筑後国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)によると、上妻県(かみつやめのあがた:現在の福岡県八女郡東北部)の役所の南2里(約1キロメートル)に筑紫君磐井の墓があったとします。 その墓について詳述した後で古老の伝えとして、雄大迹天皇(継体天皇)の御世に磐井は強い勢力を有して生前に墓を作ったが、俄に官軍が進発し攻めようとしたため、勝ち目のないことを悟って豊前国上膳県(上毛郡:現在の福岡県築上郡南部)へ逃げて身を隠した。 そしてこれに怒った官軍は石人・石馬を壊したと伝えます。 そこで後段で、じつは毛野臣は物部麁鹿火(あらかひ)の子であるとすると、金村が麁鹿火(あらかひ)に自分の子を征討することに天皇の前で合意したことになります。 毛野臣を助けるのが父である麁鹿火(あらかひ)なら右に出るものがないのは当然です。 磐井は大伴氏、その名は大伴磐です。 一方、毛野臣は物部麁鹿火(あらかひ)の子である可能性が高いのです。 そもそもが二人の大連の任那防衛の路線が違っていたのです。 金森は百済に通じ、任那四県を割譲したのです。 麁鹿火(あらかひ)は百済も新羅も信じなかったのです。 天皇は麁鹿火(あらかひ)の方針をよしとしたのです。 百済は聖王になり、その王3年(525年)新羅と国交を結びます。 新羅と同盟した理由は高句麗との戦が急を要していたのですが、百済は貴須王以来の任那との長年の縁を絶ちました。 のらりくらりと会議するばかりで援軍をだしません。 (口先だけ美辞麗句を言っていたのです、今でいう二枚舌外交ですね。 百濟は毛野臣を無視します。 )新羅の任那攻撃が激しくなったのは当然です。 新羅と国境を接する喙己呑は新羅に毎年のように攻められ降伏し、南加羅は戦の準備もできず、卓淳国は国人二分していて王は自ら新羅に内応して殺されます。 527年毛野臣は6万の兵を率いて南加羅,喙己呑 とくことん の二国を新羅から奪い返しました。 《継体天皇 元年》九月に、大伴金村大連を以て大連とし、許勢男人大臣をもって大臣とし、物部麁鹿火(あらかひ)を以て大連とする。 」欽明天皇には、聖明王曰く、「昔わが先祖速古王・貴須王(近肖古王 346-375 と近九首王)の世に安羅・加羅・卓淳の早岐(かんき・王のこと)ら初めて使いを相交わし修好を結んだ、もって子弟となりて、常に盛んになることを願う。 しかるに新羅に欺かれて天皇をお怒りなさしめて、任那をして恨みしむるは私の誤りである。 」とかなんとか言ってますが、新羅とちゃっかり講和していました。 一方、百済に戻らず、または戻れずに九州に土着した百済の武将たちは、鷹の羽紋(たかのはもん)をもった氏族、阿蘇氏、菊池氏などで、九州各地に拡散しました。 阿蘇神社、国造神社(こくぞうじんじゃ)、草部吉見神社(くさかべよしみ・日本三大下り宮の一つ)などを奉際した氏族です。 阿蘇氏は350余分家、菊池氏は120余分家に達しています。 彼らは、百済が羅唐に滅ぼされてからは本国の滅亡といううきめにあったと考えられます。 落人になった彼らは天武朝に忠誠を誓って生き延びたのでしょう。 東国武将だけだった防人(さきもり)が、九州の武将に入れ替わった時、ようやく身分や地位が保証されたのです。 末盧国松浦郡説では、呼子が秀吉の軍の終結地(名護屋城(現在の唐津市鎮西町))でもありましたし、明治からは軍港と使えるのは呼子だったようです。 遡ること、万葉集では「松浦縣(まつらがた)。 佐用比売(さよひめ)の子が領巾(ひれ)振(ふ)りし、山の名のみや聞きつつ居(を)らむ」(山上憶良)ほか、30種もあります。 宣化(せんか)天皇2年(537)大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は朝廷の命を受け、任那を救援するため、軍を率いてこの松浦の地にやってきました。 狭手彦は名門大連大伴氏の二男で凛々(りり)しい青年武将でした。 物資の補給や兵の休養のため、しばらく松浦の地に軍をとどめている間に狭手彦は土地の長者の娘の「佐用姫」と知り合い夫婦の契り(ちぎり)を結びました。 やがて狭手彦出船の日、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山へ駆け登り、身にまとっていた領巾(ひれ)を必死になって打ち振りました。 軍船は、次第に遠ざかり小さくなっていきました。 『万葉集』には佐用姫伝説について次の七首の歌が掲げられています。 松浦縣佐用比売(まつらがたさよみめ)の子が領巾振(ひれふり)し、山の名のみや聞きつつ居(を)らむ。 遠つ人松浦佐用比売夫(つま)恋に、領巾(ひれ)振りしより負へる山の名。 山の名と言ひ継(つ)げとかも佐用比売が、この山の上(へ)に領巾を振りけむ。 万代(よろづよ)に語り継げとしこの嶽(たけ)に、領巾振りけらし松浦佐用比売。 海原の沖行く船を帰れとか、領巾振らしけむ松浦佐用比売。 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり、恋しくありけむ松浦佐用比売。 音に聞き目にはいまだ見ず佐用比売が、領巾振りきとふ君松浦山。 『万葉集』の成立は、およそ八世紀後半と考えられています。 『風土記』が成立した八世紀前半から、わずか数十年間で佐用姫伝説は愛情物語として万葉集に登場してくるのです。 沖行く船に領布(ひれ)振る佐用姫(唐津市鏡山頂上標高283㍍) 松浦佐用姫物語はをご覧ください。 朝鮮に出兵する恋人を佐用姫が見送った情景が目に浮かぶようです。 朝鮮との往来が頻繁だったのは呼子港だったことは「確かです。 しかし、3世紀後半松浦が末盧国だとする決定打にはなりませんが・・・。 佐用比売が涙の別れと告げた相手である狭手彦(さてひこ)とはいったい何者でしょう。 名門といわれるのは確かです。 大伴金村の次男なのです。 父の金村大連公は男大迹王(おおどのおおきみ)を近江で探し出し、継体天皇に即位させた功臣です。 大伴氏の本系は遠祖は天忍日命(あめのおしひのみこと)、またの名を神狭日命:(かむさひのみこと)、又の名を天押日命(:あめのおしひのみこと)です。 かくして、狭手彦の遠祖は 天忍日命( おしひのみこと)ですね。 )狭手彦から後の分枝氏族は判氏(ばんし)と名乗り甲斐国に移動しています。 さて、安房國一之宮安房神社の上の宮の奉祭する天太玉命(あめのふとだまのみこと は下の宮の天忍日命 あめのおしひのみこと)はと兄弟神されています。 (安房神社下の宮(摂社)の由緒より)忌部氏も大伴氏も太祖は 天押日命でした。 同じだったのです。 すなわち阿波国 現徳島県 で強勢となった忌部の分枝氏族が東遷したのが安房神社です。 忌部氏は伊国(阿波の旧國名)が本貫地です。 それ以前は~命です。 その後は~連公となっています。 この違いは、天皇位が確立したということを意味するでしょう。 姓 かばね とは氏族に付けられた称号で、臣、連、公、村主、国造、県主などで、階級を表すのです。 姓(かばね)が朝廷から授けられるようになったのです。 つまり日本書紀のうち、実在天皇がいつ頃からなのかという論議の一助になります。 阿波国一宮 (徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13)の由緒書き 『古屋家家譜』と対比すると猿田彦大神とは高皇産霊神と見て取れます。 わたしは猿田彦大神を高祖とお呼びすることにします。 高皇産霊神は別名、高御産巣日神(たかみむすひほかみ)またの神名は高木神です。 天照大神の別名は神産霊神(かみむすひのかみ)です。 高天の原の三柱(みはしら)の神になります。 、次に二柱の神が誕生します。 ここまでは国産みという意味で国祖です。 みな獨神(ひとりがみ)となりますが、ひとりがみとは国の始祖ということです。 整理すると阿波を開拓したのは天富命(あめのとみのみこと)で、天太玉命の孫、遠祖高皇産霊神の七世になります。

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今日好きいせひめ別れた

『和漢朗詠集』(わかんろうえいしゅう)は、藤原公任撰の歌集。 国風文化の流れを受けて編纂された。 上下二巻で構成。 その名の通り和歌216首と漢詩588詩(日本人の作ったものも含む)の合計804首が収められている。 和歌の作者で最も多いのはの26首、漢詩ではの135詩である。 『』にならった構成で、上巻に春夏秋冬の四季の歌、下巻に雑歌を入れている。 — 「」より。 出典による註:漢詩について、底本では、平仮名による訓み下しと白文とを併記するが、本ファイルでは、この間に漢字仮名まじりの訓読文を加えた。 和漢朗詠集 上巻 春 立春 ( りつしゆん ) かぜをおひてひそかにひらくはうひのときをまたず、 はるをむかへてたちまちへんずまさにうろのおんをこひねがはんとす。 吹 ( かぜ )を 逐 ( お )ひて 潛 ( ひそ )かに 開 ( ひら )く 芳菲 ( はうひ )の 候 ( とき )を 待 ( ま )たず、 春 ( はる )を 迎 ( むか )へて 乍 ( たちま )ち 変 ( へん )ず 将 ( まさ )に 雨露 ( うろ )の 恩 ( おん )を 希 ( こひねが )はんとす。 逐吹潛開不待芳菲之候。 迎春乍変将希雨露之恩。 内宴進花賦 紀淑望 いけのこほりとうとうはかぜわたりてとけ、 まどのうめほくめんはゆきふうじてさむし。 池 ( いけ )の 凍 ( こほり ) 東頭 ( とうとう )は 風 ( かぜ ) 度 ( わた )りて 解 ( と )け、 窓 ( まど )の 梅 ( むめ ) 北面 ( ほくめん )は 雪 ( ゆき ) 封 ( ふう )じて 寒 ( さむ )し。 池凍東頭風度解。 窓梅北面雪封寒。 立春日書懐呈芸閣諸文友 菅篤茂 やなぎにきりよくなくしてえだまづうごき、 いけにはもんありてこほりことごとくひらく。 こんにちしらずたれかけいくわいせん、 しゆんぷうしゆんすゐいちじにきたらんとす、 柳 ( やなぎ )に 気力 ( きりよく )なくして 条 ( えだ ) 先 ( ま )づ 動 ( うご )き、 池 ( いけ )に 波文 ( はもん )ありて 氷 ( こほり ) 尽 ( ことごと )く 開 ( ひら )く。 今日 ( こんにち ) 知 ( し )らず 誰 ( たれ )か 計会 ( けいくわい )せん、 春風 ( しゆんぷう ) 春水 ( しゆんすゐ ) 一時 ( いちじ )に 来 ( きた )らんとす。 柳無気力条先動。 池有波文氷尽開。 今日不知誰計会。 春風春水一時来。 府西池 白居易 よるはざんかうになんなんとしてかんけいつき、 はるはかうくわになりてげうろもゆ。 夜 ( よる )は 残更 ( ざんかう )になんなんとして 寒磬 ( かんけい ) 尽 ( つ )き、 春 ( はる )は 香火 ( かうくわ )に 生 ( な )りて 暁炉 ( げうろ ) 燃 ( も )ゆ。 夜向残更寒磬尽。 春生香火暁炉燃。 山寺立春 良岑春道 古今 としのうちにはるは来にけりひととせを こぞとやいはんことしとやいはん 在原元方 古今 袖ひぢてむすびしみづのこほれるを はるたつけふの 風 ( かぜ )やとくらん 紀貫之 ( きのつらゆき ) 拾遺 はるたつといふばかりにやみよしのの やまもかすみてけさはみゆらん 壬生忠岑 早春 ( さうしゆん ) こほりでんちにきえてろすゐみじかく、 はるはしでうにいりてりうがんひくし、 氷 ( こほり ) 田地 ( でんち )に 消 ( き )えて 蘆錐 ( ろすい ) 短 ( みじか )く、 春 ( はる )は 枝条 ( しでう )に 入 ( い )りて 柳眼 ( りうがん ) 低 ( ひく )し、 氷消田地蘆錐短。 春入枝条柳眼低。 寄楽天 元稹 まづくわふうをしてせうそくをはうぜしめ、 つゞいてていてうをしてらいゆをとかしむ、 先 ( ま )づ 和風 ( くわふう )をして 消息 ( せうそく )を 報 ( はう )ぜしめ、 続 ( つゞ )いて 啼鳥 ( ていてう )をして 来由 ( らいゆ )を 説 ( と )かしむ、 先遣和風報消息。 続教啼鳥説来由 春生 白居易 とうがんせいがんのやなぎ、ちそくおなじからず、 なんしほくしのうめかいらくすでにことなり。 東岸西岸 ( とうがんせいがん )の 柳 ( やなぎ )、 遅速 ( ちそく ) 同 ( おな )じからず、 南枝北枝 ( なんしほくし )の 梅 ( うめ )、 開落 ( かいらく ) 已 ( すで )に 異 ( こと )なり。 東岸西岸之柳。 遅速不同。 南枝北枝之梅。 開落已異。 春生逐地形序 慶滋保胤 しぢんのわかきわらびひとてをにぎり、 へきぎよくのさむきあしきりふくろをだつす。 紫塵 ( しぢん )の 嫩 ( わか )き 蕨 ( わらび ) 人 ( ひと ) 手 ( て )を 拳 ( にぎ )り、 碧玉 ( へきぎよく )の 寒 ( さむ )き 蘆 ( あし ) 錐 ( きり ) 嚢 ( ふくろ )を 脱 ( だつ )す。 紫塵嫩蕨人拳手。 碧玉寒蘆錐脱嚢 和早春晴 小野篁 きはれてはかぜしんりうのかみをくしけづり、こほりきえてはなみきうたいのひげをあらふ。 気 ( き ) 霽 ( は )れては 風 ( かぜ ) 新柳 ( しんりう )の 髪 ( かみ )を 梳 ( くしけづ )り、 氷 ( こほり ) 消 ( き )えては 波 ( なみ ) 旧苔 ( きうたい )の 鬚 ( ひげ )を 洗 ( あら )ふ。 気霽風梳新柳髪。 氷消波洗旧苔鬚。 春暖 都良香 にはにきしよくをませばせいしやみどりなり、 はやしにようきをへんずればしゆくせつくれなゐなり。 庭 ( には ) 気色 ( きしよく )を 増 ( ま )せば 晴沙 ( せいしや ) 緑 ( みどり )なり、 林 ( はやし )に 容輝 ( ようき )を 変 ( へん )ずれば 宿雪 ( しゆくせつ ) 紅 ( くれなゐ )なり。 庭増気色晴沙緑。 林変容輝宿雪紅。 草樹晴迎春 紀長谷雄 古今 いはそそぐたるひのうへのさわらびの もえいづるはるになりにけるかな 志貴皇子 古今 やまかぜにとくるこほりのひまごとに うちいづるなみやはるのはつはな 源正澄 続後撰 みはたせばひらのたかねにゆききえて わかなつむべくのはなりにけり 平兼盛 古今 見わたせばやなぎさくらをこきまぜて 都ぞ春のにしきなりける 素性法師 春興 ( しゆんきよう ) はなのもとにかへることをわするるはびけいによるなり、 たるのまへにゑひをすすむるはこれはるのかぜ、 花 ( はな )の 下 ( もと )に 帰 ( かへ )ることを 忘 ( わす )るるは 美景 ( びけい )に 因 ( よ )るなり、 樽 ( たる )の 前 ( まへ )に 酔 ( ゑ )ひを 勧 ( すす )むるはこれ 春 ( はる )の 風 ( かぜ )。 花下忘帰因美景。 樽前勧酔是春風。 白居易 やさうはうひたりこうきんのち、 いうしれうらんたりへきらのてん、 野草 ( やさう ) 芳菲 ( はうひ )たり 紅錦 ( こうきん )の 地 ( ち )、 遊糸 ( いうし ) 繚乱 ( れうらん )たり 碧羅 ( へきら )の 天 ( てん )。 野草芳菲紅錦地。 遊糸繚乱碧羅天。 劉禹錫 かしゆはいへ 〳 〵はなはところ 〳 〵にあり、 むなしくじやうやうのはるをくわんりやうすることなかれ。 歌酒 ( かしゆ )は 家々 ( いへ 〳 〵 ) 花 ( はな )は 処々 ( ところ 〳 〵 )にあり 空 ( むな )しく 上陽 ( じやうやう )の 春 ( はる )を 管領 ( くわんりやう )することなかれ。 歌酒家家花処処。 莫空管領上陽春。 送令孤尚書趣東郡 白居易 さんたうまたやたう、ひこうきんのはたばりをさらす、 もんりうまたがんりう、かぜきくぢんのいとをわかぬ、 山桃 ( さんたう )また 野桃 ( やたう )、 日 ( ひ ) 紅錦 ( こうきん )の 幅 ( はたばり )を 曝 ( さら )す、 門柳 ( もんりう )また 岸柳 ( がんりう )、 風 ( かぜ ) 麹塵 ( きくぢん )の 糸 ( いと )を 宛 ( わか )ぬ。 山桃復野桃。 日曝紅錦之幅。 門柳復岸柳。 風宛麹塵之糸。 逐処花皆好序 紀斉名 のにつきてのべしけりこうきんしう、 てんにあたつてはいうしきすへきらりよう、 野 ( の )に 著 ( つ )きて 展 ( の )べ 敷 ( し )けり 紅錦繍 ( こうきんしう )、 天 ( てん )に 当 ( あた )つては 遊織 ( いうしき )す 碧羅綾 ( へきらりよう )、 着野展敷紅錦繍。 当天遊織碧羅綾。 春生 小野篁 りんちうのはなのにしきはときにかいらくす、 てんぐわいのいうしはあるひはいうむ、 林中 ( りんちう )の 花 ( はな )の 錦 ( にしき )は 時 ( とき )に 開落 ( かいらく )す、 天外 ( てんぐわい )の 遊糸 ( いうし )は 或 ( あるい )は 有無 ( いうむ ) 林中花錦時開落。 天外遊糸或有無。 上寺聖聚楽 島田忠臣 しやうかのよるのつきいへ 〳 〵のおもひ、 ししゆのはるのかぜところ 〳 〵のなさけ、 笙歌 ( しやうか )の 夜 ( よる )の 月 ( つき ) 家々 ( いへ 〳 〵 )の 思 ( おも )ひ、 詩酒 ( ししゆ )の 春 ( はる )の 風 ( かぜ ) 処々 ( ところ 〳 〵 )の 情 ( なさけ ) 笙歌夜月家家思。 詩酒春風処処情。 悦者衆 菅原文時 新古今 ももしきのおほみや人はいとまあれや さくらかざしてけふもくらしつ 山辺赤人 拾遺 はるはなほわれにてしりぬはなざかり こころのどけきひとはあらじな 壬生忠岑 春夜 ( しゆんや ) ともしびをそむけてはともにあはれむしんやのつき、 はなをふみてはおなじくをしむせうねんのはる、 燭 ( ともしび )を 背 ( そむ )けては 共 ( とも )に 憐 ( あは )れむ 深夜 ( しんや )の 月 ( つき )、 花 ( はな )を 踏 ( ふ )みては 同 ( おな )じく 惜 ( を )しむ 少年 ( せうねん )の 春 ( はる )、 背燭共憐深夜月。 踏花同惜少年春。 春夜与盧四周諒花陽観同居 白居易 古今 はるのよのやみはあやなしうめのはな 色こそみえねかやはかくるる 凡河内躬恒 子日 ( ねのひ )付若菜 しようじゆによりてもつてこしをなづるは、 ふうさうのをかしがたきをならひ、 さいかうをくわしてくちにすするは、 きみのよくととのはんことをきす、 松樹 ( しようじゆ )に 倚 ( よ )りて 以 ( もつ )て 腰 ( こし )を 摩 ( な )づるは、 風霜 ( ふうさう )の 犯 ( をか )し 難 ( がた )きを 習 ( なら )ひ、 菜羹 ( さいかう )を 和 ( くわ )して 口 ( くち )に 啜 ( すす )るは、 気味 ( きみ )の 克 ( よ )く 調 ( ととの )はんことを 期 ( き )す、 倚松樹以摩腰。 習風霜之難犯也。 和菜羹而啜口。 期気味之克調也。 雲林院行幸 菅原道真 しようこんによりてこしをなづれば、 せんねんのみどりてにみてり、 ばいくわををりてかうべにかざせば、 にげつのゆきころもにおつ、 松根 ( しようこん )に 倚 ( よ )りて 腰 ( こし )を 摩 ( な )づれば、 千年 ( せんねん )の 翠 ( みどり ) 手 ( て )に 満 ( み )てり、 梅花 ( ばいくわ )を 折 ( を )りて 頭 ( かうべ )に 挿 ( かざ )せば、 二月 ( にげつ )の 雪 ( ゆき ) 衣 ( ころも )に 落 ( お )つ、 倚松根摩腰。 千年之翠満手。 折梅花挿頭。 二月之雪落衣。 子曰序 橘在列 新古今 ねのひしてしめつる野べのひめこまつ ひかでやちよのかげをまたまし 藤原清正 拾遺 ねのひする野辺にこまつのなかりせば ちよのためしになにをひかまし 壬生忠岑 拾遺 千とせまでかぎれるまつもけふよりは 君にひかれてよろづ世やへん 大中臣能宣 若菜 ( わかな ) やちうにさいをえらぶは、 せじこれをけいしんにおす、 ろかにあつものをくわするは、 ぞくじんこれをていしにしよくす、 野中 ( やちう )に 菜 ( さい )を 芼 ( えら )ぶは、 世事 ( せじ )これを 蕙心 ( けいしん )に 推 ( お )す、 炉下 ( ろか )に 羮 ( あつもの )を 和 ( くわ )するは、 俗人 ( ぞくじん )これを 荑指 ( ていし )に 属 ( しよく )す、 野中芼菜。 世事推之蕙心。 炉下和羮。 俗人属之荑指。 催粧序 菅原道真 拾遺 あすからはわかなつませんかたをかの あしたのはらはけふぞやくめる 柿本人麿 新古今 あすからはわかなつまんとしめし野に きのふもけふもゆきはふりつつ 山部赤人 新古今 ゆきてみぬ人もしのべとはるののの かたみにつめるわかななりけり 紀貫之 三月三日 ( さんぐわつみつか )付桃花 はるきてはあまねくこれたうくわのみづなり、 せんげんをわきまへずいづれのところにかたづねん、 春 ( はる ) 来 ( き )ては 遍 ( あまね )くこれ 桃花 ( たうくわ )の 水 ( みづ )なり、 仙源 ( せんげん )を 弁 ( わきま )へず 何 ( いづ )れの 処 ( ところ )にか 尋 ( たづ )ねん、 春来遍是桃花水。 不弁仙源何処尋。 桃源行 王維 はるのぼげつ、つきのさんてう、てんもはなにゑへるは、たうりさかりなればなり、わがきみいちじつのたく、ばんきのあまり、きよくすゐはるかなりといへども、ゐぢんたえたりといへども、 はじをかきてちせいをしり、ぎぶんをおもひてもつてふうりうをもてあそぶ、けだしこころざしのゆくところ、つゝしみてせうじよをたてまつる、 春 ( はる )の 暮月 ( ぼげつ )、 月 ( つき )の 三朝 ( さんてう )、 天 ( てん ) 花 ( はな )に 酔 ( ゑ )へるは、 桃李 ( たうり ) 盛 ( さか )りなればなり、 我 ( わ )が 后 ( きみ ) 一日 ( いちじつ )の 沢 ( たく )、 万機 ( ばんき )の 余 ( あまり )、 曲水 ( きよくすゐ ) 遥 ( はる )かなりといへども、 遺塵 ( ゐぢん ) 絶 ( た )えたりといへども、 巴 ( は ) 字 ( じ )を 書 ( か )きて 地勢 ( ちせい )を 知 ( し )り、 魏文 ( ぎぶん )を 思 ( おも )ひて 以 ( も )つて 風流 ( ふうりう )を 翫 ( もてあそ )ぶ。 蓋 ( けだ )し 志 ( こころざし )の 之 ( ゆ )く 所 ( ところ )、 謹 ( つゝし )みで 小序 ( せうじよ )を 上 ( たてまつ )る、 春之暮月。 月之三朝。 天酔于花。 桃李盛也。 我后一日之沢。 万機之余。 曲水雖遥。 遺塵雖絶。 書巴字而知地勢。 思魏文以翫風流。 蓋志之所之。 謹上小序。 花時天似酔序 菅原道真 えんかゑんきんまさにどうこなるべし、 たうりのせんしんけんぱいににたり、 煙霞 ( えんか ) 遠近 ( ゑんきん )まさに 同戸 ( どうこ )なるべし、 桃李 ( たうり )の 浅深 ( せんしん ) 勧盃 ( けんぱい )に 似 ( に )たり 煙霞遠近応同戸。 桃李浅深似勧盃。 同題詩 菅原道真 みづははじをなすしよさんのひ、 みなもとしうねんよりおこりてのちにいくしもぞ、 水 ( みづ ) 巴 ( は ) 字 ( じ )を 成 ( な )す 初三 ( しよさん )の 日 ( ひ )、 源 ( みなもと ) 周年 ( しうねん )より 起 ( おこ )りて 後 ( のち )に 幾霜 ( いくしも )ぞ、 水成巴字初三日。 源起周年後幾霜。 縈流送羽觴 菅原篤茂 いしにさはりておそくきたればこゝろひそかにまち、 ながれにひかれてとくすぐればてまづさへぎる、 石 ( いし )に 礙 ( さは )りて 遅 ( おそ )く 来 ( きた )れば 心 ( こゝろ ) 窃 ( ひそ )かに 待 ( ま )ち、 流 ( ながれ )に 牽 ( ひ )かれて 遄 ( と )く 過 ( す )ぐれば 手 ( て ) 先 ( ま )づ 遮 ( さへぎ )る 礙石遅来心窃待。 牽流遄過手先遮。 同 菅原雅規 桃 よるのあめひそかにうるほして、そはのまなこあらたにこびたり、 あかつきのかぜゆるくふきて、ふげんのくちびるまづゑめり、 夜 ( よる )の 雨 ( あめ ) 偸 ( ひそ )かに 湿 ( うるほ )して、 曾波 ( そは )の 眼 ( まなこ ) 新 ( あら )たに 嬌 ( こ )びたり、 暁 ( あかつき )の 風 ( かぜ ) 緩 ( ゆる )く 吹 ( ふ )きて、 不言 ( ふげん )の 唇 ( くちびる ) 先 ( ま )づ 咲 ( ゑ )めり、 夜雨偸湿。 曾波之眼新嬌。 暁風緩吹。 不言之唇先咲。 桃花詩序 紀納言 拾遺 みちとせになるといふもものことしより はなさくはるにあふぞうれしき 凡河内躬恒 暮春 ( ぼしゆん ) みづをはらふりうくわはせんまんてん、 ろうをへだつるあうぜつはりやうさんせい、 水 ( みづ )を 払 ( はら )ふ 柳花 ( りうくわ )は 千万点 ( せんまんてん )、 楼 ( ろう )を 隔 ( へだ )つる 鴬舌 ( あうぜつ )は 両三声 ( りやうさんせい )、 払水柳花千万点。 隔楼鴬舌両三声。 過元魏志襄陽楼口占 元稹 つばさをたるるさおうはうしほのおつるあかつき、 いとをみだすやばはくさのふかきはる、 翅 ( つばさ )を 低 ( た )るる 沙鴎 ( さおう )は 潮 ( うしほ )の 落 ( お )つる 暁 ( あかつき )、 糸 ( いと )を 乱 ( みだ )す 野馬 ( やば )は 草 ( くさ )の 深 ( ふか )き 春 ( はる )。 低翅沙鴎潮落暁。 乱糸野馬草深春。 晩春遊松山館 菅原道真 ひとさらにわかきときなしすべからくをしむべし、 としつねにはるならずさけをむなしくすることなかれ、 人 ( ひと ) 更 ( さら )に 少 ( わか )き 時 ( とき )なしすべからく 惜 ( を )しむべし、 年 ( とし ) 常 ( つね )に 春 ( はる )ならず。 酒 ( さけ )を 空 ( むな )しくすることなかれ。 人無更少時須惜。 年不常春酒莫空。 りうはくもしこんにちのこうなることをしらば、 まさにこのところといふべしいづれとはいはじ、 劉白 ( りうはく ) 若 ( も )し 今日 ( こんにち )の 好 ( こう )なることを 知 ( し )らば、 まさに 此 ( こ )の 処 ( ところ )と 言 ( い )ふべし 何 ( いづ )れとは 言 ( い )はじ、 劉白若知今日好。 応言此処不言何。 家集 いたづらにすぐる月日はおほかれど はなみてくらす春ぞすくなき 藤原興風 三月尽 ( さんぐわつじん ) はるをとゞむれどもはるとゞまらず、はるかへりてひとせきばくたり、 かぜをいとへどもかぜさだまらず、かぜたちてはなせうさくたり 春 ( はる )を 留 ( とゞ )むれども 春 ( はる ) 駐 ( とゞ )まらず、 春 ( はる ) 帰 ( かへ )りて 人 ( ひと ) 寂寞 ( せきばく )たり、 風 ( かぜ )を 厭 ( いと )へども 風 ( かぜ ) 定 ( さだ )まらず、 風 ( かぜ ) 起 ( た )ちて 花 ( はな ) 蕭索 ( せうさく )たり、 留春春不駐。 春帰人寂寞。 厭風風不定。 風起花蕭索。 落花古調詩 白居易 ちくゐんにきみかんにしてえいじつをせうし、 くわていにわれゑひてざんしゆんをおくる、 竹院 ( ちくゐん )に 君 ( きみ ) 閑 ( かん )にして 永日 ( えいじつ )を 銷 ( せう )し、 花亭 ( くわてい )に 我 ( われ ) 酔 ( ゑ )ひて 残春 ( ざんしゆん )を 送 ( おく )る、 竹院君閑銷永日。 花亭我酔送残春。 酬皇甫賓客 同 ちうちやうすはるかへりてとゞまることをえず、 しとうのはなのもとにやうやくくわうこんたり、 惆悵 ( ちうちやう )す 春 ( はる ) 帰 ( かへ )りて 留 ( とゞ )まることを 得 ( え )ず、 紫藤 ( しとう )の 花 ( はな )の 下 ( もと )に 漸 ( やうや )く 黄昏 ( くわうこん )たり、 惆悵春帰留不得。 紫藤花下漸黄昏。 題慈恩寺 同 はるをおくるにしうしやをうごかすことをもちゐず、 たゞざんあうとらくくわとにわかる、 春 ( はる )を 送 ( おく )るに 舟車 ( しうしや )を 動 ( うご )かすことを 用 ( もち )ゐず、 たゞ 残鶯 ( ざんあう )と 落花 ( らくくわ )とに 別 ( わか )る、 送春不用動舟車。 唯別残鴬与落花。 同 もしせうくわうをしてわがこゝろをしらしめば、 こんせうのりよしゆくはしかにあらん、 若 ( も )し 韶光 ( せうくわう )をして 我 ( わ )が 意 ( こゝろ )を 知 ( し )らしめば、 今宵 ( こんせう )の 旅宿 ( りよしゆく )は 詩家 ( しか )に 在 ( あ )らん、 若使韶光知我意。 今宵旅宿在詩家。 送春 菅原道真 はるをとゞむるにくわんじやうのかためをもちゐず、 はなはおちてかぜにしたがひとりはくもにいる、 春 ( はる )を 留 ( とゞ )むるに 関城 ( くわんじやう )の 固 ( かた )めを 用 ( もち )ゐず、 花 ( はな )は 落 ( お )ちて 風 ( かぜ )に 随 ( したが )ひ 鳥 ( とり )は 雲 ( くも )に 入 ( い )る 留春不用関城固。 花落随風鳥入雲。 三月尽 尊敬 古今 けふとのみはるをおもはぬときだにも たつことやすき花のかげかは 凡河内躬恒 拾遺 はなもみなちりぬるやどはゆくはるの ふるさととこそなりぬべらなれ 紀貫之 後撰 またもこんときぞとおもへどたのまれぬ 我身にしあればをしきはるかな 紀貫之 閏三月 ( うるふさんぐわつ ) こんねんのうるふははるさんげつにあり、 あまつさへきんりよういちげつのはなをみる、 今年 ( こんねん )の 閏 ( うるふ )は 春三月 ( はるさんげつ )に 在 ( あ )り、 剰 ( あまつ )さへ 金陵 ( きんりよう ) 一月 ( いちげつ )の 花 ( はな )を 見 ( み )る 今年閏在春三月。 剰見金陵一月花。 送准南李中逐行軍 陸侍郎 たににかへるかあうはさらにこうんのみちにとうりうし、 はやしをじするぶてふはかへつていちげつのはなにへんぽんたり、 谿 ( たに )に 帰 ( かへ )る 歌鴬 ( かあう )は 更 ( さら )に 孤雲 ( こうん )の 路 ( みち )に 逗留 ( とうりう )し、 林 ( はやし )を 辞 ( じ )する 舞蝶 ( ぶてふ )は 還 ( かへ )つて 一月 ( いちげつ )の 花 ( はな )に 翩翻 ( へんぽん )たり、 帰谿歌鴬更逗留於孤雲之路。 辞林舞蝶還翩翻於一月之花。 今年又有春序 源順 はなはねにかへらんことをくゆれどもくゆるにえきなし、 とりはたににいらんことをきすれどもさだめてきをのべん、 花 ( はな )は 根 ( ね )に 帰 ( かへ )らんことを 悔 ( く )ゆれども 悔 ( く )ゆるに 益 ( えき )なし、 鳥 ( とり )は 谷 ( たに )に 入 ( い )らんことを 期 ( き )すれども 定 ( さだ )めて 期 ( き )を 延 ( の )べん、 花悔帰根無益悔。 鳥期入谷定延期。 清原滋藤 古今 さくらばなはるくははれるとしだにも 人のこころにあかれやはする 伊勢 鶯 ( うぐひす ) にはとりすでになきてちゆうしんあしたをまつ、 うぐひすいまだいでずゐけんたににあり、 鶏 ( にはとり ) 既 ( すで )に 鳴 ( な )きて 忠臣 ( ちゆうしん ) 旦 ( あした )を 待 ( ま )つ、 鶯 ( うぐひす )いまだ 出 ( い )でず 遺賢 ( ゐけん ) 谷 ( たに )に 在 ( あ )り、 鶏既鳴兮忠臣待旦。 鶯未出兮遺賢在谷。 鳳為王賦 賈島 たがいへのへきじゆにかうぐひすなきてらまくなほたれ、 いくところのくわどうにゆめさめてしゆれんいまだまかず 誰 ( た )が 家 ( いへ )の 碧樹 ( へきじゆ )にか 鶯 ( うぐひす ) 啼 ( な )きて 羅幕 ( らまく )なほ 垂 ( た )れ、 幾 ( いく ) 処 ( ところ )の 華堂 ( くわどう )に 夢 ( ゆめ ) 覚 ( さ )めて 珠簾 ( しゆれん )いまだ 巻 ( ま )かず、 誰家碧樹鶯啼而羅幕猶垂。 幾処華堂夢覚而珠簾未巻。 春暁鶯賦 謝観或張読 きりにむせぶさんあうはなくことなほまれなり、 いさごをうがつろじゆんははわづかにわかてり、 霧 ( きり )に 咽 ( むせ )ぶ 山鶯 ( さんあう )は 啼 ( な )くことなほ 少 ( まれ )なり、 沙 ( いさご )を 穿 ( うが )つ 蘆笋 ( ろじゆん )は 葉 ( は )わづかに 分 ( わか )てり、 咽霧山鴬啼尚少。 穿沙蘆笋葉纔分。 早春尋李校書 元稹 だいのほとりにさけありてうぐひすきやくをよび、 みづのおもてちりなくしてかぜいけをあらふ、 台 ( だい )の 頭 ( ほとり )に 酒 ( さけ ) 有 ( あ )りて 鶯 ( うぐひす ) 客 ( きやく )を 呼 ( よ )び、 水 ( みづ )の 面 ( おもて ) 塵 ( ちり ) 無 ( な )くして 風 ( かぜ ) 池 ( いけ )を 洗 ( あら )ふ、 台頭有酒鶯呼客。 水面無塵風洗池。 和思黯題南荘 うぐひすのこゑにいういんせられてはなのもとにきたり、 くさのいろにこうりうせられてはみづのほとりにざす、 鶯 ( うぐひす )の 声 ( こゑ )に 誘引 ( いういん )せられて 花 ( はな )の 下 ( もと )に 来 ( きた )り、 草 ( くさ )の 色 ( いろ )に 拘留 ( こうりう )せられては 水 ( みづ )の 辺 ( ほとり )に 座 ( ざ )す、 鶯声誘引来花下。 草色拘留座水辺。 どうるゐをあひもとむるにかんずるは、 りこうきよがんのはるのさへづりにおうずゐあり、 いきをくわいしてつひにこんじて、 りゆうぎんぎよやくのあかつきのなきにともなふとあり、 同類 ( どうるい )を 相求 ( あひもと )むるに 感 ( かん )ずるは、 離鴻去雁 ( りこうきよがん )の 春 ( はる )の 囀 ( さへづ )りに 応 ( おう )ずるあり、 異気 ( いき )を 会 ( くわい )して 終 ( つひ )に 混 ( こん )じて、 龍吟魚躍 ( りゆうぎんぎよやく )の 暁 ( あかつき )の 啼 ( な )きに 伴 ( ともな )ふとあり、 感同類於相求。 離鴻去雁之応春囀。 会異気而終混。 龍吟魚躍之伴暁啼。 鳥声韻管絃序 菅原文時 えんきがそでしばらくをさまりて、れうらんたるをきうはくにそねむ、 しうらうがかんざししきりにうごきて、けんくわんたるをしんくわにかへりみる、 燕姫 ( えんき )が 袖 ( そで )しばらく 収 ( をさ )まりて、 撩乱 ( れうらん )たるを 旧拍 ( きうはく )に 猜 ( そね )み、 周郎 ( しうらう )が 簪 ( かんざし )しきりに 動 ( うご )きて、 間関 ( けんくわん )たるを 新花 ( しんくわ )に 顧 ( かへり )みる、 燕姫之袖暫収。 猜撩乱於旧柏。 周郎之簪頻動。 顧間関於新花。 同題 同 しんろはいましゆくせつをうがつ、 きうさうはのちのためにはるのくもにいらん、 新路 ( しんろ )は 如今 ( いま ) 宿雪 ( しゆくせつ )を 穿 ( うが )つ、 旧巣 ( きうさう )は 後 ( のち )のために 春 ( はる )の 雲 ( くも )に 属 ( い )らん、 新路如今穿宿雪。 旧宿為後属春雲。 鶯出谷 菅原道真 せいろうにつきおちてはなのあひだのきよく、 ちゆうでんにともしびのこりてたけのうちのおと、 西楼 ( せいろう )に 月 ( つき ) 落 ( お )ちて 花 ( はな )の 間 ( あひだ )の 曲 ( きよく )、 中殿 ( ちうでん )に 燈 ( ともしび ) 残 ( のこ )りて 竹 ( たけ )の 裏 ( うち )の 音 ( おと )、 西楼月落花間曲。 中殿燈残竹裏音。 宮鶯囀暁光 菅原文時 拾遺 あらたまのとしたちかへるあしたより またるるものはうぐひすのこゑ 素性法師 栄花物語 あさみどりはるたつそらにうぐひすの はつこゑまたぬ人はあらじな 麗景殿女御 拾遺 うぐひすのこゑなかりせばゆききえぬ 山ざといかで春をしらまし 中務 霞 ( かすみ ) かすみのひかりはあけてのちひよりもあかく、 くさのいろははれきたりてわかくしてけむりににたり、 霞 ( かすみ )の 光 ( ひかり )は 曙 ( あ )けてのち 火 ( ひ )よりも 殷 ( あか )く、 草 ( くさ )の 色 ( いろ )は 晴 ( は )れ 来 ( きた )りて 嫩 ( わか )くして 煙 ( けむり )に 似 ( に )たり、 霞光曙後殷於火。 草色晴来嫩似煙。 早春晴寄蘇洲寄夢得 白居易 いさごをきるくさはたゞさんぶんばかり、 きにまたがるかすみはわづかにはんだんあまり、 沙 ( いさご )を 鑚 ( き )る 草 ( くさ )はたゞ 三分 ( さんぶん )ばかり、 樹 ( き )に 跨 ( またが )る 霞 ( かすみ )はわづかに 半段 ( はんだん ) 余 ( あま )り、 鑚沙草只三分許。 跨樹霞纔半段余。 春浅帯軽寒 菅原道真 万葉 きのふこそとしはくれしかはるがすみ かすがのやまにはやたちにけり 柿本人麿 古今 はるがすみたてるやいづこみよしのの よしのの山にゆきはふりつつ 山部赤人 家集 あさひさすみねのしらゆきむらぎえて はるのかすみはたなびきにけり 平兼盛 雨 ( あめ ) あるひははなのもとにたれて、ひそかにぼくしがかなしみをます、 ときにびんのあひだにまひ、あんにはんらうのおもひをうごかす、 或 ( あるひ )は 花 ( はな )の 下 ( もと )に 垂 ( た )れて、 潛 ( ひそ )かに 墨子 ( ぼくし )が 悲 ( かな )しみを 増 ( ま )す、 時 ( とき )に 鬢 ( びん )の 間 ( あひだ )に 舞 ( ま )ひ、 暗 ( あん )に 潘郎 ( はんらう )の 思 ( おも )ひを 動 ( うご )かす、 或垂花下。 