艦 これ あ 号 作戦。 艦隊司令部(椿) ~艦隊これくしょん情報ブログ~ : 【艦これ】 あ号作戦/任務

あ号作戦 ウィークリー任務効率化編成例【第二期】 | ぜかましねっと艦これ!

艦 これ あ 号 作戦

出現場所 パターン 敵編成 陣形 敵制空値 A: 静かな海です。 (戦闘回避) B:敵偵察艦隊 1 重巡リ級、軽巡へ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級 単縦 0 2 軽巡へ級、軽巡へ級、駆逐ハ級、駆逐ハ級 単縦 0 3 重巡リ級、軽巡へ級、駆逐イ級、駆逐イ級、駆逐イ級 単縦 0 C: 鋼材 D:敵偵察艦隊 1 重巡リ級、軽巡へ級、駆逐イ級、駆逐イ級、駆逐イ級 複縦 0 2 重巡リ級、軽巡へ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級 複縦 0 3 軽巡へ級、軽巡へ級、駆逐ハ級、駆逐ハ級 単縦 0 E: 弾薬 F: 敵影を見ず。 (戦闘回避) G: ボーキサイト H: 1 軽母ヌ級、軽母ヌ級、軽巡へ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級 輪形 16 2 軽母ヌ級、軽母ヌ級、重巡リ級、軽巡へ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級 輪形 16 I:敵前衛任務部隊II群 1 軽母ヌ級、重巡リ級、軽巡ホ級、駆逐イ級、駆逐イ級 輪形 8 J:敵支援打撃任務群 1 戦艦ル級、軽母ヌ級、軽母ヌ級、軽巡ヘ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級 単縦 16 2 戦艦ル級、雷巡チ級、雷巡チ級、軽巡ヘ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級 単縦 0 K: 気のせいだった。 敵の制空値は低いため水上機母艦の千歳・千代田に熟練度を上げた水上爆撃機(瑞雲など)を積むだけでも拮抗~優勢を取れる敵パターンもあります。 また、千歳・千代田はレベル15で軽空母へと改造することも可能です。 他は戦艦>重巡>軽巡>駆逐の順に火力・装甲が高いためなるべく上位の艦種を優先して編成しましょう。 攻略 空母による航空戦のチュートリアルステージともいえる海域。 できればこちらも空母で応戦したいところですが、必須というわけではありません。 このマップの敵艦船のうち弾着観測射撃(航空優勢以上でのみ発動できる昼間特殊砲撃)をしてくるのはJマスで出現する戦艦ル級と軽母ヌ級が混在するパターンのみのため、このパターンを引いた場合は諦めるという選択も取りえます。 とはいえJマス以外でも開幕戦での敵航空機による雷撃・爆撃は装甲・対空の低い軽巡や駆逐艦にとって驚異です。 航空機によるエアカバーができるのが理想ですが、装甲の厚い艦を並べて強引に突破してしまうのも一つの手でしょう。 航空戦について 敵味方いずれかの艦隊に戦闘機・爆撃機・攻撃機のいずれかを装備した艦が含まれる場合、砲撃戦開始前に航空戦と呼ばれるフェイズが加わります。 まず敵味方の戦闘機により制空権が争われ、その戦闘における制空状態が決定されます。 この計算の元となるのが制空値です。 自艦隊の制空値が敵艦隊の制空値に対してどの程度がによって制空状態が決定します。 3倍以上:制空権確保 その後戦闘機の攻撃と水上艦の対空砲火を掻い潜った爆撃機・攻撃機による開幕航空攻撃が行われます。 制空状態が航空優勢以上であれば自艦隊が弾着観測射撃(航空優勢以上でのみ発動できる昼間特殊砲撃)を発動できる機会を得、逆に航空劣勢以下であれば敵が昼間特殊砲撃を行う可能性があります。 弾着観測射撃(昼間特殊砲撃)の発動には制空状態の他にも条件があります。 詳しくは下記の記事をご参照下さい。 陣形 全て単縦陣でOKです。 輪形陣は対空用の陣形ですが、この陣形を取った場合こちらの砲撃戦火力と魚雷の威力が著しく低下してしまうため、敵の数を減らせずかえって被害が増大してしまいがちです。 輪形陣は一部の海域で登場する航空戦マス・空襲戦マス用の陣形と覚えておきましょう。

次の

艦隊司令部(椿) ~艦隊これくしょん情報ブログ~ : 【艦これ】 あ号作戦/任務

艦 これ あ 号 作戦

