フランコ ゼフィレッリ。 フランコ・ゼフィレッリ(ふらんこ・ぜふぃれっり)とは

フランコ・ゼフィレッリ(巨匠の歴史)

フランコ ゼフィレッリ

概要 [ ] の著名な戯曲を映画化したもので、が脚色・監督、イギリス出身のとが主演した。 従来の映画化(など)と比較して、より登場人物の実年齢に近づけたキャスティングが行われ、イタリアでロケーションが行われている。 当時16歳のハッセーがヌードシーンを演じていることも大いに話題となった。 ロータが担当した音楽も評判となり、テーマ曲は古今東西のの代表的な名作として、現在に至るまで親しまれている。 最初にロミオ役の出演依頼を受けたのはのであったが、マッカートニーはこれを断っている。 が14才の頃に見た本作に影響を受け、脚本家の道を志すきっかけとなった。 スタッフ [ ]• 監督:フランコ・ゼフィレッリ• 製作:ジョン・ブレイボーン、アンソニー・ヘイヴロック=アラン• 脚色:フランコ・ゼフィレッリ、フランコ・ブルサーティ、マソリーノ・ダミコ• 音楽:• 撮影:• 編集:レジナルド・ミルズ• プロダクションデザイン:ロレンツォ・モンジャルディーノ• 美術:エミリオ・カルカーノ、ルチアーノ・プッチーニ• 衣裳:ダニロ・ドナティ 映画賞受賞・ノミネーション [ ]• :パスクァリーノ・デ・サンティス• :ダニロ・ドナティ• 衣裳デザイン賞:ダニロ・ドナティ• 英国アカデミー賞アンソニー・アスキス賞:ニーノ・ロータ• 監督賞:フランコ・ゼフィレッリ• 英語外国映画賞• ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞監督賞:フランコ・ゼフィレッリ• :フランコ・ゼフィレッリ• :ニーノ・ロータ• ナストロ・ダルジェント撮影賞(カラー):パスクァリーノ・デ・サンティス• ナストロ・ダルジェント衣裳デザイン賞:ダニロ・ドナティ• ナストロ・ダルジェント美術(プロダクションデザイン)賞:ルチアーノ・プッチーニ• ノミネーション• :フランコ・ゼフィレッリ• ゴールデングローブ賞監督賞:フランコ・ゼフィレッリ• ゴールデングローブ賞作曲賞:ニーノ・ロータ• 英国アカデミー賞監督賞:フランコ・ゼフィレッリ• :ジョン・マケナリー• :パット・ヘイウッド• 英国アカデミー賞美術賞:ロレンツォ・モンジャルディーノ• 英国アカデミー賞編集賞:レジナルド・ミルズ 外部リンク [ ]• - (英語)• - (英語).

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映画『ロミオとジュリエット』 〜主に4作品について〜 [続き]

フランコ ゼフィレッリ

フランコ・ゼフィレッリの訃報に接して 先週の 15日、イタリアの映画監督のフランコ・ゼフィレッリ氏が 96歳で死去しました(注 1)。 氏は、フェデリコ・フェリーニ、イングマール・ベルイマン、そして、などと同様に、映画監督としてまたオペラ演出家として、 20世紀後半に活躍しました。 第二次大戦後、舞台監督として働いていた劇場のスタッフとしてオペラ演出家兼映画監督としてのキャリアをスタートし、そのころに師事していたヴィスコンティ監督と同様に、オペラ、映画、テレビなどで数多くの作品を監督しました(注 2)。 実際に鑑賞したことがある映画作品としては、以下の 7作品があります(注 3・ 4)。 主演のレナート・ホワイティングとオリビア・ハッセーは映画化された作品の中では最も実年齢が戯曲の設定に近いことや、ニーノ・ロータの音楽(注 5)などが特に有名です。 筆者も、ロミオとジュリエットの音楽といえば、プロコフィエフが作曲したバレエ組曲か、このニーノ・ロータの映画音楽のいずれかを必ず思い出します。 「ブラザー・サン、シスター・ムーン」は 1972年の作品で、アッシジのフランチェスコというキリスト教(カソリック)の聖人の物語を、前作の「ロミオとジュリエット」と同様に、中世の雰囲気を再現しながら描いた作品です。 実際に観た時の印象は、中世の聖人の話というよりも、ラブ&ピースのヒッピー・カルチャーのリーダーを描いた作品のように感じた記憶があります。 「ロミオとジュリエット」も音楽を抜きにして作品が成立しないのですが、「ブラザー・サン、シスター・ムーン」もまた、音楽が大きな役割を果たしている作品です。 ちなみに、この作品を観た場所は、当時、水道橋駅から白山通り沿いに歩いて数分のところにあった映画喫茶だった記憶があります。 当時は、定期的に映画を上映する喫茶店というものが東京にも数軒あり、そのうちのひとつでした。 通りの反対側は後楽園球場や後楽園遊園地がまだあったころのことです。 「ナザレのイエス 」は、もともとはテレビ用に製作されたものを 3時間超の映画作品に編集して日本では 1980年に公開されたものです。 