潜増墨子之悲。 時舞鬢間。 暗動潘郎之思。 密雨散加糸序 大江以言或都在中 ちやうらくのかねのこゑははなのそとにつき、 りようちのやなぎのいろはあめのなかにふかし、 長楽 ( ちやうらく )の 鐘 ( かね )の 声 ( こゑ )は 花 ( はな )の 外 ( そと )に 尽 ( つ )き、 龍池 ( りようち )の 柳 ( やなぎ )の 色 ( いろ )は 雨 ( あめ )の 中 ( なか )に 深 ( ふか )し、 長楽鐘声花外尽。 龍池柳色雨中深。 闕舌贈閻舎人 李嶠 やしなひえてはおのづからはなのふぼたり、 あらひきてはむしろくすりのくんしんをわきまへんや、 養 ( やしな )ひ 得 ( え )ては 自 ( おのづか )ら 花 ( はな )の 父母 ( ふぼ )たり、 洗 ( あら )ひ 来 ( き )ては 寧 ( むし )ろ 薬 ( くすり )の 君臣 ( くんしん )を 弁 ( わきま )へんや、 養得自為花父母。 洗来寧弁薬君臣。 仙家春雨 紀長谷雄 はなのあらたにひらくるひしよやううるほへり、 とりおいてかへるときはくぼくもれり、 花 ( はな )の 新 ( あら )たに 開 ( ひら )くる 日 ( ひ ) 初陽 ( しよやう ) 潤 ( うるほ )へり、 鳥 ( とり ) 老 ( お )いて 帰 ( かへ )る 時 ( とき ) 薄暮 ( はくぼ ) 陰 ( くも )れり。 花新開日初陽潤。 鳥老帰時薄暮陰。 春色雨中深 菅原文時 しやきやくはだんぷうのまづあふぐところ、 あんせいはてうじつのいまだはれざるほど、 斜脚 ( しやきやく )は 暖風 ( だんぷう )の 先 ( ま )づ 扇 ( あふ )ぐ 処 ( ところ )、 暗声 ( あんせい )は 朝日 ( てうじつ )のいまだ 晴 ( は )れざる 程 ( ほど )、 斜脚暖風先扇処。 暗声朝日未晴程。 微雨自東来 慶滋保胤 拾遺 さくらがりあめはふりきぬおなじくは ぬるともはなのかげにかくれん 読人不知 新勅撰 あをやぎの枝にかかれるはるさめは いともてぬけるたまかとぞみる 伊勢 梅 ( むめ )付紅梅 はくへんのらくばいはたにのみづにうかび、 くわうせうのしんりうはしろのかきよりいでたり、 白片 ( はくへん )の 落梅 ( らくばい )は 澗 ( たに )の 水 ( みづ )に 浮 ( うか )び、 黄梢 ( くわうせう )の 新柳 ( しんりう )は 城 ( しろ )の 墻 ( かき )より 出 ( い )でたり、 白片落梅浮澗水。 黄梢新柳出城墻。 春至香山寺 白居易 うめのはなゆきをおびてきんじやうにとび、 やなぎのいろはけむりにくわしてしゆちうにいる、 梅 ( うめ )の 花 ( はな ) 雪 ( ゆき )を 帯 ( お )びて 琴上 ( きんじやう )に 飛 ( と )び、 柳 ( やなぎ )の 色 ( いろ )は 煙 ( けむり )に 和 ( くわ )して 酒中 ( しゆちう )に 入 ( い )る 梅花帯雪飛琴上。 柳色和煙入酒中。 早春初晴野宴 章孝標 やうやくかほるらふせつあらたにふうずるうち、 ひそかにほころぶはるのかぜのいまだあふがざるさき、 漸 ( やうや )く 薫 ( かほ )る 臘雪 ( らふせつ ) 新 ( あら )たに 封 ( ふう )ずる 裏 ( うち )、 偸 ( ひそ )かに 綻 ( ほころ )ぶ 春 ( はる )の 風 ( かぜ )のいまだ 扇 ( あふ )がざる 先 ( さき )、 漸薫臘雪新封裏。 偸綻春風未扇先。 寒梅結早花 村上帝御製 せいしくりいだすたうもんのやなぎ はくぎよくよそほひなすゆれいのうむめ、 青糸 ( せいし ) 繰 ( く )り 出 ( いだ )す 陶門 ( たうもん )の 柳 ( やなぎ ) 白玉 ( はくぎよく ) 装 ( よそほ )ひ 成 ( な )す 庾嶺 ( ゆれい )の 梅 ( うめ ) 青糸繰出陶門柳。 白玉装成庾嶺梅。 尋春花 大江朝綱或菅原文時 ごれいさう 〳 〵としてくもわうらいす、 たゞあはれむたいゆまんちうのむめ、 五嶺 ( ごれい ) 蒼々 ( さう 〳 〵 )として 雲 ( くも ) 往来 ( わうらい )す、 たゞ 憐 ( あは )れむ 大庾 ( たいゆ ) 万株 ( まんちう )の 梅 ( うめ )。 五嶺蒼蒼雲往来。 但憐大 大庾 ( たいゆ )万株梅。 同題 菅原文時 たれかいふはるのいろひがしよりいたるとは、 つゆあたたかにしてなんしはなはじめてひらく、 誰 ( たれ )か 言 ( い )ふ 春 ( はる )の 色 ( いろ ) 東 ( ひがし )より 到 ( いた )るとは、 露 ( つゆ ) 暖 ( あたた )かにして 南枝 ( なんし ) 花 ( はな ) 始 ( はじ )めて 開 ( ひら )く、 誰言春色従東到。 露暖南枝花始開。 同 同 けむりはりうしよくをそへてみるになほあさし、 とりはばいくわをふみておつることすでにしきりなり、 烟 ( けむり )は 柳色 ( りうしよく )を 添 ( そ )へて 看 ( み )るに 猶 ( なほ ) 浅 ( あさ )し、 鳥 ( とり )は 梅花 ( ばいくわ )を 踏 ( ふ )みて 落 ( お )つること 已 ( すで )に 頻 ( しき )りなり、 煙添柳色看猶浅。 鳥踏梅花落以頻。 同 同 拾遺 いにしとしねこじてうゑしわがやどの わかきのうめははなさきにけり 安倍広庭 万葉 わがせこに見せんとおもひしうめの花 それともみえずゆきのふれれば 山部赤人 拾遺 香をとめてたれをらざらんうめの花 あやなしかすみたちなかくしそ 凡河内躬恒 紅梅 ( こうばい ) うめはけいぜつをふくみてこうきをかねたり、 えはけいくわをもてあそびてへきぶんをおびたり、 梅 ( うめ )は 鶏舌 ( けいぜつ )を 含 ( ふく )みて 紅気 ( こうき )を 兼 ( か )ねたり、 江 ( え )は 瓊花 ( けいくわ )を 弄 ( もてあそ )びて 碧文 ( へきぶん )を 帯 ( お )びたり、 梅含鶏舌兼紅気。 江弄瓊花帯碧文。 早春尋李校書 元稹 せんこうせんけんたり、せんはうのゆきいろをはづ、 ぢようきやうふんいくたり、ぎろのけむりかをりをゆづる、 浅紅 ( せんこう ) 鮮娟 ( せんけん )たり、 仙方 ( せんはう )の 雪 ( ゆき ) 色 ( いろ )を 愧 ( は )づ、 濃香 ( ぢようきやう ) 芬郁 ( ふんいく )たり、 妓炉 ( ぎろ )の 烟 ( けむり ) 薫 ( かをり )を 譲 ( ゆづ )る、 浅紅鮮娟。 仙方之雪愧色。 濃香芳郁。 妓炉之烟譲薫。 繞簷梅正開詩 橘正通 いろありてわかちやすしざんせつのそこ、 こゝろなくしてわきまへがたしせきやうのうち、 色 ( いろ ) 有 ( あ )りて 分 ( わか )ちやすし 残雪 ( ざんせつ )の 底 ( そこ ) 情 ( こゝろ ) 無 ( な )くして 弁 ( わきま )へがたし 夕陽 ( せきやう )の 中 ( うち )、 有色易分残雪底。 無情難弁夕陽中。 賦庭前紅梅 兼明親王 せんきうにかぜなりてむなしくゆきをひる、 やろにひあたたかにしていまだけむりをあげず、 仙臼 ( せんきう )に 風 ( かぜ ) 生 ( な )りて 空 ( むな )しく 雪 ( ゆき )を 簸 ( ひ )る、 野炉 ( やろ )に 火 ( ひ ) 暖 ( あたた )かにしていまだ 煙 ( けむり )を 揚 ( あ )げず、 仙臼風生空簸雪。 野鑪火暖未揚煙。 紅白梅花 紀斉名 古今 君ならでたれにかみせんうめのはな いろをもかをもしる人ぞしる 紀友則 新古今 色かをばおもひもいれずうめのはな つねならぬ世によそへてぞみる 花山院 柳 ( やなぎ ) りんあうはいづれのところにかことのことぢをぎんじ、 しやうりうはたれがいへにかきくぢんをさらす、 林鶯 ( りんあう )は 何 ( いづ )れの 処 ( ところ )にか 箏 ( こと )の 柱 ( ことぢ )を 吟 ( ぎん )じ、 墻柳 ( しやうりう )は 誰 ( たれ )が 家 ( いへ )にか 麹塵 ( きくぢん )を 曝 ( さら )す、 林鶯何処吟箏柱。 墻柳誰家曝麹塵。 天宮閣早春 白居易 やうやくたのきばのきやくをはらはんとほつす、 いまだおほくろうにのぼるひとをさへぎりえず、 漸 ( やうや )く 他 ( た )の 騎馬 ( きば )の 客 ( きやく )を 払 ( はら )はんと 欲 ( ほつ )す、 いまだ 多 ( おほ )く 楼 ( ろう )に 上 ( のぼ )る 人 ( ひと )を 遮 ( さへぎ )り 得 ( え )ず、 漸欲払他騎馬客。 未多遮得上楼人。 喜小楼西新柳抽条 白居易 ふぢよべうのはなはべによりもくれなゐなり、 せうくんそんのやなぎはまゆよりもみどりなり、 巫女廟 ( ふぢよべう )の 花 ( はな )は 粉 ( べに )より 紅 ( くれなゐ )なり 昭君村 ( せうくんそん )の 柳 ( やなぎ )は 眉 ( まゆ )よりも 翠 ( みどり )なり 巫女廟花紅似粉。 昭君村柳翠於眉。 題峡中石上 同白 まことにしりぬおいさりてふぜいのすくなきことを、 これをみいかでかいつくのしなからん、 誠 ( まこと )に 知 ( し )りぬ 老 ( お )い 去 ( さ )りて 風情 ( ふぜい )の 少 ( すくな )きことを、 此 ( これ )を 見 ( み )いかでか 一句 ( いつく )の 詩 ( し )なからん、 誠知老去風情少。 見此争無一句詩。 与前一首絶句他 同 たいゆれいのうめははやくおつ、 たれかふんさうをとはん、 きやうろざんのあんずはいまだひらけず、 あにこうえんをおはんや、 大庾嶺 ( たいゆれい )の 梅 ( うめ )は 早 ( はや )く 落 ( お )つ、 誰 ( たれ )か 粉粧 ( ふんさう )を 問 ( と )はん、 匡廬山 ( きやうろざん )の 杏 ( あんず )はいまだ 開 ( ひら )けず、 あに 紅艶 ( こうえん )を 趁 ( お )はんや、 大庾嶺之梅早落。 誰問粉粧。 匡廬山之杏未開。 豈趁紅艶。 内宴序停盃看柳色 紀長谷雄或大江音人 くもはこうきようをさゝぐふさうのひ、 はるはくわうしゆをたわますどんりうのかぜ、 雲 ( くも )は 紅鏡 ( こうきやう )を 擎 ( さゝ )ぐ 扶桑 ( ふさう )の 日 ( ひ )、 春 ( はる )は 黄珠 ( くわうしゆ )を 嫋 ( たわ )ます 嫩柳 ( どんりう )の 風 ( かぜ )雲擎 紅鏡扶桑日。 春嫋黄珠嫩柳風。 早春作 田達音 けいたくにはれをむかへてていげつくらく、 りくちにひをおひてすゐえんふかし、 嵆宅 ( けいたく )に 晴 ( はれ )を 迎 ( むか )へて 庭月 ( ていげつ ) 暗 ( くら )く、 陸池 ( りくち )に 日 ( ひ )を 逐 ( お )ひて 水煙 ( すゐえん ) 深 ( ふか )し、 嵆宅迎晴庭月暗。 陸池逐日水煙深。 柳影繁初合詩 具平親王 たんしんにつきうかびてえだをまじふるかつら、 がんこうにかぜきたりてはにこんずるうきくさ、 潭心 ( たんしん )に 月 ( つき ) 泛 ( うか )びて 枝 ( えだ )を 交 ( まじ )ふる 桂 ( かつら )、 岸口 ( がんこう )に 風 ( かぜ ) 来 ( きた )りて 葉 ( は )を 混 ( こん )ずる 蘋 ( うきくさ ) 潭心月泛交枝桂。 岸口風来混葉蘋。 垂柳払緑水詩 菅原文時 古今 あをやぎのいとよりかくるはるしもぞ みだれて花のほころびにける 紀貫之 新千載 あをやぎのまゆにこもれるいとなれば 春のくるにぞいろまさりける 藤原兼輔 花 ( はな ) はなはじやうゑんにあきらかにして、けいけんきうはくのちりにはす、 さるはくうざんにさけびて、しやげつせんがんのみちをみがく、 花 ( はな )は 上苑 ( じやうゑん )に 明 ( あき )らかにして、 軽軒 ( けいけん ) 九陌 ( きうはく )の 塵 ( ちり )に 馳 ( は )す、 猿 ( さる )は 空山 ( くうざん )に 叫 ( さけ )びて、 斜月 ( しやげつ ) 千巌 ( せんがん )の 路 ( みち )を 瑩 ( みが )く、 花明上苑。 軽軒馳九陌之塵。 猿叫空山。 斜月瑩千巌之路。 閑賦 張読 いけのいろはよう 〳 〵ようとしてあゐみづをそむ、 はなのひかりはえん 〳 〵としてひはるをやく、 池 ( いけ )の 色 ( いろ )は 溶々 ( よう 〳 〵 )として 藍水 ( あゐみづ )を 染 ( そ )む、 花 ( はな )の 光 ( ひかり )は 焔々 ( えん 〳 〵 )として 火 ( ひ ) 春 ( はる )を 焼 ( やく )、 池色溶溶藍染水。 花光焔焔火焼春。 早春招張賓客 白居易 はるかにじんかをみてはなあればすなはちいる、 きせんとしんそとをろん)ぜず、 遥 ( はる )かに 人家 ( じんか )を 見 ( み )て 花 ( はな )あればすなはち 入 ( い )る、 貴賤 ( きせん )と 親疎 ( しんそ )とを 論 ( ろん )ぜず、 遥見人家花便入。 不論貴賤与親疎。 尋春題諸家園林 同 ひにみがきかぜにみがく、かうていせんくわばんくわのたま、 えだをそめなみをそむ、へうりいちじゆさいじゆのこう、 日 ( ひ )に 瑩 ( みが )き 風 ( かぜ )に 瑩 ( みが )く、 高低 ( かうてい ) 千顆万顆 ( せんくわばんくわ )の 玉 ( たま )、 枝 ( えだ )を 染 ( そ )め 浪 ( なみ )を 染 ( そ )む、 表裏 ( へうり ) 一入再入 ( いつじゆさいじゆ )の 紅 ( こう ) 瑩日瑩風。 高低千顆万顆之玉。 染枝染浪。 表裏一入再入之紅。 花光浮水上序 菅原文時 たれかいひしみづこころなしと、ぢようえんのぞみてなみいろをへんず、 たれかいひしはなのいはずと、けいやうげきしてかげくちびるをうごかす、 誰 ( たれ )か 謂 ( い )ひし 水 ( みづ ) 心 ( こころ )なしと、 濃艶 ( ぢようえん ) 臨 ( のぞ )んで 波 ( なみ ) 色 ( いろ )を 変 ( へん )ず 誰 ( たれ )か 謂 ( い )つし 花 ( はな )のいはずと、 軽漾 ( けいやう ) 激 ( げき )して 影 ( かげ ) 唇 ( くちびる )を 動 ( うご )かす 誰謂水無心。 濃艶臨兮波変色。 誰謂花不語。 軽漾激兮影動唇。 同上 同 これをみづといはんとすれば、すなはちかんぢよべにをほどこすかゞみせいえいたり、これをはなといはんとほつすれば、またしよくじんあやをあらふにしきさんらんたり、 これを 水 ( みづ )と 謂 ( い )はんとすれば、すなはち 漢女 ( かんぢよ ) 粉 ( べに )を 施 ( ほどこ )す 鏡 ( かゞみ ) 清瑩 ( せいえい )たり、 これを 花 ( はな )と 謂 ( い )はんと 欲 ( ほつ )すれば、また 蜀人 ( しよくじん ) 文 ( あや )を 濯 ( あら )ふ 錦 ( にしき ) 粲爛 ( さんらん )たり、 欲謂之水。 則漢女施粉之鏡清瑩。 欲謂之花。 亦蜀人濯文之錦粲爛。 同題序 源順 おることいづれのいとよりぞたゞゆふべのあめ、 たつことはさだまれるためしなしはるのかぜにまかす、 織 ( お )ること 何 ( いづ )れの 糸 ( いと )よりぞたゞ 暮 ( ゆふべ )の 雨 ( あめ )、 裁 ( た )つことは 定 ( さだ )まれる 様 ( ためし )なし 春 ( はる )の 風 ( かぜ )に 任 ( まか )す、 織自何糸唯暮雨。 裁無定様任春風。 花開如散錦 菅原文時 はなとびてにしきのごとしいくぢようしやうぞ、 おるものははるのかぜいまだはこにたゝまず、 花 ( はな ) 飛 ( と )びて 錦 ( にしき )の 如 ( ごと )し 幾 ( いく ) 濃粧 ( ぢようしやう )ぞ、 織 ( お )るものは 春 ( はる )の 風 ( かぜ )いまだ 箱 ( はこ )に 畳 ( たゝ )まず、 花飛如錦幾濃粧。 織者春風未畳箱。 同題 源英明 はじめをしるはるのかぜのきじやうにたくみなることを、 たゞいろをおるのみにあらずふんはうをもおる、 始 ( はじ )めを 識 ( し )る 春 ( はる )の 風 ( かぜ )の 機上 ( きじやう )に 巧 ( たくみ )なることを、 たゞ 色 ( いろ )を 織 ( お )るのみにあらず 芬芳 ( ふんはう )をも 織 ( お )る、 始識春風機上巧。 非唯織色織芬芳。 同上 同 まなこはしよくぐんにまづしたちのこすにしき、 みゝはしんじやうにうみたりしらべつくすこと、 眼 ( まなこ )は 蜀郡 ( しよくぐん )に 貧 ( まづ )し 裁 ( た )ち 残 ( のこ )す 錦 ( にしき )、 耳 ( みゝ )は 秦城 ( しんじやう )に 倦 ( う )みたり 調 ( しら )べ 尽 ( つく )すこと、 眼貧蜀郡裁残錦。 耳倦秦城調尽箏。 花少鶯稀 源相規 古今 世の中にたえてさくらのなかりせば はるのこゝろはのどけからまし 在原業平 古今 わがやどのはな見がてらにくる人は ちりなん後ぞこひしかるべき 凡河内躬恒 古今 みてのみや人にかたらんやまざくら 手ごとにをりていへづとにせん 素性法師 落花 ( らくくわ ) らくくわものいはずむなしくきをじす、 りうすゐこゝろなくしておのづからいけにいる、 落花 ( らくくわ ) 語 ( ものい )はず 空 ( むな )しく 樹 ( き )を 辞 ( じ )す、 流水 ( りうすゐ ) 心無 ( こゝろな )くして 自 ( おのづか )ら 池 ( いけ )に 入 ( い )る 落花不語空辞樹。 流水無心自入池。 過元家履信宅 白居易 あしたにはらくくわをふみてあひともなひていで、 ゆふべにはひてうにしたがひていちじにかへる、 朝 ( あした )には 落花 ( らくくわ )を 踏 ( ふ )みて 相伴 ( あひともな )ひて 出 ( い )で、 暮 ( ゆふべ )には 飛鳥 ( ひてう )に 随 ( したが )ひて 一時 ( いちじ )に 帰 ( かへ )る、 朝踏落花相伴出。 暮随飛鳥一時帰。 春水頻与李二賓客同廊外同遊因贈長甸 同 はるのはなはめん 〳 〵にかんちやうしむしろにらんにふす、 くれのうぐひすはせい 〳 〵にかうしようのざによさんす、 春 ( はる )の 花 ( はな )は 面々 ( めん 〳 〵 )に 酣暢 ( かんちやう )し 筵 ( むしろ )に 闌入 ( らんにふ )す、 晩 ( くれ )の 鶯 ( うぐひす )は 声々 ( せい 〳 〵 )に 講誦 ( かうしよう )の 座 ( ざ )に 予参 ( よさん )す 春花面面闌入酣暢之筵。 晩鶯声声予参講誦之座。 春日侍前鎮西部督大王読史記序 大江朝綱 らくくわらうぜきたりかぜくるひてのち、 ていてうりようしようたりあめのうつとき、 落花 ( らくくわ ) 狼籍 ( らうぜき )たり 風 ( かぜ ) 狂 ( くる )ひて 後 ( のち ) 啼鳥 ( ていてう ) 龍鐘 ( りようしよう )たり 雨 ( あめ )の 打 ( う )つ 時 ( とき ) 落花狼籍風狂後。 啼鳥龍鐘雨打時。 惜残春 同 かくをはなるるほうのかけりはおばしまによりてまひ、 ろうをくだれるあいのそではきざはしをかへりみてひるがへる、 閤 ( かく )を 離 ( はな )るる 鳳 ( ほう )の 翔 ( かけり )は 檻 ( おばしま )に 憑 ( よ )りて 舞 ( ま )ひ、 楼 ( ろう )を 下 ( くだ )れる 娃 ( あい )の 袖 ( そで )は 階 ( きざはし )を 顧 ( かへり )みて 翻 ( ひるがへ )る、 離閤鳳翔憑檻舞。 下楼娃袖顧階翻。 落花還繞樹詩 菅原文時 拾遺 さくらちるこのしたかぜはさむからで そらにしられぬ雪ぞふりける 紀貫之 拾遺 とのもりのとものみやつここころあらば このはるばかり朝きよめすな 源公忠 躑躅 ( つつじ ) ばんずゐなほひらくこうてきちよく、 あきのはなぶさはじめてむすぶはくふよう、 晩蘂 ( ばんずい )なほ 開 ( ひら )く 紅躑躅 ( こうてきちよく )、 秋 ( あき )の 房 ( はなぶさ ) 初 ( はじ )めて 結 ( むす )ぶ 白芙蓉 ( はくふよう )、 晩蘂尚開紅躑躅。 秋房初結白芙蓉。 題元十八渓居 白居易 やいうのひとはたづねきたりてとらんとほつす、 かんしよくのいへにはまさにをりをえておどろくべし、 夜遊 ( やいう )の 人 ( ひと )は 尋 ( たづ )ね 来 ( きた )りて 把 ( と )らんと 欲 ( ほつ )す、 寒食 ( かんしよく )の 家 ( いへ )にはまさに 折 ( を )り 得 ( え )て 驚 ( おどろ )くべし、 夜遊人欲尋来把。 寒食家応折得驚。 山石榴艶似火 源順 古今 おもひいづるときはのやまのいはつつじ いはねばこそあれこひしきものを 平貞文 款冬 ( やまぶき ) しわうをてんちやくしててんにこゝろあり、 くわんどうあやまりてぼしゆんのかぜにほころぶ、 雌黄 ( しわう )を 点着 ( てんちやく )して 天 ( てん )に 意 ( こゝろ )あり、 款冬 ( くわんどう ) 誤 ( あやま )りて 暮春 ( ぼしゆん )の 風 ( かぜ )に 綻 ( ほころ )ぶ、 点着雌黄天有意。 款冬誤綻暮春風。 藤原実頼 しよさうにまきありてあひしうしふす、 せうしにぶんなくもいまだほうかうせず、 書窓 ( しよさう )に 巻 ( まき ) 有 ( あ )りて 相収拾 ( あひしうしふ )す、 詔紙 ( せうし )に 文 ( ぶん ) 無 ( な )くもいまだ 奉行 ( ほうかう )せず、 書窓有巻相収拾。 詔紙無文未奉行。 題花黄 慶滋保胤 新古今 かはづなく神なびがはに影みえて いまやさくらん山ぶきの花 厚見王 拾遺 わがやどのやへ山吹はひとへだに ちりのこらなむはるのかたみに 平兼盛 藤 ( ふぢ ) じおんにちやうばうすさんげつのつくることを、 しとうのはなおちてとりくわん 〳 〵たり、 慈恩 ( じおん )に 悵望 ( ちやうばう )す 三月 ( さんげつ )の 尽 ( つ )くることを、 紫藤 ( しとう ) 花 ( はな ) 落 ( お )ちて 鳥 ( とり ) 関々 ( くわん 〳 〵 )たり、 悵望慈恩三月尽。 紫藤花落鳥関関 酬元十八三月三十日慈恩寺見寄 白居易 しとうのつゆのそこざんくわのいろ、 すゐちくのけむりのなかぼてうのこゑ、 紫藤 ( しとう )の 露 ( つゆ ) 底 ( そこ ) 残花 ( ざんくわ )の 色 ( いろ )、 翠竹 ( すゐちく )の 煙 ( けむり )の 中 ( なか ) 暮鳥 ( ぼてう )の 声 ( こゑ ) 紫藤露底残花色。 翠竹煙中暮鳥声。 四月有余春詩 源相規 しじようはひとへにあけのころものいろをうばふ、 まさにこれはなのこゝろけんだいをわするべし、 紫茸 ( しじよう )は 偏 ( ひとへ )に 朱衣 ( あけのころも )の 色 ( いろ )を 奪 ( うば )ふ、 まさに 是 ( これ ) 花 ( はな )の 心 ( こゝろ ) 憲台 ( けんだい )を 忘 ( わす )るべし、 紫茸偏奪朱衣色、 応是花心忘憲台、 於御史中丞亭翫藤 源順 拾遺 たごのうらそこさへにほふふぢなみを かざしてゆかんみぬ人のため 柿本人麿 続古今 ときはなるまつのなたてにあやなくも かかれるふぢのさきてちるかな 紀貫之 夏 更衣 ( かうい ) かべにそむけるともしびはよべをふるほのほをのこし、 はこをひらけるころもはとしをへだつるにほひをおびたり、 壁 ( かべ )に 背 ( そむ )ける 燈 ( ともしび )は 宿 ( よべ )を 経 ( ふ )る 焔 ( ほのほ )を 残 ( のこ )し、 箱 ( はこ )を 開 ( ひら )ける 衣 ( ころも )は 年 ( とし )を 隔 ( へだ )つる 香 ( にほひ )を 帯 ( お )びたり、 背壁残燈経宿焔。 開箱衣帯隔年香。 早夏暁興 白居易 せいい(すゞしのきぬ)はかじんをまちてちやくせんとほつす、 しゆくぢやうはまさにいふらうをまねきてたのしむべし、 生衣 ( せいい・すゞしのきぬ )は 家人 ( かじん )を 待 ( ま )ちて 着 ( ちやく )せんと 欲 ( ほつ )す、 宿醸 ( しゆくぢやう )はまさに 邑老 ( いふらう )を 招 ( まね )きて 酣 ( たのしむ )べし、 生衣欲待家人着。 宿醸当招邑老酣。 讚州作 菅原道真 拾遺 はなの色にそめしたもとのをしければ ころもかへうきけふにもあるかな 源重之 首夏 ( しゆか ) もたひのほとりのちくえふははるをへてじゆくし、 はしのもとのしやうびはなつにいりてひらく、 甕 ( もたひ )の 頭 ( ほとり )の 竹葉 ( ちくえふ )は 春 ( はる )を 経 ( へ )て 熟 ( じゆく )し、 階 ( はし )の 底 ( もと )の 薔薇 ( しやうび )は 夏 ( なつ )に 入 ( い )りて 開 ( ひら )く、 甕頭竹葉経春熟。 階底薔薇入夏開。 薔薇正開春酒初熟 白居易 こけせきめんにしやうじてけいいみじかし、 はちすちしんよりいでてせうがいまばらなり、 苔 ( こけ ) 石面 ( せきめん )に 生 ( しやう )じて 軽衣 ( けいい ) 短 ( みじか )し、 荷 ( はちす ) 池心 ( ちしん )より 出 ( い )でて 小蓋 ( せうがい ) 疎 ( まばら )なり、 苔生石面軽衣短。 荷出池心小蓋疎。 首夏作 物部安興 拾遺 わがやどのかきねや春をへだつらん 夏きにけりとみゆるうのはな 源順 夏夜 ( なつのよ ) かぜこぼくふけばはれのそらのあめ、 つきのへいさをてらせばなつのよのしも、 風 ( かぜ ) 枯木 ( こぼく )を 吹 ( ふ )けば 晴 ( はれ )の 天 ( そら )の 雨 ( あめ )、 月 ( つき )の 平沙 ( へいさ )を 照 ( てら )せば 夏 ( なつ )の 夜 ( よ )の 霜 ( しも )、 風吹枯木晴天雨。 月照平沙夏夜霜。 江楼夕望 白居易 かぜたけになるよまどのあひだにふせり、 つきまつをてらすときにうてなのほとりにありく、 風 ( かぜ ) 竹 ( たけ )に 生 ( な )る 夜 ( よ ) 窓 ( まど )の 間 ( あひだ )に 臥 ( ふ )せり、 月 ( つき ) 松 ( まつ )を 照 ( てら )す 時 ( とき )に 台 ( うてな )の 上 ( ほとり )に 行 ( あり )く、 風生竹夜窓間臥。 月照松時台上行。 早夏独居 白居易 くうやまどはしづかなりほたるわたりてのち、 しんかうのきはしろしつきのあきらかなるはじめ、 空夜 ( くうや ) 窓 ( まど )は 閑 ( しづ )かなり 蛍 ( ほたる ) 度 ( わた )りて 後 ( のち )、 深更 ( しんかう ) 軒 ( のき )は 白 ( しろ )し 月 ( つき )の 明 ( あき )らかなる 初 ( はじめ )、 空夜窓閑蛍度後。 深更軒白月明初。 夜陰帰房 紀長谷雄 なつのよをねぬにあけぬといひおきし 人はものをやおもはざりけん 柿本人麿 家集 ほととぎすなくやさつきのみじかよも ひとりしぬればあかしかねつも 柿本人麿 古今 なつのよはふすかとすればほととぎす なくひとこゑにあくるしののめ 端午 ( たんご ) ときありてとにあたりてみをあやぶめてたてり、 こゝろなくしてこゑんにあしにまかせてゆかん、 時 ( とき ) 有 ( あ )りて 戸 ( と )に 当 ( あた )りて 身 ( み )を 危 ( あや )ぶめて 立 ( た )てり、 意 ( こゝろ ) 無 ( な )くして 故園 ( こゑん )に 脚 ( あし )に 任 ( まか )せて 行 ( ゆ )かん。 有時当戸危身立。 無意故園任脚行。 懸艾人 菅原道真 家集 わかこまとけふにあひくるあやめぐさ おひおくるるやまくるなるらん 大中臣頼基 拾遺 きのふまでよそにおもひしあやめぐさ けふわがやどのつまとみるかな 大中臣能宣 納涼 ( なふりやう ) せいたいのちのうへにざんうをけし、 りよくじゆのかげのまへにばんりやうをおふ、 青苔 ( せいたい )の 地 ( ち )の 上 ( うへ )に 残雨 ( ざんう )を 銷 ( け )し、 緑樹 ( りよくじゆ )の 陰 ( かげ )の 前 ( まへ )に 晩涼 ( ばんりやう )を 逐 ( お )ふ、 青苔地上銷残雨。 緑樹陰前逐晩涼。 地上逐涼 白居易 ろてんせいゑいとしてよをむかへてなめらかなり、 ふうきんせうさいとしてあきにさきだちてすずし、 露簟 ( ろてん ) 清瑩 ( せいゑい )として 夜 ( よ )を 迎 ( むか )へて 滑 ( なめ )らかなり、 風襟 ( ふうきん ) 蕭灑 ( せうさい )として 秋 ( あき )に 先 ( さき )だちて 涼 ( すゞ )し、 露簟清瑩迎夜滑。 風襟蕭灑先秋涼。 地上夜境 白居易 これぜんばうにねつのいたることなきあらず、 たゞよくこゝろしづかなればすなはちみもすゞし、 是 ( これ ) 禅房 ( ぜんばう )に 熱 ( ねつ )の 到 ( いた )ること 無 ( な )きあらず、 たゞ 能 ( よ )く 心 ( こゝろ ) 静 ( しづ )かなれば 即 ( すなは )ち 身 ( み )も 涼 ( すゞ )し、 不是禅房無熱到。 但能心静即身涼。 苦熱題桓寂禅師房 白居易 はんせふよがだんせつのあふぎ、がんふうにかはりてながくわすれたり、 えんのせうわうのせうりやうのたまも、さげつにあたりておのづからえたり、 班婕妤 ( はんせふよ )が 団雪 ( だんせつ )の 扇 ( あふぎ )、 岸風 ( がんふう )に 代 ( か )はりて 長 ( なが )く 忘 ( わす )れたり、 燕 ( えん )の 昭王 ( せうわう )の 招涼 ( せうりやう )の 珠 ( たま )も、 沙月 ( さげつ )に 当 ( あた )りて 自 ( おのづか )ら 得 ( え )たり、 班婕妤団雪之扇。 代岸風兮長忘。 燕昭王招涼之珠。 当沙月兮自得。 避暑対水石序 大江匡衡 ふしてはしんとりんすゐのしやうをみ、 ゆきてはこしふなふりやうのしをぎんず、 臥 ( ふ )しては 新図 ( しんと ) 臨水 ( りんすゐ )の 障 ( しやう )を 見 ( み )、 行 ( ゆ )きては 古集 ( こしふ ) 納涼 ( なふりやう )の 詩 ( し )を 吟 ( ぎん )ず、 臥見新図臨水障。 行吟古集納涼詩。 題納涼之画 菅原道真 いけひやゝかにしてみづにさんふくのなつなく、 まつたかくしてかぜにいつせいのあきあり、 池 ( いけ ) 冷 ( ひや )ゝかにして 水 ( みづ )に 三伏 ( さんふく )の 夏 ( なつ )なく、 松 ( まつ ) 高 ( たか )くして 風 ( かぜ )に 一声 ( いつせい )の 秋 ( あき )あり、 池冷水無三伏夏。 松高風有一声秋。 夏日閑避暑 源英明 古今 すずしやと草むらことにたちよれば あつさぞまさるとこなつのはな 紀貫之 新千載 したくぐる水にあきこそかよふらし むすぶいづみの手さへすずしき 中務 拾遺 まつかげのいは井の水をむすびあげて なつなきとしとおもひけるかな 恵慶法師 晩夏 ( ばんか ) ちくていかげあひてひとへになつによろし、 すゐかんかぜすゞしくしてあきをまたず、 竹亭 ( ちくてい ) 陰 ( かげ ) 合 ( あ )ひて 偏 ( ひとへ )に 夏 ( なつ )に 宜 ( よろ )し、 水檻 ( すゐかん ) 風 ( かぜ ) 涼 ( すゞ )しくして 秋 ( あき )を 待 ( ま )たず、 竹亭陰合偏宜夏。 水檻風涼不待秋。 夏日遊永安水亭 白居易 新古今 夏はつるあふぎとあきのしらつゆと いづれかさきにをかんとすらん 拾遺 ねぎごともきかずあらぶる神だにも けふはなごしのはらへなりけり 斎宮 橘花 ( はなたちばな ) ろきつみをたれてさんうおもく、 へいりよはそよぎてすゐふうすゞし、 盧橘 ( ろきつ ) 子 ( み )を 低 ( た )れて 山雨 ( さんう ) 重 ( おも )く、 栟櫚 ( へいりよ ) 葉 ( は ) 戦 ( そよ )ぎて 水風 ( すゐふう ) 涼 ( すゞ )し、 盧橘子低山雨重。 栟櫚葉戦水風涼。 西湖晩帰望孤山寺 白居易 えだにはきんれいをつなぐしゆんうののち、 はなはしゞやにくんずがいふうのほど、 枝 ( えだ )には 金鈴 ( きんれい )を 繋 ( つな )ぐ 春雨 ( しゆんう )の 後 ( のち )、 花 ( はな )は 紫麝 ( しゞや )に 薫 ( くん )ず 凱風 ( がいふう )の 程 ( ほど ) 枝繋金鈴春雨後。 花薫紫麝凱風程。 花橘詩 後中書王 古今 さつきまつはなたちばなのかをかげば むかしの人の袖のかぞする ほととぎすはなたちばなにかをとめて なくはむかしの人やこひしき 貫之 蓮 ( はちす ) ふうかのらうえふはせうでうとしてみどりなり、 すゐれうのざんくわはせきばくとしてくれなゐなり、 風荷 ( ふうか )の 老葉 ( らうえふ )は 蕭条 ( せうでう )として 緑 ( みどり )なり、 水蓼 ( すゐれう )の 残花 ( ざんくわ )は 寂寞 ( せきばく )として 紅 ( くれなゐ )なり、 風荷老葉蕭条緑。 水蓼残花寂寞紅。 県西郊秋寄贈馬造階下 白居易 はのびてかげはひるがへるみぎりにあたるつき、 はなひらきてかはさんじてすだれにいるかぜ、 葉 ( は ) 展 ( の )びて 影 ( かげ )は 翻 ( ひるがへ )る 砌 ( みぎり )に 当 ( あた )る 月 ( つき )、 花 ( はな ) 開 ( ひら )きて 香 ( か )は 散 ( さん )じて 簾 ( すだれ )に 入 ( い )る 風 ( かぜ )、葉展影翻当砌月。 花開香散入簾風。 階下蓮 白居易 けむりすゐせんをひらくせいふうのあかつき、 みづこういをうかぶはくろのあき、 煙 ( けむり ) 翠扇 ( すいせん )を 開 ( ひら )く 清風 ( せいふう )の 暁 ( あかつき )、 水 ( みづ ) 紅衣 ( こうい )を 泛 ( うか )ぶ 白露 ( はくろ )の 秋 ( あき )、 煙開翠扇清風暁。 水泛紅衣白露秋。 題雲陽駅亭蓮 許渾 がんちくえだたれたりまさにとりのやどとなるべく、 たんかはうごくこれうをのあそぶならん、 岸竹 ( がんちく ) 枝 ( えだ ) 低 ( た )れたりまさに 鳥 ( とり )の 宿 ( やどり )となるべく、 潭荷 ( たんか ) 葉 ( は ) 動 ( うご )くこれ 魚 ( うを )の 遊 ( あそ )ぶならん、 岸竹枝低応鳥宿。 潭荷葉動是魚遊。 池亭晩望 紀在昌 なにによりてかさらにござんのくまをもとめん、 すなはちこれわがきみのざかのはななればなり、 何 ( なに )に 縁 ( よ )りてか 更 ( さら )に 呉山 ( ござん )の 曲 ( くま )に 覓 ( もと )めん、 便 ( すなは )ちこれ 吾 ( わ )が 君 ( きみ )の 座下 ( ざか )の 花 ( はな )なればなり、 縁何更覓呉山曲。 便是吾君座下花。 亭子院法皇御賀呉山千葉蓮華屏風詩 醍醐帝御製 きやうにはだいもくたりほとけにはまなこたり、 しりぬなんぢがはなのなかにぜんこんをうゑたることを、 経 ( きやう )には 題目 ( だいもく )たり 仏 ( ほとけ )には 眼 ( まなこ )たり、 知 ( し )りぬ 汝 ( なんぢ )が 花 ( はな )の 中 ( なか )に 善根 ( ぜんこん )を 植 ( う )ゑたることを、 経為題目仏為眼。 知汝花中植善根。 石山寺池蓮 源為憲 古今 はちす葉のにごりにしまぬこころもて なにかは露をたまとあざむく 郭公 ( ほとゝぎす ) いつせいのさんてうはしようんのほか、 ばんてんのすゐけいはしうさうのうち、 一声 ( いつせい )の 山鳥 ( さんてう )は 曙雲 ( しようん )の 外 ( ほか )、 万点 ( ばんてん )の 水蛍 ( すゐけい )は 秋草 ( しうさう )の 中 ( うち )、 一声山鳥曙雲外。 万点水蛍秋草中。 題発幽居将尋同志 許渾 新後拾遺 さつきやみおぼつかなきをほととぎす なくなるこゑのいとどはるけき 明日香皇子 拾遺 ゆきやらで山路くらしつほととぎす いまひとこゑのきかまほしさに 源公忠 拾遺 さよふけてねざめざりせばほととぎす 人づてにこそきくべかりけれ 壬生忠見 蛍 ( ほたる ) けいくわみだれとびてあきすでにちかし、 しんせいはやくかくれてよるはじめてながし、 蛍火 ( けいくわ ) 乱 ( みだ )れ 飛 ( と )びて 秋 ( あき ) 已 ( すで )に 近 ( ちか )し、 辰星 ( しんせい ) 早 ( はや )く 没 ( かく )れて 夜 ( よる ) 初 ( はじ )めて 長 ( なが )し、 蛍火乱飛秋已近。 辰星早没夜初長。 夜座 元稹 けんかみづくらくしてほたるよをしる、 やうりうかぜたかくしてがんあきをおくる、 蒹葭 ( けんか ) 水 ( みづ ) 暗 ( くら )くして 蛍 ( ほたる ) 夜 ( よる )を 知 ( し )る、 楊柳 ( やうりう ) 風 ( かぜ ) 高 ( たか )くして 雁 ( がん ) 秋 ( あき )を 送 ( おく )る、 蒹葭水暗蛍知夜。 楊柳風高鴈送秋。 常州留与楊給事 許渾 めい 〳 〵としてなほあり、たれかつきのひかりををくぢやうにおはんや、 かう 〳 〵としてきえず、あにせつぺんをしやうとうにつまんや、 明々 ( めい 〳 〵 )としてなほ 在 ( あ )り、 誰 ( たれ )か 月 ( つき )の 光 ( ひかり )を 屋上 ( をくぢやう )に 追 ( お )はんや、 皓々 ( かう 〳 〵 )として 消 ( き )えず、あに 雪片 ( せつぺん )を 床頭 ( しやうとう )に 積 ( つ )まんや。 明明仍在。 誰追月光於屋上。 