任務情報• 空母棲鬼・空母棲姫は未確認です) クリア報酬に• 弾薬500,ボーキ500,開発資材2 前提任務に• (デイリー任務) 後続任務に• (戦果350・クォータリー) が続いています。 関連クエスト 任務 クリア条件 備考 S勝利6回 全てクリアしないと達成不可 ろ号作戦に続く 出撃36回 ボス勝利12回 ボス戦24回 空母20隻撃破 補給艦50隻撃破 あ号、い号、ろ号をまとめたもの。 い号作戦 空母系20隻落とせば良いので、効率よくやるには 空母出現数の多い海域に行く必要があります。 い号任務ツリー 前提条件 達成条件 アイテム 空母20隻 開発資材2 い号作戦 潜水艦15隻 高速修復材2 改修資材1 海上護衛戦 3-3,3-4,3-5の何れかボス5回勝利 開発資材3 改修資材3 海上護衛戦 4-1~4-5のボス何れか12回勝利 開発資材2 敵東方艦隊を撃滅せよ 4-4一回勝利 高速修復材1 開発資材1 敵東方中枢艦隊を撃破せよ! 5-2二回S勝利 開発資材2 改修資材2 い号作戦のツリー。 貴重なネジはこのツリーでは6本です。 海上護衛戦は1-5や7-1, 5-5等の育成ですぐ終わります。 北方クエは5週でよく、効率よいのでおすすめ。 東方クエ~はネジだけではなく、育成やろ号作戦等を兼ねていきましょう。 個人的に東方をやるならろ号を平行して 「海上輸送路の安全確保に努めよ!」(ネジ3本)クリア前提ですね。 どの海域がおすすめ? まず、前提の補給艦3隻ですが、 やとかが無難におすすめ。 他はの記事を参照してください。 い号作戦の本命である空母20隻ですが、 大体はと同時進行できると思うため、 あ号作戦を考慮するかどうかで海域が変わってきます。 2-1・・・潜水艦を活用し、あ号作戦や南西クエを同時進行可能 (ボス周回で4隻固定)• 3-3・・・重ための編成で、ACEG(渦潮+3戦)撤退。 EO海域・・・い号作戦処理としては、,,あたり 2ー5、4ー5でも空母は出る• 1-4・・・基本2-1が上位互換(周回で1週2-4隻)• 2-2・・・レベリング艦隊で、あ号作戦や南西クエを同時進行可能(1隻)• 4-2・・・ろ号作戦とやる機会があれば候補• 6-1,6-2・・・まるゆ狙いに艦隊練度があれば• 6-2(B)・・・初戦撤退のレベリングに。 (軽巡駆逐4以上、空母1隻制空確保144) 候補はいろいろありますが、い号作戦だけ考えたら2-1一択かなと。 編成例 2-1(潜水艦) 火力調整すれば旗艦潜水艦のキラ付けが可能なので遠征用に考えてもOK。 また、まるゆを混ぜればまるゆの育成を兼ねることも可能です。 (画像で181) 水母1軽巡1駆逐4で道中1戦に固定できますが、い号作戦としては空母2隻しか狩れないので微妙。 経験値が微妙なため、駆逐・雷巡の枠は潜水艦を活用するなり、 レベル1バイト艦を活用するなりがよいかもです。 3-3 正規空母2隻以上・空母+戦艦3隻以上・駆逐+海防艦1隻以下 何れかの条件を満たして、【ACEG ボスM 】の道中3戦+渦潮で撤退します。 画像が(225程度)です。 また、装備入れ替えが手間でなければ空母の射程を長調整しておきましょう。 おまけで対空CIを採用。 海防艦、雷巡のところは電探が乗せられる艦であれば問題ありません。 被弾や育成との兼ね合いなので、駆逐艦を混ぜても大丈夫です。 画像はGでの撤退を想定。 ボスに行きたい場合、 海防艦の育成を兼ねると被弾多いかなあという感じです。 まとめ 補給艦任務を開放して、南西クエとい号作戦を受諾。 潜水艦6隻で夜戦を混ぜつつい号を終わらせるという パターンが個人的におすすめです。 【ウィークリー任務リンク()】 定期任務・EOリンク• II 実装• 【期間限定ドロップ】• 【最近の更新】• 【各海域紹介リンク(二期)】 EO海域と鎮守府海域・5-2から先は個別記事のほうが充実しています。 【マンスリー任務リンク()】 【クォータリー任務リンク()】 【戦果任務】.

次の

い号作戦 ウィークリー任務効率化【第二期】 | ぜかましねっと艦これ!

艦 これ あ 号 作戦

概要 [ ] 礼号作戦とは 、末期の(昭和19年)に実行されたの水上艦艇による、のに対する攻撃および作戦の名称である。 に伴うやレイテ島増援作戦()展開中の以降 、連合軍はミンドロ島に上陸してがはじまり 、連合軍は同島に飛行場を建設した。 に備え持久作戦へ方針転換する(司令官陸軍大将)や(司令長官中将)に対し 、(参謀長中将、首席参謀大佐)は陸軍部隊によるミンドロ島逆上陸作戦を主張する。 夜、第二水雷戦隊司令官少将(旗艦)指揮下の水上艦艇8隻(重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻)はミンドロ島のサンホセ泊地に夜間突入、輸送船攻撃と対地砲撃を敢行。 ミンドロ島沖海戦が発生した。 連合軍機の夜間空襲により駆逐艦が沈没、他艦艇に若干の被害があった。 作戦そのものは成功したが、戦局に与えた影響は小さかった。 背景 [ ] 戦略的背景及び地上戦闘の詳細については「」を参照 ミンドロ島上陸 [ ] 1944年(昭和19年)11月下旬、アメリカ軍を中心とした軍は、攻略作戦を順調に進めていた()。 、大本営海軍部(軍令部)や連合艦隊は「アメリカ軍大部隊のスルー海進入」という報告を受け、連合艦隊(司令長官大将、参謀長中将、首席参謀大佐)は在フィリピンの現地部隊に対し、敵上陸に備えるよう打電した(GF機密第132214番電)。 