文字通り、イエス・キリストを描いた作品です。 「ブラザー・サン、シスター・ムーン」で描かれるアッシジのフランチェスコよりは、イエス・キリストのことであれば多少は知ってはいましたが、登場人物も多く、ストーリーを追うので手一杯でした。 同じモチーフという点では、「ジーザス・クライスト・スーパースター」(注 6)のほうが、映画だけでなく、日本では劇団四季のミュージカルとして舞台でも知名度が高いでしょう。 「チャンプ」は 1979年の作品で、ボクシングのチャンピオンだった男とその息子の物語です。 同年の作品に「クレーマー、クレーマー(原題: Kramer vs. Kramer)」 注 7 があり、こちらは息子を残して出ていった妻とその夫の物語です。 「チャンプ」が感情に訴える感涙映画なのに対して、「クレーマー、クレーマー」がシリアスなやりとりが多いなかにクスッと笑える要素のあるコメディという、実に対照的な作品です。 公開当時は、主人公の息子を演じる子役の違い(子役本人の違いとともに演出の違いも大きいはず)から、日本では「チャンプ」のほうが観客の入りはよかったのではないかと思います。 アメリカでは反対の評判だったようで、アカデミー賞は「クレーマー、クレーマー」が作品・監督(ロバート・ベントン)・脚色(ロバート・ベントン)・主演男優(ダスティン・ホフマン)・助演女優(メリル・ストリープ)の各賞を受賞しました。 ちなみに、「チャンプ」で主演のジョン・ボイトと「クレーマー、クレーマー」で主演のダスティン・ホフマンは、 1969年の「真夜中のカウボーイ(原題: Midnight Cowboy)」(注 8)で男娼(ジョン・ボイト)と足が不自由で詐欺師的な男(ダスティン・ホフマン)の組み合わせ共演しており、 10年を経て互いに息子をもちつつも離婚を迫られる男の役を演じることで、観客はふたりの俳優の成長も目にすることになりました。 「エンドレス・ラブ」は、 1981年の作品で、ブルック・シールズとマーティン・ヒューイットの主演の 10代の現代のアメリカを舞台にした悲恋物語です。 とはいっても、「ロミオとジュリエット」ほどのドラマ性はありません。 映画そのものよりも、ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスが歌った主題歌(注 9)のほうが有名かもしれません。 実際、数多くのアーティストにカバーされています。 こうしてドラマ作品を改めて眺めてみると、ゼフィレッリ監督には普遍的なラブ・ストーリーを作れば後世に残るものとなる力があるのでしょう。 実際、「ロミオとジュリエット」や「エンドレス・ラブ」はリメイクされてもいます。 「ブラザー・サン、シスター・ムーン」や「ナザレのイエス 」は、今でもアッシジのフランチェスコやイエス・キリストの生涯を知る映像資料としても活用されているようです。 オペラ演出家としてのゼフィレッリは、メトロポリタン歌劇場のステージを映像化した作品のリストなどを見てみると、プッチーニやヴェルディを得意としていたようです。 メトロポリタン歌劇場の来日公演の予習には欠かせない作品だった気がします。 こうして思い返してみると、フランコ・ゼフィレッリは悲劇で終わる愛(神への愛、若い男女の愛、親子の愛など)の物語を描く映画監督として、感情、特に涙を流すほどの強いエモーションを観ている者に想起させる演出術に優れていることがわかります。 これらの作品を初めて観た頃の筆者は、そうした演出にはあまり気持ちが乗らなかったため、実は作品をあまり楽しめた記憶はありません。 ただ、「ブラザー・サン、シスター・ムーン」と「ナザレのイエス 」は、キリスト教について無知な筆者には参考書のようなものとして、興味をもって観ることはできました。 また、「ロミオとジュリエット」は、のちに他の映画や舞台(ストレートプレイやバレエ作品)で 10回以上鑑賞することになりますが、シェイクスピアのテクストとともに他の作品を鑑賞する際の基準となったことは間違いありません。 現代では、愛について考えさせる作品はさまざまに作り出されていると思いますが、悲劇的なラブ・ストーリーを真正面から描き切って観客を涙させる演出家や監督は、意外とあまり存在しないのかもしれません。 フランク・ゼフィレッリという映画監督兼演出家の全盛期の力量を改めて見直すとともに、ゼフィレッリを凌ぐような感涙作品が現れることを期待したいと思います。 【注 1】 たとえば、以下のように報じられています。 【注 2】 以下の映画サイト( IMDB)にあった作品リストによると、 25 作品を監督しています。 また、脚本も担当し、オペラ作品では美術も担当しています。 【注 3】 「ロミオとジュリエット」予告編.