皓皓不消。 豈積雪片於床頭。 秋蛍照帙賦 紀長谷雄 さんきやうのまきのうちにはくきをすぐるかとうたがふ、 かいふのへんのなかにはながれにやどるににたり、 山経 ( さんきやう )の 巻 ( まき )の 裏 ( うち )には 岫 ( くき )を 過 ( す )ぐるかと 疑 ( うたが )ふ、 海賦 ( かいふ )の 篇 ( へん )の 中 ( なか )には 流 ( ながれ )に 宿 ( やど )るに 似 ( に )たり、 山経巻裏疑過岫。 海賦篇中似宿流。 同題 橘直幹 新勅撰 草ふかきあれたるやどのともし火の 風にきえぬはほたるなりけり 山部赤人 後撰 つつめどもかくれぬものはなつむしの 身よりあまれるおもひなりけり 蝉 ( せみ ) ちゝたるはるのひに、たまのいしだゝみあたゝかにしてをんせんみてり、 でう 〳 〵たるあきのかぜに、やまのせみなきてきゆうじゆくれなゐなり、 遅々 ( ちゝ )たる 春 ( はる )の 日 ( ひ )に、 玉 ( たま )の 甃 ( いしだゝみ ) 暖 ( あたゝ )かにして 温泉 ( をんせん ) 溢 ( み )てり、 嫋々 ( でう 〳 〵 )たる 秋 ( あき )の 風 ( かぜ )に、 山 ( やま )の 蝉 ( せみ ) 鳴 ( な )きて 宮樹 ( きゆうじゆ ) 紅 ( くれなゐ )なり、 遅遅兮春日。 玉甃暖兮温泉溢。 嫋嫋兮秋風。 山蝉鳴兮宮樹紅。 驪山宮賦 白居易 せんほうのとりのみちはばいうをふくみ、 ごげつのせみのこゑはばくしうをおくる、 千峯 ( せんほう )の 鳥 ( とり )の 路 ( みち )は 梅雨 ( ばいう )を 含 ( ふく )み、 五月 ( ごげつ )の 蝉 ( せみ )の 声 ( こゑ )は 麦秋 ( ばくしう )を 送 ( おく )る、 千峯鳥路含梅雨。 五月蝉声送麦秋。 発青滋店至長安西渡江 李嘉祐 とりはりよくぶにおりてしんひんしづかなり、 せみはくわうえふになきてかんきゆうあきなり、 鳥 ( とり )は 緑蕪 ( りよくぶ )に 下 ( お )りて 秦苑 ( しんひん ) 静 ( しづ )かなり、 蝉 ( せみ )は 黄葉 ( くわうえふ )に 鳴 ( な )きて 漢宮 ( かんきゆう ) 秋 ( あき )なり、 鳥下緑蕪秦苑静。 蝉鳴黄葉漢宮秋。 題咸陽城東棲 許渾 こんねんはつねよりもことなりてはらはたまづたつ、 これせみのかなしきのみにあらずきやくのこゝろかなしきなり、 今年 ( こんねん )は 例 ( つね )よりも 異 ( こと )なりて 腸 ( はらはた ) 先 ( ま )づ 断 ( た )つ、 これ 蝉 ( せみ )の 悲 ( かな )しきのみにあらず 客 ( きやく )の 意 ( こゝろ ) 悲 ( かな )しきなり、 今年異例腸先断。 不是蝉悲客意悲。 聞新蝉 菅原道真 としさりとしきたりてきけどもへんぜず、 いふことなかれあきののちにつひにくうとならんと、 歳 ( とし ) 去 ( さ )り 歳 ( とし ) 来 ( きた )りて 聴 ( き )けども 変 ( へん )ぜず、 言 ( い )ふことなかれ 秋 ( あき )の 後 ( のち )に 遂 ( つひ )に 空 ( くう )と 為 ( な )らんと、 歳去歳来聴不変。 莫言秋後遂為空。 吟初蝉 紀納言 なつ山のみねのこずゑのたかければ 空にぞせみのこゑはきこゆる 後撰 これをみよ人もとがめぬこひすとて ねをなくむしのなれるすがたを 源重光 扇 ( あふぎ ) せいかにきえざるゆき、としををふるまでつくることなきかぜ、 あきをひきてしゆりにしやうず、つきをざうしてくわいちゆうにいる、 盛夏 ( せいか )に 消 ( き )えざる 雪 ( ゆき )、 年 ( とし )を 終 ( を )ふるまで 尽 ( つ )くること 無 ( な )き 風 ( かぜ )、 秋 ( あき )を 引 ( ひ )きて 手裏 ( しゆり )に 生 ( しやう )ず、 月 ( つき )を 蔵 ( ぞう )して 懐中 ( くわいちゆう )に 入 ( い )る、 盛夏不消雪。 終年無尽風。 引秋生手裏。 蔵月入懐中。 白羽扇 白居易 きせずやろうのはじめてわかるゝのち、 たゞもてあそぶしうふういまだいたらざるさき、 期 ( き )せず 夜漏 ( やろう )の 初 ( はじ )めて 分 ( わか )るゝ 後 ( のち )、 唯 ( たゞ ) 翫 ( もてあそ )ぶ 秋風 ( しうふう )いまだ 到 ( いた )らざる 前 ( さき )、 不期夜漏初分後。 唯翫秋風未到前。 軽扇動明月 菅原文時 拾遺 あまの川川瀬すずしきたなばたに あふぎのかぜをなほやかさまし 中務 拾遺 天の川あふぎのかぜにきりはれて そらすみわたるかささぎのはし 清原元輔 家集 君がてにまかするあきのかぜなれば なびかぬくさもあらじとぞおもふ 中務 秋 立秋 ( りつしう ) せうさつたるりやうふうとすゐびんと、 たれかけいくわいをしていちじにあきならしむる。 蕭颯 ( せうさつ )たる 涼風 ( りやうふう )と 悴鬢 ( すゐびん )と、 誰 ( たれ )か 計会 ( けいくわい )をして 一時 ( いちじ )に 秋 ( あき )ならしむる。 蕭颯涼風与悴鬢。 誰教計会一時秋。 立秋日登楽遊園 白居易 にはとりやうやくさんずるあひだあきのいろすくなし、 こひのつねにはしるところばんのこゑかすかなり、 鶏 ( にはとり ) 漸 ( やうや )く 散 ( さん )ずる 間 ( あひだ ) 秋 ( あき )の 色 ( いろ ) 少 ( すくな )し、 鯉 ( こひ )の 常 ( つね )に 趨 ( はし )る 処 ( ところ ) 晩 ( ばん )の 声 ( こゑ ) 微 ( かす )かなり、 鶏漸散間秋色少。 鯉常趨処晩声微。 於菅師匠旧亭賦一葉落庭時詩 慶滋保胤 古今 あききぬとめにはさやかにみえねども かぜのおとにぞおどろかれぬる 藤原敏行 後撰 うちつけにものぞかなしきこの葉ちる あきのはじめをけふとおもへば 大中臣能宣 早秋 ( さうしう ) たゞしよのさんぷくにしたがひてさることをよろこぶ、 あきのにまうをおくりきたることをしらず 但 ( たゞ ) 暑 ( しよ )の 三伏 ( さんぷく )に 随 ( したが )ひて 去 ( さ )ることを 喜 ( よろこ )ぶ、 秋 ( あき )の 二毛 ( にまう )を 送 ( おく )り 来 ( きた )ることを 知 ( し )らず 但喜暑随三伏去。 不知秋送二毛来。 早秋答蘇六 白居易 くわいくわあめにうるほふしんしうのち、 とうえふかぜすゞしよるならんとほつするてん、 槐花 ( くわいくわ ) 雨 ( あめ )に 潤 ( うるほ )ふ 新秋 ( しんしう )の 地 ( ち )、 桐葉 ( とうえふ ) 風 ( かぜ ) 涼 ( すゞ )し 夜 ( よる )ならんと 欲 ( ほつ )する 天 ( てん )、 槐花雨潤新秋地。 桐葉風涼欲夜天。 秘省後聴 白居易 えんけいあまつさへのこりてころもなほおもし、 ばんりやうひそかにいたりてたかむしろまづしる、 炎景 ( えんけい ) 剰 ( あまつ )さへ 残 ( のこ )りて 衣 ( ころも )なほ 重 ( おも )し、 晩涼 ( ばんりやう ) 潜 ( ひそ )かに 到 ( いた )りて 簟 ( たかむしろ ) 先 ( ま )づ 知 ( し )る、 炎景剰残衣尚重。 晩涼潜到簟先知。 立秋後作 紀長谷雄 万葉 あきたちていくかもあらねどこのねぬる あさけのかぜはたもとすずしも 安貴王 七夕 ( しちせき ) おもひえたりせうねんのながくきつかうすることを、 ちくかんのとうしやうにげんしおほし、 憶 ( おも )ひ 得 ( え )たり 少年 ( せうねん )の 長 ( なが )く 乞巧 ( きつかう )することを、 竹竿 ( ちくかん )の 頭上 ( とうしやう )に 願糸 ( げんし ) 多 ( おほ )し、 憶得少年長乞巧。 竹竿頭上願糸多。 七夕 白居易 にせいたまたまあひて、いまだべつしよのいいたるうらみをのべず、 ごやまさにあけなんとして、しきりにりやうふうのさつさつたるこゑにおどろく 二星 ( にせい )たまたま 逢 ( あ )ひて、いまだ 別緒 ( べつしよ )の 依々 ( いい )たる 恨 ( うら )みを 叙 ( の )べず、 五夜 ( ごや )まさに 明 ( あ )けなんとして、 頻 ( しきり )に 涼風 ( りやうふう )の 颯々 ( さつさつ )たる 声 ( こゑ )に 驚 ( おどろ )く 二星適逢。 未叙別緒依依之恨。 五夜将明。 頻驚涼風颯颯之声。 代牛女惜暁更詩序 小野美材 つゆはまさにわかれのなみだなるべしたまむなしくおつ、 くもはこれざんしやうならんもとゞりいまだならず、 露 ( つゆ )はまさに 別 ( わか )れの 涙 ( なみだ )なるべし 珠 ( たま ) 空 ( むな )しく 落 ( お )つ、 雲 ( くも )はこれ 残粧 ( ざんしやう )ならん 鬟 ( もとゞり )いまだ 成 ( な )らず、 露応別涙珠空落。 雲是残粧鬟未成。 代牛女惜暁更 菅原道真 かぜはさくやよりこゑいよいようらむ、 つゆはみやうてうにおよびてなみだきんぜず、 風 ( かぜ )は 昨夜 ( さくや )より 声 ( こゑ )いよいよ 怨 ( うら )む、 露 ( つゆ )は 明朝 ( みやうてう )に 及 ( およ )びて 涙 ( なみだ ) 禁 ( きん )ぜず、 風従昨夜声弥怨。 露及明朝涙不禁。 代牛女惜暁 大江綱朝 きよいなみにひきてかすみうるほふべし、 かうしよくながれにひたりてつききえなんとほつす、 去衣 ( きよい ) 浪 ( なみ )に 曳 ( ひ )きて 霞 ( かすみ ) 湿 ( うるほ )ふべし、 行燭 ( かうしよく ) 流 ( なが )れに 浸 ( ひた )りて 月 ( つき ) 消 ( き )えなんと 欲 ( ほつ )す、 去衣曳浪霞応湿。 行燭浸流月欲消。 七夕含媚渡河橋詩 菅原文時 ことばはびはにたくしかつやるといへども、 こゝろはへんげつをきしなかだちとせんとほつす、 詞 ( ことば )は 微波 ( びは )に 託 ( たく )しかつ 遣 ( や )るといへども、 心 ( こゝろ )は 片月 ( へんげつ )を 期 ( き )し 媒 ( なかだち )とせんと 欲 ( ほつ )す、 詞託微波雖且遣。 心期片月欲為媒。 代牛女侍夜 菅原輔昭 後撰 あまの川とほきわたりにあらねども きみがふなではとしにこそまて 柿本人丸 拾遺 ひととせにひとよとおもへどたなばたの あひみるあきのかぎりなきかな 紀貫之 拾遺 としごとにあふとはすれどたなばたの ぬるよのかずぞすくなかりける 凡河内躬恒 秋興 ( しうきよう ) りんかんにさけをあたゝめてこうえふをたき、 せきじやうにしをだいしてりよくたいをはらふ、 林間 ( りんかん )に 酒 ( さけ )を 煖 ( あたゝ )めて 紅葉 ( こうえふ )を 焼 ( た )き、 石上 ( せきじやう )に 詩 ( し )を 題 ( だい )して 緑苔 ( りよくたい )を 掃 ( はら )ふ、 林間煖酒焼紅葉。 石上題詩掃緑苔。 題仙遊寺 白居易 そしべうばうとしてうんすいひややかなり、 しやうせいせいぜいとしてくわんげんあきなり、 楚思 ( そし ) 眇茫 ( べうばう )として 雲水 ( うんすい ) 冷 ( ひややか )なり、 商声 ( しやうせい ) 清脆 ( せいぜい )として 管絃 ( くわんげん ) 秋 ( あき )なり、 楚思眇茫雲水冷。 商声清脆管絃秋。 於黄鶴楼宴罷望 白居易 おほむねしゞこゝろすべてくるし、 なかにつきてはらわたたゆるはこれあきのそら 大抵 ( おほむね ) 四時 ( しゞ ) 心 ( こゝろ ) 惣 ( す )べて 苦 ( くる )し、 就中 ( なかにつきて ) 腸 ( はらわた ) 断 ( た )ゆるはこれ 秋 ( あき )の 天 ( そら )。 大抵四時心惣苦。 就中腸断是秋天。 暮立 白居易 もののいろはおのづからかくのこゝろをいたましむるにたへたり、 むべなりうれへのじをもつてあきのこゝろとつくれること 物 ( もの )の 色 ( いろ )は 自 ( おのづか )ら 客 ( かく )の 意 ( こゝろ )を 傷 ( いた )ましむるに 堪 ( た )へたり、 むべなり 愁 ( うれ )への 字 ( じ )をもつて 秋 ( あき )の 心 ( こゝろ )と 作 ( つく )れること 物色自堪傷客意。 宜将愁字作秋心。 客舎秋情 小野篁 もとよりおもひをかんずることはあきのそらにあり、 おほくたうじのせつぶつにひかれたり もとより 思 ( おも )ひを 感 ( かん )ずることは 秋 ( あき )の 天 ( そら )に 在 ( あ )り、 多 ( おほ )く 当時 ( たうじ )の 節物 ( せつぶつ )に 牽 ( ひ )かれたり 由来感思在秋天。 多被当時節物牽。 秋日感懐 島田忠臣 だいゝちこゝろをいたむることはいづれのところかもつともなる、 ちくふうはをならすつきのあきらかなるまへ、 第一 ( だいゝち ) 心 ( こゝろ )を 傷 ( いた )むることは 何 ( いづ )れの 処 ( ところ )か 最 ( もつと )もなる、 竹風 ( ちくふう ) 葉 ( は )を 鳴 ( な )らす 月 ( つき )の 明 ( あき )らかなる 前 ( まへ )、 第一傷心何処最。 竹風鳴葉月明前。 同 島田忠臣 しよくちややうやくふくわのあぢはひをわすれ、 それんはあらたにゆきをうつこゑをつたふ 蜀茶 ( しよくちや ) 漸 ( やうや )く 浮花 ( ふくわ )の 味 ( あぢは )ひを 忘 ( わす )れ、 楚練 ( それん )は 新 ( あら )たに 雪 ( ゆき )を 擣 ( う )つ 声 ( こゑ )を 伝 ( つた )ふ。 蜀茶漸忘浮花味。 楚練新伝擣雪声。 暑往寒来詩 大江音人或源相規 新拾遺 うづらなくいはれののべのあき萩を おもふ人ともみつるけふかな 丹後国人 秋 ( あき )はなほゆふまぐれこそたゞならね をぎのうはかぜはぎのした露 藤原義孝 秋晩 ( しうばん ) あひおもひてゆふべにしようだいにのぼりてたてば、 きり 〳 〵すのおもひせみのこゑみゝにみてるあきなり 相思 ( あひおも )ひて 夕 ( ゆふべ )に 松台 ( しようだい )に 上 ( のぼ )りて 立 ( た )てば、 蛬 ( きり 〳 〵す )の 思 ( おも )ひ 蝉 ( せみ )の 声 ( こゑ ) 耳 ( みゝ )に 満 ( み )てる 秋 ( あき )なり 相思夕上松台立。 蛬思蝉声満耳秋。 題李十一東亭 白居易 やまをのぞめばゆうげつなほかげをかくせり、 みぎりにきけばひせんうたゝこゑをます、 山 ( やま )を 望 ( のぞ )めば 幽月 ( ゆうげつ )なほ 影 ( かげ )を 蔵 ( かく )せり、 砌 ( みぎり )に 聴 ( き )けば 飛泉 ( ひせん )うたゝ 声 ( こゑ )を 倍 ( ま )す、 望山幽月猶蔵影。 聴砌飛泉転倍声。 法輪寺口号 菅原文時 新古今 をぐらやまふもとののべのはなすすき ほのかにみゆるあきの夕ぐれ 紀貫之 秋夜 ( しうや ) あきのよはながし、よながくしてねむることなければてんもあけず、 かうかうたるのこりのともしびかべにそむけるかげ、 せう 〳 〵たるよるのあめはまどをうつこゑあり、 秋 ( あき )の 夜 ( よ )は 長 ( なが )し、 夜 ( よ ) 長 ( なが )くして 睡 ( ねむ )ることなければ 天 ( てん )も 明 ( あ )けず、 耿々 ( かうかう )たる 残 ( のこ )りの 燈 ( ともしび ) 壁 ( かべ )に 背 ( そむ )ける 影 ( かげ )、 蕭々 ( せう 〳 〵 )たる 暗 ( よる )の 雨 ( あめ )は 窓 ( まど )を 打 ( う )つ 声 ( こゑ )あり、 秋夜長。 夜長無睡天不明。 耿耿残燈背壁影。 蕭蕭暗雨打窓声。 上陽白髪人 白居易 ちちたるしようろうはじめてながきよ、 かうかうたるせいかあけなんとほつするてん 遅々 ( ちち )たる 鐘漏 ( しようろう ) 初 ( はじ )めて 長 ( なが )き 夜 ( よ )、 耿々 ( かうかう )たる 星河 ( せいか ) 曙 ( あ )けなんと 欲 ( ほつ )する 天 ( てん )。 遅遅鐘漏初長夜。 耿耿星河欲曙天。 長恨歌 白居易 えんしろうのうちさうげつのよ、 あききたりてはたゞいちにんのためにながし、 燕子楼 ( えんしろう )の 中 ( うち ) 霜月 ( さうげつ )の 夜 ( よ )、 秋 ( あき ) 来 ( きた )りてはたゞ 一人 ( いちにん )のために 長 ( なが )し、 燕子楼中霜月夜。 秋来只為一人長。 燕子楼 白居易 まんさうつゆふかしひとしづまりてのち、 よもすがらくもつきぬつきのあきらかなるまへ、 蔓草 ( まんさう ) 露 ( つゆ ) 深 ( ふか )し 人 ( ひと ) 定 ( しづ )まりて 後 ( のち )、 終宵 ( よもすがら ) 雲 ( くも ) 尽 ( つ )きぬ 月 ( つき )の 明 ( あき )らかなる 前 ( まへ )、 蔓草露深人定後。 終霄雲尽月明前。 秋夜詣祖廟詩 小野篁 けんかしうのうちのこしうのゆめ、 ゆりうえいのほとりばんりのこゝろ、 蒹葭州 ( けんかしう )の 裏 ( うち )の 孤舟 ( こしう )の 夢 ( ゆめ )、 楡柳営 ( ゆりうえい )の 頭 ( ほとり ) 万里 ( ばんり )の 心 ( こゝろ )、 蒹葭州裏孤舟夢。 楡柳営頭万里心。 秋夜雨 紀斎名 拾遺 あしびきのやまどりのをのしだりをの なが 〳 〵しよをひとりかもねん 柿本人丸 古今 むつごともまだつきなくにあけにけり いづらはあきのながしてふよは 凡河内躬恒 八月十五夜 ( はちぐわつじふごや ) 付月 しんてんのいつせんより、りん 〳 〵としてこほりしけり、 かんかのさんじふろくきう、ちようちようとしてふんをかざれり、 秦甸 ( しんてん )の 一千余里 ( いつせんより )、 凛々 ( りん 〳 〵 )として 氷 ( こほり ) 鋪 ( し )けり、 漢家 ( かんか )の 三十六宮 ( さんじふろくきう )、 澄澄 ( ちようちよう )として 粉 ( ふん )を 餝 ( かざ )れり、 秦甸之一千余里。 凛凜氷鋪。 漢家之三十六宮。 澄澄粉餝。 長安十五夜人賦 公乗億 にしきをおるはたのうちにすでにさうしのじをわきまへ、 ころもをうつきぬたのうへににはかにえんべつのこゑをそふ、 錦 ( にしき )を 織 ( お )る 機 ( はた )の 中 ( うち )にすでに 相思 ( さうし )の 字 ( じ )を 弁 ( わきま )へ、 衣 ( ころも )を 擣 ( う )つ 砧 ( きぬた )の 上 ( うへ )に 俄 ( にはか )に 怨別 ( えんべつ )の 声 ( こゑ )を 添 ( そ )ふ、 織錦機中已弁相思之字。 擣衣砧上俄添怨別之声。 同上 公乗億 さんごやちうのしんげつのいろ、 にせんりのほかのこじんのこころ、 三五夜中 ( さんごやちう )の 新月 ( しんげつ )の 色 ( いろ )、 二千里 ( にせんり )の 外 ( ほか )の 故人 ( こじん )の 心 ( こころ )、 三五夜中新月色。 二千里外故人心。 八月十五日夜禁中猶直対月憶元九 白居易 すうざんのへうりせんちやうのゆき、 らくすゐのかうていりやうくわのたま 嵩山 ( すうざん )の 表裏 ( へうり ) 千重 ( せんちやう )の 雪 ( ゆき )、 洛水 ( らくすゐ )の 高低 ( かうてい ) 両顆 ( りやうくわ )の 珠 ( たま ) 嵩山表裏千重雪。 洛水高低両顆珠。 八月十五日夜翫月 同 じふにくわいのうちにこのゆふべのよきにまさるはなし、 せんまんりのほかにみなわがいへのひかりをあらそふ 十二廻 ( じふにくわい )の 中 ( うち )にこの 夕 ( ゆふべ )の 好 ( よ )きに 勝 ( まさ )るは 無 ( な )し、 千万里 ( せんまんり )の 外 ( ほか )に 皆 ( みな )わが 家 ( いへ )の 光 ( ひかり )を 争 ( あらそ )ふ 十二廻中無勝於此夕之好。 千万里外皆争於吾家之光。 天高秋月明房 紀長谷雄 へきらうきんぱはさんごのはじめ、 あきのかぜけいくわいしてくうきよににたり 碧浪 ( へきらう ) 金波 ( きんぱ )は 三五 ( さんご )の 初 ( はじめ )、 秋 ( あき )の 風 ( かぜ ) 計会 ( けいくわい )して 空虚 ( くうきよ )に 似 ( に )たり。 碧浪金波三五初。 秋風計会似空虚。 月影満秋池詩 菅原淳茂 みづからうたがふかえふはしもをこらしてはやきことを、 ひとはいふろくわのあめをすごしてあまれるかと、 自 ( みづか )ら 疑 ( うたが )ふ 荷葉 ( かえふ )は 霜 ( しも )を 凝 ( こ )らして 早 ( はや )きことを、 人 ( ひと )は 道 ( い )ふ 蘆花 ( ろくわ )の 雨 ( あめ )を 過 ( す )ごして 余 ( あま )れるかと、 自疑荷葉凝霜早。 人道蘆花遇雨余。 同 同 きししろくかへりてしようじやうのつるにまよひ、 ふちとほりてはさうちうのうををかぞふべし、 岸 ( きし ) 白 ( しろ )く 還 ( かへ )りて 松上 ( しようじやう )の 鶴 ( つる )に 迷 ( まよ )ひ、 潭 ( ふち ) 融 ( とほ )りては 藻中 ( さうちう )の 魚 ( うを )を 算 ( かぞ )ふべし、 岸白還迷松上鶴。 潭融可弄藻中魚。 同 同 えうちはすなはちこれよのつねのな、 このよのせいめいはたまもしかじ 瑶池 ( えうち )はすなはちこれ 尋常 ( よのつね )の 号 ( な )、 此夜 ( このよ )の 清明 ( せいめい )は 玉 ( たま )も 如 ( し )かじ 瑶池便是尋常号。 此夜清明玉不如。 同 同 きんかういつてきしうふうのつゆ、 ぎよくかうさんかうれいかんのくも、 金膏 ( きんかう ) 一滴 ( いつてき ) 秋風 ( しうふう )の 露 ( つゆ )、 玉匣 ( ぎよくかう ) 三更 ( さんかう ) 冷漢 ( れいかん )の 雲 ( くも )、 金膏一滴秋風露。 玉匣三更冷漢雲。 満月明如鏡 菅原文時 やうきひかへりてたうていのおもひ、 りふじんさりてかんわうのこゝろ、 楊貴妃 ( やうきひ ) 帰 ( かへ )りて 唐帝 ( たうてい )の 思 ( おもひ )、 李夫人 ( りふじん ) 去 ( さ )りて 漢皇 ( かんわう )の 情 ( こゝろ )、 楊貴妃帰唐帝思。 李夫人去漢皇情。 対雨恋月 源順 拾遺 みづのおもにてる月なみをかぞふれば こよひぞあきのもなかなりける 源順 月 ( つき ) たれびとかろうぐわいにひさしくせいじうする、 いづれのところのていぜんにかあらたにべつりする、 誰人 ( たれびと )か 隴外 ( ろうぐわい )に 久 ( ひさ )しく 征戍 ( せいじう )する、 何 ( いづ )れの 処 ( ところ )の 庭前 ( ていぜん )にか 新 ( あら )たに 別離 ( べつり )する、 誰人隴外久征戍。 何処庭前新別離。 秋月 白居易 あきのみづみなぎりきたりてふねのさることすみやかなり、 よるのくもをさまりつくしてつきのゆくことおそし、 秋 ( あき )の 水 ( みづ ) 漲 ( みなぎ )り 来 ( きた )りて 船 ( ふね )の 去 ( さ )ること 速 ( すみや )かなり、 夜 ( よる )の 雲 ( くも ) 収 ( をさ )まり 尽 ( つ )くして 月 ( つき )の 行 ( ゆ )くこと 遅 ( おそ )し、 秋水漲来船去速。 夜雲収尽月行遅。 汴水東帰即事 郢展 きんちうにゑはざればいかでかさることをゑん、 まゐざんのつきはまさにさう 〳 〵たり、 黔中 ( きんちう )に 酔 ( ゑ )はざればいかでか 去 ( さ )ることを 得 ( ゑ )ん、 磨囲山 ( まゐざん )の 月 ( つき )は 正 ( まさ )に 蒼々 ( さう 〳 〵 )たり、 不酔黔中争去得。 磨囲山月正蒼々。 送蕭処士遊黔南 白居易 てんさんにわきまへずいづれのとしのゆきぞ、 がふほにはまさにまよひぬべしきうじつのたまに、 天山 ( てんさん )に 弁 ( わきま )へず 何 ( いづ )れの 年 ( とし )の 雪 ( ゆき )ぞ、 合浦 ( がふほ )にはまさに 迷 ( まよ )ひぬべし 旧日 ( きうじつ )の 珠 ( たま )に、 天山不弁何年雪。 合浦応迷旧日珠。 禁庭翫月 三統理平 ほうれいのかねのこゑにくわせんとほつするやいなや、 それくわていのつるのいましめをいかん、 豊嶺 ( ほうれい )の 鐘 ( かね )の 声 ( こゑ )に 和 ( くわ )せんと 欲 ( ほつ )するや 否 ( いな )や、 それ 華亭 ( くわてい )の 鶴 ( つる )の 警 ( いまし )めを 奈何 ( いかん )、 欲和豊嶺鐘声否。 其奈華亭鶴警何。 夜月似秋霜 兼明親王 きやうるゐすうかうせいじうのきやく、 たうかいつきよくてうぎよのおきな 郷涙 ( きやうるゐ ) 数行 ( すうかう ) 征戍 ( せいじう )の 客 ( きやく )、 棹歌 ( たうか ) 一曲 ( いつきよく ) 釣漁 ( てうぎよ )の 翁 ( おきな ) 郷涙数行征戍客。 棹歌一曲釣漁翁。 山川千里月 慶滋保胤 古今 あまのはらふりさけみればかすがなる みかさの山にいでし月かも 安倍仲満 古今 しら雲にはねうちかはしとぶかりの かずさへみゆるあきのよの月 凡河内躬恒 拾遺 世にふればものおもふとしはなけれども 月にいくたびながめしつらん 具平親王 九日 ( ここのか ) 付菊 つばめはしやじつをしりてすをじしさる、 きくはちようやうのためにあめをおかしてひらく、 燕 ( つばめ )は 社日 ( しやじつ )を 知 ( し )りて 巣 ( す )を 辞 ( じ )し 去 ( さ )る、 菊 ( きく )は 重陽 ( ちようやう )のために 雨 ( あめ )を 冒 ( おか )して 開 ( ひら )く、 燕知社日辞巣去。 菊為重陽冒雨開。 秋日東郊作 皇甫冉 こじをかんぶにとれば、 すなはちせきゆをきうじんのころもにさしはさむ、 きうせきをぎぶんにたづぬれば、 またくわうくわはうそがじゆつをたすく 故事 ( こじ )を 漢武 ( かんぶ )に 採 ( と )れば、 すなはち 赤萸 ( せきゆ )を 宮人 ( きうじん )の 衣 ( ころも )に 挿 ( さしはさ )む、 旧跡 ( きうせき )を 魏文 ( ぎぶん )に 尋 ( たづ )ぬれば、 また 黄花 ( くわうくわ ) 彭祖 ( はうそ )が 術 ( じゆつ )を 助 ( たす )く 採故事於漢武。 則赤萸挿宮人之衣。 尋旧跡於魏文。 亦黄花助彭祖之術。 視賜群臣菊花詩序 紀長谷雄 さんちにさきだちてそのはなをふけば、 あかつきのほしのかかんにてんずるがごとし、 じふぶんにひかへてそのいろをうごかせば、 あきのゆきのらくせんにめぐるかとうたがふ、 三遅 ( さんち )に 先 ( さき )だちてその 花 ( はな )を 吹 ( ふ )けば、 暁 ( あかつき )の 星 ( ほし )の 河漢 ( かかん )に 転 ( てん )ずるがごとし、 十分 ( じふぶん )に 引 ( ひか )へてその 彩 ( いろ )を 蕩 ( うごか )せば、 秋 ( あき )の 雪 ( ゆき )の 洛川 ( らくせん )に 廻 ( めぐ )るかと 疑 ( うたが )ふ、 先三遅兮吹其花。 如暁星之転河漢。 引十分兮蕩其彩。 疑秋雪之廻洛川。 たにのみづにはなをあらへば、 かりうをくみてじやうじゆをえたるもの、さんじふよか ちみやくにあぢをくわすれば、 につせいをくらひてねんがんをとゞめしもの、ごひやくかせい、 谷 ( たに )の 水 ( みづ )に 花 ( はな )を 洗 ( あら )へば、 下流 ( かりう )を 汲 ( く )みて 上寿 ( じやうじゆ )を 得 ( え )たる 者 ( もの )、 三十余家 ( さんじふよか ) 地脈 ( ちみやく )に 味 ( あぢ )を 和 ( くわ )すれば、 日精 ( につせい )を 喰 ( くら )ひて 年顔 ( ねんがん )を 駐 ( とゞ )めし 者 ( もの )、 五百箇歳 ( ごひやくかせい )、 谷水洗花。 汲下流而得上寿者。 三十余家。 地脈和味。 喰日精而駐年顔者。 五百箇歳。 同 同 拾遺 わがやどのきくのしら露けふごとに いく代つもりてふちとなるらん 清原元輔 菊 ( きく ) さうほうのらうびんはさんぶんしろし、 ろきくのしんくわはいつぱんなり 霜蓬 ( さうほう )の 老鬢 ( らうびん )は 三分 ( さんぶん ) 白 ( しろ )し、 露菊 ( ろきく )の 新花 ( しんくわ )は 一半 ( いつぱん ) 黄 ( き )なり 霜蓬老鬢三分白。 露菊新花一半黄。 九月八日酬皇甫十見贈 白居易 これはなのうちにひとへにきくをあいするにはあらず、 このはなひらきてのちさらにはななければなり、 これ 花 ( はな )の 中 ( うち )に 偏 ( ひとへ )に 菊 ( きく )を 愛 ( あい )するにはあらず、 この 花 ( はな ) 開 ( ひら )きて 後 ( のち ) 更 ( さら )に 花 ( はな ) 無 ( な )ければなり、 不是花中偏愛菊。 此花開後更無花。 十日菊花 元稹 らんいんくれなんとほつす、 しようはくののちにしぼまんことをちぎる、 しうけいはやくうつりて、 しらんのまづやぶるることをあざける、 嵐陰 ( らんいん ) 暮 ( く )れなんと 欲 ( ほつ )す、 松柏 ( しようはく )の 後 ( のち )に 凋 ( しぼ )まんことを 契 ( ちぎ )る、 秋景 ( しうけい ) 早 ( はや )く 移 ( うつ )りて、 芝蘭 ( しらん )の 先 ( ま )づ 敗 ( やぶ )るることを 嘲 ( あざけ )る、 嵐陰欲暮。 契松柏之後凋。 秋景早移。 嘲芝蘭之先敗。 翫禁庭残菊 紀長谷雄 れきけんのそんりよはみなをくをうるほす、 たうかのじしはだうにほとりせず、 酈県 ( れきけん )の 村閭 ( そんりよ )は 皆 ( みな ) 屋 ( をく )を 潤 ( うるほ )す、 陶家 ( たうか )の 児子 ( じし )は 堂 ( だう )に 垂 ( ほとり )せず、 酈県村閭皆潤屋。 陶家児子不垂堂。 らんゑんにはみづからぞくこつたることをはぢ、 きんりにはちやうせいあることをしんぜず、 蘭苑 ( らんゑん )には 自 ( みづか )ら 俗骨 ( ぞくこつ )たることを 慙 ( は )ぢ、 槿籬 ( きんり )には 長生 ( ちやうせい )あることを 信 ( しん )ぜず、 蘭苑自慙為俗骨。 槿籬不信有長生。 菊見草中仙 慶滋保胤 らんけいゑんのあらしむらさきをくだきてのち、 ほうらいどうのつきしものてらすうち、 蘭蕙苑 ( らんけいゑん )の 嵐 ( あらし ) 紫 ( むらさき )を 摧 ( くだ )きて 後 ( のち )、 蓬莱洞 ( ほうらいどう )の 月 ( つき ) 霜 ( しも )の 照 ( てら )す 中 ( うち )、 蘭蕙苑嵐摧紫後。 蓬莱洞月照霜中。 花寒菊点裳 菅原文時 古今 ひさかたの雲のうへにて見るきくは あまつほしとぞあやまたれける 藤原敏行 古今 こころあてにをらばやをらんはつしもの おきまどはせるしらぎくの花 凡河内躬恒 九月尽 ( くぐわつじん ) たとひかうかんをもつてかためとなすとも、 せうひつをうんくにとゞめがたし、 たとひまうふんをしておはしむとも、 なんぞさうらいをふうきやうにさへぎらんや、 たとひ 崤函 ( かうかん )をもつて 固 ( かた )めとなすとも、 蕭瑟 ( せうひつ )を 雲衢 ( うんく )に 留 ( とゞ )め 難 ( がた )し、 たとひ 孟賁 ( まうふん )をして 追 ( お )はしむとも、 何 ( なん )ぞ 爽籟 ( さうらい )を 風境 ( ふうきやう )に 遮 ( さへぎ )らんや、 縱以崤函為固。 難留蕭瑟於雲衢。 縱命孟賁而追。 何遮爽籟於風境。 山寺惜秋序 源順 とうもくはたとひぜんきやくのこはんにしたがふとも、 あきをもつてせよせんことはなはだかたかるべし 頭目 ( とうもく )はたとひ 禅客 ( ぜんきやく )の 乞 ( こ )はんに 随 ( したが )ふとも、 秋 ( あき )をもつて 施与 ( せよ )せんことはなはだ 難 ( かた )かるべし 頭目縱随禅客乞。 以秋施与太応難。 同 同 ぶんぽうにくつわづらをあんずはくくのかげ、 しかいにふねをふなよそほひすこうえふのこゑ、 文峯 ( ぶんぽう )に 轡 ( くつわづら )を 案 ( あん )ず 白駒 ( はくく )の 景 ( かげ )、 詞海 ( しかい )に 舟 ( ふね )を 艤 ( ふなよそほひ )す 紅葉 ( こうえふ )の 声 ( こゑ )、 文峯案轡白駒景。 詞海艤舟紅葉声。 秋未出詩境 大江以言 風雅 山 ( やま )さびしあきもくれぬとつぐるかも まきの葉ごとにおけるはつしも 大江千里 くれてゆくあきのかたみにおくものは わがもとゆひの霜にぞありける 平兼盛 女郎花 ( をみなべし ) はなのいろはむせるあはのごとし、ぞくよびてぢよらうとなす、 なをききてたはむれにかいらうをちぎらむとほつすれば おそらくはすゐおうのかうべしもににたるをにくまむことを 花 ( はな )の 色 ( いろ )は 蒸 ( む )せる 粟 ( あは )のごとし、 俗 ( ぞく ) 呼 ( よ )びて 女郎 ( ぢよらう )となす、 名 ( な )を 聞 ( き )きて 戯 ( たはむ )れに 偕老 ( かいらう )を 契 ( ちぎ )らむと 欲 ( ほつ )すれば 恐 ( おそ )らくは 衰翁 ( すゐおう )の 首 ( かうべ ) 霜 ( しも )に 似 ( に )たるを 悪 ( にく )まむことを 花色如蒸粟。 俗呼為女郎。 聞名戯欲契偕老。 恐悪衰翁首似霜。 詠女郎花 源順 古今 をみなへしおほかる野辺にやどりせば あやなくあだの名をやたたまし 小野良材 新古今 をみなへしみるにこころはなぐさまで いとどむかしのあきぞ恋しき 藤原実頼 萩 ( はぎ ) あかつきのつゆにしかないてはなはじめてひらく、 もゝたびよぢをるいちじのこゝろ 暁 ( あかつき )の 露 ( つゆ )に 鹿 ( しか ) 鳴 ( な )いて 花 ( はな ) 始 ( はじ )めて 発 ( ひら )く、 百 ( もゝ )たび 攀 ( よ )ぢ 折 ( を )る 一時 ( いちじ )の 情 ( こゝろ ) 暁露鹿鳴花始発。 百般攀折一時情。 新撰万葉絶句詩 菅原道真 拾遺 あきののにはぎかるをのこなはをなみ ねるやねりそのくだけてぞおもふ 柿本人麿 拾遺 うつろはんことだにをしきあきはぎを をれるばかりにおける露かな 伊勢 家集 あきのののはぎのにしきをふるさとに しかの音ながらうつしてしがな 清原元輔 蘭 ( ふぢばかま ) ぜんとうにはさらにせうでうたるものあり、 らうきくすゐらんさんりやうのくさむら 前頭 ( ぜんとう )には 更 ( さら )に 蕭条 ( せうでう )たる 物 ( もの )あり、 老菊 ( らうきく ) 衰蘭 ( すゐらん ) 三両 ( さんりやう )の 叢 ( くさむら ) 前頭更有蕭条物。 老菊衰蘭三両叢。 抄秋独夜 白居易 ふさうあにかげなからんや、ふうんおほひてたちまちくらし そうらんあにかうばしからざらんや、しうふうふきてまづやぶる、 扶桑 ( ふさう )あに 影 ( かげ ) 無 ( な )からんや、 浮雲 ( ふうん ) 掩 ( おほ )ひて 忽 ( たちま )ち 昏 ( くら )し 叢蘭 ( そうらん )あに 芳 ( かうば )しからざらんや、 秋風 ( しうふう ) 吹 ( ふ )きて 先 ( ま )づ 敗 ( やぶ )る、 扶桑豈無影乎。 浮雲掩而忽昏。 叢蘭豈不芳乎。 秋風吹而先敗。 菟裘賦 兼明親王 こりてはかんぢよのかほにべにをほどこすがごとし、 したゝりてはかうじんのまなこにたまをなくににたり、 凝 ( こ )りては 漢女 ( かんぢよ )の 顔 ( かほ )に 粉 ( べに )を 施 ( ほどこ )すがごとし、 滴 ( したゝ )りては 鮫人 ( かうじん )の 眼 ( まなこ )に 珠 ( たま )を 泣 ( な )くに 似 ( に )たり、 凝如漢女顔施粉。 滴似鮫人眼泣珠。 紅蘭受露 都良香 きよくおどろきてはそきやくのあきのことのかうばし、 ゆめたえてはえんきがあかつきのまくらにくんず 曲 ( きよく ) 驚 ( おどろ )きては 楚客 ( そきやく )の 秋 ( あき )の 絃 ( こと )の 馥 ( かうば )し、 夢 ( ゆめ ) 断 ( た )えては 燕姫 ( えんき )が 暁 ( あかつき )の 枕 ( まくら )に 薫 ( くん )ず 曲驚楚客秋絃馥。 夢断燕姫暁枕薫。 蘭気入軽風 橘直幹 古今 ぬししらぬ香はにほひつつあきののに たがぬききかけしふぢばかまぞも 素性法師 槿 ( あさがほ ) しようじゆせんねんつひにこれくつ、 きんくわいちにちおのづからえいをなせり、 松樹 ( しようじゆ ) 千年 ( せんねん ) 終 ( つひ )にこれ 朽 ( く )つ、 槿花 ( きんくわ ) 一日 ( いちにち )おのづから 栄 ( えい )をなせり、 松樹千年終是朽。 槿花一日自為栄。 放言詩 白居易 きたりてとゞまらず、かいろうにあしたのつゆをはらふあり、 さりてかへらず、きんりにくれにいたるはななし、 来 ( きた )りて 留 ( とゞ )まらず、 薤瓏 ( かいろう )に 晨 ( あした )の 露 ( つゆ )を 払 ( はら )ふあり、 去 ( さ )りて 返 ( かへ )らず、 槿籬 ( きんり )に 暮 ( くれ )に 投 ( いた )る 花 ( はな )なし 来而不留。 薤瓏有払晨之露。 去而不返。 槿籬無投暮之花。 