のは、第二遊撃部隊(指揮官第五艦隊司令長官)に対し、戦闘可能艦艇の()進出を命じる。 この命令は変更され、第二遊撃部隊は12月14日までに(中南部)に集結した。 同日、軍令部総長はに「比島方面ノ作戦指導ニ関シ」奏上する。 従来どおりレイテ地上決戦を進めること 、そして「 五 情況ニ依リテハ水上艦艇ノ突入作戦ヲ実施ス 現在南西方面ニテ行動可能ノ海上兵力ハ戦艦二隻、巡洋艦三隻、駆逐艦八隻 十二月中ニ 二隻増勢ノ予定 デ御座イマス 局地海上兵力ノ現状ハ別表〔略〕ノ通デ御座イマス」と奏上し、水上艦艇による突入作戦について言及した。 早朝、連合軍はした。 アメリカ軍の戦力は上陸船団が少将率いる他12、(APD)8、30、12、31、17、雑舟艇14であった。 その直接護衛として重巡1、軽巡2、駆逐艦7、高速魚雷艇23が船団前方を行き、更に6、3、重巡3、駆逐艦18が上空援護部隊として間接護衛するといった陣容であった。 これに対し日本軍(陸軍、海軍)はフィリピンの各航空基地から、新たに出現した連合軍艦隊に航空攻撃を敢行した。 12月13日、船団旗艦の米軽巡ナッシュビルが大破(駆逐艦に護衛されて退避)。 ミンドロ島上陸当日には、特攻機とその護衛機併せて海軍47機、陸軍13機が攻撃に向かった。 だがの陸軍機は全滅、海軍機も帰還十数機のみの大損害を蒙った。 その後も小規模ながら日本軍航空隊の波状攻撃は続けられたが 、アメリカ軍機動部隊()の活動により日本軍航空戦力は大打撃を受けた。 16日、連合軍はサンホセを完全に占領。 ただちに飛行場の稼働準備に入った。 12月17日、米軍機動部隊は燃料補給のため東方海面に移動したが、折しもに遭遇して駆逐艦3隻を喪失、損傷艦艇多数を出し 、燃料補給も出来なくなった。 このため米軍機動部隊は修理と補給のために引き上げた。 機動部隊による防空は出来なくなったが、ミンドロ島のサンホセ飛行場への米軍機進出は順調に進んでいた。 日本軍航空部隊は昼夜を問わず空襲を続行したが、決定的戦果を挙げられなかった。 ミンドロ島の米軍飛行場が稼働を開始、、、、の活動がはじまると、日本軍航空隊の活動は低調化した。 日本陸軍航空隊はの航空基地から出撃していたが、同地もP-38やB-24の空襲に晒され地上で損害を出した。 連合軍飛行場に対する昼間攻撃はさらに難しくなり、日本側は10機未満での夜間空襲を続けた。 日本艦隊が攻撃した26日、ミンドロ島の2ヶ所の飛行場には連合軍機約120機(B-25爆撃機3、P-38戦闘機44、P-47戦闘機28、P-40戦闘機20)が展開していた。 連合軍船団の行動 [ ] 連合軍は、日本軍航空隊の空襲、日本艦隊の襲撃、逆上陸作戦に警戒を余儀なくされた。 12月13日、上陸部隊旗艦ナッシュビルが特攻機により大破して後退(旗艦変更)。 駆逐艦1隻も損傷した。 間接護衛隊は日本艦隊出撃の誤報により急行したが、実際には日本陸軍ので、代わりにこれを撃沈した。 上陸船団にはなるべくミンドロ島付近には停泊しないよう指示が出されており、15日夜には掃海艇2隻と魚雷艇23隻を島に残して離脱した。 12月22日、第一回補給船団は日本軍機の空襲で、上陸用舟艇2隻を喪失した。 第二回補給船団は日本軍機の空襲で、輸送船3隻、駆逐艦2隻、上陸用舟艇5隻を喪失した。 連合軍輸送船団は揚陸の完了しなかった4隻を残して即日出港した。 ミンドロ島逆上陸と日本軍の対応 [ ] 連合軍のミンドロ島来襲の直前にあたる12月14日、(司令官陸軍大将)はに対し、決戦よりも決戦に徹底することを意見具申した。 12月15日、も大本営に打電をおこない、意向をただした。 同日、連合軍はミンドロ島に来襲して上陸を開始する(上述)。 連合軍の新攻勢は、日本軍各方面に衝撃を与えた。 大本営陸軍部は、南方軍および第14方面軍に「海軍側と検討して連絡する」と返答した。 陸軍部はレイテ決戦に悲観的になりつつあり、第14方面軍に至っては独自にルソン島持久作戦への転換を開始して、海軍のに同調するよう求めた。 陸軍の動きに対し、海軍中央(軍令部、連合艦隊)はあくまでレイテ決戦続行の方針を示した。 日本海軍は間接護衛隊などを発見できず、船団の護衛は手薄と判断していた。 そこで、水上部隊によるアメリカ軍への攻撃を決めた。 まず、の第43駆逐隊及び第52駆逐隊所属の駆逐艦複数隻(、、、、)による突入が計画されたが、集結前の14日にマニラが空襲を受けて中止となった。 16日には、第43駆逐隊(榧、杉、樫)によるミンドロ島西部突入の計画が立案されたが故障などで実行できなかった。 日本海軍は、米軍のミンドロ島拠点化および航空基地確立に危機感を持った。 ミンドロ島から重爆撃機が発進するようになると南シナ海の日本軍輸送船団が空襲に晒され、が遮断されてしまう。 