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ゼフィレッリとは

フランコ ゼフィレッリ

戦時中ではないのだから過剰な自制は必要ないし、相互監視などもってのほかだけれど、逆にお気楽なユーチューブ・ラリーが続いているのも、いただけない。 仮にそれが「はげまし」の連鎖だとしても、自粛解除のあとはどうするのか。 きっとライブやドラマ撮影や小屋打ちが再開して、ふだんの平時に戻るだけなのだろう。 もっとも自粛中のテレワークはけっこう便利そうだったので、うまくリモート・コミュニケーションをまぜるだけになるのだろう。 思うに、ニューノーマルなんて幻想なのである。 その宿命を背負っているのは、なんといっても病院などの医事現場である。 感染治療も感染対策もたいへんだし、治療や看護にあたる従事者の心労も続く。 経営もしだいに逼迫していくだろう。 なぜこうなっているかといえば、原因はいろいろあるけれど、細菌やウイルスがもたらす疾病が「個人治療」だけではなく「人類治療」にかかわるからである。 人間一人ずつに対処して治療する。 これに対してウイルス対策は「究極要因」を相手にする。 いわば人類が相手なのである。 人類が相手だということは「生きもの」全部が相手だということで、人間も「生きもの」として見なければならないということになる。 これについては長谷川眞理子さんの『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)という好著がある。 ゼツヒツの1冊だ。 進化医学では感染症の発熱を感染熱とはみなさない。 ウイルスなどの病原菌が生育する条件を悪化(劣化)させるために、われわれの体がおこしている現象だとみなす。 免疫系の細胞のほうが病原菌よりも高温性に耐性があることを活用して発熱をもたらしたのである。 だからすぐさま解熱剤を投与したり、体を冷却しすぎたりすることは、かえって感染症を広げてしまうことになりかねない。 ウイルスは血中の鉄分を減少させることも知られているが、これもあえてそういう対策を体のほうが選択したためだった。 「苦労する免疫」仮説を唱えて話題を呼んだ。 そういえば、かつてパラサイト・シングルといった用語をつくり、その後もフリーターや家族社会学について独自の見解を発表していた山田昌弘が、2004年に『希望格差社会』(筑摩書房)で、ネシーの「苦労する免疫」仮説をうまくとりあげていたことを思い出した。 いずれも大いに考えさせられた。 イーワルドはTED(2007)で急性感染症をとりあげ、「われわれは、細菌を飼いならせるのか」というユニークなトークを展開している。 イーワルドの言い分から今回のCOVID19のことを類推すると、武漢での飲料水や糞尿や補水がカギを握っていたということになる。 COVID19パンデミックの渦中の4月25日、HCU(ハイパーコーポレート・ユニバーシティ)第15期目の最終回をハイブリッド・スタイルで開催した。 本楼をキースタジオにして、80人を越えるネット参加者に同時視聴してもらうというスタイルだ。 リアル参加も受け付けたので、三菱の福元くん、リクルートの奥本くん、大津からの中山くんら、5人の塾生が本楼に駆けつけた。 さあ、これだけの参加者とぼくのレクチャーを、どういうふうにAIDAをとるか。 「顔」と「言葉」と「本」を現場と送信画面をスイッチングしながらつなげたのである。 まずは本楼で5台のカメラを動かし、チャット担当に2人(八田・衣笠さん)をあて、記事中継者(上杉くん)が付きっきりで事態のコンテンツ推移の様子をエディティングしつづけるようにした。 スイッチャー(穂積くん)にも立ってもらった。 かくしてハイブリッドHCUは、昼下がり1時の参加チェック開始からざっと7時間に及んだのである。 だからテレワークをしたわけではない。 ぼくは最近のテレワークにはほとんど関心がない。 当時はFAXもなく、オートバイで資料やダミーや原稿を運びあって、制作編集をしつづけたものだった。 最近のテレワークは適用機材の仕様に依存しすぎて、かえって何かを「死なせて」いるか、大事なことを「減殺しすぎて」いるように思う。 プロクセミックスとアフォーダンスがおバカになってしまうのだ。 テレビもネット参加の映像を試みているけれど、いまのところ芸がない。 はたしてうまくいったかどうか。 