無常句 兼明親王 新勅撰 おぼつかなたれとかしらむあきぎりの たえまにみゆるあさがほのはな 藤原道信 拾遺 あさがほを何かなしとおもふらん 人をもはなはさこそみるらめ 藤原道信 前栽 ( せんざい ) おほくはなをうゑてめをよろこばしむるともがらをみれば、 ときにさきだちあらかじめやしなひてひらくをまちてあそぶ 多 ( おほ )く 花 ( はな )を 栽 ( う )ゑて 目 ( め )を 悦 ( よろこ )ばしむる 儔 ( ともがら )を 見 ( み )れば、 時 ( とき )に 先 ( さき )だち 予 ( あらかじ )め 養 ( やしな )ひて 開 ( ひら )くを 待 ( ま )ちて 遊 ( あそ )ぶ 多見栽花悦目儔。 先時予養待開遊。 栽秋花 菅原文時 われかんじやくにしてかどうのうみたるより、 はるのきははるうゑあきのくさはあきなり、 吾 ( われ ) 閑寂 ( かんじやく )にして 家僮 ( かどう )の 倦 ( う )みたるより、 春 ( はる )の 樹 ( き )は 春 ( はる ) 栽 ( う )ゑ 秋 ( あき )の 草 ( くさ )は 秋 ( あき )なり、 自吾閑寂家僮倦。 春樹春栽秋草秋。 同 同 しづかになんぢがはなのくれなゐならんひをみんとおもへば、 まさにこれわがびんのしろからんときにあたれり、 閑 ( しづ )かに 汝 ( なんぢ )が 花 ( はな )の 紅 ( くれなゐ )ならん 日 ( ひ )を 看 ( み )んと 思 ( おも )へば、 正 ( まさ )にこれ 吾 ( わ )が 鬢 ( びん )の 白 ( しろ )からん 時 ( とき )に 当 ( あた )れり、 閑思看汝花紅日。 正是当吾鬢白時。 初植花樹詩 慶滋保胤 かつてううるところにげんりやうをおもふにあらず、 このはなのときにせそんにたてまつらんがためなり かつて 種 ( う )うる 処 ( ところ )に 元亮 ( げんりやう )を 思 ( おも )ふにあらず、 この 花 ( はな )の 時 ( とき )に 世尊 ( せそん )に 供 ( たてまつ )らんがためなり 曾非種処思元亮。 為是花時供世尊。 菅原道真 古今 ちりをだにすゑじとぞおもふうゑしより いもとわがぬるとこなつのはな 凡河内躬恒 はなによりものをぞおもふ白露の おくにもいかがあ(な)らんとすらん 作者不詳 紅葉 ( こうえふ ) 附落葉 たへずこうえふせいたいのち、またこれりやうふうぼうのてん、 堪 ( た )へず 紅葉 ( こうえふ ) 青苔 ( せいたい )の 地 ( ち )、 又 ( また )これ 涼風 ( りやうふう ) 暮雨 ( ぼう )の 天 ( てん )、 不堪紅葉青苔地。 又是涼風暮雨天。 秋雨中贈元九 白居易 くわうかうけつのはやしはさむくしてはあり、 へきるりのみづはきよくしてかぜなし、 黄纐纈 ( くわうかうけつ )の 林 ( はやし )は 寒 ( さむ )くして 葉 ( は )あり、 碧瑠璃 ( へきるり )の 水 ( みづ )は 浄 ( きよ )くして 風 ( かぜ )なし、 黄纐纈林寒有葉。 碧瑠璃水浄無風。 泛太湖書事寄微之 同 どうちゆうはせいせんたりるりのみづ、ていじやうせうでうたりきんしうのはやし、 洞中 ( どうちゆう )は 清浅 ( せいせん )たり 瑠璃 ( るり )の 水 ( みづ )、 庭上 ( ていじやう ) 蕭条 ( せうでう )たり 錦繍 ( きんしう )の 林 ( はやし )、 洞中清浅瑠璃水。 庭上蕭条錦繍林。 翫頭池紅葉 慶滋保胤 ぐわいぶつのひとりさめたるはしようかんのいろ、 よはのがふりきはきんこうのこゑ 外物 ( ぐわいぶつ )の 独 ( ひと )り 醒 ( さ )めたるは 松澗 ( しようかん )の 色 ( いろ )、 余波 ( よは )の 合力 ( がふりき )は 錦江 ( きんこう )の 声 ( こゑ ) 外物独醒松澗色。 余波合力錦江声。 山水唯紅葉 大江以言 家集 しらつゆもしぐれもいたくもる山は した葉のこらずもみぢしにけり 紀貫之 むら 〳 〵のにしきとぞみるさほ山の ははそのもみぢきりたたぬまは 藤原清正 落葉 ( らくえふ ) さんしうにしてきうろうまさにながく、 くうかいにあめしたゝる、 ばんりにしてきやうゑんいづくにかある、 らくえふまどにふかし、 三秋 ( さんしう )にして 宮漏 ( きうろう ) 正 ( まさ )に 長 ( なが )く、 空階 ( くうかい )に 雨 ( あめ ) 滴 ( したゝ )る、 万里 ( ばんり )にして 郷園 ( きやうゑん )いづくにか 在 ( あ )る、 落葉 ( らくえふ ) 窓 ( まど )に 深 ( ふか )し、 三秋而宮漏正長。 空階雨滴。 万里而郷園何在。 落葉窓深。 愁賦 張読 あきのにはははらはずとうぢやうをたづさへて、 しづかにごとうのくわうえふをふみてゆく、 秋 ( あき )の 庭 ( には )は 掃 ( はら )はず 藤杖 ( とうぢやう )を 携 ( たづさ )へて、 閑 ( しづ )かに 梧桐 ( ごとう )の 黄葉 ( くわうえふ )を 踏 ( ふ )みて 行 ( ゆ )く、 秋庭不掃携藤杖。 閑踏梧桐黄葉行。 晩秋閑居 白居易 じやうりうきゆうくわいみだりにえうらくすれども、 あきのかなしみはきじんのこゝろにいたらず 城柳 ( じやうりう ) 宮槐 ( きゆうくわい ) 漫 ( みだ )りに 揺落 ( えうらく )すれども、 秋 ( あき )の 悲 ( かな )しみは 貴人 ( きじん )の 心 ( こゝろ )に 到 ( いた )らず 城柳宮槐漫揺落。 愁悲不到貴人心。 早入皇城送王留守僕射 白居易 ごしうのかげのうちに、いつせいのあめむなしくそゝぐ、 しやこのせなかのうへに、すうへんのこうわづかにのこれり、 梧楸 ( ごしう )の 影 ( かげ )の 中 ( うち )に、 一声 ( いつせい )の 雨 ( あめ ) 空 ( むな )しく 灑 ( そゝ )ぐ、 鷓鴣 ( しやこ )の 背 ( せなか )の 上 ( うへ )に、 数片 ( すうへん )の 紅 ( こう )わづかに 残 ( のこ )れり、 梧楸影中。 一声之雨空灑。 鷓鴣背上。 数片之紅纔残。 葉落風枝疎詩序 源順 せうそわうへんして、つゑしゆばいしんがころもをうがつ、 いんいついういう、くつかつちせんのくすりをふむ、 樵蘇 ( せうそ ) 往反 ( わうへん )して、 杖 ( つゑ ) 朱買臣 ( しゆばいしん )が 衣 ( ころも )を 穿 ( うが )つ、 隠逸 ( いんいつ ) 優遊 ( いういう )、 履 ( くつ ) 葛稚仙 ( かつちせん )の 薬 ( くすり )を 踏 ( ふ )む、 樵蘇往反。 杖穿朱買臣之衣。 隠逸優遊。 履踏葛稚仙之薬。 落葉満山中路序 高階相如 あらしにしたがふらくえふせうしつをふくめり、 いしにそそぐひせんはがきんをろうす、 嵐 ( あらし )に 随 ( したが )ふ 落葉 ( らくえふ ) 蕭瑟 ( せうしつ )を 含 ( ふく )めり、 石 ( いし )に 濺 ( そそ )ぐ 飛泉 ( ひせん )は 雅琴 ( がきん )を 弄 ( ろう )す、 随嵐落葉含蕭瑟。 濺石飛泉弄雅琴。 秋色変山水 源順 よをおひてひかりおほしごゑんのつき、 あさなごとにこゑすくなしかんりんのかぜ、 夜 ( よ )を 逐 ( お )ひて 光 ( ひかり ) 多 ( おほ )し 呉苑 ( ごゑん )の 月 ( つき )、 朝 ( あさな )ごとに 声 ( こゑ ) 少 ( すくな )し 漢林 ( かんりん )の 風 ( かぜ )、 逐夜光多呉苑月。 毎朝声少漢林風。 松葉随日落 具平親王 新古今 あすか川もみぢ葉ながるかつらぎの やまのあきかぜふきぞしぬらし 柿本人丸 後撰 神なづきしぐれとともにかみなびの もりのこの葉はふりにこそふれ 紀貫之 古今 みる人もなくてちりぬるおくやまの もみぢはよるのにしきなりけり 同 雁 ( かり ) 付帰雁 ばんりひとみなみにさる、さんしゆんがんきたにとぶ、 しらずいづれのさいげつか、なんぢとおなじくかへることをえん、 万里 ( ばんり ) 人 ( ひと ) 南 ( みなみ )に 去 ( さ )る、 三春 ( さんしゆん ) 雁 ( がん ) 北 ( きた )に 飛 ( と )ぶ、 知 ( し )らず 何 ( いづ )れの 歳月 ( さいげつ )か、 汝 ( なんぢ )と 同 ( おな )じく 帰 ( かへ )ることを 得 ( え )ん、 万里人南去。 三春鴈北飛。 不知何歳月。 得与汝同帰。 南中詠雁 白居易 じんやうのこうのいろはしほそへてみち、 はうれいのあきのこゑはがんひききたる、 潯陽 ( じんやう )の 江 ( こう )の 色 ( いろ )は 潮 ( しほ ) 添 ( そ )へて 満 ( み )ち、 彭蠡 ( はうれい )の 秋 ( あき )の 声 ( こゑ )は 雁 ( がん ) 引 ( ひ )き 来 ( きた )る、 潯陽江色潮添満。 彭蠡秋声鴈引来。 登江州清輝楼 劉禹錫 しごだのやまはあめによそほへるいろ、 りやうさんかうのがんはくもにてんずるこゑ、 四五朶 ( しごだ )の 山 ( やま )は 雨 ( あめ )に 粧 ( よそほ )へる 色 ( いろ )、 両三行 ( りやうさんかう )の 雁 ( がん )は 雲 ( くも )に 点 ( てん )ずる 声 ( こゑ ) 四五朶山粧雨色。 両三行鴈点雲声。 雋陽道中 杜筍鶴 きよきうさけがたし、いまだうたがひをじやうげんのつきのかかれるになげうたず、 ほんせんまよひやすし、なほあやまりをかりうのみづきふなるになす、 虚弓 ( きよきう ) 避 ( さ )け 難 ( がた )し、いまだ 疑 ( うたが )ひを 上弦 ( じやうげん )の 月 ( つき )の 懸 ( かか )れるに 抛 ( なげう )たず、 奔箭 ( ほんせん ) 迷 ( まよ )ひ 易 ( やす )し、なほ 誤 ( あやま )りを 下流 ( かりう )の 水 ( みづ ) 急 ( きふ )なるに 成 ( な )す、 虚弓難避。 未抛疑於上弦之月懸。 奔箭易迷。 猶成誤於下流之水急。 寒雁識秋天 大江朝綱 かりはへきらくにとびてせいしにしよし、 はやぶさはさうりんをうちてにしきのはたをやぶる、 雁 ( かり )は 碧落 ( へきらく )に 飛 ( と )びて 青紙 ( せいし )に 書 ( しよ )し、 隼 ( はやぶさ )は 霜林 ( さうりん )を 撃 ( う )ちて 錦 ( にしき )の 機 ( はた )を 破 ( やぶ )る 鴈飛碧落書青紙。 隼撃霜林破錦機。 秋暮傍山行 島田忠臣 へきぎよくのよそほへるしやうのことはななめにたてたることぢ、 せいたいのいろのかみにはすうかうのしよ 碧玉 ( へきぎよく )の 装 ( よそほ )へる 筝 ( しやうのこと )は 斜 ( ななめ )に 立 ( た )てたる 柱 ( ことぢ )、 青苔 ( せいたい )の 色 ( いろ )の 紙 ( かみ )には 数行 ( すうかう )の 書 ( しよ ) 碧玉装筝斜立柱。 青苔色紙数行書。 天浄識賓鴻 菅原文時 うんいははんしゆくがきちうのおくりもの、 ふうろはせうしやうのなみのうへのふね 雲衣 ( うんい )は 范叔 ( はんしゆく )が 羈中 ( きちう )の 贈 ( おくりもの )、 風櫓 ( ふうろ )は 瀟湘 ( せうしやう )の 浪 ( なみ )の 上 ( うへ )の 船 ( ふね ) 雲衣范叔羈中贈。 風櫓瀟湘浪上舟。 賓雁似故人 具平親王 古今 あきかぜにはつかりがねぞきこゆなる たがたまづさをかけてきつらん 紀友則 帰雁 さんようのきがんはなゝめにおびをひく、 すゐめんのしんこうはいまだきんをのべず、 山腰 ( さんよう )の 帰雁 ( きがん )は 斜 ( なゝめ )に 帯 ( おび )を 牽 ( ひ )く、 水面 ( すゐめん )の 新虹 ( しんこう )はいまだ 巾 ( きん )を 展 ( の )べず、 山腰帰鴈斜牽帯。 水面新虹未展巾。 春日閑居 都在中 古今 春がすみたつを見すててゆくかりは はななきさとにすみやならへる 伊勢 虫 ( むし ) せつせつたりあんさうのもと、 えう 〳 〵たるしんさうのうち、 あきのそらのしふのこゝろ、 あめのよのいうじんのみ、 切々 ( せつせつ )たり 暗窓 ( あんさう )の 下 ( もと )、 喓々 ( えう 〳 〵 )たる 深草 ( しんさう )の 裏 ( うち )、 秋 ( あき )の 天 ( そら )の 思婦 ( しふ )の 心 ( こゝろ )、 雨 ( あめ )の 夜 ( よ )の 幽人 ( いうじん ) 耳 ( のみ ) 切切暗窓下。 喓々深草裏。 秋天思婦心。 雨夜幽人耳。 秋虫 白居易 さうさうかれなんとほつしてむしのおもひねんごろなり、 ふうしいまださだまらずとりのすむことかたし、 霜草 ( さうさう ) 枯 ( か )れなんと 欲 ( ほつ )して 虫 ( むし )の 思 ( おも )ひ 苦 ( ねんごろ )なり、 風枝 ( ふうし )いまだ 定 ( さだ )まらず 鳥 ( とり )の 栖 ( す )むこと 難 ( かた )し、 霜草欲枯虫思苦。 風枝未定鳥栖難。 答夢得秋夜独座見贈 同 ゆかにはたんきやくをきらふきり 〴 〵すのこゑのかまびすし、 かべにはこうしんをいとふねずみのあなうがてり、 床 ( ゆか )には 短脚 ( たんきやく )を 嫌 ( きら )ふ 蛬 ( きり 〴 〵す )の 声 ( こゑ )の 閙 ( かまびす )し、 壁 ( かべ )には 空心 ( こうしん )を 厭 ( いと )ふ 鼠 ( ねずみ )の 孔 ( あな ) 穿 ( うが )てり、 床嫌短脚蛬声閙。 壁厭空心鼠孔穿。 秋夜 小野篁 さんくわんのあめのときなくことおのづからくらく、 やていのかぜのところおることなほさむし、 山館 ( さんくわん )の 雨 ( あめ )の 時 ( とき ) 鳴 ( な )くこと 自 ( おのづか )ら 暗 ( くら )く、 野亭 ( やてい )の 風 ( かぜ )の 処 ( ところ ) 織 ( お )ることなほ 寒 ( さむ )し、 山館雨時鳴自暗。 野亭風処織猶寒。 蛬声人微館 橘直幹 そうへんにうらみとほくしてかぜにききてくらく、 かべのもとにぎんかすかにしてつきいろさむし、 叢辺 ( そうへん )に 怨 ( うら )み 遠 ( とほ )くして 風 ( かぜ )に 聞 ( き )きて 暗 ( くら )く、 壁 ( かべ )の 底 ( もと )に 吟 ( ぎん ) 幽 ( かす )かにして 月 ( つき ) 色 ( いろ ) 寒 ( さむ )し、 叢辺怨遠風聞暗。 壁底吟幽月色寒。 同前題 源順 いまこんとたれたのめけんあきのよを あかしかねつつまつむしのなく(こゑイ) 或 大中臣能宣 読人不知 古今 きり 〴 〵すいたくななきそあきの夜の ながきうらみはわれぞまされる 素性法師或藤原忠房 鹿 ( しか ) さうたいみちなめらかにしてそうてらにかへり、 こうえふこゑかわきてしかはやしにあり、 蒼苔 ( さうたい ) 路 ( みち ) 滑 ( なめ )らかにして 僧 ( そう ) 寺 ( てら )に 帰 ( かへ )り、 紅葉 ( こうえふ ) 声 ( こゑ ) 乾 ( かわ )きて 鹿 ( しか ) 林 ( はやし )に 在 ( あ )り、 蒼苔路滑僧帰寺。 紅葉声乾鹿在林 宿雲林寺 温庭筠 あんにへいをくらふみのいろをしてへんぜしむ、 さらにくさにくはふるとくふうにしたがひきたる、 暗 ( あん )に 苹 ( へい )を 食 ( くら )ふ 身 ( み )の 色 ( いろ )をして 変 ( へん )ぜしむ、 更 ( さら )に 草 ( くさ )に 加 ( くは )ふる 徳風 ( とくふう )に 随 ( したが )ひ 来 ( きた )る、 暗遣食苹身色変。 更随加草徳風来。 観鎮西府献白鹿詩 紀長谷雄 拾遺 もみぢせぬときはの山にすむしかは おのれなきてや秋をしるらん 大中臣能宣 古今 ゆふづくよをぐらのやまになくしかの こゑのうちにやあきはくるらん 紀貫之 露 あはれむべしきふげつしよさんのよ、 つゆはしんじゆににたりつきはゆみににたり、 憐 ( あは )れむべし 九月 ( きふげつ ) 初三 ( しよさん )の 夜 ( よ )、 露 ( つゆ )は 真珠 ( しんじゆ )に 似 ( に )たり 月 ( つき )は 弓 ( ゆみ )に 似 ( に )たり、 可憐九月初三夜。 露似真珠月似弓。 暮江吟 白居易 つゆはらんそうにしたたりてかんぎよくしろし、 かぜしようえふをふくみてがきんすめり、 露 ( つゆ )は 蘭叢 ( らんそう )に 滴 ( したた )りて 寒玉 ( かんぎよく ) 白 ( しろ )し、 風 ( かぜ ) 松葉 ( しようえふ )を 銜 ( ふく )みて 雅琴 ( がきん ) 清 ( す )めり、 露滴蘭叢寒玉白。 風銜松葉雅琴清。 秋風颯然新 源英明 新古今 さをしかのあさたつをのの秋はぎに たまとみるまでおけるしらつゆ 大伴家持 霧 ( きり ) ちくむはあかつきにみねにふくむつきをこめたり、 ひんぷうはあたたかくしてこうをすぐるはるをおくる、 竹霧 ( ちくむ )は 暁 ( あかつき )に 嶺 ( みね )に 銜 ( ふく )む 月 ( つき )を 籠 ( こ )めたり、 蘋風 ( ひんぷう )は 暖 ( あたた )かくして 江 ( こう )を 過 ( す )ぐる 春 ( はる )を 送 ( おく )る、 竹霧暁籠銜嶺月。 蘋風暖送過江春。 庾楼暁望 白居易 せきむのひとのまくらをうづめんことをうれふといへども、 なほてううんのうまのくらよりいづることをあいす、 夕霧 ( せきむ )の 人 ( ひと )の 枕 ( まくら )を 埋 ( うづ )めんことを 愁 ( うれ )ふといへども、 なほ 朝雲 ( てううん )の 馬 ( うま )の 鞍 ( くら )より 出 ( い )づることを 愛 ( あい )す、 雖愁夕霧埋人枕。 猶愛朝雲出馬鞍。 山居秋晩 大江音人 拾遺 秋ぎりのふもとをこめてたちぬれば 空にぞ秋の山は見えける 清原深養父 古今 たがためのにしきなればかあきぎりの さほのやまべをたちかくすらん 友則 擣衣 ( たうい ) はちげつきうげつまさにながきよ、 せんせいばんせいやむときなし、 八月九月 ( はちげつきうげつ ) 正 ( まさ )に 長 ( なが )き 夜 ( よ )、 千声万声 ( せんせいばんせい ) 了 ( や )む 時 ( とき )なし、 八月九月正長夜。 千声万声無了時。 聞夜砧 白居易 たがいへのしふかあききぬをうつ、 つきさやかにかぜすさまじくしてちんしよかなしめり、 誰 ( た )が 家 ( いへ )の 思婦 ( しふ )か 秋 ( あき ) 帛 ( きぬ )を 擣 ( う )つ、 月 ( つき ) 苦 ( さや )かに 風 ( かぜ ) 凄 ( すさ )まじくして 砧杵 ( ちんしよ ) 悲 ( かな )しめり、 誰家思婦秋擣帛。 月苦風凄砧杵悲。 同 同 ほくとのほしのまへにりよがんよこたはり、 なんろうのつきのもとにはかんいをうつ、 北斗 ( ほくと )の 星 ( ほし )の 前 ( まへ )に 旅雁 ( りよがん ) 横 ( よこ )たはり、 南楼 ( なんろう )の 月 ( つき )の 下 ( もと )には 寒衣 ( かんい )を 擣 ( う )つ、 北斗星前横旅雁。 南楼月下擣寒衣。 同 劉元叔 うつところにはあかつきけいぐゑつのすさまじきことうれひ、 たちもちてはあきさいうんのかんによす、 擣 ( う )つ 処 ( ところ )には 暁 ( あかつき ) 閨月 ( けいぐゑつ )の 冷 ( すさま )じきこと 愁 ( うれ )ひ、 裁 ( た )ちもちては 秋 ( あき ) 塞雲 ( さいうん )の 寒 ( かん )に 寄 ( よ )す、 擣処暁愁閨月冷。 裁将秋寄塞雲寒。 風疎砧杵鳴 菅原篤茂 たちいだしてはかへりちやうたんせいにまよふ、 へんしうはさだめてむかしのえうゐならじ、 裁 ( た )ち 出 ( いだ )しては 還 ( かへ )り 長短 ( ちやうたん ) 製 ( せい )に 迷 ( まよ )ふ、 辺愁 ( へんしう )は 定 ( さだ )めて 昔 ( むかし )の 腰囲 ( えうゐ )ならじ、 裁出還迷長短製。 辺愁定不昔腰囲。 擣衣詩 橘直幹 かぜのもとにかとんでさうしうあがり、 つきのまへにしようらみてりやうびたれたり、 風 ( かぜ )の 底 ( もと )に 香 ( か ) 飛 ( と )んで 双袖 ( さうしう ) 挙 ( あが )り、 月 ( つき )の 前 ( まへ )に 杵 ( しよ ) 怨 ( うら )みて 両眉 ( りやうび ) 低 ( た )れたり、 風底香飛双袖挙。 月前杵怨両眉低。 擣衣詩 具平親王 ねん 〳 〵のわかれのおもひはあきのかりにおどろく、 よな 〳 〵のかすかなるこゑあかつきのにはとりにいたる、 年々 ( ねん 〳 〵 )の 別 ( わか )れの 思 ( おも )ひは 秋 ( あき )の 雁 ( かり )に 驚 ( おどろ )く、 夜々 ( よな 〳 〵 )の 幽 ( かす )かなる 声 ( こゑ )は 暁 ( あかつき )の 鶏 ( にはとり )に 到 ( いた )る、 年年別思驚秋雁。 夜夜幽声到暁鶏。 同 同 新勅撰 からごろもうつこゑきけば月きよみ まだねぬ人をさらにしるかな 紀貫之 冬 ( ふゆ ) 初冬 ( はつふゆ ) じふげつこうなんてんきこうなり、 あはれむべしとうけいはるににてうるはし、 十月 ( じふげつ ) 江南 ( こうなん ) 天気 ( てんき ) 好 ( こう )なり、 憐 ( あは )れむべし 冬景 ( とうけい ) 春 ( はる )に 似 ( に )て 華 ( うるは )し、 十月江南天気好。 可憐冬景似春華。 早冬 白居易 しいじれいらくしてさんぶんげんじ、 ばんぶつさだとしてくわはんしぼむ、 四時 ( しいじ ) 零落 ( れいらく )して 三分 ( さんぶん ) 減 ( げん )じぬ、 万物 ( ばんぶつ ) 蹉跎 ( さだ )として 過半 ( くわはん ) 凋 ( しぼ )めり、 四時牢落三分減。 万物蹉跎過半凋。 初冬即事 醍醐帝御製 ゆかのうへにはまきをさむせいちくのたかむしろ、 はこのうちにはひらきいだすはくめんのきぬ、 床 ( ゆか )の 上 ( うへ )には 巻 ( ま )き 収 ( をさ )む 青竹 ( せいちく )の 簟 ( たかむしろ )、 匣 ( はこ )の 中 ( うち )には 開 ( ひら )き 出 ( いだ )す 白綿 ( はくめん )の 衣 ( きぬ )、 床上巻収青竹簟。 匣中開出白綿衣。 驚冬 菅原文時 後撰 神なづきふりみふらずみさだめなき しぐれぞ冬のはじめなりける 紀貫之 冬夜 ( ふゆのよ ) いつさんのかんとうはうんぐわいのよる、 すうはいのうんちうはせつちゆうのはる、 一盞 ( いつさん )の 寒燈 ( かんとう )は 雲外 ( うんぐわい )の 夜 ( よる )、 数盃 ( すうはい )の 温酎 ( うんちう )は 雪中 ( せつちゆう )の 春 ( はる )、 一盞寒燈雲外夜。 数盃温酎雪中春。 和李中丞与李給事山居雪夜同宿小酌 白居易 としのひかりはおのづからとうのまへにむかつてつきぬ、 きやくのおもひにただまくらのほとりよりなる、 年 ( とし )の 光 ( ひかり )は 自 ( おのづか )ら 燈 ( とう )の 前 ( まへ )に 向 ( むか )つて 尽 ( つ )きぬ、 客 ( きやく )の 思 ( おも )ひにただ 枕 ( まくら )の 上 ( ほとり )より 生 ( な )る、 年光自向燈前尽。 客思唯従枕上生。 冬夜独起 尊敬 拾遺 おもひかねいもがりゆけばふゆのよの 川かぜさむみ千どりなくなり 紀貫之 歳暮 ( せいぼ ) かんりうつきをおびてはすめることかがみのごとく、 ゆふべのかぜはしもにくわしてときことかたなににたり、 寒流 ( かんりう ) 月 ( つき )を 帯 ( お )びては 澄 ( す )めること 鏡 ( かがみ )のごとく、 夕 ( ゆふべ )の 風 ( かぜ )は 霜 ( しも )に 和 ( くわ )して 利 ( と )きこと 刀 ( かたな )に 似 ( に )たり、 寒流帯月澄如鏡。 夕風和霜利似刀。 江楼宴別 白居易 ふううんはひとのまへにむかひてくれやすく、 さいげつはおいのそこよりかへしがたし、 風雲 ( ふううん )は 人 ( ひと )の 前 ( まへ )に 向 ( むか )ひて 暮 ( く )れやすく、 歳月 ( さいげつ )は 老 ( お )いの 底 ( そこ )より 還 ( かへ )しがたし、 風雲易向人前暮。 歳月難従老底還。 花下春 良岑春道 古今 ゆくとしのをしくもあるかなますかがみ みるかげさへにくれぬとおもへば 紀貫之 炉火 ( ろくわ ) くわうばいりよくしよふゆをむかへてじゆくし、 ほうちやうこうろよをおひてひらく、 黄醅 ( くわうばい ) 緑醑 ( りよくしよ ) 冬 ( ふゆ )を 迎 ( むか )へて 熟 ( じゆく )し、 絳帳 ( ほうちやう ) 紅炉 ( こうろ ) 夜 ( よ )を 逐 ( お )ひて 開 ( ひら )く、 黄醅緑緑醑迎冬熟。 絳帳紅炉逐夜開。 戯招諸客 白居易 みるにやばなくきくにうぐひすなし、 らふのうちのふうくわうはひにむかへらる、 看 ( み )るに 野馬 ( やば )なく 聴 ( き )くに 鴬 ( うぐひす )なし、 臘 ( らふ )の 裏 ( うち )の 風光 ( ふうくわう )は 火 ( ひ )に 迎 ( むか )へらる、 看無野馬聴無鴬。 臘裏風光被火迎。 火見臘夫春 菅原文時 このひはまさにはなのきをきつてとれるなるべし、 むかひきたればよもすがらはるのこころあり、 この 火 ( ひ )はまさに 花 ( はな )の 樹 ( き )を 鑚 ( き )つて 取 ( と )れるなるべし、 対 ( むか )ひ 来 ( きた )れば 夜 ( よ )もすがら 春 ( はる )の 情 ( こころ )あり、 此火応鑚花樹取。 対来終夜有春情。 同 同 たじにはたとひあうくわのもとにゑふとも、 このころはなんぞじうたんのほとりをはなれん、 他時 ( たじ )にはたとひ 鴬花 ( あうくわ )の 下 ( もと )に 酔 ( ゑ )ふとも、 近日 ( このころ )はなんぞ 獣炭 ( じうたん )の 辺 ( ほとり )を 離 ( はな )れん、 多時縱酔鴬花下。 近日那離獣炭辺。 同 菅原輔昭 うづみびのしたにこがれしときよりも かくにくまるるをりぞかなしき 在原業平 霜 ( しも ) さんしうのきしのゆきにはなはじめてしろく、 いちやのはやしのしもにはこと 〴 〵くくれなゐなり、 三秋 ( さんしう )の 岸 ( きし )の 雪 ( ゆき )に 花 ( はな ) 初 ( はじ )めて 白 ( しろ )く、 一夜 ( いちや )の 林 ( はやし )の 霜 ( しも )に 葉 ( は )こと 〴 〵く 紅 ( くれなゐ )なり、 三秋岸雪花初白。 一夜林霜葉尽紅。 般若寺別成公 温庭筠 ばんぶつはあきのしもによくいろをやぶり、 しいじはふゆのひにもつともてうねんなり、 万物 ( ばんぶつ )は 秋 ( あき )の 霜 ( しも )によく 色 ( いろ )を 壊 ( やぶ )り、 四時 ( しいじ )は 冬 ( ふゆ )の 日 ( ひ )に 最 ( もつと )も 凋年 ( てうねん )なり、 万物秋霜能壊色。 四時冬日最凋年。 歳晩旅望 白居易 ねやさむくしてゆめおどろく、 あるひはこふのきぬたのほとりにそふ、 やまふかくしてかんうごく、 まづしかうがびんのほとりををかす、 閨 ( ねや ) 寒 ( さむ )くして 夢 ( ゆめ ) 驚 ( おどろ )く、 或 ( あるひ )は 孤婦 ( こふ )の 砧 ( きぬた )の 上 ( ほとり )に 添 ( そ )ふ、 山 ( やま ) 深 ( ふか )くして 感 ( かん ) 動 ( うご )く、 先 ( ま )づ 四皓 ( しかう )が 鬢 ( びん )の 辺 ( ほとり )を 侵 ( をか )す、 閨寒夢驚。 或添孤婦之砧上。 山深感動。 先侵四皓之鬢辺。 青女司霜賦 紀長谷雄 くんしよふけてこゑいましめず、 らうおうとしくれてびんあひおどろく、 君子 ( くんし ) 夜 ( よ ) 深 ( ふ )けて 音 ( こゑ ) 警 ( いまし )めず、 老翁 ( らうおう ) 年 ( とし ) 晩 ( く )れて 鬢 ( びん ) 相驚 ( あひおどろ )く、 君子夜深音不警。 老翁年晩鬢相驚。 早霜 菅原道真或文時 せい 〳 〵すでにたつくわていのつる、 ほゝはじめておどろくかつりのひと、 声々 ( せい 〳 〵 )すでに 断 ( た )つ 華亭 ( くわてい )の 鶴 ( つる )、 歩々 ( ほゝ ) 初 ( はじ )めて 驚 ( おどろ )く 葛履 ( かつり )の 人 ( ひと )、 声声已断華亭鶴。 歩歩初驚葛履人。 寒霜凝霜 菅原文時 あしたにぐわこうにつみてをしいろをへんじ、 よるくわへうにおちてつるこゑをのむ、 晨 ( あした )に 瓦溝 ( ぐわこう )に 積 ( つ )みて 鴛 ( をし ) 色 ( いろ )を 変 ( へん )じ、 夜 ( よる ) 華表 ( くわへう )に 零 ( お )ちて 鶴 ( つる ) 声 ( こゑ )を 呑 ( の )む、 晨積瓦溝鴛変色。 夜零華表鶴呑声。 同前題 紀長谷雄 拾遺 夜をさむみねざめてきけばをしぞなく はらひもあへずしもやおくらん 読人不知 雪 あかつきにりやうわうのそのにいればゆきぐんざんにみてり、 よるゆこうがろうにのぼればつきせんりにあきらかなり、 暁 ( あかつき )に 梁王 ( りやうわう )の 苑 ( その )に 入 ( い )れば 雪 ( ゆき ) 群山 ( ぐんざん )に 満 ( み )てり、 夜 ( よる ) 庾公 ( ゆこう )が 楼 ( ろう )に 登 ( のぼ )れば 月 ( つき ) 千里 ( せんり )に 明 ( あき )らかなり、 暁入梁王之苑雪満群山。 夜登庾公之楼月明千里。 白賦 謝観 ぎんがのいさごみなぎるさんぜんかい、 ばいれいはなひらくいちまんちう、 銀河 ( ぎんが )の 沙 ( いさご ) 漲 ( みなぎ )る 三千界 ( さんぜんかい )、 梅嶺 ( ばいれい ) 花 ( はな ) 排 ( ひら )く 一万株 ( いちまんちう )、 銀河沙漲三千界。 梅嶺花排一万株。 雪中即事 白居易 ゆきはがまうににてとびてさんらんし、 ひとはくわくしやうをきてたちてはいくわいす、 雪 ( ゆき )は 鵞毛 ( がまう )に 似 ( に )て 飛 ( と )びて 散乱 ( さんらん )し、 人 ( ひと )は 鶴氅 ( くわくしやう )を 被 ( き )て 立 ( た )ちて 徘徊 ( はいくわい )す、 雪似鵞毛飛散乱。 人被鶴立徘徊。 酬令公雪中見贈 同 あるいはかぜをおひてかへらず、 ぐんかくのけをふるふがごとし、 またはれにあたりてなほのこる、 しゆうこのえきをつゞるかとうたがふ、 或 ( あるい )は 風 ( かぜ )を 逐 ( お )ひて 返 ( かへ )らず、 群鶴 ( ぐんかく )の 毛 ( け )を 振 ( ふる )ふがごとし、 また 晴 ( はれ )に 当 ( あた )りてなほ 残 ( のこ )る、 衆狐 ( しゆうこ )の 腋 ( えき )を 綴 ( つゞ )るかと 疑 ( うたが )ふ、 或逐風不返。 如振群鶴之毛。 亦当晴猶残。 疑綴衆狐之腋。 春雪賦 紀長谷雄 つばさはぐんをうるににたりうらにすむつる、 こゝろまさにきやうにじようずべしふねにさをさすひと、 翅 ( つばさ )は 群 ( ぐん )を 得 ( う )るに 似 ( に )たり 浦 ( うら )に 栖 ( す )む 鶴 ( つる )、 心 ( こゝろ )まさに 興 ( きやう )に 乗 ( じよう )ずべし 舟 ( ふね )に 棹 ( さを )さす 人 ( ひと )、 翅似得群栖浦鶴。 心応乗興棹舟人。 池上初雪 村上帝御製 ていじやうにたつてはかうべつるたり、 ざしてろのほとりにあればてかがまらず、 庭上 ( ていじやう )に 立 ( た )つては 頭 ( かうべ ) 鶴 ( つる )たり、 坐 ( ざ )して 炉 ( ろ )の 辺 ( ほとり )にあれば 手 ( て ) 亀 ( かが )まらず、 立於庭上頭為鶴。 坐在炉辺手不亀。 客舎対雪 菅原道真 はんぢよがねやのうちのあきのあふぎのいろ、 そわうのだいのうへのよるのことのこゑ、 班女 ( はんぢよ )が 閨 ( ねや )の 中 ( うち )の 秋 ( あき )の 扇 ( あふぎ )の 色 ( いろ )、 楚王 ( そわう )の 台 ( だい )の 上 ( うへ )の 夜 ( よる )の 琴 ( こと )の 声 ( こゑ )、 班女閨中秋扇色。 楚王台上夜琴声。 題雪 尊敬 拾遺 みやこにてめづらしくみるはつゆきは よしののやまにふりにけるかな 源景明 古今 みよしののやまのしら雪つもるらし ふるさとさむくなりまさるなり 坂上是則 古今 雪ふれば木ごとに花ぞさきにける いづれをうめとわきてをらまし 紀友則 氷 ( こほり ) 付春氷 こほりはすゐめんをふうじてきくになみなく、 ゆきはりんとうにてんじてみるにはなあり、 氷 ( こほり )は 水面 ( すゐめん )を 封 ( ふう )じて 聞 ( き )くに 浪 ( なみ )なく、 雪 ( ゆき )は 林頭 ( りんとう )に 点 ( てん )じて 見 ( み )るに 花 ( はな )あり、 氷封水面聞無浪。 雪点林頭見有花。 臘月独興 菅原道真 しもはかくれいをさまたげてさむくしてつゆなく、 みづはこぎをむすびてうすくしてこほりあり、 霜 ( しも )は 鶴唳 ( かくれい )を 妨 ( さまた )げて 寒 ( さむ )くして 露 ( つゆ )なく、 水 ( みづ )は 狐疑 ( こぎ )を 結 ( むす )びて 薄 ( うす )くして 氷 ( こほり )あり、 霜妨鶴唳寒無露。 水結狐疑薄有氷。 狐疑氷聞波声 相如 新撰万葉 おほぞらの 月 ( つき )のひかりのさむければ かげみし水ぞまづこほりける 七条后宮 春氷 こほりきえてみづをみればちよりもおほく、 ゆきはれてやまをのぞめばこと 〳 〵くろうにいる、 氷 ( こほり ) 消 ( き )えて 水 ( みづ )を 見 ( み )れば 地 ( ち )よりも 多 ( おほ )く、 雪 ( ゆき ) 霽 ( は )れて 山 ( やま )を 望 ( のぞ )めばこと 〳 〵く 楼 ( ろう )に 入 ( い )る、 氷消見水多於地。 雪霽望山尽入楼。 早春憶遊思黯南荘 白居易 こほりきえてかんしゆまさにはをうたがふべし、 ゆきつきてはりやうわうばいをめさず、 氷 ( こほり ) 消 ( き )えて 漢主 ( かんしゆ )まさに 覇 ( は )を 疑 ( うたが )ふべし、 雪 ( ゆき ) 尽 ( つ )きては 梁王 ( りやうわう ) 枚 ( ばい )を 召 ( め )さず、 氷消漢主応疑覇。 雪尽梁王不召枚。 早春雪氷消 橘在列 こさいにだれかよくしせつをまつたくせん、 こだにはかへりてしんのちゆうをうしなはんことをおそる、 胡塞 ( こさい )に 誰 ( だれ )かよく 使節 ( しせつ )を 全 ( まつた )くせん、 虖陀 ( こだ )には 還 ( かへ )りて 臣 ( しん )の 忠 ( ちゆう )を 失 ( うしな )はんことを 恐 ( おそ )る、 胡塞誰能全使節。 虖陀還恐失臣忠。 雪消氷亦解 源相規 続後拾遺 やまかげのみぎはまされるはるかぜに たにのこほりもけふやとくらん 藤原惟正 霰 ( あられ ) しやうがよねひてせい 〳 〵もろく、 りようがんたまなげてくわ 〳 〵さむし、 麞牙 ( しやうが ) 米 ( よね ) 簸 ( ひ )て 声々 ( せい 〳 〵 ) 脆 ( もろ )く、 龍頷 ( りようがん ) 珠 ( たま ) 投 ( な )げて 顆々 ( くわ 〳 〵 ) 寒 ( さむ )し、 麞牙米簸声々脆。 龍頷珠投顆々寒。 雪化為霰 菅原道真 古今 みやまにはあられふるらし外山なる まさきのかづら色つきにけり 紀貫之 仏名 ( ぶつみやう ) かうくわいちろともしびいつさん、 はくとうにしてよるぶつみやうぎやうをらいす、 香火 ( かうくわ ) 一炉 ( いちろ ) 燈 ( ともしび ) 一盞 ( いつさん )、 白頭 ( はくとう )にして 夜 ( よる ) 仏名経 ( ぶつみやうぎやう )を 礼 ( らい )す、 香火一炉燈一盞。 白頭夜礼仏名経。 献贈礼経老僧 白居易 かうはぜんしんよりしてひをもちゐることなし、 はなはがつしやうにひらきてはるによらず、 香 ( かう )は 禅心 ( ぜんしん )よりして 火 ( ひ )を 用 ( もち )ゐることなし、 花 ( はな )は 合掌 ( がつしやう )に 開 ( ひら )きて 春 ( はる )に 因 ( よ )らず、 香自禅心無用火。 花開合掌不因春。 懺悔会作 菅原道真 家集 あらたまのとしもくれなばつくりつる つみものこらずなりやしぬらん 平兼盛 拾遺 かぞふればわが身につもるとし月を おくりむかふとなにいそぐらん 同 拾遺 としのうちにつくれるつみはかきくらし ふるしら雪とともにきえなむ 紀貫之 下巻 雑 風 ( かぜ ) はるのかぜあんにていぜんのきをきり、 よるのあめはひそかにせきじやうのこけをうがつ、 春 ( はる )の 風 ( かぜ ) 暗 ( あん )に 庭前 ( ていぜん )の 樹 ( き )を 剪 ( き )り、 夜 ( よる )の 雨 ( あめ )は 偸 ( ひそ )かに 石上 ( せきじやう )の 苔 ( こけ )を 穿 ( うが )つ、 春風暗剪庭前樹。 夜雨偸穿石上苔。 春日山居 輔昭 じふしようみだれやすし、 めいくんがたましひをなやまさんとほつす、 りうすゐかへらず、 まさにれつしがのりものをおくるべし、 入松 ( じふしよう ) 乱 ( みだ )れ 易 ( やす )し、 明君 ( めいくん )が 魂 ( たましひ )を 悩 ( なや )まさんと 欲 ( ほつ )す、 流水 ( りうすゐ ) 返 ( かへ )らず、 まさに 列子 ( れつし )が 乗 ( のりもの )を 送 ( おく )るべし、 入松易乱。 欲悩明君之魂。 流水不返。 応送列子之乗。 