は日本陸軍によるミンドロ島渡海攻撃(逆上陸)を要求した。 大本営の一部や総司令部も同様の方針だった。 だがマニラの司令官陸軍大将は「作戦成功の成算なし」と判断 、逆上陸に同意しなかった。 山下将軍(第14方面軍)は既にマニラ放棄・ルソン持久作戦の準備を進めていたのである。 山下陸軍大将の意向に対し、南西方面艦隊参謀長は以下のように回想している。 余はこれに対して次のような見解を有していた。 「陸軍はルソン防衛を死活の問題と考えて、兵力配備を行っている。 もしミンドロ作戦を強行せしめんとせば、防備兵力の欠陥を補うべき兵力を補充してやらなければ承服しないだろう」と。 かくて第五艦隊の水雷戦隊をもって夜陰に乗じミンドロ砲撃を敢行することゝなった。 この作戦は成功を持続するという確信あるものでなく無為にして、艦隊を保存しても失うところは同一であり、仏印で爆撃されて沈没するよりも少しでも敵を攻撃して威力を発揮するに如かずとするものであり、兼ねて中央の顔を立てるものであった。 司令官の陸軍中将は「ルソン島に米軍が上陸すれば、マニラやクラーク航空基地はすぐに占領されて航空作戦は実施できない」としてルソン持久作戦に反対し、ミンドロ島の連合軍攻撃続行を主張した。 同日、マニラの陸海軍司令部でも南方軍総参謀長・南西方面艦隊参謀・第一連合基地航空部隊参謀など首脳部が集まり、今後の作戦方針について協議を実施する。 同会議は逆上陸案について議論が交わされ、第14方面軍は「成功の見込みなし」として逆上陸に反対、第4航空軍は「連合軍のルソン島来攻を遅延させれば、ルソン作戦準備の時間ができる」として支持、現地海軍側幕僚(第一連合基地航空隊)や連合艦隊は逆上陸を強硬に主張、南西方面艦隊は「小兵力のため精神的効果以上に期待できず、実行困難」(作戦会議では沈黙)という態度をとった。 海軍中央部(軍令部、連合艦隊司令部)は、連合艦隊参謀長海軍中将・同首席参謀大佐・同航空参謀大佐・大本営海軍部参謀(軍令部第一課)中佐 をマニラに派遣、一行は空路で12月23日に到着した。 草鹿中将は、まず第一連合基地航空部隊首脳部(第一航空艦隊司令長官、第二航空艦隊司令長官)と会談した。 席上、岡田中佐は特攻兵器を台湾に配備し(参加の空母で輸送)、クラーク基地から発進した戦闘機と空中で合同させ、神雷部隊によるレイテ総攻撃を提案した。 翌24日、連合艦隊参謀長一行はマニラに移動し、南西方面艦隊司令部と会談。 続いて草鹿中将は第14方面軍司令部(司令官陸軍大将、参謀長陸軍中将)と会見し、「ミンドロ島逆上陸」を直接要請した。 草鹿の回想によれば「山下大将は躊躇なく快諾」「武藤参謀長とも話が順調に進み」「精鋭一個連隊の逆上陸」が決まったという。 ところが、実際に派遣されたのは一個大隊(約100名)であった。 この部隊はでミンドロ島北部に上陸した。 連合艦隊がミンドロ島逆上陸を主張する最中、陸軍(大本営陸軍部、南方軍、第14方面軍)は中比・南比持久転移について意見を一致させる。 12月25日、山下大将はルソン持久作戦への転移を命令した。 第二遊撃部隊の作戦準備 [ ] 軍令部総長が12月14日に昭和天皇へ奏上したように、大本営海軍部は「情況ニ依リテハ水上艦艇ノ突入作戦ヲ実施」する意向だった。 12月16日朝、南西方面艦隊司令長官中将は第43駆逐隊によるサンホセ突入と奇襲攻撃を命じたが(17日夜半実施予定)、出撃が間に合わず19日には延期を指示した。 続いて「菲島方面当面作戦方針 機密第190137番電 」で「第二遊撃部隊及ハ適時『サンホセ』附近在泊中竝ニ増援中ノ敵艦船ヲ奇襲攻撃」とし、日本陸軍が逆上陸をおこなう場合は支援するよう指示した。 12月20日 、大川内中将は第二遊撃部隊指揮官中将(司令長官)に対し、麾下の司令官少将を指揮官とする 挺身部隊の編成を発令し 、22日以降に水上部隊(巡洋艦1-2隻、駆逐艦4-6隻)ですみやかにミンドロ島へ突入することを下令した(NSB電令作第838号)。 カムラン湾所在の(旗艦) を基幹に、フィリピン近海に存在していた日本海軍艦船がかき集められた。 第二遊撃部隊側(志摩中将、木村少将)は駆逐艦のみによる12月23日夜サンホセ突入案を南西方面艦隊参謀長少将と陸軍南方総軍司令部に意見具申したところ、日本海軍・陸軍の作戦打ち合わせが全く出来ていないことが判明し、第二遊撃部隊側を唖然とさせた。 当時、(司令官少将)の2隻(〔旗艦〕、)も第二遊撃部隊に所属しており、カムラン湾に停泊していた。 作戦実施にあたり、第二遊撃部隊(指揮官第五艦隊司令長官)はを挺身部隊に編入し、遊撃部隊旗艦を日向に変更する。 重巡は戦闘に参加できなかった。 また木村少将は旗艦を軽巡洋艦大淀 からに変更する。 その理由として「巡洋艦よりも小回りが利き機動性のある駆逐艦を選んだ」・「臨時に追加された大淀や足柄よりも司令官として昭和18年より麾下にありの際には座乗したことのある意思疎通の容易な霞を選んだ」・「大淀と足柄は借り物としての意識があったから」ともいわれる。 