それは参加者の感想を聞かないとわからないが、ディレクターには小森康仁に当たってもらい、1週間前にラフプランをつくり、前日は映像・音声・照明のリハーサルもした。 こういう時にいつも絶対フォロアーになってくれてきた渡辺文子は自宅でその一部始終をモニターし、コメントしてくれた。 当日の現場のほうは佐々木千佳・安藤昭子・吉村堅樹が舞台まわしを仕切った。 安藤の胸のエンジンがしだいに唸りはじめていたので、この反応を目印に進めようと思った。 書物というもの、表紙がすべてを断固として集約表現しているし、それなりの厚みとボリュームもあるので、見せようによっては、ぼくの「語り」を凌駕する力をもつ。 けれどもやってみると、けっこう忙しく、目配りも届ききれず、自分が多次元リアル・ヴァーチャルの同時送受の浸透力にしだいに負けてくるのがよくわかった。 76歳には過剰だったのかもしれない。 まあ、それはともかく、やってのけたのだ。 すでに昨年10月から演劇ではこまつ座の座長の井上麻矢ちゃんが(井上ひさしのお嬢さん)が、スポーツからは昔なじみのアメフトのスター並河研さんとヘッドコーチの大橋誠さんが、ビリヤードからは大井直幸プロと岡田将輝協会理事が、文楽からは2日にわたって吉田玉男さんのご一門(3役すべて総勢10人余)が、そして茶道から遠州流の小堀宗実家元以下の御一党が(宗家のスペースも提供していただいた)、いったい稽古と本番とのAIDAにあるものは何なのか、いろいろ見せたり、話したり、濃ゆ~く演じてみせてくれたので、これをあらためて振り返るのはたいへん楽しかった。 たとえばベンヤミンやポランニーやエドワード・ホールだ。 ついでに最新刊の『日本文化の核心』(講談社現代新書)からのフリップも入れた。 とくに日本株式会社の多くが平時に有事を入れ込まないようになって、久しく低迷したままなので(いざというとお金とマスクをばらまくだけなので)、こちらについてはかなりキツイ苦言を呈してみた。 このことを前提にしておかない日本なんて、あるいはグローバルスタンダードにのみ追随している日本なんて、かなりの体たらくなのである。 そのことに苦言を呈した。 もっと早々にデュアルスタンダードにとりくんでいなければならなかったのである。 つまり地球生命系のアントロポセンな危機が到来しているということなのだが、そのことがちっとも交わされていない日本をどうするのか、そこを問うた。 ぐったりしたけれど、そのあとの参加者の声はすばらしいものだったので、ちょっとホッとした。 そのうち別のかたちで、「顔」と「言葉」と「本」を「世界と日本」のために、強くつなげてみたいものである。 RNAウイルスの暴風が吹き荒れているのである。 新型コロナウイルスがSARSやMARSや新型インフルエンザの「変異体」であることを、もっと早くに中国は発表すべきだったのだろう。 そのうえで感染症を抑える薬剤開発やワクチンづくりに臨んでみたかった。 せめてフランク・ライアンの『破壊する創造者』(ハヤカワ文庫)、フレデリック・ケックの『流感世界』(水声社)を読んでほしい。 千夜千冊ではカール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』を紹介したが、中身はたいしたことがなく、武村政春さんの何冊かを下敷きにしたので(講談社ブルーバックスが多い)、そちらを入手されるのがいいだろう。 「自粛嫌い」のぼくも、さすがに家族からもスタッフからも「自制」を勧告されていて、この2週間の仕事の半分近くがネット・コミュニケーションになってきた(リアル2・5割、ネット参加7・5割のハイブリッド型)。 それはそれ、松岡正剛はマスクが嫌い、歩きタバコ大好き派なので、もはや東京からは排除されてしかるべき宿命の持ち主になりつつあるらしい。 そのうち放逐されるだろう。 学生時代に、このコンベンションに付き合うのは勘弁してもらいたいと思って以来のことだ。 下戸でもある。 だから結婚式や葬儀がひどく苦手で、とっくに親戚づきあいも遠のいたままにある。 たいへん申し訳ない。 レイ・ブラッドベリの家に行ったとき、地下室にミッキーマウスとディズニーグッズが所狭しと飾ってあったので、この天下のSF作家のものも読まなくなったほどだ。 これについては亡きナムジュン・パイクと意見が一致した。 かつての豊島園には少し心が動いたが、明るい改装が続いてからは行っていない。 格闘技はリングスが好きだったけれど、横浜アリーナで前田日明がアレクサンダー・カレリンに強烈なバックドロップを食らって引退して以来、行かなくなった。 