風中琴 紀長谷雄 かんしゆのてのうちにふきてとゞまらず、 じよくんがつかのうへにあふぎてなほかゝれり 漢主 ( かんしゆ )の 手 ( て )の 中 ( うち )に 吹 ( ふ )きて 駐 ( とゞ )まらず、 徐君 ( じよくん )が 墓 ( つか )の 上 ( うへ )に 扇 ( あふ )ぎてなほ 懸 ( かゝ )れり 漢主手中吹不駐。 徐君墓上扇猶懸。 北風利如剣 慶滋保胤 はんきあふぎをさいしてまさにくわしやうすべし、 れつしくるまをかけてわうくわんせず、 班姫 ( はんき ) 扇 ( あふぎ )を 裁 ( さい )してまさに 誇尚 ( くわしやう )すべし、 列子 ( れつし ) 車 ( くるま )を 懸 ( か )けて 往還 ( わうくわん )せず、 班姫裁扇応誇尚。 列子懸車不往還。 清風何処隠 同 後撰 あきかぜのふくにつけてもとはぬかな をぎの葉らばおとはしてまし 中務 新古今 ほの 〴 〵とありあけの月のつきかげに もみぢふきおろす山おろしのかぜ 源信明 雲 ( くも ) たけしやうほにまだらにしてくもこしつのあとにこる、 ほうしんだいをさりつきすゐせうのちにおいたり、 竹 ( たけ ) 湘浦 ( しやうほ )に 斑 ( まだら )にして 雲 ( くも ) 鼓瑟 ( こしつ )の 蹤 ( あと )に 凝 ( こ )る、 鳳 ( ほう ) 秦台 ( しんだい )を 去 ( さ )り 月 ( つき ) 吹簫 ( すゐせう )の 地 ( ち )に 老 ( お )いたり、 竹斑湘浦雲凝鼓瑟之蹤。 鳳去秦台月老吹簫之地。 愁賦 張読 やまとほくしてはくもかうかくのあとをうづめ、 まつさむくしてはかぜりよじんのゆめをやぶる、 山 ( やま ) 遠 ( とほ )くしては 雲 ( くも ) 行客 ( かうかく )の 跡 ( あと )を 埋 ( うづ )め、 松 ( まつ ) 寒 ( さむ )くしては 風 ( かぜ ) 旅人 ( りよじん )の 夢 ( ゆめ )を 破 ( やぶ )る、 山遠雲埋行客跡。 松寒風破旅人夢。 愁賦 紀斎名 ひねもすにくもをのぞめばこゝろつながれず、 ときありてつきをみればよまさにしづかなり、 尽日 ( ひねもす )に 雲 ( くも )を 望 ( のぞ )めば 心 ( こゝろ ) 繋 ( つな )がれず、 時 ( とき )ありて 月 ( つき )を 見 ( み )れば 夜 ( よ ) 正 ( まさ )に 閑 ( しづ )かなり、 尽日望雲心不繋。 有時見月夜正閑。 閨女幽栖 元稹 かんかうしんをさけしあした、 のぞみこほうのつきをさゝふ、 たうしゆゑつをじせしゆふべ、 まなこごこのけむりをこんず、 漢皓 ( かんかう ) 秦 ( しん )を 避 ( さ )けし 朝 ( あした )、 望 ( のぞみ ) 孤峯 ( こほう )の 月 ( つき )を 礙 ( さゝ )ふ、 陶朱 ( たうしゆ ) 越 ( ゑつ )を 辞 ( じ )せし 暮 ( ゆふべ )、 眼 ( まなこ ) 五湖 ( ごこ )の 煙 ( けむり )を 混 ( こん )ず、 漢皓避秦之朝 望礙孤峯之月 陶朱辞越之暮 眼混五湖之煙 視雲知隠処賦 大江以言 しばらくきくをかれどもいしをいたゞくにあらず、 むなしくしゆんけんをぬすめどもあにまつをしやうぜんや、 暫 ( しばら )く 崎嶇 ( きく )を 借 ( か )れども 石 ( いし )を 戴 ( いたゞ )くにあらず、 空 ( むな )しく 峻嶮 ( しゆんけん )を 偸 ( ぬす )めどもあに 松 ( まつ )を 生 ( しやう )ぜんや、 暫借崎嶇非戴石。 空偸峻嶮豈生松。 夏雲多奇峯 都在中 かんていのりようがんはしよ 〳 〵にまよひぬ、 わいわうのけいしはりうれんをうしなふ、 漢帝 ( かんてい )の 龍顔 ( りようがん )は 処所 ( しよ 〳 〵 )に 迷 ( まよ )ひぬ、 淮王 ( わいわう )の 鶏翅 ( けいし )は 留連 ( りうれん )を 失 ( うしな )ふ、 漢帝龍顔迷処所。 淮王鶏翅失留連。 秋天無片雲 大江以言 新古今 よそにのみ見てややみなんかつらぎや たかまの山のみねのしら雲 読人不知 晴 ( はれ ) けむりもんぐわいにきえてせいざんちかく、 つゆさうぜんにおもくしてりよくちくたれたり、 煙 ( けむり ) 門外 ( もんぐわい )に 消 ( き )えて 青山 ( せいざん ) 近 ( ちか )く、 露 ( つゆ ) 窓前 ( さうぜん )に 重 ( おも )くして 緑竹 ( りよくちく ) 低 ( た )れたり、 煙消門外青山近。 露重窓前緑竹低。 晴興 鄭師冉 しがいのみねのあらしはまばらにして、 くもしちひやくりのそとにをさまり、 ばくふのいづみのなみはひやゝかにして、 つきしじつせきのあまりにすめり、 紫蓋 ( しがい )の 嶺 ( みね )の 嵐 ( あらし )は 疎 ( まばら )にして、 雲 ( くも ) 七百里 ( しちひやくり )の 外 ( そと )に 収 ( をさ )まり、 曝布 ( ばくふ )の 泉 ( いづみ )の 波 ( なみ )は 冷 ( ひやゝか )にして、 月 ( つき ) 四十尺 ( しじつせき )の 余 ( あまり )に 澄 ( す )めり、 紫蓋之嶺嵐疎。 雲収七百里之外。 曝布之泉波冷。 月澄四十尺之余。 山晴秋望多序 藤原惟成 くもはへきらくにきえてそらのはだへとけ、 かぜせいいをうごかしてみづのおもてしわむ、 雲 ( くも )は 碧落 ( へきらく )に 消 ( き )えて 天 ( そら )の 膚 ( はだへ ) 解 ( と )け、 風 ( かぜ ) 清漪 ( せいい )を 動 ( うご )かして 水 ( みづ )の 面 ( おもて ) 皴 ( しわ )む、 雲消碧落天膚解。 風動清漪水面皴。 梅雨新霽 都良香 さうかくさはをいでてきりをひらきてまひ、 こはんみづにつらなりてくもときゆ、 双鶴 ( さうかく ) 皐 ( さは )を 出 ( い )でて 霧 ( きり )を 披 ( ひら )きて 舞 ( ま )ひ、 孤帆 ( こはん ) 水 ( みづ )に 連 ( つら )なりて 雲 ( くも )と 消 ( き )ゆ、 霜鶴出皐披霧舞。 孤帆連水与雲消。 高天澄遠色 菅原文時 すうにかへるつるまひてひたけてみゆ、 ゐにみづかふりようのぼりてくものこらず、 嵩 ( すう )に 帰 ( かへ )る 鶴 ( つる ) 舞 ( ま )ひて 日 ( ひ ) 高 ( た )けて 見 ( み )ゆ、 渭 ( ゐ )に 飲 ( みづか )ふ 龍 ( りよう ) 昇 ( のぼ )りて 雲 ( くも ) 残 ( のこ )らず、 帰嵩鶴舞日高見。 飲渭龍昇雲不残。 晴後山川清 大江以雪 かすみはれみどりのそらものどけくて あるかなきかにあそぶいとゆふ 読人不知 暁 ( あかつき ) かじんこと 〴 〵くしんしやうをかざりて、ぎきゆうにかねうごく、 いうしなほざんげつにゆきてかんこくににはとりなく、 佳人 ( かじん ) 尽 ( こと 〴 〵 )く 晨粧 ( しんしやう )を 飾 ( かざ )りて、 魏宮 ( ぎきゆう )に 鐘 ( かね ) 動 ( うご )く、 遊子 ( いうし )なほ 残月 ( ざんげつ )に 行 ( ゆ )きて 函谷 ( かんこく )に 鶏 ( にはとり ) 鳴 ( な )く、 佳人尽飾於晨粧。 魏宮鐘動。 遊子猶行於残月。 函谷鶏鳴。 暁賦 賈島 いくつらみなみにさるかり、 いつぺんにしにかたむくつき、 せいろにおもむきてひとりゆくし、 りよてんなほとざせり、 こじやうになきてもゝたびたゝかふいくさ、 こかいまだやまず、 幾行 ( いくつら ) 南 ( みなみ )に 去 ( さ )る 雁 ( かり )、 一片 ( いつぺん ) 西 ( にし )に 傾 ( かたむ )く 月 ( つき )、 征路 ( せいろ )に 赴 ( おもむ )きて 独 ( ひと )り 行 ( ゆ )く 子 ( し )、 旅店 ( りよてん )なほ 扃 ( とざ )せり、 孤城 ( こじやう )に 泣 ( な )きて 百 ( もゝ )たび 戦 ( たゝか )ふ 師 ( いくさ )、 胡 ( こ ) 笳 ( か )いまだ 歇 ( や )まず、 幾行南去之雁。 一片西傾之月。 赴征路而独行之子。 旅店猶扃。 泣胡城而百戦之師。 胡笳未歇。 同 謝観 よそほひをきんをくのなかにいつくしくして、 せいがまさにゑがけり、 えんをけいえんのうへにやめて、 こうしよくむなしくあまれり、 粧 ( よそほひ )を 金屋 ( きんをく )の 中 ( なか )に 厳 ( いつくし )くして、 青蛾 ( せいが ) 正 ( まさ )に 画 ( ゑが )けり、 宴 ( えん )を 瓊筵 ( けいえん )の 上 ( うへ )に 罷 ( や )めて、 紅燭 ( こうしよく ) 空 ( むな )しく 余 ( あま )れり、 厳粧金屋之中。 青蛾正画。 罷宴瓊筵之上。 紅燭空余。 同 同 ごせいのきゆうろうはじめてあけてのち、 いつてんのさうとうのきえなんとほつするとき、 五声 ( ごせい )の 宮漏 ( きゆうろう ) 初 ( はじ )めて 明 ( あ )けて 後 ( のち )、 一点 ( いつてん )の 窓燈 ( さうとう )の 滅 ( き )えなんと 欲 ( ほつ )する 時 ( とき )、 五声宮漏初明後。 一点窓燈欲滅時。 禁中夜作 白居易 後撰 あかつきのなからましかば白露の おきてわびしきわかれせましや 紀貫之 松 ( まつ ) たゞさうしようのみぎりのしたにあたるあり、 さらにいちじのこゝろのなかにいたるなし、 たゞ 双松 ( さうしよう )の 砌 ( みぎり )の 下 ( した )に 当 ( あた )るあり、 更 ( さら )に 一事 ( いちじ )の 心 ( こゝろ )の 中 ( なか )に 到 ( いた )るなし、 但有双松当砌下。 更無一事到心中。 新昌坊閑居 白居易 せいざんにゆきありてまつのせいをそらんじ、 へきらくにくもなくしてつるこゝろにかなへり、 青山 ( せいざん )に 雪 ( ゆき )ありて 松 ( まつ )の 性 ( せい )を 諳 ( そら )んじ、 碧落 ( へきらく )に 雲 ( くも )なくして 鶴 ( つる ) 心 ( こゝろ )に 称 ( かな )へり、 青山有雪諳松性。 碧落無雲称鶴心。 寄殷尭潘 許渾 せんぢやうゆきをしのぎて、 まさにけいかうのすがたにたとへつべし、 ひやくほかぜにみだる、 たれかやういふがしやをやぶらんや、 千丈 ( せんぢやう ) 雪 ( ゆき )を 凌 ( しの )ぎて、 まさに 稽康 ( けいかう )の 姿 ( すがた )に 喩 ( たと )へつべし、 百歩 ( ひやくほ ) 風 ( かぜ )に 乱 ( みだ )る、 誰 ( たれ )か 養由 ( やういふ )が 射 ( しや )を 破 ( やぶ )らんや、 千丈凌雪。 応喩稽康之姿。 百歩乱風。 誰破養由之射。 柳化物松賦 紀長谷雄 きうかさんぷくのあつきつきに、 たけにさくごのかぜをふくむ、 げんとうそせつのさむきあしたには、 まつにくんしのとくをあらはす、 九夏 ( きうか ) 三伏 ( さんぷく )の 暑 ( あつ )き 月 ( つき )に、 竹 ( たけ )に 錯午 ( さくご )の 風 ( かぜ )を 含 ( ふく )む、 玄冬 ( げんとう ) 素雪 ( そせつ )の 寒 ( さむ )き 朝 ( あした )には、 松 ( まつ )に 君子 ( くんし )の 徳 ( とく )を 彰 ( あらは )す、 九夏三伏之暑月 竹含錯午之風 玄冬素雪之寒朝 松彰君子之徳 河原院賦 順 じふはちこうのさかへはしもののちにあらはる、 いつせんねんのいろはゆきのうちにふかし、 十八公 ( じふはちこう )の 栄 ( さかへ )は 霜 ( しも )の 後 ( のち )に 露 ( あら )はる、 一千年 ( いつせんねん )の 色 ( いろ )は 雪 ( ゆき )の 中 ( うち )に 深 ( ふか )し、 十八公栄霜後露。 一千年色雪中深。 歳寒知松貞 同 あめをふくめるれいしやうはてんさらにはれ、 あきをやくりんえふはひかへつてさむし、 雨 ( あめ )を 含 ( ふく )める 嶺松 ( れいしやう )は 天 ( てん ) 更 ( さら )に 霽 ( は )れ、 秋 ( あき )を 焼 ( や )く 林葉 ( りんえふ )は 火 ( ひ ) 還 ( かへ )つて 寒 ( さむ )し、 含雨嶺松天更霽。 焼秋林葉火還寒。 山居秋晩 大江朝綱 古今 ときはなる松のみどりも春くれば いまひとしほの色まさりけり 源宗于 古今 われみてもひさしくなりぬすみよしの きしのひめまついく代へぬらん 読人不知 拾遺 あまくだるあら人かみのあひおひを おもへばひさしすみよしのまつ 安法法師 竹 ( たけ ) えんえふもうろうたりよををかすいろ、 ふうしせうさつたりあきならんとほつするこゑ、 煙葉 ( えんえふ ) 蒙籠 ( もうろう )たり 夜 ( よ )を 侵 ( をか )す 色 ( いろ )、 風枝 ( ふうし ) 蕭颯 ( せうさつ )たり 秋 ( あき )ならんと 欲 ( ほつ )する 声 ( こゑ )、 煙葉蒙籠侵夜色。 風枝蕭颯欲秋声。 和令孤相公栽竹 白居易 げんせきがうそぶくにはにはひとつきにあゆみ、 しいうがみるところにはとりけむりにすむ、 阮籍 ( げんせき )が 嘯 ( うそぶ )く 場 ( には )には 人 ( ひと ) 月 ( つき )に 歩 ( あゆ )み、 子猷 ( しいう )が 看 ( み )る 処 ( ところ )には 鳥 ( とり ) 煙 ( けむり )に 栖 ( す )む、 阮籍嘯場人歩月。 子猷看処鳥栖煙。 竹枝詞 章孝標 しんのきへいさんぐんわうしいう、 うゑてこのきみとしようす、 たうのたいしのひんかくはくらくてんは、 あいしてわがともとなす、 晋 ( しん )の 騎兵 ( きへい ) 参軍 ( さんぐん ) 王子猷 ( わうしいう )、 栽 ( う )ゑて 此 ( こ )の 君 ( きみ )と 称 ( しよう )す、 唐 ( たう )の 太子 ( たいし )の 賓客 ( ひんかく ) 白楽天 ( はくらくてん )は、 愛 ( あい )して 吾 ( わ )が 友 ( とも )となす、 晋騎兵参軍王子猷。 栽称此君。 唐太子賓客白楽天。 愛為吾友。 修竹冬青序 藤原篤茂 はうじゆんはいまだめいほうのくわんをぬきんでず、 はんこんはわづかにぐわりようのもんをてんず、 迸笋 ( はうじゆん )はいまだ 鳴鳳 ( めいほう )の 管 ( くわん )を 抽 ( ぬきん )でず、 盤根 ( はんこん )は 纔 ( わづ )かに 臥龍 ( ぐわりよう )の 文 ( もん )を 点 ( てん )ず、 迸笋未抽鳴鳳管。 盤根纔点臥龍文。 禁庭植竹 兼明親王 古今 世にふればことの葉しげきくれ竹の うきふしごとにうぐひすぞなく 読人不知 六帖 しぐれふるおとはすれども呉たけの など世とともに色もかはらぬ 素性 草 ( くさ ) さとうにあめはそむはん 〳 〵たるくさ、 すゐめんにかぜはかるしつ 〳 〵たるなみ、 沙頭 ( さとう )に 雨 ( あめ )は 染 ( そ )む 斑々 ( はん 〳 〵 )たる 草 ( くさ )、 水面 ( すゐめん )に 風 ( かぜ )は 駈 ( か )る 瑟々 ( しつ 〳 〵 )たる 波 ( なみ )、 沙頭雨染斑々草。 水面風駈瑟々波。 早春憶微之 白居易 せいしががんしよくはいまいづくにかある、 まさにしゆんぷうひやくさうのほとりにあるべし、 西施 ( せいし )が 顔色 ( がんしよく )は 今 ( いま ) 何 ( いづ )くにか 在 ( あ )る、 まさに 春風 ( しゆんぷう ) 百草 ( ひやくさう )の 頭 ( ほとり )に 在 ( あ )るべし、 西施顔色今何在。 応在春風百草頭。 春詞 元稹 へうたんしば 〳 〵むなし、 くさがんえんがちまたにしげし、 れいでうふかくとざせり、 あめげんけんがとぼそをうるほす、 瓢箪 ( へうたん )しば 〳 〵 空 ( むな )し、 草 ( くさ ) 顔淵 ( がんえん )が 巷 ( ちまた )に 滋 ( しげ )し、 藜蓼 ( れいでう ) 深 ( ふか )く 鎖 ( とざ )せり、 雨 ( あめ ) 原憲 ( げんけん )が 枢 ( とぼそ )を 湿 ( うるほ )す、 瓢箪屡空。 草滋顔淵之巷。 藜蓼深鎖。 雨湿原憲之枢。 申文 橘直幹 くさのいろはゆきはれてはじめてほごす、 とりのこゑはつゆあたたかにしてやうやくめんばんたり、 草 ( くさ )の 色 ( いろ )は 雪 ( ゆき ) 晴 ( は )れて 初 ( はじ )めて 布護 ( ほご )す、 鳥 ( とり )の 声 ( こゑ )は 露 ( つゆ ) 暖 ( あたた )かにして 漸 ( やうや )く 綿蛮 ( めんばん )たり、 草色雪晴初布護。 鳥声露暖漸綿蛮。 春日山居 後江相公 くわさんにうまありてひづめなほあらはる、 ふやにひとなくしてみちやうやくしげし、 華山 ( くわさん )に 馬 ( うま )ありて 蹄 ( ひづめ )なほ 露 ( あら )はる、 傅野 ( ふや )に 人 ( ひと )なくして 路 ( みち ) 漸 ( やうや )く 滋 ( しげ )し、 華山有馬蹄猶露。 傅野無人路漸滋。 遠草初含色 慶滋保胤 拾遺 かのをかに草かるをのこしかなかりそ ありつつも君がきまさんみまくさにせん 人丸 古今 おほあらきの森のした草おいぬれば こまもすさめずかる人もなし 作者名無し或源重之 新古今 やかずとも草はもえなんかすが野を ただはるの日にまかせたらなむ 壬生忠岑 鶴 ( つる ) きらふらくはせうじんにしてかうゐをふむことを、 つるくるまにのることあり、 にくむらくはりこうのはうかをくつがへすを、 すゞめよくいへをうがつ、 嫌 ( きら )ふらくは 小人 ( せうじん )にして 高位 ( かうゐ )を 踏 ( ふ )むことを、 鶴 ( つる ) 軒 ( くるま )に 乗 ( の )ることあり、 悪 ( にく )むらくは 利口 ( りこう )の 邦家 ( はうか )を 覆 ( くつがへ )すを、 雀 ( すゞめ )よく 屋 ( いへ )を 穿 ( うが )つ、 嫌少人而蹈高位 鶴有乗軒 悪利口之覆邦家 雀能穿屋 王鳳凰賦 賈島 りりようがこにいりしにおなじ、たゞいるゐをみる、 くつげんがそにありしににたり、しうじんみなゑへり、 李陵 ( りりよう )が 胡 ( こ )に 入 ( い )りしに 同 ( おな )じ、たゞ 異類 ( いるゐ )を 見 ( み )る、 屈原 ( くつげん )が 楚 ( そ )に 在 ( あ )りしに 似 ( に )たり、 衆人 ( しうじん ) 皆 ( みな ) 酔 ( ゑ )へり、 同李陵之入胡。 但見異類。 似屈原之在楚。 衆人皆酔。 鶴覆群鶏賦 皇甫会 こゑはちんじやうきたるせんねんのつる、 かげははいちゆうにおつごらうのみね、 声 ( こゑ )は 枕上 ( ちんじやう ) 来 ( きた )る 千年 ( せんねん )の 鶴 ( つる )、 影 ( かげ )は 盃中 ( はいちゆう )に 落 ( お )つ 五老 ( ごらう )の 峯 ( みね )、 声来枕上千年鶴。 影落盃中五老峯。 題元八渓居 白居易 せいれいすうせいまつのしたのつる、 かんくわういつてんたけのあひだのともしび、 清唳 ( せいれい ) 数声 ( すうせい ) 松 ( まつ )の 下 ( した )の 鶴 ( つる )、 寒光 ( かんくわう ) 一点 ( いつてん ) 竹 ( たけ )の 間 ( あひだ )の 燈 ( ともしび )、 清唳数声松下鶴。 寒光一点竹間燈。 在家出家 同 ならびまふていぜんはなのおつるところ、 すうせいはちじやうにつきのあきらかなるとき、 双 ( なら )び 舞 ( ま )ふ 庭前 ( ていぜん ) 花 ( はな )の 落 ( お )つる 処 ( ところ )、 数声 ( すうせい )は 池上 ( ちじやう )に 月 ( つき )の 明 ( あき )らかなる 時 ( とき )、 双舞庭前花落処。 数声池上月明時。 贈鶴詩 劉禹錫 つるはきうりにかへる、 ていれいゐがことばきくべし、 りようしんぎをむかふ、 たうあんこうがのりものまなこにあり、 鶴 ( つる )は 旧里 ( きうり )に 帰 ( かへ )る、 丁令威 ( ていれいゐ )が 詞 ( ことば ) 聴 ( き )くべし、 龍 ( りよう ) 新儀 ( しんぎ )を 迎 ( むか )ふ、 陶安公 ( たうあんこう )が 駕 ( のりもの ) 眼 ( まなこ )に 在 ( あ )り、 鶴帰旧里。 丁令威之詞可聴。 龍迎新儀。 陶安公之駕在眼。 神仙策 都良香 きごせいさはがしくしてそう 〳 〵としてにうす、 らうかくこゝろしづかにしてくわん 〳 〵としてねむる、 飢鼯 ( きご ) 性 ( せい ) 躁 ( さはが )しくして 忩々 ( そう 〳 〵 )として 乳 ( にう )す、 老鶴 ( らうかく ) 心 ( こゝろ ) 閑 ( しづ )かにして 緩々 ( くわん 〳 〵 )として 眠 ( ねむ )る、 飢鼯性躁忩々乳。 老鶴心閑緩々眠。 晩春題天台山 同 漢 ( そら )に 叫 ( さけ )びて 遥 ( はる )かに 孤枕 ( こちん )の 夢 ( ゆめ )を 驚 ( おどろ )かし、 風 ( かぜ )に 和 ( くわ )して 漫 ( みだ )りに 五絃 ( ごげん )の 弾 ( たん )に 入 ( い )る、 叫漢遥驚孤枕夢。 和風漫入五絃弾。 霜天夜聞鶴声 源順 万葉 わかのうらにしほみちくればかたをなみ あしべをさしてたづなきわたる 山部赤人 拾遺 おほぞらにむれゐるたづのさしながら おもふこころのありげなるかな 伊勢 家集 あまつかぜふけゐのうらにゐるたづの などかくも井にかへらざるべき 藤原清正 猿 ( さる ) えうだいしもみてり、 いつせいのげんかくてんになく、 はかふあきふかし、 ごやのあいゑんつきにさけぶ、 瑶台 ( えうだい ) 霜 ( しも ) 満 ( み )てり、 一声 ( いつせい )の 玄鶴 ( げんかく ) 天 ( てん )に 唳 ( な )く、 巴峡 ( はかふ ) 秋 ( あき ) 深 ( ふか )し、 五夜 ( ごや )の 哀猿 ( あいゑん ) 月 ( つき )に 叫 ( さけ )ぶ、 瑶台霜満。 一声之玄鶴唳天。 巴峡秋深。 五夜之哀猿叫月。 清賦 謝観 えははかふよりはじめてじをなし、 さるはふやうをすぎてはじめてはらわたをたつ、 江 ( え )は 巴峡 ( はかふ )より 初 ( はじ )めて 字 ( じ )を 成 ( な )し、 猿 ( さる )は 巫陽 ( ふやう )を 過 ( す )ぎて 始 ( はじ )めて 腸 ( はらわた )を 断 ( た )つ、 江従巴峡初成字。 猿過巫陽始断腸。 送蕭処士遊黔南 白居易 さんせいのさるののちきやうるゐをたる、 いちえふのふねのなかにびやうしんをのす、 三声 ( さんせい )の 猿 ( さる )の 後 ( のち ) 郷涙 ( きやうるゐ )を 垂 ( た )る、 一葉 ( いちえふ )の 舟 ( ふね )の 中 ( なか )に 病身 ( びやうしん )を 載 ( の )す、 三声猿後垂郷涙。 一葉舟中載病身。 舟夜贈内 同 こがんいつせい、あきしやうかくのゆめをやぶる、 はゑんみたびさけびて、あかつきかうじんのもすそをうるほす、 胡雁 ( こがん ) 一声 ( いつせい )、 秋 ( あき ) 商客 ( しやうかく )の 夢 ( ゆめ )を 破 ( やぶ )る、 巴猿 ( はゑん ) 三 ( み )たび 叫 ( さけ )びて、 暁 ( あかつき ) 行人 ( かうじん )の 裳 ( もすそ )を 霑 ( うる )ほす、 胡鴈一声。 秋破商客之夢。 巴猿三叫。 暁霑行人之裳。 山水策 大江澄明 じんえんいつすゐのあきのむらさかれり、 さるさけびてさんせいあかつきのけうふかし、 人煙 ( じんえん ) 一穂 ( いつすゐ )の 秋 ( あき )の 村 ( むら ) 僻 ( さ )かれり、 猿 ( さる ) 叫 ( さけ )びて 三声 ( さんせい ) 暁 ( あかつき )の 峡 ( けう ) 深 ( ふか )し、 人煙一穂秋村僻。 猿叫三声暁峡深。 秋山閑望 紀長谷雄 けうかふつたふかくしてさるひとたびさけぶ、 ぼりんはなおちてとりまづなく、 暁峡 ( けうかふ ) 蘿 ( つた ) 深 ( ふか )くして 猿 ( さる ) 一 ( ひと )たび 叫 ( さけ )ぶ、 暮林 ( ぼりん ) 花 ( はな ) 落 ( お )ちて 鳥 ( とり ) 先 ( ま )づ 啼 ( な )く、 暁峡蘿深猿一叫。 暮林花落鳥先啼。 山中感懐 大江音人 たにしづかにしてわづかにさんてうのぎよをきき、 かけはしあやふくしてなゝめにかふゑんのこゑをふむ、 谷 ( たに ) 静 ( しづ )かにして 纔 ( わづ )かに 山鳥 ( さんてう )の 語 ( ぎよ )を 聞 ( き )き、 梯 ( かけはし ) 危 ( あやふ )くして 斜 ( なゝめ )に 峡猿 ( かふゑん )の 声 ( こゑ )を 踏 ( ふ )む、 谷静纔聞山鳥語。 梯危斜踏峡猿声。 送帰山僧 同 古今 わびしらにましらななきそあしびきの やまのかひあるけふにやはあらぬ 凡河内躬恒 管絃 ( くわんぐゑん ) 附舞妓 いつせいのほうくわんはあきしんれいのくもをおどろかし、 すうはくのげいしやうはあかつきこうざんのつきをおくる、 一声 ( いつせい )の 鳳管 ( ほうくわん )は 秋 ( あき ) 秦嶺 ( しんれい )の 雲 ( くも )を 驚 ( おどろ )かし、 数拍 ( すうはく )の 霓裳 ( げいしやう )は 暁 ( あかつき ) 緱山 ( こうざん )の 月 ( つき )を 送 ( おく )る、 一声鳳管。 秋驚秦嶺之雲。 数拍霓裳。 暁送緱山之月。 蓮昌宮賦 公乗憶 だいいちだいにのいとはさく 〳 〵たり、 あきのかぜまつをはらひてそいんおつ、 だいさんだいしのいとはれい 〳 〵たり、 よるのつるこをおもひてろうちうになく、 だいごのいとのこゑもつともえんよくす、 ろうすゐこほりむせんでながるゝことをえず、 第一第二 ( だいいちだいに )の 絃 ( いと )は 索々 ( さく 〳 〵 )たり、 秋 ( あき )の 風 ( かぜ ) 松 ( まつ )を 払 ( はら )ひて 疎韻 ( そいん ) 落 ( お )つ、 第三第四 ( だいさんだいし )の 絃 ( いと )は 冷々 ( れい 〳 〵 )たり、 夜 ( よる )の 鶴 ( つる ) 子 ( こ )を 憶 ( おも )ひて 籠中 ( ろうちう )に 鳴 ( な )く、 第五 ( だいご )の 絃 ( いと )の 声 ( こゑ )もつとも 掩抑 ( えんよく )す、 隴水 ( ろうすゐ ) 凍 ( こほ )り 咽 ( むせ )んで 流 ( なが )るゝことを 得 ( え )ず、 第一第二絃索々。 秋風払松疎韻落。 第三第四絃冷々。 夜鶴憶子篭中鳴。 第五絃声尤掩抑。 滝水凍咽流不得。 五絃弾 白居易 ずゐぶんのくわんげんはかへつてみづからたれり、 なほざりのへんえいひとにしられたり 随分 ( ずゐぶん )の 管絃 ( くわんげん )は 還 ( かへ )つて 自 ( みづか )ら 足 ( た )れり、 等閑 ( なほざり )の 篇詠 ( へんえい ) 人 ( ひと )に 知 ( し )られたり 随分管絃還自足。 等閑篇詠被人知。 重答劉和州 同 にはかにともしびのもとにきぬをたつふをして、 あやまりてどうしんいつぺんのはなをきらしむ、 頓 ( にはか )に 燈 ( ともしび )の 下 ( もと )に 衣 ( きぬ )を 裁 ( た )つ 婦 ( ふ )をして、 誤 ( あやま )りて 同心 ( どうしん ) 一片 ( いつぺん )の 花 ( はな )を 剪 ( き )らしむ、 頓令燈下裁衣婦。 誤剪同心一片花。 聞夜笛 章孝標 らきのちよういたるは、 なさけなきことをきふにねたむ、 くわんげんのちやうきよくにあるは、 をへざることをれいじんにいかる、 羅綺 ( らき )の 重衣 ( ちようい )たるは、 情 ( なさけ )なきことを 機婦 ( きふ )に 妬 ( ねた )む、 管絃 ( くわんげん )の 長曲 ( ちやうきよく )に 在 ( あ )るは、 闋 ( を )へざることを 伶人 ( れいじん )に 怒 ( いか )る、 羅綺之為重衣。 妬無情於機婦。 管絃之在長曲。 怒不闋於伶人。 春娃無気力詩序 菅原道真 らくばいきよくふりてくちびるゆきをふき、 せつりうこゑあらたにしててにけむりをにぎる、 落梅 ( らくばい ) 曲 ( きよく ) 旧 ( ふ )りて 唇 ( くちびる ) 雪 ( ゆき )を 吹 ( ふ )き、 折柳 ( せつりう ) 声 ( こゑ ) 新 ( あら )たにして 手 ( て )に 煙 ( けむり )を 掬 ( にぎ )る、 落梅曲旧脣吹雪。 折柳声新手掬煙。 同 しやうじよはむかしぶんくんをいどみてえたり、 れんちゆうをしてしさいにきかしむることなかれ、 相如 ( しやうじよ )は 昔 ( むかし ) 文君 ( ぶんくん )を 挑 ( いど )みて 得 ( え )たり、 簾中 ( れんちゆう )をして 子細 ( しさい )に 聴 ( き )かしむることなかれ、 相如昔挑文君得。 莫使簾中子細聴。 听弾琴 惟高親王 拾遺 ことのねにみねのまつかぜかよふらし いづれのをよりしらべそめけん 文詞 ( ぶんし ) 附遺文 ちんしふつえつたりいうぎよのつりばりをふくみてしんえんのそこよりいづるがごとし、 ふさうれんべんたりかんてうのいぐるみにかゝりてそううんのさかしきよりおつるがごとし、 沈詞 ( ちんし ) 怫悦 ( ふつえつ )たり 遊魚 ( いうぎよ )の 鉤 ( つりばり )を 銜 ( ふく )みて 深淵 ( しんえん )の 底 ( そこ )より 出 ( い )づるがごとし、 浮藻 ( ふさう ) 聯翩 ( れんべん )たり 翰鳥 ( かんてう )の 繳 ( いぐるみ )に 纓 ( かゝ )りて 曾雲 ( そううん )の 峻 ( さか )しきより 墜 ( お )つるがごとし、 沈詞怫悦。 若遊魚銜鉤出深淵之底。 浮藻聯翩。 若翰鳥嬰繳墜曾雲之峻。 文選文賦 陸士衡 ゐぶんさんじふぢく、 ぢく 〳 〵にきんぎよくのこゑあり、 りようもんげんじやうのつち、 ほねをうづむれどもなをうづめず 遺文 ( ゐぶん ) 三十軸 ( さんじふぢく )、 軸々 ( ぢく 〳 〵 )に 金玉 ( きんぎよく )の 声 ( こゑ )あり、 龍門 ( りようもん ) 原上 ( げんじやう )の 土 ( つち )、 骨 ( ほね )を 埋 ( うづ )むれども 名 ( な )を 埋 ( うづ )めず 遺文三十軸。 軸軸金玉声。 龍門原上土。 埋骨不埋名。 題故元少尹集 白居易 げんぎよはたくみにあうむのしたをぬすみ、 ぶんしやうはほうわうのけをわかちえたり、 言語 ( げんぎよ )は 巧 ( たく )みに 鸚鵡 ( あうむ )の 舌 ( した )を 偸 ( ぬす )み、 文章 ( ぶんしやう )は 鳳凰 ( ほうわう )の 毛 ( け )を 分 ( わか )ち 得 ( え )たり、 言語巧偸鸚鵡舌。 文章分得鳳凰毛。 贈薛濤 元稹 きんちやうあかつきにひらくうんぼのでん、 はくしゆあきはうつすすゐしやうばん 錦帳 ( きんちやう ) 暁 ( あかつき )に 開 ( ひら )く 雲母 ( うんぼ )の 殿 ( でん )、 白珠 ( はくしゆ ) 秋 ( あき )は 写 ( うつ )す 水精 ( すゐしやう ) 盤 ( ばん ) 錦帳暁開雲母殿。 白珠秋写水精盤。 讃韓侍郎及弟詩 章孝標 さくじつのさんちゆうのきはざいをおのれにとる、 こんにちのていぜんのはなことばをひとにはづ、 昨日 ( さくじつ )の 山中 ( さんちゆう )の 木 ( き )は 材 ( ざい )を 己 ( おのれ )に 取 ( と )る、 今日 ( こんにち )の 庭前 ( ていぜん )の 花 ( はな ) 詞 ( ことば )を 人 ( ひと )に 慙 ( は )づ、 昨日山中之木材取於己。 今日庭前之花詞慙於人。 雨来花自湿詩序 菅原篤茂 わうらうはちえふのまご、 じよせんじがきうさうをふ、 こうあんはいちじのとも、 はんべつががゐぶんをあつむ、 王朗 ( わうらう ) 八葉 ( はちえふ )の 孫 ( まご )、 徐詹事 ( じよせんじ )が 旧草 ( きうさう )を 摭 ( ひろ )ふ、 江淹 ( こうあん )は 一時 ( いちじ )の 友 ( とも )、 范別駕 ( はんべつが )が 遺文 ( ゐぶん )を 集 ( あつ )む、 王朗八葉之孫。 摭徐詹事之旧草。 江淹一時之友。 集范別駕之遺文。 敬公集序 源順 ちんこうしやうがことばはむなしくやまひをいやし、 ばしやうじよがふはたゞくもをしのぐ、 陳孔章 ( ちんこうしやう )が 詞 ( ことば )は 空 ( むな )しく 病 ( やまひ )を 愈 ( いや )し、 馬相如 ( ばしやうじよ )が 賦 ( ふ )はたゞ 雲 ( くも )を 凌 ( しの )ぐ、 陳孔章詞空愈病。 馬相如賦只凌雲。 題英明集 橘在列 ぞうしやくのしんおんはめいをいしにきざみ、 くわくりんこうしふはよゝきうをしる、 贈爵 ( ぞうしやく )の 新恩 ( しんおん )は 銘 ( めい )を 石 ( いし )に 刻 ( きざ )み、 獲麟 ( くわくりん ) 後集 ( こうしふ )は 世 ( よゝ ) 丘 ( きう )を 知 ( し )る、 贈爵新恩銘刻石。 獲麟後集世知丘。 過菅丞相廟拝安楽寺 大江以言 古今 いつはりのなきよなりせばいかばかり ひとのことのはうれしからまし 読人不知 酒 ( さけ ) 新豊 ( しんぽう )の 酒 ( さけ )の 色 ( いろ )は、 鸚鵡 ( あうむ ) 盃 ( はい )の 中 ( うち )に 清冷 ( せいれい )たり、 長楽 ( ちやうらく )の 歌 ( うた )の 声 ( こゑ )は、 鳳凰 ( ほうわう ) 管 ( くわん )の 裏 ( うち )に 幽咽 ( いうえつ )す、 新豊酒色。 清冷於鸚鵡之盃中。 長楽歌声。 幽咽於鳳凰之管裏。 送友人帰大梁賦 公乗億 しんのけんゐしやうぐんりうはくりんは、 さけをたしなみてしゆとくのしやうをつくりよにつたふ、 たうのたいしのひんかくはくらくてんも、 またさけをたしなみしゆこうのさんをつくり、もつてこれにつぐ、 晋 ( しん )の 建威将軍 ( けんゐしやうぐん ) 劉伯倫 ( りうはくりん )は、 酒 ( さけ )を 嗜 ( たしな )みて 酒徳 ( しゆとく )の 頌 ( しやう )を 作 ( つく )り 世 ( よ )に 伝 ( つた )ふ、 唐 ( たう )の 太子 ( たいし )の 賓客 ( ひんかく ) 白楽天 ( はくらくてん )も、 また 酒 ( さけ )を 嗜 ( たしな )み 酒功 ( しゆこう )の 讚 ( さん )を 作 ( つく )り、 以 ( もつ )てこれに 継 ( つ )ぐ、 晋建威将軍劉伯倫嗜酒。 作酒徳頌伝於世。 唐太子賓客白楽天亦嗜酒。 作酒功讚以継之。 酒功賛序 白居易 かぜにのぞめるせうしうのき、 さけにたいするちやうねんのひと、 ゑへるかほはさうえふのごとし、 くれなゐといへどもこれはるならず、 風 ( かぜ )に 臨 ( のぞ )める 抄秋 ( せうしう )の 樹 ( き )、 酒 ( さけ )に 対 ( たい )する 長年 ( ちやうねん )の 人 ( ひと )、 酔 ( ゑ )へる 貎 ( かほ )は 霜葉 ( さうえふ )のごとし、 紅 ( くれなゐ )といへどもこれ 春 ( はる )ならず、 臨風抄秋樹。 対酒長年人。 酔貎如霜葉。 雖紅不是春。 酔中対紅葉 同 せいけいなげうちきたるしこれげふたり、 かゑんばうきやくしてさけをきやうとなす、 生計 ( せいけい ) 抛 ( なげう )ち 来 ( きた )る 詩 ( し )これ 業 ( げふ )たり、 家園 ( かゑん ) 忘却 ( ばうきやく )して 酒 ( さけ )を 郷 ( きやう )となす、 生計抛来詩是業。 家園忘却酒為郷。 送蕭処士遊黔南 同 ちやはよくもんをさんずれどもこうをなすことあさし、 けんはうれひをわするといへどもちからをうることかすかなり、 茶 ( ちや )はよく 悶 ( もん )を 散 ( さん )ずれども 功 ( こう )をなすこと 浅 ( あさ )し、 萱 ( けん )は 憂 ( うれ )ひを 忘 ( わす )るといへども 力 ( ちから )を 得 ( う )ること 微 ( かすか )なり、 茶能散悶為功浅。 萱噵忘憂得力微。 賞酒之詩 同 もしえいきをしてかねてゑひをげせしめば、 まさにしらくといふべしみつとはいはじ、 もし 栄期 ( えいき )をして 兼 ( か )ねて 酔 ( ゑ )ひを 解 ( げ )せしめば、 まさに 四楽 ( しらく )と 言 ( い )ふべし 三 ( み )つとは 言 ( い )はじ、 若使栄期兼解酔。 応言四楽不言三。 すゐきやうしのくには、 しいじひとりおんくわのてんにほこり、 しゆせんぐんのたみは、 いつけういまだごいんのちをしらず、 酔郷氏 ( すゐきやうし )の 国 ( くに )は、 四時 ( しいじ )ひとり 温和 ( おんくわ )の 天 ( てん )に 誇 ( ほこ )り、 酒泉郡 ( しゆせんぐん )の 民 ( たみ )は、 一頃 ( いつけう )いまだ 沍陰 ( ごいん )の 地 ( ち )を 知 ( し )らず、 酔郷氏之国。 四時独誇温和之天。 酒泉郡之民。 一頃未知沍陰之地。 煖寒従飲酒詩序 大江匡衡 このみすなはちじやうりんゑんのけんずるところ、 ふくめばおのづからきゆ、 さけはこれかじやくそんのつたふるところ、 かたむくればはなはだびなり、 菓 ( このみ )すなはち 上林苑 ( じやうりんゑん )の 献 ( けん )ずるところ、 含 ( ふく )めば 自 ( おのづか )ら 消 ( き )ゆ、 酒 ( さけ )はこれ 下若村 ( かじやくそん )の 伝 ( つた )ふるところ、 傾 ( かたむ )くれば 甚 ( はなは )だ 美 ( び )なり、 菓則上林苑之所献。 含自消。 酒是下若村之所伝。 傾甚美。 