志摩中将(第五艦隊長官)は「それならいっそのこと長官が全部隊を率いて本作戦を指揮する方が適当だとも考えたが、木村司令官のもあり、計画の変更は徒らに事を紛糾させる虞があるので、歴戦の経験者たる木村司令官に一任することにした」と回想している。 12月22日夕刻、礼号部隊はカムラン湾に移動。 12月25日夜のミンドロ島突入が計画されたが、天候悪化による部隊集結の遅延から、26日夜の突入に変更された。 給油作業などの出撃準備が進められた。 戦力 [ ] 日本海軍 挺身部隊 司令官:• 第一挺身隊• 一番隊:駆逐艦 、• 二番隊:駆逐艦 、、• 第二挺身隊• アメリカ軍• 基地航空機:120機• 在泊艦船:輸送船4隻、魚雷艇10隻• チャンドラー部隊(司令官:T・E・チャンドラー少将) - 日本艦隊迎撃のため出動。 第4巡洋戦隊:重巡、、軽巡、• 第56駆逐戦隊:駆逐艦8隻 経過 [ ] 出撃 [ ] 1944年(昭和19年)12月24日、第二水雷戦隊司令官少将(旗艦霞)指揮下の挺身部隊はのを出撃した。 挺身部隊は当初マニラに向けて航行する偽装針路を取った。 これが奏効したのか24、25日と連合軍の触接も受けず挺身部隊は順調に進撃した。 12月26日未明、針路を南南東としミンドロ島沖への針路を取る。 11時37分南西方面艦隊司令部より挺身部隊に宛てて「飛行偵察ノ結果、ミンドロ方面ノ敵艦船少ナキガゴトキモ、本状況ハ一両日間変更ナキモノト認メラルルニツキ、予定通リ本夜突入スルヲ可ト認ム。 」と通信が入る。 この情報より木村司令官は麾下の全軍に以下のように訓示した。 挺身部隊ハ予定ドオリ突入ス。 各隊ハ一層警戒ヲ厳ニシ、敵ノ奇襲ヲ未然ニ封ジ、全軍結束、作戦目的ノ達成ヲ期セ 部隊はどんどん南下していったが、依然連合軍に発見されなかった。 26日16時3分、かねての予定通り、足柄から水上偵察機2機が対潜哨戒に発進する。 16時25分頃、足柄は水上偵察機を射出した。 同時刻、挺身部隊はアメリカ軍機()に発見された。 B-24は直ちに周辺部隊に向けて「敵発見」の打電を行い、足柄は「北緯12度48分、東経119度12分、1、巡洋艦1、駆逐艦6、針路90度、速力28ノット」という電文を傍受している。 しかしこれを木村司令官は意に介せずそのまま部隊を進撃させ、関係各部に対して「 予定通リ、突入ス」と打電した。 18時から20時にかけてやなどアメリカ軍機が続々と部隊上空にやってくるが、数が少なく周辺を飛行するだけで攻撃はかけてこなかった。 アメリカ軍の対応 [ ] 日本艦隊を発見したアメリカ軍は、ミンドロ島の航空部隊による攻撃を命じるとともに、の一部をチャンドラー少将の指揮の下で迎撃に向かわせた。 しかしミンドロ島の航空部隊は爆弾の備蓄などが不十分で、戦闘機によるなども含めたありあわせの攻撃を行うことになった。 ミンドロ島には、輸送船4隻と魚雷艇10隻のみが在泊中だった。 輸送船にはマンガリン湾のの島影への退避が命じられ、魚雷艇は迎撃態勢に入った。 空襲 [ ] 現地は18時39分、日没を迎えた。 しかし当日の天候は晴れ、11と夜になっても部隊は上空から丸見えであった。 20時45分、まず朝霜が爆撃を受けた。 これは命中しなかったが、これを皮切りに続々とアメリカ軍機が各艦に攻撃を始めた。 21時01分、今度は大淀が爆撃を受けた。 250kg爆弾2発が命中したが何故かこの爆弾には信管が付いておらず、一発は艦橋脇を貫通し海中へ突入し、もう一発は缶室直上まで甲板を貫通して止まった。 次に清霜(第2駆逐隊司令大佐、艦長中佐)が狙われ、舷中部に爆弾1発が命中、これが機関室を直撃、航行不能となるとともに浸水が始まった。 しかし他艦に救助に当たる余裕は無く、洋上に停止し炎上する清霜を取り残して礼号部隊は進撃していった。 清霜はその後30分ほどで沈没した。 このほか足柄の中央部(魚雷発射管附近)にが衝突し、火災が発生した。 そのため、足柄は搭載魚雷を投棄せざるを得なかった。 死傷者は70名に上った。 艦隊突入ス [ ] 挺身部隊はマンガリン湾に突入し、23時頃サンホセの敵上陸地点に向けて攻撃を始める。 まず、上陸地点沖合にいた輸送船4隻に砲雷撃を加え(霞4本、樫2本、榧2本) 、3隻以上の撃沈破を報じた。 アメリカ軍の記録では、輸送船「ジェームス・A・ブリーステット」が大破炎上した。 ついで、海岸の物資集積所に向けて砲撃を開始。 約20分間、砲撃を行った。 戦闘の間、足柄から発進した水偵がを投下したほか、基地から発進した3機が飛来して援護を行った。 アメリカ軍は魚雷艇PT-77など数隻が航空機の攻撃で損傷している。 日本陸軍(第四航空軍)も戦闘機8機と重爆撃機1機を出動させ、飛行場4箇所炎上を報じた。 