ごめんなさい。 子供時代はバスケットの会場と競泳大会の観戦によく行っていた。 それは7割がたは「本」による散策だ(残りはノートの中での散策)。 実は、その脳内散歩ではマスクもするし、消毒もする。 感染を遮断するのではなく、つまらない感染に出会うときに消毒をする。 これがわが「ほん・ほん」の自衛策である。 ぼくとしてはめずらしくかなり明快に日本文化のスタイルと、そのスタイルを読み解くためのジャパン・フィルターを明示した。 パンデミックのど真ん中、本屋さんに行くのも躊らわれる中での刊行だったけれど、なんとか息吹いてくれているようだ。 デヴィッド・ノーブルさんが上手に訳してくれた。 出版文化産業振興財団の発行である。 いろいろ参考になるのではないかと思う。 中井久夫ファンだったぼくの考え方も随所に洩しておいた。 次の千夜千冊エディションは4月半ばに『大アジア』が出る。 これも特異な「変異体」の思想を扱ったもので、竹内好から中島岳志に及ぶアジア主義議論とは少しく別の見方を導入した。 日本人がアジア人であるかどうか、今後も問われていくだろう。 1月~2月はガリレオやヘルマン・ワイルなどの物理や数学の古典にはまっていた。 この、隙間読書の深度が突き刺すようにおもしろくなる理由については、うまく説明できない。 「間食」の誘惑? 「別腹」のせい? 「脇見」のグッドパフォーマンス? それとも「気晴らし演奏」の醍醐味? などと考えてみるのだが、実はよくわからない。 新型コロナウィルス騒ぎでもちきりなのだ。 パンデミック間近かな勢いがじわじわ報道されていて、それなのに対策と現実とがそぐわないと感じている市民が、世界中にいる。 何をどうしていくと、何がどうなるはかわからないけれど、これはどう見ても「ウィルスとは何か」ということなのである。 けれどもいわゆる細菌や病原菌などの「バイキン」とは異なって、正体が説明しにくい。 まさに隙間だけで動く。 ところがウィルスはこれらをもってない。 自分はタンパク質でできているのに、その合成はできない。 生物は細胞があれば、生きるのに必要なエネルギーをつくる製造ラインが自前でもてるのだが、ウィルスにはその代謝力がないのである。 だから他の生物に寄生する。 宿主を選ぶわけだ、宿主の細胞に入って仮のジンセーを生きながらえる。 ところがこれらは自立していない。 他の環境だけで躍如する。 べつだん「悪さ」をするためではなく、さまざまな生物に宿を借りて、鳥インフルエンザ・ウィルスなどとなる。 もっとはっきり予想していえば「借りの情報活動体」なのだ。 鍵と鍵穴のどちらとは言わないが、半分ずつの鍵と鍵穴をつくったところで、つまり一丁「前」のところで「仮の宿」にトランジットする宿命(情報活動)を選んだのだろうと思う。 たとえば一人の肺の中には、平均174種類ほどのウィルスが寝泊まりしているのである。 さまざまな情報イデオロギーや情報スタイルがどのように感染してきたのか、感染しうるのか、そのプロセスを追いかけてきたようにも思うのだ。 まあ、幽閉老人みたいなものだが、何をしていたかといえば、猫と遊び、仕事をしていたわけだ。 千夜千冊エディションを連続的に仕上げていたに近い。 木村久美子の乾坤一擲で準備が進められてきたイシス編集学校20周年を記念して組まれたとびきり特別講座だ。 開講から104名が一斉に本を読み、その感想を綴り始めた。 なかなか壮観だ。 壮観なだけでなく、おもしろい。 やっぱり本をめぐる呟きには格別なものがある。 ツイッターでは及びもつかない。 参加資格は編集学校の受講者にかぎられているのが、実はミソなのである。 ちょっと摘まんでみると、こんなふうだ。 赤坂真理の天皇モンダイへの迫り方も、大竹伸朗のアートの絶景化もいいからね。 イーガンや大澤君のものはどうしても読んでおいてほしいからね。 これらの感想について、冊師たちが交わしている対応が、またまた読ませる。 カトめぐ、よくやっている。 