内宴詩序 大江朝綱 まづげんせきにあひてきやうだうとなし、 やうやくりうれいにつきてどふうをとふ、 先 ( ま )づ 阮籍 ( げんせき )に 逢 ( あ )ひて 郷導 ( きやうだう )と 為 ( な )し、 漸 ( やうや )く 劉伶 ( りうれい )に 就 ( つ )きて 土風 ( どふう )を 問 ( と )ふ、 先逢阮籍為郷導。 漸就劉伶問土風。 入酔郷贈納言 橘相公 さとはけんとくにとなりてかうほにあらず、 さかひはむかにせつしてすなはちざばうす、 邑 ( さと )は 建徳 ( けんとく )に 隣 ( とな )りて 行歩 ( かうほ )にあらず、 境 ( さかひ )は 無何 ( むか )に 接 ( せつ )してすなはち 坐亡 ( ざばう )す、 邑隣建徳非行歩。 境接無何便坐亡。 同前後中書王 わうせきがさとのかすみはなみをめぐりてもろく、 けいかうがやまのゆきはながれをおひてとぶ、 王勣 ( わうせき )が 郷 ( さと )の 霞 ( かすみ )は 浪 ( なみ )を 繞 ( めぐ )りて 脆 ( もろ )く、 嵆康 ( けいかう )が 山 ( やま )の 雪 ( ゆき )は 流 ( ながれ )を 逐 ( お )ひて 飛 ( と )ぶ、 王勣郷霞繞浪脆。 嵆康山雪逐流飛。 酔看落水花 慶滋保胤 拾遺 ありあけのここちこそすれさかづきの ひかりもそひていでぬとおもへば 大中臣能宣 山 ( やま ) 附山水 まゆずみのいろははるかにさうかいのうへにのぞみ、 いづみのこゑははるかにはくうんのうちにおつ、 黛 ( まゆずみ )の 色 ( いろ )は 迥 ( はる )かに 蒼海 ( さうかい )の 上 ( うへ )に 臨 ( のぞ )み、 泉 ( いづみ )の 声 ( こゑ )は 遥 ( はる )かに 白雲 ( はくうん )の 中 ( うち )に 落 ( お )つ、 黛色迥臨蒼海上。 泉声遥落白雲中。 題百丈山 賀蘭暹 しようちはもとよりさだまれるあるじなし、 おほむねやまはやまをあいするひとにぞくす、 勝地 ( しようち )はもとより 定 ( さだ )まれる 主 ( あるじ )なし、 おほむね 山 ( やま )は 山 ( やま )を 愛 ( あい )する 人 ( ひと )に 属 ( ぞく )す、 勝地本来無定主。 大都山属愛山人。 遊雲居寺贈穆三十六地主 白居易 よるのつるねむりおどろきしようげつさやかなり、 あかつきむさゝびとびおちてかふえんさむし、 夜 ( よる )の 鶴 ( つる ) 眠 ( ねむ )り 驚 ( おどろ )き 松月 ( しようげつ ) 苦 ( さやか )なり、 暁 ( あかつき ) 鼯 ( むさゝび ) 飛 ( と )び 落 ( お )ちて 峡煙 ( かふえん ) 寒 ( さむ )し、 夜鶴眠驚松月苦。 暁鼯飛落峡煙寒。 題遥嶺暮烟 都在中 ぐわんせんなげうちきたりてせいたいあらはれ、 らゐまきしりぞけてすいへいあきらかなり、 紈扇 ( ぐわんせん ) 抛 ( なげう )ち 来 ( きた )りて 青黛 ( せいたい ) 露 ( あら )はれ、 羅帷 ( らゐ ) 巻 ( ま )き 却 ( しりぞ )けて 翠屏 ( すいへい ) 明 ( あき )らかなり、 紈扇抛来青黛露。 羅帷巻却翠屏明。 遠山暮烟歛 具平親王 しゆうらいあかつきおこりてはやしのいたゞきおいたり、 ぐんげんくれにたゝきてたにのそこさむし、 衆籟 ( しゆうらい ) 暁 ( あかつき ) 興 ( おこ )りて 林 ( はやし )の 頂 ( いたゞき ) 老 ( お )いたり、 群源 ( ぐんげん ) 暮 ( くれ )に 叩 ( たゝ )きて 谷 ( たに )の 心 ( そこ ) 寒 ( さむ )し、 衆籟暁興林頂老。 群源暮叩谷心寒。 秋声多在山 大江以言 拾遺 なのみしてやまはみかさもなかりけり あさひゆふひのさすにまかせて 紀貫之 拾遺 くものゐるこしのしらやまおいにけり おほくのとしの雪つもりつつ 壬生忠見 拾遺 みわたせばまつの葉しろきよしのやま いく世つもれるゆきにかあるらん 平兼盛 山水 ( さんすゐ ) たいさんはどじやうをゆづらず、 ゆゑによくそのたかきことをなし、 かかいはさいりうをいとはず、 ゆゑによくそのふかきことをなす、 泰山 ( たいさん )は 土壌 ( どじやう )を 譲 ( ゆづ )らず、 故 ( ゆゑ )によくその 高 ( たか )きことを 成 ( な )し、 河海 ( かかい )は 細流 ( さいりう )を 厭 ( いと )はず、 故 ( ゆゑ )によくその 深 ( ふか )きことを 成 ( な )す、 泰山不譲土壌。 故能成其高。 河海不厭細流。 故能成其深。 上秦王書 李斯 はゑんひとたびさけびて ふねをめいげつかうのほとりにとゞめ、 こばたちまちにいばえて みちをくわうさせきのうちにうしなふ、 巴猿 ( はゑん ) 一 ( ひと )たび 叫 ( さけ )びて 舟 ( ふね )を 明月峡 ( めいげつかう )の 辺 ( ほとり )に 停 ( とゞ )め、 胡馬 ( こば ) 忽 ( たちま )ちに 嘶 ( いば )えて 路 ( みち )を 黄沙磧 ( くわうさせき )の 裏 ( うち )に 失 ( うしな )ふ、 巴猿一叫停舟於明月峡之辺。 胡馬忽嘶失路於黄沙磧之裏。 愁賦 公乗徳 ひをさへぎるぼさんはあをくしてぞく 〳 〵たり、 てんをひたすしうすゐはしろくしてばう 〳 〵たり、 日 ( ひ )を 礙 ( さへぎ )る 暮山 ( ぼさん )は 青 ( あを )くして 簇々 ( ぞく 〳 〵 )たり、 天 ( てん )を 浸 ( ひた )す 秋水 ( しうすゐ )は 白 ( しろ )くして 茫々 ( ばう 〳 〵 )たり、 礙日暮山青簇々。 浸天秋水白茫々。 登西楼憶行簡 白居易 ぎよしうのひのかげはさむくしてなみをやき、 えきろのすゞのこゑはよるやまをすぐ、 漁舟 ( ぎよしう )の 火 ( ひ )の 影 ( かげ )は 寒 ( さむ )くして 浪 ( なみ )を 焼 ( や )き、 駅路 ( えきろ )の 鈴 ( すゞ )の 声 ( こゑ )は 夜 ( よる ) 山 ( やま )を 過 ( す )ぐ、 漁舟火影寒焼浪。 駅路鈴声夜過山。 秋夜宿臨江駅 杜荀鶴 やまはびやうぶににこうはたかむしろににたり、 ふなばたをたゝきてらいわうすつきのあきらかなるうち、 山 ( やま )は 屏風 ( びやうぶ )に 似 ( に ) 江 ( こう )は 簟 ( たかむしろ )に 似 ( に )たり、 舷 ( ふなばた )を 叩 ( たゝ )きて 来往 ( らいわう )す 月 ( つき )の 明 ( あき )らかなる 中 ( うち )、 山似屏風江似簟。 叩舷来往月明中。 劉禹錫 さうもくふそたり、 はるのかぜさんぎのかみをくしけづり、 ぎよべついうぎす、 あきのみづかはくのたみをやしなふ、 草木 ( さうもく ) 扶疎 ( ふそ )たり、 春 ( はる )の 風 ( かぜ ) 山祇 ( さんぎ )の 髪 ( かみ )を 梳 ( くしけづ )り、 魚鼈 ( ぎよべつ ) 遊戯 ( いうぎ )す、 秋 ( あき )の 水 ( みづ ) 河伯 ( かはく )の 民 ( たみ )を 養 ( やしな )ふ、 草木扶疎。 春風梳山祇之髪。 魚鼈遊戯。 秋水養河伯之民。 山水策 大江澄明 かんかうひとりゆくすみか、 くわやくもとのごとし、 はんれいへんしうのとまり、 えんぱこれあらたなり 韓康 ( かんかう ) 独 ( ひとり ) 往 ( ゆ )く 栖 ( すみか )、 花薬 ( くわやく ) 旧 ( もと )のごとし、 范蠡 ( はんれい ) 扁舟 ( へんしう )の 泊 ( とまり )、 煙波 ( えんぱ )これ 新 ( あら )たなり 韓康独往之栖。 花薬如旧。 范蠡扁舟之泊。 煙波惟新。 同 大江澄明 やままたやま、いづれのたくみかせいがんのかたちをけづりなせる、 みづまたみづ、たれがいへにかへきたんのいろをそめいだせる 山 ( やま )また 山 ( やま )、 何 ( いづ )れの 工 ( たくみ )か 青巌 ( せいがん )の 形 ( かたち )を 削 ( けづ )り 成 ( な )せる、 水 ( みづ )また 水 ( みづ )、 誰 ( た )れが 家 ( いへ )にか 碧潭 ( へきたん )の 色 ( いろ )を 染 ( そ )め 出 ( い )だせる 山復山。 何工削成青巌之形。 水復水。 誰家染出碧澗之色。 同 大江澄明 さんいうのゑんじゆはくものひらくるところ、 かいがんのこそんはひのはるゝとき、 山郵 ( さんいう )の 遠樹 ( ゑんじゆ )は 雲 ( くも )の 開 ( ひら )くる 処 ( ところ )、 海岸 ( かいがん )の 孤村 ( こそん )は 日 ( ひ )の 霽 ( は )るゝ 時 ( とき )、 山郵遠樹雲開処。 海岸孤村日霽時。 春日送別 橘直幹 やまはきやうはいをなすしややうのうち、 みづはくわいりうににたりじんらいのあひだ、 山 ( やま )は 向背 ( きやうはい )を 成 ( な )す 斜陽 ( しややう )の 裏 ( うち )、 水 ( みづ )は 廻流 ( くわいりう )に 似 ( に )たり 迅瀬 ( じんらい )の 間 ( あひだ )、 山成向背斜陽裏。 水似廻流迅瀬間。 春日山居 大江朝綱 拾遺 神なびのみむろのきしやくづるらん たつたの川の水のにごれる 高向草春 水 ( みづ ) 附漁父 へんじやうのぼくばしきりにいばふ、 へいさびやうびやうたり、 かうろのせいはんこと 〴 〵くさる、 ゑんがんさうさうたり、 辺城 ( へんじやう )の 牧馬 ( ぼくば )しきりに 嘶 ( いば )ふ、 平沙 ( へいさ ) 眇々 ( びやうびやう )たり、 江路 ( かうろ )の 征帆 ( せいはん )こと 〴 〵く 去 ( さ )る、 遠岸 ( ゑんがん ) 蒼々 ( さうさう )たり、 辺城之牧馬連嘶。 平沙眇々。 江路之征帆尽去。 遠岸蒼々。 暁賦 謝観 しふはかんばしくしてとじやくなかごをぬきいでゝちやうぜり、 すなはあたゝかにしてゑんあうつばさをしきてねむる、 州 ( しふ )は 芳 ( かんば )しくして 杜若 ( とじやく ) 心 ( なかご )を 抽 ( ぬきい )でゝ 長 ( ちやう )ぜり、 沙 ( すな )は 暖 ( あたゝ )かにして 鴛鴦 ( ゑんあう ) 翅 ( つばさ )を 敷 ( し )きて 眠 ( ねむ )る、 州芳杜若抽心長。 沙暖鴛鴦敷翅眠。 楽府、昆明春水満詩 白居易 ほひらきてはせいさうこのうちにさり、 ころもうるほひてはくわうばいうのうちにゆく、 帆 ( ほ ) 開 ( ひら )きては 青草湖 ( せいさうこ )の 中 ( うち )に 去 ( さ )り、 衣 ( ころも ) 湿 ( うる )ほひては 黄梅雨 ( くわうばいう )の 裏 ( うち )に 行 ( ゆ )く、 帆開青草湖中去。 衣湿黄梅雨裏行。 送客之湖南 白居易 すゐえきのみちはじてんのつきをうがち、 くわせんのさをはぢよこのはるにいる、 水駅 ( すゐえき )の 路 ( みち )は 児店 ( じてん )の 月 ( つき )を 穿 ( うが )ち、 華船 ( くわせん )の 棹 ( さを )は 女湖 ( ぢよこ )の 春 ( はる )に 入 ( い )る、 水駅路穿児店月。 華船棹入女湖春。 送劉郎中赴任蘇州 白居易 ころのひさごははるのこまやかなるさけをくみ、 さくばうのふねはよるのみなぎるなだにながる、 菰蘆 ( ころ )の 杓 ( ひさご )は 春 ( はる )の 濃 ( こま )やかなる 酒 ( さけ )を 酌 ( く )み、 舴艋 ( さくばう )の 舟 ( ふね )は 夜 ( よる )の 漲 ( みなぎ )る 灘 ( なだ )に 流 ( なが )る、 菰蘆杓酌春濃酒。 舴艋舟流夜漲灘。 贈戯漁家 杜荀鶴 かんきよはたれびとにかぞくする、 ししいでんのほんしゆなり、 しうすゐはいづれのところにかみる、 すざくゐんのしんかなり、 閑居 ( かんきよ )は 誰人 ( たれびと )にか 属 ( ぞく )する、 紫宸殿 ( ししいでん )の 本主 ( ほんしゆ )なり、 秋水 ( しうすゐ )は 何 ( いづ )れの 処 ( ところ )にか 見 ( み )る、 朱雀院 ( すざくゐん )の 新家 ( しんか )なり、 閑居属於誰人。 紫宸殿之本主也。 秋水見於何処。 朱雀院之新家也。 閑居楽秋水序 菅原道真 つりをたるゝものはうををえず、 あんにふいうのこゝろあることをおもひ、 さををうつすものはたゞかりをきく、 はるかにりよしゆくのときにしたがふことをかんず、 釣 ( つり )を 垂 ( た )るゝ 者 ( もの )は 魚 ( うを )を 得 ( え )ず、 暗 ( あん )に 浮遊 ( ふいう )の 意 ( こゝろ )あることを 思 ( おも )ひ、 棹 ( さを )を 移 ( うつ )す 者 ( もの )はたゞ 雁 ( かり )を 聞 ( き )く、 遥 ( はる )かに 旅宿 ( りよしゆく )の 時 ( とき )に 随 ( したが )ふことを 感 ( かん )ず、 垂釣者不得魚。 暗思浮遊之有意。 移棹者唯聞雁。 遥感旅宿之随時。 同 菅原道真 さとうにいんをきざむかもめのあそぶところ、 すゐていにしよをうつすかりのわたるとき、 沙頭 ( さとう )に 印 ( いん )を 刻 ( きざ )む 鴎 ( かもめ )の 遊 ( あそ )ぶ 処 ( ところ )、 水底 ( すゐてい )に 書 ( しよ )を 模 ( うつ )す 雁 ( かり )の 度 ( わた )る 時 ( とき )、 沙頭刻印鴎遊処。 水底模書鴈度時。 題洞庭湖 大江朝綱 につきやくなみたひらかにしてこたうくれ、 ふうとうきしとほくしてきやくはんさむし、 日脚 ( につきやく ) 波 ( なみ ) 平 ( たひら )かにして 孤嶋 ( こたう ) 暮 ( く )れ、 風頭 ( ふうとう ) 岸 ( きし ) 遠 ( とほ )くして 客帆 ( きやくはん ) 寒 ( さむ )し、 日脚波平孤嶋暮。 風頭岸遠客帆寒。 海浜書懐 平佐幹 古今 としをへて花のかがみとなるみづは ちりかかるをやくもるといふらん 伊勢 詞華 みなかみのさだめてければ君がよに ふたたびすめるほり川のみづ 曽禰好忠 禁中 ( きんちう ) ほうちのこうめんにはしんしうのつき、 りようけつのぜんとうにははくぼのやま、 鳳地 ( ほうち )の 後面 ( こうめん )には 新秋 ( しんしう )の 月 ( つき )、 龍闕 ( りようけつ )の 前頭 ( ぜんとう )には 薄暮 ( はくぼ )の 山 ( やま )、 鳳地後面新秋月。 龍闕前頭薄暮山。 題東北旧院小寄亭 白居易 しうげつたかくかゝれりくうへきのほか、 せんらうしづかにもてあそぶきんゐのあひだ、 秋月 ( しうげつ ) 高 ( たか )く 懸 ( かゝ )れり 空碧 ( くうへき )の 外 ( ほか )、 仙郎 ( せんらう ) 静 ( しづ )かに 翫 ( もてあそ )ぶ 禁闈 ( きんゐ )の 間 ( あひだ )、 秋月高懸空碧外。 仙郎静翫禁闈間。 八月十五日夜聞崔大員外林翰林独直対酒翫月因懐禁中清景 同 さんぜんのせんにんはたれかきくことをえん、 がんげんでんのすみのくわんげんのこゑ、 三千 ( さんぜん )の 仙人 ( せんにん )は 誰 ( たれ )か 聴 ( き )くことを 得 ( え )ん、 含元殿 ( がんげんでん )の 角 ( すみ )の 管絃 ( くわんげん )の 声 ( こゑ )、 三千仙人誰得聴。 含元殿角管絃声。 及弟日報破東平 章孝標 けいじんあかつきにとなふる、 こゑめいわうのねむりをおどろかす、 ふしようよるなる、 ひゞきあんてんのききにてつす、 鶏人 ( けいじん ) 暁 ( あかつき )に 唱 ( とな )ふる、 声 ( こゑ ) 明王 ( めいわう )の 眠 ( ねむ )りを 驚 ( おどろ )かす、 鳧鐘 ( ふしよう ) 夜 ( よる ) 鳴 ( な )る、 響 ( ひゞき ) 暗天 ( あんてん )の 聴 ( き )きに 徹 ( てつ )す、 鶏人暁唱。 声驚明王之眠。 鳧鐘夜鳴。 響徹暗天之聴。 漏刻策 都良香 てうこうひたかくしてかんむりのひたひぬけたり、 やかうすなあつくしてくつのこゑいそがはし、 朝候 ( てうこう ) 日 ( ひ ) 高 ( たか )くして 冠 ( かんむり )の 額 ( ひたひ ) 抜 ( ぬ )けたり、 夜行 ( やかう ) 沙 ( すな ) 厚 ( あつ )くして 履 ( くつ )の 声 ( こゑ ) 忙 ( いそ )がはし、朝候日高冠額抜。 夜行沙厚履声忙。 連句 作者未詳 家集 みかき守衛士のたくひにあらねども われもこころのうちにこそたけ 中務 拾遺 ここにだにひかりさやけきあきの月 雲のうへこそおもひやらるれ 藤原経臣 古京 ( こきやう ) りよくさうはいまびろくのその、 こうくわはさだめてむかしのくわんげんのいへならん、 緑草 ( りよくさう )は 如今 ( いま ) 麋鹿 ( びろく )の 苑 ( その )、 紅花 ( こうくわ )は 定 ( さだ )めて 昔 ( むかし )の 管絃 ( くわんげん )の 家 ( いへ )ならん、 緑草如今麋鹿苑。 紅花定昔管絃家。 過平城古京 菅原文時 新古今 いそのかみふるきみやこをきてみれば むかしかざしし花さきにけり 読人不知 故宮 ( こきう ) 附故宅 いんしんたるこりうそくわい、 はるにしてはるのいろなし、 くわくらくたるきようくわいう、 あきにしてあきのこゑあり、 陰森 ( いんしん )たる 古柳 ( こりう ) 疎槐 ( そくわい )、 春 ( はる )にして 春 ( はる )の 色 ( いろ ) 無 ( な )し、 獲落 ( くわくらく )たる 危牖 ( きよう ) 壊宇 ( くわいう )、 秋 ( あき )にして 秋 ( あき )の 声 ( こゑ ) 有 ( あ )り、 陰森古柳疎槐。 春無春色。 獲落危牖壊宇。 秋有秋声。 連昌宮賦 公乗億 うてなかたむきてはくわつせきなほみぎりにのこれり、 すだれたえてはしんじゆこうにみたず、 台 ( うてな ) 傾 ( かたむ )きては 滑石 ( くわつせき )なほ 砌 ( みぎり )に 残 ( のこ )れり、 簾 ( すだれ ) 断 ( た )えては 真珠 ( しんじゆ ) 鉤 ( こう )に 満 ( み )たず、 台傾滑石猶残砌。 簾断真珠不満鉤。 題于家公主雋宅 白居易 きやうごほろびてけいきよくあり、 こそだいのつゆじやうじやうたり、 ばうしんおとろへてこらうなし、 かんやうきうのけむりへん 〳 〵たり、 強呉 ( きやうご ) 滅 ( ほろ )びて 荊蕀 ( けいきよく )あり、 姑蘇台 ( こそだい )の 露 ( つゆ ) 瀼々 ( じやうじやう )たり、 暴秦 ( ばうしん ) 衰 ( おとろ )へて 虎狼 ( こらう )なし、 咸陽宮 ( かんやうきう )の 煙 ( けむり ) 片々 ( へん 〳 〵 )たり、 強呉滅兮有荊蕀。 姑蘇台之露瀼々 暴秦衰兮無虎狼。 咸陽宮之煙片々。 河原院賦 源順 らうかくはもとよりせんどうののりもの、 かんうんはむかしのぎろうのころも、 老鶴 ( らうかく )はもとより 仙洞 ( せんどう )の 駕 ( のりもの )、 寒雲 ( かんうん )は 昔 ( むかし )の 妓楼 ( ぎろう )の 衣 ( ころも )、 老鶴従来仙洞駕。 寒雲在昔妓楼衣。 嵯峨旧院即事 菅原道真 こくわつゆをつつんでざんぷんになき、 ぼてうかぜにすみてはいりをまもる、 孤花 ( こくわ ) 露 ( つゆ )を 裹 ( つつ )んで 残粉 ( ざんぷん )に 啼 ( な )き、 暮鳥 ( ぼてう ) 風 ( かぜ )に 栖 ( す )みて 廃籬 ( はいり )を 守 ( まも )る、 孤花裹露啼残粉。 暮鳥栖風守廃籬。 題后妃旧院 良岑春道 くわうりにつゆをみればしうらんなき、 しんどうにかぜをきけばらうくわいかなしむ、 荒籬 ( くわうり )に 露 ( つゆ )を 見 ( み )れば 秋蘭 ( しうらん ) 泣 ( な )き、 深洞 ( しんどう )に 風 ( かぜ )を 聞 ( き )けば 老桧 ( らうくわい ) 悲 ( かな )しむ、 荒籬見露秋蘭泣。 深洞聞風老桧悲。 秋日過仁和寺 源英明 くれになん 〳 〵としてすだれのほとりにはくろをしやうじ、 よもすがらとこのもとにせいてんをみる、 晩 ( くれ )になん 〳 〵として 簾 ( すだれ )の 頭 ( ほとり )に 白露 ( はくろ )を 生 ( しやう )じ、 終宵 ( よもすがら ) 床 ( とこ )の 底 ( もと )に 青天 ( せいてん )を 見 ( み )る、 向晩簾頭生白露。 終霄床底見青天。 屋舎壊 三善宰相 古今六帖 きみなくてあれたるやどの板間より 月のもるにも袖はぬれけり 読人不知 古今 きみなくてけぶりたえにししほがまの うらさびしくもみえわたるかな 紀貫之 家集 いにしへはちるをや人のをしみけん いまははなこそむかしこふらし 一条摂政 仙家 ( せんか ) 附道士隠倫 こちうのてんちはけんこんのほか、 むりのしんめいはたんぼのあひだ、 壺中 ( こちう )の 天地 ( てんち )は 乾坤 ( けんこん )の 外 ( ほか )、 夢裏 ( むり )の 身名 ( しんめい )は 旦暮 ( たんぼ )の 間 ( あひだ )、 壺中天地乾坤外。 夢裏身名旦暮間。 幽栖 元稹 やくろにひありてたんまさにふくすべし、 うんたいにひとなくしてみづおのづからうすづく、 薬炉 ( やくろ )に 火 ( ひ ) 有 ( あ )りて 丹 ( たん )まさに 伏 ( ふく )すべし、 雲碓 ( うんたい )に 人 ( ひと ) 無 ( な )くして 水 ( みづ ) 自 ( おのづか )ら 舂 ( うすづ )く、 薬炉有火丹応伏。 雲碓無人水自舂。 尋郭道士不遇 白居易 やまのもとにわらびをとればくもいとはず、ほらのうちにきをううればつるまづしる、 山 ( やま )の 底 ( もと )に 薇 ( わらび )を 採 ( と )れば 雲 ( くも ) 厭 ( いと )はず、 洞 ( ほら )の 中 ( うち )に 樹 ( き )を 栽 ( う )うれば 鶴 ( つる ) 先 ( ま )づ 知 ( し )る、 山底採薇雲不厭。 洞中栽樹鶴先知。 卜山居 温庭筠 さんこにくもうかぶ、 しちばんりのみちになみをわかつ、 ごじやうにかすみそばだち、 じふにろうのかまへてんをさしはさむ、 三壺 ( さんこ )に 雲 ( くも ) 浮 ( うか )ぶ、 七万里 ( しちばんり )の 程 ( みち )に 浪 ( なみ )を 分 ( わか )つ、 五城 ( ごじやう )に 霞 ( かすみ ) 峙 ( そばだ )ち、 十二楼 ( じふにろう )の 構 ( かまへ ) 天 ( てん )を 挿 ( さしはさ )む、 三壺雲浮。 七万里之程分浪。 五城霞峙。 十二楼之構挿天。 神仙策 都良香 きけんはなにほゆるこゑ、 こうたうのうらにながる、 きやうふうはをふるふか、 しけいのはやしにわかる、 奇犬 ( きけん ) 花 ( はな )に 吠 ( ほ )ゆる 声 ( こゑ )、 紅桃 ( こうたう )の 浦 ( うら )に 流 ( なが )る、 驚風 ( きやうふう ) 葉 ( は )を 振 ( ふる )ふ 香 ( か )、 紫桂 ( しけい )の 林 ( はやし )に 分 ( わか )る、 奇犬吠花。 声流於紅桃之浦。 驚風振葉香。 分紫桂之林。 同 都良香 あやまちてせんかにいりてはんにちのきやくとなるといへども、 おそらくはきうりにかへりてわづかにしちせいのまごにあはん、 謬 ( あやま )ちて 仙家 ( せんか )に 入 ( い )りて 半日 ( はんにち )の 客 ( きやく )となるといへども、 恐 ( おそ )らくは 旧里 ( きうり )に 帰 ( かへ )りて 纔 ( わづ )かに 七世 ( しちせい )の 孫 ( まご )に 逢 ( あ )はん、 謬入仙家雖為半日之客。 恐帰旧里纔逢七世之孫。 二条院宴落花乱舞衣序 大江朝綱 たんさうみちなりてせんしつしづかに、 さんちゆうのけいしよくげつくわたれたり、 丹竃 ( たんさう ) 道 ( みち ) 成 ( な )りて 仙室 ( せんしつ ) 静 ( しづ )かに、 山中 ( さんちゆう )の 景色 ( けいしよく ) 月華 ( げつくわ ) 低 ( た )れたり、 丹竃道成仙室静。 山中景色月華低。 山中有仙室 菅原文時 せきしやうほらにとゞまりてあらしむなしくはらひ、 ぎよくあんはやしになげうたれてとりひとりなく、 石床 ( せきしやう ) 洞 ( ほら )に 留 ( とゞま )りて 嵐 ( あらし ) 空 ( むな )しく 払 ( はら )ひ、 玉案 ( ぎよくあん ) 林 ( はやし )に 抛 ( なげう )たれて 鳥 ( とり ) 独 ( ひと )り 啼 ( な )く、 石床留洞嵐空払。 玉案抛林鳥独啼。 同胸句也 菅原文時 たうりものいはずはるはいくたびかくれぬ、 えんかあとなくむかしたれかすみし、 桃李 ( たうり ) 言 ( ものい )はず 春 ( はる )は 幾 ( いく )たびか 暮 ( く )れぬ、 煙霞 ( えんか ) 跡 ( あと ) 無 ( な )く 昔 ( むかし ) 誰 ( たれ )か 栖 ( す )みし、 桃李不言春幾暮。 煙霞無跡昔誰栖。 同腰句也 菅原文時 わうけうひとたびさつてくもとこしなへにたえ、 いつかしやうのこゑのこけいにかへる、 王喬 ( わうけう ) 一 ( ひと )たび 去 ( さ )つて 雲 ( くも ) 長 ( とこしなへ )に 断 ( た )え、 早晩 ( いつか ) 笙 ( しやう )の 声 ( こゑ )の 故渓 ( こけい )に 帰 ( かへ )る、 王喬一去雲長断。 早晩笙声帰故渓。 同結句也 菅原文時 しやうざんにつきおちてあきのびんしろく、 えいすゐになみあがりてひだりのみゝきよし、 商山 ( しやうざん )に 月 ( つき ) 落 ( お )ちて 秋 ( あき )の 鬚 ( びん ) 白 ( しろ )く、 潁水 ( えいすゐ )に 波 ( なみ ) 揚 ( あが )りて 左 ( ひだり )の 耳 ( みゝ ) 清 ( きよ )し、 商山月落秋鬚白。 潁水波揚左耳清。 山中自述 大江朝綱 きうかんにこゑありてかんりうむせび、 こざんにぬしなくしてばんうんこなり、 虚澗 ( きうかん )に 声 ( こゑ ) 有 ( あ )りて 寒溜 ( かんりう ) 咽 ( むせ )び、 故山 ( こざん )に 主 ( ぬし ) 無 ( な )くして 晩雲 ( ばんうん ) 孤 ( こ )なり、 虚澗有声寒溜咽。 故山無主晩雲孤。 山無隠士 紀長谷雄 ゆめをとをしてよはふけぬらどうのつき、 あとをたづねてはるはくれぬりうもんのちり、 夢 ( ゆめ )を 通 ( とを )して 夜 ( よ )は 深 ( ふ )けぬ 蘿洞 ( らどう )の 月 ( つき )、 蹤 ( あと )を 尋 ( たづ )ねて 春 ( はる )は 暮 ( く )れぬ 柳門 ( りうもん )の 塵 ( ちり )、 通夢夜深蘿洞月。 尋蹤春暮柳門塵。 遠念賢士風 菅原文時 古今 ぬれてほす山路のきくの露のまに いつかちとせをわれはへにけむ 素性法師 山家 ( さんか ) ゐあいじのかねはまくらをそばだてゝきき、 かうろほうのゆきはすだれをかゝげてみる、 遺愛寺 ( ゐあいじ )の 鐘 ( かね )は 枕 ( まくら )を 欹 ( そばだ )てゝ 聴 ( き )き、 香爐峯 ( かうろほう )の 雪 ( ゆき )は 簾 ( すだれ )を 撥 ( かゝ )げて 看 ( み )る、 遺愛寺鐘欹枕聴。 香鑪峯雪巻簾看。 寺近香爐峰下 白居易 らんせうのはなのときのにしきのとばりのもと、 ろざんのあめのよるくさのいほりのうち、 蘭省 ( らんせう )の 花 ( はな )の 時 ( とき )の 錦 ( にしき )の 帳 ( とばり )の 下 ( もと )、 廬山 ( ろざん )の 雨 ( あめ )の 夜 ( よる ) 草 ( くさ )の 菴 ( いほり )の 中 ( うち )、 蘭省花時錦帳下。 廬山雨夜草菴中。 廬山草堂雨夜独宿 白居易 ぎよふのばんせんはうらをへだてゝつり、 ぼくどうのかんてきはうしによりてふく、 漁父 ( ぎよふ )の 晩船 ( ばんせん )は 浦 ( うら )を 分 ( へだ )てゝ 釣 ( つ )り、 牧童 ( ぼくどう )の 寒笛 ( かんてき )は 牛 ( うし )に 倚 ( よ )りて 吹 ( ふ )く、 漁父晩船分浦釣。 牧童寒笛倚牛吹。 登石壁水閣 杜荀鶴 わうしやうしよがれんふはうるはしきことはすなはちうるはし、 うらむらくはたゞこうがんのひんのみあることを、 けいちうさんがちくりんはいうなることはすなはちいうなり、 きらふらくはほとんどそろんのしにあらざることを、 王尚書 ( わうしやうしよ )が 蓮府 ( れんふ )は 麗 ( うるは )しきことはすなはち 麗 ( うるは )し、 恨 ( うら )むらくは 唯 ( たゞ ) 紅顔 ( こうがん )の 賓 ( ひん )のみ 有 ( あ )ることを、 嵆仲散 ( けいちうさん )が 竹林 ( ちくりん )は 幽 ( いう )なることはすなはち 幽 ( いう )なり、 嫌 ( きら )ふらくは 殆 ( ほとん )ど 素論 ( そろん )の 士 ( し )に 非 ( あら )ざることを、 王尚書之蓮府麗則麗。 恨唯有紅顔之賓。 嵆仲散之竹林幽則幽。 嫌殆非素論之士。 尚歯会詩序 菅原文時 みんなみにのぞめばすなはちくわんろのながきあり、 かうじんせいばすゐれんのもとにらくえきたり、 ひがしにかへりみればまたりんたうのたへなるあり、 しゑんはくおうしゆかんのまへにせうえうす、 南 ( みんなみ )に 望 ( のぞ )めばすなはち 関路 ( くわんろ )の 長 ( なが )きあり、 行人征馬 ( かうじんせいば ) 翠簾 ( すゐれん )の 下 ( もと )に 駱駅 ( らくえき )たり、 東 ( ひがし )に 顧 ( かへり )みればまた 林塘 ( りんたう )の 妙 ( たへ )なるあり、 紫鴛白鴎 ( しゑんはくおう ) 朱檻 ( しゆかん )の 前 ( まへ )に 逍遥 ( せうえう )す、 南望則有関路之長。 行人征馬駱駅於翠簾之下。 東顧亦有林塘之妙。 紫鴛白鴎逍遥於朱檻之前。 秋花逐露開詩序 源順 さんろにひくれぬ、 みゝにみつるものはせうかぼくてきのこゑ、 かんこにとりかへり、 まなこをさへぎるものはちくえんしようぶのいろ、 山路 ( さんろ )に 日 ( ひ ) 暮 ( く )れぬ、 耳 ( みゝ )に 満 ( み )つるものは 樵歌 ( せうか ) 牧笛 ( ぼくてき )の 声 ( こゑ )、 澗戸 ( かんこ )に 鳥 ( とり ) 帰 ( かへ )り、 眼 ( まなこ )を 遮 ( さへぎ )るものは 竹煙 ( ちくえん ) 松霧 ( しようぶ )の 色 ( いろ )、 山路日落。 満耳者樵歌牧笛之声。

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気になる歌人/歌 気になる歌人/歌 このページは何気なく目にした歌のなかからいろいろと詮索したくなる歌人を取り上げ、メモした内容のあくまでも私個人の記録です。 気になる歌人の生い立ち、生き方などを調べ、気に入った歌を載せていこうと思います。 例えば「西行」についてインターネット検索すると、相当の情報が得られます。 学者でも専門家でもないので自分で理解できる程度のことで、簡単なメモ程度のことで充分かと。 あくまで自分の気になる歌、好きな歌 百人一首からも気に入った歌を選んで載せていこうかと。 ボチボチ気の付いたことから進めてみます。 参考のコーナー 歌人 西行 佐藤 義清(さとう のりきよ)。 平清盛と同年 元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月23日) 生涯(抜粋) 秀郷流武家藤原氏の出自で、藤原秀郷の9代目の子孫。 佐藤氏は義清の曽祖父公清の代より称し、家系は代々衛府に仕える 16歳ごろから 徳大寺家に仕え、この縁で後にもと主家の実能や公能と親交を結ぶこととなる。 保延元年(1135年)18歳で左兵衛尉(左兵衛府の第三等官)に任ぜられ、同3年(1137年) 鳥羽院の北面武士としても奉仕していたことが記録に残る。 和歌と故実に通じた人物として知られていたが、同6年(1140年) 23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称した。 出家直後は鞍馬などの京都北麓に隠棲し、天養初年(1144年)ごろ奥羽地方へはじめての旅行。 (27歳) 久安4年(1149年)前後に高野山(和歌山県高野町)に入り、仁安3年(1168年)に中四国への旅を行った。 文治2年(1186年)(69歳)に東大寺勧進のため二度目の奥州下りを行い、伊勢に数年住ったあと河内弘川寺(大阪府河南町)に庵居。 建久元年(1190年)にこの地で入寂した。 かつて「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ願いに違わなかったとして、その生きざまが 藤原定家や僧 慈円の感動と共感を呼び当時名声を博した。 歴史の勉強ではないが、NHK大河ドラマ「平の清盛」及び源氏の時代へと動乱の時代はややこしく,把握しておかなければならない。 保元の乱、平治の乱で平家の世になり、その後「源 頼朝」の鎌倉幕府までの経緯など、飛鳥、奈良、平安時代の勉強が、西行を理解するうえで必要になってきた。 弘法大師と西行の関係も知る必要が。 近場の「修禅寺」も弘法大師が開祖で、「独鈷の湯」は弘法大師が掘り当てているらしい。 空海の生涯を読んでみたのですが、出生からして神がかり的なこともあり、何処までが本当か疑問な点もある。 当時の歴史と仏教とは切り離して考えることは出来ない。 少し勉強してみたい気がする。 歌に対する心のあり方は 1189年(71歳)、西行は京都高尾の神護寺へ登山する道すがら、まだ少年だった明恵上人に、西行自身がたどり着いた集大成ともいえる和歌観を語っている。 「歌は即ち如来(仏)の真の姿なり、されば一首詠んでは一体の仏像を彫り上げる思い、秘密の真言を唱える思いだ」。 「 和歌はうるはしく詠むべきなり。 古今集の風体を本として詠むべし。 中にも雑の部を常に見るべし。 但し古今にも受けられぬ体の歌少々あり。 古今の歌なればとてその体をば詠ずべからず。 心にも付けて優におぼえん其の風体の風理を詠むべし」・・・古今集について調べてみよう 「和歌はつねに心澄むゆゑに悪念なくて、後世 ごせ を思ふもその心をすすむるなり」(『西行上人談抄』)。 「もののふの里 葛山」 のページで紹介している「景ヶ島にある依京寺」は空海が開祖らしい。 そこに西行の手植えの松と歌があり空海と西行とのかかわりがある。 依京寺の案内板に( 依京寺にある景ヶ島之図にはお手植えの松が描かれている) ひさたえて 我が後の世を 問へよ松 あとしのぶべき 人もなき身を 某HPより 弘法大師ゆかりの地に庵を結び、西行は自然に親しみをこめて呼びかける。 讃岐国善通寺にて 久にへて我が後の世を とへよ松 跡したふべき 人もなき身ぞ 以上同じ歌だが、はたしてこの歌は依京寺の手植えの松を読んだのだろうか。 疑問 平成24年2月3日記 最近、東海地震と連動して富士山が噴火するとか、言われ始めています。 この頃(冬)の富士山は意図してみなくても毎日目にすることの出来る時期です。 私の歌の中にもついつい富士山を入れてしまいます。 西行はどんな富士を詠んでいるか気になり、そこで富士を詠んだ歌をネットで検索してみました。 けぶり立つ 富士に思ひの あらそいて よだけき恋を するがへぞ行く 注釈 「よだけき」 仰々しい、おおげさ 「たけき」 猛々しい 「 するが 」は恋を する と 駿河を掛けている。 富士山は煙を吐いていたんだ。 掛詞にする場合、ひらがなで書くのかな。 風になびく 富士の煙の 空に消えて ゆくえも知らぬ わが思ひかな この歌の解釈は以下の様らしい。 某HPより 「この明澄でなだらかな調べこそ、西行が一生をかけて到達せんと した境地であり、ここにおいて自然と人生は完全な調和を形づくる。 万葉集の山部赤人の富士の歌と比べてみるがいい。 その大きさと美しさにおいて何の遜色もないばかりか、万葉集以来、脈々と生きつづけたやまと歌の魂の軌跡をそこに見る思いがする。 」 (新潮社版 白州正子氏著「西行」から抜粋) 「東海の広大な眺望にふり仰いだ富士の頂から立ちのぼって大空にかすれ消えてゆく噴煙のさまは万感に満ちた西行の胸郭を解放したにちがいない。 「行方も知らぬ」は、富士の煙であるのとともに西行の胸に湧いては消え消えては湧くといった、とどまることのない思念であって、それは来し方行く方を自分自身に対しても問うのである。 」 (河出書房新社刊 宮柊二氏著「西行の歌」から抜粋) この境地は次の歌にも、見受けられます 心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ 某HPより 「俊成が千載集に採らなかった理由は何か。 思うに、彼は下句のこの景を賞しつつも、作者自身の意識や姿勢をあからさまに表明したこの上句に対して、反撥めいたものを感じたのではないであろうか。 (中略)上句は・・・説明的である。 ・・・いはば押し付けのようなものが感じられる。 (中略)西行にとっては、どうしてもこのように自己の心情を説明しないことにはすまなかったのであろう。 彼にとっては風景の描写は(鴫立つ澤の秋の夕暮)という下句だけで十分なのであって、問題はそれに向う(心なき身)である自身の(心)にあったのだろう。 某注釈では・・・「物の情趣を解さない身」「煩悩を去った無心の身」の二通りの解釈に大別できよう。 前者と解すれば出家の身にかかわりなく謙辞の意が強くなる。 願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月の頃 辞世の歌かと思ったらなくなる10年前のものらしい。 