日本艦隊の帰投 [ ] 12月27日午前0時04分、木村司令官は攻撃終了命令を出し、部隊は避退行動に移った。 避退途中で木村司令官は「これより清霜の救助に旗艦があたる。 各艦は合同して避退せよ」と下令した。 そして、上空に敵機がおり敵魚雷艇の襲撃の危険性がある中、駆逐艦2隻(霞、朝霜)は清霜生存者の救助を始めた。 2時15分、両艦は救助活動を終了(後述)、増速して先行部隊(足柄、大淀、樫、榧、杉)に追いついた。 連合軍爆撃機の空襲に対処しつつ、航続距離のない3隻(樫、榧、杉)を分離する。 木村司令官直率の4隻(霞、朝霜、足柄、大淀)は12月28日午後6時30分にカムラン湾到着。 第二水雷戦隊旗艦は大淀に戻った。 松型3隻は米潜水艦に撃沈された給糧艦の生存者を救出しつつ、12月29日正午前までにカムラン湾へ無事帰投した。 サンジャック移動後、第二遊撃部隊(日向、伊勢、足柄、大淀、朝霜、霞)はリンガ泊地またはシンガポールへ向かった。 なお、清霜の乗員342名のうち隊司令、艦長以下258名が救助された他、5名がその後アメリカ軍魚雷艇に救助され、戦死・行方不明は79名であった。 迎撃に派遣された巡洋艦4隻、駆逐艦8隻からなるチャンドラー部隊は日本艦隊を捕捉出来なかった。 12月29日、連合艦隊一行(草鹿参謀長、神大佐、淵田大佐)はフィリピンを出発し、高雄(台湾)経由で内地に帰投した。 草鹿達と共にマニラに出張していた中佐(海軍大将長男)は、12月26日に比島上空で戦死したという。 1945年(昭和20年)1月3日、第二水雷戦隊司令官は少将から少将に交代した(着任・退任1月4日)。 飛行艇便で内地に戻った木村少将は、1月31日にに拝謁して戦況を報告した(木村の他に中将、中将も拝謁)。 結果 [ ] この戦闘で日本側の作戦は成功し、 太平洋戦線における帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利であるとも言われる。 12月27日に及川軍令部総長が昭和天皇に奏上した戦果報告では 『 経緯略 突入部隊ハ「カムラン」湾出撃以後、敵ニ発見セラルルコトナク予定ノ航路ヲ進撃中デ御座イマシタガ 昨二十六日午後四時二十五分以後敵B-二四型一機ノ觸接ヲ受ケツツ予定通「サンホセ」ニ突入致シマシテ午後九時十五分 「マンガリン」湾ニ於キマシテ砲雷撃ニ依リ敵輸送船四隻ヲ撃沈破致シ 更ニ陸上物資集積所ヲ砲撃致シテ居リマス 其ノ後敵機十数機及魚雷艇数隻ト交戦致シマシテ 敵魚雷艇一隻ヲ撃沈敵機一機ヲ撃墜後 攻撃部隊ハ本日〔十二月二十七日〕午前零時十分頃攻撃ヲ止メ 「カムラン」湾ニ向ケ帰途ニ就キマシタ模様デ御座イマス 航空部隊戦果、損害略 』となっている。 もっとも、アメリカ側の記録では損害は輸送船1隻喪失 と魚雷艇数隻損傷のほか、飛行場施設が若干の損傷、荷揚作業が一時中断した程度になっている。 航空部隊は26 から31機を喪失し、うち20機が直接の戦闘による喪失で、残りは滑走路の破損のため着陸できずに失われたものである。 いずれにしろ、戦況の大局には大きな影響は与えなかった。 連合艦隊参謀長中将は少将(草鹿とは海軍兵学校同期)と本作戦について以下のように回想している。 彼は兵学校の卒業成績こそ最後尾にちかかったが、細心大胆の天性は若い時から名駆逐艦長として、その操艦の手腕と部下統率の人格は儕輩をぬき、将来を嘱望されたのであったが、果たして今次戦争において、キスカ撤退戦、あるいは「多号作戦」などにおいてよく難作戦をみごとに完遂し、その天分を発揮したのである。 が、この「礼号作戦」においても大胆果敢なる突入により、所在敵艦船をほとんど掃滅し、わがほうはわずかに駆逐艦一隻を失ったのみで、当時沈滞を免れなかったわが戦局に、一抹の涼風をおくったのである。 — 草鹿龍之介、同著『連合艦隊参謀長の回想』343、344ページ これに対し、第二遊撃部隊指揮官中将(第五艦隊司令長官)は本作戦を以下のように回想している。 本作戦は、敵に与えた損害よりは味方の受けた被害の方が遙かに大で、戦略的には何等の価値もなく、徒らに敵をしてこの方面に兵力の増援と警戒心を喚起せしめただけだった。 直言すれば、我が航空部隊に対する激励と、対陸軍あるいは対内的申訳作戦というの外はない。 兵力に十分の余裕のあるときならとにかく、今日のような兵力激減の情況において、単に最高指導部の面目を慮り、貴重な僅かの兵力を無意味に使うようなことは最も戒めなければならない。 — 志摩清英、小柳資料『帝国海軍 提督達の遺稿 下』487ページ 12月30日、提督が率いるアメリカ軍機動部隊()はウルシー環礁を出撃して台湾方面に出動する。 ルソン島方面の作戦を支援しつつ(昭和20年)1月9日にはルソン海峡を突破して南シナ海に進出。 カムラン湾付近に潜伏中と推定した日本艦隊(日向、伊勢)を攻撃することで、から間の補給路を安全にしようとした。 