穂村弘『絶叫委員会』、原田マハ『リーチ先生』、上野千鶴子『女ぎらい』、畑中章宏『天災と日本人』、藤田紘一郎『脳はバカ、腸はかしこい』、ボルヘス『詩という仕事について』、松岡正剛『白川静』、モラスキー『占領の記憶・記憶の占領』、柄谷行人『隠喩としての建築』、藤野英人『投資家みたいに生きろ』、バウマン『コミュニティ』、酒井順子『本が多すぎる』、バラード『沈んだ世界』、堀江敏幸『回送電車』、アーサー・ビナード『日々の非常口』、島田ゆか『ハムとケロ』、ダマシオ『意識と自己』、荒俣宏『帝都物語』、白州正子『縁あって』、野地秩嘉『キャンティ物語』、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡』、國分功一郎『原子力時代における哲学』、ミハル・アイヴァス『黄金時代』、ウェイツキン『習得への情熱』、江國香織『絵本を抱えて部屋のすみへ』、内田樹『身体の言い分』。 このへんも嬉しいね、アイヴァスを読んでくれている。 ぼくが読んでいない本はいくらもあるけれど、イシスな諸君の読み方を読んでいると、伊藤美誠のミマパンチを見たり、中邑真輔のケリが跳んだときの快感もあって、それで充分だよと思える。 もともとはモルフェウスのしからしむ誘眠幻覚との戯れなのだけれど、これを共読(ともよみ)に変じたとたんに、世界化がおこるのだ。 こんな快楽、ほかにはめったにやってこない。 満を持してのエディションというわけではないが(それはいつものことなので)、みなさんが想像するような構成ではない。 現代思想の歴々の編集力がいかに卓抜なものか、これまでのポストモダンな見方をいったん離れて、敷居をまたぐ編集、対角線を斜めに折る編集、エノンセによる編集、テキスト多様性による編集、スタンツェ(あらゆる技法を収納するに足る小部屋もしくは容器)を動かす編集、アナモルフィック・リーディングによる編集を、思う存分つなげたのだ。 かなり気にいっている。 なかでポランニーが「不意の確証」は「ダイナモ・オブジェクティブ・カップリング」(動的対象結合)によっておこる、それがわれわれに「見えない連鎖」を告知しているんだと展望しているところが、ぼくは大好きなのである。 鍵は「準同型」「擬同型」のもちまわりにある。 「世界は本である」「なぜなら世界はメタフォリカル・リーディングでしか読めないからだ」と喝破した有名な著作だ。 最後にキエラン・イーガンの唯一無比の学習論である『想像力を触発する教育』にお出まし願った。 この1冊は天才ヴィゴツキーの再来だった。 あしからず。 編集力のヒントとしては『情報生命』も自画自賛したいけれど、あれはちょっとぶっ飛んでいた。 『編集力』は本気本格をめざしたのだ。 ぜひ手にとっていただきたい。 あしからず。 ところが、気持ちのほうはそういうみなさんとぐだぐたしたいという願望のほうが募っていて、これではまったくもって「やっさもっさ」なのである。 やっぱりCOPD(肺気腫)が進行しているらしい。 それでもタバコをやめないのだから、以上つまりは、万事は自業自得なのであります。 来年、それでもなんだかえらそうなことを言っていたら、どうぞお目こぼしをお願いします。 それではみなさん、今夜もほんほん、明日もほんほん。 最近読んだいくつかを紹介する。 ジョン・ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(同時代社)は、革命思想の成長と目標をめぐって自己陶冶か外部注入かを議論する。 「する」のか「させる」のか、そこが問題なのである。 同時代社は日共から除名された川上徹がおこした版元で、孤立無援を闘っている。 2年前、『川上徹《終末》日記』が刊行された。 コールサック社をほぼ一人で切り盛りしている鈴木比佐雄にも注目したい。 現代詩・短歌・俳諧の作品集をずうっと刊行しつづけて、なおその勢いがとまらない。 ずいぶんたくさんの未知の詩人を教えてもらった。 注文が多い日々がくることを祈る。 ぼくは鷲津繁男に触発されてビザンチンに惑溺したのだが、その後は涸れていた。 知泉書館は教父哲学やクザーヌスやオッカムを読むには欠かせない。 リアム・ドリューの『わたしは哺乳類です』とジョン・ヒッグスの『人類の意識を変えた20世紀』(インターシフト)などがその一例。 ドリューはわれわれの中にひそむ哺乳類をうまく浮き出させ、ヒッグスは巧みに20世紀の思想と文化を圧縮展望した。 インターシフトは工作舎時代の編集スタッフだった宮野尾充晴がやっている版元で、『プルーストとイカ』などが話題になった。 原研哉と及川仁が表紙デザインをしている。 最近、太田光の「芸人人語」という連載が始まっているのだが、なかなか読ませる。 今月は現代アートへのいちゃもんで、イイところを突いていた。 さらにきわどい芸談に向かってほしい。 佐藤優の連載「混沌とした時代のはじまり」(今月は北村尚と今井尚哉の官邸人事の話)とともに愉しみにしている。 