当時の人は「如月の望月」でお釈迦様の亡くなった日が連想されるのか。 (牧水) 聞きゐつつ たのしくもあるか 松風の 今は夢とも うつつともきこゆ の歌をついつい思い出す。 来む世には 心のうちにあらはさむ あかでやみぬる 月の光を 来世では心のなかにあらわそう 満足いかないままでたえてしまった月の光を 「願はくは」と「来む世には」の二首は 『御裳濯河歌合』の七番に載せられている。 『御裳濯河歌合』は歌合の形態をとった西行の自撰歌集である。 西行が晩年期に撰んだ歌のなかにこれら二首が並んである。 (「来む世には」の)一首で西行は、 この世で存在的にとらえていた月を、 来世では「心の中にあらわす」、すなわち心に月を宿らすこと、 内面的に月をとらえて、月による心的境地を築きあげよう という月輪観の深い希求をあらわしているのである。 西行の歌の本質は やはり以下の様らしい 生きていく人間の心、このわかりづらく、どうにもとらえ難いものを生涯にわたって追求し、それを歌にした。 そこに西行の傑出した歌人としての特異さがあり、その歌は古びず、今に至るまで多くの人に追慕され、愛されている 鈴鹿山うき世をよそにふり捨てて いかになりゆくわが身なるらむ うき世を振り捨てて今こうやって鈴鹿山を越えていって いるが、このわが身は一体どうなってしまうのだろうか 西行出家時の歌 平成24年3月11日記) 西行出家の動機は色々臆されている。 平成24年NHK平清盛ドラマでは歌会などを通して仲を深めた鳥羽院の妃・待賢門院(崇徳天皇の母)と一夜の契りを交わしたが、それを詮索され妻子と別れて出家したことになっていた。 その時の歌も紹介されていた。 世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人をぞ 捨つるとはいふ 出家した人は悟りや救いを求めており本当に世を捨てたとは言えない。 出家しない人こそ自分を捨てているのだ 何か問答集みたいな歌である。 西行出家後の足跡 出家後小倉山、鞍馬山、吉野山、高野山(ここに三十年、真言霊場)弘川寺(ひろかわでら)で没(行基、空海もこの寺で修行) 出来たら以上の場所を歩いてみたい。 西行は空海の何かを求めていたように思えるのだが。 空海とはどんな人かあらためて調べてみます。 弘川寺を調べると・・・ 役小角によって創建されたと伝えられ、676年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという。 平安時代の弘仁3年(812年) 空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願している。 翌、文治5年(1189年)には 空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。 ・・・西行は 空寂を慕ってこの寺を訪れたとある 空海ではないようだが。 400年余のスパンがあるからか。 空寂とは 万物はみな実体のないものであり、生死もまた仮のものであるということ。 執着・欲望などの煩悩 ぼんのう を消し去った悟りの境地。 えらい名前の坊さんのようです。 西行の出家はやはり悟りを目指したものでは、そして空海の信ずる仏門に向かい、その中で歌を詠むことにより己を表現したのでは。 そうすれば西行の歌を詠む姿勢、歌自体に空寂を求めているのが解かり納得できます。 この結論はあまりにも単純かな。 も少し調べていきます。 新古今和歌の最後の歌(平成26年10月21日記) 新古今和歌の最期の歌(1979)は西行の歌で終わっている。 新古今和歌集の月に絡んだ歌が多く、ここに抜粋してみました。 花(桜)に関する歌も多く、それもおいおいここに取り上げてみようかと思います。 1979 闇晴れてこころのそらにすむ月は 西の山辺や近くなるらむ 煩悩の闇も晴れ、心の中には清浄な真如の月が宿っていることを自覚した西行法師の自信が表現されているのである。 その上で、西方浄土に極楽往生というゆるぎなき自己完成の姿を見ているのである。 次の歌と比較しても、その辺の心境の変化がうかがえる 来む世には 心のうちにあらはさむ あかでやみぬる 月の光を 以下に月の入った歌を列挙しました。 各々の歌の背景、詞書がなければ歌の本当の意味は解らないことを西行の歌を詠むにつけつくづく思いました。 570 月を待つたかねの雲は晴れにけり こころあるべき初時雨かな 603 をぐら山ふもとの里に木の葉散れば 梢に晴るる月を見るかな 885 君いなば月待つとてもながめやらむ 東のかたの夕暮れの空 937 都にて月をあはれと思ひしは 数にもあらぬすさびなりけり 938 月見ばと契りおきてしふるさとの 人もや今宵袖ぬらすらむ 1185 おもかげの忘らるまじきわかれかな なごりを人の月にとどめて 1267 月のみやうはの空なる形見にて 思ひも出ではこころ通はむ 1268 隈もなき折りしも人を思ひ出でて こころと月をやつしつるかな 1269 物思ひて眺むる頃の月の色に いかばかりなるあはれ添ふらむ 1530 月を見て心うかれしいにしへの 秋にもさらにめぐり逢ひぬる 1631 山かげに住まぬ心はいかなれや 惜しまれて入る月もある世に 1680 これや見し昔住みけむ跡ならむ よもぎが露に月のかかれる 1779 月のゆく山に心を送り入れて やみなる跡の身をいかにせむ 1845 ねがはくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ 1878 神路山月さやかなる誓ありて 天の下をば照らすなりけり 1879 さやかなる鷲の高嶺の雲井より 影やはらぐる月よみの森 追 以下某ホームページより 年たけてまたこゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山 こんなに年老いて、この小夜の中山を再び 越えることができると思っただろうかそれなのに今またこうして小夜の中山を越えようとは、まことに命があるおかげであるよ。 この歌には、三十前後の初度の陸奥の旅と、今回 の六十九歳という高齢での再度の旅、その二つが、 久しい時間を経て、一つに把握され、自己が自然に とりこまれ、自然と一体化した安らかさが感じられ 、人生的な深い味わいのある作品となっている。 さやのなかやま(小夜の中山) 遠見国の歌枕。 現在の静岡県掛川市にある峠。 箱根とともに東海道の難所の一つである。 「風になびくーーー」と「年たけてーーー」の二首 を「自然と人間とを一如に観じる宗教的に至り得た 境地」「求めてやまない求道心と文学的資質とが 一つになっていて観念的に割り切れず生きつづけて いる人間の声」。 さらにこの歌 は「西行の文学を象徴する意味をもち」「いかにも 健康的で明るいことである。 老いの艶という味わい が濃厚である。 [没]建仁2 1202. 京都 平安時代末期~鎌倉時代初期の歌人。 僧俊海の子。 俗名,藤原定長。 伯父の藤原俊成の養子となり,官は中務少輔となったが,応保2 1162 年定家が誕生したので家督を譲って出家し,寂蓮と称した。 以後歌道に専念し,和歌所寄人となり,『新古今和歌集』の撰者にもなった。 勅撰集に 117首入集。 能書家という伝称はないが,書は江戸時代に古筆として愛好され,切目王子社,滝尻王子社などで詠んだ『熊野懐紙』や消息が現存する。 このほか『右衛門切』『元暦校本万葉集巻六』『西本願寺三十六人集兼輔集』『田歌切』など,寂蓮筆と伝称される書跡があるが確証はない。 家集『寂蓮法師集』。 「風体あてやかにうつくしきさまなり。 よわき所やあらむ。 小野小町が跡をおもへるにや。 美女のなやめるをみる心ちこそすれ」(歌仙落書)。 「寂蓮は、なほざりならず歌詠みし者なり。 あまり案じくだきし程に、たけなどぞいたくは高くはなかりしかども、いざたけある歌詠まむとて、『龍田の奥にかかる白雲』と三躰の歌に詠みたりし、恐ろしかりき。 折につけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるやうに詠みし方、真実の堪能と見えき」(後鳥羽院御口伝。 以上が寂蓮の評価の参考になる。 新古今和歌集から抜粋してみる。 今はとてたのむの雁もうちわびぬ朧月夜の明けぼのの空 (新古58) 通釈】今はもう北の国へ帰らなければならない時だというので、田んぼにいる雁も歎いて鳴いたのだ。 朧ろ月の春の夜が明けようとする、曙の空を眺めて…。 葛城や高間の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲 (新古87) 【通釈】葛城の高間山の桜が咲いたのだった。 竜田山の奧の方に、白雲がかかっているのが見える。 思ひたつ鳥はふる巣もたのむらんなれぬる花のあとの夕暮 (新古154) 【通釈】谷へ帰ろうと思い立った鶯は、昔なじみの巣をあてにできるだろう。 しかし家を捨てた私は、花のほかに身を寄せる場所もなく、ただ途方に暮れるばかりだ。 散りにけりあはれうらみの 誰なれば花の跡とふ春の山風 (新古155) 【通釈】桜は散ってしまったよ。 ああ、この恨みを誰のせいにしようとして、花の亡き跡を訪れるのだ、山から吹く春風は。 花を散らしたのは、ほかならぬお前ではないか、春風よ。 暮れてゆく春の 湊はしらねども霞におつる宇治の柴舟 (新古169) 【通釈】過ぎ去ってゆく春という季節がどこに行き着くのか、それは知らないけれども、柴を積んだ舟は、霞のなか宇治川を下ってゆく。 さびしさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮 (新古361) 【通釈】なにが寂しいと言って、目に見えてどこがどうというわけでもないのだった。 杉檜が茂り立つ山の、秋の夕暮よ。 月はなほもらぬ 木の間も住吉の松をつくして秋風ぞ吹く (新古396) 通釈】住吉の浜の松林の下にいると、月は出たのに、繁り合う松の梢に遮られて、相変わらず光は木の間を漏れてこない。 ただ、すべての松の樹を響かせて秋風が吹いてゆくだけだ。 野分せし小野の草ぶし荒れはてて 深山にふかきさを鹿の声 (新古439) 【通釈】 私が庵を結んでいる深山に、今宵、あわれ深い鹿の声が響いてくる。 先日野分が吹いて、草原の寝床が荒れ果ててしまったのだ。 物思ふ袖より露やならひけむ秋風吹けばたへぬものとは (新古469) 【通釈】物思いに涙を流す人の袖から学んだのだろうか、露は、秋風が吹けば堪えきれずに散るものだと。 ひとめ見し野辺のけしきはうら枯れて露のよすがにやどる月かな (新古488) 【通釈】このあいだ来た時は人がいて、野の花を愛でていた野辺なのだが、秋も深まった今宵来てみると、その有様といえば、草木はうら枯れて、葉の上に置いた露に身を寄せるように、月の光が宿っているばかりだ。 たえだえに里わく月の光かな 時雨をおくる夜はのむら雲 (新古599) 【通釈】月の光が、途切れ途切れに里の明暗を分けているなあ。 時雨を運び地に降らせる、夜半の叢雲の間から、月の光が射して。 ふりそむる今朝だに人の待たれつる深山の里の雪の夕暮 (新古663) 【通釈】雪が降り始めた今朝でさえ、やはり人の訪問が待たれたよ。 今、山奥の里の夕暮、雪は深く降り積もり、いっそう人恋しくなった。 この雪では、誰も訪ねてなど来るまいけれど。 老の波こえける身こそあはれなれ今年も今は末の松山 (新古705) 【通釈】寄る年波を越え、老いてしまった我が身があわれだ。 今年も歳末になり、「末の松山波も越えなむ」と言うが、このうえまた一年を越えてゆくのだ。 思ひあれば袖に蛍をつつみても言はばや物をとふ人はなし (新古1032) 【通釈】 昔の歌にあるように、袖に蛍を包んでも、その光は漏れてしまうもの。 私の中にも恋の火が燃えているので、胸に包んだ想いを口に出して伝えたいのだ。 この気持ちを尋ねてくれる人などいないのだから。 ありとても逢はぬためしの名取川くちだにはてね瀬々の 埋 むもれ木 (新古1118) 【通釈】生きていても、思いを遂げられない例として浮き名を立てるだけだ。 名取川のあちこちの瀬に沈んでいる埋れ木のように、このままひっそりと朽ち果ててしまえ。 うらみわび待たじ今はの身なれども思ひなれにし夕暮の空 (新古1302) 【通釈】あの人のつれなさを恨み、嘆いて、今はもう待つまいと思う我が身だけれど、夕暮れになると、空を眺めて待つことに馴れきってしまった。 里は荒れぬ空しき床のあたりまで身はならはしの秋風ぞ吹く (新古1312) 【通釈】 あの人の訪れがさっぱり絶えて、里の我が家は荒れ果ててしまった。 涙川身もうきぬべき寝覚かなはかなき夢の名残ばかりに (新古1386) 【通釈】恋しい人を夢に見て、途中で目が覚めた。 その儚い名残惜しさに、川のように涙を流し、身体は床の上に浮いてしまいそうだ。 なんて辛い寝覚だろう。 高砂の松も昔になりぬべしなほ行末は秋の夜の月 (新古740) 【通釈】高砂の老松も、いつかは枯れて昔の思い出になってしまうだろう。 その後なお、将来にわたって友とすべきは、秋の夜の月だ。 尋ねきていかにあはれと眺むらん跡なき山の嶺のしら雲 (新古836) 【通釈】遠く高野までたずねて来て、どんなに悲しい思いで山の景色を眺めておられることでしょう。 亡き兄上は煙となって空に消え、ただ山の峰には白雲がかかっているばかりです。 立ち出でてつま木折り 来 し片岡のふかき山路となりにけるかな (新古1634) 【通釈】庵を立ち出ては薪を折って来た丘は、 住み始めた頃に比べると、すっかり木深い山道になったものだ。 数ならぬ身はなき物になしはてつ 誰ためにかは世をも恨みむ (新古1838) 【通釈】物の数にも入らない我が身は、この世に存在しないものとして棄て果てた。 今はもう、誰のために世を恨んだりするだろうか。 紫の 雲路にさそふ琴の 音にうき世をはらふ嶺の松風 (新古1937) 【通釈】浮世の迷妄の雲を払う峰の松風が吹き、紫雲たなびく天上の道を極楽浄土へと誘う琴の音が響きあう。 これや此のうき世のほかの春ならむ花のとぼそのあけぼのの空 (新古1938) 【通釈】これこそが、現世とは別世界にあると聞いていた極楽の春なのだろう。 美しい浄土の扉を開くと、曙の空に蓮華の花が咲き満ちている。 以上の歌を通して 月や空や風や雲など一つのパターンで謡われている。 歌の状況は解らぬが 僧侶からの視点からか、日々の景色や気候の変化を敏感に、あの世に通じる気持ち、この世のはかなさなどが多く見受けられる。 生きとし生けるものの諸行無常か?西行に非常に近い歌い方。 参考にしたい。 藤原定家 平成29年11月 記 色々と昔の歌人を調べれば、一人欠けていた気がする。 僧侶の歌はなんとなく把握できた気がするが、宮廷歌人の心など知らねばと和泉式部、式子内親王の女流歌人は以前終わったが公家の一人として藤原定家を調べる必要もありそうだ。 ここに簡単にまとめてみました。 (ウイキペデイアを主に) 応保2年(1162年)生誕 仁治2年8月20日(1241年9月26日死没 藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。 最終官位は正二位権中納言。 京極殿または 京極中納言と呼ばれた。 法名は 明静(みょうじょう)。 歌人の寂蓮は従兄、太政大臣の西園寺公経は義弟にあたる。 平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家の歌道における支配的地位を確立。 日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた歴史がある。 2つの勅撰集、『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進。 ほかにも秀歌撰に『定家八代抄』がある。 歌論書に『毎月抄』『近代秀歌』『詠歌大概』があり、本歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている。 人物 「 美の使徒」、「 美の鬼」 、「 歌聖」 、「 日本最初の近代詩人」などと呼ばれることがある日本を代表する詩人の一人。 美への執念は百人一首の選歌に見られるように晩年まで衰えることがなかった。 玉葉によると文治元年11月に少将雅行と言い争い、脂燭 ししょく で相手を打ち除籍となり、古今著聞集によると父俊成から和歌によって取りなして貰い、後鳥羽天皇から許しを得たとあるほど 気性が激しく、また後鳥羽院御口伝によると「さしも殊勝なりし父の詠をだにもあさ/\と思ひたりし上は、ましてや余人の歌沙汰にも及ばず」、「傍若無人、理 ことわり も過ぎたりき。 他人の詞 ことば を聞くに及ばず」と 他人の和歌を軽んじ、他人の言葉を聞き入れない強情さを指摘されている。 また、どんなに後鳥羽院が褒めても、自詠の左近の桜の述懐の歌が自分では気に入らないからと、新古今に入撰することに頑強に反対するなど、折り紙付きの強情な性格だった。 順徳天皇歌壇の重鎮として用いられるも、承久二年の内裏歌会への出詠歌が後鳥羽院の勅勘を受け、謹慎を命じられた。 しかし、この謹慎の間、さまざまな書物を書写した結果、多くの平安文学が後世に残ったと言える。 歌風 (定家の和歌の性格について風巻景次郎著『新古今時代』の「『拾遺愚草』成立の考察」に要約より) 定家は平安朝生活の伝統を多分に承け、それにふさわしく繊細な神経で夢の世界を馳せ、その天性によって唯美的な夢の文学を完成した。 しかし表現せんとするものが縹渺 ひょうびょう として遥かであるほど、それを生かすには辞句の選択、着想の考案のために心を用いることは大でなければならぬ。 そして定家はそれに耐えるほどの俊敏な頭脳をもっていた。 かれの歌の成功はこの頭脳の力にある。 しかしまた、その失敗も頭脳のためであった。 かれの歌の大半は、優艶なる夢をいかにして表現しようかと努力した理知の影を留め、その表現のために尽くした努力はその措辞 そじ の上に歴々として現れた。 かれはじつに 夢の詩人で、理知の詩人で、そして言葉の詩人であった。 「定家美 妖艶 のなかには、多くの非正常的・怪奇的なものがある。 あまりに華麗幻燿にすぎて、人を誑 たぶら かさずにはおかないこと、つよい阿片性・麻薬性があって、人を麻痺、昏酔させる毒性をもつこと、あまりにつよい性欲性・獣性があって、人を頽廃・好婬に誘わずにおかないこと、つよい幽鬼性・悪魔性があって、人を悪魔的世界に誘おうとすること、死や亡びのもつ非生命性・空無性・滅亡性等に美を感じさせ、死や亡びのなかに投身させようとする性質をもつこと等々がそれである」。 谷山茂は以下のように指摘 「定家が恋歌を最も得意としたということは、彼を知る上で極めて重要な事実である。 「定家などは 智慧の力をもってつくる歌作り也」 『井蛙抄』 と自認していたというが、その智巧的態度に立って、幻想世界を縦横に描き出そうとする定家にとっては、 現実にしばられ易い四季自然歌よりも、智巧 利巧 や空想 そらごと の恣意を多分に許容される恋歌のほうが得意であったことは、全く当然のことなのである。 すなわち、定家ーー少なくとも新古今撰進期における定家をして、恋歌を本領とさせたのは、その 恋の体験の深さや広さではなくて、彼の智巧的超現実的な芸術至上主義の魔力的意欲であるというべきである。 そういう点では、さすがの 俊成も西行も家隆も俊成女 としなりのむすめ も、遥かに遠く及ばない古今独歩の境地を極めているのである。 しかも、そういう行き方が、恋歌からさらに四季自然歌にまで拡充されているのだから、全く 驚くべき魔術師である。 そして、新古今の歌人たちは、ほとんど例外なく、及ばぬながらにも、多かれ少なかれ、一応はこの道に追従していったのである 春 以上の文面で性格、歌風が見て取れる。 実際の歌を取り上げてみる。 (新古今和歌集より) 大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月 (新古40) 通釈】広大な空は梅の香に満ちておぼろに霞みながら、すっかり曇りきることもない春の夜の月よ。 梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ (新古44) 【通釈】梅の花が匂いを移し染める袖の上に、軒を漏れてくる月影も涙に映って、香りと光が競い合っている。 桜色の庭の春風あともなしとはばぞ人の雪とだに見む (新古134) 通釈】桜の色に染まって吹いた庭の春風は、もはや跡形もない。 今や花が地面に散り敷いているだけで、人が訪れたならば、せめて雪とでも見てくれようが。 春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空 (新古38) 【通釈】春の夜の、浮橋のように頼りない夢が、遂に中途で絶えてしまって、空を見遣れば、横に棚引く雲が峰から別れてゆく。 夏 玉鉾 たまぼこ の道ゆき 人 びと のことづても絶えて程ふる五月雨の空 (新古232) 【通釈】あの人が通りすがりの人に託す伝言も絶えて久しい、長く降り続ける五月雨の空よ。 夕暮はいづれの雲のなごりとて花橘に風の吹くらむ (新古247) 【通釈】夕暮れ時になると、庭の花橘に風が吹き、しきりと昔を偲ばせる。 一体如何なる雲のなごりを運んで来たというので、これほど昔を懐かしませる香りがするのであろう。 秋 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 (新古363) 【通釈】あたりを見渡してみると、花も紅葉もないのだった。 海辺の苫屋があるばかりの秋の夕暮よ。 ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影 (新古487) 【通釈】独りで寝ている山鳥の尾、その垂れ下がった尾に、霜が置いているのかと迷うばかりに、しらじらと床に射す月影よ。 時わかぬ波さへ色にいづみ川ははその 杜 もり に嵐ふくらし (新古532) 【通釈】季節によって違いはないはずの波さえ、秋が色に顕れている泉川よ。 上流の柞の森に嵐が吹いているらしい。 冬 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮 (新古671) 【通釈】馬を停めて、袖に積もった雪を払う物陰もありはしない。 佐野の渡し場の雪降る夕暮どきよ。 待つ人の麓の道はたえぬらむ軒端の杉に雪おもるなり (新古672) 【通釈】待つ人が通って来る麓の道は行き止まりになってしまったのだろう。 我が家の軒端の杉に雪が重みを増しているようだ 恋 年もへぬ祈る契りははつせ山をのへの鐘のよその夕暮 (新古1142) 【通釈】何年も経った。 長谷観音に祈る恋の成就の願掛けは、これ以上続ける甲斐もない。 折から山上の鐘が入相を告げるけれど、私にはもはや無縁な夕暮時であるよ。 あぢきなくつらき嵐の声も憂しなど夕暮に待ちならひけむ (新古1196) 【通釈】苦々しくも、激しい嵐の声さえ厭わしい。 どうして夕暮に人を待つ習慣ができたのだろう。 帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月 (新古1206) 【通釈】よそからの帰り道に眺めるものとして、あの人は今頃この有明の月を眺めているのだろう。 忘れずは馴れし袖もや氷るらむ寝ぬ夜の床の霜のさむしろ (新古1291) 【通釈】私から心を移していないのなら、馴れ親しんだあの人の袖も、今頃氷りついているだろうか。 眠れずに過ごす夜の寝床、そこに敷いた筵には、いちめんに涙の霜が置いている。 消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの杜の下露 (新古1320) 【通釈】消えようにも消えきれず、苦しんでいたよ。 むせぶとも知らじな心かはら屋に我のみ消たぬ下の煙は (新古1324) 【通釈】私がいくら咽ぼうとも、あの人は知るまいな。 瓦屋に消さずにある煙のように、心変わらず、ひそかに燃やす恋情は私ばかりが消さずにいることは。 色などないはずなのに、こんなにもあわれ深く身に染みとおる風が。 かきやりしその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ (新古1390) 【通釈】独り横になる折には、あの人の面影が鮮やかに立ち現われる。 我が手で掻きやったその黒髪が、ひとすじごとにくっきり見えるかのように。 わざわざ尋ねて行っても、潮が引いたあとの潟には貝もないように、あの人の愛情は干上がってしまって、何を言う甲斐もない。 哀傷 たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人こふる宿の秋風 (新古788) 【通釈】露も涙も、ほんの一瞬も留まることはない。 亡き人を恋しく思い出す宿に吹きつける秋風のために。 旅 こととへよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でし跡の月かげ (新古934) 【通釈】言葉をかけてくれよ。 都にもいまや衣をうつの山夕霜はらふ蔦の下道 (新古982) 【通釈】故郷の都でも、今頃妻が私を慕い、衣を 擣 う っているだろうか。 私は宇津の山で、夕霜を払いつつ蔦の下道を行く。 雑 忘るなよ宿るたもとはかはるともかたみにしぼる夜はの月影 (新古891) 【通釈】忘れないでくれ。 藻塩くむ袖の月影おのづからよそに明かさぬ須磨の浦人 (新古1557) 【通釈】藻塩のために海水を汲む袖はしとどに濡れ、その上に月の光が映じて、須磨の浦の海人はおのずと月をよそにすることなく一夜を明かす。 契りありてけふみや河のゆふかづら永き世までにかけてたのまむ (新古1872) 【通釈】前世からの因縁があって、今日伊勢の 外宮 げくう をお参りすることができた。 木綿鬘をかけ、久しい代々までかけて、ご加護をお頼み申そう。 時代が違い当時の生活習慣が違えば中々和歌を理解するのは容易ではないと改めて感じるものがある。 現代の科学の時代、情報化の世界、AIの時代にもなってくる現代にいにしえびとがどんな歌を詠んでいたかを察することは日本人の心のふるさとをかいま見る手段にはなる。 それが現代を生きるものにとり心の潤い、「人間とはなんだ?」という根本的な問いに対する歴史からの回答が含まれているかも。 定家の芸術至上主義もそんな視点で見て行けば歌の根本が理解できてくるかも。 当時の公家の心の在り様も垣間見ることが出来るかも。 「歌とはなんだ?」自分なりに把握できればよいが。 明和五年 1768 、儒者大森子陽の狭川塾に入り、漢学を学ぶ。 その後名主見習となるが、安永四年 1775 、十八歳の時、隣町尼瀬の曹洞宗光照寺に入り、禅を学ぶ。 同八年(二十二歳)、光照寺に立ち寄った備中国玉島曹洞宗円通寺の大忍国仙和尚に随って玉島に赴く。 剃髪して良寛大愚と名のったのはこの頃のことかという(出家を十八歳の時とする説もある)。 以後円通寺で修行し、寛政二年 1790 、三十三歳の時、国仙和尚より印可の偈を受ける。 翌年国仙は入寂し、良寛は諸国行脚の旅に出る。 同七年、父以南は京都桂川に投身自殺。 京都で法要の列に加わった良寛は、その足で越後国に帰郷し、出雲崎を中心に乞食生活を続けた。 四十七歳の頃、国上山 くがみやま にある真言宗国上寺 こくじょうじ の五合庵に定住。 近隣の村里で托鉢を続けながら、時に村童たちと遊び、或いは詩歌の制作に耽り、弟の由之や民間の学者阿部定珍 さだよし らと雅交を楽しんだ。 またこの頃万葉集に親近したという 文化十四年 1817 、江戸にのぼり、さらに東北各地を巡遊。 文政九年 1826 、自活に支障を来たし、三島郡島崎村の能登屋木村元右衛門方に身を寄せ、屋敷内の庵室に移る。 同年、貞心尼(当時二十九歳)の訪問を受け、以後愛弟子とする。 天保元年 1830 秋、疫痢に罹り、翌年一月六日、円寂。 七十四歳 貞心尼 越後長岡藩士奥村五兵衛の娘。 俗名マス。 十六歳頃、望まれて医師関長温に嫁すが、二十代で夫と離別し、やがて柏崎で剃髪して貞心を称す。 文政十年 1827 頃、古志郡福島村(現在長岡市)の閻魔堂に独居する。 この頃良寛を知ったらしく、敬慕の思いを手紙にしたため、のち島崎の庵に良寛を訪ねた。 時に貞心尼二十九歳、良寛六十九歳。 以後、良寛の死までの五年間、たびたび消息を通わせ、また庵を訪問し合う。 天保元年 1830 歳末、良寛危篤の報を受け、島崎の庵に駆けつけたが、年が明けて正月六日、良寛は示寂した。 天保六年 1835 、良寛の歌を集めて家集『はちすの露』を編む 「白隠の里」 松陰寺の境内に良寛の書の碑とその内容を解説した案内板 が建っており、その時はたいして気にならなかったが、良寛の経歴を調べて行くうちになんで白隠と良寛の接点があるのか興味が湧く。 白隠は1625~1768良寛は1758~1831で白隠がなくなった年には良寛は11歳ほど。 直接の交流はなさそう。 簡単にその内容をかいつまんで載せてみる 君看雙眼色 不語似無憂 読み きみ看よ双眼の色、語らされば憂いなきに似たり 語訳 妾の二つの眼ををよくよく看てください。 何も言ってくれないと憂い(その気)がないように見えますよ 白隠禅師の著「槐安国語」巻五にある語 「千峰雨霄露光冷」千峰雨晴れて露光冷じ の句につけた白隠下語の一部 歌として 降る雪の、降る雪の、雪の花を吾が後の世の家づとにせん家づとにせん 沼津良寛さまの一首 (降りに降る雪の花を来世の私のためにその家のおみやげにしたいものだ、おみやげにしたいものだ) 良寛は白隠に共感してこの語を書いた。 その書は良寛最高傑作の一つでここに白隠と良寛の深い結びつきがうかがえる。 良寛のイメージは子供と遊ぶ 無心な僧侶としかイメージがなかったが、果たしてその真相は、歌を通して少しでもその人物を理解できればと思う。 【 経歴】 生涯をたどる手立ては極めて少ない。 それは良寛が禅僧でありながら、いかに宗派や僧籍にこだわる事なく生きていたかを物語っている 1758年11月2日 越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた 1768 、儒者大森子陽の狭川塾に入り、漢学を学ぶ 1775 、十八歳の時、隣町尼瀬の曹洞宗光照寺に入り、禅を学ぶ (全国各地に米騒動が頻発した。 越後にも天災・悪疫が襲い、凶作により餓死者を出した。 村人の争いを調停し、盗人の処刑に立ち会わなければならなかった良寛が見たものは、救いのない人間の哀れな世界であった) (1779)22歳の時、良寛の人生は一変する。 玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を"生涯の師"と定める (1790)印加(修行を終えた者が一人前の僧としての証明)を賜る。 翌年、良寛34歳の時「好きなように旅をするが 良い」と言い残し世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡り始めた (1805)48歳の時、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の 五合庵(一日五合 の米があれば良い、と農家から貰い受けたことからこの名が付けられた)にて書を学ぶ (五合庵の良寛は何事にもとらわれず、何者にも煩わせることもない、といった生活だった。 筍が顔を覗かせれば居間を譲り、子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じる。 良寛独自の書法を編み出す。 それは、上手に見せようとするのではなく、「一つの点を打つ」「一つの棒を引く」その位置の僅かなズレが文字の命を奪う。 (1818)61歳の時、乙子神社境内の草庵に居を構えた。 円熟期に達した良寛の書はこの時に生まれている。 70歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。 無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。 良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。 その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。 1830 秋、疫痢に罹り、翌年一月六日、円寂。 七十四歳 1835 貞心尼、良寛の歌を集めて家集『はちすの露』を編む 書家で生涯寺を持たず、難しい説法はせず、庶民に信頼され、質素な生活や簡単な言葉で仏法を説き人々の共感や信頼を得る。 時代背景は白隠と変わらず、白隠も禅画は有名、臨済宗中興の祖と言われ積極的に仏法を説いたのに対してその生き方は太陽対月か星の如く控えめなものかも そんな気がする。 良寛の歌は愛弟子の貞心尼により、まとめられ、良寛が亡くなった後にも生涯を通して慕い続けたようだ。 二人の関係は師弟であり、愛人のような関係?歌の友? 彼女の四十四歳以後の作を集めた家集『もしほ草』があり、『はちすの露』には良寛との贈答歌がある。 良寛を知るうえで貴重な人物ではあるようだ。 自筆らしき文が何点か掲載され、発行は昭和47年、定価は当時の金額で一万六千円。 BSN新潟放送で出しています。 当時の初任給が3万円程度の時代、立派な本であることですがなんせ書体が崩され私には読めません。 有名な書家とは聞いていたが。 内容は日々の手紙や礼状が年代順に書かれていて当時の時代を想像するのには役立つかもしれない。 オークションで一万円からスタート、落札価格は知らない。 飾っておくだけでも充実感がありそう。 良寛は書物をほとんど人から借りたそうです。 従って書物を持たなかったらしい。 私もほとんどの知識はネットで検索し、本は持たない(もっとも本を買う金が惜しいのが動機なのだけれど) 石川啄木 平成24年1月28日 先日某新聞の住友信託銀行の某相談役のコラムに・・・・・ノーベル物理学賞受賞者「湯川秀樹」が天才として弘法大師、石川啄木、ゴーゴリ、ニュートン、を上げていた。 啄木は西行と共に長く残り、日本を越えて世界性をもつ。 啄木と同じような歌を作りたくなる、そういった歌人が偉いのだと述べ、一番好きな歌を「一握の砂」から選んでいる。 ・・・・・ 以前に石川啄木の歌は眼にしたことがありましたが、自分としては(なんとめそめそした歌を歌う人だ〉と思っていましたが、今回の記事をみて、再度検討してみることにしました。 湯川秀樹さんを信用して(科学者も短歌に造詣があることに注目)。 湯川秀樹さんの好きな歌は いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あいだより落つ 「一握の砂」を一通り読んでみましたが、(青空文庫で、ここ十年本を買ったことがない)読み方が悪いのか今一の感じ。 今のところ気に入った歌をあげて見ますと以下のものでした。 ふるさとの 山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな 石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆることなし 友がみな われよりえらく 見ゆる日は 花を買ひ来て 妻としたしむ 目になれし 山にはあれど 秋くれば 神すまむとか かしこみて見る 秋の声 まづいち早く 耳に入る かかる性もつ かなしむべかり 特に好きな歌は「目になれし 山にはあれど 秋くれば 神すまむとか かしこみて見る」です。 山登りなどしていますが、季節を問はず、時々私もそんな気持ちを抱くときがありますが、秋は格別です。 「神」と「かしこみ」が調子を盛り上げています。 忘れていました。 以下の歌は短歌に興味のないときより、諳んじていました。 たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず 啄木の履歴(概要) 本名 一 1886. 20-1912. 13 享年26歳 今年が 2012年)亡くなった時から百年 岩手県生まれ。 1歳の時に父が渋民村・宝徳寺の住職となり同村が啄木の「ふるさと」になる。 小学校を首席で卒業し、地元では神童と呼ばれる。 19歳(1905年) 処女詩集 『あこがれ』を刊行!一部で天才詩人と評価される。 20歳 小学校の代用教員として働き始める(年末に長女生れる)。 21歳 住職再任運動に挫折した父が家出。 啄木は心機一転を図って北海道にわたり、函館商工会議所の臨時雇い、代用教員、新聞社社員などに就くが、どの仕事にも満足できず、函館、札幌、小樽、釧路を転々とする。 23歳 前年に与謝野鉄幹に連れられて鴎外の歌会に参加したことをきっかけに、雑誌「スバル」創刊に参加。 相変わらず小説は評価されず、失意のうちに新聞の校正係に就職する。 家族の上京後、生活苦から妻と姑との対立が深刻化し、妻が子どもを連れて約一ヶ月実家へ帰ってしまう。 年末に父が上京。 24歳 新聞歌壇の選者に任命されるも、暮らしは依然厳しかった。 それだけに、被告26名中、11名死刑(半世紀後に全員無罪の再審判決)という結果に大きな衝撃を受ける。 この頃の詩稿が死後の詩集 『呼子と口笛』になった。 26歳(1912年) 年明けに漱石から見舞金が届く。 3月に母が肺結核で亡くなり、翌月に啄木もまた肺結核で危篤に陥る。 若山や友人たちが啄木の創作ノートを持って奔走し、第2歌集 『悲しき玩具』の出版契約を結びとる。 啄木が26歳の若さで死に至る最晩年の様子は、親友の金田一京助、若山牧水によって書き残されている。 文学に夢を託した啄木の、貧困の生活との葛藤の生き方が歌の中ににじみ出ている。 そうした中で漱石、牧水、金田一京助、与謝野晶子など、友人、知人の豊富なことに目が行く。 「悲しき玩具」目を通したが、病人の日記、メモの感じで今のところこれと言って気に入った歌はない。 没後100年、行事などに注意しなければ。 牧水は啄木よりも一才年上かな。 