だが日本艦隊(礼号作戦部隊を含む)はカムラン湾からリンガ泊地に退避していたので発見できず 、仏印周辺で行動していた3番艦「」(旗艦)や輸送船団()、フランス極東艦隊旗艦「」を攻撃。 続いてやを強襲した。 アメリカ軍機動部隊の活動により、とは壊滅した()。 注釈 [ ]• 戦艦は重巡洋艦足柄を誤認したもの。 魚雷艇は連日の日本軍機の空襲で稼動12隻に減少しており、うち2隻は別任務で出航中だった。 連合軍側記録では大破後に魚雷艇PT-223により撃沈とするが、時刻などがまったく異なり誤認と思われる。 (木俣)• 406頁では「十二月二十六日から二十七日にかけての真夜中、日本水上部隊はミンドロ島沖に達し、短時間飛行場を砲撃したが、空中攻撃を受けて後退した。 避退運動中駆逐艦1隻が魚雷艇の放った魚雷射線によって沈められた」とある• アメリカ軍の記録では友軍機の誤爆となっているが、日本軍機の攻撃の可能性もあると思われる。 (木俣)• 「南西方面艦隊ニ於キマシテハ昨夜〔十二月二十六日〕水上部隊ニ依ル「ミンドロ」突入攻撃作戦ヲ次ノ通実施致シテ居リマス 第二遊撃部隊ニ属シマスル足柄、大淀及駆逐艦六隻 旗艦霞、第二駆逐隊<清霜、嗚呼霜>榧、杉、樫 ハ第二水雷戦隊司令官之ヲ指揮シ二十四日午後一時「カムラン湾ヲ出撃致シマシテ……昨夜「「サンホセ」ノ敵泊地ニ突入 攻撃ヲ決行致シ 基地航空部隊モ全力之ニ協力作戦致シテ居リマス模様デ御座イマス 只今迄ニ判明致シマシタル状況ハ 昨日ノ飛行機偵察ニ依リマスルト「サンホセ」泊地附近ニハ的輸送船四隻乃至五隻其ノ他小舟艇若干在リマシタル外「スルー」海附近ニハ敵艦船ヲ認メテ居リマセヌ」• 「基地航空部隊ハ水上部隊ノ対潜警戒ヲ行フト共ニ右攻撃ニ策応致シマシテ敵「サンホセ」飛行場ニ対シマシテ昨夜 延二五機ヲ以チマシテ爆撃ヲ行ヒ 南北両飛行場共火災ヲ生ゼシメテ居リマス 又対魚雷艇直衛ニ出マシタ水上爆撃機ハ魚雷艇二隻ヲ撃沈シテ居リマス 右戦闘ニ於キマシテ水上部隊ノ蒙リマシタ被害中只今迄ニ判明致シマシタル所ニ依リマスト 清霜被爆ニ依リ沈没 足柄、大淀被爆ニ依リ小破 其ノ他機銃弾ニ依ル被害ガアリマス模様デ御座イマス」• レイテ島に向かう途中で燃料切れとなり、失われた。 (木俣) 脚注 [ ]• 478-480頁「決号作戦不発」• 403頁• 271頁〔昭和19年(1944年)12月〕「15 米軍、ミンドロ島 ルソン島南側 に上陸開始」• 485頁「第四航空軍の艦船攻撃」• 493頁「船団攻撃の続行」• 531-532頁「ミンドロ方面空海勢力撃破の攻撃」• 532頁「ミンドロ島方面艦船攻撃」• 496頁「第十四方面軍の情況判断」• 563-565頁「二 ミンドロ来攻直後の南方軍、大本營、聯合艦隊」• 113-114頁「第十四方面軍の作戦指導要綱」• 565頁「聯合艦隊十六日二〇四三発電 南西方面艦隊あて 」〔 既定方針遂行ノ為ニハ差当リ「ミンドロ」島ニ敵ノ航空基地ヲ確立セシメザルコト絶対ニ必要ナルヲ以テ当面ノ我カ主作戦目標ヲ「ミンドロ」島ニ於ケル敵航空基地造成ノ阻止妨害ニ置キ海陸軍航空部隊ノ大部ヲ之ニ指向スル要アリ 尚為シ得ル限リ第二遊撃部隊及航空部隊掩護下ニ陸軍部隊ヲ敵上陸点附近ニ逆上陸セシメ右作戦目的達成ニ協力セシムルヲ可ト認ム 〕• 495-496頁「現地海軍側の情勢判断」• 497頁「寺内南方軍総司令官の情勢判断」• 496-497頁「飯村南方軍総参謀長のマニラ連絡」• 511-512頁「空地論争の問題点」• 567-568頁「四 在比総参謀長、大本營の各結論と南方軍の意見」• 507-508頁「ルソン持久作戦方針に対する冨永第四航空軍司令官の憤激」• 100-101頁「現地軍の作戦方針」• 504-505頁「方面軍、中南比持久転移命令」• 254-255頁• 14「 二 自十二月一日至十二月三十一日第二遊撃部隊麾下艦船部隊行動一覧表」• 12「朝霜探照燈反射鏡破損シ之ガ換装ノ爲十一日昭南ニ回航整備ノ上十二日「リンガ」出撃ノ2YBニ合同北上十三日初霜霞ヲ合同十四日「カムラン」着将旗ヲ大淀ニ移揚ス」• 47「二十一日一八四六 二遊撃部隊指揮官 宛略 2YB旗艦ヲ一時日向ニ変更ス」• 59「二四 天候略 〇九〇〇 旗艦 霞足柄大淀二駆 清霜朝霜 榧杉樫ヲ率ヰカムラン湾発 〇八〇〇 将旗 霞ニ変更ス」• 255-256頁• 55頁• 399頁• 289-290頁「ミンドロ島突入作戦」• 177-178頁「米機の体当たりを受く」• 178-180頁「全砲火を集中して目的達成」• 13「三〇 一七三〇 2YB 4sf足柄大淀朝霜霞 昭南 リンガ ニ向ケ「サンジャック」發」• 487頁 欄外 リンガ泊地に待機訓練• 58頁• 「」 Ref. C13072102800• 10「四日新司令官古村啓蔵少将着任交代ヲ了ス」• 16-17「二. 