ついでながら大阪大学と京阪電鉄が組んでいる「鉄道芸術祭」が9回目を迎えて、またまたヴァージョンアツプをしているようだ。 「都市の身体」を掲げた。 仕掛け人は木ノ下智恵子さんで、いろいろ工夫し、かなりの努力を払っている。 ぼくも数年前にナビゲーターを依頼されたが、その情熱に煽られた。 いろいろ呆れた。 とくに国語と数学の記述試験の採点にムラができるという議論は、情けない。 人員が揃わないからとか、教員の負担が大きいからとかの問題ではない。 教員が記述型の採点ができないこと自体が由々しいことなのである。 ふだんの大学教員が文脈評価のレベルを維持できていないということだ。 ラグビージャパンはよくやった。 予選リーグは実に愉快だった。 何度も観たが、そのたびにキュンキュンした。 堀江、松島、福岡には泣かされた。 これまでは力不足だった田村もよかった。 リーチ・マイケルのサムライぶりがやっと全国に伝わったのも嬉しかったが、こういうサムライは世界のラグビーチームには、必ず2~3人ずついるものだ。 リーチも田村もルークも姫野もイマイチだった。 CTBの中村のタックルとフルバックの山中の成長を評価したい。 5年ほど前は体が辛そうだった。 平尾とは対談『イメージとマネージ』(集英社文庫)が残せてよかったと、つくづく憶う。 あのときの出版記念パーティには松尾たちも来てくれて、大いに沸いた。 美輪明宏さんが「いい男ねえ」と感心していたのが懐かしい。 まさにミスター・ラグビーだったが、繊細で緻密でもあった。 「スペースをつくるラグビー」に徹した。 トップリーグよりも、冬の花園の高校生たちの奮闘を観てもらうのが、おそらくいいのではないかと思う。 ただし、カメラワークをもっとよくしなければいけない。 孫犁冰さんが渾身の翻訳をしてくれた。 『歴史与現実』という訳になっている。 孫さんは新潟と上海を行き来して、日中の民間外交に貢献している気鋭の研究者で、すばらしいコミュニケーターだ。 イシス編集学校の師範代でもある。 韓国語になった本が7冊になっているので、少々は東アジアと日本のつながりの一助を担ってくれていると信じるが、日中韓をまたぐこういう「言葉のラグビー」や「思想文化のまぜまぜアスリート」は、いまはまだからっきしなのである。 中国文化サロン、日本僑報社、日中翻訳学院、中国研究書店、日韓大衆文化セミナー、日中韓交流フォーラムなどの充実に期待する。 東方書店の「知日」という月刊雑誌ががんばってくれている。 私生児である。 世界を代表するオペラの演出家である。 ルキノ・ヴィスコンティの弟子だった。 イタリアのパルチザンとしてナチスと闘った青年でもあった。 マリア・カラスを愛したし、カラスからも愛されていたし、コケにもされた。 プラシド・ドミンゴを青年のころに見出した。 トスカニーニに学び、バーンスタインと遊んだ。 三度死にかけている。 オリビア・ハッセーを主演させた『ロミオとジュリエット』で大ヒットをとばし、少年時代からあこがれていた聖フランチェスコを『ブラザー・サン・シスター・ムーン』で映画にした。 これもヒットした。 『チャンプ』『トスカニーニ』の映画監督でもある。 がゼッフィレッリを男にした。 フィレンツェで育って、フィレンツェを愛した。 こんな男が自伝を書いたのである。 書いたというより、序文にあるようにゼッフィレッリはひたすら語り、これをBBCのスタッフが文字にして、自分で手を入れた。 それにしても、よくもこんな派手で真剣な男の自伝が巷間に出まわったものだ。 ただ、読み通すのに久々に時間がかかった。 イタリアの戦時戦後の事情、ヨーロッパ・オペラの事情、あまりに派手に乱舞するスターたちの動向。 それらがなかなかアタマに入らないのだ。 だいたいゼッフィレッリにあたるような男は日本にいない。 スペクタクルを演出するというだけなら、たとえば市川猿之助や山本寛斎や、あるいは浅利慶太を思い浮かべてもいいかもしれない。 しかし、かれらの演出はおおむねは型にもとづいている。 ゼッフィレッリのスケールは図抜けているし、やるたびに趣向が違っている。 もともと日本ではオペラのオリジナル演出などほとんどないといってよい。 しかもゼッフィレッリはオペラも演劇も映画もつくる。 テレビもつくるし、法王パウロに頼まれて聖ピエトロ寺院を演出してしまう。 こういう男はいない。 ヨーロッパではゼッフィレッリのような演出スペクタクルを「オピュレンス」ということがある。 