私の歌のきっかけになった牧水については色々調べていましたが、記憶が薄れており、再度メモがてらにまとめてみたい。 平成24年5月10日記 先日、朝日新聞「文化の扉」で石川啄木を取り上げていました。 以下、面白いので簡単に内容を書きました。 1.神童時代 やはらかに 柳あおめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けと如くに 5歳 通常より1歳早く小学校に入学、主席で卒業 12歳 盛岡尋常中学校に入学 金田一京助と知り合う 16歳 10月に退学( カンニングがバレる )上京して与謝野鉄幹・晶子と出会う 19歳 第一詩集「あこがれ」を刊行 同郷の堀節子と結婚(披露宴に向かう途中寄り道し、すっぽかす) 2・ 人生修業 東海の 小島の磯の 白浜に われ泣きぬれて 蟹とたはむる 函館の 青柳町こそ かなしけれ 友の恋歌 矢車の花 20歳 3月、渋民村の代用教員となる 12月長女京子生まれる 21歳 4月、小学校を免職される(校長を辞めさせようとして自分が止める羽目に) 5月、函館に渡り、、宮崎郁雨と出会う。 以後北海道を転々として代用教員、新聞記者などをする 22歳 4月、家族を函館に残して上京 5月、本郷菊坂の金田一京助と同じ下宿に住み小説を書く 部屋代を滞納金田一が自分の蔵書を売り 一緒に別の下宿に引っ越す 3・生活者啄木 皮膚がみな 耳にてありき しんとして 眠れる街の 重き足音 京橋の 滝山町の 新聞社 灯ともる頃の いそがしさかな 23歳 3月、東京朝日新聞に公正係として就職(月給を前借しては浅草で遊興した) 6月、妻子と母が上京(借金の額、現在の金額で680万円以上) 24歳 9月、「朝日歌壇」選者になる(10月、長男真一誕生後、まもなく死亡) 12月1日、第一歌集「一握の砂」刊行 4・晩年 庭のそとを 白き犬ゆけり ふりむきて 犬を飼はむと 妻にはかれる 石川は ふびんな奴だ ときにかう 自分でいひて かなしみてみる 25歳 体調を崩し、2月に慢性腹膜炎と診断される 26歳 肺結核で死去。 6月「悲しき玩具」刊行 啄木を称して・・・泣いたり悲しんだりと感傷的で貧しさの中で早世した不遇の詩人のイメージがある。 実は「天才気取りで生意気な、明るい浪費家であった」と言うことが書かれている。 金田一京助は一時自分の給料で啄木を養い、函館の文学仲間の宮崎郁雨は啄木上京後、残された家族の面倒をみた。 師の与謝野鉄幹、晶子もかわいがった。 啄木が 嘘を言う時 春かぜに 吹かるる如く おもいしもわれ 啄木は本当は小説家になりたかった。 小説は売れず、行き詰った時に書いたのが短歌だった。 啄木は短歌を(玩具=おもちゃ)と軽蔑し続けた。 (注「歌は色々」では短歌につて、将来残って行くか、様式などについて述べている)「それが新境地をもたらし、立派な歌を読む気がないから、飾らない言葉で何げない出来事や心の動きを詠うことが出来た。 青春の文学だった短歌を、働く人々の日常の心の動きをすくい取るものへ広げ、100年後の今に続く短歌のスタンダードを作った」と某歌人は述べている。 歌集は「一握の砂」「悲しき玩具」だけだけれど、そこには青春、病気、貧乏、望郷、都会の孤独、社会変革の意識、家族といった近代日本の、そして現代に続く重要な主題が全部入っている。 「啄木の歌には万人が自分のふるさとへの思いを託せる普遍性がある」で結んでいる。 (注は私のコメント) 23歳頃の公正係の頃の生活の様子は「ローマ字日記」に具体的に書かれており、ローマ字で書けば妻の節子にはわからないと思っていたようです。 (読まれたくなかった。 )タバコ代工面のために本を質入したり、売ったり、会社からの前借は常習。 浅草通いの遊び人であった。 年配の方も、若い頃は諸々の葛藤や、青春時代の淡い思い出があり、啄木の歌や、生き方に共感する方も多いのでは。 うそつき啄木の残した歌は、それぞれ読む人の年代、経歴と融合して評価され、共感され今後も読まれて行くこと間違いはなし。 歌人の歌の背景の一面を掘り下げて行くのも面白いものがあるとつくづく思いました。 啄木の友人の一人の牧水はどのように評価していたか、機会があったら取り上げてみようと思います。 当時の思想は如何に 「時代閉塞の現状」のメモ (強権、純粋自然主義の最後および明日の考察) 見よ、我々は今どこに我々の進むべき路を見いだしうるか。 ここに一人の青年があって教育家たらむとしているとする。 彼は教育とは、時代がそのいっさいの所有を提供して次の時代のためにする犠牲だということを知っている。 しかも今日においては教育はただその「今日」に必要なる人物を養成するゆえんにすぎない。 そうして彼が教育家としてなしうる仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけの事である。 もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができないのである。 また一人の青年があって何らか重要なる発明をなさむとしているとする。 時代閉塞の現状はただにそれら個々の問題に止まらないのである。 今日我々の父兄は、だいたいにおいて一般学生の気風が着実になったといって喜んでいる。 しかもその着実とはたんに今日の学生のすべてがその在学時代から 奉職口 ( ほうしょくぐち )の心配をしなければならなくなったということではないか。 そうしてそう着実になっているにかわらず、毎年何百という官私大学卒業生が、その半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしているではないか。 しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。 なぜなれば、我々全青年の心が「明日」を占領した時、その時「今日」のいっさいが初めて最も適切なる批評を 享 ( う )くるからである。 時代に 没頭 ( ぼっとう )していては時代を批評することができない。 私の文学に求むるところは批評である。 折口信夫 歌の円寂する時(歌論) 短歌と近代詩と で啄木につきて以下のように評している 啄木のことは、自然主義の唱えた「平凡」に注意を蒐あつめた点にある。 彼は平凡として見逃され勝ちの心の微動を捉えて、抒情詩の上に一領域を拓(ひら)いたのであった 併し其も窮極境になれば、万葉人にも、平安歌人にも既に一致するものがあったのである。 唯、新様式の生活をとり入れたものに、稍(やや)新鮮味が見えるばかりだ。 そうして、全体としての気分に統一が失われている。 此才人も、短歌の本質を出ることは出来なかったのである 若山牧水 平成24年2月10日 久々に海が見たくて千本浜に出かけました。 防波堤をブラブラしていたところ、牧水記念館を想いだし、二百円はらって見学しました。 以前より一度入ってみたいとは思っていましたが、なんとなく敷居が高そうで見合わせていました。 何処の記念館にもあるような内容で原稿、手紙、写真、掛け軸、本などが展示してあります。 下書き、手帳の類を見ましたが、字がそれほど綺麗でないのにホットしました。 以前より牧水にかかわるHPなどで色々調べ,大方の知識は持っていました。 また牧水の歌碑を写真に撮って歌碑のページに載せていました。 牧水は私が短歌を詠むきっかけの人で、酒にまつわる歌に感銘を覚えました。 細かいことは牧水記念館のHPとか、生誕の地のHPで細かいことが紹介されています。 従ってここでは自分の知識の整理を兼ねて紹介していきます。 館内に与謝野晶子没後70年短歌文学賞のチラシがあり、投稿には一首につき千円かかる。 角川短歌は二千円とか。 どうも相場はこんな所か。 ただなら投稿してもと思います。 与謝野晶子の歌を以前何点か読んだことがあり、面白い人だと思っていました。 チラシの中に「 歌はどうして作る。 じっと観、じっと愛し、じっと抱きしめて作る。 なにを。 真実を。 」が書かれていました。 参考にしたい。 夫である与謝野鉄幹の歌碑が御瀬崎にあるようなので機会があったら写真に撮りたいと思います。 牧水記念館 この掛け軸は十万円 (長野県哲西町二本松峠で詠む) 千本浜の公園にある歌碑「幾山河・・・」 全国で最初の歌碑だそうです 西伊豆の土肥の旅館で土肥館(牧水館)にも牧水にまつわる品が展示されているそうです。 年譜 明治18年(1885) 0歳 8月24日 宮崎県東臼杵郡東郷村坪谷に医師である父立蔵と母マキとの間に生まれる。 明治29年(1896) 10歳 延岡高等小学校に入学。 明治32年(1899) 14歳 県立延岡中学に入学。 明治34年(1901) 16歳 延岡中学「校友会雑誌」第1号に短歌と俳句を発表。 「中学文壇」に短歌を投稿。 佐佐木信綱選で入選。 明治36年(1903) 18歳 「中学世界」に「牧水」の名で投稿。 以後はすべて牧水の名で発表。 明治37年(1904) 19歳 早稲田大学に入学。 同級の中林蘇水、北原射水(白秋)と「早稲田の三水」と称した。 明治39年(1906) 21歳 土岐善麿、佐藤緑葉らと回覧雑誌「北斗」を発行。 帰省の途中、友人の下宿先で園田小枝子と出会う。 明治40年(1907) 22歳 次第に小枝子に惹かれる。 この頃から純文学者として身を立てる決意を固め、短編小説を発表する。 明治41年(1908) 23歳 7月 第1歌集『海の声』出版。 文芸誌「新文学」創刊の計画を進めるが、資金難で断念。 明治42年(1909) 24歳 中央新聞社に入社。 しかし5ヶ月後に退社。 明治43年(1910) 25歳 1月 第2歌集『独り歌へる』出版。 4月 第3歌集『別離』出版。 歌壇の注目を集める。 明治44年(1911) 26歳 1月 創作社を興し雑誌「創作」を編集。 歌人太田水穂の家で後に妻となる太田喜志子と出会う。 9月 第4歌集『路上』出版。 明治45年(1912) 27歳 3月 「牧水歌話」出版。 4月 石川啄木の臨終に立ち合う。 5月 太田喜志子と結婚。 大正 2年(1913) 28歳 4月 長男旅人誕生。 8月 「創作」復活号の編集に取りかかる。 9月 第6歌集『みなかみ』出版。 大正 3年(1914) 29歳 4月 第7歌集『秋風の歌』出版。 「創作」の経営に行き詰まる。 大正 4年(1915) 30歳 3月 喜志子の健康上の理由で神奈川県北下浦に転居。 4月 「傑作歌選若山牧水」「行人行歌」出版。 10月 第8歌集『砂丘』出版。 11月 長女みさき誕生。 大正 5年(1916) 31歳 6月 散文集「旅とふる郷」、第9歌集『朝の歌』出版。 11月 自選歌集「若山牧水集」出版。 12月 北下浦から東京へ戻る。 大正 6年(1917) 32歳 2月 「創作」を復刊。 同月「和歌講話」 4月 「わが愛誦歌」出版。 8月 喜志子との合著となる第10歌集『白梅集』出版。 大正 7年(1918) 33歳 5月 第12歌集『渓谷集』 出版。 7月 第11歌集『さびしき樹木』 、 散文集「海より山より」出版。 大正 8年(1919) 34歳 4月 次女真木子誕生。 9月 紀行文集「比叡と熊野」を出版。 大正 9年(1920) 35歳 2月 選歌集「花さける廣野」出版。 東京から沼津への移住を決意。 8月15日に沼津町在 楊原村上香貫折坂へ移住した。 12月 「批評と添削」を出版。 大正10年(1921) 36歳 3月 第13歌集『くろ土』出版。 6月 前田夕暮選による「若山牧水選集」出版。 7月 紀行文集「静かなる旅をゆきつつ」出版。 大正11年(1922) 37歳 6月 選歌集「路行く人々の歌」出版。 10月 「みなかみ紀行」として有名な旅に出る。 東京、小諸草津、暮坂峠、沼田、金精峠を経て日光を回る。 12月 「短歌作法」出版。 大正12年(1923) 38歳 4月 沼津で「創作社全国社友大会」を開催。 5月 第14歌集『山桜の歌』出版。 大正13年(1924) 39歳 5月 童謡集「小さな鶯」出版。 7月 紀行文集「みなかみ紀行」出版。 大正14年(1925) 40歳 2月 沼津市本字に500坪の土地を買う。 2月 随筆集「樹木とその葉」出版。 10月 念願かない約80坪の新居が完成する。 12月 自選歌集「野原の郭公」出版。 大正15年(1926) 41歳 5月 宿望であった詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。 多方面から称賛を受ける。 8月 静岡県当局の千本松原伐採計画が持ちあがる。 新聞に伐採反対意見の寄稿をし、計画は中止される。 「詩歌時代」は資金難のため10月号をもって廃刊。 昭和 2年(1927) 42歳 5月 喜志子を伴い朝鮮へ揮毫旅行に出かける。 昭和 3年(1928) 43歳 8月 健康がすぐれなくなる。 9月 初旬から衰弱が目立つ。 17日永眠。 享年43歳。 千本山乗運寺に眠る。 昭和13年(1938) 9月 牧水没後満10年を記念して 第15歌集『黒松』 が喜志子夫人と大悟法利雄氏によって編まれる。 (牧水記念館HPより) 沼津近辺に歌碑が多くあり、生誕の宮崎ほどではないが、長野県にも相当あります。 喜志子の出身地が長野県であることと 関係していそう 最初に目にした歌碑 香貫山にある歌碑 この歌碑をみて、若山牧水について調べる内に 「酒」の歌に感心して短歌の真似事を始めました。 香貫山の香稜台の歌碑 始めの頃は、この歌を見て、何も感じませんでした。 香貫山 いただきに来て吾子とあそび ひさしくおれば 富士はれにけり 千本浜公園の歌碑 この歌は調子よく、かつ奥が深そうだと思って見ていました。 幾山河 こえさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく 酒にまつわる気に入った歌 私も酒は好きな方で、以下の歌はまさに同感し、思い当たる所が多い 白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり 妻が眼を盗みて飲める酒なれば 惶てて飲み噎せ鼻ゆこぼしつ それほどにうまきかと人のとひたらば なんと答へむこの酒の味 酒ほしさまぎらはすとて庭に出つ 庭草をぬくこの庭草を てつびんのふちに枕しねむたげに とくり傾くいさわれもねむ 寂しみて生けるいのちのただ一つの みちづれとこそ酒をおもふに ときをおき老樹の雫おつるごと 静けき酒は朝にこそあれ かんがへてのみはじめたる一合の 二合のさけの夏のゆふぐれ 人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ『黒土』 富士山(沼津近辺)を詠んだ歌 冨士を詠んだ歌は歌碑のページに、他『黒土』『山桜の歌』『渓谷集』に多く出てくる (静岡県)の多くに,富士を詠んだ歌が多い。 香貫山の近くに、城山公園がありますが、そこの歌碑が気に入っています 天地の こころあらはにあらはれて 輝けるかも富士の高嶺は 気になる歌 白浜や居ればいよいよ海とろみ冬日かぎろひ遠霞立つ『寂しき樹木』 たのしきはわれを忘れて暁の峰はなれゆく雲あふぐ時『寂しき樹木』 膳にならぶ飯も小鯛も松たけも可笑しきものか酒なしにして『寂しき樹木』 瀬のなかにあらはれし岩のとびとびに秋のひなたに白みたるかな『渓谷集』 なだらかにのびきはまれる富士が嶺の裾野にも今朝しら雪の見ゆ『渓谷集』 人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ『黒土』 愛鷹の真くろき峯にうづまける天雲の奥に富士はこもりつ『黒土』 ゆく水のとまらぬこころ持つといへどをりをり濁る貧しさゆゑに『黒土』 うす雲と沖とひといろに煙りあひて浜は濡れゆく今朝の時雨に『黒土』 笠なりのわが呼ぶ雲の笠雲は富士の上の空に三つ懸りたり『山桜の歌』 わがゆくやかがやく砂の白砂の浜の長手にかぎろひの燃ゆ『山桜の歌』 夏雲の垂りぬる蔭にうす青み沼津より見ゆ富士の裾野は『山桜の歌』 うすべ にに葉はいちはやく萌えいでて 咲かむとすなり山桜花『山桜の歌』 女郎花咲きみだれたる野辺のはしに一むら白きをとこへしの花『山桜の歌』 さびしさよ落葉がくれに咲きてをる深山りんだうの濃むらさきの花『山桜の歌』 白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ 揮毫に使われた歌 わが登る天城の山のうしろなる 富士のたかきは仰ぎ見あかぬ むらさきに澄みぬる富士は短夜の あかつき起きに見るべかりけり 山川にわける霞の昇りなづみ しきたなびけば富士は晴れたり 火の山の老樹の樅のしろがねの みきを叩けば葉の散り来る 光なき命のありて天地に 生くとふことにいかに寂しき てつびんのふちに枕しねむたげに とくり傾くいさわれもねむ 園の花つぎつぎに 秋に咲きうつる このごろの日の 静けかりけり かすみあふ四方のひかりの春の日の はるけき崎に浪の寄る見ゆ 寄り来りうすれて 消ゆる水無月の 雲たえまなし富士の 山辺に ひむがしの白み そむれば物陰に 照りてわびしき 短夜の月 みづ痩せし秋の川原のかたすみに しづかにめぐる水ぐるまかな めぐらせる籬の楓もみぢして 桐のはたけは寂びにけるかも つめたきは山ざくらのさがにあるやらむ ながめつめたきやまざくら花 冬山にたてる煙ぞなつかしき ひとすぢ澄めるむらさきにして ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ 秋もかすみのたなびきてをり なまけつつ心くるしきわが肌の 汗ふきからす夏の日の風 いついつと待ちし桜の咲きいでて 今はさかりか風ふけど散らず わが庭の竹のはやしの浅けれど 降る雨みれば春は来にけり をさなくて見しふるさとの春の野の わすられかねて野火は見るなり よる歳のとしごとに願ふわがねがひ 心おちいて静かなれかし 松の実や楓の はなや仁和寺の 夏なほ若し山 ほととぎす 石こゆる水のまろみを眺めつつ こころかなしも秋の渓間に いざゆかむゆきてまだ見ぬ山をみむ このさびしさに君はたふるや かんがへてのみはじめたる一合の 二合のさけの夏のゆふぐれ ひそまりてひさしく見ればとほ山の ひなたの冬木かぜさわぐらし ときをおき老樹 の雫おつるごと 静けき酒は 朝にこそあれ うらうらと照れる光にけぶりあひて 咲きしづもれる山ざくら花 最後の歌 牧水の墓に刻まれているこの歌かと思ったが 聞きゐつつ たのしくもあるか 松風の 今は夢ともうつつともきこゆ つぎの作品らしい 酒ほしさ まぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を 芹の葉の茂みがうへに登りいてこれの小蟹はものたべてをり 柿本人麻呂 令和2年5月31日 記 「かきのもとのひとまろ」については調べる必要も感ぜずに思ってきたが、矢張り最低限度の知識は必要かと思い記録としてメモしてみました。 色々調べてみたがよくわからないのが本音、かってに目にしたHPを目を通して漠然と知識が整理された感じがする。 その内容を以下に記した。 某HP「古代探訪」より抜粋 柿本人麻呂の一生を邪推してみる。 邪推ですから、変更可能。 654年 大和郡、生まれ(人麻呂の若い時の歌が、大和国高市郡や、磯城郡の地名が多い。 ) 672年 19歳 壬申の乱(高市皇子と同年、壬申の乱で高市皇子の軍にいた か、目の当たりにしたか、戦の体験をしている。 ) 673年 20歳 舎人としてつかえる。 初めてみやつかえするものを、大舎人に仕えさせ、才能によって当職にあてよとある 680年 27歳 人麻呂歌集の七夕歌の一首が「庚辰」の年に作られている。 681年 28歳 小錦下の位を賜う。 (12月に柿本猿が賜うとある) 683年 30歳 朝臣の姓を賜う。 (11月に52氏が朝臣姓になっている、八色の姓で真人の次に高い位) 689年 35歳 (持統3年)草壁皇子崩御の歌を歌う。 696年 42歳 高市皇子崩御の歌を歌う。 700年 46歳 宮廷歌の終わり。 701年 47歳 羇旅の歌の始まり。 歌の聖と後世の歌人から尊敬される、天才のすごさを少し探ってみたいのである。 略体歌とは、助詞、助動詞、動詞の語尾などを省略したものである。 例をあげると、 略体歌-------水上 如数書 吾命 妹相 受日鶴鴨 (水の上に数書く如き吾が命妹に逢わむと祈誓ひつるかも) 以下、某HP「万葉集を読む」より抜粋 柿本人麻呂は、万葉歌人のなかでも、最も優れた歌人であったといえる。 万葉集は、長い時代にわたる大勢の人の歌を収録しており、歌風にはおのずから変遷が見られる。 人麻呂は、万葉の時代の丁度中間の転換期に現われて、それ以前の古代的なおおらかさを歌った時代から、人間的な肌理細やかな感情を歌うようになっていった時代とを橋渡しするような存在である。 そういう意味で、万葉の時代を象徴するような歌人である。 柿本人麻呂の生涯については、わからぬことも多いが、持統天皇の時代に、宮廷歌人として多くの儀礼的な歌を作ったことを、万葉集そのものが物語っている。 その歌は、古代の神話のイメージを喚起させて、雄大なものがある。 宮廷歌人としての人麻呂は、天皇や皇子たちの権威をたたえたり、皇族の死を悼んだり、折に触れて宮廷の意向に応えていたと思われる。 こうした宮廷歌人の役割は、古代における部曲の一つのあり方だったように思われる。 柿本人麻呂は相次いで失った二人の妻のために、哀切きわまる挽歌を作っている。 また、旅の途中に目にした死者を見ては、彼らの不運に感情移入して、歌わずにはいられなかった。 それらの歌に響く人麻呂の人間的な感情は、時代を超えて人びとの心を打つ。 日本の詩歌の歴史は、柿本人麻呂を得ることによって、豊饒さを持つことができたと言える。 万葉集の歌を見る限り、宮廷を離れた人麻呂は、和銅元年 708 以降、筑紫に下ったり 3-303,304 、讃岐国に下ったり 2-220~222 した後、石見国で妻に見取られることなく死んでいる 2-223。 万葉集には少なくとも八十首以上の歌を残している。 また万葉集中に典拠として引かれている「人麻呂歌集」は後世の編纂と思われるが、そのうち少なからぬ歌は人麻呂自身の作と推測されている。 勅撰二十一代集には二百六十首程の歌が人麿作として採られている。 古来、至高・別格の歌人、というより和歌の神として尊崇されてきた。 大伴家持 は倭歌の学びの道を「山柿之門」と称し 万葉集巻十七 、紀貫之 は人麿を「うたのひじり」と呼び(古今集仮名序)、藤原俊成 は時代を超越した歌聖として仰いだ(古来風躰抄)。 石見国高津の人麻呂神社創建は神亀元年 724 と伝えられている。 以下に歌を抜粋しました。 羇旅歌 玉藻刈る 敏馬 みぬめ を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ (3-250) 【通釈】海女たちが海藻を刈る敏馬を過ぎて、夏草が生い茂る野島の崎に私の乗る舟は近づいた。 荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を (3-252) 【通釈】 土地の人々は 藤江の浦で鱸を釣る漁夫と見ていることだろうか、舟に乗り旅をする私を。 ともしびの 明石大門 あかしおほと に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず (3-254) 【通釈】明石の海峡に船が入って行く日には、故郷から漕ぎ別れてしまうのだろうか、もう家族の住む大和の方を見ることもなく。 もののふの 八十 やそ 宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも (3-264) 【通釈】宇治川の網代木に阻まれてたゆたう波は進むべき方向を知らない。 そのように、我らの人生も様々の障害に突き当たり、行方は知れないのだ。 淡海の海夕波千鳥 汝 な が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ (3-266) 【通釈】淡海の海の夕波に立ち騒ぐ千鳥たちよ、おまえたちが啼くと、心も撓うばかりに昔のことが偲ばれるのだ。 夏野ゆく 牡鹿 をしか の角のつかの間も妹が心を忘れて思へや (4-502) 【通釈】草深い夏の野をゆく牡鹿の、生えそめの角ではないが、ほんの短い間もあなたの気持を忘れることなどあろうか。 雑歌 嗚呼見 あみ の浦に 船 ふな 乗りすらむをとめらが 玉裳 たまも の裾に潮満つらむか (1-40) 【通釈】今頃、鳴呼見の浦で船に乗っているおとめたちの美しい裾に、潮が満ちて寄せているだろうか。 大船に 真楫 まかぢ しじ 貫 ぬ き海原を漕ぎ出て渡る月人 壮士 をとこ (15-3611) 〔妻死にし後に、 泣血 きふけつ 哀慟 あいどうして作る歌 并せて短歌〕 うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我が二人見し 走出 はしりでの 堤に立てる 槻 つきの木の こちごちの 枝 えの 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹 いもにはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世の中を 背 そむきしえねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾 あまひれ隠り 鳥じもの 朝 発 だち 行 いまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子 わぎもこが 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに 取り 与 あたふる 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕 付 づく 妻屋 つまやのうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為 せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易 はがひの山に 我 あが恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば (2-210) 去年 こぞ 見てし秋の 月夜 つくよ は照らせども相見し妹はいや年 離 さか る (2-211) 去年見た秋の月は今年も同じように照っているけれども、その月を一緒に見た妻は、年月とともにますます遠ざかって行く。 衾道 ふすまぢ を 引手 ひきて の山に妹を置きて山道を往けば生けりともなし (2-212) 引手の山に妻を残して独り山道を行けば、生きている心地もしない。 草枕旅の宿りに 誰 た が 夫 つま か国忘れたる家待たまくに (3-426) 【通釈】旅の宿りで、誰の夫なのだろうか。 故郷へ帰るのも忘れて臥せっている。 家では妻が待っているであろうに。 土形娘子 ひぢかたのをとめを泊瀬の山に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 こもりくの泊瀬の山の山の 際 まにいさよふ雲は妹にかもあらむ (3-428) 【通釈】泊瀬の山の山あいにたゆたう雲は、亡くなった娘子なのだろうか。 八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ (3-430) 【通釈】盛んに湧き上がる雲のようだった出雲娘子の黒髪は、吉野川の沖に漂っている。 柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら 傷 いたみて作る歌一首 鴨山の磐根し 枕 まける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ (2-223) 通釈】鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを知らずに、妻は私の帰りをずっと待っているのだろうか。 あしひきの山河の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ち渡る (7-1088) いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の檜原に 挿頭 かざし 折りけむ (7-1118) 【通釈】昔ここを訪れた人も、私のする通りに、三輪の山林で檜 ひのき の枝を挿頭に折ったのだろうか。 我妹子 わぎもこ と見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば吾に告げこそ (7-1248) 【通釈】いとしいあの子と思いながら眺めよう。 沖の藻の花が咲いたら、私に告げてほしい。 巻向の 山辺 やまへ響 とよ みて行く水の水沫の如し世の人 吾等 われ は (7-1269) 【通釈】巻向山のあたりを轟かせて流れてゆく水の、 あっという間に消えてしまう 泡のようであるよ、この世の人間である私たちは。 天雲 あまくも のたなびく山に 隠 こも りたる 我 あ が下心木の葉知るらむ (7-1304) 【通釈】雲がたなびき、山は覆い隠されている。 そのようにひたすら隠した私のひそかな思いを、木の葉だけは知っているだろう。 久方の 天 あま の香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも (10-1812) 【通釈】天の香具山は、今日の夕方、霞がたなびいている。 春がすがたを現したようであるよ 人の 寝 ぬ る 味寐 うまい は寝ずてはしきやし君が目すらを欲りて嘆くも (11-2369) 【通釈】世の人が寝る快い眠りを私は寝ることができずに、愛しいあなたに一目逢いたいと、そればかりを願って歎くことだ。 大野らに小雨降りしく 木 こ のもとに時と寄り 来 こ ね 我 あ が思ふ人 (11-2457) 【通釈】広い野に小雨が降りしきる。 木蔭に、ちょうどよいと、寄ってらっしゃいな。 我が恋する人よ。 沼津の隣の富士市の田子の浦港富士埠頭にある山部赤人の万葉歌碑が、「ふじのくに田子の浦みなと公園」に移設されるとのこと。 田子の浦ゆ 打ち出て見れば 真白にそ ふじの高嶺に 雪はふりける 百人一首では 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 以前よりこの歌は知っていましたが、歌碑があることを始めて知りました。 この作者をもっと調べてみようと思いました。 この歌は長歌に対する反歌とのこと 長歌は 天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ、富士の高嶺は 意味: 天地が分かれてこの地ができて以来、神々しく高く貴い、駿河の国の富士の山を、空に向かって仰ぎ見ると、太陽の光も隠れ、月の光も見えず、雲 くも も山に行く手をさえぎられ、ひっきりなしに雪が降っています。 この富士の山のことをいつまでも語り継いで行こうと思うのです。 長歌と反歌について 今まで、長歌のある歌は読まないようにしていました。 なんかめんどくさくて、避けていました。 今回この歌を契機に読むように心がける。 反歌と長歌が一体となって、詠み人の意図が詠われているのかな。 この歌は富士山が以下に高く雄大であるかを長歌で述べ、現実の富士の雪降る景色を反歌で詠っている。 やはりセットで霊峰富士の雄大さが現れてくる。 平成24年3月4日万葉歌碑が、「ふじのくに田子の浦みなと公園」に移設されたと新聞にあり、翌日雨の中を見に行く。 公園は駿河湾に面して造園され、今年中には完成されるとのこと。 河津桜、サルスベリ、黒松など色々な植物が植えられて駐車場、トイレ、遊戯場などかなり広い。 今度は天気のよい、富士の見れるときに又来たい。 田子の浦はシラスの名産地として有名。 平成25年11月19日以下の写真撮影 山部 赤人-山部宿禰赤人 やまべのすくねあかひと)(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)? )は、奈良時代の歌人。 三十六歌仙の一人 その経歴は定かではないが、『続日本紀』などの史書に名前が見えないことから、下級官人であったと推測されている。 神亀・天平の両時代にのみ和歌作品が残され、行幸などに随行した際の天皇讃歌が多いことから、聖武天皇時代の 宮廷歌人だったと思われる。 作られた和歌から諸国を旅したとも推測される。 同時代の歌人には 山上憶良や 大伴旅人がいる 柿本人麻呂とともに 歌聖と呼ばれ称えられている 自然の美しさや清さを詠んだ 叙景歌で知られる。 万葉集には五十首載っているらしい。 要するに奈良時代の叙景歌を詠み、宮廷歌人で、歌聖といわれ、同時代に山上憶良や大伴旅人がいたということらしい。 ここで気になることは、歌聖と呼ばれているもう一人の柿本人麻呂とはどんな歌を詠んだのか、山上憶良、大伴旅人とは。 そもそも万葉集とは聞いたことがあるが具体的なことは知りません。 そんな所も加味して調べてみようと思います。 万葉集については参考コーナーで素朴な疑問から調べて載せる予定です。 沼津アルプスの一つに徳倉山があり、別名を動物のゾウに似ていることから象山(ぞうやま)と呼んでいますが次の歌が気になっていました。 「きさやま」とは? み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒く鳥の声かも 歌をネットで調べると 山部宿禰赤人の作る歌二首 并せて短歌 やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣 あをかき ごもり 川なみの 清き河内 かふち ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ち渡る その山の いや益々 しくしく に この川の 絶ゆること無く ももしきの 大宮人は 常に通はむ 反歌二首 み吉野の 象山 きさやま の際 ま の 木末 こぬれ には ここだも騒く 鳥の声かも ぬば玉の夜の更けゆけば 久木 ひさき 生 お ふる 清き川原に千鳥しば鳴く 通釈】 [長歌] 我らの大君が堂々と営まれる吉野の宮は、幾重にも重なる青垣のような山に囲まれ、川波の清らかな川内である。 春の頃は花が枝もたわわに咲き誇り、秋になればいちめん霧が立ちこめる。 その山のようにさらに幾たびも幾たびも、この川のように絶えることなく、大宮人はいつの世もこの宮に通うことであろう。 [反歌一] 吉野の象山の山あいの梢では、こんなにも数多く鳥が鳴き騒いでいることよ。 [反歌二] 夜が更けてゆくにつれ、久木の生える清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いている。 長歌に対する反歌の一つとして詠われていました。 「きさ」は動物の象の古名。 やはり動物の象でした。 この頃すでに象がいた? そこで更に検索して行くと以下のページが見つかりました。 ・・・・・ 象山 きさやま は奈良県吉野町宮滝の南正面にあり、稜線が象の形に見えるところから その名があります。 「きさ」は象の古名で象牙の横断面に? キサ すなわち木目に似た文様が 見えることに由来するそうです。 象の渡来は江戸時代とされていますが、万葉人は正倉院御物に描かれた絵や 象にまたがる普賢菩薩像を見てその姿形を知っていたのでしょう。 この歌は725年聖武天皇が吉野離宮へ行幸された折に詠われたもので、 長短歌3首で構成されています。 長歌で柿本人麻呂以来の土地褒めの伝統を踏まえて天皇を讃え、短歌二首では 朝廷賛歌より自然の叙景を前面に打ち出しており、従来の行幸歌の殻を破った 万葉傑作の詠とされています。 ・・・・・以上 以下の写真が象山らしいが、象のかげなし。 沼津アルプスの象山のほうが俄然象山といえる。 なにはともあれ、ゆっくりこの歌を賞味できれば幸いです。 深々 しんしん と更けゆく夜。 静寂 しじま の間から鳥の声が聞こえてくる。 耳をすますと玲瓏と響く川の音と千鳥の澄んだ声。 瞑想することしばし。 昼間に見た清々しい川原と緑鮮やかな木々。 そして飛び交う様々な鳥たちの姿が目に浮かぶ。 それはあたかも眼前でその情景を見ているようだ。 やがて口元から朗々とした調べが。 「 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる - -」 かくして1300年後に絶賛される名歌が誕生しました。 それは、心の集中から生まれた鮮やかな写生とも言える 静寂の極致です。 こんな感じで歌を味わうらしい。 味わい方のサンプルとして載せてみました。 平成24年3月24日 狩野川河口より象山を写す(沼津の象山 沼津アルプスの一つ徳倉山の別名) 左より、鼻で頭で胴体と 象に見えます 代表的な歌 の解釈 春の野にすみれ摘みにと 来 こ し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける 【通釈】春の野に菫を摘みにやって来た私は、その野に心引かれ、離れ難くて、とうとう一夜を過ごしてしまったよ。 あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも 【通釈】山桜が何日も続けてこのように咲くのであったら、これ程ひどく恋しがったりするだろうか。 枝に雪が積もっているので。 明日よりは春菜摘まむと 標 し めし野に昨日も今日も雪は降りつつ 【通釈】明日からは春の若菜を摘もうと標縄を張っていた野に、昨日も今日も雪が降ってばかりで…。 阿倍 あへ の島 鵜 う の住む磯に寄する波 間 ま なくこのころ大和し思ほゆ 【通釈】阿倍の島の鵜の棲む磯に寄せる波のように、絶え間なくこの頃大和のことが思われることだ。 みさご居る 磯廻 いそみ に 生 お.

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