人員ノ現状 イ 司令部 一 主要職員官氏名」• 265-266頁• 543-544頁「 昭和二十年一月 三十一日 水曜日 田結前第一南遣艦隊司令長官の奏上 午前十時五分、御学問所に出御され、今般帰還の前第一南遣艦隊司令長官兼第十三航空艦隊司令長官田結穣・前第十一特別根拠地隊司令官藤田利三郎・前第二水雷戦隊司令官木村昌福に謁を賜い、田結より軍状の奏上を受けられる。 410頁• 51-52頁「南シナ海に入る」• 461頁「水上部隊の任務変更」• 488-489頁 欄外 東支那海における敵機動部隊の跳梁 参考文献 [ ]• 『 連合艦隊・名指揮官の生涯 戦場の将器 木村昌福』光人社、1997年12月。 『航跡の果てに 新鋭巡洋艦大淀の生涯』、1990年。 『第二水雷戦隊突入す 礼号作戦最後の艦砲射撃』光人社〈光人社NF文庫〉、2003年3月(原著1972年)。 木俣滋郎「3. 航空戦艦「日向」「伊勢」」『撃沈戦記 海原に果てた日本艦船25隻の航跡』光人社〈光人社NF文庫〉、2013年6月(原著1988年)。 『連合艦隊参謀長の回想』光和堂、1979年1月。 編『昭和天皇実録 第九 自昭和十八年至昭和二十年』東京書籍株式会社、2016年9月。 ほか『重巡十八隻 軍縮条約が生んだ最先端テクノロジーの結晶』潮書房光人社、2015年4月。 当時「足柄」航海長・海軍中佐吉津信一『海の尖兵「足柄」航海長の激闘記録 志摩艦隊スリガオ海峡夜戦とミンドロ島サンホセ突入作戦』• 佐藤和正『太平洋海戦3 決戦篇』(講談社 1988年)• 『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社〈光人社NF文庫〉、1995年12月。 「貴重な勝利」<駆逐艦「清霜」艦長・梶本顗中佐の証言> 太平洋戦争時、駆逐艦夕風艦長、弥生艦長、三重空教官、兵学校教官、清霜艦長、第22戦隊先任参謀等• 「独断反転」<駆逐艦「榧」艦長・岩淵悟吾郎少佐の証言>(太平洋戦争時、天津風水雷長、阿武隈水雷長、最上水雷長、望月艦長、夕凪艦長、榧艦長等)• 財団法人水交会「元海軍中将 志摩清英」『帝国海軍提督達の遺稿 下 小柳資料 敗戦後十余年海軍の中枢が語った大東亜戦争への想い』水交会、2010年4月。 ほか『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』潮書房光人社、2014年12月。 当時大淀航海長・海軍中佐内田信雄『艦隊司令部用旗艦大淀の航跡 連合艦隊旗艦としても栄光をになった名艦の生涯を綴る航海長の手記』• 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 捷号陸軍作戦<1> レイテ決戦』第41巻、朝雲新聞社、1970年12月。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 比島捷号陸軍航空作戦』第48巻、朝雲新聞社、1971年8月。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』第54巻、朝雲新聞社、1972年3月。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸海軍年表 付 兵器・兵語の解説』第102巻、朝雲新聞社、1980年1月。 『25歳の艦長海戦記 駆逐艦「天津風」かく戦えり』光人社、2000年。 森田は霞水雷長として礼号作戦に参加。 本海戦後、天津風艦長へ転任。 (防衛省防衛研究所)• 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌 1 』。 Ref. C08030019800。 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌 2 』。 Ref. C08030019900。 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌 3 』。 Ref. C08030020000。 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌 4 』。 Ref. C08030020100。 『昭和19年11月1日〜昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報 1 』。 Ref. C08030102600。 『昭和19年11月1日〜昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報 2 』。 Ref. C08030102700。 『昭和19年11月1日〜昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報 3 』。 Ref. C08030102800。 関連項目 [ ]•

次の