うまく訳せないが、富裕とか豪奢を意味する言葉で、かつ大胆で意外なスケールを含み、人々に満足感をふりまくものが滲み出ていなければならない。 それが「オピュレンス」である。 これは日本には、ない。 かつて桃山や宝暦天明にあったかもしれないが、日本には久しく「オピュレンス」は消えてきた。 ゼッフィレッリはそれをふんだんに盛りこんだ男なのである。 だから嫌みもあるし、やりすぎもある。 この自伝にもスーパースターが目白押しで、さすがに読むのが面倒になる。 ところが、何かがこの男のやりすぎのスケールを支えている。 何かがこの男の求心や収斂を支えている。 それは宗教文化というものである。 フィレンツェに育ち、ルネサンスに囲まれた日々が培った宗教力がこの男の作品創意をぶよぶよにしなかったのだ。 本書を読んで、フランコ・ゼッフィレッリから学ぶべきものはあまり見当たらない。 多くの仕事の事情が次々に紹介されているのだが、生き方や仕事の仕方についての深い洞察や鋭い指摘が何もないからである。 それにもかかわらず、この長ったらしい自伝にはわれわれがまったく知らない世界の舞踏曲のようなものが描かれていて、こういう世界を知ること自体が貴重であり、対面すべきものであるように見えてくる。 それはたとえていえば、や『ラストエンペラー』、あるいは『恋に落ちた』や『宮廷料理人ヴァテール』をじっくり見ておく意味があるという理由に近い。 そのような映画には、とくにわれわれの生活に直接響くものはないのだが、われわれは溜息とともに何かに圧倒されている。 そういうものが、ゼッフィレッリが大半の人生の時間を費やして向かっていった世界から見えてくる。 そこで浮上してくるのが、ゼッフィレッリの師にあたるルキノ・ヴィスコンティのことである。 ヴィスコンティこそは、『地獄に堕ちた勇者ども』や『神々の黄昏』において、このような世界のありかたを見せてくれた張本人だった。 ゼッフィレッリは青年時代は演劇にかかわろうとしていた。 それまでは、戦争だったからただ闘っていた。 1945年、22歳、最初の仕事はフィレンツェのベルゴラ劇場の舞台背景を塗ることだった。 ある日、そこで舞台稽古を見ているときに強烈な人物に出会った。 それがヴィスコンティだった。 ヴィスコンティは役者やスタッフを怒鳴りちらし、罵り、それを上回る情熱を舞台稽古に叩きつけていた。 ゼッフィレッリはたちまちこの力に魅せられる。 ヴィスコンティ家は先祖がミラノを統治していた伯爵家である。 ヴィスコンティ一族のことはイタリアでは誰もが知っていた。 ヴィスコンティはそのような名門に生まれて、そのうえ大富豪の製薬会社の娘と結婚した。 馬を乗りまわし、勝手な行動で話題をまきちらす一方、ムッソリーニらのファシストと闘って勲章を得ていた。 芸術好きなヴィスコンティは、当時はイタリアであまり知られていなかったややスタインベックの世界観を紹介し、その世界観を舞台にぶつけるために劇団を組織した。 他方では、パリの社交界に出入りしてココ・シャネルと甘い関係をもち、そのシャネルの紹介で大監督ジャン・ルノワールを知ると助手をつとめ、そして映画に入っていった。 このヴィスコンティの知性と豪奢に、ゼッフィレッリはすべてを奪われたのである。 本書には、まだまだ演劇に熱中していたころのヴィスコンティがシェークスピアの『お気に召すまま』のオペラ化を構成演出するにあたって、のだが、それを読むと、ダリの魔術がヴィスコンティによって包まれていった雰囲気が手に取るように読みとれる。 このときヴィスコンティの助手としてダリと交渉をしていたのがゼッフィレッリだったのである。 ちなみに、ゼッフィレッリはこのときに初めて天才マリア・カラスに出会っていた。 こういうわけなので、ゼッフィレッリの「オピュレンス」の多くはヴィスコンティからの継承なのである。 しかし、その後のオペラ演出や映画演出を見ていると、ゼッフィレッリにはヴィスコンティの方法をはるかに陽性に転じる能力もそなわっていた。 もし、今後の世の中がやっぱりエンターテイメントを身近に引き寄せていたいというなら、もう少しゼッフィレッリのスペクタクル感覚に学んでおいたほうがいいのではないか。 そうでないといくつもの偽スペクタルがホールと町とブラウン管を占めすぎて、見てられない。

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